感想『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突 Episode 9~10 (終) 』 シリーズの転換点!「運命の衝突」が拓いたウルトラの未来に愛をこめて

皆様、覚えているでしょうか。
ウルトラマンサーガ10周年として話題になっている今年は、2012年8月に放送が開始された『ウルトラゼロファイト』の10周年でもあることを。

 

 

ウルトラマン列伝』のミニコーナーとして、そして実質的なウルトラマンゼロ初の連続TVシリーズ作品として始まった『ウルトラゼロファイト』。1話3分という短い尺に、少年漫画風味の熱いシチュエーションや挑戦的な映像表現を盛り込んだ同作は幅広い層から好評を博し、総集編番組『ウルトラマン列伝』から、ウルトラシリーズ再興の立役者『ウルトラマンギンガ』へと見事にバトンを繋いでみせた。 

(まさしく、『ウルトラセブン』後に休眠期間に入ったウルトラシリーズが、元祖『ウルトラファイト』を経て『帰ってきたウルトラマン』にバトンを繋げた……という歴史の再演のようで感慨深い)

 

その後、新世代の『ウルトラファイト』は定期的に製作される短編バトルシリーズとして独自のポジションを確立。「限られた尺をフル活用するバトルムービー」という原点の志を受け継ぎつつ、作品を重ねるごとにその作品性を進化させていった。 

そして、そんな『ファイト』シリーズの進化とその先にあるビジョンが顕著に表れていたと言えるのが、今回の『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』Episode 9~10。 

シリーズの転換点と言える本作のフィナーレを振り返りつつ、めでたく10周年を迎えた新世代『ファイト』シリーズの過去・現在・未来について、しばし思いを馳せてみたい。

 

 

前述の通り、限られた予算と尺で製作された実験作、そしてニュージェネレーションシリーズのオリジンとして大きな成果を挙げた『ウルトラゼロファイト』。 

続く『ウルトラファイトビクトリー』『ウルトラファイトオーブ』は、尺が限られてしまう各TVシリーズの世界を広げつつ、主人公たちとレジェンドヒーローたちの「夢の共演」を描く場となり、それら2つの役割を極限まで突き詰めることで生まれた『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』は、新世代『ファイト』シリーズの集大成/到達点として大きな反響を呼ぶこととなった。

 

 

このように、TVシリーズの製作状況に鑑みつつ、それを補う「補完」的作品として進化、遂にはそのメインストリームを食ってしまうほどの一大コンテンツとなった新世代『ファイト』シリーズは、その次作『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』を皮切りに、遂に「シリーズのもう一つの本流」としての道を走り始める。

 

 

これまでは1話3分、長くても合計1時間だったミニシリーズは、本作から1話10分/合計1時間半という劇場版以上の長編へとバージョンアップ。「TVシリーズの補完」「新旧ウルトラヒーローの共演」といった従来の作品性はそのままに、ギャラクシーファイト』というシリーズを股にかける一大ストーリーが幕を開けることとなった。 

(今やすっかり人気キャラの仲間入りを果たした) アブソリュートタルタロスの初登場、そして彼が召集したかつての強敵 (平行同位体) たちとの激戦を描く、ウルトラマンネクストステージ導入編」という重大な役割を担った意欲作『大いなる陰謀』。 

その展開には、これまで以上に進化した画作りや話題性 (サプライズ) の積極的な投入、第3期昭和ウルトラシリーズなど、これまで出番に恵まれてこなかったヒーローたちの客演によるアプローチ対象の拡大……と、これまでの『ファイト』シリーズが積み上げてきたノウハウが満載。 その素人目にも明らかな「本気ぶり」のおかげか、生半可な予算・規模感でやろうものなら反感を買ったり名前負けに終わってしまいそうな「アブソリューティアンというかつてないスケールの敵」「あらゆる次元 / ウルトラマンを巻き込む巨大な戦乱」という展開も好意的に迎えられ、続編として始まった『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』にて、本格的にその火蓋が切って落とされることになる。

