総括感想『プリティーリズム・レインボーライブ』- 雨上がりの空を七色に照らす、プリズムショーの進化とりんねからの “贈り物”

時に2023年12月30日。『アイカツスターズ!』の余韻に浸りつつ、『進撃の巨人』初見マラソンをひた走る筆者のもとに、あるメッセージが届いた。

 

プリティーリズムレインボーライブ10周年展が3/1からあるのですが、それまでになんとかなりませんか?」

 

プリティーリズム・レインボーライブ』。大学時代の先輩に4.5年前から勧められていたものの、スピンオフ映画『KING OF PRISM』があまり肌に合わなかったことで視聴を先送りにしてしまっていたコンテンツだ。 

そう、かの大人気・大ヒット作品『KING OF PRISM』を、かつての自分は十分に楽しむことができなかった。作品のキーである「プリズムジャンプ」をどういうスタンスで見るべきなのかが最後まで分からず、結果「世間が高く評価している作品の良さを理解できない」ままで終わってしまったことが、自分の中である種のトラウマになってしまっていたのだ。この傷こそが、自分が『レインボーライブ』の視聴に踏み切れなかった本当の理由なのかもしれない。 

しかし、近年自分は『Free!』『アイカツスターズ!』『進撃の巨人』と、これまでの自分ではおよそハマらなかったであろうコンテンツに触れ、その度に新たな世界をこじ開けられている。そんな今なら「プリズムの煌めき」を受け止めることができるんじゃないか。この機会を逃したら、そのチャンスはもう二度と訪れないんじゃないか――。そんな思いで身支度を整えた2024年2月。10周年記念展までの1ヶ月で『レインボーライブ』に向き合うマラソンが始まった。  

 

こうして、数年越しに向き合うこととなった『レインボーライブ』。本作が、かつて「プリズムジャンプ」という概念に置いていかれてしまったオタクの目に一体どう映ったのか。なぜ、そんなオタクが本作のプリズムショーで何度も何度も号泣することになったのか。その軌跡と本作に感じた魅力を、思うままに書き残しておきたい。

 

 

《目次》

 

『レインボーライブ』と「繋がりが生むもの」

 

プリティーリズム・レインボーライブ』は、2013年から放送されたデータカードダス連動型のTVアニメ作品で、『プリティーシリーズ』3作目のTVアニメ作品。姉妹作とでも呼ぶべき『アイカツ!』シリーズに比べてホビーアニメ色が強いことは勿論、「妖精」や「異世界」の存在もあって、さながら「プリキュアアイカツの合の子」のような作品だ。 

しかし、そのような側面はおそらく『プリティーシリーズ』そのもののアイデンティティー。『レインボーライブ』の個性として際立っていたのは、何といってもそのハードなキャラクター造形・ストーリー展開だろう。

 

BOY MEETS GIRL

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『レインボーライブ』のキャラクターに共通した特徴といえば、真っ先に挙げられるのが「各々の欠点が明確に描かれている」こと。 

竹を割ったような性格だが、その反動か些か周囲を省みない所がある福原あん。クールやツンデレを通り越して「刺々しい」涼野いと。敵味方を問わず、高圧的な物言いで追い詰めてしまう蓮城寺べる。他人を見下し、馬鹿にする言動が目立つ森園わかな。普段おっとりしている分、突発的に感情を爆発させてしまうことがある小鳥遊おとは……。そんな彼女たちの中に、なるといとが想いを寄せる少年=神浜コウジ、そのコウジに異様な執着を見せ、事態を掻き回す面白い危険な男=速水ヒロが加わることで、本作前半の人間模様はおよそ女児アニメとは思えない程のギスギスした雰囲気を醸し出していく。 

しかし、それらの「歪み」は大半が各々の家庭事情によって生み出されてしまったもの。最初にあんの家庭を見た時も「うわっ」と思ってしまったけれど、福原家はまだまだ軽傷の部類。娘をトロフィーのようにしか扱っていない蓮城寺家、度が過ぎた亭主関白家庭の森園家、母子家庭で、幼いヒロを半ばネグレクトしていた速水家、そして、神浜家に対し致命的な「罪」を背負ってしまった涼野家……。それぞれの人間関係が家庭を歪ませ、歪んだ家庭が子どもを歪ませ、歪んだ子どもが、また別の子どもを歪ませて……。そのような「人と人との繋がりが生む負の連鎖」こそが、本作の物語に暗い影を落としていくことになる。

 

 

一方、本作はそんな「人と人との繋がり」が生むものは決して悲劇だけではないのだと、そのような悲劇を越えていくのもまた「繋がり」の力なのだと胸を張って謳い上げてくれる。その嚆矢となったのが、第13話『心をつなぐ虹の架け橋』。

 

 

メイン6人の中では唯一「歪み」を抱えておらず (「なぜなら、彼女は生まれる前から最大の困難を乗り越えているから」という第38話での種明かしの衝撃たるや……!) 、両親からの深い愛を受けて育った主人公=彩瀬なる。「ハピなる」という口癖の通り、天性の明るさを備えた彼女は、ギスギスした雰囲気が続く本作においてまさに太陽のような存在だ。 

しかし、そんな彼女を決して見過ごさないのが『レインボーライブ』という作品。第13話では「なるが大会のプレッシャーと敗北への恐怖に押し潰され、壇上で泣き出してしまう」というショッキングな事態が起きる……が、そんななるの耳に『ハート♡イロ♡トリドリ~ム』の歌が届く。それは、歌を捨てたハズのコウジから贈られた想いと勇気のバトンだった。

