感想『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突 Episode 2~4』ヒーロー復活の光と影。レイガの輝きと “ゼアス事変” の是非について

 

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(1話の感想はこちらから!)

 

突然ですが、皆さんは『ウルトラマン物語 (ストーリー) 』という作品をご存知でしょうか。

 

 

同作は1984年公開の劇場用作品で、『ウルトラマン』から『ウルトラマン80』までの映像と新撮映像を組み合わせ、一本のストーリーとして再構築した総集編映画の一つ。しかし「ウルトラマンタロウが両親・兄たちから戦士の心得を学んで成長し、かつてウルトラの父が封印するに留まった宇宙の帝王、ジュダを倒す物語」という王道かつ熱いストーリーや、新怪獣グランドキングの魅力などから今尚高い人気を誇っており、パラレルワールドの物語ながら半ば正史として扱われているという非常に稀有な作品だ。 

(特に、ヒッポリト星人にウルトラの父が敗北したのは、タロウの特訓でエネルギーを使い果たしていたから……というエピソードは、本作の完全オリジナル設定ながら、原作の設定以上に説得力があるためか妙に高い認知度を誇っている)

 

そんな『ウルトラマン物語』は後年のウルトラシリーズに数多くの影響を残した作品でもあるが、その一つが「スーパーウルトラマン」という概念を生み出したこと。

 

 

近年でも『ウルトラギャラクシーファイト』シリーズで2度登場した、ゾフィー~エースの5人がタロウに合体して誕生する超ウルトラ戦士、スーパーウルトラマンタロウ。その見た目はタロウのままだが、あらゆる攻撃が規格外に強化される上に「コスモミラクル光線」などの専用技を持ち、いずれの作品でも強豪を圧倒する無双の強さを見せていた。 

(『タロウ』本編においては「ウルトラ・シックス・イン・ワン」などの名前で技扱いになっている)

 

このスーパーウルトラマンタロウの登場を一つのきっかけとして、ウルトラシリーズにおいては規格外のスペックを持つ合身ウルトラマンが「スーパーウルトラマン」というカテゴリーで呼称されるようになっていった。 

スーパーウルトラマンタロウと同じ合身戦士であるウルトラマンレジェンドメビウスインフィニティーウルトラマンサーガなどはその代表格で、合身戦士ではないものの、その底知れぬ強さからウルトラマンキングウルトラマンノアらも例外的にスーパーウルトラマン扱いされることがあったりする。 

この「スーパーウルトラマンタロウ」という名前は準公式設定、カテゴリーとしての「スーパーウルトラマン」は (おそらく) 非公式のファンミームだが、それでも「格の違う存在」とはやはりロマンがあるもの。 

機動戦士ガンダム』シリーズにおいて、アムロ・レイカミーユ・ビダンニュータイプ中最強の存在として別格に数えられるように、『ドラゴンボール』シリーズにおいて、スーパーサイヤ人4と超サイヤ人ブルーがほぼ同列の「格上」存在として扱われているように、このような話題は得てしてシリーズに深みを与える語り草となっている。 

 

……つまり、何が言いたいのかというと。

 


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ウルトラマンレイガ…………君の活躍を待っ↑ていたよ!!!!!!

 

 


開幕から『決戦!ウルトラ10勇士!!』のTDGパートをバックにしたガンマイリュージョンと、およそ6年振りの登場となるエクシードXという特大の爆弾が放り込まれた『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』Episode 2。本話からは、ニュージェネレーションヒーローズたち以外の2つの縦軸が本格的に進行していくことになる。 

その1つがウルトラセブンウルトラマンレオウルトラマンジョーニアスによるウルトラマンゼロの再特訓だ。 

 

前作『大いなる陰謀』においてサプライズ登場を果たしたゼロの究極進化形態、ウルティメイトシャイニングウルトラマンゼロ。スーパーウルトラマン級のポテンシャルを覗かせるその姿だったが、タルタロスには力及ばず敗退。敗因が、ウルティメイトシャイニングの力を使いこなせなかった自身の未熟さにあると感じたゼロは、タルタロスと互角に渡り合ったU40最強の戦士=ジョーニアスに特訓を依頼する。 

