れんとの転職活動レポート【後編】~後のない無職、2021年の転職活動に臨む~

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~これまでのあらすじ~

とある特殊法人の非常勤職員に転職し、正社員への登用を目指して勉強に励む虎賀れんと。しかし、よりによってそんな状況下で某ウイルスによるパンデミックが発生。
試験がその門戸を大きく狭めたばかりか、大打撃を受けた職場からは無慈悲にも3月末での解雇が宣告されてしまう。


時に2021年2月。3月までの就職先決定を目標に、第2次転職活動がその幕を開けようとしていた……。

 


○  ○  ○

 


『自分との戦い』というフレーズをよく見かける。身近なところだと、スポーツや勉強などにおいて『自分の怠惰/欲望を捩じ伏せること』を意味することが多いだろうか。

このフレーズがもし転職活動において使われるならば、それは少し違う。転職活動は自分で自分をいかに励まし、支えてあげるかという戦いだ。


転職活動は、真剣に行えば行うほどに自分を否定されることになる無限地獄。

自己分析をすれば『他人に誇れるような経歴/能力』を持たない自分に嫌気が差す。
書類選考で落ちれば、これまでの仕事でもっと良い成果を挙げられなかった自分を責める。
面接で落ちれば「自分が魅力的じゃないから落とされたんだ」と底知れない不安に陥る。

 

しかし、自己嫌悪がどれだけ積み重なっても止まることは許されない。

誰であれ、自己嫌悪に対して自分を肯定する材料はどうしても少なく、どうにか他の手段で崩れ落ちそうな自分を必死に支える必要がある。自分の場合は、友人たちとの会話や好きなコンテンツを楽しむことがその『手段』だった。

 

もう1つ大きかったのが、自分を支えてくれたこの歌の存在。

2009年放送のアニメ『DARKER THAN BLACK-流星の双子-』の主題歌である『ツキアカリのミチシルベ』。この歌は切なくも力強い『先の見えない旅路を行く人へのエール』であり、転職活動中の自分にこれ以上なく響く歌だった。

答えのない毎日が ただ過ぎて行く時間が
これから先どうなるのだろう 分からない
ツキアカリのミチシルベ
雲を越えボクに届け
進むべき道を照らしてよ
今日がどんなに壊れそうでも

(中略)

答えは自分の中に 必ずあるものだから
諦めないで 強く生きることを やめないで
悲しすぎて 前に進めない時でも
共に悩み歩んだ僕らに 風は吹く
どこまででも

この歌を聴く度に、同作主人公たちの過酷で一途な旅路を思い出して「自分も頑張ろう」と思えたし、孤独に寄り添いつつ、優しく背中を押してくれるようなこの歌そのものにも何度も励まされた。
(『DARKER THAN BLACK』とこの曲については別記事にて)

 

こういった様々な支えがあったからこそ、絶望的な状況下でもどうにか立ち止まらずに歩き続けられたのだと思う。

それらさえない本当の『孤独な戦い』であったなら、2021年3月末、どこへの転職も叶わずに無職となったあの瞬間に自分は折れていた。

 


○  ○  ○

 


2月末に始まった転職活動、その初動は非常に好調だった。

事前情報通り、転職サイトから応募した場合の書類選考通過率はエージェント経由の場合に比べ圧倒的で(サイト経由での応募のうち約50%が書類選考を通過した)入念な事前準備が実を結んでいると言えた。

 

しかし、書類選考の後に待っているのは前回も苦戦したコミュ障最大の敵、面接。
3月が終わった時点での面接通過率は5/12。数字だけ見ると前回以上の数字だが、受かった5つはいずれも『穏やかな雰囲気で行われる対面面接』であり、そうでないもの=Web面接や、厳格に行われる役員面接といったものは漏れなく全滅。……それって最終面接詰みでは? という不安が募る。

 

受かった面接の内実を見てみると、受かった5つのうち2つの面接はある法人の1次・2次(最終)面接であり、その結果、大変ありがたいことに3月中旬で内定を頂くことができた。しかし、そこは『採用情報ページの情報と実情が違う(だいぶ黒い)』という典型的な要注意タイプの法人であり、逃げ出すように辞退。

