感想『シン・ウルトラマン』 ヒットへの期待と “一般受け” への懸念が渦巻くシン・エンターテインメント 〈ネタバレあり〉


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※以下、映画『シン・ウルトラマン』のネタバレが含まれます。また、内容も本作への賛否が入り混じったものとなるため、ご注意ください ※

 

 



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「ねぇこれヒットする!?!?!?!? 大丈夫!?!?!?!?!?!?」

 

 

というのが、第一の感想だった。


自分で言うようなことではないけれど、筆者はそれなりの熱量を持ってウルトラシリーズに入れ込んでいる生粋のオタクだ。 

ウルトラマンダイナ』でシリーズに出会い、『ガイア』で育ち、『コスモス』に色濃く影響され、『ネクサス』の難しさに置いていかれ、『マックス』で戻り、『メビウス』に信じられないくらいハマり、『大決戦!超ウルトラ8兄弟』にトドメを刺されて今に至る、というのがこれまでの経緯。 

そんな自分にとって、ウルトラシリーズは誇張なく青春そのものであり、何度も救われたある種の恩人 (?) でもある。だからこそ、シリーズの新作に何より願うことは「自分の好きなものでなくてもいいから、ヒットしてほしい」の一点。 

勿論自分にとっても面白い作品であってほしいけど、それで一般層に届くことなくシリーズが途絶えることが何より恐ろしい。大好きでかけがえのない恩人だからこそ、自分から離れたとしても、子どもたちや世界中の最高のヒーローであってほしい。 

ウルトラショットに人が並んでいないウルトラマンフェスティバルも、劇場がスカスカの劇場版作品も、二度と見たくないしあってほしくないのだ。

 

 

だからこそ『シン・ウルトラマン』にかける期待は、自分で言うのも変な話だが凄まじかった。

一昨年、ネット流行語大賞6位という功績を掴み取った『ウルトラマンZ』でも突破できたかどうか怪しい「一般受け」という高すぎる壁を突破し、ウルトラマンという作品が、より広い意味で老若男女に愛される……要は『仮面ライダー』のような域に達してほしいというその願いを、筆者は身勝手ながら『シン・ウルトラマン』に託していた。


だからこそ、開幕およそ1分で発狂させられたのは最高の “予想外” だった。

 

「えっちょっ……ゴメッ! ゴメスゥ!?!?!?!?!?!?!? 嘘ゴメスだけじゃなっマンモスフラワー!?!?!?!?!? ペギラ!?!?!?!?!?!? ちょっ待っ早っ顔良く見せ……ラルゲユウス!?!?!?!?!?!?あっだからリトラ出さなかったのね (冷静) って誰やこの貝!?!?!?!?!?!?!? パゴs…………お前その顔やっぱそういうことかお前ェ!!!!!!!!!」

 

やられた!!!!! という気持ちと感謝とで発狂して、直後、ひどく安心した。 

ウルトラQ』を間に挟むことで『シン・ゴジラ』との橋渡しにする、という手腕の上手さもあるけれど、それ以上に宮内國郎氏のオリジナル劇伴を使うのはここなんだな」ということに安心感があった。

 

 

 

『シン・ウルトラマン』を語るにおいて欠かせない作品になるであろう『シン・ゴジラ』。もはや語るまでもなく大好きな作品だ。 

その好きなポイントは山ほどあるけれど、個人的に大きいのが「劇伴の使い方」。

 

前半の「無音→ゴジラ登場と共に不気味な劇伴」は、自分自身がゴジラシリーズに持っていた「先入観」を粉々に粉砕する最高の立役者になってくれた。 

一方で中盤においては、鷺巣詩郎氏の重厚で緊迫感を煽るBGMがゴジラの進化を「カタルシス」にせず「未知のものが始まってしまうことへの不安」として演出しつも、見所であるハイテンポな対策会議シーンでは『新世紀エヴァンゲリオン』の例の曲 (『DECISIVE BATTLE』) のアレンジが流れ、「あの曲だ!」と否応なしにこちらのテンションを引き上げ、同時に張りっぱなしの緊張の糸を和らげてもくれていた。要は「見ている側の気持ちの持ち方」を音楽で自然に誘導(コントロール)してくれていたのだ。

 

さながらスクリーンからレールが引かれているような鑑賞体験は実にストレスフリーで、みんな大好き「無人在来線爆弾のテーマ」と化した『宇宙大戦争』のマーチについてはその極致と言えるだろう。 

勇壮でノリが良く、けれど突如BGMの時代感が盛大に逆行したことに少し笑ってしまう……が、それで良かった。ゴジラとの最終決戦は沈痛な気持ちでなく、テンションを上げて「いけぇーーー!!」と叫ぶくらいのパッションで見て楽しめる「これまでとは違う」毛色のシーンであったし、結果的に、件のマーチは場の空気を盛り上げつつもほどよく緊張を緩和し、カタルシスを爆発させるための見事な起爆剤になっていた。

 


……と、だからこそ、筆者は『シン・ウルトラマン』で宮内国郎氏の楽曲がどうもそのまま使われるらしいということを (サウンドトラックの発売情報で) 知った時は、そのような使い方を期待していた。 

それがなんと『シン・ウルトラマン』では開幕から見れたのだ。

 

テーマ (M2) [『ウルトラQ』より]

テーマ (M2) [『ウルトラQ』より]

  • スタジオ・オーケストラ
  • サウンドトラック
  • ¥255

 

怒濤のサプライズと、バックに流れる『ウルトラQ』のメインテーマ。あの圧倒的な勢いはファンサービスであることを加味してもとかく異質だが、楽曲そのものも異質にすることで、シリーズに触れたことのない方でも「ここは何やら普通じゃないシーン」であり、これからスクリーンに広がるのは同様の「異質さ」を持った世界=アンバランスゾーンなのだという意図を直感的に伝えることができる。……と、ゴメスらの登場に発狂しつつも朧気に感じていた安心感を言語化すると、おそらくこういうことになると思う。 

しかしその直後、早くも雲行きが怪しくなり始める。

 

主にネロンガザラブ星人のパートまで、『シン・ウルトラマン』はかなり大胆に原作『ウルトラマン』のBGMをそのまま使用している。 

オタクの自分はそれはもう喜び勇んだ。過去作のBGMがそのまま使われる、そんなのオタクの大好物中の大好物だ。2020年放送の『ウルトラマンZ』にて、1972年に活躍したヒーローであるウルトラマンエースが原作の戦闘テーマをそのまま引っ提げてきたことに大興奮したオタクとしては、『シン・ウルトラマン』が何曲もオリジナルのBGMを使ってくれたのは非常に嬉しい。選曲を担当された庵野さんには拍手と感謝しかない。 

しかし、「『シン・ウルトラマン』の大ヒットを願う自分」はそこで猛烈に不安を感じた。

 

シン・ゴジラ』と『シン・ウルトラマン』において大きな差が出ていたと感じたのは「没入感」。   

2作品の主役である怪獣や外星人は、あくまで空想の産物。そして、ゴジラウルトラシリーズに限らず、これらを扱う作品が「子ども向け」として一般客層から敬遠されがちなのは、「空想の産物」というものに没頭することを「子どもっぽい」と認識する風潮があるからだろうと思う。 

だからこそ、その壁を突破できるかどうかが、一般層への訴求力に大きな差を付ける。

 

この点を見事にクリアしていたのが『シン・ゴジラ』だ。 

ゴジラ第2形態という隠し球と前述の音楽演出で「得体の知れない恐怖」を全力で創出し、「”空想の産物”がどうこう」という思考を押し流すほどの勢いで、あらゆる観客をスクリーンの中へと一気に引き込んでみせた。それが嫌悪感であれなんであれ、ゴジラという「空想の産物」そのものに強い興味を抱かせた時点で、『シン・ゴジラ』の強さは際立っていた。

 

 

では『シン・ウルトラマン』はどうだったかというと、これがどうして今もって非常に不安。  

まず最初の怪獣、もとい禍威獣として出現するのがネロンガ。動物然とした体躯と、透明化能力に雷撃光線といったイレギュラーな能力を併せ持つ点が魅力だが、ことこの映画においては、それは一方でマイナスポイントになりかねないのでは……という危惧があった。要は「最初に戦う禍威獣としては怪獣っぼすぎないか」という懸念だ。

 

シン・ゴジラ』のゴジラは「第2形態→第3形態」という、飛び道具を持たず、グロテスクで生物的な形態を経て初めて (我々のよく知るゴジラに近い姿の) ゴジラ第4形態という怪獣らしい怪獣形態に辿り着いていた。「我々の知っているゴジラ」が本来持っている恐怖や存在感をリアルに感じられるように、没入感の積み上げがかなり意識的に行われていると言える。 

一方、『シン・ウルトラマン』においては (ゴメスらダイジェスト組を考えないとすれば) 最初に現れる禍威獣こそが問題のネロンガゴジラ第2形態に比べると、かなり「怪獣らしい」禍威獣である。

 


シン・ゴジラ』が行った没入感の積み上げをすっ飛ばすのだから、その補填をどこかで行わなければいけないだろうな……と思いきや、早々に使われる原作のBGM。 

いかに時代を越える名曲とはいえ、最新の画に対し、そこにはどうしても音質的な「錯誤」がある。そういった曲を聞き慣れている筆者のようなオタクはともかく、そうでない層にとって、その劇伴は「違和感」になっていないだろうか。あくまで没入感という点に鑑みるなら、これは悪手ではないのか……とどうしても思ってしまう采配だった。

 

とはいえ、このBGM問題については、ある程度製作陣も意図的だったのかもしれない。というのも、溜めに溜めた中盤、ウルトラマンVSニセウルトラマンにおいて『空中戦』など、ウルトラマンのメイン戦闘テーマが原曲ではなく「新規アレンジ版で」用いられたからだ。

 

侵略者を撃て 空中戦 (A2) [『ウルトラマン』より]

侵略者を撃て 空中戦 (A2) [『ウルトラマン』より]

  • スタジオ・オーケストラ
  • サウンドトラック
  • ¥255

(鷺巣氏によるアレンジ、最ッッ高にカッコよかった……!)


ウルトラマンVSネロンガガボラ、ニセウルトラマン……と『シン・ウルトラマン』では折に触れて戦闘パートが挟まれるが、後半のメフィラス、ゼットン戦とそれらの印象を被らせないためか、前半のネロンガガボラは原作BGMを引用、中盤は (中だるみを防ぐためか)、盛り上がりと画との親和性とを兼ね備えた「原作BGMのアレンジ」を採用する……という采配だったのかもしれない。

 

しかし、「没入感」という点に関わる問題はその後、話の進展に伴って原作BGMの使用が減っていっても度々顔を出してきた。中でも目立って感じられたのはテンポの悪さだ。 

 


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本作は「対ネロンガ」「対ガボラ」「対ザラブ」「対メフィラス」「対ゼットン」が並行して進むのではなく、順番通りにバトンタッチしていく、さながらダイジェスト映像のような構成になっている。

 

メフィラスとゼットンの登場は事前からほぼ確定していたため、公開前はこれら大量のトピックをどうまとめていくのかという点が非常に気がかりだった。ネロンガはあくまで冒頭で禍特対に倒されるデモンストレーション的な怪獣なんじゃないか、ザラブはメフィラスの部下として同時に暗躍し、そのメフィラスがゼットンを操る黒幕なのでは……等々。しかし蓋を開ければそんなことはなく、2時間という尺にかなりギリギリ、アウト寄りのセーフで収まっているという印象に仕上がっていた。 

そのため、内容には些か駆け足感があるのだけれど、かといって「スピーディーな展開」と表現するにはどうにも話の密度が濃すぎる。ネロンガガボラも律儀に「怪獣の出現」からその特性の分析、専門的な対処、ウルトラマンによる撃破……までをきっちり描いているくらいで、そのため一本の映画ではなく1クールの特撮ドラマを見ているような気分になる。シンプルに言うなら「ぶつ切り感」が顕著なのだ。

 

起承転結が終わる度にふうっと息をつき、また盛り上がっていく。その繰り返しはシンプルに疲れてしまうし、話の着地点が中々見えてこない物語なこともあり、鑑賞中に「どこが一番の盛り上がりどころなのか」判断に困ってしまうことが多々あった。 

(おそらく、ここも『ウルトラマン』のオムニバス形式へのリスペクトによるものなのかもしれないが……)


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前述の構成上の問題以外にも、本作では所々の演出にもテンポの悪いものが散見されていた。 

その主な犠牲(?)になっているのが本作のヒロイン=浅見弘子(長澤まさみ)で、彼女周りのシーンには特に「力の入れ具合が奇妙」なものが多い。


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例えば、メフィラス編 (一本の映画でこういう表現をすること自体がかなり妙な感覚だ) の冒頭で出現した巨大弘子のシーンでは、禍特対が人々を掻き分けていくシーンが妙に長く撮られていたり、弘子がビルを破壊しようと足を上げたきり止まった状態をそのまま映すシーンがあったり……など、どこか妙なテンポ感が目立つだけでなく、その後、メフィラスの目論見を阻止するために神永新二 (斎藤工) が弘子の匂いを覚えるシーンに至っては、ただ長いだけでなく妙にフェティッシュなアングルが続き、どことなく『劇場版 ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY』クライマックスにおけるダイゴとレナのディープキスシーンを思い出す気まずさを感じてしまった。 

(「匂いを覚えなければならない」→弘子の「え?」でバッサリカットしても良かったのでは……?)

 

また、演出のテンポそのものに問題はなくても、全体の流れにそぐわない演出で全体の流れに水を差してしまうようなシーンもちらほら。 

特に気になったのは、ゼットン編における滝明久 (有岡大貴) のリモート会議シーン。 


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物語としては、外星人との技術・知識レベルの差から自暴自棄になりかけていた滝が、新二=ウルトラマンからのメッセージを受け、妥当ゼットンの策を「人間のしぶとさ」で見付けていこうという、原作の名エピソード『小さな英雄』と『さらばウルトラマン』を再構成したと思しき非常に盛り上がる場面……なのだが、ここでは特にアップテンポなBGMがかかることもなく、VRゴーグルを付けて会議に励む滝を、船縁由美 (早見あかり) と田村君男 (西島秀俊) が「周りから見るとシュールだな」とうそぶく、熱いどころかコメディシーンのように演出されていた。

 

このような「個々の演出におけるズレ」と「構成上のテンポの悪さ」が組み合わさった結果、筆者は鑑賞中度々没入感を削がれてしまっていた。 

もしこのような問題がなければ、最終盤において禍特対の面々への感情移入がより緻密に積み上がり、カタルシスの大爆発に繋がっただろう……と思うと残念でならない。 

(没入感というと、衝撃のAタイプ登場やゼットンを使役するゾーフィ、ネロンガらのスーツネタ、スペシウム133などの細かい『ウルトラマン』ネタの多さに「この映画オタクすぎやしないか!?」とオタクな自分が顔を出し、その度に没入感が削がれてしまったという個人的な問題もあった。こんなにも自分がオタクだったことを恨めしく思うウルトラ作品もない……)

 


と、これらの理由などから「果たしてこの映画は一般受けするんだろうか」と不安でいっぱいになってしまった『シン・ウルトラマン』。あまりにも気が気でなく、映画を違う意味でハラハラしながら見てしまったし、正直、そこまで「のめり込めて」いなかった感覚さえある。 

……のだけれど、最後の最後、エンドロールに入った辺りで驚くことに泣いている自分がいた。

 

号泣というより、ポロポロと涙が零れる感覚。感慨深さとかそういうものではなく、ただただ純粋に、地球人を愛したウルトラマン=リピアが新二にその命を捧げ、遥か彼方の世界へと旅立ってしまった(であろう)ことが悲しかった。

 

「そんなに地球人が好きになったのか、ウルトラマン

 

ウルトラマン』最終回におけるゾフィーのこの台詞は、『シン・ウルトラマン』のティザービジュアルで取り上げられるや否やファンの話題をさらったように、予てからシリーズファンの間では人気の高い台詞だった。 

ウルトラマンたちからすれば、力も寿命もちっぽけな地球人。そんな地球人の心と生き様に心を打たれ、そこに命を差し出すとまで言ってのけたウルトラマンに対してゾフィーが漏らしたこの呟きは、その後もシリーズの核として描かれ続ける「ウルトラマンと人間との絆」を象徴する言葉として語り継がれ、放送から40年が経った『ウルトラマンメビウス』では、ゾフィー自身がその絆を手にするという衝撃の展開が描かれてもいた。

 

 

しかし、原作『ウルトラマン』の展開において残念だったのが、ゾフィーが命を2つ持ってきたことでウルトラマンも、その憑依先であるハヤタも無事に生還したということ。 

勿論、エンターテインメント作品としてウルトラマンもハヤタも生還することは理想的だし、記憶が朧気なハヤタがウルトラマン=赤い球を「(ハヤタが1話で激突したのは)あれですよキャップ!」と指摘する味わい深いエンディングはそのゾフィーの手柄があればこそだ。

 

……とはいえ、それでも「もしゾフィーが命を持ってこなかったら」と考えてしまうのが悪いオタクの性。だからこそ『シン・ウルトラマン』において、ゾーフィがそのくだりを口にせずに新二を分離し、その上で新二に何も言わせることなくエンドロール……という「あくまでこの物語の主人公はリピア」であることを示す潔い〆を見せてくれたのは、文字通り「望んでいたものが見れた」という感覚があり、無性に嬉しかった。 

嬉しかったのだけれど、『さらばウルトラマン』のあの展開を見過ぎていたせいで、その「もしも」がどれほど残酷で悲しい結末をもたらすのかという肝心な部分を見落としていた。

 

要は、想像以上に深く刺さった。
「地球にやってきた異星人が、その星のちっぽけな生命体を愛し、その命を捧げる」という原点の物語があまりに美しかったのは勿論のこと、神永新二ことリピアのキャラクター像が非常に好みだった。


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神永新二自身を口数の少ないキャラとすることで、合体後の彼の所作のどこまでがウルトラマンなのか、その行動の意図は何なのか……といった点をぼかして彼をミステリアスに見せつつ、徐々に徐々に、その行動が本当に純粋な興味と愛によるものであると明かしていくというこの見せ方が何より上手く、あのどこか人間臭く、純粋で、強く優しい我らのヒーロー、栄光の初代ウルトラマンを現在に甦らせる上での最適解のように思えてならない。 

(リピアが新二と合体していることや、その意図をすぐに明かさないという改編が非常に良い効果を出していた)

 

2時間という尺はそんなリピアと地球人の絆を描くには些か窮屈ではあったが、それでも、物語上十分なものだったと思う。特に、新二(リピア)と弘子の関係性に予め「バディ」という文言を据え置くことで、安易に恋愛然な形にしなかった点が個人的な白眉。もし恋愛的な側面が強くなってしまえば、それは「男と女」=地球人というガワの主張が強くなってしまう。そこを「バディ」と「信頼」を軸に構築し、更にはザラブ、メフィラスといった「邪悪な外星人」たちを「詰め込み」風になったとしても積極的に描いていくことで、新二を「外星人と人間の狭間」として見事に描ききっていた。それらの描写が効を奏していたからこそ、あのラストシーンは『ウルトラマン』の正統進化として、深く胸に突き刺さる名シーンとして成立していたのだろう。

 

前述のように思うところも多かった本作だが、この点=『ウルトラマン』という作品のアイデンティティーとさえ言える「星を越えた絆」という空想の浪漫と、リピアの下した決断に込められた想いは、はっきりと、可能な限りの全力を持って描かれていたように思う。   

そして、そんな『シン・ウルトラマン』の放つメッセージは、「人間の可能性」という原点から引き継いだエッセンスと共に、ウルトラマンに触れたことのない人々にもきっと (こんな世の中だからこそ、殊更に) 響いてくれるのだと信じたい。

 

M八七

M八七

  • 米津玄師
  • J-Pop
  • ¥255

 

果たして『シン・ウルトラマン』はヒットしてくれるのだろうか。

 

公開初日である2022年5月13日時点、スクリーンの埋まり方はそれなりに良く、評価もどうやら上々らしい。 

内容についての私見は前述の通り、不安要素はあるが、響くものもある。正直、そのどちらに傾くかは個人によって異なると思うし、メッセージ性やサプライズの響き方がよりダイレクトだった『シン・ゴジラ』に比べると、どうしても不安は拭えない。  

思えば『シン・ゴジラ』との比較ばかりしている本記事だが、やはり “一般受け”した『シン・ゴジラ』と並んで……欲を言えば越えてほしいからこそ、同作との差が何より気にかかってしまうのだ。 

シン・ゴジラだって最初は一般受けするなんて誰も思ってなかった」というのはその通りだけど、だからといって『シン・ウルトラマン』が成功する保証なんてどこにもないのだから。

 

ただそれでも、どうか、と願わずにはいられない。『シン・ウルトラマン』のヒットがウルトラシリーズの未来を明るく照らしてくれますように、そして、リピアがその在り方をもって体現してくれた普遍の美が、一人でも多くの人々に届いてくれますようにと。

ご査収ください、この名言! 『ウルトラマンZ』の “隠れた名台詞” について語りたい

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突然ですが皆さん、ウルトラマンZの“名台詞” は?」と聞かれたら何を思い浮かべますか?


「ご唱和ください、我の名を! ウルトラマンゼェェェェット!!」「闇を飲み込め、黄金の嵐!」といった決め台詞。 

「参りましたなぁ、地球の言葉はウルトラ難しいぜ……」「え、ちょ、ちょっ……頭が……頭が低っ」などの迷言。 

「見えるものだけ信じるな」「ちゃんと背負いたいんだ。命を奪う責任を」 といった名言……など、『ウルトラマンZ』には印象的な台詞が非常に多い。 

そしてこれらの台詞は『Z』の作品人気もあって折に触れて話題に上がる……のだけれど、筆者の推し台詞が話題に上がる場面にはついぞ一度も出くわしたことがない。ウルトラ悲しい。

 

しかし、そこでただ凹んでいても意味がない。ここで立ち上がり、自分から盛大に話題に上げるのがオタクの心得というもの……! 

今回は、そんな「中々話題に上がらない『ウルトラマンZ』のとある推し台詞」について、その登場エピソードの振り返りも兼ねてプレゼンする記事になります。ウルトラ気合い入れていくぞォ!!



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「おかげさまで分かったよ、ハルキの悩み」
「……オッス」
「1つになってるのに、分からないこともあるもんです」
「ははっ……。うん」
「難しい問題です。だから――俺も考えるよ、一緒に。ウルトラマンにとっても、大事なことだと思うんです」

ウルトラマンZ』
第13話「メダルいただきます!」より
監督:内田直之
脚本:池田遼

 


ウルトラマンZ』第13話「メダルいただきます!」は、2016年放送の『ウルトラマンオーブ』以降恒例となっている「13話の総集編」であり、実際に「ハルキとカネゴンがこれまでのゼットの戦いを振り返る」ことがその主な内容となっている。   

その「総集編枠」という立ち位置に加え、第12話『叫ぶ命』と第14話『四次元狂騒曲』という重要回に挟まれてしまったためかあまり話題に挙がらない本エピソード。しかし、この『メダルいただきます!』の真髄は、一件ただの総集編のようでいて、その実第11話「守るべきもの」から続くハルキの葛藤に一つの回答を示すという重要な役割を担っていること。そして、その鍵となるのが前述したゼットの台詞なのである。 

そんな本作のあらすじは以下の通り。

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卵を守るレッドキングとの戦いがきっかけとなり、ウルトラマンゼットとして戦うナツカワ ハルキ (平野宏周) は、「人々の命を守るために、怪獣の命を奪う」ことの是非に悩み、怪獣と戦うことができなくなってしまっていた。 

同時に、彼と一体化するウルトラマンゼット (CV.畠中祐) もまた、ハルキの異変に「ウルトラもやもやする」と頭を悩ませていた。

 

そんな中、ハルキはストレイジ基地内に迷い込んでいた怪獣、コイン怪獣カネゴン (CV.福圓美里) と遭遇。お腹が空いていたカネゴンは、なんとハルキの持つウルトラメダルをコインと間違えて飲み込んでしまう。 

ウルトラメダルを取り出そうと試行錯誤しながら、図らずもカネゴンと共にゼットの戦いを振り返っていき、彼と打ち解けていく。ハルキだったが、彼はその中で、自分の抱えている悩みと改めてぶつかり、遂にその心情を吐露する。 

自分はヨウコのように戦う覚悟ができていない。自分のすべきことは分かっていても、その為に怪獣という命を犠牲にすることを割り切れない――。 

ゼットがその言葉に黙り込んでしまう中、カネゴンが悩むハルキに優しく語りかける。

 

「メダルは、優しいハルキのことを信じているよ」

 

その言葉に背中を押されたハルキは、無事に最後のメダルの回収に成功。カネゴンと感謝の言葉を伝え合うと、その背中を優しく見送るのだった。


第11話『守るべきもの』において、町に現れたレッドキングを倒したウルトラマンゼット=ハルキ。しかし、そのレッドキングには雌のつがい、そして子ども=未だ孵らぬ卵があり、ハルキは自らが倒したレッドキングに、かつて人々を――家族を守るために命を落とした父親の面影を見てしまう。

守るべきもの

 

そして、続く第12話『叫ぶ命』において、グルジオライデンに挑むハルキとゼット。しかし、追い詰めたグルジオライデンが涙す涙を見てしまったことでハルキは戦意喪失、ウルトラフュージョンが解除されてしまう。 

グルジオライデンをヨウコ (松田リマ) の駆るキングジョー ストレイジカスタムが仕留めた一方で、何もできなかったハルキ。彼にできるのは、世界の残酷さに、運命の重さに、己自身の無力に向けて慟哭することだけだった――。

叫ぶ命

叫ぶ命

  • 平野宏周
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……そんな、作中でも重要かつ非常にシビアな2編を受けて迎えたエピソードが第13話『メダルいただきます!』。その主役は、前述の通りなんとコイン怪獣カネゴン。更にその声を担当するのが人気声優の福圓美里氏というからまた驚きだ。   

 

スマイルプリキュア!』の主人公、星空みゆき=キュアハッピー役などで知られる福圓氏は、同役以外にも『ガールズ&パンツァー』の大物生徒会長=角谷杏、『DARKER THAN BLACK』シリーズの無口なヒロイン=銀などを演じて人気を獲得、幅広い役柄を難なく演じることに定評のある実力派声優だ。 

しかし、今回のカネゴンはなんと「やんちゃでおバカなダミ声の少年」というまさかまさかの役どころ。普段の美声をかなぐり捨てた福圓氏の演技は、汚い福圓美里(?)として一部界隈で大きな話題を集めていた。 

(でもこの方向性の福圓氏、他局で直近一年くらい聞き続けていた気がするッチュン!!!!!)


