総括感想『ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ』- 新時代の総決算! シリーズファン必見の「クロニクル」史上最高傑作

~これまでのあらすじ~  

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ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ』について書こうとしたら、その前談=『ウルトラマン列伝』系列の作品について語るだけで10000字を費やしていた。

 

……と、このように『ウルトラマン列伝』の系譜が大好きなシリーズファンの自分から見て、先日フィナーレを迎えた『ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ』は『列伝』を継いで始まった「クロニクル」シリーズ史上最高傑作と呼べるものだったように思う。 

一体『ニュージェネレーション スターズ (以下「ジェネスタ」) 』の何がそこまで魅力的で、何がそこまで革新的だったのか。「再放送番組」という枠の向こう側を見せてくれた本作の魅力を、様々な観点から振り返ってみたい。


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引用:新テレビ番組『ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ』2023年1月28日(土)あさ9時~テレビ東京系にて放送開始! - 円谷ステーション

 

《目次》


『ニュージェネレーション スターズ』とは

 

ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ』とは、2023年1月28日から6月24日まで全22話が放送された作品。『ウルトラマンデッカー』から『ウルトラマンブレーザー』にバトンを渡す、言ってしまえば「つなぎ」の番組だ。 

昨今のウルトラシリーズは、新作TVシリーズ2クールと「つなぎ」の2クールがセットになって1年間の放送を行っており、過去シリーズの再放送や総集編から成る「つなぎ」側は謂わば日の目を浴びない日陰者。しかし、ウルトラマンギンガ』から始まる「ニュージェネレーション」シリーズ10周年記念作でもある『ジェネスタ』は、どうやらこれまでとは一味も二味も違うらしいことが放送前から匂わされていた。


大きな前提として、本作にはしっかりとした「ストーリー」が存在している。

 

ある日、M78星雲・光の国が「ウルトラマンの絆に対する挑戦」を語る何者かの攻撃を受け、保管されていた「ウルトラマンたちの記録」が失われてしまった。 

そんな危機に対し、遥か未来からウルトラマンゼロに託された謎のアイテムが「ディメンションナイザー」。送り主の未来人曰く、このアイテムにウルトラマンたちが「自身の記憶を強く念じる」ことで、未来に保管されている記録がディメンションカードとなって送信されてくるのだという。

  ディメンションナイザーはなぜゼロに似た形をしているのか。未来人は何者なのか、黒幕の正体とは――。数々の謎を抱えながらも、ウルトラマンたちの「記憶を辿る」戦いが始まった。

 

……というのが、本作『ジェネスタ』の大まかなあらすじ。これまでのクロニクル系番組よりもグッと物語性が高まっているだけでもワクワクしてしまうけれど、本作の巧さは何といっても「ニュージェネレーションヒーローズそれぞれが、自身の記憶を回想する」というシナリオ作りだろう。

 

 

これまでのクロニクル系番組には、ゼロやガイが作品を特に理由なく振り返る=「ナレーション」に徹する作品もあれば、リクやペガ、マルゥルが過去の作品を勉強したりするという味付けがされた作品もあった。 

しかし、どちらにせよそれらは「振り返り番組だから振り返っている」という都合の域を出ないもの。製作陣もそのことに課題を感じていたのか、『ウルトラマンクロニクルZ ヒーローズオデッセイ』においては「ゼットがゼロにデストルドスとの戦いを報告した結果、ゼットが実質的にゼロの弟子を卒業する」という衝撃的な場面が描かれるなど、徐々に「振り返り」そのものが物語性を帯びていくようになっていった。

 

 

元を辿ればこの図式は『ウルトラマン列伝』最終回などまで遡る必要があるのだけれど、そこに切り込むと話が長くなるので割愛。重要なのは、この『ジェネスタ』がまさにその到達点と呼べるものになっていること。  

本作の主人公は、ゼロ、ギンガ、エックス、オーブ、ジード、ロッソ&ブル、タイガ、ゼット、トリガー、デッカー。前述の通り、本作は彼らニュージェネレーションヒーローズが「自分達にまつわるエピソードを追想する」こと自体がドラマになっており、再放送や総集編がこれまでとは比較にならないほど「ストーリーと直結する」ものになっていた。この方針を最後までブレることなく貫いた時点で、本作は「これまでの列伝系番組で最も凝ったものになっていた」とさえ言えるのではないだろうか。 