ゼロを鍛えるジョーニアス、という『ウルトラマン列伝』の頃を思うとニヤニヤしてしまう超展開ではあるが、実に納得のいくシチュエーションだ。 

果たしてジョーニアスが行う特訓とは如何なるものか。その実態が明かされるのがこのEpisode 2なのだが……。 

 

(特訓相手が)増えてるゥ!!!!!!
なんと、どこからともなく現れたウルトラセブンウルトラマンレオが特訓に参戦。特訓と聞いて居ても立ってもいられなくなったのだろうか、と思うと (ゼロには悪いけれど) 少し笑ってしまう。 

果たして始まる特訓だが、なんとその内容は「テクターギアを着けた状態で、セブン、レオ、ジョーニアスと戦う」という歴代ウルトラシリーズの特訓でもトップクラスに過酷なもの。しかもセブンに至ってはアイスラッガー装備という容赦の無さである。コワイ!!

 

セブンがウルトラ念力 (『レオ』でのものと同じスタイル!) でゼロにテクターギアを装着したり、その際のBGMが『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』において、ランの前にゼロが現れた際のものであったりと、相変わらず嬉しい演出が盛り沢山なのだが、このゼロパートは何かと壮絶でそれらの小ネタが頭に入ってこない。 

特訓の絵面が壮絶……なのは言うまでもないとして、何より驚かされたのはゼロがこれまでの仲間たちとの出会いを振り返る場面の演出だ。

 

ウルトラマンゼロのテーマ2011

ウルトラマンゼロのテーマ2011

(件の場面で流れているのは、厳密にはおそらく『ミラー、ファイヤー、そしてゼロ』の一節)

 

『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』では、ギンガビクトリー、エックス、オーブ、ジードらが一挙にゼロ由来の力を発動、次々に敵を撃破するというシーンを初め、様々な手法で丁寧に「ゼロの築いてきた歴史をなぞる」という構成を取っていたが、今回は力業も力業、なんと 

『ウルトラゼロファイト 第2部』 

『劇場版ウルトラマンギンガS 決戦!ウルトラ10勇士!!』 

ウルトラマンX』第5話 

『劇場版ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします!』 

ウルトラマンジード』第8話 

『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』 

ウルトラマンタイガ』第23話 

ウルトラマンゼット&ゼロ ボイスドラマ』最終回 

……と、これら全てのシーンをなんと全て再撮影しダイジェストにする、というもの。  

絡め手はやり尽くしたからな、と言わんばかりの圧倒的なパワープレイ。こんなものを見せられてはもう涙するしかないでしょうよ……!!(泣きました)

 

が、しかし、ジョーニアスたちの不穏な言葉がそれを遮る。

 

「お前は今まで様々な出会いを繰り返し、その出会いがお前を強くした」
「しかし、それではタルタロスには勝てない。タルタロスと戦うには、一切のテクニックや感情を捨て、本能に従うんだ」
「お前の中に眠る野生を取り戻し、戦うんだ」

 

「ヤツらとの出会いは、俺の大切な一部だ……! そう簡単には捨てられねぇ!」と答えるゼロだが、それもそのはず、そもそもウルティメイトゼロも、シャイニングゼロも、どちらの力も仲間との絆があって初めて手に入れることのできたもの。ゼロの歴史は仲間から学び、絆を紡いできた歴史。「本能で戦うことがタルタロスへの勝機」と語るジョーニアスだが、そうして絆を捨てることでタルタロス戦の活路を見出だしたとして、その時ウルティメイトシャイニングの力がゼロに応えてくれるとは思えない。 

ウルティメイトシャイニングの銀色の輝きが『ドラゴンボール超』における悟空の新たな姿「身勝手の極意」に似ていて、その身勝手の極意がまさに「本能で戦うことを極めた」と言える姿のため混乱してしまうけれど、おそらく、ジョーニアスたちの発言はその全てが本意ではないのだろう。 

