感想『トップをねらえ2!』- イレギュラーだらけの世界に受け継がれたのは、バスターマシンを宿す気高き心

~これまでのあらすじ~ 

 

令和の世に『トップをねらえ!』初見をキメた (それも第5話と最終回は劇場の大スクリーンで!!) 。 

結果、無事オールタイムベスト入りを果たすかと思われた『トップをねらえ!』だけれども、ある気がかりがそこに待ったをかけた。それは「ノリコとカズミは生きたまま帰ることができたのか」、そして「 “オカエリナサト” は誰が残したメッセージなのか (一万二千年後に人類は生存しているのか) の2つ。 

確かに、地球へ帰った2人が既に魂だけの存在だったとしても、オカエリナサトのメッセージが「滅び行く最後の人類」によって未来へ遺されたものだったとしても、それはそれで十二分に美しい結末と言えるだろう。……けれど、それがはっきりしない宙ぶらりんの状態では覚悟も何も決められない。ぼかされているのが味なのかもしれないけれど、そうやって割り切るには自分は『トップをねらえ!』に、もといノリコとカズミに心を撃ち抜かれすぎていたのかもしれない。 

ならば、次に見るべきものはただ一つ……!

 

 

そう、『トップをねらえ!』のナンバリング作品=トップをねらえ2!! 

トップをねらえ!』初見をキメたばかりで、持ち得る知識は『第3次スーパーロボット大戦 天獄編』のPVで得た「ロボットに乗ったりせずにそのまま敵と戦う女の子がいるらしい」という情報のみ。 

そんな好条件で『トップ2』をキメた男がどうなってしまったのか。その顛末を、熱い努力と根性で書き記しておきたい。

 

kogalent.hatenablog.com

( ↑ 前作『トップをねらえ!』の感想はこちらからどうぞ!)


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《目次》

 

衝撃!!『トップをねらえ2!』の罠!

 

トップをねらえ2!』とは、1988年に発売されたOVA作品『トップをねらえ!』のナンバリング作品であり、2004年よりOVAで全6巻がリリースされた。 

前作から約15年が経過しており、製作会社であるGAINAXの体制変更もあったことから、製作陣はほぼ総入れ替え。監督は株式会社カラーの現取締役こと鶴巻和哉氏が務め、脚本には『新世紀エヴァンゲリオン』にも参加し、『少女革命ウテナ』など数々の人気作でシリーズ構成を務める榎戸洋司氏が抜擢された。 

他にも、本作の製作陣には『トップをねらえ!』監督=庵野秀明氏縁のクリエイターが名を連ね、当の庵野氏も監修や絵コンテという形で参加している。これだけ完璧な下地ならば、当然『トップをねらえ!』のように熱く、時にパロディも交えた傑作王道エンターテインメントが出てくるように思える――かと思いきや。いざ視聴してみると、その雰囲気は『トップをねらえ!』とは似ても似つかぬものになっていた。

 

 

地球ではなく「火星」で繰り広げられる物語。 

宇宙怪獣を生身で倒してしまう、強力無比にして天衣無縫のアンドロイド主人公=ノノ (CV.福井裕佳梨) 。 

名前こそ同じだが、システムも設計思想も根本から異なっているらしいバスターマシン。 

そして、そんなバスターマシン以上に別物と化している宇宙怪獣……。 

他にも「トップレスと呼ばれる超能力者」や「謎だらけで哲学的なシナリオ」、「SF色が強いだけでなく、よりポップな世界観」など、その要素はいずれも『トップをねらえ!』とは似て非なるものばかり。 

ナンバリング作であるからには、その舞台は「一万二千年」の間の話か「ノリコ・カズミの帰還後」のどちらかになるだろうとは思っていたし、どちらにせよ世界観が大きく変わるのは覚悟の上。しかし、そのことを踏まえてもバスターマシンや宇宙怪獣といった核の部分、そして作風そのものが根本から変わっていることがどうにも気がかりだった。 

「もしかして、この作品は『トップをねらえ!』の要素を借りた全くの別作品なのでは……?」 

ただでさえ『トップをねらえ2!』は非常に謎めいた物語。前作との関連性を考察しながら見ようとすると肝心の『2!』そのものを味わえなくなる懸念もあったし、そもそも無関係という線もある以上「ナンバリング作品」であることを忘れた方が無難にさえ思えてきていた。 

最も気になっていたノリコ・カズミの生死と「オカエリナサト」の真相を掴めないことは残念だったけど、それに引き摺られて新たな物語体験を無駄にするのは愚の骨頂――と、ちょうどそんなことを思い始めたタイミングで「それ」は現れた。

 

 

