今からちょうど20年前。小学生中学年の自分にとって初めての “リアルタイム” ガンダム作品、それが『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』だった。
『スーパーヒーロー作戦』でガンダムと出会い、その後『劇場版 機動戦士ガンダム』や『機動戦士Zガンダム』など少しずつシリーズを追いながらも、なぜか前作『機動戦士ガンダムSEED』を経ることなく見始めたSEED DESTINY。SEEDを見ていないこともありストーリーはさっぱり分からなかったけれど、それでもガンダムやモビルスーツのカッコよさで夢中になっていたことをよく覚えているし、その輝きは高校生になって『SEED』共々見返した時も一切衰えていなかった。
ただし、物心ついてから見返すと目に余る点が多かったのも『DESTINY』の現実。中でも「とある2人の扱い」については、納得できないあまり古文の授業中に突如泣き出したり (情緒不安定) 、初めて二次創作 (アカウントを削除されていたので永久欠番) を書き出してしまうほど。それもこれも、「この不満が解消されるされる機会=劇場版SEEDはもう作られることがないのだろう」という諦めがあったからだ。
だからこそ、昨年突如発表された本作『劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』は、自分にとっては「嬉しいサプライズ」であるだけでなく「10年来の悲願が果たされるかもしれないラストステージ」。人によっては、この「10年」が「20年」になるだろうし、そんな方々は、自分よりも遥かに大きく重い覚悟を持って本作に臨まれたのではないだろうか。
かくして、多くのファンの期待とプレッシャーを背負って公開された『劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』。20年越しの続編となった本作は一体如何なる代物だったのか、ストーリーは勿論、様々な観点からネタバレ全開で語っていきたい。
※以下、『劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』のネタバレが大量に含まれます、ご注意ください!※
引用:https://twitter.com/SEED_HDRP/status/1725997308498591895?t=QB1nq3g28ZB6Zg7Dp4RfFQ&s=19 - 機動戦士ガンダムSEEDシリーズ公式Xより
《目次》
- 「機体シャッフル」という隠し球
- アレンジBGMの衝撃と、シン・アスカの戦い
- デュランダル議長と、デスティニープランの是非
- デスティニープランの再否定 - 新たな世代が示す「答え」
- おわりに - 本作最大の「救済」
「機体シャッフル」という隠し球
『劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』は、2002年放送のTVアニメ『機動戦士ガンダムSEED』そして、2年後の2004年に放送された『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』の更なる未来を描いた、ガンダムSEEDシリーズの最新作。OP主題歌担当の西川貴教氏が本人名義=T.M.Revolution名義ではなかったり、カガリ・ユラ・アスハの担当声優が交代していたりといった一部の「お察し」事案こそあるものの、監督・脚本・劇伴・楽曲担当・声優がほぼそのまま再集結するということもあり、単なる続編の域を超えた「一大プロジェクト」然とした雰囲気を醸し出していたのが印象的だ。
蓋を開けてみれば、本作はそんな盛り上がりに恥じない「要素盛り沢山の、SEEDシリーズファンムービー」として非常に豪華な仕上がりになっていたが、中でも分かりやすくこちらの心を掴んでくれたのが、冒頭からこちらの度肝を抜いたサプライズ=機体シャッフルと「隠し機体」の存在だろう。
本作の看板=ライジングフリーダムガンダムとイモータルジャスティスガンダム。機体公開時に「なんでデスティニーの後継機がいないのか」と困惑したのは自分だけじゃないだろうけれど、この時はよもや「シン・アスカ、ジャスティス。行きます!」等という台詞が聞けるとはこれっぽっちも思っていなかった。
そう、なんとイモータルジャスティスガンダムのパイロットはアスランではなくシン!