ゼロが決して絆を捨てることはないと分かっているからこそ、敢えてそういった挑発的な言葉も交えて「ゼロ自身に」己の殻を破らせる、というのが3人の真の狙いなのだと、そう信じたい。

 


3人の言葉はゼロへの発破であり、ゼロは絆を捨てることなくウルティメイトシャイニングの力をモノにする……と「信じたい」と書いたけれど、本当なら「モノにするはずだ」と断言したかった。何せ監督はゼロの産みの親である坂本浩一氏、そして脚本は過去作の「文脈」の汲み方において他の追随を許さない名ライターの足木淳一郎氏。実績も完璧なこの黄金コンビに、疑いの余地などあろうはずもなかった。……本作のEpisode2、3における、ウルトラマンゼアスの姿を見るまでは。



ニュージェネレーションヒーローズの合流、そしてゼロの特訓と平行して進むもう一つの縦軸がウルトラウーマングリージョ=湊アサヒの戦い。

その大筋は、光の国でメビウスに稽古を付けてもらっていたグリージョが、ひょんなことから怪獣墓場に足を踏み入れてしまい、そこで自らのダークネス、そしてギナ・スペクターと激突する……というもの。 

トライスクワッドやゼロに並ぶメイン格としてグリージョが抜擢されることは (彼女の人気を踏まえても) 少し驚きだけれど、おそらく、そこには仮面ライダー』や『スーパー戦隊』といった他の特撮シリーズが打ち立てている「レギュラー女性戦士」の影響があるのだろうと思う。

 

初代である『秘密戦隊ゴレンジャー』から女性戦士がレギュラーで登場していたスーパー戦隊シリーズは言わずもがな、近年は仮面ライダーシリーズも『仮面ライダーゼロワン』で初めて「TVシリーズ初期から女性のレギュラーライダーが登場する」ことが話題を呼んでいた。

 

 

そのような女性ヒーローの躍進は時代が求める必然だが、ウルトラシリーズではこれまでそんな声に応えられる存在はほぼおらず、いたとしてもスポット参戦や劇場版のみの登場に留まっていた。 

しかし『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』に比べて「一作品内で多人数のヒーローを登場させる」ことが様々な理由  (予算、2クールという放送期間、巨大ヒーローというフォーマット……等々)  から難しいウルトラシリーズにおいて、そのような現況は避けようのないものでもあり、製作陣も少なからず歯痒い思いをしていたのだろうと思う。 

しかし、だからといって妥協せず、精進し続けてきたからこそ在るのが今のウルトラシリーズ。そのような壁を越えるべく、円谷プロダクションが用意したアンサーこそがギャラクシーファイトシリーズを通して、グリージョの成長を描く」ことなのではないだろうか。 

玩具の販売に縛られず、内容の自由度も高く、複数の主人公を描くことに違和感がない『ギャラクシーファイト』は、グリージョの活躍にこれ以上なくうってつけの場所であり、予め『R/B』で掘り下げが行われており、既に高い人気を博しているグリージョもまた、円谷の送り出す新世代の女性ヒーロー代表としてうってつけだったのだろう。

 

 

そんなグリージョの相手として選ばれたのは、自分自身のコピーであるグリージョダークネスと、ギナ・スペクター。 

グリージョダークネスはあくまで『ニュージェネレーションヒーローズ』におけるゼロダークネスらと同じ単なるコピー体にすぎず、そのため『ウルトラヒーローズEXPO サマーフェスティバル』のライブステージで見られたようなドラマが見られなかったのは残念だったが、グリージョが「仲間の応援で昨日までの自分を越える」という、まさしくウルトラマンとして独り立ちする証として、初めて本格的に単独撃破する相手としてはこれ以上ない存在だったのも確かで、十二分に美味しい役回りであったと言えるだろう。

 

 

