祝20周年!『ウルトラマンコスモス』がくれた思い出と葛藤と宝物を振り返る

 

2021年8月27日。『ウルトラマンコスモス』20周年のアニバーサリーを祝うイベント『ウルトラマンコスモスナイト ~20th Anniversary 君にできるなにか~』が池袋サンシャインシティにて開催された。  

これまで行われた『ダイナ』『ガイア』『ネクサス』などの例に漏れず、当時のキャスト・スタッフを招いてのステージショーやトークはファンの願いがそのまま形になったものばかりで、まさに夢のようなイベントでした。スタッフ・キャストの皆様、本当にありがとうございます!
(このイベントは、9/20まで見逃し配信がお手頃価格で視聴可能です、都合の合わなかった方は是非……!)
https://ultraman.spwn.jp/events/21082718-ultra-cosmos-night

 

……と、そんなイベントの余韻もあって、自分の中の愛が今にも爆発しそうな思い出の作品『ウルトラマンコスモス』。 

特別であるが故に安易に語れないこの作品が、これまでの自分にとって一体どのような存在だったのか、この熱に任せて振り返ってみたい。


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ウルトラマンコスモス』は2001年に放送開始した、21世紀初のウルトラマンシリーズTV作品。 

「怪獣を保護する慈愛のウルトラマン」という斬新な作風が好評を博したことなどを受けて放送期間が延長、全65話というシリーズ最長話数が放送されただけでなく、累計3つの単独劇場用作品が製作されるなど、数ある特撮ヒーロー作品の中でも類を見ない展開となった人気作だ。

 

そんな『コスモス』は、20代後半の所謂アラサーで、初めて1話から見たウルトラマンが前作『ウルトラマンガイア』だった自分にとってそれはもうド世代の作品。 

言うまでもなく自分は『コスモス』にドハマりしていたのだけれど、その理由は何よりもまずコスモスのデザインだったと思う。  

今でこそコスモスのデザインの素晴らしさについては山ほど語るトピックがあるものの、当時の感想は「青色大好き!!!!!!!!」がおそらく9割。ウルトラマンアグルV2や仮面ライダークウガライジングドラゴンフォームに目がなかった当時の筆者には「青色のウルトラマンが主役」というのがそれだけで嬉しかった。 

なのでお気に入りは当然のようにルナモード。その入れ込み具合は相当なものだったようで、当時の自分は家に入ってきたハエや蚊といった虫たちを必ず外へ逃がすようにしていたらしい。徳川綱吉かな?  

  

当然、デザイン以外に無関心だったなんてことはなく、幼い自分の目にも『コスモス』の内容は新鮮に映っていた。 

役割そのものが変わるモードチェンジ、太極拳のような独特の戦闘スタイル、カオス怪獣という新概念。そして何より「怪獣を保護する慈愛のウルトラマン」という斬新なコンセプト。 

柔和なモチーフで固められた各種メカニックや楽曲群なども含め、平成三部作とは全く異なる作風で展開される新たな『ウルトラマン』とその物語を、みんな大好きコスモスパン(ラムネ蒸しケーキ美味しかったな……)と一緒に楽しんでいた。


序盤ではイゴマス登場回の4話『落ちてきたロボット』がオチを含めて大好きで、ゲシュートが登場する10話『青銅の魔神』で「ストレス」という概念を学んだのをよく覚えている。 

中でも印象深いのは13・14話の前後編エピソード『時の娘』。幼心にどこまで理解していたのかは分からないが、レニとムサシの悲劇的な別離には当時から強いショックを受けていた。その影響で、ワロガは今でも大のお気に入りだったりする(支離滅裂な思考・言動)。

 

ショックといえば、外せないのが中盤の「実体カオスヘッダー」だ。 

『コスモス』が柔和/メルヘンチックな雰囲気で物語を作っていたこともあってか、その名の通り「混沌」を形にしたような禍々しい姿の実体カオスヘッダー=カオスヘッダー・イブリースの登場はとことん衝撃だった。  当時はそういった情報をテレビマガジンで仕入れていたはずなので、紙面を見てひっくり返っていたと思う。 

だからこそ、その直後に現れ更なる強さを見せたカオスヘッダー・メビュートはもう衝撃どころかトラウマ級の存在で。エモーショナルな画の多さとエクリプス登場のカタルシスもあってか、28話『強さと力』29話『夢見る勇気』30話『エクリプス』の通称「エクリプス3部作」は当時から大好きなエピソードだ。 