確かにタイムライン上ではこの説を提唱している人が少なくなかったけれど、自分は「『SEED』はそんな気をてらうタイプの作品じゃない」とばかり思っていたし、スクリーンでジャスティスに搭乗するシンを目の当たりにしても「後半でアスランがイモータルジャスティスに乗るんだな」などと呑気に予想していた。が、なんとイモータルジャスティスとライジングフリーダムは中盤で完膚なきまでに大破、おまけにアークエンジェルまで綺麗に消し飛んでしまった。
この時点で先の展開が全く予想できなくなってしまったし、ストライクフリーダムガンダム弐式とデスティニーガンダムSpecⅡという隠し球には劇場で思わず目を見開いてしまった……のだけれど、ここからも尚サプライズが控えているなどと一体誰に予想できただろうか。
そう、お出しされたのはなんと「アスランが駆るストライクフリーダム」というとんでもない代物。
『DESTINY』以降散々ネタキャラ扱いされてきたアスランへの救済なのか、本作のアスランはこれ以上ない最高のタイミングで「ズゴックに乗って」参戦・キラを救出したり (思わず声が漏れそうになるくらいアガったけれど、このタイミングでのダークホースが「赤いズゴック」というオタクぶりには1周回って笑いも漏れてしまった。アスランがあの構えを至極真面目に取ってると思うと面白すぎる) 、劇中で何度も「アスランは格が違う」という旨の言及があったり、キラを拳で説得したりと凄まじい汚名返上ぶりだったけれど、スーパーコーディネイターであるキラ専用に調整されたストライクフリーダムを乗りこなす姿は、それら「アスラン上げ」の中でも最たるものと言えるだろう。
シン×イモータルジャスティスという組み合わせも、「シンがジャスティスを任されている」ことが劇中で意味を持っていたり、後半でも「ジャスティスだから負けたんだ!!」というあまりにもシンらしい迷言が飛び出したりと単なるサプライズ・ミスリードに留まるものではなく、この機体シャッフル演出だけ見ても「大胆さと繊細さを併せ持つ」本作の巧さが滲んでいると言えるだろう。
ちなみに、専用機を “おさがり” 以外でコンバートするのはガンダムシリーズを見渡しても一部でしか見られないレアケース。『SDガンダム Gジェネレーション』や『スーパーロボット大戦』を思い出してニヤリとしたのは自分だけではないハズ……!
(機体シャッフルとは似て非なるものだけれど、「マリューがミネルバ級旗艦の指揮を執る」というのも、マリューとタリアの友情を形にしたようで熱いシチュエーションだった)
アレンジBGMの衝撃と、シン・アスカの戦い
本作の「ファンムービー」ぶりと言えば欠かせないのが、数々のアレンジBGM。
劇場版ガンダムといえば『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』においても『FIGHT』や『TRANS-AM RAISER』など人気楽曲がアレンジされてファンを湧かせていたけれど、本作も負けず劣らず、多彩な楽曲を新規BGMとして復活させてみせた。その中でも特に大きな「文脈」が乗っていたのが、こちらの『出撃!デスティニー』だろう。
こちらの原曲は、言わずと知れた『DESTINY』の顔『出撃!インパルス』。そんなDESTINYを代表する曲が復活することはそれだけで十分にアガるのだけれど、本楽曲のアツさはそれだけではないのだ。
誰もが本作に求めていたであろう最高のシチュエーション=「味方として活躍するデスティニーガンダム」。デスティニーガンダム SpecⅡがシンたちの前に現れた瞬間からこちらのテンションもうなぎ登りだったし、シンが「苦い記憶」も多いであろうデスティニーを心底嬉しそうに歓迎しているのも嬉しかった……!
(ここの表情もそうだけれど、本作のシンは “自分の信じる場所で戦えている” からか終始表情豊かで、彼の「良くも悪くも純粋で素直」な魅力が全開だった。こういうシンがずっと見たかったのよ!!)
