れんとのオタ活アーカイブ

ウルトラシリーズとアニメが中心の長文感想ブログ。アイカツスターズ!実質全話感想も執筆中!

ブログを続けてきた自分と、小説が書けない自分と、『数分間のエールを』

『数分間のエールを』を観て、泣いて、感動して、それらとは別の何か複雑な気持ちに突き動かされて、今こうしてスマホの画面を叩いている。 

先に言っておくと、『数分間のエールを』超傑作でした。独特な質感のCGアニメには困惑もあったけれど、「前半の演出をポップにすることで、後半で観客がこのCGに違和感を覚えないようにする」という手腕、そうしてまでこのCGで作ることに意味があったと思わせてくれるライブやMV製作シーン、そしてラストのMV。正直、期待を遥かに上回る素晴らしい映画でした、ありがとうございます……!! 

じゃあ、「複雑な気持ち」っていうのは何なのか。それは決してネガティブな感情ではなく文字通りの意味。自分は、どういう訳かこの映画に対して三つのスタンスで向き合わされていた。 

一つは、映画を楽しむ観客としての自分。一つは、ブログを四年間書き続けてきた自分。そしてもう一つは、生まれてこの方まともな長編小説を一度も書いたことがない、とても臆病な自分だ。

 

 

《目次》

 

ブログを四年間書き続けてきた自分と『数エール』

 

感想をブログに書くようになって、あと二ヶ月でちょうど四年になる。 

そもそも、自分がブログを書きたいと思ったのは『ウルトラマンタイガ』という作品がきっかけだった。

 

 

簡単に言うと「とても期待していたのに、自分の好きな作品にはならなかった」のがこの作品。そのことが悔しくて、あーでもないこーでもないとTwitterで毎日のように駄々をこねていて、友人と話して、それでもモヤモヤが晴れなくて、ふと「ここまでTwitterに文章を投げられるならブログが書けるんじゃないか」と思った。 

当時、自分は追っているブロガーが数人おり、身内でも数人がブログを始めていた。ちょうど世間がパンデミックの真っ只中ということもあり、2020年春という時期は、自分の目にはまさに「ブログブーム」として映っていたのだ。 

そんなこんなで書き始めたがまあ上手くいかない。そもそもその時期は職場の正規職員登用試験を控えた勉強期間だったのでそうまとまった時間が割けるはずもなく、上手く書けないまま時間だけが過ぎていき――2020年秋、当時プレイしていた『ダンガンロンパ』の感想記事を投下、予想外の形で本ブログ『れんとのオタ活アーカイブ』が始まった。

 

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『タイガ』記事がうまく書けずにいたモヤモヤもあってか、『ダンガンロンパ』の記事はするすると書き上がり、すぐ後には続編『スーパーダンガンロンパ2』の記事も書き上がった。初めての記事ということもあって不安で一杯だったけれど、おかげさまで好意的なコメントを多く頂き、転職活動を挟んで本格的なブログ運営が始まった。その頃は、ただただ「自分の衝動を発散したい」「せっかくだから、それを形にしておきたい」というのがブログ運営のモチベーションであり、それらに頂ける好意的なコメントは、それまでの自分にはなかった「自信」を与えてくれもした。

 

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2021年。転職真っ只中にもかかわらず「テスト期間中って部屋の片付けが捗るよね」効果によって『タイガ』の記事を仕上げたところ、これがこれまでよりもずっと多くの方に読んで頂けた。これをきっかけに、2021年~2022年は「ブログがバズる」ことを経験した年になった。 

ウルトラマントリガー』『Free!』の記事はTwitterで大いに拡散して頂き、『シン・ウルトラマン』の記事ははてなブログのランキングに入り、『蒼穹のファフナー』や『仮面ライダーBLACK SUN』はGoogle検索のトップ表示を勝ち取り、長らく多くの方に読んで頂くことになった。自分に「文才がある」と思い込んだ時期だった。 

そんなことはない、と思い知ったのが、2023年後半から今にかけて。そう、今も自分は「文才がない」という自己意識と取っ組み合いながら、この文章を書いている。

 

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2023年の後半から、ブログが「バズる」ことはピタリと無くなった。主な原因ははてなブログの仕様変更にあったのだけれど、それは原因の一つでしかない。読まれる人は読まれているし、バズっている人はそもそもTwitter上でバズっている。 