 

ハート イロ トリドリ〜ム

ハート イロ トリドリ〜ム

 

なるがこの窮地に追い込まれたのは、なるとコウジの繋がりを妬んだヒロによる策略。しかし、なるを救い、新たなステージへと導いたのもまたコウジとの繋がり。人と人との繋がりは悲劇の温床かもしれないけれど、それ以上の力をくれる絆の源でもあるのだと、そのことを「コウジから改めて託される『ハート♡イロ♡トリドリ~ム』が体現する」という美しさで自分は一気にこの作品へ引き込まれてしまったし、個人的に「刺さる」歌だった『ハート♡イロ♡トリドリ~ム』が逆転の鍵として輝いてくれたことへの嬉しさや、なるがべるに並ぶ3連続プリズムジャンプを成し遂げるというカタルシスもあって、ここで自分は初めて『レインボーライブ』に涙してしまった。かつてプリズムジャンプに置いていかれた筆者は、1クール目にして早くも「堕とされて」しまったのである。チョロいとか言わない。

 

EZ DO DANCE

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ジンクスを覆す「プリズムジャンプ」の輝き

 

このように、自分は第13話で『レインボーライブ』に一気にのめり込んだのだけれど、それは裏を返せば「当初はイマイチノれていなかった」ということ。その一因が、以前自分が『KING OF PRISM』にハマれなかった理由でもある「プリズムジャンプ」だった。

 

Get music!

Get music!

 

ド正直なことを言うと、最初は「プリズムジャンプ」が何もかも分からなかった。  

よくあるアニメ的な演出 (=あくまで、視聴者にそう見えているだけ) なのかと思いきや、匂いや物理的な衝撃が発生していることから「実体」である模様。なるほどそういうスーパー技術がある世界なのね、と思いきや、特段の設備がないストリートでも当たり前のようにプリズムジャンプが行われている。 

そもそも、なぜ回転ジャンプでこのような現象が起こせるのかも分からなければ、それをカタチにする謎のエネルギー=「プリズムの煌めき」も何のことやら分からない。勿論、このような現象・描写は『遊戯王』シリーズなど他の作品でも度々見られるもの。作品のターゲットからしても、殊更に目くじらを立てるようなものではない……のだけれど、問題は『レインボーライブ』という作品のリアリティラインが高めに設定されていること。スーパーロボット作品とリアルロボット作品で求められる整合性のラインが異なるように、本作の視聴においてはどうしても前述のような「細かい点」が気になってしまったし、自分にとってこの点は本作の「ウィークポイント」として感じられてしまっていた。  

(この問題が顕著だったのが、作中終盤の「プリズムの煌めきが失われる危機に、プリズムショー協会が指を咥えて見ているだけ」というシチュエーション。プリズムライブを採点対象にした時も然り、彼らの「無知・無策」ぶりがどうしても気になってしまい、折角のクライマックスで没入感を大きく削がれてしまうのが残念だった)

 

しかし、第13話『心をつなぐ虹の架け橋』でなるのプリズムジャンプに涙腺を破壊されてからというもの、それらネガティブなイメージは日に日に薄れていき、いつの間にかプリズムジャンプの「魅力」の方に目が引っ張られるようになっていった。ビジュアル面での楽しさは勿論、それ以上に自分のハートを掴んだのは「プリズムジャンプは、なるたちプリズムスタァたちの成長と連動する “飛翔” である」という点だ。

 

 

歌に乗せた「○連続!」の掛け声とジャンプをトリガーに技が展開されるプリズムジャンプは、それ自体にある種「必殺技」のような小気味良さ・カタルシスがあるのだけれど、中でもその真価が発揮されるのが「スタァが新たなジャンプに到達する」瞬間。 

あんが失敗、わかなが踏み止まり、べるだけが完遂していた3連続ジャンプになるが到達 (第13話) 、自由へ踏み出したわかなが、満を持して3連続ジャンプを達成 (第16話) 、悲劇を乗り越え、4連続ジャンプを披露するべる (第45話)、ジュネ・りんねという高次元のプリズムスタァしか到達していなかった6連続ジャンプを跳ぶいと (第47話) ……を、更に越える7連続ジャンプを成し遂げるべる (第48話) など、新たなジャンプが「○連続!」の掛け声で解禁される瞬間、そのアツさで悲鳴を上げてしまったのは自分だけではないはずだ。 

また、これら「○連続ジャンプの解禁」のカタルシスを作り出す要因として、それらがストーリーの帰結=「スタァたちの成長が昇華されたもの」である点も欠かせない。 

作中でも言及されるように、プリズムジャンプに必要なのは心の煌めき。そのため、新たなプリズムジャンプは往々にして彼ら・彼女らのドラマの集大成として披露される。プリズムジャンプが「ジャンプ」であるのは、スタァたちが様々なしがらみから解き放たれ、更なる「高み」に到達した証として顕現するものだからなのかもしれない。  

(プリズムジャンプと言えば、それがプリズムスタァの「技量の指標」になっているのも欠かせないポイント。第32話における「4連続をすっ飛ばして5連続を跳ぶことで格の違いを示すジュネ」などは、プリズムジャンプが効果的に作用した好例だった)

 

 

プリズムライブへの違和感と『さよなら、ぺる』

 

