総括感想『戦姫絶唱シンフォギア (第1期) 』祝10周年! “歌って戦う” 少女たちが魅せた、緻密で奇跡的なシンクロニシティ

シンフォギアって、何?」

 

もし、そう思われながらこのページに足を運んだ方がいるのなら、どうか何も言わずにこの動画を見て頂きたい。

 


※本動画は第3期『戦姫絶唱シンフォギアGX』の予告PVです。第2期終盤の映像も使われていますので、ご注意ください。

 

そう。

これが『シンフォギア』です。

 

 


そんな『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズは、2022年1月6日を持ってなんと放送開始から10周年。

 

 

「キャラクターが “歌いながら戦う”」という、常人が聞いたらおよそ正気とは思えないコンセプトを持ち、実際にイロモノアニメとしてその名を馳せたものの、気が付けばTVシリーズは通算5作品が製作され、全作品のキャラクターソングCDをまとめた豪華CD-BOXも発売され、更には各TVシリーズBlu-ray BOXも発売がほぼ確定。パチンコやスマートフォン向けゲームもヒットの真っ只中……と、いつの間にか大人気コンテンツとなっており、現在もU-NEXTやdアニメストアといった配信サイトで人気を集める『戦姫絶唱シンフォギア』。   

シンフォギアを知らない方にはその魅力を届けるため、適合者の方とは一緒にその魅力を噛み締めるため、10周年というこの絶好の機会に、同作品が築いた軌跡を各TVシリーズごとに振り返ってみたい。 

今回の記事で取り上げるのは、記念すべき第1作『戦姫絶唱シンフォギア (第1期) 』。文中には本編の内容(ネタバレ)が含まれますが、特に核心的なものには踏み込まないよう留意しておりますので、是非お付き合いください。

 


戦姫絶唱シンフォギア』とは、2012年1月6日から全13話が放送されたTVアニメ作品。少し未来の日本を舞台に、人を炭化させる特異災害「ノイズ」に対抗できる唯一の手段となる外装「シンフォギア」を纏った少女たちの戦いを描いた物語だ。 

その最大の特徴は、シンフォギアを纏った少女たちが “歌いながら戦う” こと。要は、全ての戦いにおいて挿入歌が流れており、それを戦う彼女たち自身が歌っているのである。 

このことについては劇中や公式サイトに説明があるが、言ってしまえば全ては辻褄合わせ。要は、「キャラクターソング」と「挿入歌」という美味しい文化同士をくっつけた結果、このような演出になったというだけの話である。そうはならんやろ? なっとるやろがい!

 


(公式サイトによる説明。上手いことはぐらかされている気がしないでもない)

 

さて、では実際の “歌いながら戦う” とはどんなものなのか? というと、ズバリこんな感じ↓である。 


※本動画は第5期『戦姫絶唱シンフォギアXV』の映像です。  

諸々気になることや「どういうこと!?」となる部分はあると思う。けれど、そのスタイリッシュなアクションや画と歌のシンクロぶり (時には音ハメまで) には、その困惑以上のカッコよさが感じられないだろうか。  

映像のラストで「台詞と歌詞が重なる」ことが大きなカタルシスを生んでいる点も然り、感覚としては “ミュージカルの手法を部分的に持ち込んだアクションアニメ” という表現が適切かもしれない。

 

勿論というか何というか、筆者も『シンフォギア』を最初に見た時は「歌いながら戦う」という謎のシチュエーションに大困惑だったのだけれど、見ているうちにそれは段々気にならなくなってくる。それは、本作の魅力=「魅力的なシナリオ」「カタルシスに満ちた “歌” の演出」「ド派手で、ケレン味全開のアクション」の3点によるところが大きいだろう。 

そして、本記事で取り上げる『戦姫絶唱シンフォギア (第1期) 』は、この3点のうち、とりわけ「シナリオ」と「演出」においてシリーズ屈指のクオリティを誇る、ある種「原点にして頂点」と呼べる作品なのである。

 


シンフォギア』の主人公を務めるのは、「人助け」を趣味とする高校1年生の少女=立花響 (CV.悠木碧) 。朗らかな顔をしているが、後に (作画の変化もあって) シリーズ随一のイケメンと呼ばれるようになったり、シリーズの度に熱い名言を残したりと、まさにザ・主人公と呼べる存在だ。 