しかし、それはあくまでフレームワークの話。『ジェネスタ』の肝心な「中身」がどのようなものになっていたのか。全22話の内容とその魅力を一挙に振り返ってみたい。

 


『ジェネスタ』全エピソードプレイバック

 

第1話『ロストヒストリー』


初回らしい総集編。ウルトラマンゼットが自分を除くニュージェネレーションヒーローズ=ギンガ~デッカーを振り返るもので、見所は「初期PV」などのレアな映像が多めに使われていること。  

後輩の扱いが雑だったり、ギンガ相手にアホの子が露呈したりするゼット……という点からちゃっかり「ゼットの紹介」にもなっているなど、内容に比して急ぎ足感のない「完成された総集編」と言えるだろう。

 

第2話『ビギニング・オブ・ギンガ ~星の降る町~ 』 

 

実質的な『ジェネスタ』初回を飾るのは、今年10周年を迎える『ギンガ』第1話! 

実は『無印ギンガ』のエピソードが単体で再放送されるのは史上初 (唯一の例外が『劇場スペシャル』) のことで、SNSは「ウルトラマンギンガ」がトレンド入りするほどの大盛り上がり。 

ある意味『R/B』以上に尖った作風に賛否が分かれる『無印ギンガ』だけれど、ヒカルたちのフレッシュさや初戦のカッコよさは今尚文字通りのオンリーワン。「ギンガ=ヒカルが降星町の仲間たちを思い返す」というファン必見のシーンもあり、『ジェネスタ』への期待を大きく高めてくれるエピソードだった。

 

第3話『大切な仲間』 

 

『ギンガ』劇場スペシャルから、タイラント繋がりで『ジード』第9話に繋がり、ベリアル融合獣から『Z』第4話に繋がり、そこからようやく『ギンガS』第8話に繋がりビクトリーのカード生成に至る……と、些か『ギンガS』の扱いが気にかかる総集編。 

タイラントやエリマキテレスドンの販促のためにこういった形になった、という背景を思えばやむを得ないし、むしろよくここまで巧い構成を……! と拍手ものなのだけれど、それはそれとして、いつかどこかでビクトリー=ショウ要素の補填は欲しいところだ。

 

第4話『共に戦う者たち』 

 

『Z』第3話、第25話と特空機で続いてから、『トリガー』第9話、『デッカー』第2話と、防衛隊繋がりでどんどんストレイジの話から遠ざかっていく総集編。 

『Z』は『ウルトラマンクロニクルZ』でも『ウルトラマンクロニクルD』でも特空機の総集編を放送していたのでこういうスタイルしか取れなかったのだろうけれど、当時は「またウルトラマンごとの尺配分がぐちゃぐちゃになっていくんじゃ……?」と早くも不安を覚えたものだった。 

……それにしても、シリーズお馴染みと言えばお馴染みでもある「イマイチまとまりのない」総集編も、ゼットにかかれば「どんどん話が逸れていく」という味付けになってしまうのが恐ろしい。ある意味ゼロの後継者に相応しいのかも?

 

第5話『立ち上がれゼット! ~最後の勇者~ 』 

 

と、そんな不安を一蹴する見事なセレクトが光る第5話。 

正体不明のゼットが「自らの記憶を念じる」となると、なるほど確かに名付け親=ウルトラマンエースを思い浮かべるしかない訳で、「ストーリーラインに沿ったエピソードを放送していく」という本作の方針がはっきり表れた選定には思わず唸ってしまった。『最後の勇者』は近年屈指の人気エピソードでもあるため、まさに納得のピックアップと言えるだろう。 

……ところで、バラバのソフビ再版はいつなんです!?

 

第6話『トリガーの危機! ~黄金の脅威~ 』 

   

第7話『絆を乗せた艦 ~オペレーションドラゴン~ 』 

 

『トリガー』からは、リブットのカードを生成する為にアブソリューティアン編の前後編がピックアップ。かつての戦いを思い返すケンゴの姿には「味付けはニュージェネらしいものながら、根底にある雰囲気はTDG3部作時代を意識したものになっている」という『トリガー』の作風が顕著に現れており、『ジェネスタ』という作品の中だからこそ『トリガー』の個性が浮き彫りになっていると言えるかもしれない。  

総集編がないのは『トリガー』だけなのだけれど、この前後編は「ウルトラマントリガー=マナカ ケンゴの本質に迫る」エピソードであると同時に、カードを生成しなければならない相手=リブットの客演編でもある……と、まさに『ジェネスタ』にピッタリのセレクトだったように思う。   

(欲を言えば、この前後編を総集編にして、もう一枠でイグニスを特集、トリガーダークのカードを生成して欲しかった……!)

