高校生の僕と「ガンダムスクール (仮称) 」というかけがえのない大切な黒歴史

皆さんは、黒歴史(≠∀ガンダムというものをお持ちでしょうか。 

自分はあります。それはもう言えるものから言えないものまでたんまりと。

 

小学生時代、ありもしない怪談をでっち上げて校内放送に投稿したり、中学生時代には「この物語の続きを考えよ」という課題に対して「物語の続きをウルトラマンダイナにする」という極めて悪質なクソガキオタクムーブに出たり(職員室に呼び出されて怒られたけど、それはそれとして面白い、と言ってくださったこの先生とは未だに付き合いがあったりする)……。そして、自分にとっての「黒歴史」が一番詰まっているのが高校生時代。 

ポケットモンスター ブラック/ホワイト』登場のジムリーダー・フウロ(天真爛漫褐色天然お姉さんという属性盛り過ぎ大量破壊兵器が大好きなのに、学校では下心を隠そうと「女主人公(トウコ)の足が子どももプレイするゲームに相応しくない!」などと喚き散らしたり (お前も子どもだろうが!!!) ケータイ小説サイトに厨二病という言葉さえ裸足で逃げ出すような駄文をドヤ顔で投稿したり……。どれもこれも思い出すだけで吐き気がするし、当時の自分をぶん殴りたくなってくる案件ばかり。 

もし過去を消せるならどの時期か、と言われたら真っ先に挙げられるであろう際どいものが揃う高校時代の黒歴史。けれど、そんな黒歴史……に当たりそうなものの中でただ一つ、絶対に消したくない「大切な思い出」になっているものがある。 

今回の記事は、そんな思い出を形に残しつつ、「どうかこの記事が当時の仲間たちに届き、もう一度話せる日が来ますように」という一縷の望みも託して公開する備忘録。自分自身、この思い出が黒歴史なのかどうかを記事の中で改めて確かめてみたい。

 

 

 

※以下、共感性羞恥が物凄いことになるであろう「オタクの恥ずかしいエピソード」が満載です。くれぐれも気持ちを明るくし、心を広く持ってご覧ください※

 

 

《目次》

 

ガラケーと僕とSNS

 

時に2010年春。高校1年生になりたての筆者=虎賀れんとは、遂に手に入れた自分だけの船 (=携帯電話。当然のようにガラケー) でインターネットの大海原に漕ぎ出していた。 

両親の使うパソコンを使わせて貰うこともあったためインターネット自体は初めてでなかったものの、「自分だけの端末」を持ったことで初めて可能になるものもある。「会員登録」だ。

 

 

きっかけは、当時仲良くしていた友人からあるSNSと、そこに掲載されている小説を勧められたこと。現在は非公開のためうろ覚えだけれど、そのタイトルは確か『突撃! 隣の魔王さま』。2ちゃん用語を使う魔王さまと、シーナという銀髪のメイドが繰り広げるオタクファンタジーコメディ、という今からすればいかにもな「なろう系」小説のようだったし、お世辞にも小説とは呼び難い何かだった……のだけれど、長らく小説という文化から離れていた自分はそれはもう大ハマり。この作品をきっかけに、『最強人種』のようななろう系 (仮) の系譜や、『@』という今でもその正体が分からない奇怪なものを読んだりしていた。 

(ちなみにこの『@』、当時はいつからか更新されなくなってしまったため事の真相を知らずに終わってしまったし、物語の中で「何が起こっているのか」さえ理解できないような不気味な小説だったので、今でもちょっとしたトラウマだったりする)

 

こうして小説を満喫していた自分は、当然ながらそのSNSの「他の機能」にも手を出すことになった。高校生になり、趣味を共有できる友人たちと離れ離れになってしまった自分にうってつけのもの=「サークル」だ。 

当時から人生コンテンツだったウルトラマンのサークル  (確か『ウルトラマン倶楽部』という名前だった) は勿論、ここで大きな転機になるのが「ガンダム」のサークルに入ったこと。 