 

 

『大いなる陰謀』が下地を整えた「ウルトラマンネクストステージ」。『運命の衝突』は、それが何たるかを様々な形で我々に示してくれた。 

光の国と対を成すザ・キングダムの存在、(ユリアン救出作戦などの) これまでのシリーズでは見られなかったような斬新な画・シチュエーション、惑星バベル編を筆頭に、多彩なウルトラマンが「ゲスト扱い」としてでなく有機的に物語に絡んでいくことでボルテージを上げていくストーリー……等々、これらの演出やシナリオ運びには不馴れな面も散見されるものの、毎週「数年前のウルトラマンでさえおよそ考えられないような挑戦心」に溢れた画・展開を楽しむことができるのは、それだけで本当に幸せであったし、その挑戦の連続が後のシリーズ展開への大きな試金石になるであろうことは想像に難くない。 

そして、今回の本題である『運命の衝突』Episode 9~10は、前述してきた『ファイト』シリーズの過去・現在・未来が詰まりに詰まった怒濤の最終章となっていた。


 

徹頭徹尾見所だらけだった「惑星ブリザード決戦編」ことEpisode 9~10。中でも、本作の意義を考える上でまず触れなければならないのが、3人のアブソリューティアンとゼロ・リブット・レグロスら、ギャラクシーファイトの顔たる新世代ウルトラマンたちとの決戦だ。 

ゼロは父・ウルトラセブンと『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』以来となるタッグを組み、レグロスは朋友レオ兄弟と共にマスター・アルーデの弔い合戦に挑み、リブットはノアの思いを背にティターンと刃を交える。これら3つの戦いで注目すべきは、それぞれの裏に流れている文脈が「過去の作品群に基づくもの」ではなく『ギャラクシーファイト』の中から生まれたものである点だろう。 

これまでは過去作品ありきの内容だった『ファイト』シリーズが、とうとうオリジナルの文脈で熱い戦いを描くに至った……というのは、これまで述べてきた「ファイトシリーズの進化」が顕著に表れているポイント。そして、その中でもウルトラマングロスディアボロの戦いは『ファイト』シリーズが描く未来像を垣間見せてくれた。

 

レオのテーマ/長 (M1T3) [『ウルトラマンレオ』より]

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「我らが故郷の獅子座L77星と、幻獣闘士たちの故郷のりゅう座D60星は兄弟星。こいつがマスター・アルーデの仇ならば、俺たちにとっても敵だ!」

 

遂に明かされたレグロスの出身星、りゅう座D60(“幻獣闘士たちの故郷”ということは、レグロスはその星で修行していただけで、あくまで出身は獅子座という線もある……?) 。 

D60星はL77星と同じくマグマ星人に滅ぼされたが、そこにアブソリュートタルタロスが介入したことでレグロスは生還した……というこの設定、その背景にも勿論驚かされたけれど、それ以上に驚かされたのはその「上手さ」だ。 

というのも、現状のウルトラワールドの中心にあるのは、M78星雲光の国やウルトラ兄弟が存在しているM78スペースであり、「光の国出身のウルトラマン」という設定は(メビウスやゼロ、タイガらに代表されるように) どんな世界・舞台とも噛み合いやすいという高い汎用性を持っている。しかし、光の国出身の新ウルトラマンという設定には「世界観の広がりを産み辛い」という欠点も存在している。 

そこで光るのが、今回のレグロスの『獅子座L77星縁の新ウルトラマン』という設定だ。

 

 

グロスは光の国出身ではないため、これまでにない独自の世界観を持っている。しかし、既にその故郷 (L77星、もしくはD60星) が滅びているため、光の国に戦士として迎え入れられることには何の問題もないし、「母星が滅びている」という設定もレオ兄弟と同じため、視聴者としてもすんなり受け入れることができる。 