 

第8話『会敵!』 

 

ここでまさかのゼロ編その1。ウルトラマンゼロが今回の黒幕と接触し、これまで戦ってきた強敵を思い出す……という特別編で、ゼロの客演編である『劇場版 ウルトラマンギンガS決戦! ウルトラ10勇士!!』と、『Z』第7話をピックアップ。その後、セレブロ繋がりで『ウルトラマントリガー エピソードZ』のデストルドスを取り上げる内容だ。 

ウルトラ怪獣DXのデストルドスを販促しつつゼロ回にする、という難題ながら、第3話や第4話よりも自然な流れが魅力的。黒幕と絡む役割を一任されていたり、こうして中盤に一度挟まれたり……と、ゼロ周りに見られる「上げすぎず、下げすぎない」巧みなバランス感覚は、最終回と合わせて本作の「まとまりの良さ」を作っている大きな要因と言えるだろう。

 

第9話『時空を超えた戦い ~イージス光る時~ 』 

 

そんな第8話のラストで、ゼロが「エックス辺りに、一度連絡を入れてみるかな」と言い出したあの瞬間のワクワク感は、さながら『仮面ライダーディケイド』の予告前に次の世界がチラ見せされたあの瞬間を思い出すもの……! 

かくして放送されたのは『X』のゼロ客演回=第5話『イージス 光る時』。エックスは作中でとりわけ主役エピソードがある訳ではないので、「ゼロと接続してこの第5話をピックアップ、次回と合わせて客演回を網羅する」というのは、まさに「平成版メビウス」とも呼ばれる『X』の面目躍如。非常に巧みな構成と言えるのではないだろうか。

 

第10話『紡がれた可能性』 

 

『X』から、残る客演編であるマックス編、ギンガ&ビクトリー編、そして『劇場版ウルトラマンX きたぞ! われらのウルトラマン』をピックアップするという贅沢極まる総集編。 

ザイゴーグ戦を「あの伝説の戦い」と紹介するエックスには「製作陣にも人気の程が届いてるんだな……」と笑ってしまった反面、ネクサスの客演回がカットされてしまったのが惜しいところ。尺を考えればやむを得ないし、それよりも「ザイゴーグ戦の前にメカゴモラ戦を挟み、Xioについて言及する」ことを優先した製作陣の英断に乾杯したい。Xioあってのザイゴーグ戦、Xioあってのウルトラマンエックスだもの……!

 

第11話『未来からの言葉』 

 

本作のキーアイテムであるディメンションナイザーは「デッカーのいた未来の時空から送られてきた」もの。……ということで重要なエピソードかと思いきや、実はそんなこともなかった『デッカー』編。 

直近の作品ということもあってか2話が揃って総集編になっており、こちらは『デッカー』第1話から、ディメンションカード怪獣の話題で第9話、ウインダム繋がりで『Z』第17話、怪獣との共闘から『X』第10話にスライドするという剛腕構成となっていた。変と言えば変な総集編だけれど、久しぶりに見ることができた「元気溌剌なカナタ」でお釣りが来てしまう貴重な一編だ。

 

第12話『彼方へ続く絆』 

 

こちらは『デッカー』から第19話、第14話、第15話、第21話、第15話のダイナミックタイプ初登場シーンという構成の総集編。「過去のトリガー、未来のダイナやデッカー、そして現在を駆け抜けるカナタ」という、『デッカー』という作品のテーマを再認識させてくれるドラマチックな流れが魅力的で、ダイナミックタイプ初戦に『ヒカリカナタ』を流す演出や、ディメンションカードを唯一「自分でスラッシュする」カナタ、といった演出に「あれだけ総集編をやっていたデッカーがこんなに新鮮に楽しめるなんて……!」と感動さえ覚える名編だ。

 

第13話『二人の原点 ~ウルトラマンはじめました~ 』 

 