「プリズムジャンプが合わない」という最大の懸念が払拭されたことで、自分は特に2クール目からズブズブとこの作品に引き込まれていった。そのハマり方をブーストしてくれたのが、本作の「楽曲」たちだ。

 

ハート イロ トリドリ〜ム

ハート イロ トリドリ〜ム

 

件の第13話を彩ったなるのマイソングであり、可愛らしい歌詞・メロディにギターのアクセントがたまらない『ハート♡イロ♡トリドリーム』

 

Blowin' in the Mind

Blowin' in the Mind

 

わかなのマイソングらしく、掴みどころがない独特なテンポで歌われる「アタルのも八卦なら ハズレも八卦よいよい」等のフレーズが、一度聴いたら癖になってしまう『Blowin' in the Mind』

 

Pride

Pride

 

コウジとヒロの確執を反映したかのようなほの暗いビートと、前野智昭氏のセクシーな歌唱が完璧なハーモニーを見せているものの、歌詞が「2人で歌うことを想定したもの」であることに気付いてしまうと更にその味わいが深まる『pride』。 

プリズムスタァが「アイドル」ではなく、更に男性のスタァが登場することもあってか本作の楽曲は非常に多彩で (作中での見事な使われ方も相まって) 印象的なものばかり。

しかし、それだけにこの第2クールでも尚惜しいと感じてしまっていたのが、本作のアイデンティティーでもある「プリズムライブ」の演出だ。

 

 

ペアともが楽器に変身、ステージの最中にスタァがライブ (演奏) を行うプリズムライブ。当時タカラトミーからプリズムレインボーギターの玩具が発売されていたことも踏まえると、おそらくこれこそが『レインボーライブ』の看板にしてアイデンティティーだったのだろうけれど、自分は当初、このプリズムライブにもあまり良い印象を持てていなかった。  

というのも、本作序盤のプリズムライブは 

・「歌をブツ切りにして突如始まる」ことが多い 

・プリズムジャンプのBGM程度の扱い (プリズムライブそのものが目玉になる訳ではない)  

・……にも関わらず、作中ではこのプリズムライブそのものがプリズムショーにおける革命として人気を博する 

というもの。これらの演出に対する違和感 (=作品との乖離) は、第20話『心重ねてときめきセッション!』における「3人でのプリズムライブがセッションではなくメドレー」「プリズムショー協会が (その仕組みも正体も分からない) プリズムライブを採点対象にするという発表」でますます深刻になってしまい、このままプリズムライブが好きになれなかったらこの作品を楽しめないんじゃないか、と不安が高まる一方だった。……第26話『虹を呼ぶハッピーレイン』を見るまでは。

 

 

2クール目の大きなトピックとして描かれていくのが、エーデルローズSチーム=おとはとわかなの成長劇。特に、エーデルローズを追い出されたおとはが、いとたちとの交流を経て再びべるの元に帰還する第21話『2度目のオーディション』、あん、わかな、カヅキ3人の和解と「あの時果たせなかった約束を果たす」想いのバトンリレーが描かれた第22話『約束とスペシャルサンド』第23話『思い出運ぶプリズムの風』の3編は、高い完成度を誇るシナリオに「おとはとわかなが満を持してプリズムライブを披露」というカタルシスが加わり、作中でも屈指の盛り上がりを作り出していた。 

……が、2人がプリズムライブを習得し、プリズムストーンと絆を育んでいく傍らで一人孤独を深めていったのがべる。追い詰められた彼女に、本作は想像を絶する悲劇を叩き付けていく。

 

 

セシニの卵が冒頭から登場し、「とうとうべるもプリズムライブを習得するか」などと油断しきっていた第24話『ひとりぼっちの女王』。タイトルから嫌な予感こそしていたけれど、いざお出しされたのはそんな予感を捻り潰す「ライン越え」の展開=ディアクラウンで開催されたパーティーでプリズムライブの披露を求められるもセシ二が孵らず、結果「プリズムラーーイブ!!」と嘲笑の中で叫び続けるしかできない、べるの信じられないほど惨めで悲痛な姿だった。  

なる、あん、いと、おとは、わかながプリズムライブを習得し、3連続ジャンプが当たり前の世界になったことでスタァとしての優位性が失われたばかりか、おとは・わかながプリズムストーン組と和解したことで「孤高」から「孤独」に転落する――と、徹底的にぺるの居場所を奪った上でこの展開である。ハードな作風とは聴いていたけど、よもやこんなにも身の毛がよだつ地獄絵図が待っているとは予想さえしていなかったし、プリズムショーさえも奪われ、海外への留学を言い渡されたべるの絶望と次回のサブタイトル=『さよなら、べる』には身体が芯から震え上がってしまった。このアニメ、ひょっとして「女児向けアニメなので物理的な痛みは出せないけれど、それ以外ならどこまでやってもいいよね」と思ってない!?  

……ところが、そんな『さよなら、べる』こそが、本作がその真価を魅せていくターニングポイントでもあった。

 

Rosette Nebula

Rosette Nebula

  

(いつも「誰かに愛されたい」と思っていた。でも、こんなすぐ側に愛があったのね。おととわかなの愛の香りが、優しい風に乗って、私の心に心地好くそよいでいる……! 2人のおかげで、私は愛を感じられるようになった。愛に飢えた子どものべるに……さようなら。ありがとう、おと、わかな。私も、貴女たちを愛してる!)