このサークルについては、自分が入ってから程なくして解散してしまったこともあってあまり記憶がないし、サークル名はおろか誰と何を話したのかさえ覚えてない。ただし、どうやら自分はそこである人物と仲良くなっていたらしく、その「ある人物」からの誘いが自分にとってドデカい分岐点となった。

 

 

2011年2月~ガンダムスクール (仮称) 始動

 

時に2011年2月25日。2ヶ月前に発売された『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』のDVDを狂ったように見返し続けていた高校1年冬のこと、突如としてあるサークル=ガンダムスクール (仮称) への招待が届いた。 

中身を覗いてみるも、どういう訳かそのメンバーは1人だけ。そう、それはサークルへの招待ではなく「一緒にサークルを立ち上げよう」という、実質的な「サークルの共同立ち上げ提案」だったのだ。

 

ガンダムスクール (仮称) とはどんなサークルだったのか……というと、要はガンダムシリーズのキャラクターをロールプレイする “なりきりチャット” を楽しむサークル」サークルのメンバーそれぞれに持ちキャラを作り、いろんなやり取り(当時は「絡み」と呼んでいた)を楽しもう、というものだ。 

自分を誘ってくれたサークルの主催者=W氏はその「なりきりチャット」文化に詳しかったため、トピック (スレッドのようなもの) を立てたりといった基本的な流れは氏に任せ、自分の方では世界観設定  (「それぞれの抱えた戦いが終わり平和になった世界で、歴代のキャラクターたちが未曾有の災厄に備える訓練施設として集められた」という、ゲーム『ガンダム無双』シリーズを思わせる設定になった)  やサークルのルールなどを作っていた。 

こうしてルールとトピックが固まり、W氏から他の心当たりに何人か招待を出して準備完了。あとは、最初のメンバーである自分とW氏が持ちキャラを決めなければならない。 

まずは一人一役、ということで、W氏が選んだのは当時最新のガンダムシリーズであり、劇場版の公開で盛り上がっていた『機動戦士ガンダム00』のティエリア・アーデ。そういえばW氏とはガンダム00オタク同士ということで気が合ったんだった。 

ならば、と自分は同じ『ガンダム00』から大好きなアレルヤ・ハプティズムを、といきたいところだったけど、それでは当サークルがガンダム00のファンサークルのようになってしまう。そこで自分は『機動新世紀ガンダムX』の主人公=ガロード・ランを選択。ティエリアガロードという、一見合わなそうで意外と仲良くなりそうな気もするこの2人から本サークルは幕を開けたのだった。

 

 

メインメンバーの記憶

 

こうして始まったサークル「ガンダムスクール (仮称) 」。今にして思えばW氏は学パロをやりたかったのではないか、と思わなくもないし、その確認をせずに「公式設定にある程度準じたクロスオーバーを楽しむサークル」に舵を切ったことには申し訳なさがあるのだけれど、どうやらその「公式設定準拠の学パロっぽい何か」という美味しいとこどりの設定が好評だったらしく、非公開サークル(入会しないと中身が見れない)ながら、本サークルはかなりのペースでメンバーが増加。程なくして、サークルの柱になるメンバーが固まっていった。

 