答えは明白。「自分に文才がある」と思い込んでいたことがそもそもの間違いであり、自分がバズっていたのは、コンテンツ側の力を借りていたに過ぎなかった。自分は、この四年弱で「この人の書く文章が読みたい」と世間に思わせられるだけの力を身に付けることができなかったのだ。 

誰かに読んで貰えるだけで嬉しい。人に読まれたいから書いている訳じゃない。その思いは今も一貫しているけれど、それでも、一度味わった果実は甘すぎた。ブログを書くモチベーションが減ったことは否めなかったし、折悪く、自分の書いた記事や抱いた感想が「的外れ」だと突き付けられる事案が重なったり、痛烈なアンチコメントを頂いたりもした。「自分には文才があるかも」と自惚れていた自分自身への恥ずかしさや、一人暮らしの忙しさも相まって「もうブログはそんなに書かない方がいいかもな」と、正直筆を折りかけていた。 

……のに、自分はブログを書くのを止めなかった。それどころか、月によってはそれまで以上のハイペースで書いていることさえある。 

その理由は三つ。一つは、自分に文才がないと自覚したからこそ、そんな自分の文章を今でも読んでくれる方の優しさと大切さが胸に染みて、自信とモチベーションを取り戻させてくれたこと。 

一つは、執筆スピードの向上もあって「感想を作品として残す」ことの楽しさが癖になっていたこと。 

そしてもう一つは、記事を書くことに大きなやりがい=「自分の手で、大好きな作品の魅力を言語化し、誰かに伝える」という楽しさを感じるようになっていたから。 

その始まりとして思い出深いのは、自分が初めて「バズり」を経験した『ウルトラマントリガー』の記事だ。

 

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放送当時、自分はこの『トリガー』という作品に振り回され、胸の中では毎週のように「好き」と「嫌い」が混沌と渦巻いていた。しかし、最終回において主人公の最後の姿=トリガートゥルースが誕生した瞬間、号泣しながら自分が『トリガー』に惚れ込んだことを自覚した。 

一方、SNS上は『トリガー』への批判コメントで溢れかえっていて、自分はまさに四面楚歌の状況。正直、自分の中にも『トリガー』への不満は大きかったし、普段ならそこで日和って口を噤んだかもしれない。けれど、そこで自分の恋心は『タイガ』以上に熱く燃え上がった。世間の苛立ちを全部受け止めて、その上でこの恋心を叩き付けてやると、さながら宣戦布告のように38000字の長文を書き上げ、発信した。その結果、Twitter内外でそれまでで最も読まれることになり、その中で「トリガーの楽しみ方が分かった」「良い面もあったんだな」といったコメントや、自分と同じ「トリガーが好きだけど、そのことを声高に言えないので嬉しかった」という感謝の言葉に出会うことができた。ここで自分は初めて知ったのだ。「感想記事は、自分が大好きな作品や、自分と同じファンに対するエールになる」と。今も自分が読まれない記事を書き続けられるのは、そんなモチベーションと、自分を支えてくださる読者の方々のおかげなのだ――と、そんなことを思いながら今日も記事をアップしたばかりだったので、『数分間のエールを』を観ながら、ブログを四年間書き続けていた自分は気が気でなかった。 

自分が作るもので作品の良いところを引き出したい、という彼方の信念。挫折してからが「ものづくり」という作品のテーマ……。自分のブログ運営は、彼方や夕のそれとは比べることさえ烏滸がましい単なる趣味であり、二人やトノが経験した挫折に比べれば自分の悩みはカス以下のもの。けれども、スクリーンの中で繰り広げられる物語にはどうしても自分自身を重ねてしまったし、『未明』MVの主人公や夕が最後に見せてくれた笑顔には、ブログを四年間書き続けてきたことを肯定して貰えたような、肩を叩いて貰えたような、「お前のやってることは間違ってないぞ」と言って貰えたような感覚があって、自分は『未明』のMVラストで盛大に涙してしまった。 

自分がこの先もこの趣味を続けていいんだと思えて、本当に嬉しかった。「ブログを書き続けてきた自分」は、そんな喜びと大きなモチベーションをこの映画から受け取ることができたのだ。

 


まともな長編小説を一度も書いたことがない自分と『数エール』

 

