大学時代から付き合いのある先輩のプッシュ、X (旧:Twitter ) のフォロワーと共に足を運んだ大プリパラ展、2025年10月10日公開の『アイカツ !×プリパラ THE MOVIE -出会いのキセキ!- 』。それら様々な要因が重なって、2025年5月、遂に『プリパラ』を観始めた。
『プリパラ』から『アイドルランドプリパラ』まで、その話数はなんと約200話。観るだけでも相当ハードなマラソン なので、流石に今回は感想を書き残すことはできない――だなんて、そう思っていた自分は『プリパラ』をナメていた。そんな躊躇いを吹っ飛ばすほどの圧倒的なパワーを持っているからこそ、この作品群はプリティー シリーズでも出色の人気を誇っているのだ。
という訳で、下記は『プリパラ』『アイドルタイムプリパラ 』そして『アイドルランドプリパラ』のアニメシリーズを一気に駆け抜けた5ヶ月間の記録。ボリュームの都合上、各作品に細かく触れられていない点はご了承を……!
引用:🎀「アイドルランドプリパラ」オープニング『OPEN DREAM LAND!』ノンテロップver. - YouTube
《目次》
VIDEO
感想「プリパラ (1st season) 」
プリティー シリーズとは、女の子の憧れ=オシャレやアイドルを大きなテーマに、データカードダス やアニメ作品を展開する女児向けメディアミックスシリーズで、現在はデータカードダス とTVアニメで『ひみつのアイプリ』を、劇場用作品として『プリティーリズム・レインボーライブ 』のスピンオフである『KING OF PRISM』シリーズを展開している。
して、テレビアニメ『プリパラ』とはそんなプリティー シリーズのアニメ第4作。1年目は通常より短い3クールで製作されたものの、その人気から延長を重ねて3年に渡って展開、その後も続編となる『アイドルタイムプリパラ 』を展開したり、現在もアプリゲーム『アイドルランドプリパラ』が配信されていたり、2025年10月には姉妹コンテンツとのコラボ映画である『アイカツ! ×プリパラ THE MOVIE -出会いのキセキ!- 』が公開されたりと、文字通り規格外の人気を誇るシリーズの看板作品だ。
なぜ『プリパラ』がそこまでの人気を博したのか。それを知るにはデータカードダス や女児向けコンテンツそのものの潮流など様々な理由があるのだろうけど、その一翼を担っていたのは間違いなくTVアニメ『プリパラ』のクオリティの高さだろう。
ごく普通の女の子の元に招待状が届き、不思議の国に足を踏み入れアイドルに……と、あらすじだけ見るとオーソドックスなアイドルアニメにも見える『プリパラ』。その特徴として真っ先に挙げられるのは「プリパラ」という場所とその描き方。
たくさんの店舗が並び、日夜様々なイベントが開かれる夢の世界・プリパラ。一見スーパーリゾートめいたこの世界だけれど、その真の価値は「最高の自己実現 場」 であること。自分の望む姿も道具も思うままに手に入り、何より「悪意に曝される」ことがない。自信がある人もない人も、誰もが思うまま自己実現 に挑めるのがこのプリパラであり、メインターゲットである児童層はもちろん、大人にとってもこれ以上ないパラダイスだ。
そんな世界を舞台にしているからか、本作の雰囲気は基本的にとびきり明るく前向きなもの。明るすぎた結果 (?) 突然紙を食べたりザリガニで髪をとかし始めたりすることもある けれど、そんな狂気を笑って見れる楽しさとテンポ感、そして際限なく拡大し続ける世界観は間違いなくプリパラのアイデンティティ ー兼大きな魅力と言えるだろう。まさか「原始プリパラ」という概念を疑いなく飲み込めるようになるなんて……(困惑)
一方、そのような明るさや狂気は、本作が秘めたシリアスさの「隠れ蓑」 にもなっていた。
シリーズの中でも、特に「なりたい自分」というテーマについて深く切り込んでいるのがアニメ無印。マネージャーや姉にされるがまま、自らの意思を持てずにいたそふぃをらぁら・みれぃが救い出し「そらみスマイル」を結成する1クール目終盤は言わずもがな、自分がとりわけ驚かされたのは第10話『秋色ラブリーライブ』で初登場したキャラク ター、栃乙女愛の顛末だ。
プリチケを手にしながらも、容姿への不安からプリパラへ踏み出せずにいた愛。彼女がらぁらたちに背中を押されてプリパラへ入る――と、そこまではある種の既定路線。特筆すべきは、彼女がプリパラチェンジでそのコンプレックスである体格や顔立ちを変えなかったこと。愛は、あくまでメイクやファッションの力で=生まれ持った自分の姿を活かした形で生まれ変わるのである。
このような姿勢は作中で一貫しており、プリパラは決して「現実からの避難所」としては描かれない。あくまで前向きに、なりたい自分へ向かう場所として描かれるからこそ『プリパラ』はこんなにも背中を押される作品になっているのだと思う。
他にも、本作はこのような「なりたい自分」にまつわるエピソードが豊富に揃えられている。