「べるさん!」
「いぃっけぇーーっ!」
「プリズムっ……! ラーーイブッ!!」

-「プリティーリズム・レインボーライブ」 第25話『さよなら、べる』より

 

なるとヒロ、そしておとは・わかなの尽力でようやく呪いから解き放たれたべる。本当の絆を得たことで「ベルローズ」として新生する3人。満を持して披露されるトリオ曲『Rosette Nebula』……。これら一つ一つでもお祭り騒ぎだったのに、それらの積み重ねを爆発させたのが「べるのプリズムライブで引く」という、あまりにも美しい第25話のアウトロ!  

この引き、そして続く第26話でべるが見せてくれた4連続ジャンプの美しさは、第13話が自分の中にあった「プリズムジャンプへの苦手意識」を消してくれたように、2クールかけて積もり積もった「プリズムライブ描写への不満」を吹き飛ばして余りあるもの。プリズムライブの根本的な問題点が変わった訳ではなかったけれど、それでも「プリズムライブがこれだけのカタルシスを作り出してくれるなら、俺はこの作品を信じるぞ」と、第24・25話にはそう思わせてくれるだけの力が満ちていたし、この時は、プリズムライブの「本領発揮」がすぐ側まで迫っていただなんて微塵も予想できていなかったのである。

 

 

『どしゃぶりHAPPY!』に見る、プリズムショーの「完成形」

 

べるのプリズムライブと4連続ジャンプで幕を開けた第26話『虹を呼ぶハッピーレイン』。前回から本話アバンまでの流れに感銘を受けてしまったため、どうしてもなるたち3人への期待よりも「彼女たちにベルローズの感動を越えられるのか」という不安が勝っていたし、その不安はいとがようやくコウジと結ばれても消えることがなかった。  

(鈍すぎるせいか何かを見落としていたのか、自分は「コウジもいとのことが好きだった」と全く気付けなくて、そのせいでコウジの告白~キスの一連で感動よりも驚愕が勝ってしまい、更に「なぜか2人を見守っているヒロ」という面白爆弾が投下されたせいでそれどころではなくなってしまった。悔しい……!)

 

しかし、いとの帰還で3人が揃った控え室にて、そんな不安は少しずつ切り払われていくことになる。

 

「No rain, No rainbow」
「「「?」」」
「僕が今回作った歌の詩に込めた想い……。雨が降らなければ虹は出ない。たとえ辛いことがあっても、その後には良いことが待ってる、って」
「それじゃあ “ハッピーレイン” はどう? 幸せを雨が運んできてくれる、そう思える名前!」
「いいね、それめちゃウマ!」
「ハッピーレイン、ハピなる!」

-「プリティーリズム・レインボーライブ」 第26話『虹を呼ぶハッピーレイン』より

 

理不尽で過酷な出来事ばかりでも、その先には必ず希望が待っている。辛い出来事を否定せずに正面から受け止め、むしろ明日への糧に変えていく――。その姿勢はまさに『レインボーライブ』を体現するものであったし、生きていく上で避けられない悲劇と折り合いをつけていくためのよすがになるもの。そんな本作の想いが目一杯に詰め込まれた歌こそが、ハッピーレインのデビュー曲にして問題の歌=『どしゃぶりHAPPY!』だ。

 

どしゃぶりHAPPY!

どしゃぶりHAPPY!

 

3人の美しいデュエット、ポジティブな可愛らしさが際立たせるドラマチックなメロディ、そして「間違いをして仲直り 泣いてから笑おうよ」「大好きなんだ 迷いながら 進む君だから」等、これまでの『レインボーライブ』は勿論「迷い、間違い、挫けても、それでも生きていくしかない」私たちを祝福してくれるかのような優しく力強い歌詞……。魅力を挙げたらキリがない『どしゃぶりHAPPY!』だけれど、敢えて自分の涙腺が粉々になった一番の要因を挙げるなら、これらの魅力をパッケージングし、最大火力で爆発させた「プリズムショーとしての美しさ」だろう。 

ポイントは、これまでと異なる『どしゃぶりHAPPY!』のステージ構成。自分はこれまでプリズムライブの問題点として「歌をぶつ切りにして始まる」「プリズムジャンプのBGM程度の扱いに留まっている」ということを挙げたけれど、この『どしゃぶりHAPPY!』の構成はまさにそれらとは一線を画するものだった。 

①歌 (Aパート) とダンスのステージ 

②Aパートのサビと重ねてプリズムライブ発動 

③コーデチェンジをスイッチに (ドヤ顔カットが音ハメになっている) 間奏へ移行 

④プリズムライブによる間奏 

⑤歌 (Cパート) をバックにプリズムジャンプの大技 

お分かり頂けただろうか。①~③はこれまでのプリズムライブでも多かれ少なかれ見られたものだけれど、問題は④の「プリズムライブによる間奏」。 

これまでは、少しだけ演奏してすぐにプリズムジャンプに移ってしまうため「場繋ぎ」あるいは「プリズムジャンプのBGM」程度の扱いに留まっていたプリズムライブだけれど、この『どしゃぶりHAPPY!』ではAパート後の間奏がそのままそっくりプリズムライブに充てられている。鮮やかに滑り、入れ替わり立ち代わりに「背中合わせ」カットを披露、満面の笑みを浮かべながら (第20話とは異なり、正真正銘の) セッションを繰り広げる3人の姿は、まさにプリズムショー独自の魅力とライブパフォーマンスの合わせ技=文字通りの「プリズムライブ」と呼べるもの。また、そんな間奏パートが限界までボルテージを高める「溜め」としても機能することで、Cパートの「なるのカットイン」→「3人同時ジャンプ」→「最大規模のプリズムジャンプ演出」という一連のカタルシスも数段、もとい数倍増しになっているのも見逃せないポイントだ。