一方残り3つの法人はというと、1次面接を通過できても2次面接で落選したり、合否連絡までのスパンが長く、最終面接が4月になったりといったところ。もう1社はそもそも面接が3月末だったため、月内合格への期待はしていなかった。

 

結果、来たる3月末。転職の宛もないまま(こんなご時世なので送り出されることもなく)職場を去り、れんとは無職となった。

 

さよならの時くらい微笑んで

さよならの時くらい微笑んで

 

3月末は転職に無関係な点でも精神的に追い詰められる出来事が多く、文字通り最悪の状況だった。しかし、偏頭痛が悪化しようと瞼が痙攣しようと止まれないのが転職活動の辛いところ。歯を食い縛り、気合いと根性で転職活動2ヶ月目に突入する。

 

無職になっても何が変わるでもなく、ハローワークで失業保険の受給手続きなどを行った後はこれまで通り応募を続けていくのみ。増えた自由時間は選考の振り返りと対策に注ぎ込む。

 

しかし、肩書きが『在職中』から『離職中』になったためか、書類選考の結果が目に見えて悪化していた。具体的には、これまで体感50%だった書類選考通過率が体感20%ほどまで落ちており、エージェントを介した応募に至っては合格通知が全く来なくなっていた。

『面接の対策をしてもそもそも面接まで辿り着かない』というシビアな状況に、日夜血の気が引いていく。
(状況を打開するため、『リクナビNEXT』と『エン転職』『エン・エージェント』にも手を出すが、大きな進展にはならず……)

 

そんな紆余曲折を経ていると、あっという間に1週間が過ぎ、2週間が過ぎて4月中旬。ますます追い詰められる精神状態の中、マイナビ転職からの目を疑う通知が一件。それは3月末に『1次面接』を受けた会社からの内定通知だった。

 

自分でもよく分からない叫び声を上げながらメールを確認する。自分の読み間違いじゃないかと内定通知の文面を何度も見返すも、夢じゃない。
だが、そこで焦ってはいけない。はやる気持ちを抑えつつ、添付されていた労働条件通知書をしっかりと確認する。

 

確認して、がっくりとうなだれた。
その待遇は『特定の国家資格に合格するまでは契約社員』というもの。それ以外にも多くの条件が聞いていた内容と矛盾している、怪しさしか感じられない代物だった。


「自分はそんな企業からしか内定が出ない程度の人間なんじゃないか」……と、肩を落としながら泣く泣く内定辞退。当たり前の話だが、危険な会社=人が定着しない会社ほど、人欲しさにあっさり内定を出してくるものなのだ。

 

罠


転職活動には、実はタイムリミットがある。それは『失職してから2ヶ月』。無職の状態が2ヶ月以上続いていると、企業から「選り好みをしている」or「それだけの間どこからも雇ってもらえないような人物」という印象を持たれてしまい、書類選考通過率が更に低下してしまうのだという。
『在職中』から『離職中』になっただけで書類選考通過率が大きく下がったことを踏まえると、状況がどれほど悪化するのか考えたくもない。

2021年4月中旬、2社目の内定を辞退したことで、この話が殊更に頭を離れなくなっていた。

 

企業に応募してからリアクションが来るまではおおよそ1週間。しかし、1週間後は4月下旬、ゴールデンウィーク直前の繁忙期に反応を貰えるはずもない。
しかし、ゴールデンウィークが明け、その後の繁忙期が終わるとあっという間に5月中旬。その頃には件の『タイムリミット』まで1ヶ月しかなくなってしまう。そうなったらもうなりふりかまっていられない訳で、自分の希望も理想も捨てざるを得ない。

無職1ヶ月目にして、既に背水の陣の只中と言える状況だった。


しかし、転機は急に訪れた。

4月上旬に面接を受けた会社から最終面接の案内が来たことに加え、4月頭に最終面接で落ちた会社から「別部署での採用枠でもう一度最終面接を行いたい」との案内が届いたのである。

 

その2社は共に志望度の高い会社だったため、喜び勇んで即受諾。GW周りのことを考えると、その2つの面接が4月内の、もっと言うなら『自分の望む形での転職』を実現するラストチャンス。有り余る時間を全て使い、最終面接への対策を開始した。


○  ○  ○


最終面接前にできることは、企業研究と更なる自己分析、そして面接対策の3つだけ。そのうち最大の課題は言わずもがな『面接対策』だ。

 