機動戦士ガンダムSEED DESTINYカガリ・ユラ・アスハを担当され、ノリ良くサークルを盛り上げてくださったM氏。 

機動戦士クロスボーン・ガンダム』キンケドゥ・ナウを担当され、ノリの良さと年長者としての落ち着きで暴走しがちな自分たちのセーブ役を担ってくださったB氏。 

機動戦士ガンダム00ロックオン・ストラトス(ニール)を担当され、一歩引いたところから常に最良のサポートを行ってくださった実質的なリーダーのK氏。 

この3人を軸として、更に『機動戦士ガンダム00グラハム・エーカーを担当されたY氏。 

機動戦士ガンダム THE BLUE DESTINY』ユウ・カジマを担当されたR氏。 

機動新世紀ガンダムX』オルバ・フロストを担当されたN氏。 

機動戦士ガンダム00刹那・F・セイエイを担当されたS氏。 

機動戦士ガンダムSEED DESTINYルナマリア・ホークを担当されたF氏。 

機動戦士Vガンダムウッソ・エヴィンを担当されたL氏。 

機動戦士ガンダムUCバナージ・リンクスを担当されたE氏。 

機動戦士ガンダムSEED DESTINYキラ・ヤマトを担当されたK氏。 

機動戦士ガンダムZZルー・ルカを担当されたA氏。 

機動戦士ガンダムSEED DESTINYマリュー・ラミアスを担当されたU氏。 

といった面々が加わり、いよいよ本格的な「サークル」らしくなっていったガンダムスクール (仮称) 。その盛り上がりに繋がった第一のきっかけは、(非常に不謹慎な話なのだけれど) ある災害が起こったことだった。

 

 

2011年3月11日

 

高校1年生の冬、数学の授業を受けている最中に起こった大きな地震。それが未曽有の大災害だったと知るのはその日の夜、電車ではなく祖父の車で自宅に帰った後のことだった。 

この災害そのものへの言及は避けるけれど、筆者の住む地域は、この災害の影響下ながらも幸いにして大きな被害を免れていた。しかし、その後も発電所の事故など予断を許さない状況が続いたことから学校は休校。計画停電なども始まり、一転して当時の自分は「先の見えない不安」に追いやられることとなった。 

様々な番組が放送中止・ないし延期となり、友人と遊ぶなどもってのほか。どこもかしこも真っ暗闇な状況下で自分の救いになったのが、2月末発売のゲーム『SDガンダム Gジェネレーションワールド』と、件のサークル=ガンダムスクール (仮称) 。 

それはどうやら自分以外の面々にとっても同じだったようで、当時はサークルの雑談トピックに多くのメンバーが集まり、お互いの無事を確かめたり、情報を交換して不安を埋めたりしていた。 

やがて状況がひとまず落ち着いてくると、各々が自宅待機で生まれた空白時間をサークルに注ぎ込んでいき、その中でサークルの大まかな方針のようなものが固まることになる。

 

 

実質的な「二次創作交流会」

 

サークルの「目的」ないし「やること」といえば、当然その一つは「雑談」になってくる。 

ガンダムの話やサークルの話、あるいはそれ以外の日常的な話を各々が書き込み、それにリプライしていく……と、それは今で言うLINEグループのような運用で、今思うとごく当たり前のように書き込めていた自分が信じられない。どうやら当時の自分はネットではコミュ強だったようだ (もしかして:ネット弁慶。 

もう一つの主目的は、先にも述べた「キャラクター同士の ”絡み”」。このサークルの舞台設定は所謂「学園都市モノ」のそれで、ライトノベルなどでお馴染みの学園都市にありそうな設備の他、何かと都合の良い施設が諸々存在し、それらそれぞれの書き込み場所=「トピック」がある。各々が打ち合わせの上、それぞれのトピックで互いの持ちキャラ同士のロールプレイを行ったり、時にはロールプレイとロールプレイが思わぬ形で合流することもあった。 

(訓練所でAとBが会話しており、話の流れで休憩所に行くと、そこではCとDが話しており、4人でのロールプレイが始まる、など)

 

この「絡み」を楽しむのが本サークルのメイントピックで、何が楽しいんだと思われる方も多いかもしれないし、事実「ごっこ遊び」と言われればそれまでだ。けれど、今思い出してもこのやり取りはかなり楽しかった覚えがある。というのもガンダムオタク同士で ”夢の掛け合い” を無限に生産できる二次創作交流会」と言い換えれば、なるほど、それは確かに楽しくないはずがない。 

元来クロスオーバーが好きで、『スーパーロボット大戦』シリーズなどの「作品の枠を超えた会話イベント」などが大好物の自分にとっては尚更で、自分のお気に入りキャラクター(持ちキャラ)を他の「縁がありそうな」キャラクターと絡ませたり、そうでないキャラクターとランダムに絡ませて化学反応が起きるのを楽しむこともどちらも楽しかったし、自分が絡まないトピックで行われているクロスオーバーを眺めるのも楽しかった。 