エクリプス誕生

エクリプス誕生

  

後半ではカオスウルトラマンのような強敵の登場エピソードが印象に残る一方、ノワール星人が初登場した『操り怪獣』も特に強く覚えている。

タケノコ狩りの帰りでウキウキだったテンションが一気にお通夜モードになったものの、夕陽の中で描かれるネルドラント・メカレーターとの悲愴な戦いは幼いながら惹きつけられるものがあったのもまた事実。優しい世界観がベースだからこそ、このようなエピソードの持つメッセージ性が浮き彫りになるのも『コスモス』の魅力だろう。  

エクリプス3部作や『時の娘』など同様、その委細は分からないながらも、現実の前に悩み、揺れ動くムサシの戦いに感情移入していたのだと思う。

 

その後『ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET』『ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE』という2本の映画作品を経て『コスモス』シリーズの展開は終了。 

しかし、主演の杉浦太陽氏の活躍もあって『コスモス』は高い人気と知名度を獲得し、その後もコスモスやムサシの客演がウルトラシリーズを賑わせることとなる。

 

 

2009年公開の映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』では杉浦太陽氏がムサシ役で6年ぶりに出演。残念ながら同作では顔見せ止まりだったが、3年後の映画『ウルトラマンサーガ』ではなんとコスモス/ムサシが準主役として登場。タイガやチームUたちを導く存在として成長した姿を披露し、コスモス世代としては(ルナモードで最後まで突っ走ることに首を傾げたりはしたが)まさにお祭り騒ぎ状態だった。 

以降もコスモス/ムサシは『劇場版ギンガS』『オーブ THE ORIGIN SAGA』とコンスタントに登場。加えて『ジード』では基本3形態の一つ「アクロスマッシャー」の融合素材に抜擢されたりと、「世代」のヒーローであったコスモスが平成の世を駆けてウルトラ史に定着していく様は、とにもかくにも感慨深いものがあった。

 

ウルトラマンコスモス(M-66)

ウルトラマンコスモス(M-66)

 

一方、筆者も子供から少年になり、少年から大人(めんどくさいオタク)へと成長していく中で、『コスモス』という作品の異端さ、そして同作がその躍進ぶりとは打って変わって賛否両論渦巻く作品であることを知ってしまった。  

そんな「賛否両論」を身をもって感じたのは約10年前、当時以来初めて『コスモス』を通して見直したあの時だ。

 

『コスモス』は、その最たる特徴である「怪獣を保護する慈愛のウルトラマン」というコンセプトが視聴者の間で物議を醸しただけでなく、スタッフ・キャストの中でも「本当にこれでいいのか」と度々悩みの種になっていたことが多くの書籍・イベントで語られている。 

当時はそんなことを感じもしなかったし知りもしなかったけれど、10年経って改めて見てみると、やはり「怪獣保護」周りで違和感を覚える点は非常に多かった。 

存在そのものが人類の脅威である怪獣を保護することの正当性や優先順位の解釈、そしてその保護基準など、怪獣保護というテーマは怪獣退治よりも遥かにデリケートな問題を星の数ほど抱えている。そんな概念を児童がメインターゲットの番組で扱うのは素人目にも困難なもので、結果的に番組中では「怪獣を傷付けること=悪」「怪獣を傷付けないこと=善」といった二元論寄りの形に押し込められがちだった。 
(劇中ではフブキや防衛軍などによる「現実的な視点」が用意されていたが、それらは意見の内容が怪獣保護に寄与するであろうものも含め、やや過剰に「悪」や「諦め」としてネガティブに演出・処理されていた) 

現実における人権問題と同じで、ただ無制限に権利を認めるだけでも、ただ権利を制限するだけでも真の「自由」には繋がらない。 

あまつさえ、相手は怪獣という「本質的に人間と相容れない存在」である。ならば、それこそ時に力で、時に優しさで持ってお互いの理想的な着地点を探っていかなければならないだろう。その模索に伴う痛みさえ「NO」とするのは、理想主義というよりも単なる臆病に思えてしまうのだ。

 

怪獣との共存という夢物語を現実のものにしたいなら、まずは現実的な視点でその夢に梯子を掛ける必要がある。にも関わらず、劇中で展開されるのは概ね前述のような「怪獣を傷付けること=悪」「怪獣を傷付けないこと=善」といった二元論。 