前述のそふぃは、そらみスマイル結成からし ばらく経った第20話『パスタVS忍者!』でファンから「雰囲気が変わったけど今のそふぃも良い」と言われており、ファンシーモードのそふぃもそふぃとして受け入れられていることが明示される。北条そふぃが「そふぃ様」から自立したからこそ、続く第21話『解散!?そふぃ様親衛隊』でそふぃ様が復活する (そふぃ様というアイデンティティ ーを、今度はそふぃ自身が選び取った) のである。
また、第32話『みれぃ、ぷりやめるってよ』では、その冗談みたいなタイトルとは裏腹に「例えそれが “作りもの” だとしても、アイドル・みれぃは南みれぃの一部である」 ことが描かれていく。なりたい自分がいかに本来の自分から遠くても、目的のために何かを演じたとしても、それは紛れもない自分自身であり、その人の個性そのものなのだ。
……と、本作はこのように様々な方向から「なりたい自分への歩み」を肯定し、子どもたちを夢へ導くエンパワメントな作品になっている。また、これらのエピソードはアイデンティティ ーに揺れる大人にとっても指針・救いとなるポテンシャルを秘めており、それもまた、本作が幅広い層から支持される理由なのだろう。
そんな本作のベストエピソードとして挙げたいのは、やはり終盤のファルル編――と言いたいのだけれど、個人的に外せないのは第23話『プリパラ最後の日でっすわ!』、第24話『さよなら、プリパラ』、第25話『クリスマスプレゼントフォーユー!』の大神田校長三部作。
プリパラを一方的に敵視し、その実態を確かめようとさえしなかった私立パプリカ学園小学部の校長・大神田グロリア。しかし、らぁらの「キライの中にはスキがある」という言葉通り、彼女には「プリパラを深く愛しながらも、友人に裏切られたことでプリパラへの思いを断ち切った」という悲しい過去があった。
大神田校長の過去を知り、冷えきった彼女の心を溶かそうとライブを披露するそらみスマイル。その輝きを目の当たりにしたグロリアは、自分が「ライブを見たらかつての想いが蘇ってしまうから、これまでずっとプリパラのライブを見ないようにしていた」ことを悟り、かつての想いと共に街を彷徨う。その果てに、彼女は自分を見捨てたと思い込んでいた親友=らぁらの母と再会。誤解を解き、トモダチに返り咲いた2人の姿を目の当たりにして、らぁらたちはドレッシングパフェにある提案を持ちかける――。
筆者記
なりたい私、と並ぶプリパラの核が「トモダチ」の存在。自分の話である自己実現 と、他者であるトモダチは一見別問題のようだが、そらみスマイルやドレッシングパフェがそうであったように、「なりたい自分」とは、自分だけでは越えられない壁を誰かと乗り越えて初めて到達できるもの。
一方、大神田グロリアはそんなプリパラの真逆=トモダチとのすれ違いによって自分の殻に閉じ籠り、他者の可能性を摘み取っていく「アンチプリパラ」とでも呼ぶべき存在だった。2クールに渡って繰り広げられた彼女の横暴は目に余るものがあり、正直「 (仇役・必要悪だと分かっていても) 彼女がいなければプリパラはもっと素敵な作品になるのでは」と思うことも一度や二度ではなかった。
しかし、恐らくはそれも製作陣の想定内。らぁらたちだけでなく、私たち視聴者を含めた「みんな」がグロリアを赦し、受け入れることこそが「み~んなトモダチ!」が夢物語ではないことの証になるからだ。
グロリアの改心をみんな……とりわけ、私たち視聴者に納得させるのは至難の業。それだけに、彼女の改心には並々ならぬ「仕込み」が用意されていた。
ひめかがポッと出のゲストではなくらぁらの母であり、作中で既にかつてプリパラに行っていたと明言していたこと。グロリアが「プリパラを禁止しつつも一切観ていなかった」こと。他のキャラク ターたちはみんな「プリパラ内外で名前か姿のどちらかは共通」だったため、2人の「名前も姿も現実と違ったせいですれ違う」というアクシデントに納得せざるを得ないこと。「らぁらの母とグロリアは馬が合う」と何度も描かれていたこと。そしてトドメに、自分とひめかを引き裂いたのは「大人からの一方的なプリパラ禁止」だったというブーメラン……。
これらに加え、グロリアが街を彷徨いながらかつての姿に戻っていく演出や、グロリア役・高乃麗 氏の「凍りついた心が氷解していく」様を感じさせる演技もあって、あれだけグロリア憎しだった自分も涙ながらに彼女を受け入れることができたし、その体験こそが前述の通り「み~んなトモダチ」という言葉が夢想でないことの証明になっていた。
らぁらたちの想いで絆を取り戻したひめかとシュガー。そして、その2人の姿がそらみスマイルとドレッシングパフェを「そらみドレッシング」という新たなステージへ導く絆の連鎖。この美しいバトンリレーを「勝ちか負けかなんて関係ない」「みんなで手を取り合って夢を叶えよう」 と歌う『Realize! 』が締め括るこの一連にこそ、プリパラという作品の本懐が詰まっているように思えてならないのだ。
感想「プリパラ (2nd season) 」
大神田校長三部作やファルル編はもちろん、単発回に至るまで軒並みハイクオリティだったことで『プリパラ』をあっという間に駆け抜けてしまった自分は、しかし続く『プリパラ 2nd season (以下 “2期” ) 』で一転、盛大に足止めを食らうことになってしまった。