これまで大きな弱点だった『話が詰まる』事態には、何も考えずに話すことができる『自分の本音』を分析し、そこにPRや志望動機を沿わせる=『僅かな嘘を本音に混ぜる』作戦で対応。これで面接は断然スムーズにこなせるようになったが、『自然体の面接』というものが未だに課題だった。

面接では「楽にしてね」「リラックスしてください」「雑談感覚で話せれば」などと言われ続け、正職員登用試験の不合格通知を受けた際も担当者から『肩に力が入りすぎている』『素が見たい』と言われていた。これら全てがイコール『自然体の面接をしてくれ』ということなのだろう。


……自然体って何だ……?


インターネットや本を漁っても、面接に『素で行こう』とは書いておらず『自然体』が推奨されている。それもごもっともな話で、文字通り素で行こうものなら社会人としてのマナー不足と見なされる。だからこその『自然体』という言い方なのだろうが、じゃあ自然体って何だよ、という話。

それがどうにも掴めずヒントを探すも、見付かるのは「リラックスしよう!」「ゆっくり話そう!」「自信を持とう!」といった曖昧なものばかりで、目指すべき『自然体』の正体はどこにも見付からなかった。

 

……じゃあ、逆に面接官は何を求めているんだろう。
ある日、バスの中で不意にそんなことを考えた。面接官は求職者に『ロボットのような完璧なマナー』を求めている訳じゃない。かといって、本当の『素』が見たい訳でもない。じゃあ何が見たいのか? 面接官がこちらの『雰囲気』にこだわる理由は何か……?
おそらく、それは『会社に馴染むかどうか』だろう。

 

『雰囲気が会社と合わない』というのは、上手くいったと思った面接で落ちる場合によくあるパターンらしく、確かに自分も採用側だったらそれは気にするだろうと思う。これは良し悪しではなく、ただただ『相性』の問題だ。

 

能力が低くても、周囲と馴染むことができれば活躍の道は開けるだろうし、周りにも良い影響を与えていくだろう。
だが、それは逆もまた然りで、いくら優秀でも、会社の雰囲気に合わないようであれば活躍の道が狭まるだろうし、周囲のパフォーマンスを下げかねない。そんな事態を避けたいからこそ、人事担当者や役員はわざわざ相手の顔を見れる機会=『面接』の場を設けるのだ。

もしこの仮説が正しいならば、面接官の求める『自然体』の正体もうっすら見えてくる。
つまるところ、面接官が『リラックスしてください』『自然体で臨んでください』などと言うことで引き出したい求職者の自然体とは『会社で働いている時に出す雰囲気』……もっと言うなら『職場で上司と接する時の態度』なのではないだろうか。

 

それをイメージすると、なるほど確かに素でもなければ固すぎる訳でもないのが『自然体』だ。職場で上司相手に「はい!それは◯◯という理由があり、◯◯からです。このことから私は~」などと機械のように読み上げる部下がいたら不気味にも程があるし、だからこそ、面接官は面接の場で『リラックスしてください』『自然体で臨んでください』などと言う訳だ。

分っかり辛いわ!!!!!!!!!!!!

 

自然体のつくり方 (角川文庫)

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1社目の最終面接を控えた決戦前夜。勿論緊張こそするが、驚くほどにリラックスしている自分がいた。『自然体』の正体に気付けたことで、これまでずっと頭を悩ませていた『自分なりの正しい面接』がようやく見えたからだ。

 

(比較的)嘘も偽りもない動機を軸に据え、相手を会社の上司だと思って、自分の仕事に対する現実的な目標/何がしたいのかを語り、それを実現できる根拠(能力や実績)をPRポイントとして述べる。
目標地点がはっきりすれば後は着地までのルートを描くだけ、これまでのように道に迷うこともない。

 

かくして望んだ1社目の最終面接。
相手は現場のリーダーと常務取締役という緊張必至の顔ぶれ。しかし、面接の軸=回答のスタンスが固まっているためか、予想外の質問にもそれこそ『自然体』で答えることができた。そして何より、こちらのPRポイントに2人の面接官が興味を持っていると察することができた。

余裕があるからこそ、しっかりとアピールポイントを伝えることができたのかもしれない。

 