 

 

こうして、プリズムライブが独自の存在感を発揮し、ステージパートとジャンプパートを繋ぐ架け橋としても機能するようになった結果、大きく変わってくるのが「プリズムショー」そのものの見え方。 

というのも、これまでのプリズムショーはステージとジャンプがそれぞれバラバラになっており、プリズムライブはそもそもしっかりとした存在感・個性を持てていなかった。ところが、この『どしゃぶりHAPPY!』の場合はステージ、ライブ、ジャンプがシームレスに接続されており、ぶつ切りではない「右肩上がりの流れ」を作り上げていた。つまり、第26話にして遂に「ステージ、ライブ、ジャンプから成るパフォーマンス」というパッケージ=プリズムショーが完成したのがこの『どしゃぶりHAPPY!』であり、自分がこのショーに泣かされてしまったのは、その美しい完成度と圧倒的な爆発力――に加えて、このショーを形にしたなる、あん、いと3人の絆と成長に胸を打たれてしまうからなのだろうと思う。信じて良かった、レインボーライブ……!!

 

 

驚天動地のシャッフルデュオ -「森園フタバ事変」という狼煙

 

第26話で遂に示された「プリズムショーの完成形」。このスタイルは (ありがたいことに) 以降のエピソードでも踏襲されていき、第29話『私はべる! 店長にな~る♪』ではなんと同スタイルでの『Rosette Nebula』が爆誕。エピソードそのものの魅力も相まって凄まじい盛り上がりを見せてくれた。

 

 

一方、ハッピーレインとベルローズが和解したことで物語は徐々に「VS天羽ジュネ」の様相を呈していき、第32話『愛に羽ばたく女神』では満を持してジュネがプリズムライブと5連続ジャンプを解禁。5連続ジャンプは言わずもがな、「オーケストラの指揮者」というモチーフが格の違いを見せ付けたプリズムライブはまさに圧巻の一言だった。 

しかし、この3クール目においてジュネ参戦以上の目玉トピックになっていたのは、何といってもハッピーレインとベルローズによるシャッフルデュオだろう。

 

CRAZY GONNA CRAZY

CRAZY GONNA CRAZY

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「ライバルチーム同士のシャッフルデュオ」だなんて、この手の作品では作中に数回あれば十分にお釣りが来るし、どんな内容でも美味しいボーナスステージのようなもの。が、レインボーライブのデュオ回はそんな妥協を許さない熱意……いや、熱意どころか、一周回って何か異様な「執念」に満ちていた。

 

 

ます面食らったのは、第35話『シャッフルデュオでダメだこりゃ!』の内容。この回は言ってしまえば「なる&べる」「あん&わかな」「いと&おとは」がペアを組む……というだけの話なのだけれど、驚くべきは 

・一度各ペアを組ませるも「合わない」となって解散 

・なる、あん、いと、べる、わかな、おとはの全ペアが披露される 

・その上で初期ペアに回帰する 

という3ステップの構成。一度は合わない、という過程を挟むのは「普段から一緒にいる訳じゃない」者同士がパートナーに至るまでのステップとして非常にリアルで、こういった一つ一つの作劇で “納得” を積み重ねてくれるからこそ、レインボーライブのドラマは響くんだよな……としみじみしつつ、それはそれとして「ライブシーンのノルマを削ってまで全ペアを見せる」という製作陣の執念には「本気!?」と目を疑ってしまった。  

しかし、なるとおとは、あんとべる、いととわかなを組ませることで「このペアも相性良さそうだよね」という視聴者の思考にしっかり先手を打ちつつ、あんからわかなへの想いを軸に「でも、貴女と組みたい」という個々の想いに回帰させる流れの美しさには本当に溜め息が出てしまう。誰かに決められた道ではなく、自分の道は自分で決める (支配からの脱却) というテーマもしっかり反映した、単なるペア決め回に留まらない傑作回と言えるだろう。 

……して、このように磐石なスタートを切ったからこそ、ここから始まる「デュオ回」の盛り上がりは想像を絶する凄まじいものだった。

 

 

普通なら「息抜き回」に充てられそうなお泊まり回だけれど、各家庭が並々ならぬ闇を抱えた『レインボーライブ』においてはむしろそれこそが本番。あんがわかなの、おとはがいとの、なるがべるの、それぞれの事情を知った上でその支え=パートナーへと至る展開は、わかなに「貴女にも見落としているものはある」と気付かされたあん、いとに「言いたいことを言える」ようにして貰ったおとは、べるに憧れて自分の道を見付けたなる、それぞれの「恩返し」のように思えてそれだけで涙が零れそうになってしまうし、その過程=各エピソードの内容も作中屈指の傑作揃い。 

いととコウジを縛る因縁の正体が明かされる第37話『哀しみのラッキースター』、べると母親の和解の裏で、しれっとなるの背負った壮絶な過去が明かされる第38話『聖夜にハッピーベルがなる (タイトルが天才すぎる……!!) 』、そして、あん&わかなの集大成とも言える第36話『お泊まり会で2人はめちゃウマ!?』。

 

 