2期の目玉となるのは、黒須あろまと白玉みかんによる新チーム・アロマゲドンの参戦と5人チームの結成。濃いキャラク ターもチームの概念もプリパラの旨味だったため、それは一見すると正統進化のように思える……が、いざ蓋を開けてみると、2期前半は「アロマゲドンに振り回されるらぁらたち」「結成されては解散するチーム」という展開が繰り返されがちで、話が一向に前に進まない構成にどうしてもストレスを感じざるを得なかった。
2クール目からは更なる追加キャラク ター・春風ふわりが参戦するが、物語はやはり「ふわりの掘り下げ」「結成されては解散するチーム」に終始しており、話が前に進まない問題は継続中。新キャラク ターが定期的に登場するのは当然だけれど、それらはドレッシングパフェやファルルのように「物語を加速・変化させる存在」であってほしい、というのが個人的な願望。 その点、2期前半は「新キャラを出してそのエピソードを描き、それが終わったらまた新キャラを出す」ことをノルマ的にこなしているだけのように見えてしまったし、まるで当番制のような構成には、同様の問題を抱えていた『アイカツ! 』2期を思い出して頭を抱えてしまった。あじ み先生という爆弾キャラが参戦してもその流れが変わることはなく、もうダメかもしれないと心を折られかけたその時、事件は起こった。
第73話『彼女がデビューする日』において、遂にステージデビューを果たした紫京院ひびき。その正体は (『KING OF PRISM-Your Endless Call -み~んなきらめけ!プリズム☆ツアーズ』で歴代プリティー ボーイズの中に姿がなかったので薄々察してはいたけれど) なんと女性。しかし、彼女が引き起こした事態の前では性別など些事も些事。ひびきはみれぃたちを巧みに誘導することでプリパラを自らの理想・セレパラへと作り替え、らぁらたちを事実上追放してしまったのである。
そふぃ・シオンを引き抜かれたばかりか、トップアイドル以外はライブ禁止。トモダチも「みんながアイドルになれる場所」も奪われてしまったらぁらたち。1年目のVSファルルも「ここまでらぁらたちを追い込むなんて」と舌を巻いたものだったけれど、この絶望感はそれ以上。そふぃたちのチーム脱退やみれぃアイドル引退宣言など、密かに行われてきた仕込みが怒涛の勢いで回収されていくこともあって、この一連には前半のペースダウンが嘘のように引き込まれてしまった。
して、破壊の後には再生が待っているもの。これらの……もとい、2期の積み重ねが満を持して花開いたエピソードが、第80話『ホップ・ステップ・ガァルル!』
そふぃたち天才との力量差に打ちのめされたみれぃは、プリパラを奪われてしまったことに責任を感じてアイドルを引退してしまう。
そんな折、セレパラの監視が届かないライブ施設「地下パラ」を発見したらぁらたちは、地下パラを整備することでガァルルの初ステージを開催。歌や踊りが拙くても、何度転んでも決して諦めないガァルルの姿に、努力の価値=技量や才能では測れないアイドルの輝きを見たみれぃは、打倒天才チームを誓いアイドルに復帰するのであった。
筆者記
無印の頃からプリパラが掲げてきたのが「み~んなアイドル」つまり「誰にでも輝きがある」というテーマ。それが多様性・自己実現 の観点で大きな価値を持つことは既に描かれてきたけれど、そこに「その輝きは自己満足でしかないのでは?」 と外部的な視点から切り込んできたのが実力至上主義者であるひびき。夢敗れた子どもたちの無念から生まれたボーカルドール・ガァルルがその主張へのカウンターになるというだけでも胸が詰まってしまうのだけれど、決め手はやはりガァルルのステージだ。
何度転んでも最後まで諦めず、見事サイリウム チェンジにまで辿り着いてみせたガァルル。優れたパフォーマンスは確かに美しいけれど、本当に美しいのはその裏にある努力とひたむきな心、つまりは「生き様」に他ならない。 であるなら、アイドルの輝きや美しさはアイドルの数だけ存在しているのだ。ガァルルの努力こそがみれぃを救う一番星だったように。
だからこそ、人はそれぞれの輝きを繋げ、響かせ合うことで初めてもっと高いステージに羽ばたくことができる。それを教えてくれるのがガァルルのライブであり、らぁらが「ひびきともトモダチ」という想いでファイナルエアリーに辿り着いた最終決戦であり、『2nd season』の物語だったのかもしれない。
感想「プリパラ (3rd season) 」
まさに悲喜交々な手触りだった2期を経て臨んだ3rd season (以下 “3期” ) は、自分の周囲でも特に評判の良い時期。ハードルが上がるのは避けられなかったけれど、事実、3期はそんな前評判に違わぬ魅力に溢れた傑作編だった。
プリパラの大きな美点の一つが「各キャラク ターを大切にする」という姿勢。普通ならゲストキャラク ター止まりでもおかしくない栃乙女愛がその後何度も再登場したり、物語から一旦退場したふわりが最後の最後でひびきを救う役割を担ったり、コスモやめが姉、ひいてはちゃん子といったサブキャラク ターたちにもしっかりとCGステージが用意されたり……。「み~んなアイドル!」を地で行くこの作劇は他の長期アニメ作品では滅多に見られないものであり、3期は特にその美点が輝いていたように思う。