(自分が初めて見たキラとシンの納得できる和解の二次創作は、Pixiv小説やスーパーロボット大戦ではなくここだった)

 

 

そして、最後の一つはイベントの開催。 

これはスマホゲームにおける「イベント」のようなもので、主催者・参加者問わず各々が開催したいイベントを企画。参加したいメンバーを募り、集まったメンバーの何人かは「イベント専用キャラクター」を使用、各々が「ガンダムっぽい」イベントから「ガンダムっぽくない」日常イベントまで多彩なシチュエーションを楽しむというものだ。 

リボンズが生み出したコピーMSによる施設強襲への迎撃、スクールに来た教官とすり替わったボッシュによるガンダム強奪、何者かによって再び地球を襲い始めたELSへの対処、といった半オリジナルのものから、『機動戦士ガンダムSEED』の舞台であるオーブのマスドライバーを守るミッションや、『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』のレーンを中心に、マフティーを名乗る何者かの襲撃を阻止する……などの「原作をもじったイベント」までその毛色はまさに多種多様。   

他にも、本サークル内のイベントには学パロらしい「日常イベント」のようなものもあった……のだけれども、その内容は『機動戦士ガンダム00』のドラマCDを引用した「仮想シミュレーターによる訓練ミッション」のようなものが大半。結果、本サークルは(「スクール」の名を冠しているにも関わらず)日に日に「学パロ」から遠ざかっていき、純粋な「ガンダムのクロスオーバー二次創作サークル」としてその盛り上がりを確かなものにしていった。 

しかし、この「学パロ要素が薄まった」ことが、サークルにとある大きな変化をもたらすことになる。

 

 

2011年4月9日 主催者交代とサークル新生

 

サークル開設から2ヶ月弱が経ったある日のこと、主催者であるW氏が突如サークルの脱退を表明。詳しい理由は覚えていないけれど、当時の状況(W氏のオリジナルキャラクターとその立ち回りがあまり好評でなかったり、おそらくW氏の当初の想定であろう学パロっぽい世界戦からどんどん遠ざかっていたり)からして、主催者であるW氏自身がこのサークルに「合わなくなってしまった」のだろうと思う。 

W氏の決意は固く、前述のメインメンバーによる話し合いの結果、W氏との共同立ち上げ人兼、サークルのルールにも大きく関わっていた自分が主催者となることが決定。
こうして、立ち上げから1ヶ月強というごく早い時期で主催者が交代したガンダムスクール (仮称) は、いよいよ本格的に学パロではなく「歴代ガンダムシリーズのクロスオーバー」を楽しむ二次創作サークルへと姿を変えていく。

 

CHANGE

CHANGE

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スクールという設定は本格的に名前だけのものとなり、その内実を『スーパーロボット大戦』シリーズ終盤のような「作品や世界観の垣根を超えた混成遊撃独立軍」へと変更。 

更に、そんなスクールと連邦正規軍との橋渡しを担う「連邦正規軍所属」キャラクターや、非パイロットのキャラクターを運用するための「連邦議会所属」キャラクターという枠が生まれただけでなく、とうとう敵軍も歴代キャラクターのクロスオーバー軍として新生。結果、曖昧だった世界観が徐々に固まり、勢力図も

・メインの部隊(スクール) 

・そのバックアップチーム(正規軍 or 議会所属) 

・敵軍(敵方のクロスオーバー部隊) 

の3つに集約。 

この変化に先駆け、1人1役だったキャラクター登録数の制限を撤廃していたことでキャラクター数が大幅に増加。『SDガンダム ジージェネレーションDS』オリジナルキャラクターであるディー・トリエルや『機動戦士ガンダム00P』の主人公=グラーベ・ヴィオレントといったマイナーなキャラクターも多数参戦するなど、スクールという設定が浮いていくのと反比例するように、本サークルは更なる盛り上がりを見せていくこととなった。

 

 

2011年夏~2012年 2度のオフ会と完成してしまった「内輪」

 