一方、『ウルトラマンX』第13・14話では等身大でのダークヒロイン然とした復活 (不完全態だった?) だったため、本格的なウルトラ戦士との戦いは『アンドロメロス』以来となるギナ。Episode 1ではオーブ、R/B兄弟、フーマのO-50チームを相手に勝ち逃げを決めるなど強敵としての威厳を見せ付けたが、そんな彼女に「敵であるが、同じ兄弟を想う者同士」という共通点をグリージョが見出だす展開には思わず膝を打った。 

「敵であるが、自分と同じく兄弟を想う妹」であるギナは、グリージョ=湊アサヒにとってもう一人の自分であり、同時に、自分自身の親友=美剣サキと重なる存在でもあったのだろうと思う。 

かつて、美剣の死をただ見ていることしかできなかったアサヒ。そんな彼女が、グリージョとして、時に先輩たちの力を借りつつも自ら戦い、果てには「ギナが亡者でなければ救えた」ところまで辿り着き、最後に名前を訊ねたギナに「グリージョ」という名前を返す……。正直、『ニュージェネレーションヒーローズ』の時点で非常に綺麗な完成を見せていたグリージョの物語に、こんなにも美しい「先」が用意されるとは思ってもみなかった。 

「もっと強くなります」という〆が『ニュージェネレーションヒーローズ』と被っていたり、(カツミとイサミにも言えることだが)『R/B』の文脈を汲むのなら、アサヒにはウルトラマンであること以前にただの人間として精一杯今を平和に生きてほしい……という思いはあれど、それでも、大切なものを守れるように強くなっていくグリージョが「新世代を代表するウルトラウーマン」として、これまでウルトラマンに触れてこなかった子どもたちの夢になってくれるのなら、それに勝る喜びはない……と思ってしまうのは、拗らせたオタクの性だろうか。

 


一方、そんなグリージョの陰で、盛大に割を食ってしまったウルトラマンがいる。ウルトラマンゼアス、ナイス、ボーイの3人だ。

 

ゼアスとナイスは『ウルトラマン伝説』のような外伝作を除くと、今回が初めての再登場。ボーイも『ウルトラ銀河伝説』では顔出し程度の出番だったので、両者同様初の再登場と言って差し支えないだろう。 

しかも、よりによってゼアスだ。ゼアスといえば空手。ゼアスと言えばウルトラかかと落とし。個人的には、80やネオスに並んで坂本監督に演出してほしいウルトラマンだったし、難しいと分かってはいても、ティガや初代ウルトラマン、セブンとの共演まで夢見ていた。 

しかし、ようやくその登場が確定した念願の「坂本ゼアス」は、ナイス、ボーイと共にレイバトスと戦っていた。その画面で既に猛烈な「嫌な予感」を感じたのは、自分だけではないはずだ。

 

 

結論から言うと、本作におけるゼアス、ナイス、ボーイについては、その行動や演出に看過できない違和感が散見されていた。中でもそれが顕著だったのが、ウルトラマンゼアスである。

 

 

ウルトラマンゼアス』は、かの『ティガ』と同じ1996年に封切られた劇場用作品で、その好評を受けて翌年には続編の『ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影』が公開されている。 

その主役であるゼアスは「栄光の初代ウルトラマンに憧れているも、潔癖性が足を引っ張って一人前になれない未熟なウルトラマン」という設定。同2作は、そんなゼアスが地球の友人や仲間の応援、師範らの教え、そして誰にも負けない勇気を胸に、潔癖性や強敵・ウルトラマンシャドーに植え付けられたトラウマを克服。一人前のウルトラマンとして成長を遂げるという王道かつ熱い作品だ。 

「コメディ」として括られがちで、事実コメディタッチな演出が多いタイトルではあるが、その軸は至って真摯な「ウルトラマンの成長物語」。ゼアス自身も、潔癖性の所以でオーバーなリアクションを取ることこそ多いものの、彼自身が能動的にコメディエンヌとして振る舞うことは皆無。潔癖性を克服した『ゼアス2』は尚のことそれが顕著であり、作品そのものも非常にシリアスで少年漫画風味の熱い作風となっていた。

 