土星の衛星・タイタンで発掘が進む謎の物体「タイタン重力変動源」。異星人のバスターマシンとも、伝説の一桁台バスターマシンとも噂されるその正体は――

 

「ディスヌフ、アイツは何だ……? 凄まじい悪意が、人間を否定してる……! え? “本物の宇宙怪獣” ? じゃあ、今まで戦ってたものは一体!?」

-「トップをねらえ2!」 第4話『復活!! 伝説のバスターマシン!』より

 

「本物の宇宙怪獣」というトンデモワードに思考が消し飛ぶ中で、更なる爆弾が投げ込まれる。

 

 

「ノノ、なのか……?」
冥王星からどうやって……!?」
「ワープです! ノノとお姉さまの絆に、もはや距離など関係ないのです!!」
「何なんだ、コイツは……」
「地球帝国宇宙軍太陽系直掩部隊直属・第六世代型恒星間航行決戦兵器、 “バスターマシン7号” ッ!!」

-「トップをねらえ2!」 第4話『復活!! 伝説のバスターマシン!』より

 

物語の舞台やバスターマシンたちが前作と大きく異なっているのは、前作からそれだけ長い時が経過していたから。 

宇宙怪獣たちが「別物」のようであったのは、彼らがそもそも宇宙怪獣ではなかったから。 

ノノがトンデモアンドロイドだったのは、彼女こそがガンバスターを継ぐバスターマシンそのものだったから――。 

そう、全ての違和感には「理由」があった。トップをねらえ2!』の時系列とは、ノリコとカズミがブラックホールの彼方に消えてから帰還するまでの間=空白の一万二千年であり、自分はそれを隠すためのミスリードに面白いくらい引っ掛かっていたのだ。完敗…………ッ!! 完膚なきまでに敗北……ッ!!!!!!!!

 

 

こうして、満を持して時系列や前作との繋がりが判明した『トップをねらえ2!』。その上で改めて考えてみると、確かに本作の時系列はここ=「空白の一万二千年」以外に有り得ないと思えてくる。 

直接のスピンオフならともかく、本作はあくまでも「続編」。であるなら、数年後や数十年後のような生半可な舞台設定では、特大のスケールとハッタリが売りである『トップをねらえ!』の名折れになってしまう。かといって、ノリコとカズミを主役にその帰還後を描くにはスタッフが違いすぎるし、中途半端に絡ませようものなら主役が彼女たちに持っていかれてしまう。……必然、描ける舞台は空白の一万二千年しか有り得ないのだ。 

しかし、そうなると避けられないのが「世界観が別物になってしまう」という問題。 

千年単位の時間が経過した世界で、あの思いっきり日本的な『トップをねらえ!』要素を前面に押し出そうものなら、それは良くても異物、最悪ダダ滑りのギャグ要素に成り果ててしまうだろう。そうなれば当然新規のファンは望めないし、オールドファンからも「なんか違う続編」と一蹴されてしまう。『トップをねらえ2!』という企画は、そもそも企画の段階から半ば「詰み」のような状態にあり、だからこそ『トップをねらえ!』はその人気に反して長らく続編が作られなかったのかもしれない。

だからこそ、本作はそこで「逆転の発想」を切り出した。どう足掻いても別物になってしまうなら、最初から「別物」として認識させればいい。『トップをねらえ!』要素が違和感になってしまうなら、いっそ恣意的な「仕込み」=「伏線」にしてしまえばいい、と。

こうして生み出された3話にも渡るミスリードに自分は見事引っ掛かってしまったし、全てが繋がって爆発する4話のカタルシスには「残り2話は絶ッッッッ対に劇場で確かめる……!!」と即決させられるだけのものがあった。 

トップをねらえ!』が第4話でその流れを変えたように、本作第4話もまたその評価を根底からひっくり返し、特大のビッグバンを起こしてみせた。バスターマシン7号となったノノが変動重力原タイタンを吹き飛ばした瞬間、『トップをねらえ2!』は続編としての「勝利」をも決定的にしてみせたと言えるのではないだろうか。

 

トップレス

トップレス

 

ノノと「ノノリリ」

 

第4話を境に (これまでの鬱憤を晴らすかのような勢いで) 明かされ始める「真相」の数々。その凄まじい情報量に「うわぁ……なるほどなぁ……」と理解半分、混乱半分の中、一つだけ頭がオーバーヒートして涙腺が決壊して情緒がめちゃくちゃになるトンデモ情報があった。

 

『年老いて、既にアカデミーを引退した老学者でなければ、興味も持たなかっただろう。千年ぷりに尾を引いた、名もなき小さな彗星……。その中に “彼女” はいた。記憶を失い眠り続けていた彼女がただ一つ覚えていた願い。それは……』

「ノ……ノ……リ……リ…… “コ” 」

-「トップをねらえ2!」 第5話『星を動かすもの』より

 

え、ノノリリってノリコのことだったの!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!