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本エピソードは、ストレイジ基地で一人当直にあたっていたハルキが物音を聞きつけ、倉庫内で件のカネゴンと出くわす場面から幕を開ける。 

温厚で平和的なカネゴンだが、餓死寸前のところまで追い込まれていたからか、ハルキのウルトラメダルを自分の主食=硬貨と勘違いし、ケースを無理やり奪うとそのまま中身を飲み込んでしまう。そのウルトラメダルをどうにかこうにか奪還するぞ! というのが本エピソードの内容だ。前回とのギャップさん!?!?  

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ストレイジが誇る肉体派であるハルキだが、怪獣に飲み込まれたメダルを取り出すとあっては難しく、次々と作戦を実行するも華麗に撃沈。しかし、カネゴンからの質問に答える形でハルキがゼットとの出会い、そしてアルファエッジについて語って聞かせると――カネゴンのくしゃみと同時に、ゼロ、セブン、レオのウルトラメダルが射出! 

どうやらウルトラメダルがハルキの話に反応しているようで、ハルキはメダル奪還のために各形態のゼットについて語って聞かせることになる。……っていや待てこれ本当に前2話と話繋がってる!?!?!?!?!?

 

 

そんなカネゴンとハルキのやり取りはそれだけで1話持たせられるくらいには面白く、一見すると『メダルいただきます!』は2人を軸にした「ほのぼの日常+総集編」枠のような雰囲気を醸し出している。しかし、その平穏はストレイジの面々が登場することで一気に崩壊する。 

まず登場したのはヘビクラ隊長 (青柳尊哉) 、だったのだが……。


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(カネゴンのくしゃみを聞いて) なんか凄いデかいくしゃみ聞こえたけど、アレお前か?」
「ックション!ハァックショォォン!! ……なんだろ、まだ花粉飛んでるのかな」
「そうか、お大事にな」
「ッス」
「あとくしゃみする時は手で押さえろ」
「オッス…… (謝罪) 」
「あと」
「ッス?」
「なんだコイツ!!」
「……バレました?」
「気付くわ! ……何なのコイツ?」
「エッ…………寝袋っス!これがめ~っちゃ寝心地良いんスよぉ~!」
「そうか。当直が寝るなァ!!」
「オォォォーーッス!!メインルームで待機しまァァす!!」
\ズリ……ズリ……カネゴンが引き擦られていく音)
「……いいな、アレ」

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キレが良い……良すぎない?  

かねがね (ボケとツッコミとしての) 相性の良さを見せ付けていたハルキとヘビクラだが、本格的に漫才をやるとここまで面白くなるのか。なるんですね……(拍手)

 

かくして、ヘビクラから逃げ仰せたハルキとカネゴン。落ち着いたところでベータスマッシュについての話をしていると、次に現れたのは今回最も出会ってはいけない相手であろうユカ (黒木ひかり)

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(ユカのポニーテール姿が見れるのはこの回だけ!)   

カネゴンが見付かろうものなら間違いなく解剖される……! と、自ら囮 (=ユカの話し相手) を買って出るハルキだったが、その結果、「ヒトと同じXX染色体を持っているため、グルジオライデンは雌」という『ウルトラマンR/B』を視聴済みだと頭を抱えて吐きそうになる事実をユカがウキウキで語る傍らで、CV.福圓美里カネゴンが放屁しながらダンスするというインフルエンザの時に見る夢みたいなカオスが爆誕してしまった。あーもうめちゃくちゃだよ。  

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既にして「13話の総集編」枠に収まらないカオスっぷりを見せ付けている『メダルいただきます!』。ここで残る最後の一人=ヨウコが帰ってきて更なる混沌をぶち込んでくる……のかと思いきや、カネゴンのある言葉がその場の空気を大きく揺さぶる。


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ユカが立ち去ると、その場で「ウルトラマンごっこ」を始めるカネゴン。彼の「ボクもウルトラマンになって、怪獣をどんどんやっつけたい! 凄く面白そう~!」という言葉に、ハルキは思わず言葉を詰まらせる。

「そんな単純なことじゃないよ!」

ハルキは、カネゴンに言い聞かせる形で、胸の内に秘めていた悩みを口にする。 

自分たちストレイジが怪獣と戦うのは、怪獣の被害に遭って悲しむ人たちを守りたいから。しかし、怪獣にも “家族を守る” などの「暴れてしまう理由」があり、その命を無闇に奪いたくはない。ストレイジの隊員として、一人の人間として、人々を守って死んだ父の息子として、自分は一体どうするべきなのか。どんな思いで、何と戦うべきなのか――。 

ハルキという人間は勿論、『ウルトラマンZ』という作品、ひいてはウルトラシリーズを貫くこの問題。これまで散々カオスだ何だと言ってきた『メダルいただきます!』だが、本話はその実、この問題に一つの回答 (≠正解) を打ち出した非常に興味深いエピソードでもある。


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自らの悩みを吐き出すと、「先輩(ヨウコ)は覚悟決めて戦ってる。俺は情けないっス!」と、やり場のない感情をぶつけるかのように腕立て伏せを始めるハルキ。 

彼の悩みを知り、返す言葉を持たずに口ごもってしまうゼットだったが、その傍ら、ハルキに優しい声をかけたのはなんとカネゴンだった。

「あのね……。メダルは、ハルキのことを信頼してるみたいだよ?」
「……?」
「お腹の中から伝わってくるんだ。“メダルが戻りたがってる” って。こんなボクを心配してくれた、優しいハルキのところに」
「ウルトラメダルが、俺を……?」

第13話時点では「ウルトラマンの力を宿したアイテム」としか描写されていなかったが、ここで(僅かではあるだろうけれど)ウルトラマンの意思」を宿していることが明かされるウルトラメダル。 

後の第19話『最後の勇者』において、超獣の出現にウルトラマンエースメダルが反応しただけでなく、エース本人を呼ぶためのシグナルになったことや『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』において、ウルトラマンタロウが力の一端をギンガに届けた際に会話を交わしていたことなどから察するに、ウルトラマンがアイテムに込める「力」には、少なからず、彼らウルトラマンの生き写しのような側面があるのかもしれない。 

そして、そんなウルトラメダルがハルキのことを信頼し、その手に戻りたがっているのだと、カネゴンは語る。  

未だ迷いの中にあり、自分なりの答えを出せていないハルキ。そんな自分をハルキは「情けない」と評していたが、ウルトラメダルに宿るウルトラマンたちの思いは、そんな「答えを出せていない」ハルキを信用した。いや、そんなハルキだからこそ、彼らはその力を預けてくれているのかもしれない。 

ハルキが向き合っている「命を守るために命を奪う」ことへの葛藤は、ハルキ以前にも数多くのウルトラマンたちが直面してきた問題であり、それぞれの時代において、ウルトラマンや共に戦う人間たちはそれぞれの答えを胸に戦ってきた。出した答えはバラバラでも、彼らが同じ問題に悩み、苦しんできたことは同じ。ウルトラマンたちにとっては、ハルキが出す答えも当然大切だろうけれども、それ以前に、この問題に悩み、苦しみ、それでも目を背けまいとする、その強く優しい心こそが何より信じられるものなのだろう。 

 

たとえ「答え」を出せていなくても、覚悟に至れていなくても、大切なことから目を背けずに向き合おうとすること。その思いそのものが、時に「答え」と同じかそれ以上に大切な意味を持つ――。 

このことは、悩んでいる当事者=ハルキにとっての「答え」とはならないだろう。事実、彼が自分自身の答えに辿り着くのは次回の第14話『四次元狂騒曲』。 

だからこそ、これは「ナツカワ ハルキ」の答えではなくウルトラマンZ』という作品が示す一つの回答。「答え」を出せない困難というものは世の中に数多くあるけれど、それでも、大切なのは目を背けずに考えること。逃げることなく向き合うことなのだと。

それは『Z』という作品から我々視聴者へのメッセージであり、同時に「ハルキが抱えた困難に、視聴者は (当事者ではないが故に) 答えを出すことができないかもしれないが、だとしても/だからこそ、この難しい問題を一緒に考えてほしい」というメッセージでもあるのだろうと、そう思えてならない。


ウルトラメダルたちが、これまで力を貸してくれた仲間たちが自分を信じてくれている。そのことに背中を押され、ハルキはメダル回収を再開。カネゴンにガンマフューチャーのエピソードを語って聞かせることで、最後のメダル=ティガ、ダイナ、ガイアメダルを無事に回収する。 

かくしてメダルは揃い、カネゴンもハルキの貯金という尊い犠牲を経て復活。カネゴンはハルキへの感謝と共にストレイジ基地を去っていき、彼が巻き起こした珍騒動は無事に終わりを告げた――。 

 

そんな折、沈黙していたゼットがようやくその口を開く。  

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「おかげさまで分かったよ、ハルキの悩み」
「……オッス」
「一つになってるのに、分からないこともあるもんです」
「ははっ……。うん」
「難しい問題です。だから――俺も考えるよ、一緒に。ウルトラマンにとっても、大事なことだと思うんです」

ウルトラ戦士としてまだ若く、ハルキを教え、導くようなことができないゼット。彼が選んだのは、ハルキと同じ目線で同じ問題に向き合うこと。 

3分の1人前同士であるだけでなく、共に宇宙警備隊とストレイジ=平和を守るために戦う組織の一員であったりと、種族は違えど似た立場で同じ想いを抱える2人。 

一連のやり取りは、これまで馬が合ってこそいたが「心の交流」と呼べるシーンが少なく、あくまで「戦う時だけ合身する」=一つになっても、それぞれが抱えた思いまでは分からなかった2人が、その心の内を通わせ「相棒」として真の一歩を踏み出す、『Z』のターニングポイントと呼ぶに相応しいシーンとなっている。

 

短い掛け合いでありながら、暖かく胸に染み入るこのシーン。その魅力は、矮小な存在である地球人=ハルキに対し、ウルトラマンであるゼットがごく自然に「友人」として同じ場所・目線に立つその真摯な姿にあるだろう。 

命を巡る問題に答えなどなく、その前ではウルトラマンも地球人と変わらない。だからこそ、今すぐにハルキを救うことができなくても、せめて同じ問題に向き合いたい。戦士として向き合うべき問題も、その悩みや苦しみも、友として、相棒として分かち合いたい――。 

そんな想いでクロスタッチを申し出るゼット、そして彼に応じるハルキの姿には、これまでウルトラシリーズが長年描き続けてきた大切なエッセンス=「種や立場を越えた絆」が満ちており、ゼット&ハルキというバディや「辛いこと、苦しいことに立ち向かう勇気」を描いた『ウルトラマンZ』という作品において、それは殊更に眩しく輝いて見える。そのことが、このゼットの台詞を『Z』のターニングポイントに相応しい一言たらしめているのではないだろうか。 

(そんな感動のクロスタッチは、ハルキの腹が鳴ったことで中断してしまうが、既に思いが通じ合った2人に取って、タッチの是非は問題ではない。着実に一歩を踏み出しつつ、和やかに笑い合う姿こそ彼ららしい姿と言えるだろう)

 

 

一方、このゼットの台詞が胸に響くのは、何も『Z』やシリーズの文脈だけに由来する訳ではない。この台詞が象徴する「大切なことから目を背けず、向き合おうとする勇気」は、私たちが生きる現実においても大きな意味を持っている。

 

社会問題やパーソナリティにまつわるナイーブな問題、あるいはもっと身近な問題に至るまで、世の中には「何が正しいのか/どうすればいいのか」分からない問題が山ほどある。そして、そのような問題は頭が良ければ、知識や力があれば解決できるとは限らない。「答え」の存在が保証されていないものさえ、世の中には星の数ほど存在している。 

であれば「考えるだけ無意味」なのだろうか。「向き合う価値のない、自分には関係のないこと」として、そのような問題は頭の中から追い出すべきなのだろうか。 

それは確かに賢い選択かもしれない。しかし、たとえ答えが出る問題でなかったとしても、そもそも「答え」が存在していなかったとしても、きっと大切なのは目を背けないこと、考えること、真剣に向き合うこと。 

世の中には、私たちが知らず知らずのうちに目を背けている問題が山ほどある。たとえそこに明確な回答を持っている訳でも、自分にとって近しい問題でなかったとしても、それでも、そこから目を背けることだけはしてはいけないのだと思う。立場や種さえ違っていても、自分の問題でもあると真剣に受け止めることでハルキと心を通じ合わせたゼットのように、その姿勢がなければ、何一つ始まりはしないのだから。

 

Connect the Truth

Connect the Truth


前述したように、ハルキが自分自身の答えに辿り着くのは次回の第14話『四次元狂騒曲』であり、そこにゼットが関与することはなかった。 

しかし、続く第15話『戦士の使命』においては

「ハルキ!力を合わせて闇を飲み込むぞ!」
「押忍! 一気にいきますよォ!!」
「「チェストォォーーーッ!!」」

と、ハルキの手を取って共にベリアルメダルの制御に成功したり、第24話『滅亡への遊戯』においては、身体へのダメージを一手に引き受けることでハルキを守るなど、この第13話を境に、ゼットはこれまでよりもハルキと近しい距離で共に戦うようになっていった。

戦士の使命

戦士の使命

  • 平野宏周
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ゼットが件の問題に対する答えを見付けられたのどうか、それが劇中で描写されることはなく、真実の程は彼本人とハルキにしか分からない。ハッキリしているのは、一連の出来事を経たことでゼットが「ハルキの相棒」として大きく成長し、彼を支え、共に歩んでいく決意を固めたということ。 

ゼットは、未だ自分なりの答えを見付けられていないのかもしれない。だとしても、いや、自分には見付けられていないからこそ、答えを見付けたハルキを自分の持てる力で精一杯支えようと誓ったのかもしれない。それが今のゼットにできる全力なのだとすれば、それはなんて不完全で、純粋で、美しい在り方だろうか。

 

3分の1人前だからこそ、無限の可能性を秘めた戦士=ウルトラマンゼット。今はハルキ、そしてベリアロクと互いに補い合うことで初めて1人前足り得る彼が「自分自身の、戦士としての答え」を見付けた時、3人の力はどれほどの輝きを見せてくれるのだろう。 

先月末から配信が始まった最新作『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』などでも活躍を見せてくれるゼット。彼らのこの先の成長と更なる勇姿を、これからも見守っていきたい。

 

 

「難しい問題です。だから――俺も考えるよ、一緒に。ウルトラマンにとっても、大事なことだと思うんです」

『Z』におけるターニングポイントとして、様々な問題が世界を覆っている令和の世に送り出された言葉として、たくさんの想いが込められているであろうこの台詞。 

これまで述べてきたもののうち、どこまでが「製作陣が意図していたもの」かは分からない。しかしそれでも、件の台詞から感じ取れた確かな想いを、そして本作のラストカットを飾ったヨウコのメッセージを、それらの全てを教訓として、忘れることのないように胸に刻んでいきたい。

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『ウルトラマンデッカー』に壊してほしい “3つの壁” 

時に2022年3月31日。多くの人が布団の中か電車の中にいるであろうド平日の早朝から「それ」はやってきた。

 

 

2022年に到来する新たなる光、その名はウルトラマンデッカー! 

賛否両論だった前作『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』の流れを汲む続編とあってタイムラインは正直微妙なムードだったのだけれど、今回解禁された一連の情報は期待値を大いに高めてくれるものばかり。

 

ウルトラマンダイナ』が初めてのウルトラマンで、前作『トリガー』に (清濁併せて) 並々ならぬ思いを持ったファンとして『デッカー』には是非とも大ヒットしてほしい……のは勿論として、その上で、ある「3つの壁」を壊してほしいと願うところ。 

その3つの壁とは何なのか。『デッカー』初報に対する自分自身の感想を含めて、以下に記していきたい。

 


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デッカーに壊してほしい3つの壁。その一つ目は「続編ものは不遇」というジンクスだ。

 

これはアニメなどではあまり聞かない話だが、こと特撮となると途端に「よくある話」になり、他ならぬ『ウルトラマンダイナ』がその不遇な作品の一つだったりする。

 

 

『ダイナ』はティガの7年後を描いた直系の続編であり、ウルトラマンダイナのデザインや世界観など、多くの面で『ティガ』を継いだ作品。その作風の変化などから賛否両論あったものの、総じて高いクオリティや熱いドラマもあって人気を博していた。 

しかし、放送当時の好評に反して、その後ダイナは一転して「不遇のウルトラマン」となっていく。

 

『ティガ』『ダイナ』『ガイア』の3部作、通称「平成3部作/TDG」は非常に高い人気を獲得し、平成ウルトラシリーズの幕開けとなった記念碑的作品群。 

彼らは何かとセットで活躍することが多かったが、『ティガ・ダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』でも『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』でもダイナが3人の中心に立つことはなかった。 (前者はガイア、後者はティガが主役なので仕方のないことなのだけれど) 

更に、2005年にPlaystation2専用ソフトとして発売された対戦格闘ゲームウルトラマン Fighting Evolution Rebirth』ではティガ、ガイアはいるのにダイナはおらず、近年人気のプライズフィギュアシリーズ『英雄勇像』でも、ティガ・ガイアに比べダイナのリリースのみ大幅に遅れたり……など、ダイナは今も昔もティガ・ガイアに比べると冷遇されることが多く、様々な形で「ダイナはTDGの不遇枠」という事実がファン界隈に浸透していってしまった。

 

 

とはいえ、それも(悔しいけれども)仕方のないことではある。というのも、大きい理由として「ダイナはティガを汲んだ作品」という前提がある。要は色々と被っているのだ。 

『ダイナ』は作風も物語も、ウルトラヒーローとしても特有の魅力を持っているし、自分のようなシリーズファンからすれば、ダイナは何から何までティガとは別物だ。しかし、そのデザインや「赤と青へのタイプチェンジ」という基本骨子はどうしても「ティガ」に準じており、見る人によっては「どちらがどちらか分からない」もの。結果的に、ダイナのアイデンティティー強度は「新時代の初代ウルトラマン」であるティガにも、「平成3部作のトリを飾る+画期的なウルトラマン」のガイアにも一歩及ばず、結果、「ダイナを差し置いてティガ・ガイアを採用する理由ならあるが、その逆はない」という悲しい現実が確立され、ダイナは彼ら2人に比べて活躍し辛いウルトラマンとなってしまった。 

ダイナは後にアスカ・シン役、つるの剛士氏のブレイクもあって『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』にゲスト出演し『ウルトラマンサーガ』では準主役となるなど破格の待遇を受け、以前よりは商品化の機会などに恵まれるようになったが、それでも2021年時点では「比較的人気のあるウルトラマン」程度のポジションに甘んじてしまっている印象だ。
(『帰ってきたウルトラマン』のウルトラマンジャックも然り、ある作品ありきで誕生したヒーローはその“元”を越えられず「不遇枠」になってしまう……というのは、理屈こそ分かっても非常に口惜しいものがある)

 

 

更に「続編もの故の不遇」は時に「売上が振るわない」という結果まで連れてきてしまう。

 

ダイナは『ティガ』以上の売上を記録していたが、ウルトラマンシリーズでは『ウルトラマンギンガS』がニュージェネレーションシリーズワーストの売上を記録していたり、他シリーズではあるが『仮面ライダーアギト』が前作『仮面ライダークウガ』から大きく売上を落としていたりする。 

続編ものは当然ながら「前作を汲んでいる」ため、その商材(玩具)も何かと似ることが多い。『ギンガS』はメイン商材が前作『ギンガ』と同じスパークドールズであったし、『アギト』はアギトそのもののデザインがクウガと似ており、そのベルトや武器もかなり近い形で作られていた。おそらく、その類似性が「子どもが親に買ってもらえない」などの事態に繋がり、売上を落とす結果になったのだろうと思われる。 

勿論、この結果には (ギンガSの場合はその放送期間など)  他の理由も考えられるが、2作とも「前作の続編である」という点は決して無関係ではないだろう。

(クウガとアギトが似ているという問題は、ティガとダイナの関係に様々な意味合いで通じているように思える)


そのポジションや売上に「不遇」という影を纏いがちな続編もの。その影響からか、昨今の特撮ヒーローでは「続編もの」は非常に希で、過去作と関わりの深い『ウルトラマンジード』や『ウルトラマンR/B』も半ば恣意的にその繋がりが廃され、全くの別作品として製作されていた。 

そんな中、久方ぶりに「続編もの」として登場した『ウルトラマンデッカー』。その報せを聞いた時はどうしても「ダイナのように “トリガーの影に隠れる存在” になってしまわないか」「せっかくトリガーで爆発した売上を下げてしまうのでは」と心配してしまったのだけれど、そんな懸念は「筆者のような一介のオタクに言われるまでもなく製作サイドにもあった」らしいことが、今回解禁された情報からは伝わってきた。

 

 

まずはそのデザイン。 

ダイナは謂わばティガのマイナーチェンジのようなデザインになっており、そのことがダイナ自身のアイデンティティーを弱め、それが彼の不遇さにも繋がっていた……のだけれど、デッカーはそのことを踏まえたかのようなデザインのウルトラマン。 

ティガをオマージュしたトリガーに対し、ダイナをオマージュしたデッカー。しかし、両者のオマージュの方向性はまさに真逆で、デッカーのデザインはトリガーと全く異なる方向性で組み立てられたものになっていた。

 

 

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トリガーは、そのシャープなシルエットこそティガをストレートに継承したものだったが、特徴的な点として「カラーリングを反転させる」という大胆な試みが行われていた。 

赤と紫の配置を逆転させ、プロテクターも銀色>金色だった比率を大胆にも金色メインにチェンジ。この絶妙なアレンジによって、トリガーは見事に「ティガであってティガでない」新たなヒーローに仕上がっていたと言えるだろう。

 


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一方、問題のダイナとデッカー。 

第一印象は「ダイナだ!」の一言。デッカーは、そのカラーリングやライン取りが限りなくダイナに近く、トリガーよりもストレートに原点=ダイナを取り入れている。 

しかしその最たる特徴は、大胆にも額と胸部に宇宙 (?) のようなデザインが取り入れられていること。全体的な雰囲気はダイナらしいが、そのこれまでにないデザインが一気に「見たことのないウルトラマン」感を生み出しており、更に胸部プロテクターそのものも、これまでのウルトラマンとは異なる左右非対称・剣闘士風の独特な意匠を持っている。 

つまり、「ティガのデザインを継承しつつ、カラーリングを反転させて差別化した」トリガーに対し、「ダイナのカラーリングを継承しつつ、全く異なるデザインを取り込んだ」ものになっているのがデッカー。その結果、デッカーのデザインはダイナを感じさせこそすれ、トリガーとは似ても似つかないものになっている。 

このことは「トリガーと被る」という最も恐れていた事態を回避するだけでなく、その独自性の強いデザインが、ダイナを感じさせつつも歴代ヒーローに埋没しない、という効果をも生んでおり、デザイン作業が相当綿密に進められたことを感じさせる100点満点具合だ。しかも、デッカーのアイデンティティーとなる「宇宙」とは、他ならぬ『ダイナ』のキーとなっていた要素。原点を様々な形から意識しつつも、ウルトラマンの新しいデザインを切り拓くデッカーのデザインは、100点どころか1000点満点と言えるのではないだろうか。

 

(フラッシュタイプ以外の2タイプもその特徴的なプロテクターデザインが際立っている。特にストロングタイプは膝や襟など総じてアーマーチックなデザインになっており、トリガーと上手く差別化されていると言えるだろう)


更に、もう一つの懸念点だった「せっかくトリガーで爆発した売上を下げてしまうのでは」……つまりは「続編もの故に、売上が振るわないのでは?」という点だが、こちらも対策はバッチリ。なんと、ここにきて6年ぶりにカード玩具が投入されることとなったのである。

 


前作『トリガー』の玩具「ガッツハイパーキー」はウルトラシリーズ初となる単体音声収録アイテムだったこともあって、前々作『Z』のメダルよろしく大ヒットとなっていた。 

しかし、当然ながらそのような玩具は生産側にとっても高コストで、とても連発できるものではない。そんな状況下で切られた「カード型アイテム」という一手は、まさに最高のタイミングで切られたエースカードと言えるだろう。

 

カード型アイテムの強みは数多くあるが、まず何より、低コストで一定の売上が確実に見込める点。 

ウルトラマンシリーズでは『ウルトラマンオーブ』でヒットを飛ばしたことが記憶に新しいカード型アイテム。過去にも『ウルトラギャラクシー 大怪獣バトル』『仮面ライダー龍騎』など多くの特撮ドラマでメインアイテムとして用いられたカード型アイテムの人気は不動のもので、ウルトラメダル、ガッツハイパーキーという高すぎるハードルを越え得るものとしては納得の選出だ。 

それでいて、カード型アイテムはあくまで「デバイス側」にギミックが集約される上、カード自体も安価なため非常にローコストで生産することができる。まさに、人気獲得とコストの両面でうってつけのアイテムと言えるだろう。 

無論、カードもカードでおいそれと濫用することはできない切り札的商材。それをここで使うという決断には、企画サイドの「トリガーに負けない」という気概が感じられ、その熱さに思わず頭が下がってしまうところだ。

 

 