更に「L77星縁のウルトラマンで生き残っているのはレオとアストラだけではなかったか?」という設定上の問題についても、あくまでレグロスは「歴史へ介入したタルタロスによって、星の崩壊前にザ・キングダムへ連れ去られた、正史とは異なる存在 (平行同位体) 」である……と、彼のバックボーンは「独自の世界観を持ちつつも、既存の世界線に馴染みやすい」ものになっている。「既存の設定を活かしつつ、ウルトラの世界を広げていく」ことが至上命題となった現在のギャラクシーファイト発の新ヒーローとして、これ以上に適任と言える存在もいないだろう。  

(シリーズの未来を拓くという製作陣の意志が感じられる新ヒーローが、これまでは過去シリーズの「受け皿」的な存在だったファイトシリーズから生まれたことの感慨深さたるや……)

 

そんなレグロスについて気になる点があるとすれば、肝心要の「独自の世界観」が、今のところどうにもコメントに困るものであることだろうか。 

Episode 9、レグロスがレオ兄弟と幻獣覇王拳を放つ直前の、知らない人たち (レグロスの兄弟子たち) が “皆さんご存知!!” というようなノリで3人に力を貸すくだりは「何一つ説明がない」「兄弟子たちの見た目がニュージェネお馴染みの “服を着た宇宙人” 」「やたらキレッキレな決めポーズとBGM」などの要因が噛み合っており非常にシュール (シュールすぎて笑ってしまったのは筆者だけではないはず) で、レグロスの持ち込んだ新しい世界観に対して猛烈に不安を感じてしまう珍シーンとなってしまっていた。 

しかし、その吉凶は後の『ウルトラマングロス』でハッキリすること、今はひとまず「過去・現在の受け皿」から「産み出す」側=新しいウルトラのメインストリームとして「ギャラクシーファイト」が再誕したことを喜んでおきたい。

 


これまで述べてきたように、いくつもの新しい挑戦を見せてくれた『運命の衝突』。しかし、本作はそういった「挑戦」にかまけてばかりではなく、シリーズの大きな魅力である「過去作への目配せ」もくまなく行き届いた作品であった。

 

『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』や『劇場版ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』のリベンジとして、ギンガ~ゼットらニュージェネレーションヒーローズが大活躍したEpisode 1~4。 

ウルトラフォースが参戦し、そしてウルトラマンネクサス・ノアが衝撃的な復活を果たしたEpisode 5~6。 

アストラからビクトリーまで、歴代シリーズの準主人公たちが集結しドリームマッチを繰り広げたEpisode 7~8。 

それぞれの客演における原作をリスペクトした演出・アクションの巧みさは言わずもがな、『運命の衝突』の客演の上手さは、そのようなヒーローたちを「ただ出す」だけではなく、ストーリーに有機的に絡むように、かつ多様な切り口で描いたことで、サプライズの連続で目が肥えてきたファンを唸らせたその見せ方にある。今回のEpisode 9~10には、そんな本作の「上手さ」がとりわけ分かりやすく詰まっていたと言えるだろう。 

中でも大きなトピックとして外せないのが、実に16年ぶりとなるメビウスインフィニティーの登場だ。

 

 

『運命の衝突』PVの時点で「メビウスを中心に並ぶウルトラ6兄弟」という、もはやその登場を隠す気が欠片もないシーンをチラ見せした上で、満を持して登場したメビウスインフィニティーウルトラマンの中でもレジェンドやノアらと同じ最強格に数えられるため、その扱いが危ぶまれる節もあったものの、そこは流石のギャラクシーファイト。相対するのは無数に出現するアブソリュート一般兵だが、インフィニティーの力で破壊するのは「彼らが出現するゲートそのもの」と、文字通り理屈を越えた凄まじい力を披露。スーパーウルトラマンとしての格を落とすことなく、圧倒的な存在感を見せつけてくれた。 

そんなメビウスインフィニティーの演出で特に光っていたのは「原作と同じアクション」を「原作とは異なる演出」で描く、というその見せ方だろう。

 

