感想『アイの歌声を聴かせて』秀逸なシナリオとミュージカルで見せる “ヒトとAIが共存する未来”への暖かな希望

 


結論から言います。

『アイの歌声を聴かせて』想像以上に素晴らしい作品でした……!!

 

どのくらい素晴らしかったかというと、昨日本作を見終わったちょうど24時間後の今このタイミングで感想記事を書き上げてしまったくらいです。ぶっ刺さりました。

 

まず、映像は100点。AIが日常に浸透した近未来の世界観描写は絶妙で、主張しすぎない「未来の今」感が素晴らしかったですね。 

そして演技も100点。土屋太凰氏の「AI搭載式ヒト型ロボット」としての演技は見事の一言で、トウマ役の工藤阿須加氏と共に、福原遥氏や興津和幸氏など実力派の声優陣に負けない名演ぶりを披露していました。


……と、本作『アイの歌声を聴かせて』は非常にそつのない作品で、細かい点まで褒めていくとキリがないのが実状。なので、この記事ではある一点に絞って感想を書いていきます。 

それは、本作が出した『「AI搭載式ヒト型ロボット」の存在価値とは何なのか』『ヒトとAIは共存できるのか』という命題への回答。

 

個人的に非常に興味がありつつも、ついぞ満足のいく答えが得られなかったこれらの命題。以下の感想文は、そこに一つの明瞭な答えを出してくれた本作への恩返し(クソ重ファンレター)になります。

 

 

以下、長文かつネタバレが含まれているので、くれぐれもご注意を……!

 



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とても個人的な話になるのだけれど、筆者は「AI搭載式ヒト型ロボット」が数多の物語で夢の結晶のような扱いをされているのに対し、「それを生み出すことに何の意味があるのか」とずっと疑問に感じてきました。 

その理由の中で、最も大きなものとして挙げられるのがこちら。

 

 

ロックマンシリーズの一つで、ハイスピード2Dアクションゲームとして今尚高い人気を誇る作品『ロックマンX』。

 

舞台は西暦21XX年の未来。「レプリロイド」と呼ばれる意思を持つロボットが人間と共存する中で、ある時期を境に、犯罪を犯すレプリロイド「イレギュラー」が発生。彼らを狩るイレギュラーハンターとして、意思だけではなく「悩む心」を持つ謎のロボット、主人公のロックマンXことエックス(CV.櫻井孝宏 他)が戦いに臨む……というもの。 

「イレギュラーハンターとして人類を守る」と言えば聞こえはいいものの、エックスたちの戦いは疑いようもない「同族殺し」であり、エックスは、なぜ同じロボット同士が殺し合うのか、イレギュラーとは何なのか……といった数多くの悩みを抱えながら戦い続けていく。

 

この世界観の根底には「心があっても、所詮は機械」という人間の偏見が根付いている……のだけれど、それはきっと他人事ではなく、ロボットが世間に浸透したら容易に起こり得る「未来の現実」に思えてならない。 

そう感じられてしまうからこそ、イレギュラーハンターとしての戦いに悩み、苦しみ、自分自身のロボットとしての運命に苛まれるエックスの姿は殊更にドラマチックであると同時に、心を持つロボットという存在の是非を考えさせられるものになっていた。

 

以降、そんな『ロックマンX』以外にも『人造人間キカイダー』など「心を持つロボット」をテーマにした作品にいくつか触れてきたのだけれど、その結末として描かれるのは往々にして悲劇。 

それらを見てきて感じたのは「心を持つロボットたちは、心を持つが故にロボットという存在の持つ悲劇性を浮き彫りにし、同時にヒトの持つ愚かさを浮き彫りにしていく鋭いナイフである」ということ。 

ただし、そのような作品の魅力に惹かれる一方で『「AI搭載式ヒト型ロボット」の存在価値とは何なのか』という疑問に対し、説得力を持って肯定してくれる作品にはついぞ出会えないままだった。 