更に、カードというアイテムが「番組の顔」として強いアイデンティティーを持つことも見逃せないポイント。 

カード型アイテムは、他のアイテムに比べて唯一無二なキャッチーさを持つためか「番組のイメージ」に直結することが多い。要は「カードのウルトラマン」という強い前提イメージが生まれる訳だ。そのことが『デッカー』に、作品としても/一人のウルトラヒーローとしても「トリガーありき」「ダイナありき」ではない独立したものとして成立し得るだけの強固なアイデンティティーを持たせてくれるのである。

 

これらの効果を一挙にもたらしてくれる新アイテム「ウルトラディメンションカード」。最大の問題は劇中でどう活かされるか……なのだけれど、その存在自体が既に「続編もの故に、売上が振るわないのでは?」というジンクスを払拭してくれている。 

これらの要素を備えて発進する『デッカー』が「続編ものは不遇」というジンクス/ウルトラシリーズにおける一つの壁を壊し、大きく羽ばたいてくれると信じたい。



デッカーに壊してほしい3つの壁。二つ目は、昨今のウルトラシリーズで生まれてしまった「坂本・田口神話」という壁。

 

ウルトラマンギンガ』に始まった新世代のウルトラTV作品群、通称「ニュージェネレーションシリーズ」は、その強い個性と魅力によって、いずれも大きな反響を持って迎えられてきた。 

そして『デッカー』を持って同シリーズは遂に10作目を迎えることとなるのだが、その約10年の中で醸成されてきたのが、問題の「坂本・田口神話」だ。

 

 

ニュージェネレーションシリーズの作品群は、前述の通りいずれも大きな反響を持って迎えられてきた。しかし、その中にはいくつか特別なターニングポイントとなった作品が存在する。 

「列伝」の冠を廃し、個性的なキャラクター像と共にウルトラマンシリーズの認知度を大きく高めた『ウルトラマンオーブ』 

『オーブ』から更に高い玩具売上を叩き出し、今尚新規コンテンツが作られている人気作『ウルトラマンジード』 

パンデミックを吹き飛ばすが如く、爆発的な人気と売上を記録した令和の超新星ウルトラマンZ』 

そして「NEW GENERATION TIGA」に課せられたミッションを果たし、ウルトラシリーズの再興を確たるものとした立役者『トリガー』 

私見ではあるが、これら4作品がその「特別なターニングポイント」に該当する作品で、ウルトラシリーズの今後に大きな影響を与えたと言える作品群だ。そして、これら4作はいずれもメイン監督が坂本浩一監督 (ジード、トリガー)、そして田口清隆監督 (オーブ、Z) なのである。

 

 

もはや説明不要とは思うが、まず坂本浩一監督は『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』や『ウルトラマンギンガS』を手掛け、ウルトラシリーズに新風を吹き込むことに定評のある監督。そして田口清隆監督は生粋の怪獣映画ファンとして知られ、『オーブ』以前にも『ウルトラマンX』を手掛けて高い人気を博した監督だ。 

坂本監督はケレン味のあるアクション、田口監督は緻密な巨大特撮をそれぞれ軸とした驚愕の映像を毎回のように送り出し、それらが優れた脚本と化学反応を起こしてきたことで、ウルトラシリーズはその作品クオリティとシリーズ人気を格段に引き上げてきた。 

更に、坂本監督は新シリーズの『ウルトラギャラクシーファイト』が大ヒット中で、田口監督は『Z』がネット流行語大賞で6位を獲得。製作サイド=円谷プロダクション側からすれば、まさに神か救世主かと呼べる方々だろう。

 


しかし、そのことは決して良いことばかりではない。 

坂本監督も田口監督も『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』など他シリーズを手掛けて多忙を極める方々。正直、いつウルトラに携われなくなってもおかしくない大物なのである。 

そうでなくても、坂本監督・田口監督にも「引き出しの限界」はある。ウルトラシリーズは作風に比較的メイン監督の意向が反映されやすいこともあり、このままお二方に頼りきってしまうことは、いつかウルトラシリーズのマンネリ化に繋がってしまうのではないだろうか。同時に「メインは坂本監督か田口監督でないとダメだ」という固定観念円谷プロダクション上層部に出来上がり、参加監督の幅が大きく狭められてしまうのではないだろうか……と、一ファンながらに不安を抱かずにはいられない。

 

そんな不安の中、『デッカー』のメイン監督として抜擢されたのはなんと武居正能監督!『オーブ』第18話『ハードボイルド・リバー』で本格的な監督デビューを果たして以降、『ジード』から『トリガー』まで全作品に参加、ニュージェネ作品群を支え続けている新進気鋭の監督だ。

 

   

 

そんな武居監督の魅力は、そのドラマの魅せ方。この点は田口監督も得意とするところだが、ともすればそれ以上に、武居監督は「感情の乗った画」の撮影に長けている。 

最近では『Z』第11話『守るべきもの』/第12話『叫ぶ命』の2編を任されていたことが印象的で、作中でも重要エピソードとなるこの2編を田口監督自ら託した点に、武居監督の実力が伺えるだろう。 

特に『叫ぶ命』においては、グルジオライデンを前に戦意喪失するハルキや、その力の危険性を暗喩するかのように炎を纏うキングジョーストレイジカスタム……といった、視聴者の心を揺さぶる名シーンを無数に排出。見事にその大役を果たしていた。

 

叫ぶ命

叫ぶ命

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この点に鑑みると、武居監督が「脱 坂本・田口神話」のために抜擢された (であろう) ことには何の不思議も不安もない。しかし、武居監督には大きな弱点もある。それは「特撮面におけるパンチの弱さ」だ。

 

武居監督は、監督デビュー当初から前述した「ドラマ」面では高い実力を発揮していたものの、一方でその特撮パート=主にウルトラマンと怪獣の戦闘が地味になりがちという欠点も抱えていた。 

リクとケイの同時変身がピークになってしまった『ジード』第23話『ストルムの光』や、ドラマ面・CGバトルで高い評価を得ているものの、戦闘のもっさり感が否めない『劇場版ウルトラマンR/B セレクト!絆のクリスタル』などが特に顕著だが、より突っ込むなら、武居監督がメイン監督を務めた『ウルトラマンR/B』は節々に同様の問題が散見され、全体的に地味な印象が拭えない作品となってしまっていた。

 

しかし、この点は『ウルトラマンタイガ』において改善の兆しを見せ、前述の『Z』そして『トリガー』においては遂に坂本・田口両監督もかくやという大迫力の特撮を披露するまでに至る。 

特に『トリガー』第6話『一時間の悪魔』での対サタンデロス・ヒュドラム戦は、イグニスのサタンデロス爆破、マルチソードでヒュドラムに挑むスカイタイプ、ランバルト光弾によるフィニッシュ……など、武居監督の進化を感じさせる名シーンが満載で、「ただでさえドラマの強い武居監督が、とうとう特撮監督としても強固な実力をものにした……!」 と、シリーズを追ってきたファンとしては大きな感慨に耽ってしまう名編となっていた。

 


ならやっぱり『デッカー』も安心じゃないか! ……と思いたかったのだけれど、そんな安心を切り崩す作品がある。先日公開されたウルトラマントリガー エピソードZ』だ。

 

 

ツブラヤイマジネーションと全国劇場にて3月18日に同時公開され、大きな話題を呼んだ『エピソードZ』。同作でも武居監督はその「ドラマに強い」点を存分に発揮されており、特に作中終盤のあるシーンにおいては、そのBGMやケンゴ役、寺坂頼我氏らの名演など全てが結実し、ドラマとしては歴代のニュージェネレーションシリーズ長編作品でも屈指と言えるほどの大きなカタルシスを呼んでいた。 

しかし、その一方で同作は「画が非常に地味」という欠点も抱えていた。ゼットの登場シーンやパゴス周りの特撮などハッとさせられる画もあるものの、総じて全体的に「もっさり」してしまっている。つまり、どういう訳か以前の武居監督に戻ってしまっていたのだ。 

おそらく、このことは予算や時間不足、公開形態や (明言こそされていないが) 後から加わったZ要素の回収など、『エピソードZ』製作上の様々な困難が引き起こした「一時的なもの」だろうとは思うのだが……。

 

『Z』から『トリガー』と非常に好調な流れを経て武居監督に渡されたバトン。『トリガー』で見せた力量を監督が発揮してくれれば、『デッカー』は「坂本・田口神話」という、ウルトラシリーズに立ちはだかっている大きな壁を崩し、シリーズの幅を広げる歴史的なブレイクスルーを見せてくれることだろう。しかし、もし『エピソードZ』のあれこれが「一時的なもの」でないのなら……。 

ともあれ、今は、そんな不安を拭ってくれる新PVの解禁を心待ちにしていたい。

 

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(武居監督だけでなく、初めてウルトラのシリーズ構成を担当される根元歳三氏にも期待がかかる。『エピソードZ』のイーヴィルトリガーや『Z』のウルトラマンエースなどで見せた、原点の見事な再解釈を今回も見せてくれると願いたい……!)

 

 

デッカーに壊してほしい「壁」として、「続編ものは不遇」というジンクス、そして
「坂本・田口神話」の2つを挙げてきた。その上で、筆者が一番「壊してほしい」と願う3つ目の壁。それは、未だ根強く存在している「世界を包んでいる閉塞感」である。

 

 

かつて『ウルトラマンティガ』が現れた1996年は、阪神・淡路大震災の爪痕が未だ深く残っていたり、ノストラダムスの大予言などに端を発する「世紀末」概念が跋扈していたり……など、今と形は違えど、人々を暗い影が覆う時代だった。 

そんな時代だからこそ、ウルトラマンティガ、そして主人公=マドカ・ダイゴは、誰もが光になれるという暖かなメッセージをその時代の人々に伝えていったのである。

 

そして、その光を継ぐ作品こと『ウルトラマンダイナ』で描かれたのは、人々が輝くための鍵=「可能性」という光と、その不安定・不完全さを良しとしないスフィアとの戦いの物語だった。 

誰もが光になれると手を差し伸べたのが『ティガ』ならば、手を掴み、光溢れる未来へ共に走り出してくれたのが『ダイナ』。「新たなる光」ことダイナ、そしてスーパーGUTSが築いた物語は、その世界観やビジュアルだけでなく、何より大切な「テーマ」をティガから受け継ぎ、更に推し進めた作品になっていたと言えるだろう。

 

 

そして、それから25年が経った2022年現在。 

これまでよりは先行きが見えてきたとはいえパンデミックの脅威は健在で、更には、ロシアによるウクライナ侵攻という悲劇が今こうしている瞬間も続いてしまっており、世界は今また重苦しい閉塞感に包まれていると言えるだろう。 

 

そんなほの暗い令和の世に現れたウルトラマンの一人=トリガーは、「光であり、人であり、闇でもある」ウルトラマンとして人々に寄り添い、その心に数え切れない笑顔を届けてきた。 

そんなトリガーの光を継ぐものである『ウルトラマンデッカー』。『ダイナ』に胸を打たれたファンの一人としては、デッカーには作品として、ウルトラマンとして『ダイナ』を継いだ要素を見せてほしいという気持ちは勿論ある。クラーコフとダイナの共闘のような画を見たい、宇宙に飛び出してほしい、『ダイナ』怪獣の復活や『トリガー』とのコラボが見たい……等々、希望を言えばキリがない。

 

けれど、それ以上に『デッカー』に望むのは『トリガー』が寄り添った人々に、その先の明るい未来を見せてほしいということ。 

物語でもいいし、作風でもいい。この閉塞した世の中にも希望や未来はあるし、何より人間の中にはいつの時代も無限の可能性がある。そういった明るく熱いメッセージを、今を生きる人々、とりわけ子どもたちに届けて欲しい。かつて『ティガ』を継ぐものとして『ダイナ』がそうしたように。 

もし『デッカー』がそんな輝きを見せてくれたなら、この世の中の閉塞感を打ち破るような、そんな眩しい人の可能性/未来を示してくれたのなら、それだけで同作は『トリガー』を継ぐものとして、そして『ダイナ』を継ぐものとして最高のヒーローなのではないだろうか。それこそが、筆者が心から『デッカー』に期待することである。


 

いつかの「冬の時代」はどこへやら、7月にはウルトラマンデッカーが放送開始となるだけでなく、4月末には『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』が、来月の5月13日には『シン・ウルトラマン』がそれぞれ配信/公開開始となる。それだけウルトラシリーズが世界に受け入れられ、安定した土壌を手に入れられたことは、ファンとして何より嬉しいことだ。   

しかしそれでも、「いつシリーズに暗雲が立ち込めるか」は誰にも予測できない。
『タロウ』の次作でシリーズが打ち止めになることも、『メビウス』から『ギンガ』まで7年もの歳月がかかってしまうことも、当時は誰も予想していなかっただろうから。 

 

だからこそ、最も重要なコンテンツと言える最新TVシリーズ=デッカーには、高く高く、「続編ものは不遇」というジンクスなどどこ吹く風か、と言わんばかりに高く羽ばたき、ニュージェネレーションシリーズが作ってしまった「坂本・田口神話」という壁を壊してほしい。そして何より、この時代の閉塞感を壊すような、そんな眩しい作品として人々……とりわけ、今を生きる子どもたちに暖かい光を届けてほしい。 

「輝け、弾けろ、飛び出せ、デッカー!!」 

2022年に到来する新たなる光が、そんなフレーズ通りの熱く輝くウルトラヒーローでありますように。


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20年越しに振り返る『仮面ライダー 正義の系譜』“ゲームならでは” の演出が魅せる、唯一無二のクロスオーバー作品

一昨年に発売された、『仮面ライダー』シリーズの最新ゲームソフト『KAMEN RIDER memory of heroez』。 

W、オーズ、ゼロワンの3人がオリジナルストーリーを繰り広げるクロスオーバーアクションADVということで話題になったこのゲームに、隠れモチーフと (ごく一部のファンの間で) 目され (ごく一部のファンの間で) 話題となった、ある幻のゲームをご存知だろうか……。


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その名も仮面ライダー 正義の系譜』。 

「最も好きなゲームは?」と聞かれた時に筆頭候補に挙がるくらいには愛してやまない思い出のゲーム……なのだが、悲しいことに知名度が絶望的に低い。具体的にどのくらいかというと、このゲームについて語らえる友人が2人しかいないくらい知名度がない (とてもかなしい)。 

しかし、本作は仮面ライダーシリーズが50周年を迎えて一層盛り上がる今こそ知られるべき隠れた名作。一人でも多くのライダーファンにこのゲームを届けるために、今回は極力ネタバレを抑えつつ、本作『正義の系譜』を紹介していきたい。

 

 

仮面ライダー 正義の系譜』は、2003年にバンプレストから発売されたPlayStation2専用ゲームソフト。   

タイトルの通りハイターゲット向け作品である本作は「仮面ライダー1号、V3、BLACK、アギト」の4人を主役に据えたクロスオーバーゲームで、なんとジャンルは仮面ライダーでは珍しい3Dアクションアドベンチャー。不気味な発電所を4人の仮面ライダーで探索し、謎を解き、現れる怪人たちを倒しつつ物語を進めていくという「仮面ライダー版のバイオハザード」とでも呼ぶべき作品だ。 

仮面ライダーの3Dアクションゲームとしては人気シリーズの『バトライド・ウォー』が爽快感やアクション性で大きく勝る一方、本作独自の魅力として挙げられるのが「本人ボイスの1号、V3、BLACK、アギトが織り成す重厚なクロスオーバーストーリー」である。 

「何? そんな贅沢な話があるか! みんな疲れているのか……」などと思ったそこのあなた、是非こちらの動画を見て欲しい。 
(公式サイトさえない時代のゲームなので、個人アップロードのものを掲載させて頂きます)

 

 

か、カッコよすぎる……………………………… 

世の中にはOP詐欺なんてものもあるが『正義の系譜』は嘘を吐かない。本編にはこのOPに使われているものと同様の上質なムービーがふんだんに使われており、物語をこれでもかと盛り上げてくれる。しかも全編フルボイス!   

本作には、メインの4ライダーを演じる藤岡弘、氏ら4人に加え、ゲストPCのライダー2号/一文字隼人を演じる佐々木剛氏を加えた5人ものレジェンドキャストが参加。いずれも全く違和感のない「当時らしさ」全開の演技を伴っての参戦で、およそ2003年のゲームとは思えない豪華ぶりだ。 

(更に、ナレーションを担当されるのはシリーズお馴染みの中江真司氏。“あの頃” の雰囲気を堪能できること請け合いである)

 

……と、そんなボイス事情だけでも5桁の価値がある本作だが、他にもその魅力は数え切れない。例えば……   

・人間態と変身態の使い分けができる   

・今でも通用する完成度のCGモデル   

・各ライダーごとに12ヶ用意された大迫力の必殺技ムービー   

・オリジナル/版権問わず良質なBGM (ボス戦では各ライダーのメインテーマ2曲のインストアレンジからどちらかが流れる嬉しい仕様!)   

・各ライダーで異なる、原作準拠のSE   

(全てショッカーとゲルショッカーの怪人だが) メジャー・マイナーが入り乱れた壮絶な敵怪人のラインナップ   

・ライダーのオリジナルキャストがガイドしてくれるセーブ/ロード画面 (!?)   

……などなど。 

全てを紹介するとブログではなく論文になってしまうので、ここでは最大の目玉である「豪華キャストのフルボイスで繰り広げられるクロスオーバーストーリー」に的を絞り、ネタバレを極力抑えつつ大筋を紹介したい。


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『正義の系譜』の物語は「4つの時代の同じ場所」を舞台に展開される。その場所とは、   

仮面ライダー1号、2号が活躍する “1972年”  (ゲルショッカー出現から間もない頃) の、稼働間もない地熱発電所   

仮面ライダーV3が活躍する “1974年”  (ヨロイ元帥が大幹部の時期)地熱発電所   

仮面ライダーBLACKが活躍する “1988年” (シャドームーン出現の直後) の、閉鎖され廃墟となった地熱発電所   

仮面ライダーアギトが活躍してから少し経った “2004年” (TV本編の数ヵ月後) の、新設された原子力発電所   

……の4つ。これらの時代を股にかけて暗躍する謎の敵に対し、その気配を察知したライダーたちが「それぞれの時代の同じ発電所」に向かうという導入だ。

 

かくして始まる本作の物語は、大まかに前半と後半に分けられる。 

前半は各ライダーの単独シナリオで、1章ではアギト=津上翔一、2章ではBLACK=南光太郎、3章ではV3=風見志郎、4章では1号=本郷猛を操作。発電所を異なるルートで探索し、立ち塞がる怪人たちを倒しつつ、最終的に4人とも同じ「とある場所」――発電所内に密かに建設された敵アジト、その奥深くにある通信機前に辿り着く。     

f:id:kogalent:20220228071943j:image(章ラストに入る演出が各ライダー準拠のアイキャッチになっているという嬉しいファンサービスも) 

ここに至るまでの各ライダーの道のりは、仲間のいない孤独なものであったこと、時折現れる謎の存在=「邪眼」が「目」そのものとしか言いようのない奇怪な生命体であること、そして何より舞台となる発電所の不気味な雰囲気から非常にホラーテイストが強い。だがそれだけに、満を持してライダー4人が邂逅するシーンは非常にドラマチックな仕上がりになっている。

 

4人がアジト最奥で発見した通信機。それは異なる3つの時代へと通信が繋がっていた。  

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アギトの「こちら2004年、誰か聞こえますか?」という呼び掛けに応じる1号、BLACK、V3。後輩である風見がライダーとなっていることに驚く1号に対し、タイムパラドックスを懸念して誤魔化すV3、などファンには嬉しい掛け合いもありつつ、4人はそれぞれが得てきた情報を共有する。  

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4人の情報を繋ぎ合わせた結果、「発電所が通常の時間の流れから切り離され、相互に繋がった隔離空間である」こと、そして「それぞれの時代で進む4つの計画のうち、いずれか1つでも成功したら歴史が変わってしまう」ことが判明。   

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時空を越えた力を持つ敵を前に歯噛みするアギトたちだったが、1号はこの特殊な空間内であれば、お互いに物の受け渡しができることをはじめ様々な形で協力し合える (要はゲームシステムの説明だが、説明が自然で違和感がない) ことに気付き、3人に「協力して敵の野望を打ち砕こう」と呼び掛ける。  

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そんな4人の通信を嗅ぎ付けて各時代に現れる戦闘員。1号の「死ぬんじゃないぞ!」という呼び掛けを背に、3人が戦闘を開始した所でイベントは終了。物語は後半へ突入することとなる……と、このような “本人感” たっぷりの濃厚なクロスオーバーを経て、本作のメインであり大ボリュームの5章が幕を開ける。

 

5章と6章 (最終章) から成る本作後半では、1号=本郷が提案したように、各時代で相互に「アイテムの共有」「エリア解放状況の共有」といった様々な協力が可能となる『ジェネレーションザッピングシステム』が解禁され、4人のライダー (時代) を切り替えつつ相互に助け合い、敵の野望に立ち向かっていく……という熱い共闘が描かれる。  

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そんな4人の結束に比例するかのように、この5章からは敵の “大幹部” も本格参戦。   

アギトの時代には地獄大使が、BLACKの時代にはブラック将軍 (ブラック繋がりの掛け合いは必見!) が、そしてV3の時代には死神博士がそれぞれ立ち塞がってくる。 

彼らは巧みな作戦や強化された戦闘員、怪人たちによってライダーたちを追い詰めていき、中でも1号はゾル大佐に囚われたことで絶体絶命のピンチに陥ってしまう。しかし……。  

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そこに駆け付けたのはなんと仮面ライダー2号=一文字隼人! 大きなダメージを負った本郷に代わり、一時的に2号がプレイアブルキャラクターになるというファン垂涎もののイベントだ。

  

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更に、アギトの窮地には仮面ライダーギルス=葦原涼が駆け付ける他、V3は発電所内でライダーマン=結城丈二と遭遇。彼の恩師「田所博士」がこの事態のカギを握る存在「邪眼」に深く関わっていることを知る。   

この2人は残念なことにムービー限定のNPC (当然ながら声も代役) だが、特にライダーマン=結城丈二は上記の通り本作のシナリオに大きく関わっており、彼をきっかけに徐々に事態の真相が明らかになっていく。  

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邪眼がなぜショッカー/ゲルショッカーを操るのか、なぜBLACKを付け狙うのか、なぜ事件はアギトのいる2004年をも巻き込んでいるのか。激化する戦いに伴って4つの時代が繋がっていき、やがて邪眼の真の目的が判明した時、物語は怒濤のクライマックスへと突入していく――。

 

 

……これ、20年前のゲームなんですよ……信じられます……?