2期ではあろま、みかん、ガァルル、ふわり、ひびき、あじ みが登場したように、3期にも数多くの新キャラク ターが登場する。じゅのん、ぴのん、かのん、ちり、ペッパー、ジュルル/ジュリィ、ジャニス……。人数だけ見ると2期とほぼ同じながら、彼女たちは2期組に比べずっと「ストーリーに馴染んでいる」ように感じられた。
というのも、新チーム「トライアングル」 を結成するじゅのん・ぴのん・かのんの3人は、いずれもらぁらの妹・真中のんその人。3人の追加キャラク ター全員が既存キャラク ターという特殊な作劇の結果、3期前半は「トライアングルにスポットが当たりつつもその説明・描写は最低限で、らぁらたちの尺を食っていない」という非常にバランスの取れた作劇を見せてくれる。
また、彼女らと同じく序盤から登場する新レギュラー・ジュルルは『おジャ魔女どれみ 』や『プリキュア 』などでもお馴染みの赤ん坊レギュラー。最初はてっきり (2期のアロマゲドンのように) らぁらたちを振り回すポジションに落ち着くのかと思ったけれど、実際は「ジュルルの育児を通して、各レギュラーキャラがそれぞれ成長を遂げていく」 という形で、見事にらぁらたちを引き立てる役割を果たしていた。
他にも、ちりは3期1話でゲストとして登場しているおかげで、レギュラー入りの際にも「ポッと出」感がなく、もう一人の女神であるジャニスも、序盤から声の出演だけはあったためやはりポッと出感がない……など、3期から登場するキャラク ターたちは、いずれも作品に自然に馴染むよう細かい工夫の上で登場しており、ペッパーも登場間もなく「ノンシュガーの結成」という形で縦軸に合流するため持て余されている感覚がなかった。これらの工夫のおかげで、3期は「新キャラク ターが新たな彩りを加えつつ、既存キャラク ターたちの更なる成長を描く」 という、続編ものとして非常に理想的なバランスを獲得していたのである。
して、そのような作劇の恩恵が顕著だったのがガァルマゲドンとトリコロ ールのチーム結成編だろう。
2期終盤で結成こそされたものの、チーム結成の儀や3人でのステージはお預けだったあろま・みかん・ガァルルによるチーム・ガァルマゲドン。そして、1期と2期のラスボス (とそのお目付け役) という驚愕のチーム・トリコロ ール。新キャラでもそらみスマイル/ドレッシングパフェでもなく彼らのエピソードが3期2クール目の主軸となっているというだけでも十分イレギュラーなのだけれど、特筆すべきはその作劇の丁寧さ。
ガァルマゲドンは3話連続で「関係性の掘り下げ」「誓いの儀式」「成長と勝利」が丁寧に描かれており、2期で結成済みのチームとしては破格の厚待遇。ファルル編のセルフオマージュもさることながら、「2人ぼっち」だったアロマゲドンからガァルルへの愛が感じられるシーンの数々は、何度見ても涙腺がダメになってしまう。
(この関係性には『アイドルタイムプリパラ 』まで視聴すると、尚更感じ入ってしまうものがある)
VIDEO
一方、第108話『帰ってきたプリパリ』、第111話『子連れ怪盗まほちゃん』、第114話『急げ!神アイドルグランプリ!』、第115話『ひびけ!神アイドルグランプリ!』と、実に4話もの話数を使って描かれたのがトリコロ ール結成編。驚くべきは、この4話のうちほとんどの尺が「ひびきが “友情を信じる” という言葉を口にできるか」 という問題に充てられていることだろう。
「プロミス」 「……」 「……!」 「まだ、みんながトモダチとは言えないけど」 「え?」 『なんでちと!?』 「ふわりとファルルは、トモダチだ」 「ひびきさん!」 「まほちゃん……!」 「この儀式では、嘘はつきたくないんだ。――プロミス、ふわりとファルルの友情を信じて!」
-「プリパラ」第114話『急げ!神アイドルグランプリ!』より
2期の時点で、ボスとしての風格と面白ポテンシャルを併せ持つ稀有なキャラク ターだったひびき。それだけに、味方入りした彼女が単なるネタキャラにならないか……という懸念は常に感じていたし、彼女が「プロミス」を言えないことがコメディタッチに描かれている様子には正直期待よりも不安の方が大きかった――のだけれど、すべてはひびきのコンプレックスと、友情への真摯さによるもの。そのことを100点満点で示してくれた「誓いの儀式」を経て、自分はひびきもトリコロ ールも大好きになってしまったし、「この作品はやってくれる」 という信頼も確かなものになっていった。
(それはそれとして、うっちゃりビッグバンズと戦いたくないが為に帰国したり、うっちゃりビッグバンズのライブで瀕死の重傷を負うひびき様はコロコロコミック すぎて大好き)
VIDEO
こうして、ガァルマゲドンにトリコロ ール、そしてノンシュガー (相性が限りなく怪しいからこそ、その生っぽさやチーム完成のカタルシス が大好きなチーム。『アイドルランド』でようやく先輩としての見せ場を貰えていて嬉しかった……!) が結成されたことで、最終決戦はまさかの全チームによるトーナメント に。