そんな主催者交代から約半年後=高校2年の夏、なんとサークルでオフ会の開催が決定。筆者にとっては人生初の「ネット上の知り合いと会う」体験だ。 

集まったメンバーはサークルのメインメンバー (この頃は副主催者という立場で運営を手伝って貰っていた) であるM氏、B氏、Y氏、F氏……と、あと確かS氏やR氏も来てくださっていたような気がする。10年以上前のことで、しかも「2011年夏」と「2012年春」の2回(ここも朧気だけど)行っており、そもそも当然のようにドドド緊張していたため記憶がごちゃごちゃなのだけれども、どちらも無事楽しいオフ会になったことはしっかりはっきりと覚えている。 

しかし、それは一方でこのサークルの「内輪」感が半ば完成してしまったことも意味していた。

 

この手のコミュニティは得てして「走り出した際は、みんな右も左も分からないので「誰もが入りやすく、しかしその分衝突も起きやすい」という雰囲気になりがちだ。そして、時間が経つにつれそのコミュニティにふるいがかけられていき、所謂「いつものメンバー」が完成していく……。気心の知れたメンバーが残っていくことで諍いもなくなり安定したコミュニティになっていくけれど、その代償として生まれてしまうのが「内輪感」。勝手知ったるメンバー同士だからこそ、他の人が気楽に加われないような「閉じた」雰囲気がどうしても生まれてしまうのだ。 

ガンダムスクール (仮称) も、オフ会をするほどの仲になったことで例に漏れず「内輪」感が完成。ルールを守れない参加者への当たりが全体的に強かったことも災いしてか、いつしかサークルは「盛り上がってはいるものの、それは特定の固定メンバーばかり」という状況に陥ってしまっていた。 

更に、2度のオフ会を経た時期=2012年とは、中核メンバーが大学2年生や大学1年生になり、加えて主催者である自分自身が大学受験の真っ只中という最悪の時期。各々書き込みの頻度を落とさざるを得なくなり、「初見が入り辛い内輪感」と「その内輪のメンバーがあまり参加できない」という2つの状況が最悪の形で噛み合った結果、本サークルは急激に失速してしまったのである。

 

 

2013年~2014年 事実上の活動停止

 

高校1年の冬に始まり、卒業までの青春を共に駆け抜けてきたこのサークルにも、とうとう終わりの時がやってきた。

 

時に2013年。無事に大学1年生となり、慣れない土地で慌しい毎日を過ごす中で、主催者である自分自身がサークルに中々時間を割けなくなってきた。 

自分はハマった物事への熱は冷め辛い方で、合間を縫ってサークルを盛り上げようと手は打ち続けた……のだけれど、前述のように、サークルへの積極的な参加が難しくなったのが自分だけでなかったことや、既に「内輪」感が出来上がってしまっていたこと、SNSの主役がTwitterなどに移り始めていたこともあって新規参加者も少なく、ゆるりゆるりとサークルは停滞。2013年10月にはほぼ身内の雑談場所となってしまい、その1年後=2014年夏頃を最後に、本サークルへの書き込みは途絶えてしまった。2011年2月に始まった本サークルは、その約3年半の短い生(?)をひっそりと終えたのである。

 

あんなに一緒だったのに

あんなに一緒だったのに

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それから6年後~2020年9月の奇跡

 

ガンダムスクール (仮称) が息を引き取った2014年夏……の少し後、大学2年生の秋。私は(奇しくもガンダムスクール (仮称) と入れ替わるように)当時幽霊部員状態だった大学のサークルに足繁く通い始め、そこで数多くの創作仲間や大好きなコンテンツ「クトゥルフ神話TRPG」に出会うこととなった。 

しかし、自分がそのサークルに入ったのは1年前=大学1年生の頃。サークルの同期たちはまさに「既に関係性が出来上がっている」状態で、我ながらよくそこに飛び込めたな……と思っていたのだけれど、きっと、自分をそこまで踏ん張らせたのはガンダムスクール (仮称) 」という居場所が無くなってしまったことのショックと、サークルを実質的に潰してしまったことの負い目だったと思う。要するに、自分はガンダムスクール (仮称) のことを早く忘れたかったのだ。 