あんに信頼を寄せるものの素直に振る舞えないわかなと、そんなわかなに直球ストレートで友情をぶつけるあん。そして、そんな2人を支え続けるも女心は全く分からないカヅキ……。魅力的な関係性の宝庫である本作の中でも、自分は特にこの幸せトライアングラーが大好きで、だからこそわかなに迫る不穏な影が気がかりでしょうがなかった。『レインボーライブ』の作風であれば、ここでわかなが本当に (あったとしても一時的だろうけれど) 離脱してしまう可能性が否定できなかったからだ。  

そんな予感を裏付けるように、あんに「あくまで、わかな自身の選択を後押しすること」を説くカヅキ。このお別れムードまっしぐらで披露されるデュオ曲『cherry-picking days』が2人のマイソングよりもずっと「泣きメロ」に寄った+あん&わかなの物語を締め括るに相応しい歌詞だったこともあって、自分は「このままじゃわかなが本当に離脱する……!」と顔面真っ青、森園母子が「ごめんなさい」「思い残すことはないよ」と抱き合ったことでいよいよ焦りが諦めに変わり、涙腺が決壊して――直後、その涙が猛スピードで引っ込んだ。

 

「……おい、正」

「ん?」

「いい加減にしろよッ!!」

「「「!?」」」

「……えっ!?」

「貴方には、あんなに輝いてるわかなが見えないんですか!? 親が子どもの輝きを消すなんて、絶対に許されません! いつまでも自分に都合良く、わかなを犠牲にしないでください!」

「お母さん……」

「身の回りのことができないからって、今まで家族のことを世界中引っ張り回して……! もう貴方の稼ぎなんかアテにしません、私も明日から働きます! これからは、自分のことは自分でやる……! わかったか、にゃ!?」

「はいぃ……」

「わかな、お父さん一人でシンガポールに行くって」

「ああ、いや……」

「わかな、明日から貴女も自分のことは自分でやりなさい。正は荷物と一緒にシンガポールに送ってあげるにゃ」

-「プリティーリズム・レインボーライブ」 第36話『お泊まり会で2人はめちゃウマ!?』より

 

わかなの猫かぶりは、引っ越しを繰り返す中で身に付いてしまった彼女なりの処世術だと思っていたので、それが半分正解で、もう半分が「血筋」だというのは全くの予想外。けれど、ここに来てフタバが「ポニーテール+目付きが凶悪+ヤンキー+柄の悪すぎる “にゃ” +わかなに話しかける時はにこやか」という盛り盛り属性で自分のストライクゾーンを燃やし尽くしてくるのはそれを遥かに上回る超絶ド予想外だった。いやこんなん予想できるハズないって!!  

(後々、こちらの方が “素” だと判明した時もそれはそれで変な声が出た。最高!!!!!!)

 

しかし、このシーンが痛快だった理由は何もそれだけじゃない。 

この時点での『レインボーライブ』には「世の中には、個人の努力ではどうにもならない理不尽がある」という、ある種の諦観・割り切りのようなものが感じられていた。その事は本作のリアリティに大きく寄与していたように思うけれど、一方ではそれが鬱屈とした息苦しさとなって作品全体を覆っていたのもまた事実。……だからこそ、そんな「個人の努力ではどうにもならない理不尽」を吹き飛ばしたフタバの平手打ちが、そのフタバを動かしたものが「わかなとあんたちの “繋がり” 」だったことが、さながら「ここからは、そんな理不尽に全力で抗っていくフェーズだ」という反撃の狼煙に思えて、それこそがこの一連をたまらなく痛快にしている一番の理由だったように思う。

 

 

『cherry-picking days』『ALIVE』『Little Wing & Beautiful Pride』

 

あんとわかなにとっては勿論、作品そのものにとっても大きなターニングポイントとなった第36話。その力の入り様は続く第37話と第38話においても同様だったのだけれど、これら3篇を語る上で欠かせないのが3つのデュオ曲だ。

 

cherry-picking days

cherry-picking days

  • 福原あん/森園わかな(CV.芹澤 優・内田真礼)
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それぞれが圧倒的な盛り上がりを見せてくれた各デュオ回だけれど、その「盛り上がり」を一層凄まじいものに昇華させていたのが各デュオ曲とその演出。あん&わかなの『cherry-picking days』については前述の通りだけれど、残る2曲も同等かそれ以上の魅力を秘めた「規格外の代物」だった。

 

ALIVE -TV mix ver.-

ALIVE -TV mix ver.-

 

いと&おとはのデュオ曲『ALIVE』。2人の相異なる儚さが聴いているだけで涙腺に来る……というのは勿論、特筆すべきはその歌詞とそこに至るまでの物語だろう。  

「夢見ることで 弱くならないように 宝物を見付け 磨いたのはあなた」「ここに辿り着くまでの時間は 巻き戻りはしない」「どんなに憎み 欠けて 失くしても 負けないでいて」といった歌詞は、紛れもなくおとはからいとに贈られたメッセージ。この歌詞を聴く度に、いとへの想いを夜通し編み上げたおとはの健気さと、その姿を見て気力を取り戻すいとの逞しさに胸を打たれて涙してしまうファンは自分だけではないだろう。 

また、この『ALIVE』は作中での「アウトロ」演出も印象的。というのも、第37話では『ALIVE』のアウトロを背に「いとがコウジの下を去る」姿が描かれ、第41話『星がつなぐ絆』では、転じて「コウジから弦への “ありがとう” 」「その笑顔に丈幸が重なる」様が描かれた。ただでさえ胸に来る両シーンだけれど、双方が同じ『ALIVE』のアウトロに彩られることで「一度は届かなかったおとはの手が、今度こそ涼野家と神浜家を繋いだ」ようにも見え、そのことが一層強く胸を揺さぶる――というのは、きっとこちらの気のせいでも深読みでもないように思うのだ。

 

Little Wing and Beautiful Pride

Little Wing and Beautiful Pride

 

「泣き曲」として常軌を逸するパワーを秘めていた他2曲から一転、泣きは泣きでも「熱さ」で泣かせてくるのが、なるとべるのデュオ曲である『Little Wing & Beautiful Pride』! 

