感想『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突 Episode5~6』ネクサスが刻んだ新たな伝説。その光は “英雄” か、それとも 

※注意※
下記には『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突 Episode 5~6』のネタバレが含まれます。

 




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事の始まりは『運命の衝突』Episode 4。惑星バベルを訪れたアブソリュートティターンのとある一言が、ウルトラファン界隈に激震を走らせた。

 

「本当にここに現れるのか……? 伝説の超人、ウルトラマンノア」

 

そして、その台詞はEpisode 5にて早くも回収されることとなる。

 


7年ぶりに『ウルトラ』の表舞台に現れたウルトラマンネクサス。このEpisode 5、そして続くEpisode 6はウルトラフォースの参戦やゼロの覚醒など、例によって語るべきトピックが盛り沢山だったのだけれど、今回はこの「ウルトラマンネクサスとの再会」をピックアップし、思いの丈を記していきたい。

 

 

kogalent.hatenablog.com

(「ネクサスの客演」そのものへの思いはこちらの記事に書き綴ってあるので、よければ覗いてみてください)

 

 

 

おかえり……!!! おかえりジュネッスブルー!!! 実に18年振りの帰還……ッ!!!!!!   

涙したどころか、泣きながら叫んでいた。まさかジュネッスブルーがもう一度見られるだなんて思っていなかったし、そのBGMが『ネクサス -Full Throttle-』というのがあまりにも嬉しかった。 

というのも、筆者は『ネクサス』当時小学4年生で、同作にハマったと言えるのは中学生時代 (よりによって中学2年生)。同じ川井憲次氏が劇伴を手掛ける『機動戦士ガンダム00』の影響で劇伴オタクに目覚めてしまったこともあり、いざ見返してその面白さに震えた『ネクサス』は、未だに一つ一つの名場面をBGMとセットで覚えていることが多い。その一つが、第27話『祈り-プレーヤー-』における、初陣となるウルトラマンネクサス (ジュネッスブルー) とグランテラの戦い。

ネクサスのメインテーマをアップテンポにアレンジした『ネクサス-Full Throttle-』は、スピーディーかつエネルギッシュな戦いを見せるジュネッスブルーにピッタリの楽曲で 、それまでの『ネクサス』の作風が暗かったことも相まって、爽やかな音楽に乗ってグランテラに連続攻撃を決めていくジュネッスブルーの鮮烈さたるや凄まじいものだった。ジュネッスブルーは今でも大のお気に入りだけれど、その理由の大部分をこのシーンが占めていると言っても過言ではないかもしれない。  

(グランテラとの決着回、第28話『再会 -リユニオン-』のフィニッシュシーンで用いられた『ネクサス-Voice To Call-』も、その “ウルトラ” らしくないドライな熱さが印象深い一曲だ)

 

 

だからこそ、ウルトロイドゼロからリブットを守るべく現れたネクサスの腕に「弓」があり、流れ出すBGMが『ネクサス-Full Throttle-』だった時は、事態を頭が理解しきれずに変な声を上げながらボロボロ涙を流してしまった。その後に「ウルトラマンノア降臨~ライトニングノア」という爆弾が控えていたけれど、やはりネクサスに関するシーンで一番の衝撃を受けたのはこの瞬間だったと思う。  

心のどこかで、ジュネッスブルーのスーツはきっともう使えないし、彼はそもそも忘れられた存在だから……という諦めがあったのかもしれない。そのくらいには、彼の登場が心底予想外だった。

 

そんなジュネッスブルーは、その戦いも「ウルトロイドゼロのD4レイにオーバーアローレイシュトロームをぶつける」という「分かってる」チョイスをしてくれただけでなく、シュトロームソードもバッチリ披露。カットインにおけるポーズも腰が低く、ジュネッスブルー復活における坂本監督のこだわりと意気込みを感じて、それだけでもうたまらなく嬉しかった。文句無しの200000000000点……ッ!! 