 

ギャラクシーファイト』には、ゼアスと同様に数多くのウルトラマンが現行作品への復活参戦を果たしているが、彼らのキャラクターは得てして原点や派生作品を忠実に汲んだものになっている。 

中でも、ウルトラマンジャスティスやウルトラマンメビウスなど、作中で大きな成長を遂げたキャラクターはそのことを明確に踏まえた造形・演出がされており、いくら劇中で印象的だったからといって、メビウスが建物を盾にしたり、天然を発揮して周囲を笑わせるようなこともない。それは「本編後のメビウス」としてこの上なく不自然だからだ。

 

では、本作のゼアスはどうだったか、と振り返ってみると、解釈次第では飲み込める行動もある (Episode 1のナイスとのやり取りなど) ものの、「レイバトスを相手にナイスを盾にする」と「ヒップドロップやくすぐりで攻撃」「グリージョの勝利に腰をくねらせて喜ぶ」などは、筆者はどうあっても飲み込む (解釈する) ことができなかった。 

更にEpisode 3においては、レイバトスに怯えていたことが嘘のように、グリージョダークネスに対してナイスとのコンビネーションアタックやウルトラかかと落としを決めるなど、急に「期待していたゼアス」が顔を出す。ストーリーを汲むに、自分達を救援しに来たニュージェネレーションヒーローズに「僕たちも負けてられない!」と鼓舞されたのだろうけれど、その一言がなく、あまつさえ前述のように臆病な描写が悪目立ちしていたため、「相手が弱いから積極的に戦った」という風にさえ見えかねない。 

……まとめるなら、何かと近しいポジションであるグレートやパワードのような「歴戦の勇士としてのゼアス」を期待していたら、本編から成長が逆行しているどころか、別人のような振る舞いをするウルトラマンになっていた、というのが本作におけるゼアス。これは荒れるなと言う方が無理な話なのではないだろうか。

 

 

また、生真面目なゼアスに比べると、本編の時点でひょうきんな性格を覗かせていたナイスは比較的コメディエンヌ的な立ち回りに違和感がなかったものの、やはりレイバトスを前にしてゼアスを盾にする描写には不自然さが拭えなかった。

 

 

ナイス=夢星銀河は、面白いおじさんである以前に、父親であり夢星家を守る大黒柱。ダイナのように、時折ユーモラスな所作を取ることこそあれ「戦いの中で ”ふざける" 」ようなことはないウルトラマンだった。にも関わらず、ボーイやグリージョを守るべき場面で「ゼアスを盾にする」というのは一体どういう心境だったのだろう……と、その点でどうしても株を下げてしまっていた。 

(Episode 3や4ではゼアスと共に「自分たちにしかできないこと」としてグリージョを応援したり、グリージョとボーイを守るシーンがあった。この点は非常に “らしさ” が溢れており良いシーンだが、それでも前述の描写と相殺できるかどうかは別問題のように思う)

 

思えば、足木氏は (性質上、ゼアスやナイスがお笑い担当の役回りを務めることが多い) イベントからウルトラの世界に入ったスタッフで、坂本監督はそういったイベントの常連客。そのような経験、あるいは「今の子どもたちが知るナイス・ゼアスからかけ離れすぎてはいけない」という配慮からこのような事態になってしまったのかもしれないが、彼らは何よりもまず「誰かの一番のヒーロー」であり、勇気あるウルトラ戦士。再演すべきはそんな彼らの姿の方だったと思うし、そうした彼らを子どもたちに届けてこそ、ヒーローは未来永劫受け継がれていくものではないのだろうか……と、残念に思えてならなかった。

 


けれども、だ。 

そういった不満点があっても、それでも「この作品が嫌いだ」と言えないのがこの『ギャラクシーファイト』。 Episode 3、怪獣墓場に駆け付けたニュージェネレーションヒーローズたちの戦いは、それほどまでに素晴らしいものだったのだ。

 

 