で、そんなシンが満を持してデスティニーに乗り込んだところで流れるのが『出撃!デスティニー』! そもそも『出撃!インパルス』のアレンジがこの名前であることとか、ヒロイックな楽曲で襲撃するデスティニーだとか、それら一つ一つの要素だけでも十二分に熱いのだけれど、思い出してもみてほしい。『出撃!インパルス』が本編中で使われていたのは、主に『DESTINY』前半=シンがインパルスで名実ともに「主人公」を張っていた頃。つまり、『出撃!インパルス』のアレンジを背負って飛び立つデスティニーは、まさに「『DESTINY』の主役を最後までシンが張っていたら」というifの体現。この一瞬、デスティニーは紛れもない「主人公機」として演出されていたように思えてならないのだ。
そして、シンVSブラックナイトを彩るこちらの劇伴『対決の刻』の一節には、なんと『覚醒 シン・アスカ』のアレンジが!
(組曲形式の楽曲で、前半には『翔べ! フリーダム』のメロディも見られる)
本作の主人公はあくまでキラだけれど、このような粋な演出を背に、近・中・遠距離武装のコンビネーションや分身をフル活用してブラックナイトを圧倒、『HDリマスター』のメインビジュアル (下記) で〆るデスティニーのカッコよさは「前作主人公」どころか「主人公」のそれ。
フリーダムやジャスティスとの共闘が見れなかったのは残念ではあるけれど、そんなことが気にならないくらい華やかな「リベンジ戦」の機会をシンとデスティニーに与えてくれて、本当に本当にありがとうございました……ッ!!
ちなみに、他のアレンジ楽曲では『SEED』からフリーダムとジャスティスの共闘シーンで人気を博した『後方支援』のアレンジが含まれている『熾烈な戦い』も嬉しかったのだけれど、ある意味一番驚かされたのは『決意の出撃』。ラクスの歌としてお馴染み『静かな夜に』のこんな方向性のアレンジが聞けるとは、そのシチュエーションも含めこれっぽっちも予想していなかった……!
デュランダル議長と、デスティニープランの是非
他にも、キラ (ライジングフリーダム) とシン (イモータルジャスティス) がデストロイ相手に共闘したり、アグネス・ギーベンラートがSEEDシリーズでは初の「生き残った桑島法子」となったり、「傷の舐め合い」と揶揄され、曖昧な描写に留まっていたルナマリア→シンの恋愛感情が深掘りされたり、お馴染みのバンクシーンだけはわざわざ原作からそのまま持ってきたりと、自己言及めいたファンサービス (一部はキャスト陣への “けじめ” のようにも思える) が満載だった『FREEDOM』。
しかし、ガンダムSEEDといえば最大の懸念点はそのストーリー。とりわけ続編の『DESTINY』はシンからキラへの主役交代をはじめとした「ツッコミどころ」が多く、本作も、いくらファンサービスが満載でもストーリーで台無しにされては無意味になってしまう。傑作と名高いノベライズを手掛けた後藤リウ氏が脚本に携わっているという安心材料こそあったけれど、やたら不穏なPVや悲痛なニュアンスの強いED『去り際のロマンティクス』などもあり、余談を許さない状況が続いていた。
ところが、本作のストーリーは (詰めの甘さや強引さこそ目立つものの、総じて) 「痒いところに手が届く」仕上がりだったように思う。
C.E.75、戦いはまだ続いていた。
独立運動、ブルーコスモスによる侵攻……
事態を沈静化するべく、ラクスを初代総裁とする
世界平和監視機構・コンパスが創設され、
キラたちはその一員として各地の戦闘に介入する。
そんな折、新興国・ファウンデーション王国から、
ブルーコスモス本拠地への合同作戦を提案される。
引用:STORY - 劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』公式サイト
公式サイトのイントロダクションは勿論、PVにおいてもその内容は徹底して伏せられていた『FREEDOM』。しかし、『劇場版00』が「誰と戦うのかさえ分からなかった」ものであったのに比べると、今回はそんな大まかな流れはある程度予想することができた。そりゃあ、「ブラックナイト」なんて名前の部隊が敵にならん訳がないよね!!