 

メビウスインフィニティーが初登場したのは、2006年の映画『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』。その登場時間はなんとたったの3分で、BGMの『奇跡! メビウス・インフィニティー』の1:30頃で登場→メビュームスラッシュで迫り来るミサイルを撃ち落とす→コスモミラクルアタックで突撃、Uキラーザウルス・ネオを撃破 (ここで『奇跡!~』が終了) →戦いを見守り続けたタカト少年に約束のVサインを贈る……という一連のみの登場と、その「幻のウルトラマン」ぶりたるや、かのウルトラマンレジェンドを思わせるほどだ。 

 

今回のメビウスインフィニティーの演出は、そんな原点を限りなく尊重しつつ、独自のアップデートを加えたと言えるもの。 

『奇跡! メビウス・インフィニティー』をバックに登場→メビュームスラッシュで一般兵を一掃→原点と同じようにカメラ手前へ突撃するするコスモミラクルアタックでゲートを粉砕……と、字面上は原作とほぼ同じでありつつも、声が付いていたり (それも『メビウス』後期から「ゼア!」「ダァーッ!」という特に勇ましい掛け声を選出するセンス……!)  ウルトラ兄弟との合体シーンが原点をトレースしつつもより躍動感のあるカメラワークで撮られていたり、メビュームスラッシュやコスモミラクルアタックの火力・規模がおよそ尋常でないものになっていたり(あまりの超火力ぶりに笑ってしまったのは筆者だけではないはず)……と、その「見たことがあるようで見たことのない、新しいメビウスインフィニティー」とでも言うようなその復活と活躍は、バレバレのサプライズであることや「フルCGのコスモミラクルアタックが描けない」というハンデを忘れさせてくれるような、まさに奇跡の1分半となっていた。 

(むしろ、フルCGのコスモミラクルアタックがないことが原点との良い差別化になっているとも言えるだろう)

 

 

一方、本作の恐ろしい所はそんなメビウスインフィニティーの登場をある種のミスリードに使ってみせたこと。 

メビウスインフィニティーが惑星ブリザード編でサプライズ登場する」ということを隠しもせず限界まで匂わせたことでファンの注意を惹き付け、もう一つのサプライズ枠であるウルトラマンゼット デスシウムライズクロー登場の衝撃を限界まで高めてみせたのである。

 


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ゼロビヨンド (ギャラクシーグリッター)、トライストリウムレインボーに続くリカラー強化形態となったデスシウムライズクロー。 

リカラー形態はどうしても (スーツのリペイントよろしく) 新形態としては物足りなさを感じてしまいがちだけれど、ギャラクシーグリッターは「ギンガ、ビクトリー、エックス、オーブから直に力を受け取ったことによる進化」トライストリウムレインボーは「『タイガ』の核である多様性を象徴する姿」と、それぞれが単なるパワーアップではなく「ビヨンド/トライストリウムの派生」であることにきっちり基づいた、製作上の都合を感じさせない説得力を持った「アツい」進化形態であることがポイントだ。そして、その点はデスシウムライズクローも例外ではない……もとい、個人的には前者2つ以上の「アツさ」を感じてしまう。

 

あくまで個人的な予想でしかないけれど、デスシウムライズクローとは「ベリアロクの持つベリアル因子と、デルタライズクローを構成するジードメダル / ベリアル アトロシアスメダルのパワーが共鳴して生まれた、ゼットの事実上の究極形態」のように思う。もしそうであるならば、それはゼット初にしてファン待望の「ベリアロクの力ありきで生まれる姿」と言えるのではないだろうか。

 

 

ハルキとゼットにとって、共に「1人前のウルトラマン」を構成する大切な仲間となったベリアロク。初報でその奇抜さにひっくり返り、初登場時にはその凝った設定に唸らされ、最終回では漢らしい散り際に号泣し、ラストシーンでは「俺の涙を返せェ!!」と叫びつつも彼の帰還を心から喜んでいる自分がおり、気が付けばプレミアムバンダイ限定のバージョンを買ってしまうほどにはベリアロクのことが好きになっている自分がいた。