所々不安な問答もあり「概ね上手くいったか……?」という感触で終わった最終面接。それでも、やれることはやりきったのだから後悔はない……と、そう思っていたその日の帰り道、『マイナビ転職』のマイページに通知が1件。それを開き、驚きと感動で崩れ落ちた。

 

内定通知だった。


そこで余裕が生まれたのだろう、直後に行われたもう1つの最終面接にも無事合格。絶体絶命の窮地から一転し、2社の内定を獲得することができた。

突拍子もなく選ばれる側から選ぶ側に回り困惑したものの、事業内容や勤務待遇、職種に面接の雰囲気、そして内定を当日中に出してくれたことを鑑みて、1社目の会社の内定を受諾。
急転直下、2年間に渡る転職活動はここに終わりを告げたのであった。


第2次転職活動の最終的な結果は以下の通り。

 

【活動期間】
2021年2月末~2021年4月中旬

 

【自己応募】
応募=25社
書類選考通過=12社
1次面接通過=5社(うち1社内定)
2次面接通過(内定)=3社

 

【エージェント経由】
応募=30社
書類選考通過=4社
1次面接通過=2社
2次面接通過(内定)=0社


合計応募数は55社、そして内定は4社。
最初の転職よりも困難を極める状況ながら、より良い結果を掴むことができた自分をここは素直に褒めてあげたい。

 

十分な自由時間を持てる社会人ライフ、穏やかな雰囲気の職場、様々な経験と知識……。あまりにも過酷だった2年間だったが、相応に数多くのものを得ることができた。どれもこれも、この2年間が無駄でない証明としては十分すぎるもの。

しかし、それら以上に価値があったのは、この2年間を駆け抜けたことで少しだけ自分を好きになれたこと。心も身体もボロボロの自分には、それが何よりの報酬だった。

 

 

○  ○  ○

 

 

全てが終わって現在、2021年5月。GW明けから新しい職場で働いている真っ最中だ。
休みの少なさが玉に瑕だが、その欠点を補って余りあるほど快適な職場環境に毎日驚いている。

 

まだ勤務開始から1ヶ月も経っていないが、一つ分かったのは、自分のポジションがこの職場において『積極的な業務の改善・効率化』を求められていること。
それは、自分が第2次転職活動においてPRポイントとして挙げ続けていたものだった。

 

要は、運。

自分が受かった一番の要因は、自分の能力をピンポイントで求めていた会社に出会えたことだったのだ。


優秀な人も、合わなければ落ちる。
優秀でなくても、合えば受かる。

きっと、そういう『自分と合う企業』に出会えるかどうかは本当に運でしかないのだろう。

 

ただし全て運任せでいいはずもなく、そういう企業に出会うチャンスを増やす……つまり『運の底上げ』をするには、求人への応募を重ねて場数を踏み、理不尽さに打ちのめされても止まることなく歩き続けなければならない。 
仮に自分と合う企業と出会えたとしても、採用担当者の目に留まり、自分のPRポイント=『どこが合っているのか』をしっかり伝えられなければ意味がない。そのためにも選考対策は不可欠だ。

 

運だけに任せられない、けれど結局は運次第……。なんて理不尽な話だろう。
だからこそ、転職活動はきっと誰にとっても過酷な旅になる。人によって得意不得意や大小の差こそあるかもしれないが、結局、誰にとってもゴールの見えない旅である点は変わらない。最後の決め手は『運』なのだから。

 

何も「上手くいかないことを運のせいにしていい」と言いたい訳じゃない。言いたいのは「最後の決め手が運だからこそ、上手くいかなくても自分を責めるべきじゃない」ということ。

 

上手くいかないと凹むのは当然のことだが、どれだけ完璧に仕上げたとしても結局は運が絡む。選考に落ちたとしても、必ずしも『劣っている』と判断されたとは限らない。

 

例えば、ある求職者が書類選考を通ったものの面接で落ちたとする。
その原因が『能力不足』かと言われると、そうとは限らない。そもそも書類選考に受かった時点で、その能力や実績は『十分に採用の可能性がある』レベルだと評価されているのだから。
では、コミュニケーション能力や人柄に問題があったのか? というと、そうとも限らない。求められる人物像は企業によって異なるからだ。

 