本作でキラたちの前に立ちはだかるのは、ザフトからの支援でユーラシア連邦から独立した王政国家=ファウンデーション王国。
作中中盤、そんなファウンデーションの宰相=オルフェ・ラム・タオをはじめとする中枢部の面々が「コーディネイターを統率する」という目的で作られたコーディネイターの亜種=アコードであると明かされるのだけれど、意外だったのはその正体よりもむしろ「デスティニープラン」に根付いた彼らの思想。そう、彼らは「デスティニープランが実行されていたら」という『DESTINY』のifを体現する存在だったのだ。
デスティニープラン
プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルによって提唱された人類救済計画。人々の遺伝子を解析し、その結果を基に適切な職業に就かせることで個々の差別意識をなくすというもの。しかし遺伝子に特化した選別は人々から自由意思を奪い、結果的に人間の可能性を摘み取るものであった。
引用:KEYWORDS - 劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』公式サイト
『DESTINY』終盤でデュランダルが掲げた計画=デスティニープラン。上記解説にもある通り、それは「人間の可能性を摘み取るもの」とされ、キラやラクスによって否定されることになった。しかし、このデスティニープランは「悪」として一蹴されるには惜しい、彼の主張通り「より善き未来を作る」ための鍵となり得るものだったようにも思うのだ。
というのも、デュランダルがこのプランを掲げるに至ったのは、遺伝子上の問題からタリアとの恋を諦めざるを得なかった過去や、友人であるラウ・ル・クルーゼが絶望のまま世界に牙を剥き、散っていったことが大きな理由。
事実、もしデュランダルが生まれる前からデスティニープランが実行されていれば、タリアとデュランダルのような悲劇は生まれなかった=デュランダルが絶望を味わうことはなかったし、そのような恋愛問題以外にも「将来への不安」「自分にあった職業が見付けられない苦労」といった、堅実世界でも多くの人々を苦しめている問題が解消されることになる。また、それぞれの人間が「自分に合った」道を与えられる世界になれば、コズミック・イラを覆う「他者より先へ」の思想も弱まり、クルーゼやレイのような悲しい存在が産み出されることもなくなるかもしれない。
確かに、デスティニープランは「人々から自由意思を奪い、結果的に人間の可能性を摘み取るもの」だろう。けれども、人の自由意思や可能性があっても、そんな人々の命が奪われ、尊厳が踏みにじられ、悲劇が生まれ続けているのがコズミック・イラ世界。
シンやミーアの人生を道具にして、多くの命を自分の為に奪ったデュランダルの行動は決して許されない「悪」だったけれど、「全てを救えないのであれば、自由意思や可能性を犠牲にしてでも人間の未来を救う」という彼の理想=デスティニープランそれ自体は、必ずしも「悪」とまでは呼べないもの――選ばれるべき未来の「選択肢」としては十分なものだったのでは、と思えてしまうのだ。
そんなデスティニープランを提唱するデュランダルの前に立ちはだかったのがキラたち。しかし、デスティニープランを最後の救済とするデュランダルに対し、キラは何かを示すでもなく「その救済を否定することで生まれる咎は、自分が背負う」と宣言してみせた。
『SEED』終盤では、デュランダルのように人類に絶望したクルーゼが、世界を導くのではなく「滅ぼそうとした」のに対し、彼同様人類の愚かさで生み出され、背負わされた残酷な運命によって苦しんできたキラが、自ら「それでも、守りたい世界がある」と肯定、クルーゼを食い止めることが一つの回答・希望として示されていた。
一方、『DESTINY』のデュランダルVSキラはそんな『SEED』と構図こそ似ているけれど、世界を争いと悲劇ごと滅ぼそうとしたクルーゼに対し、人々の自由意思と可能性を狭めることで、争いと悲劇をなくそうとするのがデュランダル。彼を止めることで生まれる争いや悲劇を「罪」として背負っていく覚悟を示すキラの姿それ自体が一つのメッセージとなっていたのは確かだったものの、一つの希望を示したデュランダルに対し、それをただ否定するだけで終わってしまったキラたちの姿は、自分の目にはデュランダルも言っていた通り「傲慢」に映ってしまった。