(最近では『仮面ライダー』シリーズの『仮面ライダーゼロワン』がそのものズバリAI搭載型ヒト型ロボットを世界観の軸としたものの、次第に収拾がつかなくなり迷走、テクノロジーの持つ危うさという無難な着地点に落ち着いてしまっていた)  

 

 

……と、筆者の話はここまで。

 

要は、本作『アイの歌声を聴かせて』こそが、長年求めていた『「AI搭載式ヒト型ロボット」の存在価値とは何なのか』『ヒトとAIは共存できるのか』というテーマへの回答を出してくれた待望の作品だったのだ。


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『アイの歌声を聴かせて』は、AI搭載型のロボットが社会に浸透した近未来において、「人とAIの共存が成し得るのかどうか」のテストとして、AI搭載式のヒト型ロボット「シオン(CV.土屋太凰)」が学校に送り込まれることで始まる、ミュージカル調の群像劇。 

学校に送り込まれたシオンは、なぜか主人公=サトミ(CV.福原遥)に一際大きな興味を示すばかりか、突然歌い出すなどの奇行を繰り返し、まるで失敗作であるかのような雰囲気を醸し出す。しかし、一見単なる奇行のようにも思える彼女の振る舞いが、徐々に彼女とその周囲の絆を深めていく……というのが本作の大まかな物語。

 

これだけ見ると、正直「よくあるもの」の域を出ない。むしろ、非常に緻密で令和の映画に相応しい「未来のAI描写」の中、シオンだけが旧来の「人間型の、少しズレたAIロボット」のように見えるために、彼女がひたすらに浮いているような状況……もっと細かく言うなら「彼女“だけ”致命的にリアリティが足りていない」状況のため、「よくあるもの」どころか「妙に設定が凝っているB級映画」のような怪しささえ醸し出していた。


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中盤、シオンはすれ違うゴッちゃん(CV.興津和幸)とアヤ(CV.小松未可子)カップルを歌で仲直りさせるのだが、 

①なんでそこで歌うの 

②なんでその歌そんなに的確なの 

③そもそも、生まれて間もないAIでしかないシオンの歌がなんでそこまで染みちゃうの  


……と、ツッコミどころ満載で、鑑賞中は「この映画、ひょっとして勢いでゴリ押すお涙頂戴パリピ向け映画なんじゃないか……?」などと、今の自分からすれば顔面馬乗りでボコボコにしたくなるような不遜極まりない感想を抱えていた。


そんな不安を後押しするかのように、物語はどんどんシオンの歌によって進んでいく。サンダー(CV.日野聡)は試合に勝ち、トウマ(CV.工藤阿須加)は遂にサトミへ告白する手前まで辿り着く……のだが、そんな折、星間エレクトロニクスの手によりシオンは捕獲され、更には「暴走したAI」として処分(リセット)されることになってしまう。

 

問題は、そこからだった。


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トウマが入手したシオンのメモリーデータ。そこにはなんと幼いサトミやトウマらが映っており、そこから「シオンはトウマが生み出し、サトミと共に過ごしたAIそのものであり、トウマが託した『サトミを幸せにして』という願いをずっと守り続けていた」という衝撃の事実が判明する。

 

この映画の評価が、根本から180度ひっくり返った瞬間だった。

 

サトミの幸せを願うのは、それが彼女に与えられた最初の命令であり、いつしかそれが彼女自身の願いになっていたから。 

不幸を目にして歌うのは、それが不幸を取り払う手段だと『ムーンプリンセス』そしてサトミとの日々から学んでいたからであり、的確な歌を歌えるのも、同様に『ムーンプリンセス』からの経験則。 

そして、生まれて間もないAI(と思われていた)シオンの歌が人々の心を動かしてしまうのは、その歌声に、彼女が長年抱え、育ててきたサトミへの想い/愛が溢れていたから――。