思えば、プリパラのカタルシス は常に「チーム」と共にあった。そらみスマイルやそらみドレッシングの結成、ファルルを加えた7人ステージ、天才チームVS努力チーム、そして事実上の「ひびきVSフルメンバー」だった2期の最終決戦……。無印と2期でテーマ面をやり尽くしたと判断したのか、3期はシリーズの旨味である「チーム」の描写と、各キャラク ターに漏れなくスポットを当てる構成に注力していた節があり、結果として本作は「終始賑やかで熱く、ずっと面白い」という、まさにらぁら編のフィナーレに相応しい50話になっていたように思う。
それはさながらプリパラを見届けてきたファンへの感謝祭のようで、自分はその圧倒的な盛り上がりに涙する傍ら、猛烈な勢いで「次作のハードル」 が上がっていくのを感じていた。
〈序盤の不満と、浮上するテーマ〉
タイムラインでの評価も芳しく、プリパラマラソン の開始時から楽しみにしていた『アイドルタイムプリパラ 』。「プリパラの第4期扱いだが、その内容は別作品」という特殊な立ち位置は『アイカツ! 』のあかりGenerationを彷彿とさせるが、事実、本作は非常に特異な立ち位置の作品となっていた。
『アイドルタイム』の特異性といえば、真っ先に挙げられるのはやはり「男子プリパラ」ことダンプリ、そしてそのトップスターであるWITHの存在 だろう。
VIDEO
自分は事前に『キンツア』のルート1~3を観ていたので、WITHといえば「ハチャメチャにカッコいい歌を唄うアイドル」という印象だった。特に、プリズム混線でシンたちが目にした『Giraギャラティック・タイトロープ』はツボもツボの超ドツボ楽曲。これが作中で聴けることが楽しみでならなかったし、『劇場版プリパラ み~んなでかがやけ!キラリン☆スターライブ!』のラストシーンや「夢川ショウゴはアイドルタイムの主人公・夢川ゆいの兄」という情報がその期待を更に膨らませていった。
しかし、いざ本編を観てみると、WITHが物語の中心になることは少なく (第20話『ハッピー米バースデイ』や、第45話『決戦!ゆいVSしゅうか』で描かれた夢川兄妹の関係性はとても好き) 、ダンプリという特異な概念が物語において大きな役割を持つことはなかった。
なら本筋は面白かったのか……というと、決して悪くはなかったし、第9話『おしゃれスタジオ始めたっての』やにののデビュー編をはじめ光るエピソードも多かった。けれど、ババリア 校長やミミ子、みちるらが纏う既視感、(舞台装置としてはともかく、システムとしては) 単なる「枷」にしか見えないアイドルタイムシステム 、そして何より「ここまでの150話を踏まえて、その上で新たに “プリパラ” を描く意義は何なのか」 という疑問など、この段階ではポジティブな感想よりも不安・懸念点の方が根強く、パラ宿の壊滅を機にプリパラ組が本格参戦してくる2クール目を経て、本作に対する不安と心配はより一層高く積み重なっていった。
しかし、本作は3クール目からその流れを大きく変えていくことになる。
『アイドルタイムプリパラ 』3クール目では、物語の鍵を握るファララやガァララ、そして「高飛車なセレブキャラだが、その実態はストイックで生真面目な努力家で、作中で友情の価値を知っていく」という好感度お化け・華園しゅうかやその姉・華園みあが本格参戦。入れ替わるようにらぁら世代の面々がフェードアウトすることもあって、ここから急激に『アイドルタイムプリパラ 』の物語――「プリパラからの卒業」というメタ的なテーマが浮き彫りになっていく。 その第一陣となったのが、第35話『未知とのミーチル』から始まるマイドリーム結成編。
アイドルタイムプリパラ に対して持っていた不満の一つが「みちるがちりすぎる」 こと。現実では消極的で、プリパラに入ると女王様……という二面性は3期から登場の月川ちりとそっくりで、ちりがノンシュガー結成で大きく成長したことを踏まえ、自分はみちるを「成長しないちり」だと認識している時期があった。しかし、蓋を開けてみればそれはある種のミスリード 。
ちりに似ているからこそ、彼女同様に「抑圧の反動」だと勝手に思い込んでいたミーチル。しかし、その正体は幼い頃に彼女が守った「憧れのアイドル」という夢そのもの だった。
この一連や、真相を知ると効いてくるミーチルの「みちるは強いぞよ」「そなたたちは、みちるの強さを知らぬだけじゃ」という台詞で自分は盛大に食らってしまったのだけれど、本話におけるもう一つの重要トピックが、ライブ前の「あろまとの契約を破棄する」みちるの姿。
VIDEO
第28話『いっちばーんがやってきた!』では、自分を負かすのが夢だと語るにのに対し、シオンが「そんな小さな夢でいいのか?」と問いかける場面があった。この言葉を受け止め、その上で自分の「ヒーローアイドル」という夢を取り戻したにのは、シオンを変わらず尊敬しつつも、彼女を越えることをあくまで「目標」だと位置付けるようになっており――と、これらはまるで『アイドルタイムプリパラ 』が独自の物語を積み上げていくにつれ、彼女たちもらぁら世代の元を離れ、己の夢へと羽ばたいていく=卒業していくかのよう。