撃槍・ガングニール

撃槍・ガングニール

しかし、響は物語開始時点ではシンフォギアを纏う能力を持っておらず、世界を襲う謎の怪物=特異災害「ノイズ」と戦っていたのは、天羽奏 (CV.高山みなみ) と風鳴翼 (CV.水樹奈々) の2人。 

本作は、そんな天羽奏の纏うシンフォギア=聖遺物「ガングニール」の破片で瀕死の重症を負ってしまった響を守るため、奏がシンフォギアの最終兵器「絶唱」を使い、大量のノイズ殲滅と引き換えにその命を散らすという衝撃的な展開で幕を開ける。 


(動画冒頭、「ベスト・オブ・シンフォギア 3位」のシーンをご覧ください!)


その2年後、再び襲来したノイズから少女を守ろうとする響の想いに応えるように、響の体内に眠っていた奏の忘れ形見=ガングニールが目を覚ます。 

本作は、こうしてシンフォギアを纏う「装者」となった響が、親友であり、本作の実質的なヒロインとも言える小日向未来 (CV.井口裕香) や、奏のパートナーだった風鳴翼たちと時にすれ違い、時に手を繋ぐことで、人として/ 戦士として成長していく……という物語になっている。

 

Synchrogazer

Synchrogazer

 

世界規模の災厄「ノイズ」が敵であることなどから、一見スケールの大きな物語であるような印象を受ける (し、実際終盤は物凄いことになっていく) ものの、本作のベースとなるのはあくまで等身大の少女たちの物語。  

確かに、本作にはノイズという明確な「敵」キャラクターがいるものの、響や翼たちシンフォギア装者がノイズに苦戦する様子にはさほどスポットが当てられることはない。その分、響や翼たちにとって大きな壁となるのが「不和」である。

 

シンフォギア』シリーズを貫く理念として「 “人と人との不和” こそが真の敵」というものがあり、本作はシリーズ第1作ということもあってかそのことが特に色濃く反映された作品。 

響は、機密情報保護の観点から親友=未来にシンフォギア装者であることを打ち明けられず、そのせいで徐々に疎遠になってしまうばかりか、翼に対しても「奏さんの代わりになります」と言ってしまったことで逆鱗に触れてしまう。そして、そんな未来や翼もまたそれぞれに葛藤を抱えており……と、本作ではこのような個々の葛藤・すれ違いが非常に丁寧に描かれており、「ノイズ以上にシンフォギア装者を苦しめる敵」としての説得力に満ちている。 

そんな繊細なドラマと、彼女たちがそれらの不和を乗り越え、手を繋いでいく姿。そして、彼女たち「子ども」を支える大人たち=ノイズ対策を担う政府組織、特異災害対策機動部二課の司令こと風鳴弦十郎 (CV.石川英郎) や、同じく二課のエージェントであり、翼の表の顔=歌手業を支えるマネージャーでもある緒川慎次 (CV.保志総一朗) といった、頼もしい大人たちが紡いでいく群像劇。それこそが、本作『シンフォギア (第1期) 』の大きな見所と言えるだろう。

 


さて、気になるのは「そんな魅力的な物語に“歌”がどう関わってくるのか」という点。 

シンフォギア』はその期待を裏切ることなく、他の作品群とは一線を画する……という言葉ではとても足りない程の、あまりにも「アツい」ないし「感動的な」形で“歌” を魅せてくれる。そして驚くべきことに、第1作からTVシリーズ第5期『XV』に至るまで、本シリーズは毎シーズンごとに新たな方向性で “歌” を魅せてくれるのである。

 

そんなシリーズの先陣を切った『シンフォギア (第1期) 』。本作における “歌” は「物語における画竜点睛」として、前述の通りシリーズの「原点にして頂点」たる眩い輝きを見せてくれていた。

 

 