グリージョの元に駆け付けるギンガ、ビクトリー、ロッソ、ブル、タイガ、タイタス、フーマ。『Ultra Spiral』をバックに繰り広げられるこの6人の戦いが、あまりにも個人的な「ツボ」の塊だった。

 

まずは何より、遂にトライスクワッドの本格的なフォーメーションが見れたこと。 

トライスクワッドのフォーメーションと言えば、これまで映像媒体で描かれたのは僅か2回。しかも、1度目 (『タイガ』第1話) は3人が交代しながら1回ずつウルトラマントレギアに攻撃して終わってしまい、2度目 (ニュージェネクライマックス) ではそもそも脚本に書いていなかったものを急遽現場で撮影したため、フォーメーションというにはあまりに侘しい組体操然としたものになってしまっていた。  

(脚本に書いていなかったものを現場で投入したという判断は見事だけれど、「トライスクワッドの完結編」と銘打ちながら3人の連携シーンを描かない脚本がそもそも問題なのでは……)

 

それらに歯噛みしていたファンとしては、僅か数秒だとしても、鮮やかなトライスクワッドのフォーメーションが見れたことに涙してしまう程の感動があったのである。

 

Buddy, steady, go! TV size

Buddy, steady, go! TV size


相手はベリアルら同様にアブソリューティアンの技術で強化されたバット星人。かつてゼロが拮抗したバット星人グラシエと同等クラスだと思われる強敵に、反撃の隙を与えることなく華麗に連続攻撃を叩き込んでいくタイガ、タイタス、フーマ! そこに上乗せする形でトライストリウムに変身し、レインボーストリウムバーストで一閃する……。 

Episode1でこれでもかと「真・ニュージェネクライマックス」を浴び、お腹一杯、全部やってくれた! と思わせておいて、ここに来て「まだ終わってないぞ!!」と、僅か1分ちょっとの尺で「本当に見たかったウルトラマンタイガ」を叩き込んでくる坂本監督の ”愛” よ……!(合掌)

 

そんな3人に負けてはいられない、とタルタロスに挑むのは、ギンガ&ビクトリー、そしてなんとロッソ&ブル!

ニュージェネレーションヒーローズが誇る最強タッグであるギンガ&ビクトリーに並んでタルタロスに挑むのがロッソとブルというのは、 (演出上の都合と言えばそれまでだけれど)  彼らの成長を『R/B』を通して見守り、『ニュージェネレーションヒーローズ』においてエタルガー相手に善戦し、ウルトラダークキラーを撃破する姿に涙したファンとしては感無量の一言。 

強敵タルタロスを相手に押されつつも、一歩も怯まない連携を見せ、ハイブリッドシュートを叩き込む兄弟の姿に「立派になったな……」と親心のようなものが湧いてしまい、更に『Ultra Spiral』のサビに併せて現れるギンガビクトリー、そしてウルトラマンルーブの合体ウルトラマンタッグで涙腺が崩壊してしまったのは筆者だけではなかったと思う。

 

 

そんな彼らに続いて、『フュージョンライズ!』をバックにエクシードX  (ベータスパークアーマー)  & オーブトリニティがレイバトスを相手に、ジード  (ロイヤルメガマスター) &ゼット  (デルタライズクロー)  がギナ・スペクターを相手にそれぞれ参戦。曲名通り、4人ともウルトラ戦士の力をフュージョンさせて戦う戦士というのが心憎い演出。心憎いと言えば、『劇場版ウルトラマンオーブ』では実現しなかったエクシードXとオーブのタッグに、黄金×ベリアルという共通項を持ったロイヤルメガマスターとデルタライズクローのコンビを並ばせつつ、全村民が待っていたであろう「ベリアロクを使うジード」というサプライズを見せてくるのもまた心憎い点だろう。   

と、そんな坂本監督の引き出しの多さに驚愕したのもつかの間、タルタロスはレイバトスを犠牲にギガバトルナイザーを生成、ギナ・スペクターにジュダとモルドを融合させることでグア・スペクターを誕生させてしまう。 

(『X』第14話におけるグア・スペクターを “不完全態” とすることで、見た目の違いを補完しつつグアやメロスの格をさらりと上げる足木氏の手腕よ……!)

