TV版にハマれなかった自分が『劇場総集編 SSSS.DYNAZENON』のガウマに号泣した理由って、なに?

放送当時、自分が『SSSS.DYNAZENON』にハマれなかったのは「好き好み」の問題でもなく、ましてや「作品のクオリティ」の問題でもなく、あくまで極めて個人的な事情によるものだった。

 

 

2021年春、世間的にはパンデミックが徐々に「日常」となってきた辺りの時期だろうか。自分はそんなパンデミックの煽りを受けに受けて様々な地獄に見舞われ、とてもエンタメを摂取できる状況じゃなかった……のだけれど、そんな状況下でも必死に追いかけていた作品が『SSSS.DYNAZENON』だった。あの『SSSS.GRIDMAN』の続編であり、一体どんなサプライズが出てくるか全く未知数の作品ともなれば、前作にドハマりしたファンとしては「リアルタイムで追いかける」ことがもはや義務だったからだ。 

そして、『SSSS.DYNAZENON』はそんな自分の期待以上のものを見せてくれた。前述の「サプライズ要素」の最たるものであるグリッドナイトの参戦や、リアルタイムで喜びの声を上げてしまったカイゼルグリッドナイトの登場……。けれど『SSSS.DYNAZENON』の真髄は、そういった「疑似特撮モノ」としての魅力よりもむしろ蓬たちが紡ぐ繊細で等身大な青春ドラマ。精神的な余裕のない状態では楽しもうにも楽しめない「情緒」や「余白」こそが本作の肝であり、自分にとっての『SSSS.DYNAZENON』は結果として「楽しめたけれど、どこか楽しみ切れていないモヤモヤが残る」という、比較的ネガティブな印象に留まってしまった。 

繰り返すが、その原因は『SSSS.DYNAZENON』ではなく自分自身の状況。当時からその自覚はあったし、だからこそ復調したタイミングで本作をもう一度見直したかったのだけれど「『SSSS.DYNAZENON』を見ると、当時の地獄が脳裏を過ぎる」という呪いのせいで後回しに後回しを重ねてしまい、やがて続編『グリッドマンユニバース』が発表され、いつの間にかその公開日が決定、PVまで発表されてしまった……というのがつい先日の話。

 

 

これはもう逃げられない、いよいよ向き合う時が来たか……と、そんな覚悟を決めた矢先に、想像だにしない吉報が入ってきた。

 

 

そう、『劇場総集編 SSSS.DYNAZENON』である。 

「当時『SSSS.DYNAZENON』を見ていたけれどのめり込むことができず、見返す機会を窺っていた」自分にとってはこれ以上ないうってつけの作品。これはもう運命だと覚悟を決めて身に行ったのが、先週3/12(日)のこと。 

どちらにせよ『グリッドマンユニバース』に備えての復習になるし、シリーズに貢献できるし、結果的に作品が肌に合おうと合うまいと得しかない、と自分を説き伏せ、遂に向き合った『SSSS.DYNAZENON』。その結果――。

 

 

この始末。 

当然だけれど、『劇場総集編 SSSS.DYNAZENON』はあくまで『SSSS.DYNAZENON』の総集編。劇伴の変更や衝撃的なおまけシーン (劇場版に繋がる短いアフターエピソード) があったり、暦やちせ、怪獣優生思想の物語がばっさりカットされていたり……といった違いこそあれ、その中身はあくまで本編に準ずるもの。いくら劇場の大スクリーンや音響があるからといって、そこまで劇的に感じ方が変わるものではないはずなのに、ダイナレックスの中でガウマが力尽きるシーンと、主を失ったはずのダイナレックスが復活し、そのカットからED『ストロボメモリー』に繋がっていく瞬間に、自分は声を抑えつつも大号泣してしまった。

 

 

 

正直、訳が分からなかった。 

確かに自分は『SSSS.DYNAZENON』リアルタイム視聴時もガウマの最後には涙してしまったけれど、今回はその比じゃない「号泣」で、映画館で声を抑えて泣くのは随分久しぶりの経験だったと思う。「TV本編でガウマの最期に泣いたけど、劇場版では泣かなかった」ならまだ分かるけど、「ガウマが逝ってしまうことも、レックスとして復活(?)することも分かった上で見た方が泣く」って一体どういうことなのか。 

正直さっぱり分からなかったけれど、ここまで自分が泣いてしまったからには「何か」あるのだろうと思えたし、そうでなくとも、劇場を出てからはこれらのシーンに対するとめどない感情で頭が一杯だった。何も頭の中でまとまっていないけれど、その中にあるであろう「何か」を取り零す前に文字に残そうと、急ぎ開いたスマホのメモ画面に頭の中をありのまま叩き付けた。 

それが、これ↓である。

 

ガウマが最期に「ガウマの後を追った姫が自分にダイナゼノンをなぜ託したのか」を悟った時に目に映っていたのは蓬と夢芽と暦。ガウマは最期の瞬間一人ではなかったし、それは姫から託されたダイナゼノンがあったから。姫はガウマが蘇ることを知って、ガウマがその世界で一人にならないようにとダイナゼノンを託したのかもしれない。ガウマは姫を失ってしまったし、姫は何者にも代えられない存在だけど、そんなガウマが「姫には会えなかったけど、この二度目の生は幸せだった」と死んでいく。姫もいない、裏切り者と自分を謗り、自分を理解した気になって一方的に気持ちを押し付けてくるような奴等が好き勝手世界を荒らしている、そんな「クソみたいな世界」で、途中から姫はもういないと分かっていても、それでもガウマには自分を慕ってくれる相手と出会えて、ガウマはその世界にクソみたいでないと価値を見出だした。そんな彼らの友情というか、家族感というか、彼らの間にある何もかもを越えた暖かさが染みた。ガウマが「後悔なく逝けた」ことの美しさと、ガウマが逝ってしまったことの寂しさ。