シンフォギア (第1期) 』において、最も “歌” に近いポジションにいるのは、主人公の立花響よりも、むしろ彼女の先輩装者=風鳴翼である。 

絶刀・天羽々斬

絶刀・天羽々斬

表向きには大人気のアイドル歌手、しかしてその実態は聖遺物「天羽々斬」のシンフォギア装者として人々を守る防人である翼。 

敬愛するパートナー=天羽奏が死んだ原因が「己の未熟さ」にあるという後悔・自責に囚われながら戦い続けてきた彼女には、歌への愛も、ガングニールの継承者=響という存在を受け入れるだけの心の余裕も残っておらず、物語当初はクール……というより、まるで抜き身の刃のような危うい雰囲気を纏っていた。 

そんな彼女が、重傷を負って戦線離脱したことをきっかけに、自分の見ていた世界の狭さ、そして響の懸命で真っ直ぐな想いを知るのが物語中盤。そんな彼女が、遂に響と共闘するEPISODE 7『撃ちてし止まぬ運命のもとに』のカタルシスたるや (己の殻を破ったことで圧倒的な戦いを見せる翼の勇姿もあって) 凄まじいものだった。  

 

 

そうして、名実共に響の良き仲間となった翼。彼女の存在は響の先達/目標として作品に大きな影響を与えていたが、ある意味、それ以上に翼が『シンフォギア』で担っていた大きな役割が「歌は “戦うための道具” ではない」と示すことだろう。  

FLIGHT FEATHERS

FLIGHT FEATHERS

前述の通り、物語当初の翼は奏の死によって心を閉ざしており、歌手活動も文字通りの「仕事」として割り切って取り組んでいた。 

しかし、響との和解によって「日常」に触れたことや、イギリスの大手レコード会社から海外展開の打診があったことをきっかけに、彼女は「歌を愛し、歌で誰かに希望を届けることを愛した」かつての想いを取り戻すことになる。 

そして、EPISODE 9『防人の歌』終盤、翼はかつて奏が亡くなった場所で再び歌を歌い、「 (奏を守れなかった、不甲斐ない自分が) 自分の夢を追いかけたい……というワガママを、皆は許してくれるだろうか」と観客に問いかける。 

 

どこからともなく響いた奏の言葉、そして観客の暖かな歓迎という “赦し” 。この時歌う曲名『FLIGHT FEATHERS』の通り、翼が「抱き続けてきた後悔と自責から解放され、夢への一歩を踏み出す」姿は、まさに涙なくして見られないもの。 

二課のエージェントであり、彼女のマネージャーであった緒川と、翼に海外展開を打診したその人である音楽プロデューサー、トニー・グレイザー (CV.中村秀利) との粋なやり取りもあって、シリーズ中でも人気の高い屈指の名シーンだ。 

これら翼の物語は「『シンフォギア』においても、歌は “戦うための道具” ではない」ということをはっきりと示しており、この土台があるからこそ、『シンフォギア』シリーズは多彩な形で「戦いの歌」を描き続けることができたと言えるだろう。

 

 

こうして「風鳴翼が歌うのは、戦場ばかりでないと知れ」という言葉を自らの行動で示していった翼。その一方で、まさに「シンフォギアならでは」の形で歌を魅せてくれたのが、他ならぬ主人公=立花響だ。

 

 

「人助けが趣味」として日夜それを実践するものの、なぜ自分がそんな想いを抱くのかをはっきりとは自覚していなかった響。 

しかし彼女は、翼との衝突をきっかけに己の未熟さを知り、誰かを助けたいと願う理由が「惨劇から救われた分、今度は自分が誰かを助けたい」という想いにあること、そして後に、その想いの正体が「惨劇から生き残った負い目」ではなく「自分を救った存在=奏から、ガングニールと共に受け継いだ気持ち」だということを知る。 

こうして精神的に成長するだけでなく、二課の司令=風鳴弦十郎を師として修行に励み、肉体的にも大きな成長を遂げた彼女は、EPISODE 6『兆しの行方は』において遂に翼と和解。そして、以前翼と相討ちになった謎の敵=聖遺物「ネフシュタンの鎧」を纏う少女に挑むべくシンフォギアを纏う。すると―― 

私ト云ウ 音響キ ソノ先ニ

私ト云ウ 音響キ ソノ先ニ

流れ出す、これまで響の戦いを彩ってきた『撃槍・ガングニール』とは異なるメロディ。それは、なんと先代ガングニール装者=天羽奏の歌である『君ト云ウ 音奏デ 尽キルマデ』と全く同じもの!   