それを裏づけるかのように、第43話『燃えよにの』では、予測を極めたシオンをにのの「無我」 が越える様が描かれ、第44話『みちるさまとお呼びなさい』では、みちるがあろまたちへの愛情から「小悪魔」を脱する姿が描かれていく。これら2つは大きく毛色が異なるエピソードだが、どちらも「誰かへの想いをきっかけに、先輩と対等なステージへ辿り着く」 という点では共通している。
この「誰かへの想いをきっかけにアイドルとして進化する」という筋書きは、これまでもらぁらたちが築いてきた『プリパラ』の王道。にのもみちるも、ここでようやく各々の師から真に巣立つことができたのかもしれない。
VIDEO
一方、肝心の主人公=ゆいについては、第36話『ユメ目合宿大ピンチ!』でチーム結成のためにユメ目を封印したり、第45話『決戦!ゆいVSしゅうか』で「みんなが幸せになれるプリパラ」という自分自身の明確な夢を見つけたり……と目覚ましい成長を遂げつつも、にのやみちるのように「らぁらからの卒業」が描かれることはなかった。その理由は、第47話『パックでパニック!大暴れ!』から始まるアイドルタイムプリパラ ……もとい「プリパラサーガの最終章」にあった。
〈真中らぁらからの卒業 - さよならだけど、さよならじゃない〉
マイドリームが朝・昼・夜のコーデを手に入れたことで、ファララとガァララを縛っていたシステムは消滅。2人はお互いが共存できる世界を手に入れた。
しかし、ガァララとの「2人ぼっち」を望むパックは、その悲しみから時計塔を取り込んで巨大化、パパラ宿のプリパラを破壊し始めてしまう。パックに取り込まれたらぁらは歌の力でその心を取り戻そうとするが、ガァララを求めて泣き叫ぶパックはそれを拒絶。自らの時間を止め凍りつかせると、らぁらもまたその中で深い眠りについてしまい――。
筆者記
激闘の末、パックの中で深い眠りについてしまうらぁら。続く第48話『らぁらに届け、カムバックライブ!』では、そんならぁらを目覚めさせるべく歴代キャラク ターが奮戦することになるが、このシチュエーションはファルル編のセルフオマージュ――という以外にも、もう一つ大きな意味があるように思う。
というのも「らぁらからたくさんのものを貰ったアイドルたちが、らぁらなしでプリパラを救い出す」という構図は、プリパラから夢と希望を貰った子どもたちが「もう私は一人で進んでいける」と別れを告げる構図にも似ている。つまり、この最終決戦は謂わば「プリパラからの卒業式」 と言えるものであり、その旗頭を担ったのが『アイドルタイムプリパラ 』主人公・夢川ゆいだった。
らぁらを救い出すために駆けつけるたくさんのアイドルたち。彼女たち一人一人がらぁらへの想いを届け、ジュリィやジャニスまで駆けつけ、殿をあのドレッシングパフェが――それも、ゴッドアイドルというもう一つの頂点を命懸けで襲名して――担うという展開は、まさに「キャラク ターを大切にする作品」プリパラの集大成。
そして、そんな涙なしには見られないバトンリレーのアンカーを務めたのは、みれぃでもそふぃでもファルルでもなくマイドリーム。それもそのはず、ここでらぁらを救うのは彼女たち……とりわけ、ゆいでなければならなかったからだ。
らぁらとゆいはどちらも「特別な力を普通の女の子」であり、らぁらのプリズムボイスがそうであったように、ゆめの「夢見るチカラ」も (規模こそ異常だが) それ自体は決して特別でなく、誰もが持ち得る力だった。
特別な力を持たず、らぁらに導かれて世界を広げた女の子。そんな彼女は、まさに「プリパラと共に歩んできた子どもたち」の写し身であり、彼女がらぁらとプリパラを救ってみせた=『プリパラ』からの自立を果たしたことで、らぁらはゆいの元から去っていく。この一連は、いつか必ずプリパラから巣立つことになる子どもたちに対する「プリパラの中でなくとも、誰もが夢を叶えることができる」 というメッセージなのかもしれない。
しかし、最終回でマイドリームをエス コートしたらぁら、シオン、あろまが「さよならだけど、さよならではない」 と口にしていたように、それは「想い出との決別」を意味する訳ではない。そのことは、本作最後のOP主題歌であり、作中でもマイドリームやソラミドレッシング、そしてしゅうかによるリレー形式で歌われた『Memorial』にも明らかだ。
これからも どんな未来が来ても 想い出は 胸の中 キラキラきらめいているよ
(中略)
誰もまだ 見たことない未来へ 走り出す君のこと 応援しているよ
-『Memorial』より
時間は前に進むもの。目覚まし時計の音で夢から覚めるように、いつまでも「2人ぼっち」ではいられないように、人は必ず未来へ進まなければならない。その中で変わるものもあれば、取り溢すものもあるかもしれない。
けれど、今のあなたが過去の積み重ねである以上、そこには必ず「想い出」が宿っている。プリパラがなくなったとしても、遊んだ日々を忘れたとしても、想い出は胸の中でずっとあなたを見守ってくれている。