 

ここまで書いて、はたと「ああ、自分はガウマさんが大好きなんだ」と気付いた。

 

義理人情に厚く、蓬との約束を破った夢芽に本気で怒ったりする誠実な一面。死ぬ前に筋を通そうとみんなにちゃんと声をかける律儀さ。ナイトに皮肉を言って謝らせた後のにかっとした満面の笑み。正直に真っ直ぐに、謝る時はいつもの粗っぽい感じではなく、きちんと直角に腰を曲げる生真面目さ。それでいて人のパーソナルスペースは容赦なく侵害したり、その辺のカニをそのまま食べたりもする……。そんな彼の姿を見ていると「人の美しさとはなんなのか」を考えさせられる。 

見た目は汚いし、言葉遣いも汚ければ羞恥心も薄い。けれど愚直なほどに真っ直ぐで、人が好きで、正義感があって、よく泣き、よく笑う。不器用だし、他人の目は気にしないけど、他人への思いやりは絶対に忘れないし、大人として人の悩みには真剣に向き合う。そんな彼の在り方は、社会や他人に振り回され、体裁を取り繕うことに必死になっている現代の人々とまるで真逆のもの。自分自身そうなっている自覚があるからこそ、ガウマの在り方が尚のこと眩しく見えたかもしれない。

 

そして、そんな彼の在り方は『SSSS.DYNAZENON』の作品内においても特異なものとして描かれていた。 

蓬、夢芽、暦、ちせらガウマ隊の面々は、皆それぞれ異なる形で「他人」や「社会」に縛られ苦しんでいる「グレー」な存在。そんな彼らが、人の在り方から外れてしまい「怪獣」による解放を願ってしまったifこそが怪獣優生思想の面々……と自分は感じたのだけれど、ガウマはそんな怪獣優生思想の面々と対になっていた。 

怪獣優性思想は綺麗な見た目で「理想」を語るが、ガウマは汚い見た目で「現実」=「約束」と「愛」とを守ろうと奮闘する。世界を憎むあまり、自分自身もその残酷な世界と同じ穴の狢になってしまっている怪獣優性思想の面々に対し、それでも「世の中捨てたもんじゃねぇんだ」と現実を肯定するガウマ……。こう見ると、ガウマの存在そのものが『SSSS.DYNAZENON』であり、彼の存在をきっかけに現実を歩き出していく蓬たちの姿こそ、製作陣がこの作品に託した願いだったのではないだろうか。

 

 

……とは言うけれど、『SSSS.DYNAZENON』リアルタイム視聴時の自分は、ガウマに対してここまで思いを馳せることはなかった。多分それは、前述のように当時の自分が『SSSS.DYNAZENON』にのめり込めていなかったこともあるだろうし、今回の鑑賞が実質的な2周目であること=ガウマの正体や人となりを分かって見れたことも大きいと思う。 

彼がこういう「驚くほど真っ直ぐな人間」だということを理解した上で見れたからこそ、一周目では信用しきれなかった彼の何かと怪しい彼の行動を全部ありのまま飲み込むことができたし、彼の在り方がずっと胸に染みた。1周目とは比較にならないくらい、彼のことがずっとカッコよく見えて、大好きになった。 

だから、リアルタイム視聴時と違って今回自分がガウマの最期に号泣してしまったのは、きっとただ単純に「大好きになったガウマの死がどうしようもなく悲しかった」から。そして、レックス起動→EDで号泣してしまったのは「ガウマが蘇ったことが嬉しかったから」そして、ED主題歌の『ストロボメモリー』が「姫には会えなかったけど、大切な仲間たちと出会い、後悔のない2度目の生を送ることができた」というガウマの思いを歌い上げているかのように思えたから。 

自分が『劇場総集編 SSSS.DYNAZENON』を見ることになったのは「ガウマという一人の男と正しく出会い直すため」だったのかもしれない。

 

ストロボメモリー

ストロボメモリー

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自分が幸運だったのは、「ガウマが大好きだという自覚が芽生えたのは、そのガウマが死んだ後だった」という悲劇にギリギリ至らなかったことだろう。

 

 

気が付けばもう来週公開となった『グリッドマン ユニバース』。その追加キャストには「レックス」としてガウマ役・濱野大輝氏の名前が……! 

彼がもしガウマなら、彼は今どこで、誰と何をしているのか (グリッドナイト同盟に加わっている?)、再会したガウマ隊の面々と何を語るのか、『SSSS.GRIDMAN』の面々とはどのようなクロスオーバーを見せてくれるのか……。何にせよ、ガウマと再会できることが嬉しくてたまらない自分がいるし、こんなに「製作陣の掌の上で踊らされている」ことが気持ちいいこともない。 

世間は『シン・仮面ライダー』一色。その一週間後の公開ということで苦戦を強いられてしまうかもしれない『グリッドマン ユニバース』。こうして全く予想外の形で『SSSS.DYNAZENON』に落ちてしまったオタクとして、(まあシン・仮面ライダーも見に行ってはしまうのだけれど……) この作品のヒットに少しでも多く貢献していきたい。 

3月24日(金)は、劇場へバトル・ゴーーーーッ!!!!