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伏線はあった。サトミの名前を最初に知っていたこと、シオンの歌がサトミの愛する「ムーンプリンセス」由来であること、折に触れて挟まれる「トウマが自作AI内蔵のゲームをサトミにあげた」というエピソード。 

自分の察しの悪さというのは勿論あるだろうけれど、どうにも本作は核心部分周りのはぐらかしが上手く、一方ではトウマの『なんでサトミを幸せにしようとするの?』という疑問に対し、シオンが『それは命令ですか?』と作中最もロボットらしい問いかけを返すことで「そこが重要なポイントである」とちゃんと示しておく……など、シオンの謎に関する伏線の張り方と違和感を覚えさせる手法、そしてその回収に至るドラマがあまりに見事すぎて、これまでこの映画に懐疑的な目を向けていた自分を心から恥じた。

 

また、こうして本作の核心が判明し、シオンが「他人から受けた願いをきっかけに進化し、自分の心を育てていった存在」であり、その行動にも全てサトミを中心とした学びがあったと分かった時、本作が「自分が長年求めていた答え」を示しているのだと気付き、感動で頭が一杯になってしまった。 

長年答えを求めていた『「AI搭載式ヒト型ロボット」の存在価値とは何なのか』『ヒトとAIは共存できるのか』という命題。それらに対し、本作で描かれた答え。それは「AI搭載式ヒト型ロボットもまた、ヒトの一つの形」ということに尽きると、個人的には感じている。


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作中、サトミたちメインキャラクターはその欠点が非常に印象的に描かれる。例えば、柔道部のサンダーは緊張屋で試合に勝てず、一見完璧に見えるゴッちゃんは、自分に突出したものがないことがコンプレックス。しかし、そんな一方で彼らは各々長所も抱えており、助け合うことで様々な困難を解決していくことになる。

 

それはAI搭載式のヒト型ロボットであるシオンも同じであり、彼女も、他の面々同様に長所と短所が丹念に描かれていく。 

ロボットであるが故に抜群の運動神経を誇り、AIであるが故にヒトならざる純粋さを持ち、一方ではまだまだ経験不足であり、他人とのコミュニケーションに不慣れという側面もあった。 

本作の白眉と言えるのがこれらシオンの描かれ方で、彼女は「取り立てて優れた存在」としては決して描かれない。長所もあれば短所もあり、トラブルを引き起こしもするが解決もする。奇跡のような出来事を起こしてしまうが、実のところ、それらも「サトミやムーンプリンセスから学んだことを、彼女なりに活かした」というだけであって、断じてご都合主義の奇跡などではない。 

より具体的に言うなら、シオンが成し得た“奇跡のような出来事”は、あくまで彼女がヒトのように学び、ヒト以上に頑張り、ヒトのために考え、それを全力で実行してきた積み重ねの結果。だからこそ、それらは全てロボットの起こしたミラクルなどではなく、むしろシオンの「人間らしさ」を後押しするものとなっていた。

 

そして、前述のような描写が緻密に行われてきた結果、シオンはAI搭載式ヒト型ロボットという異色の存在ながら、サトミらと同じ立場にある一個人であり、ヒトと変わらないサトミたちの「友人」として丁寧に印象付けられていた。

 

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だからこそ、ふと「シオンの何がヒトと違うのだろう」と感じてしまった。

 

シオンは生みの親の願いを起点に自ら学び、ヒト同様の心を手に入れた。ヒトも、最初から心がある訳ではなく、様々なことを学ぶ中で知恵を、そして「心」と呼べるものを得ていく付けていく生き物だ。 

その身体は確かに人工物だが、なら身体の一部が機械のヒトはヒトではないのか? どこまで生身だったらヒトと呼べるのか、そんな線引きはないし、あってはならない。 

シオンは個性的な長所と短所を持つが、教えを受けて、他人から学んでいくことによって進化していく。トラブルメーカーでこそあるが、一方では人を救い、人と友情を築き、時に恋心さえ抱かれる。