 

シリアスで緊張感に満ちた物語、ストーリーを盛り上げる丁寧なクロスオーバー、そして全てが一つに繋がるカタルシス抜群のクライマックス。ここでは語りきれなかった点も含めて、本シナリオのクオリティは数ある『仮面ライダー』作品の中でも間違いなく上位に入るものだと言えるだろう。

 


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昨今の『仮面ライダー』シリーズからは『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦 MEGA MAX』や『仮面ライダー 平成ジェネレーションズ FINAL』といったクロスオーバーに重きが置かれた傑作がいくつも誕生しており、ライダーの良質なクロスオーバーが見たいならわざわざゲームをしなくても……とお思いの方もいるかもしれない。しかし、本作のストーリーには「ゲーム」という形態だからこその大きな魅力がある。

 

最も分かりやすいのは、本作の「1号~アギトという大きく時代の離れたライダーたちが “それぞれの時代の姿で” 共演する」というシチュエーション。 

「それぞれが主人公である時期」というのは、各キャラクターにとって “成長途上” というドラマ上の旨味に溢れた時期ながら、映像作品でのクロスオーバーはどうしても「いずれかが先輩になっている」ことが確定してしまっている(それはそれで美味しいのだけれど)。 

本作はそんな稀有なシチュエーションを満遍なく活かした「自分の名を受け継ぐ者たちの存在に驚く1号=本郷」「親友である信彦=シャドームーンとの戦いに悩む中、自分と同じ戦士の存在に背中を押されるBLACK=光太郎」などの、思わず感慨に耽ってしまう魅力的なシーンが数多く描かれている。これらは、ゲームだからこそできた本作独自の魅力と言って差し支えないだろう。  

(各作品が原作シナリオをなぞりながらクロスオーバーする “スーパーロボット大戦” シリーズは、前述したタイプのクロスオーバーで紡がれるストーリーが大きな反響を呼んだ代表格だ)

 


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更に、ゲームという形態を活かした魅力がもう一点。それは、本作はアドベンチャーゲームというジャンル故に、そのプレイを通じてプレイヤー自身が仮面ライダーたちの感覚を追体験できる」ことだ。 

前述のように、本作前半(1~4章)は1章=アギト、2章=BLACKというように、章ごとに操作するライダーが切り替わっていく。   

しかし、舞台(時間)が4つに分断されているため、ゲームを進め、プレイヤーキャラクターが切り替わることはあっても仲間が増えることはない。そのため、本作前半は「不気味なBGMの中で、ほの暗い発電所を一人で回り、戦い、謎を解いていく」という、実質的なホラーゲームになっている。確かに現れる敵はライダーファンにとってはお馴染みのショッカー/ゲルショッカーなのだが、「4つの時間を股にかける」という文字通り次元の違う作戦規模や、彼らを操る「邪眼」の得体の知れない恐怖が、プレイヤーにとって見馴れたはずの怪人たちを、そうではない「未知の敵=恐ろしい怪物」の群れに見せてくる。 

(PS2のスペックを活かした緻密な描画や、ホラー映画さながらに登場する怪人たちもこの点に大きく貢献しているだろう)


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このようなホラーテイストには ライダーの元々の作風が ”怪奇” 寄りということを踏まえても)仮面ライダーでホラーゲーム?」と首を傾げてしまう方も多いだろう。しかし、そのような「不気味な施設を探索する緊張感」「一人で戦う孤独」「未知の敵と相対する恐怖」といった感覚は、全て仮面ライダーたちが戦いの中で味わってきたであろうものに他ならない。  

つまり、本作は仮面ライダーたちをプレイアブルキャラクターとして操作するだけでなく、TV画面を通して見るだけでは味わえなかった「仮面ライダーたちの感覚」を、アドベンチャーゲームという形式を通して追体験できる。そしてそのことが、ストーリーの臨場感を飛躍的に高めてくれるのである。

自ら謎を解くことで推理ゲームのストーリーにグッとのめり込めるように、主人公視点のホラーゲームがただならぬ怖さを持つように、この『正義の系譜』は「仮面ライダーたちの感覚」をプレイヤーが追体験することで「発電所の謎を解き、未知の敵に迫っていく」という物語や、その中で経験する怪人たちとの激闘、そして何より「ライダー4人の合流 (通信) 」や「2号の救援」といった、ただでさえ胸躍る「仲間たちとの出会い」の感動が数倍にもなって胸を満たしてくれる。 

ただでさえ上質なシナリオにこのような「ゲーム」ならではの魅力が加わることで実現した圧倒的なカタルシス。このことは『正義の系譜』を唯一無二の作品としている大きなポイントと言えるだろう。



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ストーリーに的を絞ってはみたものの、それでも語り尽くせない『正義の系譜』の魅力。これ以上は、是非皆様ご自身の手でプレイし確かめてほしい……のだけれど、本作は『仮面ライダー』『仮面ライダーV3』『仮面ライダーBLACK』『仮面ライダーアギト』の4作によるクロスオーバー作品。そのため「この4作を全て視聴済でないと、十分に楽しめないのでは」とハードルを感じてしまう方もいるかもしれない。   

事実、本作は (ハイターゲット向け作品ということもあって) 原作を知っていることが前提の作品であり、ライダーたちについてストーリー上での説明はなく、詳しい解説がゲーム上で見れる訳でもない。 

しかし、かといって「これら4作を網羅していないと楽しめないか」というとそんなことはなく、おそらく必須となるのは『仮面ライダーBLACK』の大まかなシナリオと、他3作品 (に登場するライダーたち) のざっくりとした概要だけ。これさえ知っていれば『正義の系譜』は十分に楽しめるはずである。

 

なぜこのように参戦作品に対して曖昧なスタンスでも問題ないのか? それは、本作で描かれるライダーたちの孤独な戦い、そして「だからこそ輝く絆」というテーマは、前述の4作のみならず、仮面ライダーシリーズ全体に通ずるテーマと言えるからだろう。


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仮面ライダー』シリーズは (平成のみならず、それこそ昭和の時代から) その多様性こそが大きな魅力の一つであった。時代に合わせてその姿も、背負うものも変わっていき、平成仮面ライダーシリーズの集大成として製作された『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』では、主人公=常磐ソウゴが

「勝手にまとめるなよ……! 俺も、ゲイツも、平成ライダーのみんなも、瞬間瞬間を必死に生きてるんだ! みんなバラバラで当たり前だ! それをムチャクチャとか言うな!!」

と激昂するシーンがあり、仮面ライダーシリーズの在り方を体現した名台詞として大きな反響を呼んでいた。

 

 

50年という長い時間、その瞬間瞬間を必死に生き、様々な可能性と歴史を紡いできた『仮面ライダー』シリーズ。しかし、そのバラバラな歴史の中では「仮面の下に悲哀/孤独を隠したヒーロー」という在り方が受け継がれてきたようにも思える。

 

既に人間でない「改造人間」という過酷な宿命を背負った『仮面ライダー』を初めとする昭和ライダーシリーズ。 

改造人間であるだけでなく、親友との対峙をも強いられた『BLACK』。 

怪人の背負った悲哀にスポットが当てられた『555』に『剣』。 

主人公ではなく、所謂「2号ライダー」たちが孤独な戦士というポジションを担い、彼らを軸にハードな展開が描かれた『フォーゼ』や『ドライブ』……。 

そして『ゼロワン』ら令和のライダーたちにもこのヒーロー像は継承されており、大なり小なり、多くのライダーたちが悲哀/孤独の影を背負ってきたと言えるだろう。
(このことは、仮面ライダーと並び「3大特撮」と呼ばれる『ウルトラマン』や『スーパー戦隊』と比較すると、より分かりやすく見えてくるように思う) 

そして、そのような背景を持つからこそ、ライダーたちの見せる絆は殊更に眩しく、我々視聴者の心を掴んで離さない。 


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本作でも並び立つダブルライダーは勿論のこと、デルザー軍団を迎え撃つべく集った栄光の7人ライダー、多くのすれ違いと衝突を乗り越えて実現したアギト、ギルス、G3-X、アナザーアギトの共闘。各々が背負った因縁に決着を付け、一丸となって変身する『セイバー』の10剣士……。その例は挙げればキリがなく、100人に聞けば100人それぞれのベストバウトが返ってくるだろう。 

そんな数々の名シーンを輝かせてきた、仮面ライダーたちの「悲哀/孤独を背負った戦士」という在り方、そして「だからこそ輝く絆」。このテーマに深いリスペクトを捧げて作られたゲームこそが『正義の系譜』であり、だからこそ「本作は件の4作品に詳しくなかったとしても楽しめる=『仮面ライダーシリーズ』のファンならプレイして損はない」と、自信を持って言うことができるのである。

 


実のところ、この『正義の系譜』は様々な問題点をも抱えたゲームでもある。攻略本前提としか考えようがない難易度の探索、テストプレイしたのかどうか疑わしい極悪仕様 (だけど意外と楽しい) バイクアクションパート、必殺技偏重が過ぎる戦闘バランス……等々、これもこれで挙げればキリがない有様だ。 

しかし、本作にそれらの欠点を補って余りあるほどの魅力が備わっているということはこれまで述べてきた通りである。 

それらの魅力が「実際に欠点を覆しきれているか」は当然プレイヤーの感性に委ねられてしまうが、それでも筆者は、本作は多くのライダーファンの魂に響く「至高のライダーゲーム」だと感じている。  

アーカイブ配信がされておらず、プレイするには当時のソフトを購入する (中古であれば1000~2000円程度で購入可能) しかなかったり、そもそもPlayStation2専用ソフトが起動できる環境が必要であったり、前述の通り多少の予備知識が必要であったりと、そう簡単に即断即決でプレイできるような状況にないことが惜しまれる本作だが、もしここまで触れた内容で「これは」となるものがあったなら、是非本作を手に取って頂きたい。

 


『正義の系譜』発売から20年近くが経過した2022年現在、ライダーたちが繋いできた歴史は既に半世紀を越えており、今年中には『仮面ライダーBLACK』のリブート作と目される『仮面ライダーBLACK SUN』の配信が、来年には庵野秀明氏が手掛ける劇場用作品『シン・仮面ライダー』の公開がそれぞれ控えている。 

その注目度の高さもあって、これまでにないほど昭和のライダー作品……もとい「仮面ライダーシリーズの原点」が脚光を浴びていると言えるこの今だからこそ、本作を通して『仮面ライダー』が時代を越えて受け継ぎ、築いてきた系譜を振り返ってみてはいかがだろうか。

ネタバレ無し! 感想『ウルトラマントリガー エピソードZ』光と影の物語を継ぐ、トリガーの “画竜点睛”

時に2022年3月2日、東京・秋葉原にて『ウルトラマントリガー エピソードZ』のマスコミ向け・舞台挨拶付き完成披上映イベントが開催。
そして、マスコミでも何でもない一般社会人の筆者は、幸運なことに「オフィシャル宣伝隊員」というTSUBURAYA IMAGINATION会員の特別枠にて当イベントに参加させて頂くことができました。 

 

「宣伝隊員」という肩書き、加えて、イベント中にケンゴ役・寺坂頼我氏を初めとするゲストの方々から頂いた「宣伝してくださいね!」というお言葉。これはもう、是が非でも宣伝しなければ……となった訳なのですが、仮にそうでなかったとしても、本作『ウルトラマントリガー エピソードZ』は宣伝せずにはいられない作品でした。 

好きな部分と首を捻ってしまった部分のどちらも主張が激しく、けれどもその瞬間最大風速に泣かされてしまう。そんな『トリガー』らしい魅力に溢れた作品だったからこそ、広く宣伝したいし、一人でも多くの方に本作が届いて欲しい。 

そのためにも、以下に敢えて正直な……もとい正直すぎるかもしれない感想を (勿論、ネタバレ厳禁で) 記していきます。 

拙文を読んでくださった方が、本作の酸いも甘いも知った上で「見に行きたい」と思ってくださること。それを目標に書き綴った長文感想、是非お付き合いください。 


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ウルトラマントリガー エピソードZ (以下 “エピソードZ” ) 』は、約2週間後の2022年3月18日から全国劇場公開、同時に「ウルトラサブスク」こと「TSUBURAYA IMAGINATION」上で視聴可能となる『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA (以下 “トリガー” ) 』の新作エピソード。尺としては近年の劇場版ウルトラマンシリーズとほぼ同一の72分で、実質的な『劇場版ウルトラマントリガー』と言える作品だ。 

エタニティコアの暴走を止める為に単身旅立ったウルトラマントリガー=ケンゴ (寺坂頼我) の行方、ウルトラマンゼット=ハルキ (平野宏周) の帰還、新生GUTS-SELECT……等々、前情報の時点で気になるトピックが盛り沢山だった本作だが、印象的だったのはその本筋が予告時点で全く見えてこないこと。 

正体不明のウルトラマン=イーヴィルトリガーの参戦や赤い目のウルトラマンゼット、不穏な気配を漂わせるタツミ元隊長(高木勝也)……と、本作の「敵」らしき要素は匂わされているものの、その輪郭は徹底してぼかされており、それは転じて「どういう物語なのか、前情報から全く読めない」という、ウルトラシリーズの作品としては非常に珍しい類いの不安と期待を抱かせてくれるものだった。 

(企画の趣旨からして「話題性」に重きが置かれた為だろうか)


では『エピソードZ』は実際のところどのような物語だったのか。 

結論から言うと、本作は『トリガー』のまさしく完結編であり、マナカ ケンゴという存在を締め括るに相応しい物語となっていた。



『エピソードZ』は、立ち位置としては『トリガー』の第26話と言える作品。最終回からそれなりの月日が流れてはいるが、決して「外伝」のような雰囲気はなく、直系の続編として「コアに還ったケンゴ」のその後にスポットが当てられることとなる。 

ただし意外なことに、本作において「ケンゴの帰還」にはそこまで大きな比重が割かれない。それよりも重要なのは、帰還したケンゴが向き合うことになるある一つの命題。なんと『トリガー』本編で明かされることのなかった「ケンゴにまつわる、ある一つの謎」こそが、この『エピソードZ』の主題 (テーマ) になっているのである。

 

そんな本作の物語において、個人的に白眉だと感じた点は大きく分けて3つ。 

1つは、本作最大のトピックと言える謎の巨人「イーヴィルトリガー」の存在意義だ。

一見すると、カルミラたち闇の三巨人と同じ「『ウルトラマンティガ』要素のオマージュ」的存在であるイーヴィルトリガーだが、両者はオマージュの方向性が全く異なっている。

 

『トリガー』において、ストーリーを通しての敵=所謂「ヴィラン枠」であったカルミラたち3人は、本家本元のカミーラ、ダーラム、ヒュドラとは全く異なるキャラ付けが行われていた。 

ダーゴン、ヒュドラムは原点の要素を広げる形でより人間的な幅のあるキャラクターとなり、一方、カルミラはカミーラの属性を色濃く受け継いでこそいたが、両者で全く異なる結末を辿ったことが印象的だった。 

総じて、「『ティガ』をリスペクトしつつも、原点をなぞるのではなく現代に相応しい新たな物語を描く」という『トリガー』のスタンスを象徴する、非常に特殊なオマージュキャラクターだったと言える彼女たち。そして、そのような「ティガを意識しつつも距離を置く」というスタンスが「NEW GENERATION TIGA」という副題と組み合わさったことで、良くも悪くも大きな反響を呼んでいたことは記憶に新しい。

 

kogalent.hatenablog.com

(闇の三巨人についての考察など、トリガー本編についてはこちらの記事をご参照ください)

 

では、同じ『ティガ』をオマージュしたキャラクターであるイーヴィルトリガーはどうだったのか……というと、こちらは(前述の反響をどの程度意識していたのかは不明だが)なんと清々しい程に直球のオマージュに溢れたキャラクターとなっていた。  

奇をてらわず「イーヴィルティガ」を受け継いだシャープなデザインは勿論のこと、その所作やアクションにも『ティガ』作中で見せたものが数多く取り込まれており、その様はまさしく「リメイク版イーヴィルティガ」。正直これだけでもお腹いっぱいになりそうなものだが、しかし、イーヴィルトリガーという存在に込められた最たるオマージュは「ストーリー上での在り方/立ち位置」にある。

 

前述の通り『トリガー』における闇の三巨人は、原点を意識しつつもその在り方や物語は大きく異なるものとなっており、特にカルミラの顛末は「原点と異なること」こそが『トリガー』の物語において大きな意味を持っていた。 

しかし、本作のイーヴィルトリガーはというと、そんなカルミラたちへの意趣返しに見えてしまう程には直球の「イーヴィルティガ」オマージュ。  

『ティガ』において、光であり、人であったティガ=マドカ・ダイゴに対し、ウルトラマンという「神」になろうとしたイーヴィルティガ=マサキ・ケイゴ。2人の関係はまさに「光と影(光あればこそ生まれる漆黒)」であったが、イーヴィルトリガーもまた、トリガー=ケンゴに限りなく近く、しかしその真逆を行くことですれ違う「影」として描かれている。 

イーヴィルトリガーという影の存在が、ケンゴ(より厳密に言うなら、本作の主題)という光を際立たせているという物語上の対象構造は『エピソードZ』の「トリガー完結編」としての意味合いをより強固なものとしているだけでなく、本家『ティガ』へのリスペクトとしても隙がない。その見事さたるや、これこそ「ファンが求めていた ”NEW GENERATION TIGA” 」だったのでは……?」と感じてしまうほどで、「イーヴィルトリガーのキャラ造形」においては是非安心して劇場に足を運んで頂きたい。 

(尺の都合などから、その “活躍ぶり” にはやや不満が残る方もいるかもしれないが、その内一部の演出は、上記のトリガーとの関係性やイーヴィルトリガーの在り方を加味すると非常に示唆に富んだものになっている。そのため、その意味を考察してみると腑に落ちてスッキリできるかもしれない)

 

このイーヴィルトリガーの見事な造形は、あくまでTV本編後だからこそできた、という側面も大いにあるだろうが、おそらくそれ以上に武居監督、そして脚本を担当された根元歳三氏の尽力によるところが大きいだろう。 

根元氏は『ウルトラマンZ』第19話『最後の勇者』において「原点をリスペクトした現代風の再解釈」を見事成し遂げた実績があり、今回も同様の形で大成功を収めたと言える。  

情報公開時は監督・脚本が共にTV本編のメイン担当ではないことが不安を呼んでもいた本作だが、後述の「武居監督の功績」も踏まえると、この采配は非常に見事なものだったと言えるのではないだろうか。

 


本作における2つ目の「文芸面の白眉」はGUTS-SELECTの奮闘ぶりだろう。  

トリガーと共に戦う防衛チームことGUTS-SELECTは、ナースデッセイ号やアキトの活躍によって、歴代ウルトラシリーズの防衛隊の中でも異色の活躍ぶりを見せた……反面、基本的にナースデッセイ号の中でのみ活動する4人=タツミ隊長、テッシン (水野直) 、ヒマリ (春川芽生) メトロン星人マルゥル (CV.M・A・O) や、メイン戦力であるはずのガッツファルコンの影が非常に薄いという、あまりに良し悪しの激しいチームであった。 

しかし、トキオカ新隊長 (中村優一) が加わった本作のGUTS-SELECTはそんな本編の鬱憤を晴らすかのような奮闘ぶりを見せてくれる。 

本編以上の連携を見せてくれるガッツファルコンや、意外な活躍を見せるヒマリといった各々の美味しい見せ場もきちんとありつつ、何よりのポイントは「GUTS-SELECTの奮闘が本作においては欠かせないものになっている」ということ。  

劇場版における防衛チームの奮闘、といえば『劇場版ウルトラマンX きたぞ! われらのウルトラマン』のXioが筆頭として挙げられるが、今回のGUTS-SELECTの「奮闘」はそういった方向性ではない。具体的な活躍や戦績を上げる……というよりも、彼らの戦いが、その叫びが、本作の主題に大きく関わっているのである。

 

本編ではどうしてもケンゴ、ユナ(豊田ルナ)、アキト(金子隼也)、イグニス細貝圭にお株を奪われてしまっていたGUTS-SELECT。本作はそんなGUTS-SELECTの、まさに「汚名返上編」と言える作品になっており、彼らの「思い」を感じさせてくれる繊細かつ熱い画には、緻密な人間ドラマの描写・演出を得意中の得意とする武居監督の手腕が存分に発揮されていたと言えるだろう。

 

 

そして3つ目は、前述の「イーヴィルトリガーの存在」や「GUTS-SELECTの奮闘」を受けて、件の “謎” の答えが明かされるクライマックスシーン。  

これはもう、皆さんに是非その目で見届けて欲しい。BGMの選曲やケンゴらの台詞・名演ぶりなど、全ての要素が大きなうねりになって結実するカタルシスにはただただ涙するしかなく、映画のクライマックスとして、TV本編とはまた異なる『トリガー』の一つの到達点として、明かされる “答え” を含めて掛け値なしに素晴らしいと言える名シーンとなっていた。  

また、この一連によって『トリガー』本編において若干扱いの悪かった “ある存在” が新たな存在価値を得て、これまた大きな面目躍如ぶりを見せているのも見逃せないポイント。そのことを含めて、件のシーンは『トリガー』本編が好きな方ほど感極まるものになっているように思えたし、『トリガー』本編があまり響かなかったという方にも「このシーンは響くものがあるのでは」と思えてならない。 

(筆者はこのクライマックスが “完全な予想外” かつ “心のどこかで求めていたもの” だったこと、そして演技や演出の素晴らしさもあって号泣しました。武居監督、ありがとうございます……! そして隣に座られていた方、すみませんでした……)

 


これらの点から、個人的には非常に満足度が高いと感じた『エピソードZ』であるが、一方では、やや「時間/予算が足りなかったのかな……」と感じてしまう面もあった。 

最も顕著だったのは、本作における『ウルトラマンZ』要素が前述の本筋とあまり上手く噛み合っていないこと。    

   

上記のインタビューでは「エピソードZの脚本製作には “トリガーとゼットの共演” 以外の縛りがなかった」とあるのだが、それにしては、まるで「トリガーとイーヴィルトリガーの物語に後付けで『ウルトラマンZ』が放り込まれた」かのような塩梅になっていた。それこそ、実はその縛りが追加されたのはある程度脚本が進んだ段階での話ではないか、と思えてしまうほどに。 

とはいえ、それでも彼らの銀幕デビューを目にした時の感動たるや凄まじいもの。ゼットの初登場から始まる一連は、彼らの銀幕デビューに相応しい ”スクリーン映えする” 見事な演出がされており、ハッと息を呑むような美麗なカットの数々(と、ハルキの思わず笑ってしまうような所作)はまさに必見。 

しかし、だからこそ ”噛み合わなさ” がもどかしく、悪目立ちしているのも確か。『帰ってきたウルトラマンZ』と期待しすぎて肩透かしを食らわないよう、ある程度気構えをしておくのが無難と言えるかもしれない。 

(ハードルを上げすぎず「ゼットさんとハルキの銀幕デビューを祝う」スタンスで臨むのが個人的にはオススメ)  

 


他にも、本作は些か「特撮」面の迫力にかけるきらいがあった。体感としては『劇場版ウルトラマンR/B セレクト! 絆のクリスタル』が近く、一言で言うなら「面白い画はたくさん見れるものの、ややメリハリに欠ける」と言った具合。

 

武居監督は初監督となる『ウルトラマンオーブ』から同様の傾向があったが、近年は『Z』第12話「叫ぶ命」や『トリガー』第6話「一時間の悪魔」などでケレン味のある名カットを数多く披露していたため、本作の特撮が全体的にややスローテンポだったのは非常に惜しまれるところ。 

また、ミニチュア特撮以外の「変身シーン」のような細かな特撮も (凝っているものもあるのだけれど) 全体的にややテンションが抑え目で、総じて本作は特撮方面のパンチに欠ける印象が強い。 

とはいえ、本作の背景事情を考えれば「スケジュール・予算共に厳しめ」な製作体制だったことは明白。その点も踏まえ、あくまで『TVシリーズの一編』として見るならば、本作は前述の “面白い画” の多さがむしろ魅力として感じられるだろう。 

(尚、試写会に行った方のうち何人かがツイートされている「劇場で拍手が起こった」という報告は、一見して受ける「感動で拍手が起こった」というものとは意味合いが大きく異なっているため、その点にはあまり期待しない方が安全かもしれない)

 

Believer

Believer

  • マナカ ケンゴ (寺坂頼我)、シズマ ユナ (豊田ルナ)、ヒジリ アキト (金子隼也)
  • アニメ
  • ¥255


『エピソードZ』の魅力だけでなく、欠点について正直に書いてきた結果、到底「オフィシャル宣伝隊員」の書く文章じゃないな……と思われている方、大丈夫です。筆者も思ってます、冷や汗かいてます。 

しかし、全てはこの作品を見てほしいから、そして『エピソードZ』に満ちた数々の魅力が忖度のない真実であるとはっきり示したいから。だからこそ、自分の気持ちを包み隠すことなく(ネタバレに触れない範囲で)全てを正直に書いた次第です。

 

確かに、本作は「完璧」とは言い難いものかもしれません。しかしそれでも、本作は『トリガー』の後日談として、補完として、まさしくその存在が見事な「画竜点睛」となっていました。この作品があってこそのトリガーであり、「これを見ずしてトリガーは終われない」とさえ言い切れます。  

特に、前述したクライマックスのとある一連。その感動は劇場で見てこそ一層輝くものであり、「このシーンの為だけにでも、エピソードZを劇場へ見に行く価値がある」程に素晴らしいものだと強く感じました。

ここまでの強烈な思いを感じさせてくれたのは、ニュージェネレーションシリーズの劇場版では『劇場版ウルトラマンX きたぞ!われらのウルトラマン』と『劇場版ウルトラマンジード つなぐぜ! 願い!!』のウルトラマン登場~戦闘シーン。逆に言えば、ドラマによってここまでの熱情を掻き立ててくれる作品は、少なくともニュージェネレーションシリーズでは初めてのもの。そんな作品が「トリガーの完結編」として生まれてくれたこと、そのことを筆者は心の底から嬉しく思うのです。

 

 

『トリガー』の完結編にして、TV最終回とはまた異なる集大成となっている『エピソードZ』。 

本編に胸を打たれた方もそうでない方も、TSUBURAYA IMAGINATION、可能であれば是非劇場にて『トリガー』の終着点、そして、マナカ ケンゴという一人の人間が掴んだ “答え” を見届けてください。   

約2週間後の公開日、2022年3月18日。一人でも多くの方が『エピソードZ』をご覧になり、この暗い時勢に負けないほどの眩しい笑顔を浮かべられることを願っています。スマイルスマイル!

感想『JUNK HEAD』”製作期間7年のストップモーションアニメ” で紡がれる、歪で眩しい「人間賛歌」

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皆さん、昨年冬に彗星のごとく現れ、あらゆる人々をその可愛さ (となんだかよく分からない “凄み” ) で虜にしていった作品『PUI PUI モルカー』覚えていますか。

 

モルカーのテーマ

モルカーのテーマ

  • 小鷲翔太
  • アニメ
  • ¥255

 

僕は覚えてます、っていうか大好きです。Blu-ray買うくらいには好きです。推しはシロモなのでゾンビ化した時には本気で凹みました。あの世界のゾンビ化がフォームチェンジレベルのクッソ軽い概念だったので助かったんですけど、すんなり戻れると分かってしまうとそれはそれであのゾンビシロモが可愛く見えてくるんだから不思議なもので。飼い主と良好な関係を築いてレタスをパリパリ食べている良い子なシロモちゃんが、時折ゾンビの姿に戻って ““悪 (Eat a hamburger) ”” を働いている……畜生、なんて深い “”闇“” だ……ッ!!!!

 


(記事の主題が)違ァう!!!!!!!!!!!!