2023年で5周年を迎える『R/B』から初回がピックアップ。 

ビクトリーのカードをギンガが生成するくだりがあったので、ひょっとしてR/B枠はロッソ一人なのでは……と思っていたところ、本編でブルが登場して一安心。他作品の新規撮影パートが「浸る」ものだったのに対し、R/B兄弟は相変わらずコントをやっているのが彼ららしくて、そんな彼らの「変わらなさ」にむしろこちらがしみじみ浸ってしまう一編。 

……かと思いきや、その直後ウルトラマンの力を得る前の思いを忘れず、夢を追い続ける」という決意がきっかけで2人のカードが生成される」という爆弾が投下。自分含め、彼らの目覚ましい成長が嬉しくもあり、寂しくもあった『R/B』ファンはなべて消し炭になってしまう超火力シーンで、まさに「ただの再放送に留まらない」本作の象徴とも言えるエピソードとなっていた。

 

第14話『戦う女の子』 

 

『R/B』第17話でウルトラマンルーブの紹介とダダの販促をこなしつつ、『劇場版ウルトラマンR/B セレクト!絆のクリスタル』と『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』の映像で湊アサヒ=ウルトラウーマングリージョを紹介する総集編。 

彼女を紹介するには総集編しかない、と分かってはいても「グリージョだけで一本放送される」という事実に感慨深くなってしまうし、アサヒのカードを自分達で作っていいのか葛藤したり、その成長を噛み締めて涙してしまうカツミと、そんな彼をいじり倒すイサミのキレは本編そのまま。2人のコントはこれからどんどん貴重になっていくだろうから、この前後編をしっかりと噛み締めておきたい……!

 

第15話『繋がりは円環』 

 

ウルトラファイトオーブ』『劇場版ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします!』の2作で「力をお借りする戦士」ウルトラマンオーブを描きつつ、『オーブ』第1話で「夕陽の風来坊」クレナイ・ガイを描く……という、『オーブ』への並々ならぬこだわりが垣間見える総集編。オーブトリニティのくだりから「だが、この3人の先輩の力を引き出してくれたのは……」とSSPの話にスライドする流れには、構成の巧みさは勿論、ガイの中に今もずっとSSPがあることを感じてグッと来てしまう。  

唯一気がかりだったのは、話の中に一切ジャグラーが絡まなかったことだが……。

 

第16話『腐れ縁の男』 

 

『オーブ』のジャグラー、そして『Z』のヘビクラをオーブとゼットが振り返るという、オタクの二次創作でもここまで露骨なことやらんぞ!? という『ジェネスタ』どころかこれまでの列伝系番組の中でも屈指の「永久保存版」エピソード。  

そのセレクトも『オーブ』第10話、第23話、最終回、『Z』第5話、第24話、最終回と「本気」そのもの。喧しいゼットと辟易するガイ……という2人のやり取りもたまらなかったけれど、最大の見所はなんといっても「ヘビクラが自分たちストレイジを本当に大切にしてくれていた」というゼットの言葉に心底嬉しそうな声を漏らすガイだろう。 

ジャグラーのカードが生成された=彼が未来の歴史に残っている理由は明言されなかったけれど、ゼットの語った「未来で、ジャグラーはヒーローとして認識されている」という説を、自分もジャグラーに魅せられたファンの一人として支持していたい。

 

第17話『決めるぜ覚悟 ~秘密基地へようこそ~ 』 

 

ウルトラマン列伝』以降の再放送番組では、基本的に「一度再放送したエピソードはそれ以降放送しない」という暗黙のルールがあり (ゼロシリーズはこの数少ない例外) 、初回を放送することが多い『ジェネスタ』でも既に再放送済みの『X』『オーブ』の第1話を放送することはなかった。そのため、以前『ウルトラマン ニュージェネレーションクロニクル』で放送済の『ジード』第1話を放送するのは極めてイレギュラーな事態。   

次回の内容との兼ね合いもあるのだけれど、それほどこのエピソードに「朝倉リク / ウルトラマンジードの旨味が詰まっている」ということなのではないだろうか。

 

第18話『ShOUT』 

 

ジードとゼロの「親友であり盟友だが、居場所はそれぞれ別にある」という独特な距離感と、決して途切れない2人の絆を反映したかのようなジードとゼロが、離れた場所で同じ物語を代わる代わる振り返っていく」という構成に始まり、総集編としても凝りに凝った特別編。