勿論、デスティニープランを実行する為に手段を選ばず、大量殺戮にまで手を出したデュランダルと話し合いの余地はなかったし、キラやラクスの行いは正しかった。けれど、確かな悪性を持ってしまった「デュランダル議長」に引っ張られて、デスティニープランという「一概に否定すべきものでない」ものをも真正面から否定してしまったのは悪手だったのではないか、兵器のように、もし世界がデスティニープランを正しく扱えたのなら、少なくともコズミック・イラから争いは消えたのではないか――と、そんな思いが、『DESTINY』という作品に対する消えないわだかまり・しこりとして自分の中に残り続けてしまったのだ。
……だからこそ、デュランダルの台詞が使われていた第2段PVを見て「まさか」と思ったし、その期待は作中で見事に回収されることとなった。
前述のように「デュランダル議長の蛮行を止めたのは正しかったけれど、彼の理想まで否定することが正しかったのか」……と、そのことに作中序盤から言及するのが、なんと他でもないキラ・ヤマト本人。
彼がデュランダルの言葉に苦しむ姿は、悲痛でこそあったけれど間違いなく「見たかったもの」。しかし、デスティニープランはそんな「序盤のみ顔を出す前作要素」という扱いに留まらない。
ファウンデーション王国のトップ=オルフェたちアコードは、前述の通り「デスティニープランが実行されていたら」というifを体現する存在。そんなファウンデーションが敵として立ち塞がる本作『FREEDOM』は、まさに「デスティニープランは正しかったのか」について問いかける=『DESTINY』の詰み残しを回収する物語でもあったのだ。
『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』オルフェ・ラム・タオ役: #下野紘 さんインタビュー
— アニメイトタイムズ公式 (@animatetimes) 2024年1月27日
オルフェはラクスとの距離の詰め方がおかしい!?
もっともプレッシャーを感じたシーンのエピソードも#SEEDFREEDOM #ガンダムSEEDhttps://t.co/Pp9oN8R4mM pic.twitter.com/iMA4qmbQKf
デスティニープランの再否定 - 新たな世代が示す「答え」
「デスティニープラン」についての問題が再び顔を出すのは作中中盤、ブラックナイトによってコンパスが壊滅したその後だった。
「闇に堕ちろ、キラ・ヤマト」
-「劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」より
(彼らの精神操作が「闇堕ち」かどうかには一考の余地があると思うのだけれど、それはともかく) キラがアコードに利用されたことがきっかけとなり、コンパス一行はブラックナイトに完全敗北。一方、ラクスはオルフェによって連れ去られるが、彼らは「ここがラクスの帰る場所」だと言って憚らない。曰く、ラクスもまたアコード=コーディネイターを統率する為に生まれた存在であり、中でもオルフェとラクスは、お互いが「対になる」者として生まれた存在だったのだという。
しかし、このラクスとオルフェの「対になることが決定された」関係というのは、何もこの2人に限った話ではない。デスティニープランが実行された世界では、このような婚姻関係が人々に強いられる「当たり前」になってしまうのだし、それに反するラクスやイングリットの想いは「罪」になってしまうのだ。
確かに、デスティニープランが実行されれば「デュランダルとタリアのような」悲劇はなくなるかもしれないが、それは一方で新たな悲劇を生んでしまう。一見して「小を犠牲にして大を救う」救済策のように思われたデスティニープランは、その実新たな火種を生んでしまう=「小を犠牲にして大を救うが、新たな “大” を生んでしまう」もの。デスティニープランを阻止するというキラの選択は間違っていなかったということが、20年の時を越えて遂に『SEED』自身によって明言されたのである。
🎬劇場版『機動戦士ガンダム SEED FREEDOM』の挿入歌に新曲「望郷」が決定🎵
— 中島美嘉スタッフ (@nakashima_mika_) 2024年1月25日
本楽曲は小室哲哉さんが手掛ける注目の作品です🎤
本日より配信がスタートした「望郷」を映画とともにぜひチェックしてください✨