 


そんな感じで (?) 多くの人がモルカーの襲撃に阿鼻叫喚の中、急速に注目された作品形態が「ストップモーション・アニメーション (以下、“ストップモーションアニメ” ) 」。 

「静止している人形やジオラマを少しずつ動かしていき、その過程を1コマずつ写真撮影。撮影した写真を連続して流すことで、あたかも “動いている映像” のように見せる」 

という手法で作られる “実写アニメ” ことストップモーションアニメは、件の『PUI PUI モルカー』以外にも『ピングー』『ニャッキ!』に代表されるクレイアニメ (被写体が粘土製のストップモーションアニメ) や『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』などメジャーな作品が数多く存在し、我々にとっては存外身近で親しみ深い作品形態だったり。

 

しかし、ストップモーションアニメはその撮影手法上、とにかく凄まじい手間がかかるのが大きな難点。それもそのはず、人形やジオラマをほんの少し動かしては写真を撮り、またほんの少し動かしては写真を撮り……それを無数に繰り返しても、作れる映像はごく僅か。「そこにある」が故の独特のリアリティやその素材感が、イラストやCGによるアニメーションにはない独自の魅力を産み出すストップモーションアニメだが、そう易々と作れるものではないのである。 

 

しかし。


そんな壁を異様な執念で乗り越えて、1時間40分もの映画を「ストップモーションアニメで」創ってしまった漢がいた。


漢の名は、堀貴秀。 

「元内装業」の彼が 

「独学で作り始め」 

「7年もの時間をかけて」 

「原案、絵コンテ、脚本、編集、撮影、演出、照明、アニメーター、デザイン、人形、セット、衣装、映像効果、音楽の全てを一人で担い」 

「総ショット数約14万コマを持って」作り上げた奇跡の映画。

 

 

それこそがこの『JUNK HEAD』である。

 

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『JUNK HEAD』は、奇しくも『PUI PUI モルカー』の最終回とほぼ入れ替わりとなる2021年3月26日に公開された劇場用作品。海外で発表されるや否や、北米最大のジャンル映画祭との呼び声も高い「ファンタジア国際映画祭」で最優秀長編アニメーション賞を受賞するなど数多の功績を叩き出し、その波に乗って日本に逆輸入。まさに「凱旋」と呼ぶべき異例の国内デビューを飾った映画だ。

 

しかし、その雰囲気は上記メインビジュアルの通り極めて異質なもの。 

正直、最初にこのメインビジュアルを目にした時は、その強烈な不気味さに嫌悪感を抱いてしまったし、予告PVを見るとその感覚は一層強まっていった。「人間の言語が登場しない完全字幕」というスタイルも足踏みの要因だったように思う。

 


結果、この映画が国内で大きな話題を集めても、筆者の好みをよく知る友人からオススメされても、2週連続でミニシアター系映画ランキングで1位を獲得し、14日間で興行収入2千423万円、観客動員数1万7千人を突破という異例の大ヒットを叩き出しても、映画館に足を運ぶことはなかった。 

ところが、公開から約1年が経った2022年2月、突如として『JUNK HEAD』がAmazon  primeの見放題作品に追加。根強く同作を熱く支持し、「むしろ自分より君の方が好きなはずだ」と語る友人に背中を押され、それならば……と、意を決して視聴したのが昨日の朝10時。 

 

参りました。

 

予想通りと言うべきか、確かにこの映画にはグロテスクなシーンや悪趣味な映像が多く、中には思わず渋面してしまうようなものさえあった。 

しかし、本作はそれ以上に好みの要素が満載で、かつ純粋に面白い、想像よりずっと真っ直ぐなエンターテインメント作品だったのである。

 

 

※以下、ネタバレ注意!

 

 

『JUNK HEAD』のイントロダクションは下記の通り。  

 

舞台は遥か未来、環境破壊が止まらず、地上が汚染されきった地球。

地下に新天地を求めた人類は、その開発の労働力として人工生命体「マリガン」を創り出す。しかし、自我に目覚めたマリガンはやがて人類に離反し、逆に地下世界を乗っ取ってしまう。

それから1600年後、地下への希望を捨てた人類は、代わりに「遺伝子操作 (というより肉体改造手術?) により、永遠の命を持つ半機半人のサイボーグになる」という道を選択。完全なるリモート社会を作り上げ、どうにか汚染された世界から身を守って生き延びていた。ところがある日、そんな人類に新種のウイルスが襲いかかり、実に人口の30%もの命が失われてしまう。 

サイボーグ化の代償として生殖能力を失っており、絶滅の危機に追い込まれた人類。彼らは最後の手段として、地下世界で進化を遂げていたマリガンから人類再生に繋がる情報を取得するという計画を開始。 

そんな地下調査計画に名乗りを上げたのが、本作の主人公(ロバートという名前だが、その名は劇中で語られない)。生徒が激減したダンス教室の講師である彼は、一発逆転の夢と冒険のロマンを求めて地下へ向かうも、そこに待っていたのは……。

 

 

と、以上が本作のプロローグにあたる部分。本編はこの主人公が地下に降下する場面から始まるが、なんとこの主人公、降下早々に人型のマリガンから銃撃を受けて爆散してしまう。 

胴体が切り離され、頭だけになった主人公 (爆速タイトル回収) は、地下世界で暮らしていたマリガンの博士に拾われ、赤ん坊のような身体を与えられる。こうして誕生するのが、メインビジュアルに描かれている奇妙なロボットだ。


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主人公が降り立った未知の地下世界だが、その第一印象は限りなく最悪に近い。なにせ、分かってはいたことだがとにかくビジュアルが強烈なのだ。 

地下世界で暮らす人工生命体、マリガン。彼らは、その遺伝子情報の不安定さ故に様々な形態が種として存在している。 

その内、まず主人公が出会うのが前述した「博士」とその助手たち。


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これが博士。


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これが助手。


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これが…………

 

筆者「なんかやべぇもの見ちゃってるよ僕ゥ……」

 

内面はともかく、凄まじいビジュアルを持つ面々に囲まれる主人公。常人ならもう発狂待ったなし、少なくとも筆者は「やっぱりこの映画ダメかもしれん………………」と思ってしまうこの状況下、不幸中の幸いか、爆散したショックで主人公は記憶喪失になっていた。 

博士は、空から落ちてきたことから主人公は「人間」であると推測。そして主人公に「人間はマリガンにとっての創造主であり、神様のようなもの」だと伝える。主人公も驚くが、それ以上に驚いたのが、研究所に雇われている謎の3馬鹿……もとい3兄弟。主人公は、自らを「神様」と呼び慕う彼らに連れられ、研究所で共に働くことになる。これが本作序盤の大まかな流れだ。


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この3兄弟は、マスクをしているおかげで顔が分からない (=あんまり怖くない) ことや、そのおバカ……もとい軽妙でフランクな人 (?) 柄もあって、本作序盤の癒しと言える存在。主人公は彼らに倣って資源回収の仕事に精を出そうとするが、そこに現れるのが「グローム」という更なるマリガン。


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え、EVA量産機 (↓) さん!?!?!?!?!?

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このグロームの他にも、サンドワームや蜘蛛のような姿をした「虫」と呼ばれる凶暴なマリガンが地下世界には複数存在しており、地下世界に慣れない主人公はそれらに襲われたり飲み込まれたり (?)  吐き出されたり (??)  千切られたり (?????) して、最終的にはまたしても頭だけになってしまう。開始30分にして2度目のタイトル回収、サスガダァ……。 

こうして再びジャンクヘッドと化した主人公と、その壊れた身体パーツを拾ったのは、巨大な機械を皆で動かしながら暮らしている「バルブの村」という集落の技術者。ゴミを回収しては何かに使えないかと四苦八苦している彼は、明らかに単なるロボットではない(人間なので)その頭に可能性を見出だし、主人公に新たな身体を与える。


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ジャンクヘッド第2形態、爆誕……ッ!!
(本作は、主人公がこのように段々とその姿を変えていくのも楽しみの一つだ)

 

生まれ変わった主人公は、しかしまたも記憶を失っており、喋ることもできなくなっていた。そのポンコツぶりから「ポン太」と名付けられた彼は、村の小間使いとして食料の買い出しに行くことになる。 

こうして一時的にバルブ村を出たポン太、もとい主人公。たかがお使い……ではあったが、彼は記憶喪失であること、そして喋れないことを利用されて食料を奪われたり、食料を取り返したものの巨大な蜘蛛型マリガンに襲われたりしたことで、食料を片手に広大な地下世界を彷徨うことになってしまう。


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この中盤パートは、主人公を騙す (が、その後報いを受けるかのように蜘蛛型マリガンに補食されて死亡する) 悪辣な詐欺師マリガンへのストレスや、主人公が持ち帰ろうとする食料を狙う無数の「異形種」と呼ばれるマリガンの不気味さ、そして若干の間延び感などから視聴にストレスが伴うパートでもある……のだが、同時に、このパートこそが筆者に「この作品好きだ……」と技術面以外で思わせてくれた最初のパートでもある。


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( “異形種” のマリガン。知性があるのかどうかハッキリしない、見た目込みで非常に不気味な存在だ)

 

というのも、これまでの『JUNK HEAD』の舞台は、博士の研究所とその周辺、そしてバルブ村というやや狭苦しく、スケールの小さい世界だった。それはおそらく不気味さの演出材料、あるいは地下世界の限界を示すメタファー、そして「ストップモーションアニメ」であるが故の物理的な限界なのかもしれない、と感じていたのだ。 

しかし、それは違った。 

この中盤パート、道に迷った主人公が様々な場所を旅しながらバルブ村に帰っていくシーンでは (公式公開の画像がないため掲載できないのが非常にもどかしいのだが) まさに山あり谷ありといった、広大な「地下世界の多彩な表情」を見ることができる。 

我々の知るどの景色とも異なる、それそのものが美術品であるかのような、幾何学的でどこか退廃的でもある景色。そして、そんな世界を旅するボロボロのロボット主人公。 

その画の不可思議さと、「確かにそこにある」という実写作品故の奇妙なリアリティ。同居するはずのないその2つの要素が融合した、まるで夢の中のような「脳が違和感を覚える」奇妙なトリップ感を伴う視聴体験。それは言葉では表せないセンセーショナルなもので、その感覚だけでもこの映画を見た価値があった、と思えてしまったのだ。

 

 

そうした主人公の旅路によって示される、地下世界の広大さ。ここでようやく、視聴者はこの地下世界の在り方を俯瞰することになる。 

本作は用語説明のようなシーンが少ないため、この世界については、博士の研究所やバルブ村のような小さな集落が各所にある……というような漠然としたイメージを浮かべることしかできない。しかし、この旅を持って、地下世界も「地上と同じような広い世界」であることが分かる。故に、そこには「集落に属せなかったもの」たちも確かに存在している。 

ロームのような「理性を持たない野性動物」ではない、謂わばスラム街を生きる孤児のようなマリガンがこの中盤では数多く現れる。ボロボロのコートを羽織った女の子のマリガン=ニコと、その友人であるホクロもまた、そんな孤独なマリガンだった。


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(左=ホクロ、右=ニコ 見え辛いが、ニコには人間のように髪の毛が生えており、所謂”メカクレ” 的なデザインになっている)

 

世界の広さが描かれると同時に、その残酷な現実が浮き彫りになるのがこの中盤パート。ニコの過去はごく短い回想シーンで語られるのみだが、彼女は天涯孤独であり、村に所属するマリガンのような “裕福な” 者たちに嘲られ、石を投げられながら育ってきたことが伺える。 

マリガンは人間とは異なる種であるが、所詮は人間から創られたもの。知性を持つマリガンたちの間では、地下という資源の少ない世界という環境も手伝って、まるで人間のように苛烈な格差社会が出来上がっていたのである。
(しかし、マリガンの中に所謂 “金持ち” 然としたキャラクターは見られない。この世界で生きるには、普通かドン底かというシビアな二択が突き付けられてしまうのだ)

 

しかし、捨てる神あれば拾う神もいる。死を待つしかない赤ん坊だったニコは、たまたま通りがかった老いたマリガンに拾われ、彼の連れていたマリガン=ホクロと共に、貧しいながらもまるで家族のように成長していたのである。 

その後老マリガンが亡くなり、今も苦しい暮らしを生きるニコと、そんな彼女と共に過ごし、今も「主人公が落とした食料」を届けようとするホクロ。しかし、ニコはそれを追ってきた主人公を見て、歯噛みしながらも食料を返す。 

そんな2人を見た主人公は、「食料をその場に置いて」去っていくのだった。

 

 

『JUNK HEAD』が描くのは、なまじ人間を元にしたマリガンという生命体が、資源の少ない地下という世界で繁栄してしまったが故に生まれてしまったディストピア。 

マリガンたちに心の余裕はなく、故に、マリガンたちはお互いを罵り、傷付け合い、奪い合う。そして、それさえできないマリガンたちは生きることさえ満足にできていない。マリガンは、その姿こそ人ならざる異形だが、その内面は、むしろ恐ろしいほど正確に人間なのだ。むしろ、その醜悪な姿は人間の心が形になってしまったのかも、とさえ思わされてしまう。

 

その不完全な地下世界の在り方は、『JUNK HEAD』における地上世界と対応している。 

不完全であるが故に、人々が傷付け合う残酷な世界である地下世界。一方、テクノロジーの発展によって限りなく完全で平和になった地上世界。 

一見すると、地上世界の方が望ましい世界だろう。しかし作中後半、主人公は「地上では思えなかったけど、今は生きてるって感じがするんだ」という思いを口にする。 

何を持って、彼は不完全な地下世界に「生」を見出だしたのか。周囲のことは全て機械操作で進み、人々とのやり取りがフルリモートとなっている地上世界の描写を思えば心当たりはいくつもあるが、その一つは、闇の溜まった地下世界だからこそ煌めく “人と人との温かな繋がり” だろう。


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ニコは食料を分けてくれた主人公に恩義と親しみを感じ、バルブ村の近くまで顔を出すようになる。彼女はあわや村の子ども ( "悪辣な子ども"の 再現度が異様に高い) たちに襲われそうになるが、どうにか主人公が救出。このことをきっかけに、主人公とニコ=ロボットとマリガンの友情が紡がれていく。 

言葉さえ話せない余所者と、コミュニティに属せなかった貧しい被差別者。姿形関係なく、お互いの些細な善意がきっかけとなってコミュニティよりも強固な絆が紡がれていく……というその物語は昨今決して珍しくはないものの、『JUNK HEAD』の徹底してほの暗く歪な世界観の中では、その絆は字面以上に眩しく温かい。 

確かに、完璧な世界では苦しみも悲劇も生まれないだろう。しかし不完全な世界だからこそ、こういった絆も生まれ、それが未来に繋がっていく。 

悲劇を生むが未来も生む。『JUNK HEAD』の不気味かつ不完全で、しかし可能性に満ちた地下世界は、それそのものが人間という存在のメタファーになっており、そんな世界で描かれる眩しい絆は、まさに本作だからこそ描けた「人間賛歌」と言えるだろう。


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主人公がようやく帰還したバルブ村には、何処からか不穏な影が迫っていた。作中序盤に現れたグロームに似ているが、しかし更に凶悪な謎のマリガンが村の周辺に現れ始めてしまうのである。 

(主人公もその餌食になってしまうが、ニコのおかげで事なきを得る。ええ子やニコちゃん……)

 

そこで、バルブ村の面々は対策として「地獄の三鬼神」と呼ばれるハンターたちを呼ぶことになる。作中中盤、まるでエセ都市伝説のような扱われ方をしていたこの単語が、なぜこんな所で持ち出されてくるのか……と首を傾げていると、現れたのはなんと――


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お前らかよ!!!!!!!!!!!!!!!!

 

もはや過去のものとなっていた「作中序盤」とバルブ村の「現在」がなんとここで完全リンク。なんて……なんて熱いクロスオーバー……!! 

同じ作品やろがい! と言われたら返す言葉もないのだけれど、バルブ村に舞台を移してから研究所組の話は一切出てこない上、主人公の記憶もなければ姿も違う。実際に見てみると、両者が「別の世界」のような認識になってしまうのはもう無理もない話なのだ。 

そんな状況で現れる「地獄の三鬼神」……ッ!!  いやそもそもお前らそんな凄いヤツだったの!? 

このシーンはもう笑い所も笑い所。衝撃のクロスオーバーに感動しながらも声を出して笑ってしまっていたのだけれど、考えてみれば、彼ら3人もまた主人公の「友達」だった存在。これまで世界の残酷さが描かれてきた分、彼らの帰還には素直に胸が温まってもしまう。伏線を回収しつつ、彼らの登場だけで滝のようにカタルシスを叩き込んでくる、様々な意味でこの映画に欠かせない名シーンと言えるだろう。

 

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ここから、物語は怒濤の終盤へと突入していく。 

バルブ村に来るや否や主人公のかつてのボディパーツを見付けた3人は、ポン太の正体が変わり果てた主人公=あの「神様」であることを突き止める。衝撃の真実 (神様ではないのだけれど) を知り彼を崇め始めたバルブ村の人々は、持ち合わせの資材で主人公に新たな身体を提供する。

 

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(遂に最終形態……! 最初の姿をリスペクトしつつ、より洗練されたフォルム。これはもう実質ダブルオークアンタなのでは……?)

 

こうして新たな身体を得た主人公は、三鬼神とのやり取りによって、以前の記憶=研究所側での出来事、そして自分自身の使命を思い出す。 

彼の目的が「マリガンの生殖情報の回収」にあることを知ったバルブの村の技術者は、遥か遠くに「生命の木」というマリガンの母体のうち、現在も生きている最古の個体があるという情報を伝える。


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生命の木に辿り着ければ、主人公の求めている情報が手に入るかもしれない。早速出発の準備を始める一同だったが、主人公は村の片隅にニコを発見。思わず駆け寄っていくが、ニコはどこか挙動不審な様子を見せる。

 

「聞こえた。神様だって」
「いや、そんなんじゃないよ! 村の人に食べ物を貰えるように言っておくよ」
「ありがとう。でも……あの、お願いが」
「何?」
「あの……えーと……キレイに、してほしい」
「そんな事はできないよ」
「神様なのに?」
「違うけど……でも、そんな事気にする必要ないよ。そのままでカワイイと思う」

 

ぼふん、と音を立てて赤面するニコと主人公。一見するとひたすらニヤニヤしてしまうスーパー癒しパートだが……いや実際スーパー癒しパートである。無限に見たい。 

しかし、神様という立場 (?)を得つつキレイに生まれ変わった主人公に対して引け目を感じてしまうニコと、そんな彼女に「そのままでカワイイ」と返す主人公……というこのやり取りは、まさに前述した「不完全な世界だからこそ輝くもの」の一つの象徴。「大切なのは姿形ではなく、その在り方 (心) である」という、先の2人のやり取りでも示されていた普遍的なメッセージが、ここでよりハッキリと言葉にされているのだ。

 

『JUNK HEAD』には(これまで書ききれなかった部分も含めた)、その全編に同様のメッセージが散りばめられている。 

本作は確かに不気味で、ナンセンスな演出も数多くある作品。その点は個人的には苦手なのだけれど、本作を見ていると不思議と楽しく、背中を押されるような思いもある。それは折に触れて挿入されるコメディシーンの秀逸さもあるが、それ以上に件のメッセージが作品全体を貫く骨子になっているからだろう。

 

それはそれとして主人公とニコの絡みは永遠に見ていたい。もっとイチャつけ!!!!!!!!!幸せになれ!!!!!!!!!!!!!!!!!! 

……と、そんな視聴者の望みを叶えてくれるのが俺たちの『JUNK HEAD』。地獄の三鬼神と共に出発した主人公だったが、なんと4人の背後には、その跡をひっそりと追いかけるニコとホクロが! 

主人公たちの道のりは「危険な旅になる」と言われており、こんな所にいては危ない、と慌てて駆け寄る主人公。しかし、大量のフラグが恐るべき敵を呼び寄せてしまう。地獄の三鬼神を呼ぶきっかけとなった凶悪なマリガン=トリムティだ。


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俊敏かつ頑強なトリムティには銃火器が通用せず、追い詰められた……かに見えたが、依然余裕の地獄の三鬼神。彼らは怪しい注射器を取り出し、「でも、これやると次の日しんどいんだよね……」などと露骨にその薬の正体を匂わせてくる。 

彼らが自らにその注射器を打った瞬間――

 

 


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お分かりいただけただろうか。


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覚醒

覚醒

  • Superfly
  • ロック
  • ¥255


そんやこんなでパワーアップした三鬼神は、およそストップモーションアニメとは思えない、アクション映画顔負けのアクロバティックなバトルを展開、トリムティを圧倒する。上記の画像はまさにその真っ最中の光景だ。
(天地無用のアクションに高速回転にと、このパートの “どうやって撮ってるの” 感は一際異常)

 

激戦の末、三鬼神は遂にトリムティを行動不能状態にまで追い込むことに成功するが、しかし、その戦いと平行して起こっていた “ある出来事” の影響で、バルブ村を中心とした一帯の地殻が不安定になっていた。 

トリムティを倒したのもつかの間、巨大な瓦礫が一行を襲う。主人公があわやその下敷きになろうかというその時――三鬼神のうち2人、フランシスとジュリアンが主人公を庇い、犠牲となってしまう。


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(人形のため主人公の表情は変わらないが、このシーンは特に表情が “見えて” しまう。フランシスとジュリアンの生き様と最後のやり取りを含め、涙を禁じ得ない場面だ)

 

更に、事態に追い打ちをかけるようにトリムティが復活。残ったアレクサンドルも重傷を負い、主人公は絶体絶命の窮地に陥るが、そこを救ったのはニコとホクロ。2人の協力を得た主人公は捨て身の特攻を決意、半身を失いつつもトリムティにトドメの一撃を浴びせ、無事に勝利を収めるのだった――。

 



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何も終わってないんだが!?!??!!?!?!?

 

いや待って待って待って待って!? というこちらの叫びも届かず、大体全部堀貴秀で埋め尽くされている狂気のエンドロールに笑う間もなく映画は終了。と思いきや、なんと今作は「3部作のうち第1章」とのこと。ほっと一安心である。

 

 


……ん? 

え、待って。


完結は14年後ってことですか???????

 

(確かに『JUNK HEAD』は今作だけでは完結しないが、それでも面白い作品であることに変わりはないので、その点はご安心ください……!)


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映画の内容を振り返りつつ自分なりの感想を書き殴ってきたけれど、何よりも伝えたいのは「この映画、思ったよりストレートに面白いよ!」ということ。 

「新人監督が一人で作った大作ストップモーションアニメ」「伝説のカルトムービー」といった触れ込み、奇抜で不気味な世界観、不穏な雰囲気が溢れ出ているメインビジュアル……。そのどれもがおよそ広い客層に向けられたものではないし、少なくとも筆者は「自分はこの映画のターゲット層ではない」と思い込んでしまっていた。 

確かにそのような触れ込みも、メインビジュアルの方向性も決して間違ってはいない……のだけれど、この映画は決してイロモノではない。イロモノだと、自分には合わなそうだと思って忌避するのは本当に勿体無い作品なのだ。

 

ストップモーションアニメという手法で描かれるリアリティに満ちた世界は、監督の情熱と狂気以上に『JUNK HEAD』で描かれるキャラクターたちの「生の実感」を熱く伝えてくれる。 

不気味な世界観やデザインワークは、だからこそ本作のキャラクターたちの「眩しい心」を一層輝かせ、彼らに大きな愛着を持たせてくれる。 

『JUNK HEAD』は、想像されるよりずっと真っ直ぐで、闇を丹念に見せるからこそ光の眩しさが際立つ「上質なエンターテインメント映画」なのである。 

 

 

Amazon primeの見放題作品は、早いと数ヶ月でラインナップから消えてしまうのだという。もし「まだ本作を見ていないけど、これまでの文中で気になる部分があった」という方がいたならば、是非筆者を信じて『JUNK HEAD』の世界に飛び込んでみてほしい。暗く不気味に見える地下世界は、きっと想像よりずっと温かく、あなたを歓迎してくれるだろうから。

総括『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』 賛否両論の「令和版ティガ」は新時代の引き金となり得たのか

2022年1月22日。ウルトラシリーズの最新TV作品『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』が最終回を迎えた。

 

 

鳴り物入りで始まった本作だったが、タイムラインはそれはもう凄まじい賛否両論。1話も、作品の区切りと言える12話も、そして最終回も、『トリガー』という作品は常に賛否両論の中にあり、ここまで終始嵐の中にあったウルトラシリーズは、平成生まれの筆者からすると初めてのものだった。 

良い点も悪い点も数知れず、ウルトラの歴史に壮絶な1ページを刻んでみせた『トリガー』。「NEW GENERATION TIGA」という高すぎるハードルを引っ提げて現れた光の巨人が築いたものは何だったのか、玩具周りの事情や筆者自身の感想も交えつつ、その功罪を振り返ってみたい。

 

※以下、作品に肯定的な内容/批判的な内容がどちらも含まれます。ご注意を!

 


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ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』は2021年に放送開始したウルトラマンシリーズTV作品で、ウルトラマンシリーズ55周年、そして『ウルトラマンティガ』25周年を記念したアニバーサリー作品でもある。

 

ウルトラマンギンガ』から始まる「ニュージェネレーションシリーズ (以下 “ニュージェネ” ) 」としては9作品目となるが、前作『ウルトラマンZ』や『劇場版ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』が共にニュージェネの集大成的作品であったことを踏まえると、『トリガー』はどう区分されるのか、円谷サイドの明確な回答は示されていない。   

ただし、その点は発表当時、全くといっていいほど話題に上らなかった。それもそのはず、発表された本作の内容は色々とそれどころではなかったのだ。

 

「NEW GENERATION TIGA」という、分かるようで分からない謎の副題。 

ウルトラマンティガと多すぎる共通項を持った新たな戦士「ウルトラマントリガー」。 

現役アイドルグループ「祭nine.」のメンバーである寺坂頼我氏が演じる主人公、マナカ ケンゴ。 

終いには「TPU」そして「GUTS-SELECT」という、オマージュという言葉では済まされないティガ要素の数々……等々。

 

これら『ティガ』を感じさせる要素の多さ、そして、これまでのアニバーサリー作品とは全く異なる未知の方向性に対し、Twitterはそれはもう凄まじい大騒ぎ。 

その様相は、お祭りというよりもむしろパニックのそれに近く、ティガ要素に歓喜する声よりも、困惑と悲鳴 (と怨嗟) の叫びが多く見られたのが印象的だった。


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( ↑『トリガー』発表直後のTwitterトレンド。第1話の舞台が火星ということもあって、一時は「ティガの続編」説が濃厚だった)


とはいえ、それだけファンにとって『ティガ』が偉大な作品であるというのはもはや語るまでもなく、製作サイド=円谷プロダクションとしても、同作の大きさを認識していないはずがない。それを裏付けるように、発表されたスタッフは実に錚々たる顔ぶれだった。

 

メイン監督は、言わずと知れた坂本浩一。そしてシリーズ構成はウルトラシリーズ初参加となるハヤシナオキ氏と、遂にメイン格への登板となった足木淳一郎氏のタッグ……! 