一方、そんな『数エール』を観ながら「恥ずかしい」と思う自分もいた。それは、生まれてこの方、まともな長編小説を一度も書いたことがない自分だ。 

自分が創作を始めたのは小学生の頃、友人の描いたギャグ漫画がきっかけだった。 

その友人に続くようにギャグ漫画を描き、みんなで漫画を描くことが流行り、中学生になってからは真面目な漫画を描き出した。この辺りで自分の絵について本格的に考え始め、その結果「自分は絵ではなく物語を書きたいんだ」と感じ、文章の道に舵を切った。演劇部で脚本を書き、隣にいた友人に惨敗し、その友人の勧めで小説を読み始めた。それまで苦手だった小説に、そこでどっぷりハマることになった。 

けれど、程なくして自分は小説ではない新しい道に出会うことになった。『クトゥルフ神話TRPG』である。

 

 

ゲームマスターがシナリオを読み、プレイヤーが行動し、ゲームマスターが展開を提示する、謂わば「ゲームという舞台で行う即興演劇」とでも呼ぶべきTRPG。そこに高いストーリー性と自由度、ホラーが組み合わさったクトゥルフ神話TROGに自分はドハマりしてしまい、大学時代はそれとアニメ鑑賞、ウルトラマンのイベントに没頭。そのまま社会人となり、転職を繰り返した後、クトゥルフ神話TRPGのシナリオ本を友人たちと合同で製作。ゲームマーケットで販売し、この辺りで自分の軸がブログに移り変わって今に至る。そして気が付けば、今の今までまともな長編小説を書いたことがない自分がそこにいた。 

書いたことがあるとすれば、高校生時代にケータイ小説サイトでアップしていた、ガンダムSEEDガンダム00の二次創作と、ここではとても言えない地獄のような小説。大学時代所属していた漫画研究会で寄稿した何編かと、TRPG絡みや趣味で書いたいくつかの短編ぐらいのもの。 

TRPGやブログに時間を割いていた、というのは言い訳だ。自分は、自分に才能がないのを思い知るのが怖かった。長編小説を書き上げて、それがつまらなくて「自分はこんなものしか書けないんだ」と思い知ることが怖かった。だから、十年前から書いている『ウルトラマンX』の二次創作も完成していない。自分の作る文章の稚拙さを、ストーリーのつまらなさを直視したくなかった。書かなければ意味がない、最初から面白いものを書ける人間なんて滅多にいないというのに。  

けれど、2022昨末にそんな自分を動かす作品との出会いがあり、自分はもう一度小説を書き始めた。『アイカツスターズ!』という作品と出会って、自分も夢を追いかけてみようと思ったのだ。小説を書いて、いつか長編小説を書いて、賞に出してみようと、その一歩として、自分は今まさにこの作品の二次創作を書いている。そして、案の定自分の力不足を突き付けられ、折れそうな心を必死に繋ぎ止めている。そんな最中の『数エール』だった。 

挫折してからがものづくりだというテーマに、励まされた。夢が折れても諦められず、その結果、彼方に出会えた夕の奇跡に夢を見れた。それと同時に、「自分はまだ、挫折するほどの頑張りもできていない」と思えた。『未明』MVのような「覚悟の炎」は自分には宿っていない。あの炎は、本気で頑張って、本気で挫折して、それでも立ち上がった者にしか宿らない。挫折は、終わりではなく始まりなのだ。

 

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引用:https://x.com/VSTORAGE/status/1809165574909645148?t=APt0MuIZ7smSt-pJdrvQDg&s=19

 

だから、まずは自分も頑張りたい、挫折するくらい頑張ってみたい、と思った。 

ブログを書いてきた自分は励まして貰った。小説を書きたい自分は背中を叩かれ / 手を差し伸べて貰った。自分は、このたった一時間の作品から、あまりにも多くのエールを貰ってしまったように思う。 

これからも自分はブログを書き続けていくと思うけれど、そこに「小説を書く」ことを並行させられるかは、明日からの自分次第だ。 

いつかこの『数分間のエール』にもう一度触れた時、その時もただ励まされるばかりの自分ではいたくない。「俺も頑張ってるよ」と画面の向こうに笑顔を向けられる、そんな自分になっていられるように、この記事を明日の自分へのエールとして残しておく。