しかし、おそらくTwitterをはじめインターネットでは「このネクサスの登場はアリなのか」という激論が繰り広げられていると思う。筆者は「断然アリ」の立場だ。

 

そもそも、Episode 5でのネクサスは「悪意を持つ者がノアの遺跡に立ち入ったことにより、残されていたノアの光が、防衛機構としてネクサスの形を取って発動した」というミスリードがされていた。けれど、これがミスリードでなかったとしても十分面白いと思ったし、むしろ、それはそれでとても好みな設定だった。 

ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦! ベリアル銀河帝国』において、鏡の星に鎮座していたウルトラマンノアの像。その遺跡には、バラージの盾と共にノアの意思らしきものが封印されており、ナオたちの思いによってそれが覚醒。バラージの盾ことウルティメイトイージスがウルトラマンゼロに託される……という一幕があった。このノアの遺跡は (勿論、『ウルトラマン』のノアの神のオマージュという前提はあるけれど)  時空を越える守護神であるノアが、各宇宙を救うために遺した「力の残滓」のようなものなのだろう。

 

 

と、そのような描写が過去にあったからこそ、ティターンらの「ノアが現れると言われる惑星」というフワッとした表現には首を傾げたものの、それが遺跡であると分かるや否や土下座して拍手を送ってしまった。 

ノアの遺跡には前述の通り「ノアの意思」が残っている訳で、そこに悪意を持って立ち入ったら防衛機構が働くというのは筋の通った話。 

しかし、あくまでそこにあるのは「力の残滓」でしかなく、ノアの姿を取らない (取れない) のも当然、こういうネクサスの出し方があったか!と思わず膝を打ってしまった。ここまで明確に「ノアの幼体」として演出されるネクサスは初めてだろうし、そもそもデュナミストを介さず顕現するネクサス」という概念もまさに初めて目にするもの。 

未知の存在であったネクサスの「未知」の部分、それもノアと深く繋がるという、放送当時あまり触れられなかったトップシークレットな部分が、18年目にして目の前の映像で明かされていくというのは、ファンとして今までにない高揚を感じる体験だった。

 


そして、そんな「デュナミストのいないネクサス」は、こちらの期待に応えるようにデュナミストが変身した時とは全く異なる戦いぶりを見せてくれた。  

無駄のない洗練された (機械的な) 動きと連撃でティターンを寄せ付けず、劇中まともに決まったことの方が少ないであろうクロスレイ・シュトロームも、まるで状態異常を付与するかのような見たことのないエフェクトを伴っていた。 

そこにいる「見たことのない」ネクサスは、BGMの不穏さもあって一挙手一投足から目が離せなかったし、悪に対するノアの容赦のなさには恐怖さえ感じた。リブットをティターンごと「悪意を持った敵」として認識し、容赦なく襲いかかってしまったのも、やはりノアが人間 (ウルトラマン) より遥かに高い視座を持った「神」だから……と考えると、恐ろしくも納得のいく話だ。

 

アイキャッチ

アイキャッチ

 

しかし、気になった点が一つ。防衛機構として発動している無人のネクサスが、なぜジュネッスに変身できるのだろうか?  

パワーに長けたジュネッスが開幕早々コアインパルスを放ってくる姿はまさしくノアの「容赦のなさ」そのものだったし、ティターンを圧倒するネクサスの姿には心底ワクワクするものがあったけれど、やはりその点は突っかかっていた。 

まあ、ファンサービスだろう! と「防衛機構ネクサス」という概念に夢中だった自分はあっさり納得していた。

 

ところが、ノアの真意はティターンの排除ではなく、「光の国とアブソリューティアンとに共存の可能性があると示す」ことだった。き、絆のウルトラマン……!!  