🎧DL&STはこちらhttps://t.co/niFlrnNHOS
#SEEDFREEDOM #ガンダムSEED #g_seed pic.twitter.com/9VHlkOn4Kv
しかし、ここまでだけでは「デスティニープランを否定しただけ」という点において『DESTINY』から何も変わっていない。「なら、どうすればこの戦いは終わるのか」という命題への「回答」が作品内で示されなければ意味がないのだ。
『SEED』世界における戦いは根深く、ナチュラルとコーディネイターの争いを映画の中で終わらせるのは不可能だ。そんな状況に対し、『FREEDOM』は非常に割り切った――ある種「開き直った」かのような描写で回答を出してきた。
シンを闇に堕とそうとするブラックナイトたち。しかし、シンの中には今もステラとの繋がりが輝いていた。
一方、ズゴックの中から現れたインフィニットジャスティスガンダム弐式 (最高のバカ演出をありがとう!!!!!!) を駆り圧倒的な力を見せるアスランに対し、その心を読もうとするシュラ。しかし、アスランは心頭滅却、心をカガリへの想いで満たすことでこれに対抗してみせる。
そう、ブラックナイトという「デスティニープランの体現者」たちを否定するのは、シンとステラ、アスランとカガリという「種を越えた絆・愛情」なのだ。
本作終盤では、イザークとディアッカ (ミーティア装備の新型デュエル&バスターガンダム、夢かと思った) がファウンデーション側についたザフト軍を打倒する際に「 (これまでの悲劇を) 忘れていないからこそ、終わりにせねばならんのだ」と呟く一幕があった。
世界は巨大なシステムであり、それを変えようとするなら必ず「歪み」は避けられない。ならば、歪みを越えて未来を作っていけるのは人の想いだけであり、彼ら若い世代の中にはその萌芽がある。なればこそ、そんな新たな世代の可能性 (自由) を狭めるもの=デスティニープラン (運命) は否定されなければならないのだ。
(それはそれとして、シンに対する「こいつの闇は深すぎるゥーーッ!!」とか、アスランが心頭滅却した結果出てくるのがカガリへの性欲だとか、ちょっとこの辺は悪ノリが過ぎる気もする……! いや実際笑っちゃったからこちらの負けなんだけど!!)
かくして、アスランやシン、ルナマリアなどがそれぞれに決着をつけていく中、満を持して現れる新型フリーダム=マイティーストライクフリーダムガンダム。
挿入歌がよりによって (フリーダムガンダムの初陣などで強い印象を残した)『Meteor -ミーティア-』であることも相まって、そのド派手なカッコ良さ・神々しさにはたまらないものがあったけれど、一方では「オルフェがこのままラクスとキラによって倒されてしまうのは、“未来を掴めた者” からの押し付けになってしまうのでは」という懸念もあった。「可能性」を尊重する世界には、未来を掴める者もいれば、掴めない者もいる。役割に縛られながらも、対になるラクスと絆を育めなかったオルフェが、このクライマックスで「デスティニープランを否定したことで切り捨てられる弱者」のメタファーへと姿を変えていたからだ。
しかし、機体と共に散るオルフェは一人ではなかった。彼の隣には、彼をずっと愛しながらも「運命」の前に涙を飲んでいたイングリットがいてくれた。
それはきっと、「可能性のある世界であればこそ、どんな絶望の側にも光がある」という示唆であり、デュランダルらデスティニープランに望みを託した者や「デスティニープランを否定したことで切り捨てられる弱者」たちへの救済=本作の「回答」における最後のピースであるように思う。
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— 機動戦士ガンダムSEEDシリーズ (@SEED_HDRP) 2024年1月27日
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決められたレールがないからこそ不安が絶えないのが現実だけれど、決められたレールがないからこそ、どこで「希望」に出会えるか分からないのもまた現実。
会社をクビになってしまっても、転職先が天職になるかもしれない。夢が折れても、別の道でもっと大きな夢を叶えられるかもしれない。思いがけず出会った相手が、生涯のパートナーになるかもしれない……。そんな「かもしれない」があるからこそ、私たちは辛いことがあっても前を向いて進んで行ける。可能性とは、それだけで人生を支える糧になってくれるものなのだ。