 

……そんな彼女を、誰がヒトでないと言えるだろうか。「AI搭載型ロボット」であることによる際立った特性は、あくまで個人の特性、もとい個性と呼ぶべきものであり、「普通」という基準の置き方によっては問題なく「普通」と呼べてしまうものではないだろうか。


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誰にだって様々な形の心があって、様々な長所と短所があって、それでも皆、お互いを想い合うことによって繋がることができる。それを体現するように、サトミたちはシオンの想い=歌をきっかけに友情を深め、それぞれの「特性」や「個性」を活かすことで、未来への可能性を踏み躙る大人たちの常識を跳ね除けていく。 

そこに「ヒト」か「AI/ロボット」かの違いはなく、皆がそれぞれにできることを全力で行っていく。人と人とが力を合わせてお互いの長短を補い合い、高め合っていくように、本作においてシオンは自分の特性を活かすことでサトミたちを救い、サトミたちもまた、最後にはそれぞれの特性を活かし、バトンを繋いでいくことでシオンを救ってみせる。 

そんな彼ら6人のごく自然な共存風景、そして、そこから生まれていく数々の「奇跡のような出来事」は、文字通り「AI搭載式ヒト型ロボットが持つ可能性」を具現化しているように見えてならない。


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他人から学び、他人を助け、そして逆に他人に学びを与える……という連鎖はヒトの営みの最たるものの一つであり、それは、ヒトの個性がそれぞれ異なるからこそできること。 

それと同じことが「AI搭載式のヒト型ロボット」にもできるのだ。 

ヒトと共存し、補い合い、学び合っていくことでお互いを成長させ、共にもっと高く羽ばたいていく。AIというヒトと遠いようで近い存在だからこそ、ヒトとの化学反応は未知数で、だからこそその未来は無限大なのだと、本作は思わせてくれる。

 

そして、それこそが筆者がずっと抱いてきた疑問への答えだった。


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AI搭載式のヒト型ロボットが生まれる意味はあるのか、ただ悲劇を生むだけではないのか……確かに、一方ではその通りだろう。本作では描かれなかったものの、AI搭載式ヒト型ロボットが生まれることによる悲劇は十分に起こり得る。それこそ、エックスのように「人の心と機械としての宿命を併せ持つが故の苦しみ」に苛まれる可能性も大いにあり得る。けれど一方では、本作のように、AIだからこそ人と共存し、新たな隣人として明るい未来に繋がる道を共に築いていける可能性もあるかもしれない。 

人間が、生まれてきただけでは何を生む者となるか分からないように、AIもまた、生まれてきただけでは何を生むものになるか分からない。悲劇を生むかもしれないし、明るい未来を拓くかもしれない。 

しかし、そんな「可能性のかたまり」という在り方こそヒトと同じものであり、その在り方を理由にAI搭載式ヒト型ロボットに未来がないと断ずるのは、ヒト=人間に未来がないと断ずるも同じことだろう。

 

大切なのは、きっとAIの可能性を恐れることではなく、AIの可能性を信じること。本作は「(AIの可能性に対し恐れを持つ)大人」と「(AIと共に歩んできた)高校生」という対比を持って、そんなメッセージを投げ掛けていたのではないだろうか。


 

AIとは身近にこそなったけれど、まだまだ未知のものであり、良くも悪くも可能性に満ちた技術。だからこそ、そのことに正面から向き合った本作には、人によって様々な見方があるだろう。 

けれど、その何が正しくて何が悪いのかについてはまだ答えなんてないのかもしれない。むしろ重要なのは、本作のような「AIと人との共存という命題に真摯に向き合った作品」が広まって、たくさんの人々がそのことについて思いを巡らせることだと思う。


そのためにも、この感想記事が、本作に一人でも多くの方が触れる一助となることを祈りたい。それが自分にできる『アイの歌声を聴かせて』への精一杯の恩返しなのだから。