君ト云ウ 音奏デ 尽キルマデ

君ト云ウ 音奏デ 尽キルマデ

かつては何も知らぬまま「奏の代わりになる」と宣い、翼の逆鱗に触れてしまった響。そこから成長を遂げた彼女が「奏と同じメロディで、異なる歌詞を歌う」というのは、響が “奏の代わり” ではなく、あくまで “立花響” として奏と同じステージに立った=真のシンフォギア装者となったことの何よりの証左なのだろうと思う。

 

挿入歌でキャラクターの心情を表現する……というのは昨今多くの作品で見受けられるけれども、『シンフォギア』における歌は、シンフォギアを纏った彼女たちの秘めた想いが「言葉となって口から溢れ出ている」もの。 

挿入歌として流れているか、登場人物本人が作中で実際に歌っているか……。たったそれだけの違いかもしれないけれど、その違いこそ、シンフォギアの歌が印象的かつ、彼女たちの写し鏡となっている一番の理由。だからこそ「響の歌が変わる衝撃」も「響の抱いた覚悟」もこれ以上なくダイレクトに叩き込まれてくる。 

このように「歌が物語における画竜点睛として、特大のカタルシスを生む」ことこそがシンフォギア最大の魅力であり、真骨頂と呼べるもの。中でも「物語とのシンクロニシティ」という点においてシリーズ随一の輝きを見せてくれるのがこの『戦姫絶唱シンフォギア (第1期) 』であり、その最大の魅力と言えるだろう。

 

 

こうして、等身大の丁寧なドラマと、カタルシス抜群の「歌」演出で右肩上がりに盛り上がっていく本作。その後半のキーパーソンとなるのが、4人目のシンフォギア装者=聖遺物「イチイバル」の適合者、雪音クリス (CV.高垣彩陽) である。 

魔弓・イチイバル

魔弓・イチイバル

戦地で両親を失って以降、本作の黒幕である「フィーネ」の手により道具として育てられた彼女は、当初は聖遺物「イチイバル」のシンフォギアや、シンフォギアとは系統を異にする鎧=完全聖遺物「ネフシュタンの鎧」を纏って響たち特異災害対策機動部二課を襲撃する。しかし、度重なる失敗からフィーネに見放され、更にはそのフィーネが操るノイズに追われる立場となってしまう。本作後半は、そんなクリスを中心として全てが一つに纏まっていく流れが大きな見所だ。 

響は「同じ人間なのだから、戦う必要なんてない!」とクリスを説得し、翼もまた「立花に当てられたのかもな」とクリスにその手を伸ばす。 

偶然にもクリスと出会った未来は、彼女を介抱する中で、その言葉から響との仲直りのきっかけを見付け出す。 

そして、二度も親を失ったクリスを救うために「大人」として奮闘する弦十郎……。彼女を軸として新たな物語が生まれ、それが響たちの成長を形にして紡いでいくのである。  

そんな積み重ねが結実するのが第10話『繋いだ手だけが紡ぐもの』のクライマックス、響・翼と手を繋ぐことで共闘を誓ったクリスが、空を飛びつつ雑兵を生み出す強敵・戦艦型ノイズを相手に自らの「切り札」を明かすシーン。 

   

『魔弓・イチイバル』から『繋いだ手だけが紡ぐもの』へ。響同様に「新たな歌」を口ずさみながら、超巨大ミサイルを始めとする全弾発射で戦艦ノイズを殲滅するクリス! 彼女の門出を飾るに相応しい、これもまた『シンフォギア』らしいロマン全開の名シーンだ。 

このクリスの全弾発射のような「ケレン味とロマン全開のアクションシーン」はシンフォギアシリーズの名物。ある意味、シンフォギアという作品の魅力がこれでもかと詰まった奇跡の2分と言っても差し支えないだろう。

 

繋いだ手だけが紡ぐもの

繋いだ手だけが紡ぐもの


シンフォギア』シリーズのうち、特に第1期が突出したもの=「魅力的なシナリオ」そして「カタルシスに満ちた “歌” の演出」について語って既に7000字オーバー。しかし、本作にはここまでの文章で語りきれなかった魅力が山ほどある。

 