この「メイン監督:坂本浩一×非特撮ライター×ニュージェネ常連ライター」という組み合わせは、同じく坂本監督がメガホンを取り、シリーズ構成を小説家の乙一氏、シリーズ構成協力を中期ニュージェネ常連の脚本家、三浦有為子氏が担った『ウルトラマンジード』の流れを汲むように思える。 

田口清隆監督による大ヒット作品『ウルトラマンオーブ』の次作として、粗はありつつも圧倒的な爆発力とキャラクターの魅力で新境地を拓いた『ジード』。田口監督による偉大な傑作『ウルトラマンZ』を受けて始まる『トリガー』がそのような更なる飛躍を期待されたことは想像に難くなく、『ジード』を思わせるスタッフ陣となったのは決して偶然ではないのだろう。

 

 

このように、放送前時点で既に期待値のハードルが (おそらくニュージェネ最大級の) 凄まじい域に達していたのが『トリガー』という作品。 

レジェンド中のレジェンド作品『ウルトラマンティガ』をその看板に背負い、更に前作が『ウルトラマンZ』であることで、『トリガー』は「これまで以上にハイレベルな特撮」そして「作り込まれた物語」を求められ、挙げ句の果てにはバンダイから「更なる玩具売り上げ」をも求められていたことが随所で散見されている。

 

では、実際に完結を迎えた『トリガー』は果たしてどのような作品となっていたのか。 

① 特撮/映像 

② 玩具 

③ 文芸 

これら3つのトピックに焦点を当てて、『トリガー』という作品の軌跡を振り返ってみたい。

 

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前述した3つのトピックの中で、最も明快に答えが挙げられるのは「① 特撮/映像」についてだろう。  

結論から言うならば、『トリガー』は (『Z』の好評を受けてか) 画作りにこれまで以上の力が入れられた作品であった。そのことは製作側も積極的にアピールしたかったらしく、特に坂本監督がメガホンを取った1~3話の特撮はそんな背景が透けて見えるほどの圧倒的な熱量に満ちていた。

第1話『光を繋ぐもの』では、初回にして地球外の惑星=火星が舞台となり、ドラマパートの時点から斬新な絵をいくつも見ることができたが、やはり見所は戦闘シーン。 

「火星での初陣」という『ウルトラマンダイナ』ファンなら思わずニヤリとなるシチュエーションで繰り広げられるトリガーの初戦は、火星という新鮮な舞台、そして相手はゴルバーとカルミラのタッグ……と、これだけでもお腹一杯になりそうなものだが、トリガーが登場するや否や『Z』第7話のスカルゴモラ戦で大きな反響を呼んだ「立体カメラワークによる縦横無尽な戦闘シーン」が展開されたり、カルミラとの戦いの中で雨が降り始めたりと大盤振る舞い。ゴルバーへのフィニッシュも、ゼペリオンソードフィニッシュ (ナパーム大爆発) からのゼペリオン光線 (人形爆破) と至れり尽くせりで、歴代ウルトラシリーズの中でも指折りの豪華さを誇る初回だったと言っていいだろう。

 

つい今後が心配になってしまうほどの豪華絢爛ぶりだった第1話。しかし、第2話『未来への飛翔』でもその勢いは止まらず、なんと僅か20分ほどの尺で「ギマイラを昼の市街地で撃破」「ダーゴンと夜の市街地で激突→ダーラムVSティガを思わせる水中決戦」と、実に3つもの舞台での戦いが描かれるという驚異のフルコースぶりを見せてくれた。  

加えて、続く第3話『超古代の光と闇』において舞台となったのは暗雲漂う市街地と美しい夕景……と、恐ろしいことに第3話に至るまで「トリガーが戦う舞台がどれ一つとして被らない」のである。  

それら「視聴者を飽きさせまい」とする工夫の上で繰り広げられるパワータイプ、そしてスカイタイプの初陣は、それぞれ「CG・ミニチュア入り乱れたビル街での豪快な殴り合い」そして「ワイヤーアクションとCGの融合による天地無用の超高速戦闘」と、各タイプの個性が大胆に、いずれも作品のクライマックスバトルのようなテンションで描かれており、『Z』で巨大特撮のテンポ感をモノにした坂本監督の手腕とサービス精神が遺憾無く発揮された、まさしく最高のイントロダクションに仕上がっていた。

 

 

一方、『トリガー』ではそんな坂本監督の脇を固めた監督陣の画作りも粒揃い。 

本作のサブ監督には、田口清隆監督、武居正能監督といった『Z』立役者組は勿論、前作で監督デビューを飾った内田直之監督も続投。しかし、こと『トリガー』の特撮において印象的だった監督と言えば、辻本貴則(辻は一点しんにょう)監督、そして越智靖監督のお二方は外せないだろう。


すっかりニュージェネお馴染みの監督となった辻本監督が得意とするのは、田口監督に並ぶかそれ以上に緻密なミニチュア特撮や、『ウルトラマンタイガ』第23話のゼロVSトレギアに代表される、アニメ的かつケレン味の溢れる演出。そんな監督の技術と情熱の集大成と言える『Z』のウルトラマンエース客演回 (第19話『最後の勇者』) が大きな反響を呼んでいたことは未だ記憶に新しい。

 

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そんな辻本監督は、『トリガー』において第9話、10話、20話、21話、22話の5本を担当。 

本作でもそのミニチュア特撮への情熱は健在で、特に印象深いものとして挙げられるのはやはり「ガッツウイング客演回」と名高い第9話『あの日の翼』だろう。

シズマ財団の会長であり、ネオフロンティアスペースからの漂流者であるシズマ ミツクニ (宅麻伸) が操縦するガッツウイング1号がトリガーと共闘する、という展開だけでも胸躍るものだが、それ以上に「ミニチュアセットをフル活用したガッツウイング1号の発進シークエンス」「機体の火を巻き上げた水飛沫で消火する」といった “魅せ” の多さに撃ち抜かれた視聴者は多いはず。

 

しかし、こと『トリガー』においては辻本監督のもう一つの強みである「アニメ的演出」が非常に際立っていたように思う。 

同じ第9話でも「上空から急降下しつつ、サークルアームズ・マルチソードから展開した長大な光剣でガーゴルゴンを両断、爆発を背に残心」という、さながらロボットアニメのようなケレン味たっぷりのフィニッシュシーンが大きな話題となったが、『トリガー』においてそれ以上のハイライトと言えるのが第22話『ラストゲーム』。 

同話では、日本刀を携えたトリガーダークが宿敵・闇の巨人ヒュドラ (CV.高橋良輔) と切り結ぶという「ダークヒーローの美しさの極致」とでも言えそうなシチュエーションが展開。闇の中、光を反射して煌めく激しい剣戟は息を呑んでしまうほどに美しく、それでいて(時折差し込まれるスローモーション映像も相まって)「命のやり取り」特有の緊張感に満ちており、グリッタートリガーダークエタニティの登場と併せて、主人公格の一人=イグニス (細貝圭の物語のフィナーレをこの上なく華々しいものとしていた。

 

 

一方、越監督は長らくニュージェネの助監督を務められ、前作『Z』で本格的な本編監督デビューを果たすや否や、ビル街を縦横無尽に疾駆するホロボロス (第16話) ウインダムヨウコインパク (第17話) など、オーバーなくらい印象的な画を叩き付けていった期待のルーキー監督だ。 

そんな越監督が本作で担当されたのは、奇しくも前作同様に第16・17話。トリガーダーク (イグニス) のデビュー編とあって、フェイスオープンにリシュリアングリッター (下記、越監督のツイート参照) それはもうやりたい放題。作中唯一の「サークルアームズを持つトリガーダーク」という美味しいシチュエーションさえ霞んでしまうほどの清々しい大暴れぶりを見せてくれた。   

(サークルアームズと言えば、メツオロチへのトドメとなった「サークルアームズとグリッターブレードの二刀流によるエタニティパニッシュ」も大きな見所だった)  

 

しかし、そんな派手さの一方で行われた手堅い仕事ぶりも忘れてはならない。例えば、ウルトラでは久しく描かれていなかった地下洞窟を舞台とし、差し込む光が夜景ともまた異なる独自の美しさを見せていたトリガーとメツオーガの戦い (第16話)「ガッツファルコンに乗り込むケンゴ」「トリガーを総出で守るGUTS-SELECTメンバー」といった、作中なくてはならないシーンたち (第17話)……等々。 

これら魅力的な演出の数々は、越監督自身が『ウルトラマンマックス』以降長らく助監督を務められているというノウハウの蓄積、そして監督ご自身のウルトラシリーズへの愛によるところが大きいだろう。

 

そのような土壌を元に、派手さと堅実さを兼ね備えた「メリハリのある画作り」を行ってくれること。それこそが『トリガー』で確立された越監督の強みと言えるかもしれない。 

『タイガ』での辻本・武居両監督に通ずる飛躍的な成長を見せてくれた越監督。今後はどのような画を見せてくれるのか、更なる登板の増加と併せて期待していきたいところだ。 

( ↑越監督のウルトラ愛の一例。なんと『タイガ』第13話のOP入りはウルトラマンフェスティバルのライブステージに着想を得ているのだという)


 

こうして振り返っただけでも『トリガー』が画作りに力を入れていたことは明らかで、特撮/映像という面において、同作は求められていたハードルを見事越えていったと言えるのではないだろうか。 

そして、そんな『トリガー』の画作りに大きく影響したものとして忘れてはならないトピックに、同作の「玩具展開」がある。

 

 

前作『Z』における玩具展開の好調ぶりは今や広く知られているが、その異質な点として挙げられるのが、ウルトラマンの玩具展開における二本柱「ソフビ人形」「DX玩具食玩ガシャポン仕様のコレクターズアイテムも便宜上こちらに分類する)」が揃って非常に好調なセールスを見せたことだろう。 

ニュージェネ作品において、このパターンは『オーブ』を除くと他になく、どちらかが売れればどちらかが売れない、というジレンマに陥るのがいつしかシリーズの性となっていた(例えば、DX玩具であるウルトラカプセルが好調なセールスを見せた『ジード』は、一方ではソフビ人形のセールスが控えめだったことが、翌年『R/B』の玩具展開から察せられる)。 

ところが『Z』は

 

・セブンガーを初めとして、売り切れが続出するソフビ人形 

・防衛隊玩具としては久方ぶりに玩具ランキング上位を勝ち取った「DX キングジョー ストレイジカスタム」 

・DX版も好調で、ガシャポン食玩が悉く売り切れたウルトラメダル

 

……と、これまでのニュージェネではおよそ考えられないような圧倒的なセールスを記録。そのことが話題となって『Z』の知名度向上に繋がり、そこから生まれた新たなファンが玩具を買い……という理想的なマーケットスパイラルが生まれていた。

 

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( ↑ 放送終了後に発売されたソフビでさえこの有様である)


しかし、商業作品の常を思えば『トリガー』にとってこの高いハードルは「越えなければならない」ものだったに違いない。その難題に対し、バンダイは非常に明快なプランを打ち立てたのである。それは「登場する全怪獣のソフビ化」。 

一件無茶に見えるこの目標だが、なんと『トリガー』は本当にそれを成し遂げてしまったのだ。 

怪獣だけでも毎週一体という異常なペースを維持するためか、時に再販 (ザラガスのような絶版品) 、時にリペイント (サタンデロスのような既存スーツのマイナーチェンジ怪獣) などの様々な策が取られている一方、第14話『黄金の脅威』の放送日にはデアボリックとアブソリュートタルタロスが同時発売され、翌週にはナース (円盤形態) とアブソリュートディアボロが同時発売されるなど、内部事情を知らない一般ファンからすると「ヤケでも起こしたのか……?」と心配になるほどの熱い商品展開が繰り広げられていた。

 

( ↑ 第一・第二形態ともにDXソフビで発売されるという厚遇ぶりを見せたメガロゾーア。第一形態が売れたのかどうか心配でならない……)


一方DX玩具では、遂にウルトラシリーズ初の “アイテム単体で音声機能を搭載したコレクターズ玩具” として「ガッツハイパーキー」がリリースされた。

 

 

当然ながら単体で音声機能を搭載した玩具は高額だが、それは生産側としても同じこと (なので、売れる保証があっても易々と導入できない) で、かの『仮面ライダーシリーズ』の玩具でさえ毎年導入している訳ではない。これだけでもいかに『Z』のウルトラメダルが好調だったのかが伝わってくるエピソードだ。

 

そんな鳴り物入りで展開されたガッツハイパーキーは、DX版をトリガーの各タイプに加えてティガ、ゼット、リブットといった本編客演組に絞って販売、GUTS-SELECTが用いる怪獣キーをガシャポン食玩で展開し、それ以外のウルトラマンキーはプレミアムバンダイで受注販売、というかなり割り切ったセールスを展開した(コスモスキーなど、一部例外あり)。 

そして、その結果はなんと非常に好調だったのだという。

 


( ↑ この公式ブログで『トリガー』玩具、少なくともキー関連が非常に好調ということが語られている)

 

初の単体音声機能搭載アイテムということに加え、セールス方式が需要にハマったこと、ウルトラマンゼットやリブットが変身にキーを用いるなどといった本編中の演出など『トリガー』玩具が好調となった理由は数多く考えられるが、その一つとして考えられるのが、トリガーのメインウェポンである「サークルアームズ」の存在だ。

 

 

サークルアームズはトリガーのメインウェポンで、超古代の神器のはずがなぜかキーに対応していたり超古代においてトリガーダークが使っていた形跡がなかったりと正直かなり謎の多い存在なのだが、そのスタイリッシュなデザインがマルチソード・パワークロー・スカイアローのどの形態でも崩れないことや、トリガー自身のデザインとの親和性もあり、ニュージェネ屈指の傑作武器と言える存在だ。 

更にサークルアームズの優秀さとして例に挙げられるのが、ジードクローやゼットランスアローといったウルトラマンが序盤で使うメインウェポンは何かと不遇になりがち」というジンクスを見事跳ね返してみせた点。

 

作中前半、サークルアームズはゼペリオン光線などの本来の技の出番を確保しつつフィニッシュウェポンとして描かれており (白眉と言えるのが、第1話のゴルバー&カルミラ戦、第6話のサタンデロス&ヒュドラム戦だろうか) 、後半では、前述の二刀流以外にも「トリガーダークがマルチソードを使う (第17話) 」「グリッタートリガーがスカイアローを使う (第17話) 」「マルチタイプでソード/クロー/アローの3形態を使う (第24話) 」など、少ない出番ながらもその印象を強く残していた。 

劇中通して印象的に使われ続けた、ウルトラシリーズどころか特撮界隈でも中々類を見ないほどの優遇ぶり。それは「ティガの系譜」で武器を扱うからこその慎重さ、丁寧さによるものだったのかもしれない。

玩具としても、件の三段変形が完全再現されているだけでなく、キーを装填することで『ソードフィニッシュ!』など形態ごとの音声がキーそのものの音声と掛け合い形式で鳴り響くという、ビジュアル/機能の双方において見事な仕上がりとなっていた。このようなサークルアームズの優れた仕様や、前述の「劇中での活躍」がキーのセールスに少なからず貢献したことは疑うべくもないだろう。

 

また、ガッツハイパーキーとの連動機能を持たない大型玩具として登場したのがグリッタートリガーエタニティのメインウェポン=グリッターブレード、そしてGUTS-SELECTの母艦=ナースデッセイ号。これらもまた、劇中での活躍……つまりは違和感のない魅せ方 (販促) が非常に巧みであった。

 

 

グリッターブレードは、(グリッタートリガーエタニティキーとセールスタイミングをズラしたかったのか) その本領を発揮するのが初登場回の第12話ではなく第15話『オペレーションドラゴン』。アブソリュートディアボロに対するグリッターブレードの活躍ぶりはそれはもう華々しいもので、ヒーローの玩具を「その玩具感を含めて、カッコいいものとして魅せる」ことにおいて坂本監督の右に出るものはいない、と改めて思い知らされる最高の3分間が展開されていた。 

ナースデッセイ号と共に盛大に購買欲を駆り立てつつも、グリッタートリガーエタニティのヒロイックさを損なわない、特撮ヒーロー番組として理想的なマーケティングに仕上がっていたと言えるだろう。

 

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( ↑ グリッターブレードが大活躍した「最高の3分」の一部始終はこちらの記事からどうぞ)

 

一方のナースデッセイ号と言えば、序盤から登場し、ヒュドラムを撃退 (3話)、サタンデロスを撃破 (6話) といった功績を残していただけでなく、第15話『オペレーションドラゴン』においてバトルモードへの変形能力を獲得。以降、アブソリュートディアボロ、メツオーガ、メカムサシン、ダーゴンといった強敵を次々に撃破、メガロゾーアとの最終決戦においても作戦の要になる……と八面六臂の大活躍。歴代防衛チームでもトップクラスの戦績を叩き出すだけでなく、GUTS-SELECTのタツミ セイヤ隊長 (高木勝也) の隊長としての威厳に大きく貢献したほか、主人公格の一人=ヒジリ アキト (金子隼也) のドラマのフィニッシャーとして最高の役回りを見せてくれていた。 

ビジュアルこそ『ティガ』らしくないものの、その戦績と「ウルトラマンたちの株を奪い過ぎない」という針の穴に糸を通すかのような絶妙な活躍ぶりは、まさしく「デッセイ号」の名を冠するに相応しいものだったと言えるだろう。

 

 

「計画的なセールス」と「劇中での演出」が効を奏してか、見事に高い売り上げを記録した『トリガー』の玩具たち。   

しかしその一方、およそ同じスタッフが手掛けたとは思えないほどに割を食っている要素 (玩具) が二つある。「怪獣キー」と「ガッツファルコン」だ。

 

 

怪獣キーは、その名の通り怪獣の力を宿したガッツハイパーキー。トリガーの地球で現れた怪獣や、GUTS-SELECTのメトロン星人マルゥル (CV.M・A・O) が持ち寄った怪獣のデータから作られたアイテムなのだという。ザイゴーグ (第15話) やグランドキング (第18話) のデータを持っているマルゥルは一体何者なのだろうか……。 

そんな怪獣キーの機能は至ってシンプル。GUTSスパークレンスにセットすることで攻撃に怪獣の属性を付与したり、(GUTSスパークレンスを介することで)  ナースデッセイ号や他のメカニックに同様の属性付与ができるというものだ。 

しかし、これがどういう訳か異様に使われない。印象的な使われ方としては、シズマ会長がゴルバー迎撃に使用 (ゴモラ/第1話) 、ユナとアキトがダーゴン迎撃に使用 (エレキングガマクジラ/第5話)ディアボロのエネルギーを吸収 (ガンQ/第15話) 、メツオロチに石化光線を発射 (ガーゴルゴン/第17話) ……程度。他にも数回使われているが、それを含めても25話中この回数しか使われないものを、ガシャポン食玩で専売したとして、どれほど購買欲がそそられるだろうか……。   

(怪獣キーというカテゴリがどれだけ売れたかは不明だが、ガシャポン食玩のウルトラメダルほど積極的な展開を聞かないことから、ある程度察せられるものがある)

 

「怪獣サイバーカード」という似た装備を持つ『ウルトラマンX』の防衛隊、XioもTV本編では数えるほどしかその装備を使っていないことからして、もしかすると「防衛隊による怪獣アイテムの活用は最小限にすることが決められている」など、何らかの裏事情があるのかもしれない。 

しかし、そういった「裏事情」の可能性では到底済まされないのが、GUTS-SELECTの主武装ことガッツファルコンの影の薄さだ。

 

 

『ティガ』からはガッツウイング1号のデザイン、『ダイナ』からはガッツイーグルの名前をそれぞれ受け継ぎつつ、遠隔操作のドローダーとして5年越しに蘇った待望の戦闘機……なのだが、前述のナースデッセイ号とは雲泥の差と言わんばかりに全く活躍しない。 

その目立った活躍と言えば、ナースデッセイ号と共にサタンデロスを撃破 (第6話) 、ケンゴがメツオロチの角を破壊 (第17話)、ガッツウイングと共にトリガーを救助 (最終回)くらいのもの。 

目玉機能であった二足歩行形態「ハイパーモード」への変形機能も、劇中度々使われてはいたが「活かされた」と言える場面はほぼ皆無で、総じて怪獣キーより活躍していない可能性さえ考えられる有様だ。


ウルトラシリーズにおいて「戦闘機が活躍しない」問題はもはや常に付いて回るもので、特性上仕方のないことではある。だがそれでも従来のシリーズは「人が共に戦う」象徴として良い戦績が残せなかったとしても、それ以上にエモーショナルな場面を数多く作ってきた。『ティガ』のガッツウイングはまさにその代表格と言っていいだろう。 

しかしこのガッツファルコンは「遠隔操作のドローダー」であるため、その「共に戦っている」という旨味が限界まで薄れてしまい、かといって、従来の戦闘機に勝る持ち味や活躍がある訳でもないという、文字通りこれまでの戦闘機の下位互換となってしまっていたのである。
(第9話でのガッツウイングの活躍が印象的だったことも、ガッツファルコンの不遇ぶりに拍車をかけている。同じドローダーでありながら、どうしてこんなことに……)

 

 

特撮/映像、そして玩具という2点において一定以上の成果を上げてみせた『トリガー』。しかし、本作は「文芸」面に大きな問題を抱えてもいた。これが同作最大のポイントにして、最大の賛否両論点と言える点であろう。

 

『トリガー』の文芸方針は、おそらく「程よく『ティガ』を絡ませつつ、『Z』を越えるべく、より魅力的で作り込まれた物語を作る」というもの。 

後者に対する回答は「アニメ・ゲーム畑のライターであるハヤシナオキ氏の起用による、連続ドラマ方式の謎多き物語展開」だったと思われる。詳細は後述するが、この回答自体は、前述した『オーブ→ジード』の文脈と言え、その『ジード』が一定の成功を収めていたため何ら不思議はない。むしろ、問題は前者の「程よく『ティガ』を絡ませること」という点だ。

 

結論から言うと、『トリガー』は「非常に歪な形で『ティガ』を擦った作品」と言える作品になってしまっていたように思う。更に「NEW GENERATION TIGA」という大仰な副題や、各地で波紋を呼んだ「ティガの真髄を継ぐ」という触れ込みも踏まえると、その点においては「ハードルを上げるだけ上げて、出されたのはガッカリ作品」という扱いをされても仕方がないだろう。 


( ↑「ティガの真髄を継ぐ」の出典。ここまで公式HPに堂々と記載されている辺り、企画書の決め文句か何かだったのだろうか……?)

 

では、実際に『トリガー』における『ティガ』要素と、それらへの回答はどのようなものだったのか。大まかにまとめると、それぞれ下記のようになる。

 

①GUTSの存在 (GUTS-SELECTやその装備など)
 =ネオフロンティアスペースのTPC情報局員、シズマ・ミツクニが『トリガー』世界で築いたのがTPU/GUTS-SELECTだったから (スパークレンスという名称も、ミツクニが情報局員だから知っていたのだと思われる)。 

②闇の三巨人など、ティガ世界との共通項=偶然の一致 

③トリガーとティガの相似= (光線もタイプ名も出自も身長体重も同じだけど)  他人の空似

 


……これは怒られても仕方ないのでは?

 

 

そもそも『トリガー』は、その世界観こそが放送開始前時点での最大の謎であった。同じ世界なのか、違う世界なのか、トリガーとは、闇の三巨人とは、GUTS-SELECTとは……。これらが『ティガ』世代へのフックになることを製作陣も理解していたからこそ、敢えて「TPU」のような限界まで原点に擦らせた用語を作ったのだろうし、現にファンの間では発表以来様々な考察が飛び交っていた。

 

創作の常として「製作サイドが “奇妙なもの” として視聴者に提示している」ものは、物語中の要素として回収されて然るべきであり、引っ張った謎ほどそれを知った時の衝撃が大きいことが望ましい。製作側が意図的に気を引いたのだから、相応のリターンを期待するのは視聴者として当然の心理だろう。 

そういった「リターン」の例を従来のウルトラシリーズから挙げるなら、

 

・「なぜ合体変身なのか」という点がストーリー中盤の大きなポイントとなり、それぞれ全く異なる回答でドラマを大きく動かした『オーブ』『ジード』 

・「なぜザ・ネクスト、ネクサス、ノアは皆同じエナジーコアを持っているのか」というデザイン上の謎に対し、ネクサスがノアに進化するというサプライズによって「全員が同じウルトラマンだから」という回答を叩き付けた『ウルトラマンネクサス』 

・その正体を匂わせた果てに明かされた「SEVEN X=ウルトラセブン本人」という事実、そしてダン=森次晃嗣氏、アンヌ=ひし美ゆり子氏の登場というファンサービスで界隈を湧かせた『ULTRA SEVEN X』 

……など、枚挙にいとまがない。


これらを踏まえて『トリガー』のリターンを見てみると、シズマ会長の出自は彼から語られるだけで特に何の波紋を呼ぶこともなく (第9話)闇の三巨人もトリガー自身も原点の単なるそっくりさんでしかなかった。嘘だろ……?