色々とやむを得ない事情はあったと思うけれど、それでもガンダムスクール (仮称) は自分の頑張り次第でもっと長く続くポテンシャルのあるサークルだった。そうならなかったのは、前述の理由以外にも自身の主催者としての振る舞いが至らなかったことが大きいし、それが全てでなかったとしても、私が「自分の大切な居場所を、自分自身の未熟さで潰してしまった」ことは疑いようのない事実だった。その罪悪感を忘れるための、謂わば「埋め合わせ」になるものが欲しかった……という欲が、リアルのサークルに自分を飛び込ませた要因の一つだったと思う。

 

結果、その挑戦は功を奏し、自分は無事に新しい居場所を手にすることができた。そのサークルでは本当に素敵な仲間たちに恵まれたし、卒業から5年以上経った今も交流が続くほどの「居場所」になった。けれど……というより、だからこそ、時折無性にガンダムスクール (仮称) のことが恋しくなってしまう。  

一時期は、このサークルでの日々を「黒歴史」だと思っていたけれど、それは断じて違う。黒歴史と呼ぶべきは、このサークルでの自分自身の身勝手で恥ずかしい子どもじみた振る舞いの数々であり、このサークルやそこで過ごした日々は決して黒歴史ではない。むしろ、自分にとっては愛すべき大切な青春だった。  

そんな郷愁に駆られてか、サークルが止まってから約6年後=2020年秋のとある夜更けに、自分はふと思い立ってもう動かないはずのサークルページを覗いてみた。……すると、意外なことにサークルの雑談トピックが動いていたのである。

メインメンバーの一人だったR氏が「ふと懐かしくなって」と近況を報告してくださっていたり、サークルの実質的なNo.2だったM氏が今もガンダムが大好きであることを書き込んでくださったり、他にもちらほらと書き込みが……。ほんの少しではあるけれど、そこには確かに「あの頃」が蘇っていたし、それは自分以外の皆にとってもこのサークルが「青春」だったことの証明に他ならなかった。 

瞬間、6年間ずっと抱えていた罪悪感や後悔が綺麗さっぱり晴れてくれた。上手くいかないことも、迷惑をかけることも数え切れないほどあったけれど、それでもガンダムスクール (仮称) は、自分だけでなくみんなの中でも「大切なもの」であってくれた。自分の頑張りも、皆と作った思い出も、決して無駄なものじゃなかったのだ。 

(折しも、自分がその書き込みを見付けたのは2020年の誕生日。実体こそないけれど、それは自分にとってこの上ない「誕生日プレゼント」だったように思う)

 

Prototype

Prototype

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今に繋がる思い出として

 

サークルの停止から約9年。結局それ以降当時の仲間たちと連絡を取ることはないのだけれど、この時の経験は自分の中でしっかりと息づいているように思う。

 

kogalent.hatenablog.com

 

この記事にもあるように、自分はここ数年、ネットの向こう側の方々とお会いする機会が非常に増えている。 

ネットの向こう側に悪意が溢れるこの時代に、根っからの陰キャコミュ障である自分がどうしてそうも大胆な行動に出ることができたのか。おそらく、その最たる理由こそがこのガンダムスクール (仮称) での経験。 

ネットの向こう側にあるのは、何も悪意だけじゃない。このサークルの仲間たちは、顔も知らない自分と仲良くしてくれて、未熟極まりない主催者だった自分を助けてくれて、このサークルを居場所として大切にしてくれた。そんな友人たちとの思い出が、今の自分を幸せを作ってくれていると言っても過言ではないように思うのだ。

 

確かに、当時の自分は恥ずかしいことばかりしていた、情けないことも馬鹿なこともたくさんしてきた。そのような自分の行為は紛うことなき黒歴史だけれど、サークルとそこで歩んだ青春は、黒歴史ではなく「かけがえのない思い出」。 

どうか、皆の中でもガンダムスクール (仮称) がそのような大切な思い出になっていますように、そしていつか、彼らとどこかで再会することができますように。