 

だからこそ、ベリアロクの力が必須となる形態がないことがどうにも寂しい。 

当初はデルタライズクローがその形態であるような印象を受けたけれど、よくよく考えてみればデルタライズクローへの変身にベリアロクは全く関わっておらず、『トリガー』への客演時には (ハルキ&ゼットの成長の賜物か) あくまでオリジナルとアルファエッジの姿でベリアロクを使いこなしていた。 

それは、ベリアロクが姿を問わず常に共闘する仲間となったことでもあるし、それはそれで嬉しい……のだけれど、やはりハルキ-ゼット-ベリアロクが真の仲間となったことで生まれる「三位一体の姿」が見てみたいのが人情 (オタク心) というもの。ウルトラフュージョン(元々は) ハルキありきの変身なのだから、そこに上乗せする形で「ベリアロクがいて初めて完成するフュージョン形態」があっても良いだろう……と、そんな矢先にデスシウムライズクローが現れたものだから、それはもう声を上げて盛大にひっくり返った。待っ↑ていたよ!!

 

Promise for the future

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(BGMが、デルタライズクローVSデストルドスを彩った『Promise for the Future』というのもアツい!)

 

ハルキとゼットが力を合わせて獲得したウルトラフュージョンであるデルタライズクロー。そこにベリアロクの力が加わって誕生したデスシウムライズクローは、

 

「力を貸してくれ、ハルキ! チェストォーーッ!!」

 

というゼットの叫びで発動したことからしても、おそらく本来はハルキありきの姿なのだろう (『大いなる陰謀』以降のトライストリウムのようなもの?)。そうであるなら、デスシウムライズクローはまさしく 「ハルキ×ゼット×ベリアロク」の三位一体=ウルトラマンゼットの集大成と言っても過言ではないはず。 

そんな熱い文脈に加えて「ゼットのウルトラフュージョン態で唯一名前にギリシャ文字がない」という特別感や、ティガダークを思わせるシックなカラーリング、必殺技「ゼスティウムデスバースト」がゼスティウム光線の強化・発展版である……等々、一から十までアツい要素で埋め尽くされたデスシウムライズクローは、メビウスインフィニティーという大物を踏まえて放つ真のサプライズに相応しい、リカラーの一言に収まらない魅力的な新形態だったと言えるのではないだろうか。

 

Now or Never!

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これまで挙げてきたメビウスインフィニティーとデスシウムライズクロー以外にも、Episode 9~10では「過去作への目配せ」の秀逸さが非常に際立っていた。 

ウルトラマンはウルトラ水流、ジャックはボディスパークやウルトラロケット弾、エースはマルチギロチンと、ウルトラ兄弟たちは本放送ぶりのレア技を「坂本流リメイク」で披露。タイガとトレギアの戦いにおいては、タイガ&タロウの親子タッグが初めて実現しただけでなく『タイガ』最終回で光の守護者という概念を押し付けるに留まってしまったタイガが、今度はトレギアの怒りを正面から受け止め、彼に心から向き合ってみせる……と、本編で消化不良に終わってしまった「タイガとトレギアの物語」をもう一度やり直すという、ファン感涙のシチュエーションが展開されていた。 

(タイガとトレギアについては長くなるので、また次回作以降の感想にて……)

 

Episode 9~10におけるこれらのシーンが際立って秀逸だったと言えるのは、個々のクオリティの高さは勿論として、「それぞれの方向性が被っていない」ということ。 

メビウスインフィニティーは原作再現、デスシウムライズクローは既存キャラクターの新形態、ウルトラ兄弟はリメイク、トレギアはシナリオ (物語) 面の掘り下げ……と、どれも「過去作への目配せ/ファンサービス」という点では共通していても、その方向性が全く異なっているため、これらのシーンが15分に詰め込まれていても飽きが来ない。 