だから、もしあなたがまた挫けそうになってしまったら、夢を失ってしまったら、想い出は必ずあなたの力になってくれる。その証明は、『アイドルタイム』完結から3年後の2021年に意外な形で実現することになる。
感想『アイドルランドプリパラ』
〈怒涛の『アイドルタイム』補完祭りと「ダンプリ」大フィーチャー〉
スマートフォン 向けゲームアプリと連動する形で展開したWebアニメ『アイドルランドプリパラ』。ポジションは『アイドルタイム』直系の続編でありながら、本作は同作以上に特殊かつ、僅か13話とは思えない満足度の作品に仕上がっていた。
『アイドルランド』の主人公・香田澄あまりは、プリパラに憧れアイドルを志したものの、その夢を笑われたことで内向的な性格になってしまった高校1年生。本作は、そんなあまりが時空の歪みによって『アイドルタイム』直後のらぁらたちと出会い、自分自身に向き合っていく物語であり、そのターゲットはあまりと同じ「プリパラと共に育ったティー ン層」となっている。
この前提の時点で十分に異色作と言える『アイドルランド』だけれど、本作最大の特異性とは、現実を知り、夢を失ってしまったかつての子どもたちにもう一度「み~んなトモダチ!み~んなアイドル!」という言葉を届けるストーリーと「アイドルタイムプリパラ の補完」を両立させたその手腕の見事さにあるのかもしれない。
VIDEO
プリパラサーガの完結編としてこれ以上ない物語を見せてくれたものの、不満点も少なくなかったアイドルタイムプリパラ 。前述の通り、本作はそんな『アイドルタイム』を補完する作品にもなっており、先輩として活躍するノンシュガー、遂に実現したガァルマゲドン・ミのステージ、ミミ子の新規CG&エバ ーゴールドの初お披露目など、まさに最初から最後まで「これが観たかった」のオンパレードで、中でも個人的に嬉しかったのは「ダンプリ」が大幅に補完された こと。
VIDEO
鳴り物入り でデビューしたものの、『アイドルタイム』ではそこまでフィーチャーされなかった男子プリパラことダンプリ。本作では、ゆいが眠りにつく (『アイドルタイム』クライマックスの展開を踏まえると、今度はゆいが「そのポジション」になったのだと感慨深くなる) 展開上ショウゴにスポットが当たったり、謎めいていたコヨイのキャラク ター性がしっかりと描写されたり、「彼の悩みを一緒に背負う」という台詞などからアサヒの器の大きさが明らかになったりと、WITHというチームを好きにさせてくれる作劇が目白押しだった。
また、WITHのみならず「ダンプリ」そのものが大きく掘り下げられていたのも嬉しいポイントで、例えば第5話『ひびきVSマリオ!男プリ美化計画!』では「レオナ・ひびきがダンプリに潜入する」 という待望 (?) の展開が描かれ、その過程でようやく「ステージ外のダンプリ」がどのような場所なのかが明かされていく。
また、本作のダンプリといえば欠かせないのが、舞台から逆輸入された地下パラアイドルで、コヨイの元チームメイトでもあるダークナイト メアの存在。ようやくWITH以外の男子アイドルが描かれたことが世界観を広げていたのはもちろん、シンヤとウシミツの関係があまりにもキュート。ウシミツくん、レオナとチームを組んでダンプリの秩序をおしまいにしてくれ……(邪悪)
VIDEO
〈「自分自身」という『プリパラ』最後のピース〉
こうして、ダンプリ周りをはじめ『アイドルタイム』の積み残しを徹底的に回収してくれた『アイドルランド』。しかし特筆すべきは、それら豪華な過去作要素の数々に本作のメインストーリー=香田澄あまりの物語が全く押し負けていないことだろう。
VIDEO
プリパラに憧れアイドルを志したものの、その夢を笑われたことで内向的な性格になってしまったあまり。そんなあまりが自らを「あまりもの」と嘲うシーンから始まるように、彼女周りの問題はこれまでの『プリパラ』よりも痛々しく描かれている、それは、本作のメインターゲットが児童層ではなく「かつての子どもたち」だからなのだろうし、その分「み~んなトモダチ!み~んなアイドル!」というテーマの描き方も難しくなっていく。
前提として、プリパラを思い出したことであまりは「トモダチ」を手に入れ、「アイドル」という夢も早々に掴み取っている。ところが、ことプリパラ外――らぁらたちから離れた場所においてはその限りではない。それは「フィクションと現実は違う」という当然の/残酷な事実であり、あまりだけでなく、たくさんの子どもたちが成長する中で味わってきた絶望なのだろう。その絶望を背負うのが本作の主人公・香田澄 あまりであり、その絶望にNOを突きつけるのが『アイドルランドプリパラ』という作品なのだ。
作中の活躍にも表れていたように、あまりは様々な魅力や経験を持ち、中でも「一晩で+譜面なしで『Miss.プリオネア』を弾けるようになった」ことからし て、ギターはお飾りでなく紛れもない「特技」と言えるだろう。
人は、成長すればするほど様々な悪意に曝されてしまうもの。それに負けないためには、堂々と胸を張って自分らしく生きる力=自信が不可欠だ。