  その内容は「ゼロとの出逢い」に始まり、ソリッドバーニングとアクロスマッシャーの獲得へ続き、本命として第7話・第8話の前後編=ゼロビヨンドの登場編を描くというもの。……しかし、この回最大の衝撃はその直後のこと。 

「あいつは、ウルトラマンベリアルの息子だからな」というゼロの言葉を合図に始まる『ジード』最終回の回想。『ShOut!』をBGMにぶつかり合うリクとベリアル、というのは『ウルトラマンクロニクル ZERO&GEED』でも見られた名演出。その再放送かと思いきや、ベリアルがレイブラッド星人から解放した瞬間にBGMが『フュージョンライズ!』に変化! まるで「運命のまま戦っていたジードが、その運命をひっくり返した」という本編の物語を体現するような演出、そしてジャグラー同様に生成されるベリアルのカードに涙せずにはいられなかった。 

決してヒーローではないベリアルの記録が未来に遺されていたのは、「僕は、ベリアルの息子である事実を否定しない……。見ていてください、父さん。何を言われたって、僕は僕の道を進み続けます!」というジードの想いが未来に受け継がれていった、その証左なのかもしれない。

 

第19話『共に進む場所は一つ』 

 

『オーブ』『ジード』がエモーショナルに振った総集編なら、この『タイガ』総集編は「カッコよさ」「楽しさ」に振った総集編。タイガをナビゲーターに、トライスクワッドの仲間であるタイタス、フーマを紹介しつつ、それ以上のものを見せてくれる傑作だ。 

映像の出典は『直前スペシャル』、『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』、『タイガ』でのそれぞれの初戦 (第3話、第4話)、そして2人がどちらも参加したガピヤ星人アベルとの戦い (第6話)  。これらで丁寧に2人を解説してから、『大いなる陰謀』Episode7,8の対ゼットン軍団、『タイガ』第16話へ移行。トライスクワッドの絆と、フォトンアース、トライストリウムも紹介する……と、その内容はまさに至れり尽くせり。イタスパートには『WISE MAN'S PUNCH』、フーマパートには『覇道を往く風の如し』が使われるなど演出もバッチリで、文字通り『タイガ』の旨味が凝縮された30分になっていた。

 

第20話『四人目の物語 ~バディゴー~ 』 

 

他の作品同様、『タイガ』からも第1話がピックアップ。OPの位置が変わっているため、「トレギアにタイガが倒される」→「タロウとトレギアが激突」→「何事もなかったかのように復活しているタイガ」という事故みたいな編集になってしまっていたけれど、「ヒロユキのことを考えていたら自分のカードが出てきた」というタイガの微笑ましさにはつい頬が緩んでしまう。今にして思えば、力のタイタス、スピードのフーマに対するタイガの個性とは、仲間との絆で進化していくことなのかもしれない。  

……え、フォトンアース? アレは地球人の心の光を受けて進化した姿だから…… (参考:ウルトラマンフェスティバル2019)

 

第21話『全ての出会いに……』 

 

『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』『ウルトラゼロファイト第2部』『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』と、要点を抜粋することで「ウルティメイトシャイニングに帰結するゼロの成長」という切り口でその歴史を描き直す……という、『ジェネスタ』に限らずこれまでの無数の総集編の中でもトップクラスの大傑作。  

第8話で一度挟まれ、そして第21話で『ジェネスタ』を締め括る……というゼロの特殊な扱いは、ギンガたちとは一線を画しつつもニュージェネレーションの一員ではある、という「ゼロの立ち位置」に対する円谷からの貴重な意思表明であると同時に、惜しみ無い愛の表れであるように思う。

 

第22話『未来へ』 

 

『劇場版ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』『ウルトラマントリガー エピソードZ』『ウルトラマンデッカー』最終回……を、ゼロが黒幕に語って聞かせる……という、まさに「ニュージェネレーションの歴史を総括する」かのような一編。まさしく有終の美と呼べる内容だけれど、この詳細についてはまた後程。

 

 

これまでの「クロニクル」シリーズと『ジェネスタ』の完成度

 

こうして振り返ると、改めてその無駄のない完成度に惚れ惚れしてしまう『ジェネスタ』。その魅力は挙げたらキリがないけれど、最大のポイントは何といっても「各ウルトラマンの尺が平等」である点だろう。 