この曲の最大の特徴と言えば、やはり2人のマイソング=『ハート♡イロ♡トリドリ~ム』と『Get music!』が溶け合ったかのようなそのメロディ。『cherry-picking days』以上にこの要素が色濃く打ち出されているのは、おそらく「異なる個性が合わさることで見たことのない輝きを生む」というなる&べるペアのアイデンティティーを歌に込めた所以なのだろうけれど、そのことを確信させてくれるのがプリズムショー時の「台詞」演出。

 

「なるさん!」
「べるさん!」
「全然違う私たちだから……!」
「ハートを重ねて、まだ見たことがない輝きを作ることができる!」

-「プリティーリズム・レインボーライブ」 第38話『聖夜にハッピーべるがなる』より

 

これまでも『どしゃぶりHAPPY!』などで希に用いられていた「プリズムジャンプ時に固定の台詞が挿入される」演出、この『Little Wing & Beautiful Pride』はとりわけその「合わせ方」が美しく、第38話・第42話の両方で用いられれていることもあり、もはや「台詞を含めて一つの歌になっている」ようでさえある。 

元々、歌の最中に台詞やモノローグが入る演出は本作の十八番。歌が挿入歌のように働くことで絶大な火力を生み出していた (個人的な推しは第36話『お泊まり会で2人はめちゃウマ!?』でのモノローグ) けれど、「固定の台詞が用意されており、歌の一部と化している」というのはまさにその進化形、ミュージカルの領域だ。この台詞に至る2人の物語も相まって、前2曲とは異なるベクトルで感涙必至の一曲と言えるだろう。

 

 

押しも押されぬ個性を持ち、どれもが「至高の名曲」である3つのデュオ曲。しかし、これら3曲が真の力を発揮するのはウィンターホワイトセッション本番。第40~42話において、この3曲のプリズムショーは前述の「どしゃぶりHAPPY!式」で行われるのである。  

①歌 (Aパート) とダンスのステージ 

②Aパートのサビと重ねてプリズムライブ発動 

③コーデチェンジをスイッチに (ドヤ顔カットが音ハメになっている) 間奏へ移行 

④プリズムライブによる間奏 

⑤歌 (Cパート) をバックにプリズムジャンプの大技 

という構成によって、相異なるパフォーマンスであるステージとプリズムライブ、プリズムジャンプが「プリズムショー」としてパッケージングされ、凄まじい最大火力を叩き出す『どしゃぶりHAPPY!』式のプリズムショー。 

ただでさえ超火力のデュオ曲にこのスタイルの組み合わせはまさしく鬼に金棒で、各ペアのセッションや同時ジャンプ一つ一つに号泣してしまうのは勿論、あん&わかなとべる&なるに至っては「にゃ!」「めちゃウマ!」「ハピなる♪」という各々の決め台詞を2人で言うというオマケ付き。最終戦で用いられたのが各キャラクターのマイソングだった (これもこれでアツい展開。おとはの「メ"ル"ヒ"ェ"ン"!!」は何度聴き返したか分からない……!) ことを踏まえると、この第40~42話のデュオ曲こそが、本作におけるプリズムショーの「最終到達点」と呼べるものなのかもしれない。


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「繋がり」のバタフライエフェクト

 

プリズムライブやプリズムショーが進化を遂げていく3クール目以降は、来る最終回に向けて物語がクライマックスへと動き出す時期でもある。その中では、当然これまで積み重ねてきた「敵」との決着が描かれていくことになるのだけれど、本作における「敵」とは何なのだろう。 

森園正は、森園フタバに愛される自分で在り続ける為、自宅でも「真面目キャラ」を守り通した結果、家庭を省みない父親として歪んでしまった男だった。

べるを縛り付けていた母親=蓮城寺律の暴走は、夫である行秀が長らく家を不在にしていることがその大きな原因だった。 

2人の行為は紛れもない「悪行」だったけれど、蓋を開けてみれば、彼ら彼女らもまた何かに縛られ、呪われてしまった存在であった。このことを踏まえるなら、『レインボーライブ』における「敵」とは、個人やその罪以上にもっと大きなもの=運命や因果のような、人間を縛り歪ませる「目に見えない呪い」だったように思う。このことは、とりわけラッキースターの悲劇に色濃く表れていたと言えるだろう。

 

 