彼らの怪獣保護の着地点となったネオユートピア計画(遊星ジュランを開拓し、怪獣たちをそこで暮らさせる)も、それ単体で見れば怪獣保護という難題への回答としては現実的で説得力のあるものなのだが、「怪獣を傷付けること」を(共存のために必要な一歩として有益な試みだったとしても)軒並み否定し続けてきたムサシたちが掲げる答えという観点から見ると、「怪獣たちを元々の住処から追放することが果たして理想の共存と言えるのか」という重箱の隅をつつくような疑問が浮かび上がってくる。  

……といったように、『コスモス』における怪獣保護というテーマは「怪獣たちを傷付けずに共存することが理想であり正しさ」という極端な下地で描かれてしまったために、最終的にはそれが作品そのものの首を締めることになってしまっていたのである。


※『コスモス』本編や「怪獣保護」の是非については、こちらの記事が素晴らしく綺麗な形で纏めてくださっているので、皆さん是非ご一読を……!

www.bokuboku12.net


久しぶりに視聴したことで、『コスモス』がコンセプト上の致命的な問題点を抱えていることに気付いてしまった2011年の夏。 

当時既に(ともすれば今以上に)拗らせたオタクだった筆者としては、自分の中で特別な作品である『コスモス』には「思い入れがある作品」というだけでなく、心から「好きな作品だ」と大手を振れるものであってほしいというのが本音。 

拗らせたオタクは拗らせると止まらない。こればかりは他の作品のように「好きだけどそれはそれとしてここがダメだよね」と割り切ることもできず、長いこと頭を抱えることになってしまった訳で……。

 

ところが、そんな悩みを吹き飛ばしてくれたのもまた『コスモス』。具体的にはその完結編、映画『ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE』だった。 

  

『コスモスVSジャスティス』は、その名の通りコスモスとジャスティスの対立~和解がメインとして描かれる作品だが、主人公であるコスモス=ムサシは本編冒頭でジャスティスに敗北して以降、終盤で復活を遂げるまでなんとほぼ出番がない。  

そんなムサシ不在の中、中盤ではフブキを始めとする新生TEAM EYESやアヤノら元TEAM EYESメンバー、マリやギャシー星人たち劇場版で登場した面々、加えてリドリアスら鏑矢諸島の怪獣たちがムサシに代わって奮闘する姿が描かれる。 

ムサシの想いを継ぎ、ムサシから貰ったものを還し、ムサシのように諦めずに立ち上がろうとする彼らの想いがジャスティス=ジュリを動かし、やがてコスモス=ムサシの復活へと繋がっていくというのが主な流れだ。 

これらのように、『コスモスVSジャスティス』はコスモス=ムサシ本人ではなく、彼に夢を貰った者たちを中心に描くことで、TVシリーズのみならず『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』や『ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET』をも含めたコスモスシリーズ全体をわずか70分の尺でスマートに総括してみせる総決算的作品なのである。

 

 

そんな本作を鑑賞して出来の良さに唸らされる中、ふと気付いたのが(本っっっ当に今更なんですけど)「この映画に”怪獣保護”がほぼ関係ない」ということ。  

『コスモス』において大半の問題点の温床となってしまっている「怪獣保護」の概念。それは映画作品である『THE FIRST CONTACT』『THE BLUE PLANET』『コスモスVSジャスティス』の3作にはほとんど関わってこない。それ以前に、そもそも『コスモス』TVシリーズ本編においても、怪獣保護と繋がっていないエピソードはかなり多い。 

そう、「怪獣保護」は間違いなくコスモスの大きなテーマではあるが、それは劇場版まで含めた『コスモスシリーズ』という観点で見れば大テーマの中にある小テーマに分類されるものだと、筆者はこのタイミングでようやく気付かされたのだ。

 

では、本編やこの劇場3作品を通して一貫している大テーマとは何なのか、それは言わずもがな「信じれば夢はかなう」というメッセージだろう。  

先程問題点を指摘した『コスモス』本編だが、前述の通りその問題点の多くは「怪獣保護」という小テーマに絡んでのもの。もう少し距離を置いて作品全体を俯瞰すると、見えてくるのは「ムサシが夢を信じ、時に悩み、挫けながらも諦めずに走り続けたことで、遂にはコスモスさえも越えた真の勇者になる」という「信じれば夢はかなう」というメッセージを地で行く物語。  