これまでの「クロニクル」シリーズと言えば、特定の作品をピックアップしたものとして『ゼロ』『オーブ』『ゼロ&ジード』があり、複数の作品をピックアップしたものとしては『ニュージェネレーションクロニクル』『ウルトラマンクロニクルZ』『ウルトラマンクロニクルD』があった。『ジェネスタ』はこの内後者のパターンに当たるが、それらは往々にして「作品ごとに割り当てられた尺がバラバラ」という問題を抱えていた。

 

 

「ニュージェネレーションヒーローズをピックアップする」というテーマで始まったものの、内容が『X』『ジード』に偏っており、(前年にフィーチャーされていた『オーブ』『R/B』はともかく)『ギンガ』組の扱いの悪さが目立っていた『ニュージェネレーションクロニクル』

 

 

「ティガとZを中心に、ダイナとガイアにも触れていく」という無理難題に及第点以上のものを見せてくれたが、それは「ウルトラマンティガ=マドカ・ダイゴを全カットする」という極めてイレギュラーな前提条件ありきだったウルトラマンクロニクルZ ヒーローズオデッセイ』

 

 

タイトルの通りウルトラマンダイナがメインになるはずが、『エピソードZ』との兼ね合いや『ギャラクシーファイト』を全部流す、というスケジュールのせいで半分ほどダイナが無関係の作品になってしまったウルトラマンクロニクルD』

 

勿論、これらはいずれも再放送番組なので「作品としての完成度」よりも「求められるものに応える」ことの方が遥かに優先順位が高い。だからこそ、これらの作品のアンバランスさはある程度「仕方のない」こと。 

しかし、こと『ジェネスタ』はニュージェネレーションシリーズの10周年を飾るメモリアル番組であり、更にこの「再放送枠」=「列伝枠」はゼロやニュージェネレーションヒーローズにとって特別な意味があるもの。「今回だけは再放送番組の宿命に負けず、一つの作品としてメモリアルを打ち立てて欲しい」と、ワガママだと分かっていても願わずにはいられなかった――し、だからこそ『ジェネスタ』がそれらの前例を覆すメモリアル作品として大成したことがあまりに衝撃的で、正直、未だに夢かと思ってしまう疑ってしまう自分がいるくらいだ。

 

 

そんな『ジェネスタ』の魅力といえば、何よりもまずゼロ、ギンガ (『ギンガS』と合わせて2枠取ってしまうのは流石にバランスを欠くだろうし、1枠に絞ったのはむしろ懸命な判断だろう) 、X、オーブ、ジード、R/B、タイガ、Z、トリガー、デッカーの10作品に与えられた尺が共通して「2話ずつ」だったことだろう。当然各ウルトラマンの掘り下げは困難……となるはずが、『Z』エース回のような的確なピックアップや、尺不足を補う重厚な総集編でそれをカバー。これまでおよそ成し得なかった「10ヶもの作品を平等に放送する」という偉業を成し遂げ、かつてないほどバランスの良い作品となっていた。 

また、エピソードのセレクトに全て「意味」があることも見逃せないポイント。詳細は各話レビューの通りだけれど、本作で多く「第1話」が取り上げられたのは、「記念碑的作品」であるジェネスタに相応しいセレクトであったし、作中でウルトラマンたちが回想するエピソードとしても理にかなったものになっていた。 

それ以外にも、『ジェネスタ』で取り上げられたエピソードはニュージェネレーションヒーローズの十八番とも言える「ヒーロー同士の共闘」が意識的に多く取り上げられているように思えた。このことについては、後程詳しく考えていきたい。

 

 

真相 ~ 悠久の孤独と、輝ける「繋がり」

 

これまで挙げてきた以外にも『ジェネスタ』には数え切れないほどの魅力がある。   

前述のように、いずれもファン垂涎の内容となっている新撮パート。 

仮面ライダーディケイド』のように「次は○○か~!」と2話毎に驚きとワクワクが感じられる「順番が完全なランダム」という構成。 

ボイジャーがニュージェネレーションヒーローズの要素を散りばめた歌詞を自ら作詞し、歌い上げたメモリアル楽曲『STARS』。 

また、Twitterではケンゴをナビゲーターにしたミニコーナー「ウルトラ花言葉が連載された他、放送後には「ウルトラヒーローを調査している怪しい報告書を受信した」という体で『ジェネスタ』の内容を振り返るツイートも行われていた。 