そして、本作でそんな運命・因果に立ち向かう術として示されたのが「人と人との繋がり」。 

一つ一つは小さい想いが、繋がり、結び付き、やがて大きなものを覆す力になる。本作の第4クールOP『Butterfly Effect』の歌詞はまさにそのことを歌っていたし、あんやカヅキの想いがバトンリレーのように繋がり、やがてフタバを動かしたのも、いとたちがおとはを救ったことが、巡り巡っていとを救い、弦を動かし、北川プロデューサーを動かし、神浜家との和解に繋がったことも、いずれもまさに「繋がりのバタフライエフェクト」と呼べるもの。その到達点の一つが第45話『薔薇の革命』におけるヒロであり、誰よりもがんじからめの状況で、誰よりも歪みきってしまった彼が「勇者」として返り咲き、真のマイソングとなった『pride』でペアとも無しの4連続ジャンプを跳んでみせる姿には、まさに「運命をひっくり返す」煌めきが満ちていたように思う。  

(ステージ前の「作詞作曲はー!?」「「「コウジー!!」」」「そういうこと」が第18話『俺はヒロ!絶対アイドル☆愛・N・G』のリフレインになっていると気付いた瞬間には思わず息を呑んでしまった。その身で「どしゃぶりを越えた先にある虹」を体現してみせたヒロは、名実ともに本作の「もう一人の主人公」と言えるだろう)

 

Butterfly Effect

Butterfly Effect

  • Prizmmy☆
  • アニメ
  • ¥255

 

このような繋がりの力、あるいは「善意の連鎖」が呪いや因縁を断ち切っていく様は、ファンタジー然とした面もある本作だからこそ殊更に輝き、胸を揺さぶる「リアル」な物語。しかし、それはリアルであるが故に「全てを覆すことはできない」ものでもあった。

 

 

実質的な最終回と言える第50話『煌めきはあなたのそばに』において、プリズムの煌めきを復活させることに成功したなる。本作の看板とも言える『ハート♡イロ♡トリドリ~ム』がこの最終局面を彩ることや、「競技としてのクイーンはべるだけれど、本当の勝者はなる」という粋な落としどころで既に拍手喝采だったけれど、本話のクライマックスはその後。プリズムワールドへの道を開く為の「7人によるプリズムライブ」において、最後の一人にジュネが名乗り出た瞬間「ジュネのプリズムライブが “オーケストラの指揮者” 」であることを思い出して思わず声が漏れてしまった。俺、やっぱりプリズムライブのこと大好きだよ……!!  

(ここで満を持して『レインボーライブ』が回収されるアツさは勿論、「プリズムライブ」の進化に魅せられてきたファンとしては、ここでショーでなく「ライブ」なことが感慨深くてたまらなかった)

 

しかし、そんな7人のプリズムライブによって訪れるのは「りんねとの別れ」という悲劇。 

幾度となく運命を覆してきたなるたちにも、この別れを覆すことはできない――というのは、とても残酷な反面「納得感」や「誠実さ」を感じるものでもあった。どれだけ頑張っても、どうにもならないことはある、理不尽なこともある。「何もかもが全て上手くいくことはあり得ない」というのが、私たちの生きる現実世界における絶対的な真理だからだ。  

非情な現実に打ちひしがれるなる。そんな彼女に対し、りんねは慰めるでもなく、共に泣くのでもなく、ただ一つの歌を残した。

 

gift

gift

 

「胸に手を当ててみて 何にもないなんて間違い」「感じるでしょ 確かなリズム 鼓動」 

あなたの一歩は、何か大きなものを変えていくことができるかもしれない。運命だって覆せるかもしれない。……しかし、もし「何も変えられなかった」ように見えても、その一歩は決して無駄じゃない、そこには必ず意味がある。 

りんねがいなくなっても、彼女の来訪で始まったこの1年間がなるたちの人生を大きく変えたように。記憶が無くなっても、りんねの中に「ハピなる」の言葉と想いが残されたように。  

「この一歩には意味がある」「きっと、明日は今日よりも良い日になる」「雨の向こうには必ず虹が架かっている」……非情な現実を照らすその希望こそが、りんねが『レインボーライブ』の世界に、私たち視聴者に、そして、明日虹が訪れるかもしれない子どもたちの元に残してくれた「贈り物」だったのではないだろうか。

 

 

余談 - プリズムの煌めきをもう一度

 

『レインボーライブ』最終回を見届けたのは2024年3月6日。その3日後=3月9日、自分はウッキウキの気分で有楽町マルイを訪れていた。そう、事の始まりとなったプリティーリズム・レインボーライブ10周年展』である。

 

 

最初に「10周年展までになんとか見て貰えないか」と声をかけて貰った時は「そんなに楽しめないかも」「1ヶ月で見るなんて無理だ」と不安一杯で「頑張ります」としか返せなかったのにこれ↑である。掌返しが過ぎるだろうと思わなくもないけれど、それもこれも『レインボーライブ』という作品にどこまでも魅せられてしまったからこそだ。

 

 

しかし、ありがたいことに『レインボーライブ』の世界はここで終わりじゃない。最終回を見終えてからというもの、脳裏から離れないのだ。かつて受け止めきれなかったあの作品=『KING OF PRISM』が笑顔で手招きしている姿が。

 

 

ヒロ、コウジ、カヅキは勿論、カヅキ役・増田俊樹氏と縁の深い畠中祐氏や涼野ユウまでもが本格参戦し、カヅキがはっちゃけ、コウジがもっとはっちゃけ、現時点で大好きな『pride』がもっと好きになれるのだという『KING OF PRISM』。  

なるが蘇らせたプリズムの煌めきが、そしてりんねが残してくれたギフトがどんな世界を切り拓いてくれるのか、彼らの未来を (かつてのリベンジという意味合いも込めて) 今度こそこの目にしかと焼き付けていきたい。