特撮ヒーロー番組広しと言えど、こうも一貫して「主人公が夢を叶えるまでに至る物語とその成長」を描き切った物語は少ないだろうし、少なくともこの点において『ウルトラマンコスモス』という物語の美しさは頭一つ抜きん出たものがある。 

 

前述したように『コスモスVSジャスティス』では、そんな「夢を叶えた存在」=ムサシの想いを継ぐ者たちの物語が描かれる。 

決して諦めず、理想を信じ貫こうと奮闘するフブキ。かつてムサシがコスモスにそうしたように、ムサシへ思い(光)を届けるアヤノたち。彼ら「ウルトラマンでない者」たちの信じる心が次々と不可能を覆していく様は、『コスモス』の描いてきた「信じれば夢はかなう」というメッセージが決してウルトラマン=ムサシに限った話ではなく、彼から夢を信じる心を受け取ったごく普通の人々=『コスモス』の視聴者たちにも言えることなんだと改めて示しているように思えてならない。  

そしてこのことは、最初の劇場用作品『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』で打ち出されていたメッセージでもある。  

 

同作は「夢を信じ続けるという一点を除けば平凡な少年」であるムサシが、夢を信じ続けたからこそ奇跡に出逢う物語。知らず知らずのうちに夢は夢だと割り切り、俯いてしまっている現代の老若男女に向けて、「夢を持つことの大切さ」を届けてくれる傑作だ。 

 そんな『FIRST CONTACT』を経て夢への一歩を踏み出したムサシ。彼が苦難の果てに夢を叶えることで、その仲間たち、そして視聴者に「信じれば夢はかなう」という精神が受け継がれていく。この精神、そしてその継承こそが「怪獣保護」という敷居の高いテーマと闘う製作陣が示したかったもの=『コスモス』という作品の本懐なのではないだろうか。

 

思えば、幼い自分が『コスモス』という作品で見ていたのは「怪獣保護」という命題への回答やその正当性といった小難しい話ではなく、現実の壁にぶつかり、折れそうになり、それでも夢を信じて立ち上がり続けるムサシたちの背中だった。幼い自分でも最終回『真の勇者』で起きた奇跡に心から感動することができたのは、そんな彼らの諦めない姿に心を打たれていたからなのだろうと思う。  

『コスモス』が示した「信じれば夢はかなう」というメッセージ。その眩しさが自分の中でずっと色褪せないからこそ、自分の中で『コスモス』は大切な存在であり続けていたのだ。  

そのことに気付けた今なら、はっきりと言うことができる。「『コスモス』は至らない点こそあるけれど、自分にとっては大好きで大切な作品だ」と。

 

 

『コスモス』から20年。今やすっかりアラサーの自分は、夢を信じてそれを叶えることができただろうか……と思うと、正直とても胸が痛い。 

夢を叶えるためには(それこそムサシのように)夢自身を知り、世界を知り、自分を知らなければならない。その努力を怠ってしまったのだから、この結果は当然のものだ。 

ただ、それでも「夢を持ち続けること」だけは止めなかった。そのおかげで掴めたものは数知れないし、辛いことにも立ち向かうことができた。自分がそう在れたのは、間違いなく『コスモス』のおかげだろう、

(ヒーローオタクのサガとして)辛い時はいつもヒーローたちが支えてくれたが、そういった意味では他ならぬ『ウルトラマンコスモス』こそが、自分を最も助けてくれたヒーローだったのだ。冒頭で触れたイベント『ウルトラマンコスモスナイト』の中ではそんな思いが湧き上がって、何度も何度も心の中で「ありがとう」と叫んでいた。

 

High Hope

High Hope

 

世界が大きな苦難に見舞われている中ではつい忘れそうになるが、人が生きていくことは、本来それだけでも過酷かつ難しいことだ。 

そんな人生を進んでいくために必要なものこそ、「優しさ」「強さ」「勇気」そして「夢を信じて努力し続けること」。それらの大切さを『ウルトラマンコスモス』という物語は教えてくれる。  

 

もし、生きていく中で大切なものを見失ってしまった時、僕らにはそれを教えてくれるヒーロー、ウルトラマンコスモスがいる。こんなご時世だからこそ、もといこんなご時世が終わりを告げたとしても、今はまだ彼に学びつつ前に進んでいきたい。いつの日か夢を叶えて、胸を張って『コスモス』から独り立ちできるようになるために。