 

『ティガ』からの客演キャラクターについても、ゴルバー (厳密には新怪獣だが) 、ガゾートは単なる傀儡止まりで、ウルトラマンティガ本人さえも (演出は本当に素晴らしかったのだけれど) その存在がストーリーの縦軸に関わってくることはなかった。 

キリエロイドについては演出上『ティガ』世界と繋がりがあるらしい (ティガを見て明らかに怯えている) だけでなく、その企みがユザレの末裔=シズマ ユナ (豊田ルナ) の覚醒を導く結果になったり、闇の巨人の確執を深めることになるなど、ストーリーの縦軸に関わることにはなった……が、よく考えるとこれは交通事故のようなもの。アボラスとバニラを覚醒させて、結果的にイグニスとアキトらの仲を進展させた=縦軸に影響したバリガイラーと似たようなものと言えばそれまでの話でしかない。

結果として、全てが『ティガ』に「擦らせる」程度止まりなのだ。限界まで擦るし時にはみ出るけど、慌てたように急に身を引く。結果的に、『ティガ』要素はあるが、そのどれもが本筋には関わらず「ついでのように」終わっていく。 

さて、ここで「NEW GENERATION TIGA」だ。 

この言葉がリメイクを指すのか、リブートを指すのか、あるいは続編を指すのか……という問題についてはもう答えは一つしかない。「限界までティガを擦ったニュージェネレーションシリーズのウルトラマン」である。 

おそらく、それこそが半ば神格化された作品『ティガ』を今改めてピックアップする手法として、製作陣が選んだ「最も無難な」方法だったのだろう。

 

そういう作品を作るのはいい。『ウルトラマン』というコンテンツの飛躍にあたり、『ティガ』という作品を現役作品として蘇らせるのは必定だろうし、新たな世代に『ティガ』が認知されるのはファンとして何より嬉しい。そもそも『ウルトラマンマックス』然り『ウルトラマンサーガ』然り、過去作をフィーチャーする作品作りはいつだって商業的な理由と共にあるものだ。 

『ティガ』という偉大な作品へリスペクトを払えば払うほど、そこに懸けるファンの情熱を考えれば考えるほど、リメイクもリブートもできない……というのもよく分かる。スーツを作るにも予算がかかるので、『ウルトラマンメビウス』のように、リスペクトを全開にした完全なる別作品……という作品創りができないのも道理だろう。 

が、しかし、製作時点でそういうしがらみから抜け出せないことが分かっていたのなら「NEW GENERATION TIGA」という副題や「ティガの真髄を継ぐ」というフレーズは、そもそも使うべきではない。その点を考慮せず (したのかもしれないが、結果として) 押し切ってしまった末路として、『トリガー』は「ハードルを上げるだけ上げてスカした」と多くの反感を買うことになってしまった。問題のフレーズが、結果的に羊頭狗肉の客寄せパンダとなってしまったのである。 

変に含みを持たせず、ハードルを上げるような副題もフレーズも使わず、最初から「ニュージェネフォーマットでティガのリスペクト作品をやる」という姿勢を明示していれば (荒れはしただろうけど) ここまで波紋を呼ぶことはなかったように思う。『ティガ』に本気で向き合うなら、深いリスペクトがあるなら、そこに懸ける熱意が全力であるならば、そのことを堂々と叫んで欲しかったのだ。

 

 

結果として、「NEW GENERATION TIGA」という副題や「ティガの真髄を継ぐ」というフレーズが足を引っ張った箇所が『トリガー』には数多く見られる。その代表格と言えるものが、防衛チームのGUTS-SELECTだ。

 

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前述のように、GUTS-SELECTはあくまで「GUTS縁の人物が設立に関わっている」というだけでそこにGUTSの名を冠する必要性は (「ティガを擦る」以外に) ない。シズマ会長を通し、かつてのGUTSの在り方に触れるエピソードがあったりすれば違ったかもしれないがそんなこともなく、にも関わらずGUTSの名を冠してしまったのだから比較されることは避けられない。

 

GUTSの名を冠する組織は、主なものとして「GUTS」と、その後続チームであり『ウルトラマンダイナ』で活躍した「スーパーGUTS」の2つがある (他組織はここでは割愛) 。 

その2チームは、毛色こそ異なるものの「チームとして優れている」「各個人がシリーズを通して掘り下げられ、魅力を放っていく」「人の可能性を信じる、“人の光”を体現するチーム」という点で共通しているように思う。それらのどれか一つでも共通していれば、GUTS-SELECTを (たとえメトロン星人がいても、メンバーの半数が母艦から出なくても、セキュリティが甘くても、ガッツファルコンがこれでもかと活躍しなくても) 「GUTS」を冠するものとして受け入れられたかもしれない。 

しかしこのGUTS-SELECT、まずもってサクマ テッシン (水野直)、ナナセ ヒマリ (春川芽生)タツミ セイヤ隊長、メトロン星人マルゥルの4人がほぼ全くと言っていいほど掘り下げられない。いや、掘り下げられないだけならまだ良かった。


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テッシンは「筋トレオタク」というキャラクターが「タッチパネルで操縦する」ナースデッセイ号のパイロットという設定に噛み合っておらず、ヒマリは「眼鏡を外すと豹変する」という、実写でやられるとかなり際どいキャラクターが浮きに浮いており、マルゥルに至ってはまさかの「作中ほぼ唯一の宇宙人 (他の宇宙人は、Zの世界から来たバロッサ星人とヒューマンタイプのイグニスという例外ばかり) 」キャラという点でやはり非常に浮いている。彼らは「掘り下げられない」どころか、そもそも一人のキャラクターとしての強度が致命的に足りていないのだ。 

(3人のような致命的な粗がない分比較的問題なく見えるタツミ隊長だが、彼は彼でその思いやキャラクター性が見えるシーンが少なく影が薄い、という問題がある)

 

彼らGUTS-SELECTの内番組は、出番の少なさからケンゴらとの友情も交流もほぼ描かれず、結果としてGUTS-SELECTは「チームとして良いのか、悪いのか」以前に「よく分からない」という結論に落ち着いてしまう。全く新しいチームならともかく、これで歴史あるGUTSの名を冠しているとあれば、ファンの反感を買うのも無理のない話だろう。


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彼らのこのような掘り下げ/強度不足の主な原因として考えられるのが『トリガー』の物語構成である。 

前述の通り、『トリガー』の文芸方針はおそらく「程よく『ティガ』を絡ませつつ、『Z』を越えるべく、より魅力的で作り込まれた物語を作る」というもの。その後者に対する回答が「ハヤシナオキ氏による、連続ドラマ方式のミステリアスな物語展開」だったと思われるが、そこで弊害となってくるのが「防衛チーム」の存在だ。

 

連続ドラマはその作劇上、メインキャラクターたちのやり取りで多くの尺を取るため、防衛チームのように複数のレギュラーがいた場合、彼ら全員を丹念に描くことはできない。 

それならば『Z』のストレイジのようにメンバーそのものを減らすことが考えられるが、昨今のウルトラシリーズにおいては、ライターが入る前からシリーズの内容がある程度決まっていることがある (例えば『タイガ』では、メイン監督決定前から既にトライスクワッドVSトレギアの設定などが決まっていたという )。 

前述したバンダイの『トリガー』への力の入れようを鑑みるに、ライターが入る前にナースデッセイ号とガッツファルコンの設定が決まっていた可能性は高い。しかしその設定上、ナースデッセイ号とガッツファルコンのパイロットは共に持ち場を離れることができず、更に「ケンゴ、アキト、ユナは多くの時間を共にしている必要がある」という都合もある。 

考えてみれば、これら2つはそもそも限りなく両立が困難なもの。であれば……と「最初から掘り下げる予定のない脇役」として急遽生まれたのが、テッシンとヒマリなのではないだろうか (2人を演じる水野直氏、春川芽生氏はそれぞれ『ジード』『ギンガS』と坂本監督がメインを務めた作品に出演しているため、急な人員追加にあたり、そのツテで起用されたと考えると辻褄が合う) 。 

そして、最初から掘り下げる予定がないのであれば、過剰な記号化でもしなければ (『X』のタケル、チアキのように) 実質的なゲスト止まりのキャラになってしまう。そうして生まれた、言わば不慮の産物とでも言える存在がテッシンとヒマリなのではないだろうか。


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しかし、『トリガー』の文芸面は、そういった「やむを得ない事情」だけで片付けられない数多くの問題点を抱えていた。それらを敢えて一言で纏めるなら「不自然さ」に尽きるだろう。

 

前述の『ティガ』絡みの数々の要素のように、『トリガー』は見ていくとあちこちに不自然な点が見受けられる。 

例えば、個々のキャラクター描写。 

先程「テッシンとヒマリのキャラ付けが過剰」と述べたが、それ以外のキャラクターが適切な塩梅かというとそういう訳でもなく、中でも特に不自然さが際立っていたのが、他ならぬ主人公=ケンゴだろう。


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彼は「スマイルスマイル!」「みんなを笑顔にしたい」という口癖のプッシュが非常に露骨で、皆の笑顔を望む純朴な青年のはずが、むしろ「笑顔の押し売り」をする傲慢な青年、のようにさえ映っていた。その上「なぜそんな口癖なのか」については、「母親がそうだから」以上に明示されることはなかった。 

ケンゴは演じる寺坂氏の天真爛漫さもあって、何をしていなくても「人の幸せを己の幸せと感じる」というキャラクター性が雰囲気に表れていた。そのため、少しでも前述の台詞をプッシュしようものなら、それは即ち「ダメ押し」ないし「しつこい描写」になってしまう。そのことを察してか、脚本家によっては「スマイルスマイル!」という口癖を封印する方もおり、そういった際のケンゴは非常に良い塩梅のキャラクターとして収まっていたように思う。 

(口癖のプッシュといえば『ジード』のリクの口癖「ジーっとしてても、ドーにもならねぇ!」があるが、こちらは劇中で明確な掘り下げがされているだけでなく、そもそも基本的には独り言のため、あくまで「決め台詞」の範疇に留まっていたと言える)

 

また、ケンゴについては「植物学者」という設定が有名無実になっていたことも大きな欠点だろう。 

彼が植物学者としての顔を「花の水やり」以外で見せたのは、第5話『アキトの約束』でアキトに花を差し出す一度きりで、第18話『スマイル作戦第一号』においては、ユナが花を選んでいる時に (考え事をしていたとはいえ) まさかのノーコメントという致命的なミスを冒してさえいた。 

最終回で唐突に咲いたルルイエについても、彼の「植物学者」という設定やそこに懸ける思い、背景が掘り下げられてさえいれば、もしかしたらより納得のいくシチュエーションになったかもしれない……と考えると、ただただ歯噛みするしかない。

「露骨な口癖のプッシュ」という問題点は、イグニスの「ゴクジョー」カルミラの「情熱的に」ヒュドラムの「エクセレント」などにも共通している。
(アキトの「ウザい」は他の面々に比べてプッシュされていなかった印象) 

人には実際に口癖というものがあり、キャラクターが口癖を持っていることには何の不自然さもない。ただし、ケンゴの「みんなを笑顔にしたい」など含めて、彼らの口癖は「隙あらば言う」レベルに達しており、その結果、無口なトリガーダークを「情熱的」と評するカルミラや「ゴクジョー」以外の評価基準を持たないイグニスが誕生、せっかくの魅力的なキャラクター性を、彼ら自身が貶める形となってしまっていた。 

「口癖」は「文脈」を越えてまで出てくるものではないし、いくらキャラクターとはいえ、そうなってはもう「日本語が正しく使えていない」ひいては「コミュニケーション能力の欠如」という点で著しく魅力、ないしキャラクター/ドラマへの没入感を損なってしまうのである。

 

 

こうなってしまった理由としては、おそらくハヤシナオキ氏の「アニメ・ゲーム畑の出身」という背景があるだろう。

 

言うまでもないことだが、実写ドラマと「アニメ・ゲーム」におけるキャラクター描写は「実写 (3D) か絵 (2D) か」という点で大きく異なる。問題はそれが平面か立体か、というより、「絵のキャラクターでは伝えられる情報量に物理的な限界がある」ということだ。 

「“電話” と “対面での会話” では、どちらが相手の気持ちが分かりやすいか」という問いがあったなら、おそらく大半の人が後者を選ぶだろう。それは、声しか相手の気持ちを知る術がない電話と違い、対面での会話なら「相手の些細な仕草や、僅かな表情の変化」といった数えきれないほど多くの情報が、相手の気持ちを推し量るヒントとなってくれるからだろう。 

勿論、昨今は技術の進歩によって2Dのキャラクターたちも非常に繊細な表情の揺らぎや仕草を見せることができるようになった。しかし、そこには作画の傾向や物理的な限界といった多くの壁があり、実写映像ほど多くの情報を視聴者に伝えることは難しい。おそらく、2Dキャラクターに度々見られる「過剰なくらいに濃い、ある種記号的なキャラ付け」の大きな理由の一つは、その「情報量の限界」を補完することなのだろう。そしてその世界の中では必然「そういうキャラクター」が普通であるからこそ、現実と違う言葉や言い回しも気にならなくなっている……という訳だ。 

「過剰な口癖」はそんな「記号的なキャラ付け」の一つと言えるが、前述の通りそれはあくまで「2Dのキャラクター」に求められるもの。そんな「2Dを前提とした味付けのキャラクター」がそのまま実写ドラマに現れてしまった場合、本来であれば一目で伝わってくる/見ていれば自ずと伝わってくるキャラクター性をわざわざ口癖でプッシュするなど「浮世離れした」ないし「くどい」キャラクターが誕生してしまう。 

口癖に限らず、この「2Dと3Dのズレ」こそが『トリガー』のキャラクターにおける不自然さの根本的な原因だと筆者は考えている。


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この点は決してハヤシナオキ氏に限った問題ではなく、例えばハヤシナオキ氏同様にアニメ・ゲーム畑のライターである虚淵玄氏がメインライターを務めた『仮面ライダー鎧武』では、『トリガー』同様に不自然な台詞回し、どこか浮いたキャラクターなどが問題視されていた……のだが、4クールという長尺に加えて、ほぼ全ての脚本を虚淵氏が手掛けていたことなどが効を奏してか、『鎧武』後半は、前述のような問題点が見事なまでに消え去っていた(勿論、虚淵氏とハヤシナオキ氏の力量差が影響した可能性も大いにあるが)。 

一方『トリガー』において、ハヤシナオキ氏が担当されたのは第1~3話、第11~12話、第23~25話の8本のみ。この状況下でありながら「第23話以降は件の問題点が大きく改善されていた」という事実は、むしろハヤシナオキ氏の健闘の結果という見方もできるだろう。そうであるなら非常に勿体無い話……なのだが、『トリガー』におけるもう一つの「不自然さ」がそんな甘えを許さない。それは「慢性的な描写不足」である。

『トリガー』全体のクオリティに異様なまでの描写不足が響いていることは、『トリガー』を通して視聴した方に対してはもはや詳しく語るまでもないだろうが、実際その「不足」はどの程度のものだっただろうか。 

まず「超古代」関連から振り返ってみると、不明瞭なまま終わってしまった点は 

・エタニティコアとは何なのか 

超古代文明とはどのようなものだったのか 

・ユザレ関連 (後述) 

・闇の巨人とは何なのか   

等々。多い。 

エタニティコア以外については、原点の『ティガ』でも同様に説明がされていなかった点だが、同作のTV本編ではいずれも重要な要素ではなかったため、言及されないことがむしろミステリアスな雰囲気の形成に繋がる長所でさえあった。 

しかし、続編となる『劇場版 ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY』ではそれらの要素に半端に踏み込んだ挙げ句「闇の巨人」を初めとする様々な新設定をぶん投げてファンを混乱させてしまったため、大きな批判の的となっていた。そんな前例がありながら、なぜ『トリガー』は同じ轍を踏んでしまったのか……。 

そして、これらが説明されない結果、ストーリーの肝である「ケンゴの出自」「ユナの背負った運命」がよく分からないという悲劇が勃発する。

ケンゴの出自についてはそれこそ最序盤から引っ張った謎であり、中盤で明かされることで大きなカタルシスを呼ぶ……はずだったもの。なのにそれがさっぱり伝わってこないことで、武居監督渾身の演出による「君は僕だったんだね」、そしてその後のグリッタートリガーエタニティ初登場がどうにも盛り上がりにくいシーンになってしまうなど、あちらこちらで明確な弊害が発生していた。 

総集編などでの言及や、最終回でしれっと明かされた「エタニティコアは膨大な光エネルギーの塊」という設定を踏まえて辻褄の合う解釈を出すならば「封じられていたトリガーダークの心 (人格) が、エタニティコアの光を得て解放され、形を為したもの」……などになるだろうか。子どもどころか大人が必死に考えても分からないような設定をウルトラで出すんじゃないよ。

 

一方「ユナの運命」に関してはさほど難解な話ではない……のだが、こちらはこちらで全くと言っていいほど具体的な説明がなく、ユザレの末裔という運命に向き合うユナにも、ユザレ本人にもどうにも感情移入が難しい有様だった。なにせ 

・ユナに宿るユザレの魂はどういう状況なのか(人格がどの程度あるのか) 

・なぜユザレの魂は3000万年もの時間を越えて受け継がれていたのか 

・ユザレの「覚醒」とは、力を使いこなせるようになることなのか、ユザレの人格が目覚め(てユナの人格が上書きされ)ることなのか 

・トリガーや闇の巨人と違い、名前や所属組織に至るまでほぼ同じ (『ティガ』のユザレが所属していたのは地球星警“備”団) なのは何故だったのか 

・エタニティコアの力を使ったユザレはなぜ消滅したのか 

・ユザレはなぜ地球星警護団に所属していたのか 

・地球星警護団とはどのような組織だったのか 

……と、これら全てが劇中でまともに説明されない。多すぎる(覚醒については結果的に前者だったが)。 

ユザレが何者なのか、ユザレが目覚めると何が起こるのか、どちらもさっぱり分からない状況のままユナの葛藤に感情移入しろと言われても、いくらなんでも無理がある。ルールが分からないカードゲームの駆け引きを見せられても、どこに驚き、どこに感動すればいいのか分からないのは当然のことだろう。 

(ユナ/ユザレの両キャラクターについては、演じられた豊田ルナ氏のフレッシュな魅力と高い演技力が見事にハマっており、それによって、特にユナは描写不足やキャラクター性が大きくカバーされていた節がある)


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キャラクター描写の問題に説明不足。『トリガー』の文芸上の大きな問題点をそれなりの分量を使って並べてきたが、正直、これでもまだまだ半分挙げられたかどうかといったところ。細かいシチュエーション一つ一つまで拾い始めると、いよいよもってキリがない。 

第12話『三千万年の奇跡』における、脱け殻のトリガーダークに必死に呼び掛けるアキト→その声がなぜかケンゴに届く→吹き飛び絶叫するケンゴ→ケンゴがなぜか空から (やたら悟りを開いた表情で) 降りてくる……という一連はもうツッコミどころ満載すぎてギャグの域に達している (笑えない) し、ハヤシはハヤシでも林壮太郎氏が手掛けられた第10話『揺れるココロ』におけるダーゴンとユナの絡みは、本当に令和の作品か……? と思わずにはいられないほど、凄まじい共感性羞恥に曝される地獄変だった。

このように、文芸面における『トリガー』の粗はあまりにも多い。ただでさえあの『ティガ』を背負う作品であること、更に、よりによって前作『Z』が文芸面において非常に優れた (「田口監督が全話の脚本に目を通した」という規格外の製作体制だったため、単純比較できるものではないのだが) 作品だったことで、その粗は殊更に目立ち、多くのファンの反発を招くこととなった。 

こうした点を踏まえて『トリガー』の文芸を振り返って「魅力的なもの」だったかと問われると、少なくとも、素直に二つ返事で頷けるものではないだろう。様々なやむを得ない事情が考えられるとはいえ、このような事態を招いた一因は製作陣の「練り不足」であり、それは「NEW GENERATION TIGA」を生み出すにあたって、そしてハヤシナオキ氏というアニメ・ゲーム畑の外部ライターをメインに起用するにあたって、決して起こしてはならないミスだったのだ。

 

 

では、そもそも「NEW GENERATION TIGA」は作られるべきではなかったのだろうか。ハヤシナオキ氏をメインライターに招くべきではなかったのだろうか。 

これまで述べてきた文芸面の欠点を思えば、そのように感じた方は非常に多いだろう。『ティガ』が絡まない、あるいは小中千昭氏らの描く『ティガ』全開の『トリガー』が見たかった……という方もいるだろう。 

しかし「ティガの続編でない『ダイナ』」や「セブンの息子でないゼロ」が有り得ないように、『トリガー』で生まれた物語や数々の名場面といった同作の魅力は「ハヤシナオキ氏が手掛けられた『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』」という土壌だからこそ生まれたものであり、それらには、これまで述べてきた数々の欠点を踏まえた上で尚、大きな価値があると思えてならない。 

そんな『トリガー』の魅力の筆頭として挙げられるのが、主人公格と言えるヒジリ アキト、そしてイグニスの2人だ。

 

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GUTS-SELECTの技術担当であり、ナースデッセイ号の設計やGUTSスパークレンスを初めとした各種武装の開発を担う天才高校生のアキト。彼は防衛チームの一隊員でありながら、主人公格として飛躍的な成長を遂げる稀有なキャラクターであった。

 

発表当初は「若き天才科学者」というプロフィールやケンゴへの複雑な感情からイーヴィルトリガー候補と騒がれたこともあった彼だったが、事実、最序盤のアキトはトリガー=ケンゴへの嫉妬を隠さなかったり (第2話) 、第5話『アキトの約束』では両親の仇であるデスドラゴを前に単独行動を取ったりと、何かと危うい面が目立つ少年だった。 

しかし同話にて、ケンゴの不器用なメッセージを受け「自分のすべきことは復讐ではなく、ユナを守ること」だと思い出したアキトはデスドラゴをトリガーに託し、自身はユナを守るべくダーゴンとの戦いに挑んでいく。この戦いをきっかけに彼はケンゴに心を開き、それ以降、彼は幾多もの戦いを経て徐々にその視野を広げていくことになる。


そんな彼の成長ぶりが顕著に表れていたのが、『ウルトラマンパワード』以来の復活となったアボラス・バニラがWトリガーと激戦を繰り広げる名編、第21話『悪魔がふたたび』である。

当初こそ「気ままな自由人」「ユナを "ゴクジョーちゃん" と称し狙う」とアキトの癇に障る要素ばかり持ち合わせており、反感を隠そうともしなかったイグニス。同話では、アキトがそんなイグニスに「力を貸してほしい」と自ら頼み込み、規則違反だと知りながらもブラックスパークレンスを託す姿が印象的に描かれていた。 

確かに、彼がイグニスに協力を仰いだのは「ケンゴを救う」という目的があればこそ。しかし、一人で全てを背負い、光を手にしたケンゴに感情のままぶつかっていた序盤の彼ならば、決してこのような行動には出なかった。 

己の限界を知り、ケンゴやユナを通して「人を信じること」の価値を知ったからこそ「人に頼る」ことができるようになったアキト。「涙なんて二度とゴメンだ」というイグニスの独白に表情が揺らぐ様も含めて、この一連はアキトの成長の一つの到達点になっていたと言えるだろう。 

(続く第22話『ラストゲーム』も、イグニスの過去に思いを馳せたり、約束通りユナを自らの手で守ってみせるなど、アキトの成長ぶりが堪能できるエピソードとなっていた)


そんな彼の視野を広げた一人として欠かすことができないのが、闇の巨人・剛力闘士ダーゴン (CV.真木駿一) だ。

 

 

ダーゴンは、力を持たないながらも自らに立ち向かったユナ=人間の強さに心を揺さぶられ (第5話)、そんなユナを守ることさえあった (第10話) 他2人よりも人間臭さを感じさせる闇の巨人。 

最初こそ、その恋心とも憧憬とも取れる心はユナにのみ向けられていたが、カルミラとヒュドラムの確執、更にはGUTS-SELECTが総出でトリガーを守る姿 (第17話) など様々な光景を前に、いつしかその感情はユナに限らない「人間の持つ強さ」への憧憬へと変わっていった。そんなダーゴンに引導を渡すことになったのが、他ならぬ「特別な力を持たない人間」であるアキトとなったのは、ある種の必然だったのかもしれない。

 

アキトはケンゴ、ユナ、イグニスと並んで『トリガー』の主人公格と言える存在だが、彼一人だけが「何の力も持たないただの人間」であり、それがある種のアイデンティティーでもあった。 

何の力も持たず、周囲への嫉妬や不信に振り回されていた彼が、誰かを信じることを学び、誰かを頼ることを学び、その上で科学者としての自分にできるベストを尽くす。そうして自ら道を拓き続け、その果てに迎えた大舞台が第23話『マイフレンド』。

ユナに「我はお前に……人間に惹かれているのだ」と語るダーゴンに対して、真っ先に「だったら、もっと人間のことを知ったらどうだ」と呼び掛けるアキトの姿は、それ自体が彼の成長の証であり、ダーゴンの語る「人間の強さ」の具現でもあった。 

共にユナの=一人の人間の強さに導かれ、片やダーゴンは誇り高き真の闘士へ、片やアキトは、人を知り、己を知った真の戦士へ成長。多くの言葉を交わした訳ではなくとも、アキトがダーゴンを好敵手として、ダーゴンがアキトを友として認めることには大きな納得感がある。そんなアキトが「人間の強さ」の象徴=叡知の結晶であるナースデッセイでダーゴンに引導を渡す。それは彼にとって、これ以上ない花向けであったに違いない。 

「防衛チームの一隊員が、ボスクラスの強敵との因縁の果てに引導を渡す」というシチュエーションはウルトラシリーズでは (おそらく) 初となるものだが、前述の積み重ねに加えて、BGMにアキトたちの歌う後期ED主題歌『明日見る者たち』を採用した坂本監督の采配、そして『ティガ』の大ファンだという金子隼也氏、真木駿一氏両名の魂が籠った名演によって、一連のシーンはこの上なくドラマチックな「決着」として昇華されていた。総じて『トリガー』ひいてはウルトラシリーズに名を刻んだ名エピソードだと言って良いのではないだろうか。

 

一方、そんなアキトが闇の巨人になるという大方の予想を覆し、トリガーダークとしてライバルポジションを勝ち取ったのが、本作きってのダークホースことリシュリア星人イグニスだった。


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情報解禁当初は「細貝圭氏が演じる、自由気ままなトレジャーハンター」という何かしらの作意を感じる設定や、ヒューマノイドタイプの宇宙人という『ティガ』らしくないキャラクター性、更に、所謂「ヴィラン枠」なのか味方なのかさえもあいまいな謎のポジションでファンの不安を一心に集めた彼だったが、その「あいまいさ」こそがイグニスというキャラクターの肝であった。

 

普段はトレジャーハンターとして飄々と振る舞い、時には三枚目然とした様子を見せることもあるイグニス。しかし、その一方で彼は母星を滅ぼしたヒュドラムへの怨みに100年もの間囚われ続けており、第15話において、リブットに「一つのことに囚われて、周りが見えなくなっている」と看破され、思わず苦笑いを浮かべる姿は非常に印象的だった。 