ネクサスがティターンとリブットの何を見て頷いたのか、ノアが2人にどんな言葉を贈ったのか、このシチュエーション自体もさることながら、その言葉を敢えて言わせなかったその采配に感服である。 

しかし、個人的にグッと来たのは、その後ネクサスがジュネッスブルーへと姿を変えてリブットを助けたこと。ジュネッスブルーの復活や、ノアの光が味方をしたことに燃えた、というのも勿論あったけれど、ここでジュネッスブルーが登場することに、ある意図を感じたのだ。

 


本来、ネクサスの進化形態はデュナミストによって変化するもの。凪はその点への配慮もあってアンファンスにしか変身しなかったし、『X』でも橘ネクサスは「ジュネッスではない形態」で現れるというのが設定上正しい (ここは仕方ない) らしかった。 

では、今回の変身はどういう理屈なのか……というと、個人的な推測だが、ウルトラマンノアの光、あるいは「ウルトラマンノアという概念」には、時空を越えて「デュナミストたちの記録」が刻まれていき、それをノア自らが呼び出した結果なのではないだろうか。  

つまり、ノアが召喚したネクサスがジュネッスに変身したのは、ノアの光の中から「姫矢准が覚醒させた姿」=ジュネッスの記録がロードされたから。そして、リブットの前にジュネッスブルーが現れたのは、ノアが「千樹憐が覚醒させた姿」=ジュネッスブルーの記録を呼び出したからなのでは、と。 

こう考えると、『ネクサス』最終回において孤門がジュネッスとジュネッスブルーに変身したのも、彼の中に在る姫矢・憐の想いと、それを継ぐ孤門の意志が、ノアの光からそれぞれの力を引き出すという (本来デュナミストには成し得ない) イレギュラー……と解釈することができるし、ノアの光だけでなく、彼らデュナミストの力と想いがノアの光を介して今も未来へ繋がっていると思うと、それだけで胸が熱くなってしまう。

 

ただジュネッスブルーやノアを客演させるだけなら、それこそノアを直接的に関与させて『青い果実』を流せばそれだけでも100点は叩き出せるだろう。なぜジュネッスブルーなのか、については「ファンサービスだから」と割り切ってしまえば納得できる話だし、正直、ジュネッスブルーがまた見れるなら自分は多少設定を無視されたとしても気にしなかったと思う。 

ただし、おそらく足木氏はそれを良しとせず、謎の多いノアやネクサスの設定に踏み込む危険を犯してまで彼らを話の中心に組み込み、『絆-Unite-』という高すぎる壁に臆することなく、全く異なるアプローチによる「本気の客演」を描いてみせた。それはまさしく、ウルトラマンノアを堂々と絡めることのできる壮大な世界観の『ギャラクシーファイト』だからこそできた裏技のようなものだろう。 

『絆-Unite-』がTV本編=ネクサスの「表側」を突き詰めたことによる傑作であるのなら、今回の『運命の衝突』は、ネクサスの設定=「裏側」を突き詰めたことによる逸品。どちらも比較できるものではなく、共に「異なるベクトルによる、最高峰の客演」と言えるのではないだろうか。

 

未来へ…

未来へ…

 

「原作へのリスペクト」という言葉は難しい。個人によってその定義は様々だと思うし、今回のネクサスが「リスペクトに欠けたもの」と思われる方もいるかもしれない。 

しかし、少なくとも自分の目には、今回のネクサス登場は文字通り原作への「リスペクト (敬意) 」に満ちたものに映った。 

これまで述べてきたもの以外にも、『英雄』や『青い果実』を使わなかったのは「デュナミストそれぞれや『ネクサス』本編のテーマソングだから」という理由での英断だと思えるし、何より『ULTRA N PROJECT』の難解かつ謎めいた設定に逃げることなく正面から向き合い、限界まで踏み込むことで、原点を尊重しつつ新たな形で「ノアの光」を令和の世に蘇らせてみせた……というこの一連そのものが、作品への深い敬意なくば到底成し得ないことではないだろうか。

 

こうして振り返ってみると、今回のネクサスは「思い出の英雄」その人であったとも、そうではなかったともと言える。しかし、時を越え受け継がれ、新たな物語を紡ぎ続けることこそが『ネクサス』の本懐。ならば、そのチャレンジスピリットに満ちた光はまさしく「あの日見た光」そのものなのだろう。 

いつかまた到来するであろうノアの光に思いを馳せつつ、今はしばし、今回の『ネクサス』との再会に浸っていたい。

 

ありがとう、ウルトラマンネクサス……!