そして、そんな「可能性の世界」を生きていく上で必要なものこそ、本作でキラとラクスが見失い、最後には取り戻すことができたもの=他者とのコミュニケーション。『DESTINY』では鳴りを潜めていた人間らしさも露わに、悩み、苦しみ、涙を流し、最後には「裸で想いを伝えあった」キラとラクスの姿は、歴代『SEED』作品のセルフオマージュである以上に、この上なく美しい本作の「回答」だったように思えてならない。
おわりに - 本作最大の「救済」
2時間という尺にありったけのファンサービスを詰め込み、物語としても可能な限りの「回答」を提示し、過去作、とりわけ『DESTINY』の詰み残しを回収、佐橋俊彦氏が再び手掛けられた劇伴も、歴代『SEED』アーティストによる楽曲群も垂涎必至な名曲ばかり……と、ちらほら見受けられる難点を補って余りある程の圧倒的な魅力に満ちていた『劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』。
そんな本作の数ある魅力の中で、敢えて「一番の感謝ポイント」を選ぶとすれば――自分は、エンディングにおける「護り石と指輪を見せ合うアスラン&カガリ」を真っ先に挙げるだろう。
理由については諸説あるけれど、『DESTINY』において「冷遇」とさえ言える扱いを受けていたアスラン&カガリ。
具体的なところで言うと、終盤ではカガリが指輪を外しており、アスランが「いいんだ、今はこれで……。焦らなくていい。夢は同じだ」というやたらふわっとした台詞を吐いたり、スペシャルエディションでは接吻が頬へのキスに修正+カガリが指輪を外すシーンがわざわざ追加されていたり……。何とも複雑ながら、福田監督の「破局した訳じゃない」という言葉だけが、自分のようなアスカガ推しには最後のセーフティネットだった。
からの『FREEDOM』である。アスランがカガリへの性欲を垣間見せるシーンでさえ「アスランお前、ちゃんと今でもカガリをそういう目で見てるんだな……!!」と厭な安心を得てしまったのに、その直後に「ジャスティスのコントロールを請け負うカガリ」という2人の強固なパートナーシップが感じられるシーンが爆誕し (能力が高いパイロットは他にもいるだろうに、ここでカガリを選ぶところが……!) 、極め付けとして件の「ハウメアの護り石と指輪を見せ合うシーン」である。これアレだ、『ウルトラマンガイア』の我夢と藤宮がお互いの変身アイテム見せ合うヤツ!!
これらをペアリングにして肌身離さず持ち歩いている……というのは、則ちお互いへの愛情が健在で、いつか結婚することを諦めていない証。こう考えると、前述の「今はいいんだ」もハッキリした意味を持って聞くことができる。つまるところ、件の台詞は「今はお互いにやるべきことがあるからパートナーとしては過ごせない。けれど、その時が来たらもう一度やり直そう」という決意の現れだったのだろう。
(一方、アスランはメイリンに対して終始ドライな態度を貫いていた。それはきっと、アスランにとってメイリンが今も「巻き込んでしまった相手」という認識のままだということなのだろうし、メイリンには気の毒だけど正直安心してしまった。健気なのは素敵なことだけれど、どうかメイリンはメイリンで幸せを掴んでほしい……)
こうして、本作が『DESTINY』の内容も回収しつつ、アスランとカガリの間にある愛も絆も見せてくれたおかげで、古文の内容で2人のことを思い出し、それが「悲恋」なんじゃないかと感じて泣き出してしまったり、2人をくっつける (+シンを主役にする) ために初めて二次創作に手を出した10年前の筆者も、初のリアルタイム作品が『DESTINY』だった20年前の筆者も報われました。『劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』、本当に本当にありがとうございました!!
この想いを書き留めた上で、次は入場特典で配布されたまさかのアスラン×カガリの公式小説を読んでいきます。何が出てくるかまだ分からないので怖さもあるけれど、とりあえず一言だけ。
アスカガ大勝利!! 希望の未来へレディ・ゴーッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!