(このコーナーは公式発信ながら妙にオタク目線なのが特徴で、調査員Xがアブソリューティアンだとほぼ確定的になったこのツイートの『マックス』世界への言及が、自分たちシリーズファンの見解と一致していたことには思わず笑ってしまった)

 

このように、挙げたらキリがない本作のトピック。その中でも特に重要なものが、本作のキーアイテム=ディメンションナイザーだ。

 

 

「前番組のコレクターズアイテムを違う形で活用する」という優れものの玩具にして、未来から送信された記録を現在に再定着させる機能を持ったアイテム、ディメンションナイザー。 

『大怪獣バトル』においてカードをスキャンするアイテムだった「バトルナイザー」と通ずる名前やウルトラマンゼロと似た意匠を持ちながら、使うカードはディメンションカード……という謎多き代物。しかし、本作はあくまで「つなぎ」の番組。ゼロと似ているのはあくまで商業上の理由だろうし、そこにストーリー上の意味合いなど求めてはいけない――と、そう誰もが納得した矢先のことだった。

 

「それに……未来人はなんで、ディメンションナイザーの形を俺に似せて作ったんだ?」

-「ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ」 第8話『会敵!』より

 

舐めていた。『ジェネスタ』は自分なんかが思っているより遥かに「本気」の作品だった……ッ!!  

不思議なもので、製作陣から「変だよね」と言われると「変だよ!!!!」という気持ちが湯水のように噴き出してくる。送り主が『トリガー』と『デッカー』世界の未来にいると第1話で明言されているのに「ディメンションナイザーがゼロと似ている」の、明らかにおかしいよね!?  

しかし、これをきっかけに謎解きが始まり、各ウルトラマンに与えられた尺が割かれては本末転倒。あくまでこの問題にはゼロのみが関わるという形が取られ、謎の解明は最終回まで持ち越されることとなった。

 

 

光の国から記録を奪い去り、「ウルトラマンへの挑戦」を掲げた本作の黒幕。それは、遥か数千万年前に惑星イアリムから打ち上げられた、文明の歴史を収集・記録する為の人工知能=「エディオム」。 

数千年万年に渡りあらゆる文明を記録する中で、「どんなに栄えた文明も、最後には孤独に絶えていく」こと、そして「他ならぬ自分自身も “孤独” である」ことを悟ってしまったエディオムは、絶望の中で「繋がりと共に在る」強き存在=ウルトラマンを知り、ある興味を持った。「ウルトラマンの歴史からその繋がりを奪った時、彼らはやはり孤独に絶えていくのか、それとも……」と。 

それはウルトラマンたちへの妬みだったのか、あるいは、彼らに「 “孤独が滅びに繋がる” という宿命を否定してほしかった」のか……。その詳細な意図までは語られなかったが、ゼロとのやり取りには彼の「変化」がはっきりと表れていた。

 

「……で? 満足いく結果が得られたかよ」
『そうだな、未来人の介入は想定外だったが……』
「ん? どうした」
『もっと聞かせてくれ。なぜ、君達は “仲間との繋がり” を信じて戦うことができるのだ?』
「はっ、まだ知り足りないってワケか。……いいぜ、教えてやる。ウルトラマンの戦いをな!」

-「ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ」 第22話『未来へ』より

 

エディオムは、懸命に記憶を繋ぐウルトラマンたちを見つめる中で、彼らの「途切れることなく受け継がれていく絆」の輝きに魅せられていた。 

彼に促される形で、ウルトラマンと人間の絆の歴史=『劇場版ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』『ウルトラマントリガー エピソードZ』『ウルトラマンデッカー』最終回を語るゼロ。その物語から「繋がり」が持つ価値を知り、自らの過ちを悟ったエディオムは、また一人歴史を観測する「孤独な旅」に戻ろうとする。しかし、そんな彼にゼロは語りかける。「孤独じゃあないぜ。言っただろ? 全ての出会いに意味がある。お前との出会いも、俺の中で絆に変わってる」と――。

 

 