これは「過去作への目配せ」というシリーズのお約束 / サプライズ要素が恒例行事化しつつあったことに対する、製作陣の「サプライズさえあれば楽しんで貰えるなどとは思っていない」という意思表明のようにも思えるし、当初は作品としてのノルマや視聴者からのニーズに応えることで手一杯だった『ファイト』シリーズが、作劇のクオリティや方向性を追求できるほどのノウハウを蓄積できたという証左でもある。 

『ファイト』シリーズも今年で10周年。その10年分の蓄積があるからこそ、『運命の衝突』は過去作への目配せだけでなく「開拓」も担う生産側のシリーズとして再誕することができたのかもしれない。

 


「シリーズの可能性を広げつつ、歴史への目配せも忘れない」……と、長期シリーズの新たなメインストリームとしてこの上なく理想的な作劇スタイルを見せてくれた『運命の衝突』。しかし、これまで以上にウルトラシリーズの未来を感じさせる魅力が溢れていた同作は、その一方で「これまでのシリーズでは考えられなかったような粗が目立つ」という大きな欠点も抱えていた。

 

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ウルトラマンゼアスに代表される、過去の作品を蔑ろにした演出。

 

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鳴り物入りで登場した割には地味なデビューとなってしまったウルトラマングロス

 

他にも、そもそも話のテンポが悪いといった根本的な問題もあり「見ていて大いに不安に駆られた」というのも否定できない本作。 

確かに本作は多くの魅力を持った作品ではあるが、このような粗はこれまでの『ファイト』シリーズでは見られなかったもの。それが「シリーズが安定軌道に乗ってきた」ことで生まれた気の緩み/膿なのだとしたら、放置しようものならすぐに広がって作品の骨子を食い荒らしてしまうだろうし、実際に (個人的な体感ではあるものの) 本作はこれまでの『ファイト』シリーズで最も批判的な意見を集めてしまっているように思う。

 

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詳細はこちら ( ↑ ) の記事に譲るが、Episode 10終盤で描かれた、ゼロとレグロスによる組み手のシーンにゼロ→レグロスのバトンタッチというニュアンスを感じたのは筆者だけではないだろう。

 

新時代の顔として、平成後期から令和に至るまで10年以上「ウルトラ」を支え続けてきたウルトラマンゼロ。そして、シリーズの映像表現や世界観をアップデートし、ウルトラの新たな境地を拓いた『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』や『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』。グロスというウルトラマンや今後の『ギャラクシーファイト』『ウルトラマングロス』等の作品群は、果たしてそんなゼロシリーズの跡を継ぐことができるのだろうか。   

魅力やポテンシャルは十分以上のものを持っているように思えるけれども、ただ「相応の魅力やポテンシャルがある」というだけで背負えるほど、ウルトラの看板は甘くない。ゼロが複数の作品を経てやっと今の人気を確立したように、無限大のポテンシャルを秘めていた『ウルトラマンタイガ』が時代の寵児になれなかったように、歴史あるシリーズに新たな顔を作ることは決して容易なことではないのである。

 

しかし、それは裏を返せば「良くも悪くもこれから次第」ということ。 

本作『運命の衝突』やウルトラマングロスのデビューには欠点も見られたものの、これまで挙げてきたように数多くの魅力を備えていたこともまた事実で、その魅力の中には「欠点を改善した結果生まれた」ものも多い。たとえ欠点があったとしても、それを払拭しながら積み上げてきたのが『ファイト』シリーズ、ひいてはウルトラシリーズの歴史なのだから。

 

だからこそ、今は後に控える『ウルトラマングロス』の続報を待ちつつ、この『運命の衝突』で生まれたものがどうなっていくのかを見守っていきたい。 

どうか『レグロス』そして次なる『ギャラクシーファイト』が、本作で拓かれた未来を更に広げる、熱く眩しい傑作でありますように……!