未来と響の和解が描かれるエピソードで、個人的にシリーズ中1,2を争う名編だと感じているEPISODE 8『陽だまりに翳りなく』や、小日向未来というキャラクターの魅力。 

フィーネと装者たちの最終決戦が描かれる最終3部作 (ド傑作)。 

(クリスの項で少し触れたけれど) シンフォギアシリーズの名物であるケレン味溢れるバトルアクションや、ド派手で豪快な必殺技の数々。 

ワイルドアームズ』シリーズなどで知られるゲームクリエイターで、本作の脚本・シリーズ構成を務める金子彰史が紡ぐ癖になる名言たちや、「奏から響へ受け継がれたものは何だったのか」を巡るシナリオに代表される、ヒロイックなエッセンス。 

BanG Dream!プロジェクト』のプロデュースでも知られる音楽制作ブランド「Elements Garden」がほぼ全曲を手掛ける、シンフォギアと切っても切り離せない楽曲群。 

(この頃はまだ大人しいが)ウルトラマン』シリーズをはじめとする特撮・アニメ・映画作品への愛に溢れたオマージュの数々……。

 

これら全てについて語るのは難しいけれども、最後に一つ、自分が『シンフォギア』に惹かれてやまない一番の理由だけでも挙げておきたい。それは、この作品に製作陣の「好き」が溢れていること。   

逆光のフリューゲル

逆光のフリューゲル

音楽、ドラマ、アクション、設定……。『シンフォギア』はその要素全てに、製作陣の「これがやりたい!」「これが好き!」という熱い思いがこれでもかと詰まっている。あらゆるシーンが、こちらに向けて投げられる「俺たちの“好き”を喰らえェェーーーーッ!!」という魂の豪速球なのだ。 

勿論、そういった作品であるが故のバランスの悪さはある。これまで「丁寧に作られている」と述べてきたが、それはそれとして「歌で戦う」という設定をはじめ、本作は (理屈はちゃんと付けられていることが大半だけれども) ツッコミどころが多い部類の作品だ。だからこそ『シンフォギア』は「合わない人は合わない」作品だろうし、製作陣もそのことを自覚しているのか、続編の『G』では「ついて来れるヤツだけついて来い!」といういかにもな台詞があったりする。 

しかし、「ついて来れるヤツ」には……私のように、多少の粗があっても「この作品にしかないようなアツさ」を求めている人にとっては、『シンフォギア』は間違いなく唯一無二の作品となってくれる。この作品でしか得られない「歌」を核として爆発する圧倒的なカタルシスが、何より熱く魂を震わせてくれるのである。本作のクライマックスで描かれた、この伝説のシーンのように。 

 

Meteor Light

Meteor Light

  • 高垣 彩陽
  • アニメ
  • ¥255


改めて振り返っても……もとい、振り返れば振り返るほどに名作だと痛感する『戦姫絶唱シンフォギア (第1期) 』。そして、名作であるからこそ、本作は「歴史の始まり」になった。 

戦姫絶唱シンフォギア』から『シンフォギアG』へ。そして『シンフォギアGX』『シンフォギアAXZ』と続き、5期『シンフォギアXV』にて完結した本シリーズ。そんな5作品の歴史を振り返る展示イベント『戦姫絶唱シンフォギア 10周年記念展 -繋ぐ手と手-』通称「シンフォギア展」が、現在東京都・渋谷にて開催中だ。

 

 

東京会場は10月9日までの開催となり、その後は大阪・名古屋にて順次開催となる本イベントは、おそらく初公開となる秘蔵の設定資料やライブ衣装の展示、そして立体音響による「シリーズ屈指のとある名シーン」の特別上映など見所満載。特に特別上映は想像を絶する落涙モノの仕上がりになっているので、ファンの方はこの千載一遇の機会を是非モノにして頂きたい。

 

 

それでは、今回の記事はここまで。 

次の記事では、シンフォギアシリーズの人気を確たるものとした歴史の転換点にして、第1期と並ぶ名作と名高い第2作=『戦姫絶唱シンフォギアG』を振り返っていきます。個人的な思い入れを差し引いても、シリーズの中で重要なポジションを占めている本作。適合者の方もそうでない方も、是非皆でこの記念すべき10周年を振り返っていきましょう!