 

ニュージェネレーションヒーローズの最強形態をものともしないグア・スペクターの脅威を前に「ギナを救うために力を貸してほしい」と頼むグリージョ。その想いに応えてタイガは叫ぶ。

 

「分かった。――レイガの力を、再び!」

 

 

かくして再誕する令和のスーパーウルトラマンウルトラマンレイガ。信じられないほどカッコいいカメラワークと演出で登場し、スーパーウルトラマンたる威厳を放つレイガ、そして流れ出す『超勇者 BUDDY GO!』の力強いイントロ……!

 

超勇者BUDDY GO!

超勇者BUDDY GO!

 

「ウルトラホーンを持つ者はスーパーウルトラマンの素養を持つ」という『ウルトラマン物語』の設定を踏襲しつつ、「ニュージェネ全員合体」というとんでもない文脈を持つ割に、初登場した『ニュージェネクライマックス』での活躍が驚くほど記憶に残っていなかったウルトラマンレイガ。彼の大活躍こそが『運命の衝突』が「真・ニュージェネクライマックス」たる真骨頂だ。 

グアの一手一手に攻撃を合わせつつ、瞬間移動を交えた重い一撃を入れていくレイガ。同じ瞬間移動を使うスーパーウルトラマンであるサーガとはまた違うパワータイプのアクションになっている他、目を引くのは「攻撃の瞬間に手足が炎のように輝く」という演出が、他ならぬスーパーウルトラマンタロウと同じであることだろう。 

その一番の理由は、ウルトラマンレイガがスーパーウルトラマンタロウと限りなく近い存在であるから、ということだろうけれど、レイガとして戦うタイガが、あの日のタロウに並んだという証左でもあるのだと思うと、胸に来るものがある。  

(しかも、レイガの手足が輝く瞬間に耳を凝らすと、コスモミラクル光線発射前の「ピキーン!」というSEが使われている!)

 

 

タロウが、スーパーウルトラマンタロウとしての戦いを経て真にウルトラ兄弟の一員となったように、タイガの成長のゴールとしてその存在を歴史に刻む……はずだったが、どうにもパッとしない印象に落ち着いてしまったレイガ。 

『運命の衝突』は、『ニュージェネレーションヒーローズ』でやり切れなかった演出、『ニュージェネクライマックス』で見れなかったシーンをこれでもかと詰め込み、その最後の仕上げとして、ウルトラマンレイガを文字通り「ニュージェネサーガの集大成」たる存在として歴史に刻んでみせた。 

更に、戦いを終えて分離したニュージェネレーションヒーローズの中に立つタイガ、タイタス、フーマの姿には、『タイガ』と『ニュージェネクライマックス』、そして『ギャラクシーファイト』を経て大きく成長した一人前の戦士として相応しい凛々しさが満ちている。「トライスクワッド、ここに完結!」という『ニュージェネクライマックス』のキャッチフレーズは、ここに来て遂に大成したと言えるのではないだろうか。

 

 

前述のように、僅か1パート分ではあるものの今後当分引きずってしまうであろう事案が生まれてしまった『運命の衝突』だが、(それと相殺することにはならないとしても)この作品には、その点だけを理由に切り捨てるには惜しい多くの魅力が溢れている。

 

 

その魅力の一つとして、Episode4のラストシーンでは遂にウルトラマンスコット、チャック、ベスのウルトラフォースが参戦! 

名曲『時の中を走りぬけて』をバックに、史上最も「アガる」カットインを披露してくれる3人。そして、未だその姿を見せない超新星ウルトラマングロス。彼らがこの『運命の衝突』を盛り上げ、いつかゼアスが報われる新作が作られることを心から祈りつつ、今はひとまず叫んでおきたい。

 

坂本監督!!!!!!!!足木さん!!!!!!!!!!!!最高のニュージェネクライマックスをありがとうございました!!!!!!!!!!!!!!!!