飄々としつつも、仲間と確かな絆を紡いでいくトレジャーハンターのイグニスと、ヒュドラムへの怨みを抱え、復讐のコマを進めていくリシュリア星人のイグニス。どちらかが真実でどちらかが嘘という訳ではなく、その双方で揺れ動く人間らしさこそがイグニスであり、ともすれば、彼の三枚目然とした振る舞いは、復讐心に飲み込まれまいと「飄々とした自分」を演出する為の防衛機制だったのかもしれない。

 

 

一方、そんなイグニスの復讐劇は水面下で着々と進んでいき、遂にはヒュドラムを倒し得る力=トリガーダークへの変身能力を獲得。紆余曲折ありつつもトントン拍子で進んでいく彼の戦いは、トリガーダークの姿が物語るようにおよそ光の戦士とは程遠いダークヒーローそのものだった。……字面だけを見るならば。 

文字にしてみると、およそ子ども向けヒーロー番組の主人公格とは思えないイグニスの過去と復讐劇。しかしいざ本編を見てみると、彼の行動に思ったよりも「闇」を感じないことが気にかかるだろう。 

それもそのはず、彼の復讐劇は、劇中でその目的が「誰にも否定されない」=「“悪”として描かれない」のである。

イグニスの凄惨な過去が初めて彼本人の口から語られるのは、第22話『ラストゲーム』冒頭。GUTS-SELECTの面々は、ここで初めてイグニスの目的が「エタニティコアの力で滅んだリシュリアを再生する」こと、そして全ての元凶=ヒュドラムへの復讐であることを知る。 

ここで特徴的なのが、アキトたちが糾弾するイグニスの行いが「自分たちを欺き、ユナを拐った」こと、そして「エタニティコアを起動すれば、現在の地球を犠牲にしかねない」という2つだけであること。前者は悪行、後者は危険な行為としてそれぞれ明確に描かれ、ケンゴらはそこに及んだ彼の胸中に思いを馳せることになる。しかしその一方で、最後の最後までヒュドラムへの復讐」という彼のもう一つの根底については、糾弾することも、否定することもなかったのだ。 

特に子どもがメインターゲットとなる特撮ヒーロー番組では「復讐」は得てして (その正当性こそ担保されるが)「更なる災いを招くもの」としてネガティブに描かれることが多い。ウルトラシリーズでは『ネクサス』において、リコを殺された孤門が復讐に囚われてしまう描写などが印象深いだろうか。

それは至極当然のことで、怨みのままに力を振るうことが危険であることも、復讐が更なる復讐を呼びかねないこともどちらも真実。実際に、前述の『ネクサス』においては、復讐に囚われるあまり我を見失った孤門が窮地に立つ姿が (およそ主人公の姿とは思えないほど凄絶に) 描かれ、復讐というものの恐ろしさを身をもって示していた。 

しかし『トリガー』においてその側面が描かれることはない。

 

確かにイグニスは「復讐心」という強い闇を宿していた。GUTS-SELECTの仲間たちとの日々も、その幾許かは作られた打算的なものだったかもしれない。しかし、そんなイグニスの「闇」は、必ずしも彼の見せた「光」を全て否定する訳ではないのだ。 

メツオロチの襲撃に苦しむ人々を助けたのは、そこにリシュリアの人々を重ねたから。アキトの「ケンゴを助けるために力を貸してほしい」という頼みに応えたのは、自分自身が涙の痛みを知っているから。いずれも「無辜の人々を守りたい」のような人類愛や大義に基づくものではない。事実、イグニスの戦う動機はそのほとんどがあくまで個人的なものに過ぎなかった。 

しかし、それがイグニスの中にある優しさ、そしてトリガーダークというウルトラマンが守ったものの大きさを否定することにはならない。同じように、イグニスが皆を欺いていたとしても、その心に大きな闇を抱えていたとしても、それはケンゴの「僕はこれまでの日々が全部嘘だとは思いたくない」という言葉通り、イグニスとケンゴたちとの間にある絆を否定することには成り得ない。

 

イグニスはエタニティコアを前にするその時まで、終始迷いと共にある不安定な存在であり、心に巣食う光と闇の中で揺れ動き続けてきた。しかしそんな「光でもあり、闇でもある」存在として悩み、迷う自分を宇宙一のトレジャーハンターという殻で隠し、飄々と振る舞うその在り方こそがイグニスであり、それはとても「人間らしさ」に満ちたものだ。 

そしてケンゴが、ユナが、彼の行いに憤り、苦しんでいたアキトが、そんなイグニスの在り方を否定することなく「その闇ごとまとめて受け入れた」からこそ、イグニスは彼らを心から信頼し「仲間」と正面きって呼ぶことができたのだろう。 

イグニスがケンゴたちの光を受けて手にした姿、ダークの姿のままグリッターの光を宿す「グリッタートリガーダークエタニティ」は、「闇を抱いたまま『ウルトラマン』になる」という彼の物語の象徴と言えるのではないだろうか。

(最終回後、再びリシュリア再生の手段を探しに旅立ったイグニスだったが、その「未だ振り切れていない」様子こそが彼らしい、納得の旅立ちと言えるものだろう。最後までGUTS-SELECTに入らないのも同様だ)


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アキトとイグニス。主人公格として、それぞれが抱えた闇の巨人との因縁に見事決着を付けた彼らの物語には、(ヒュドラムが誰からも同情されることなく倒されたように、“悪”は断ぜられるべきもの、という前提の上で)「光と闇の融和」という共通のテーマがあったように思える。

 

アキトはユナという一人の人間を通して闇の存在=ダーゴンと通じ合い、イグニスは仲間たちとの絆を糧に、闇を抱えたまま「光」を手にすることができた。これら、相異なる「光と闇との融和」を考えるにあたり、やはり避けられないのが『ティガ』という作品の存在だろう。

 

 

『ティガ』のTVシリーズにおいて、「光と闇」は作品を通してのキーワードであった……が、その意味はついぞ明言されず、主人公=マドカ・ダイゴ (長野博) が「光とは何なのか」その命題の答えに作品を通して近付いていくという作劇が行われていた。 

そんな『ティガ』TVシリーズが示した一つの回答が「誰もが光になれる」ということ。 

世界に広がる闇、そして「己の中にある闇」に屈することなく、諦めずに立ち上がること。その輝ける意思こそが光であり、『劇場版 ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち』や『劇場版 ウルトラマンX きたぞ! われらのウルトラマン』といった後年の作品では、この点を強く意識した演出の上でウルトラマンティガが登場し、それぞれ「理想的なヒーロー客演」の一つとして今尚語り継がれている。 

一方、『ティガ』のその後を描いた劇場用作品『THE FINAL ODYSSEY』においては、カミーラ、ダーラム、ヒュドラ、そしてティガ本来の姿とされるティガダークの登場によって、TVシリーズに比べて「光と闇」という概念がビジュアル面で一層強調されていた。TV本編との矛盾も多く『ティガ』という概念をねじ曲げたと言われることもある同作だが、その中で描かれた「闇の巨人であったティガが、愛 (光) によって転身しウルトラマンとなる」というエピソードが持つテーマ、つまりは「闇に生まれた者も光になれる」というテーマは、『ティガ』最終章でマサキ・ケイゴ(高良隆志)が見せた「道を誤った者も光になれる」というエピソードを更に広げたものだと言えるだろう。

 

 

そして時は流れ、時代は令和。「NEW GENERATION TIGA」として世に送り出された『トリガー』が描いたものが「光と闇の融和」であったことには、どこか切ない感慨深さを覚えてしまう。

 

『ティガ』か放送された25年前、1996年と言えば、Windows95の登場などに代表されるように、デジタル文化が飛躍的に進んだ新時代の黎明期。しかしその一方では、1995年の阪神・淡路大震災が人々に大きな爪痕を残している時代でもあった。かつてオイルショックが終末ブームに繋がったように、ノストラダムスの大予言や「世紀末」概念が必要以上に取り沙汰されていたのは、そういった災害による人々の恐怖や不安が少なからず影響していたのかもしれない。『ティガ』という作品が、人の中にある光と闇の相克、そして「誰もが光になれる」という希望を描いた背景には、そういった世相も少なからず影響しているのだろう。 

そんな希望が送り出されてから25年が経った2021年もまた、皮肉にも病魔という災厄が猛威を振るい、再び人々の心に暗い影が射す時代だった。 

それによる経済の深刻な悪化だけでなく、環境問題や少子高齢化といった幾多の問題はより一層の深刻化が進んでおり、終わりの見えないパンデミックと合わせて、今も世界全体が長年に渡り閉塞的な闇に覆われている。 

そんな時代に現れたウルトラマン、トリガーが示した「光と闇の融和」。それは『ティガ』が示した「誰もが光になれる」というメッセージはそのままに、「けれど、無理に光になる必要はない/闇を持ったままでもいい」と、より優しく人々に寄り添ったものになっていた。 

立ち上がろうともがく人への「君ならできる」はこれ以上ないエールになるが、追い詰められ、倒れ伏す人に必要なのはそのような可能性/希望ではなく、ありのままの自分の手を取ってくれる優しき隣人。だからこそ、そんな時代の求めるヒーロー像に応えたトリガー=マナカ ケンゴは、人々の「笑顔」を望む存在として、光ではなく「人」として描かれたのではないだろうか。

 

 

「人」という言葉は、『ティガ』『トリガー』の双方でキーワードとなる言葉であるが、その使われ方は些か異なっているように思える。

 

『ティガ』では文字通り「特別ではない、普遍的な人間」を指す言葉として使われ、「ダイゴは決して特別な存在ではない」ということが『ティガ』という作品の大きな核となっていた。

一方『トリガー』において、「人」という言葉は「光と闇を内包した存在」というニュアンスを重視して使われていたように思える。そのニュアンスが色濃く現れていたのが、前述のイグニス、そしてトリガー=ケンゴである。


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マナカ ケンゴとは「トリガーに生まれた光が形を得た存在」であり、その出自による浮世離れした天真爛漫さ、そして育ての親であるマナカ レイナ (横山めぐみ) から引き継いだ「スマイルスマイル!」という口癖が特徴の青年。そんな彼の肝となるのが「みんなを笑顔にしたい」という夢であるが、その夢こそが、その出自以上に彼の「闇」の部分と言える点であった。 

このことを考える上で重要なエピソードが、ウルトラマンリブットが登場する第14話『黄金の脅威』と第15話『オペレーションドラゴン』の2編。その内容は以下の通り。 

自分の正体がウルトラマントリガーそのもの=「光」の化身であると知ったケンゴは「自分の使命は、命に代えてもみんなを守ること」であると気負ってしまう。

そのことからグリッタートリガーエタニティの力を制御しきれず危機に陥るケンゴだったが、窮地に現れたウルトラマンリブットに間一髪の所で救われる。ケンゴが自身の運命に押し潰されようとしていることを見抜いたリブットは、彼の「本当の戦う理由」を思い出させるべく特訓を開始する。

リブットの特訓、そしてユナの言葉によって、ケンゴは自らが「光の化身」であるだけでなく、マナカ レイナによって育てられた「人間/マナカ ケンゴ」でもあることに気付く。そう、ケンゴの戦う理由は “光の化身としての運命” 以前に、自らの描いた夢のため=みんなを笑顔にすることにあったのだ。

自分自身と真に向き合い、受け入れることができたケンゴは、遂にグリッタートリガーエタニティの制御に成功。リブットやGUTS-SELECTとの共闘の末、強敵アブソリュートディアボロを撃破するのだった。

 

このエピソードの肝は、「光の化身としてみんなを守りたい」ことと「人としてみんなを笑顔にしたい」という願いが似て非なるものとして描かれた点にある。それはつまり、「みんなを笑顔にしたい」という、一見して「みんなを守りたい」とイコールで結べそうな願いが、その実「光の化身としての使命という枠から少なからず外れたもの」であることを示唆している。 

その奇妙な違和感の正体が判明するのが、第18話『スマイル作戦第一号』と、続く第19話『救世主の資格』。ここでケンゴは、古代におけるカルミラの笑顔、そして涙を目の当たりにしたことで「みんなを笑顔にしたい、それは相手が闇の巨人であっても」という願いを抱くようになる。 

そう、「みんなを守る」とは、守るために戦う相手=敵の存在を前提とした言葉。しかし、ケンゴが笑顔にしたい「みんな」には、そのような本来倒すべき敵=闇の巨人も含まれているのである。

 

当然、これは光の化身=正義の味方に本来求められる「大 (守るべき人々) のために小 (敵となる存在) を捨てる」という宿命に真っ向から反する、言ってしまえばケンゴのエゴイズム=ある種の「闇」と言えるもの。 

本来であれば闇を持たない光の化身であったケンゴは、時を越えて転生し「人」として育つことで、その使命と乖離した「自らの欲望」という闇を持った。光の化身であるが故の正義感と純真さ、人として育ったがための人間的なエゴイズム。その2つが歪かつ奇跡的なバランスで同居している存在。それがマナカ ケンゴという人間なのである。

そんなケンゴにとって、「笑顔にしたい相手の一人」であり、「自分の存在が笑顔を奪ってしまった相手」でもあったカルミラは、ケンゴ (自らを拒絶し、トリガーを奪った “光”) への憎しみの果てに、邪神メガロゾーアへと変貌、人々から笑顔を奪うものとして世界を闇に包み込んでしまう。 

光の化身=ウルトラマンとして、みんなの笑顔を守る者として、人々から笑顔を奪い去るメガロゾーア=カルミラは決して許すことのできない存在である。しかし、人間=マナカ ケンゴは、それでも「カルミラも笑顔にしたい」という欲望を捨てきれなかった。 

そんなケンゴは、最後の戦いにおいてイグニスからトリガーダークの力を受け取り、過去と未来のトリガーが一つとなった真の姿、トリガートゥルースへと変身、メガロゾーアに最後の戦いを挑む。

 

 

このトリガートゥルースは、前述の通り「分かたれた光と闇のトリガー」が一つになった存在だ。しかし、そこに行き着くまでのケンゴの思いをなぞるなら、その姿が意味するものは「属性」としての光と闇の共存だけではないように思う。 

トリガートゥルースに宿る光と闇。光は、メガロゾーアという罪を裁く「光の化身としての使命」。そして闇は、カルミラを笑顔にしたいという「人間としての欲望」。メガロゾーアという最大の敵を前に、それでもその双方を貫いてみせるというケンゴの覚悟こそがトリガートゥルースの宿した光と闇であり、決戦前、ケンゴがイグニスに言った「僕は光であり、人である。この光と闇の争いを終わらせなければならないんです」という言葉は、その光と闇の双方を実現させる=メガロゾーアを倒し、同時にカルミラを救ってみせる (笑顔にしてみせる) というケンゴの決意表明だったのではないだろうか。

果たして降臨し、メガロゾーアとの最後の決戦に臨むトリガートゥルース。これまで現れたどのティガともトリガーとも異なる「光と闇のウルトラマン」たるその姿は、まさしく『トリガー』が描いてきた「光と闇の融和」というテーマを体現する姿。『ティガ』の象徴がグリッターティガであったように、トリガートゥルースは『トリガー』の象徴、あるいは集大成と言えるだろう。 

トリガートゥルースは、自分自身の光と闇、ナースデッセイ号に宿ったエタニティコアの力、そして仲間たちと人々の笑顔を受け取ることで、最後の必殺技「トゥルータイマーフラッシュ」を発動、カルミラを覆っていたメガロゾーアという外殻を崩壊させる。 

世界を覆う闇が晴れ、消え行かんとするカルミラ。怯え、震える彼女だったが、そこに現れたケンゴは優しく手を差し伸べた。  

 

「なぜ私を、闇を拒絶する……?」
「違うよカルミラ。僕は光であり、人である……そして闇でもあるんだ。だから、闇を拒絶なんかしない」
「ッ……!」
「僕は世界中のみんなを……カルミラも笑顔にしたい!」

 

「ケンゴという光がトリガーを奪った」と認識していたであろうカルミラ。彼女がトリガー=ケンゴだと気付いたのは、おそらく第19話『救世主の資格』における「トリガーといる君は……幸せそうだった」というケンゴの言葉がきっかけだろう。「トリガーしか知り得ない自分の姿」を知り、更にその表情を理解できたケンゴ。それは、彼がトリガーを乗っ取った無関係の人間ではなく、彼自身がトリガーであることの証明になっていたからだ。
(そのためか、この言葉を受けたカルミラは狂乱し、そのまま姿を消している)

 

「トリガーは、マナカ ケンゴに乗っ取られている訳ではなく、自らの意志で光として在る」 

カルミラにとって、その事実は到底受け入れられるものではなかったのだろう。彼女はケンゴ=トリガーだと気付いて尚、「マナカ ケンゴ……お前さえいなければ!」と叫び続けた。「ケンゴという存在がトリガーを奪ったのであって、トリガーが自分を拒絶した訳ではない」だと思い込むことで、ケンゴを消せばまたトリガーが闇の巨人として戻ってくる……という希望にすがりたかったのかもしれない。 

だからこそ、カルミラは最後に立ち塞がったトリガー=トリガートゥルースを見て

「なんだその姿は!? 光と闇が交わるなど、有り得るものかァァァ!!」

と叫んだ。その姿を認めてしまうことは、光を消せば闇になる、という二律背反が覆される=ケンゴを消せばあの頃のトリガーが戻ってくる、という自身の希望を否定することになってしまうからだ。 

しかし、自分を倒したトリガートゥルース=ケンゴは、その上でカルミラに手を差し伸べ、「僕は光であり、人である……そして闇でもあるんだ。だから、闇を拒絶なんかしない」と優しく語りかけた。 

確かにトリガーは、カルミラと共に闇の巨人であったあの頃から、光を得たことで変わってしまったかもしれない。しかし、光と闇は二律背反のものではない。光を持っていることが、闇を拒絶する理由にはならないのだ。 

そのことを悟りながらケンゴの言葉を受け止めるカルミラの姿は、さながら「子離れを受け入れた母親」のようでもあった。

 

かつて、ティガを愛した闇の巨人カミーラは「私も光になりたかった」=ティガと同じ側にいたかった、と言い残し、悲しみと共に消えていった。

しかし、カルミラは違う。彼女はカミーラ同様トリガーに看取られながらも、 

「これが光かい……。暖かいねぇ……」 

そう嬉しそうに、笑顔を浮かべながら消えていったのだ。彼女は取り返しの付かない己の罪を裁かれつつも、最後に「光と闇は共存し得るもの」であることを知った。彼女の最期の言葉は、自分が闇であることを否定しないままに「光の暖かさ/今のトリガー」を受け入れることができ、解放された彼女の心からの言葉だったのだろう。 

そして、そんなカルミラの笑顔は、ケンゴが自分自身の光、そして闇に向き合い、その双方を受け入れたからこそ辿り着くことができた笑顔。ケンゴはメガロゾーアを倒し、同時にカルミラを救うことで、本当の意味で「みんなを笑顔にしたい」という、自らの夢見る未来に辿り着くことができた。「光と闇の融和」というテーマを描いてきた『トリガー』いう作品の、そしてケンゴたちの築いてきた道のりのゴールとして、この上なく美しい結末だと言えるのではないだろうか。

 

 

『トリガー』全25話を通し、それぞれの運命や因縁と戦い続けたケンゴ、アキト、イグニス。彼らの物語は、これまで述べてきたように『ティガ』が描いた「光と闇」というテーマを現代の視点から見つめ直し、「超古代から続く物語」「闇の三巨人」といった『ティガ』を構成するアイデンティティーを交えつつ、成長と葛藤のドラマとして見事に昇華したものだと言えるだろう。 

確かに、「超古代」というエッセンスをメインに据えた連続ドラマという構成は『ティガ』のようで全く異なっているものだが、『ティガ』のテーマを現代に蘇らせるにあたって求められる様々なニーズ、そして『トリガー』という作品自身に『ティガ』の二番煎じとならないよう独自の魅力を持たせる、という製作上の必然を踏まえるのであれば、この再構築はむしろ非常に繊細かつ巧みなもの。この点において、『トリガー』は「NEW GENERATION TIGA」という副題に負けないものを産み出せたのではないだろうか。

 

なないろのたね

なないろのたね


以上、「特撮」「玩具」「文芸」の3点から『トリガー』を振り返ってきたが、こうして作品全体を俯瞰していく中で気付かされたことがある。この作品は非常に良し悪しの激しい作品なのだが、それはこの作品に込められた「チャレンジ」の多さによるものではないか、ということだ。 

『トリガー』の特撮・映像面での魅力が、各監督たちを初めとしたスタッフの方々の飽くなき向上心の賜物であることはもはや言うまでもない。また、本作の非常に特徴的な玩具展開には「ウルトラマンの玩具マーケットをワンランク上に持っていく」という圧倒的な熱量が感じられる。これはバンダイ側だけでなく、円谷サイドの積極的な協力と挑戦あってのものだろう。 

そして文芸面。ここが最も良し悪しの分かれる点であるが、その根底にあったのは「新しいウルトラマンを作る」という開拓心。ハヤシナオキ氏の登用や「全話で縦軸のエピソードを進めつつも、オムニバスという基本構成は崩さない」という、ウルトラシリーズ初の斬新な物語構成など、その結果は明暗分かれてしまうものとなったが、その挑戦が前述のような見応えのある物語を産み出し、ウルトラマンの新境地を拓いたことには非常に大きな価値があったと言える。


更に、これまで触れてこなかったトピックにおいても『トリガー』は数多くの挑戦に満ちた作品だった。 

実質的なキャラクターソングである『明日見る者たち』を後期ED主題歌として採用したことや、ウルトラシリーズでは珍しく『Trigger』のアレンジBGMを戦闘からドラマに至るまで多用したこと。坂本監督直々の要望で実現した「小顔」という全く新しいウルトラマンのスタイルや、トリガーダークら闇の巨人をデザインされた武藤聖馬氏の功績、そのおかげで誕生した「トリガー&トリガーダーク」という異色のダブルヒーロー。他にもGUTSスパークレンスというアイテムそのものの革新性についてであったり、円谷プロダクション公式動画配信サービス『TSUBURAYA IMAGINATION』との本格連動であったり……。その数は挙げれば本当にキリがなく、『トリガー』がこれまでのシリーズに比べても非常に多くのチャレンジを内包した作品であることは間違いない。

 

 

「特撮」「玩具」「文芸」そしてそれ以外のあらゆる要素に満ちた『トリガー』の挑戦心。中には必ずしも効果的/スタッフの狙ったようには働かなかったものも見られるが、何より忘れてはならないのは、これら数多くのチャレンジがウルトラシリーズへ新たな息吹をもたらす試金石となったことだ。

 

事実として、『トリガー』という作品は「好みの別れる」作品であるだろう。一定以上の品質を持った作品ではあるが、その良し悪しの極端さや独特の作風は間違いなく「万人受けはしないであろう」もの。 

そういった意味では、この作品が (それこそ『ティガ』や『Z』のように)「新時代の顔」となることができたか……と言われると、素直に頷くことは難しい。『トリガー』という作品には独自の魅力が数多く存在するが、その魅力が数多くの欠点を相殺できていると感じるかどうかは、どうしても視聴者個人の感性に委ねられてしまうからだ。

 

しかし、それでも「『トリガー』は新時代の引き金となった」ということは、声を大にして述べておきたい。

 

『ティガ』という作品を土台にしている以上、当然、もっと無難な作品作りはできただろう。しかし『トリガー』はそうしなかった。それらの土壌から受けた力で、その場での安定ではなく、もっと高く飛翔する道を選んだのである。そしてその結果生まれたものが、前述してきた数々の挑戦であり、無数の欠点であり、『トリガー』独自の魅力なのだ。 

たとえ粗削りとなっても、シリーズの飛躍のために、そして「この時代に相応しいヒーローを送り出す」ために。そんな製作陣の真摯な魂こそ、『トリガー』が最も「NEW GENERATION TIGA」たる所以であり、『トリガー』の魅せた数多くの挑戦は、十二分に「新時代の引き金」足り得るものだったのではないだろうか、

 

明日見る者たち

明日見る者たち

  • マナカ ケンゴ (寺坂頼我)、シズマ ユナ (豊田ルナ)、ヒジリ アキト (金子隼也)
  • アニメ
  • ¥255

 

トリガーダークがエタニティコアに触れ、その身に光を宿したことで始まった『トリガー』という神話は、3000万年という時を越えて、その光=マナカ ケンゴが再びコアに還ることで終わりを告げた。 

しかし、「光の化身」ではなく「人」として生きたケンゴには、自身の帰りを待ってくれる仲間がいる。自分が戻ることで初めて笑顔にできる、アキトという大切な友がいる。 

人は誰でも光になれる。けれど、無理に光である必要はない。光の化身としての使命を持ったヒーローでも、自分の欲望を持ち、自分の幸せを願っていいのだ。誰も皆、光であり、人であり、そして闇でもあるのだから。

去り行くケンゴを前に、遂に花開いたルルイエ。ルルイエはその名に反しただの花でしかなかったが、だからこそあの場の「みんなを笑顔に」できた。それは、背負った運命や与えられた宿命ではなく「今、そこでどう生きているか」をこそ祝福する『トリガー』という作品を最も象徴する光景だったのかもしれない。

 


しかし、『トリガー』はまだ終わらない。
来たる2022年3月18日には、最終回後の世界を描く『ウルトラマントリガー エピソードZ』が全国劇場公開。ツブラヤサブスクこと『TSUBURAYA IMAGINATION』でも同日に配信開始となる。 

同作がどのような展開になるかは全くの未知数だが、その更なる未来、異なる時空においても、きっとトリガー=ケンゴは変わらぬ姿を見せてくれることだろう。


この先も広がっていくであろうウルトラの歴史。『トリガー』が引いた引き金は、そんな歴史に何を導き、どんな未来を築くことになるのか。その行く先、そしてケンゴたちの「夢見る未来」への歩みを、これからも笑顔と共に見届けていきたい。


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