こうして明かされた黒幕の正体=エディオム。彼とゼロの会話を踏まえるなら、『ジェネスタ』が描こうとしたものはおそらく「孤独」と対を成すもの=「繋がり」。だからこそ、本作は前述のように「ヒーロー同士の共闘」を意識的に多く取り上げてきたのだろうし、そんな「作品同士の途切れない繋がり」こそが、製作陣が10周年の節目でニュージェネレーションシリーズに見出した最大の個性 / 魅力なのだと思う。  

思えば、「作品同士の繋がり」というのはウルトラシリーズがずっと昔から持ち続けていた魅力の一つ。昭和シリーズが「ウルトラ兄弟」「光の国」という偉大な土台を築き、平成シリーズが「パラレルワールド」や「時を超えた続編」という概念で彩ったそれを、ニュージェネレーションシリーズは「マルチバース方式」の導入や「10年に渡る前後作のクロスオーバー」などによって体系化。ウルトラマンというスケールの大きなヒーローにピッタリの広大なユニバースを作り上げ、『ウルトラギャラクシーファイト』シリーズという形で大成させるにまで至った。 

しかし、それも全ては「ニュージェネレーションシリーズが止まることなく歩み続け、光のバトンを繋ぎ続けてきた」からこそ。10周年となるニュージェネレーションを総括するテーマが「繋がり」となったのは、もはやある種の必然だったのかもしれない。

 

 

そして、問題の「ディメンションナイザーがゼロに似ている理由」もまた「繋がり」に由来するもの。台詞にこそなっていなかったけれど、その答えは最終回ではっきりと示されていた。

 

 

エディオムの声優を務めた西健亮氏。氏の名前がクレジットされたのはこの最終回だけなのだけれど、第1話でゼロにディメンションナイザーを届けた未来人の声が、どう聞いてもエディオムと同じものなのである。  

これはおそらく、(『トリガー』と同じような問題なので、タイムパラドックスなどを考えないようにすると) 「 “未来人” が未来のエディオム自身であり、ディメンションナイザーがゼロを模しているのは、それがエディオムの “ゼロへの恩返し” という想いの表れ=彼とゼロの絆の証だから」なのではないだろうか。

 

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「ニュージェネレーション」という勲章

 

エディオムの語源であろう「idiom」とは「複数の言葉がセットになって特別な意味を持ったもの」であり、対応する正確な日本語のない言葉(強いて言うなら「熟語」「成句」が近い)。  

自分は、彼の名前がなぜ「イディオム」でなく「エディオム」なのかと気になったのだけれど、遥か昔に彼を打ち上げた母星=惑星イアリムは「IARIM」=「未来」の逆読み=「過去」という意味になる。それに倣って「エディオム」を逆読みにすると「MOIDE」。ここに「ゼロ」を足すと「思い出」になる……。これがどこまで狙ってのものなのかは分からないけれど、今回の『ジェネスタ』を経てしみじみと感じてしまったのは、自分の中でギンガたちが既に「思い出」になっているということ。  

考えてもみれば、10年とは子どもが生まれてから小学4年生になるまでの時間。星の数ほど言われている話だろうけれど、既にギンガたちは「新世代」ではなくなりつつあるのだ。


けれど、「ニュージェネレーション」という名前が初めて公式で使われた頃=『劇場版オーブ』の頃には、ここまでニュージェネレーションシリーズが続き、ウルトラシリーズが大きなものになるとは誰も思っていなかったはず。つまり「ニュージェネレーション」という呼び名には、単なる「新世代」という意味以外にも、「ここまで続く保証がどこにもなかった」という当時の苦境、そしてシリーズをここまで繋いできたヒーローたちへの祝福が宿っている。原義だけで語れない意味合いが宿っているからこそ、彼らはこれからも「ニュージェネレーション」という勲章を背負い、この先もその名前と共に走り続けていくのだろう。  

一方、だからこそ「ニュージェネレーション」という時代はその役割と共に終わり、次の時代へとバトンタッチされなければならない。

 

 

間もなく放送開始となる最新作『ウルトラマンブレーザー』。 

本作やブレーザーが「ニュージェネレーション」の名を冠するのかどうかは分からないけれど、願わくば、この作品が次の時代を拓く祝砲となってくれますように。そして、この『ニュージェネレーション スターズ』が「ニュージェネ有終の美」としてこの先もずっと語り継がれていきますように……!