本来なら、前述の魅力や経験、特技――そして、それを培ってきた数々の「想い出」こそがあまりに自信を与えるはずだった。あまりが誰ともトモダチになれずにいたのは、それらの想い出を「嫌いだ」と封じ込めることが、結果的に彼女から自信を奪い去ってしまったからなのだろう。
本作では、そんな彼女の前に2つの「想い出」が現れる。一つは、あまりがかつて夢想したダークアイドル・マリオ。
VIDEO
プリパラ内に具現化した彼はあまりにとって呪わしい過去の具現化であり、彼女はマリオを、それを生み出した「失敗した過去の自分自身」を激しく拒絶する。しかし、もう一つの想い出 =『プリパラ』のアイドルたちと交流していく中で、あまりは自分にも「自分を好きになっていい理由」があるのだと気づいていく。想い出との再会が、彼女に然るべき自信を取り戻させていったのだ。
しかし、それは何も綺麗な想い出だけに宿っているとは限らない。第8話『しゅうかを収穫するがいや!』において、あまりはかつてマリオを作り出していた時に孤独を忘れられていた=自分が、マリオという創作に救われていたことを思い出す。マリオという存在が、それを生み出したあまり自身が、孤独なあまりを最後まで「あまらせなかった」のだ。
キライの中にはスキがある。それは、人が誰かとトモダチになる過程にも似ている。
相手のスキな面だけ見ていたら、仲良くはなれても「トモダチ」にはなれない。キライな面にも目を向けることで相手の存在に向き合い、隠された新たな魅力を知ることが真の「尊重」に繋がっていく。
あまりがマリオと向き合うまでの道のりは、まさに彼女が「キライだった自分自身とトモダチになる」過程そのもの。一見異色なあまりの物語は、その実「トモダチ」と「なりたい自分」を描き続けており、だからこそ、本作は異色作ながら確固たる『プリパラ』の系譜――それも、これまでのプリパラでは描かれなかった部分を描く「最後のピース」足り得ているのだろうと思う。
(あまりの物語においては、ポォロロとの関係性も「もう一人の自分自身に手を差し伸べる」という点で非常に重要なファクターとなっており、らぁら&ファルルの翻案としても非常に秀逸なエピソードだ)
VIDEO
自分がマリオを「あまらせている」ことに気づいたあまりは、マリオの存在を受け入れ彼と融合、アマリオンとなってゆいを救うことに成功する。しかし、その代償としてマリオは消滅してしまう――。
マリオは消滅してしまったのか、復活したのか、仮に復活していたとして、その記憶はどうなっているのか……。それらは最終回でも明言されることがなく、現状彼は「消息不明」となってしまっている。
けれど、彼は少なくとも「あまりの中で」生きている。それを語るのが、エンディングの「マリオに背中を押され、壁を超える」 あまりの姿だろう。
『アイドルタイム』でも描かれていたように、想い出はあくまで過去であり、すべてをそのまま連れていけるとは限らない。別れを告げることだってあるはずだ。
けれど、それはさよならであってさよならではない。 今 (自分) は過去 (想い出) の積み重ね。離れてしまっても、それはずっと胸の中で見守ってくれている。そのことに――自分が一人でないことに気づけたのなら、きっと想い出があなたの背中を押してくれる。「なりたい自分」への一歩を踏み出せる。
それが『アイドルランドプリパラ』そしてあまりが描いてきた物語であり、それはプリパラを愛してくれた子どもたちに対する、時を超えた「恩返し」 でもあるのかもしれない。
シリーズ完走 - まだ見ぬ『プリパラ』の世界へ
して、5月の視聴開始から5ヶ月弱をかけて『プリパラ』『アイドルタイムプリパラ 』『アイドルランドプリパラ』を完走。これに公開したばかりの『アイカツ! ×プリパラ THE MOVIE -出会いのキセキ!- 』を加えて遂にシリーズ制覇です、お疲れ様でした――! と言いたいのだけれど、実際のところ「制覇」と言うにはまだまだ気が早いようだ。
VIDEO
ダークナイト メアの初登場作品である「WITHステ」こと『舞台 WITH by Idol Time Pripara』をはじめ、自分が触れられていない『プリパラ』作品はまだまだ数多くあるのだという。最初はそこまで追うつもりはなかったのだけれど、今は「それらを観てみたい」と心から思えているし、それは自分がこのシリーズの力強い前向きさ、底抜けの明るさ、そして何より「トモダチ」と「想い出」に対する一貫した誠実さにどうしようもなく胸を打たれてしまったから。
こうして自分がプリティー シリーズに打ちのめされたのは『プリティーリズム・レインボーライブ 』『KING OF PRISM』に続いて3回目。もしかすると、自分は思った以上にプリティー シリーズ適性が高いのかもしれないし、であれば自分には他にも観るべき作品が残っている。それらの作品に向き合う日まで、この全200話の軌跡を噛み締めつつ、自分自身の「なりたい姿」について改めて考えてみたい。
改めて、素敵な旅路をありがとうございました。いつかまた会う日まで……!!
……ところで、
らぁるるって誰!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?