積極性がありリーダーシップに優れた人は、成長中の企業では好まれる一方、年功序列型の組織では出る杭として嫌われることもある。そういう組織では、消極的であっても周囲に溶け込める落ち着いた人柄が好まれるだろう。


人の長所が様々なら、企業の求める人物像も様々。周囲から見て優秀そうな人でも落ちる時は落ちるだろうし、逆に、最低限の社会人経験と会社の求める人物像さえ持っていれば、それだけで合格できることだってあるかもしれない(おそらく自分はそのパターン)。

なにせ、こちらも人なら相手も人なのだから。

 

 

○  ○  ○

 

 

とはいえ、転職活動の過酷さの中ではどうしても自分を責めてしまう、自分を信じられない、という人もいるだろう。


そんな時はどうか周りを見てみてほしい。家族か友人かパートナーか、きっとあなたを待っている誰かがいるはず。もしそうなら、それは自分では見えなくても他人からは見える『何か』があるからだ。本当に何もない人間を人は待ってくれないし、手を差し伸べてもくれない。

 

僕も、大概自分のことが信じられない人間だ。全てが終わり、少しは自分が好きになれた今でさえ、日々過去の失敗を思い出しては都度凹み、自分嫌い病と格闘する毎日。転職活動中はそれが特に顕著で、メンヘラだと言われれば返す言葉もない。
かといって、メンヘラあるあるの『理解のある彼くん/彼女ちゃん』などいるはずもなく、ずっと背中を押してくれていた家族同然の親友は、転職活動中のある日を境に会うことも話すことも叶わなくなってしまった。

美談でありがちな『特別な支え』など、自分には無かったのだ。

 

だからこそ、自分嫌いが止まらなかった。

書類選考で落ちて、面接で落ちて、ただでさえ嫌いでしょうがない自分をもっと嫌いになる。何もかもが嫌になる弱い自分が情けなくて、もっともっと嫌いになる。負のスパイラルはどうやっても止まらない。

 

それでも、そんな自分の転職活動の終わりを待ってくれている人たちがいた。
自分のことが信じられなくても、信頼できる家族や友人たちが自分を信じてくれているのだ。皆が自分に何を見出だしてくれているのか分からなくても、自分を信じる皆のことなら信じてみても悪くないはず。「お前を信じる俺を信じろ」という言葉が脳裏を過った。

 

 

この記事を読んでいる方の中に、転職活動をしようとしている人、もしくはしている最中の人はいるだろうか。

 

これまで書いてきた通り、転職活動は過酷なもの。少なくとも僕は周りの支えがあったから最後まで進むことができたが、それでも最後は運次第。運が悪ければ、僕はきっと今でも無職だった。

 

ワクチンの接種こそ始まったが、熾烈なパンデミックの中で転職市場がいつ、どれほど好転するかは闇の中だろう。

そんな中で戦う/戦おうとしているあなたのことを僕は心から応援したいし、助けになれることがあるなら全力を尽くしたい。けれど、僕があなたを知らない以上、そこにはどうしても限界があるだろう。

知識や経験で多少の助力ができても、あなたのことを知らない僕からのエールは、あなたの心の支えにはなり得ない。

 

しかし、転職活動という険しい道を進むあなたの周りには、支えになってくれる人たちが必ずいる。周りが真っ暗で何も見えない時は、遠慮なく声を上げてみてほしい。喜んで手を差し伸べてくれる人がいるだろう。助けを求める側に遠慮があるように、助けたい側にも遠慮があるものだから。

 

 


転職活動はゴールの見えない過酷な旅で、『いつか必ず理想のゴールに辿り着ける』などという聞こえの良い言葉で締めることのできない理不尽なもの。だからこそ、とても一人で乗り越えられるものではないし、誰かの助けを借りることは決して恥ずかしいことじゃない。

 

『自分にできる最善を尽くし、時に誰かの手を借り、折れることなく歩き続けていく』ことが、僕の学んだ転職活動の最適解。

より細かく具体的なことも、3つの記事にできる限り書き綴ってきました。そんな記事たちが、一人でも多くの求職者の助けになることを切に願っています。

 

僕はあなたのことを知らないけれど、心の底からあなたのことを応援する一人です。

 


記事にして3本、非常に長い文章となりましたが、ここまで読んでくださった方々、僕の転職活動を支えてくれた皆様、本当にありがとうございました。

やったよ、俺。