 

30年弱の人生において、ここまで自分の「鈍さ」に感謝した瞬間もなかった。この時まで、自分は「ノノリリ」が「ノリコ」のことだとこれっっっっぽっちも気付かなかったのである。鈍すぎるだろ!! 

……と、第5話にして遂に『トップをねらえ2!』の世界に存在を現した我らが初代主人公=タカヤ ノリコ。その名前が出ただけでも嬉しかったのだけれど、ここで頭がオーバーヒートして涙腺が決壊して情緒がめちゃくちゃになったのは、何も「ノリコの名前が出たから」というだけじゃない。何より自分の胸を揺さぶったのは、ノリコの名前が出たことで見えてきた「ノノの正体」だ。

 

 

トップをねらえ2!』の主人公にして、地球帝国宇宙軍太陽系直掩部隊直属・第六世代型恒星間航行決戦兵器こと「バスターマシン7号」でもある少女=ノノ。彼女は本作の主役ながら謎の多い存在で、誰が彼女を作ったのか、なぜ他のバスターマシンと異なる人型なのか、なぜあのような天真爛漫な (=兵器には不向きな) 性格なのか……。他にも多くの謎を残したまま本作は幕を下ろしてしまう。 

しかし、何もノーヒントという訳ではなく、本作には彼女の真相に迫る「ヒント」が十分に散りばめられていた。1つは、前述の「ノノリリ」ことタカヤ ノリコとの関係だ。

 

 

ノノが憧れる存在であり、宇宙パイロットを目指すという夢の発端にもなったという「ノノリリ」。 

なぜノノにとってノリコがそのような存在であるのか、自分は一瞬「地球を救った英雄を真似るように思考パターンをインプットされたから」かと勘繰ってしまったのだけれど、どうやらノノがノノリリに憧れる思いは「他でもない、彼女自身のもの」であるらしい。

 

「ノノは、お姉さまみたいになりたかったんです。ずっとお姉さまが羨ましかった。だって、お姉さまとノノリリはよく似ている。ノノリリって人はですね、特別じゃない、普通の女の子なんです」

-「トップをねらえ2!」 第5話『星を動かすもの』より

 

もしノノが「タカヤ ノリコを真似るようにインプットされていた」のだとしたら、ノノにとってノノリリは「人類を救った英雄」としてのみ記録されていなければならない。にも関わらず、ノノはノノリリを「普通の女の子」として認識しており、むしろその点にこそ強い憧れを見出だしていた。このことは「ノノが,、自らの意思でノノリリを好きになった」ことの何よりの証左と言えるだろう。 

しかしその一方で、バスターマシン7号のデザインは明らかに「ノリコを知る人物」によるもの。ノリコを知る者に造られたアンドロイドだが、ノリコを好きになったのは彼女自身の意思……。それはつまり、ノノを生み出した人物が「ノリコを愛し、それでいてアンドロイドをアンドロイドとして扱わない優しい存在」――それこそ、地球に帰還したユング、あるいは彼女のような誰かが主導してバスターマシン7号を作ったと考えると筋が通らないだろうか。 

そして、作中にはこの説を補強する台詞が2つ登場する。1つは、第5話『星を動かすもの』において、修理中のディスヌフの元にラルク・メルク・マール (CV.坂本真綾) を案内したカシオ・タカシロウ (CV.山崎たくみ) の台詞だ。

 

(ディスヌフの破損について) 気に病むことはない。左手は元々義手だったし、そこの突き刺さった角なんてもっと古い。公社の記録じゃ、500年は前の戦傷だとさ」
「なぜ修理しない?」
「ディスヌフが嫌がったそうだ。……脳幹を掠めて貫通してる。このせいでいくつものエキゾチックマニューバまで使用不能になってるんだ。それでも、下手に弄ると貴重な戦闘経験値ごと失われるかもしれない。“儚いトップレスの代わりに、時代を越えて経験を蓄積していく” ……。その為の人工知能なんだから」 

「何?」
「歴代パイロットの落書き。この辺は六次改修以前の古い装甲だから、四十世代は前の先輩だな。“十六夜の 声せぬ夜も ひとり往き 彼はとどまり 我は去りゆく” 」
「読めるんだ?」
「いつの時代も変わらない片想い、ってワケ。残ってるのは戦闘経験値。僕らは忘れ去られていくだけだ」

-「トップをねらえ2!」 第5話『星を動かすもの』より

 

「バスターマシン (ノノ) に対するトップレス (ラルクの脆さ」を語ることで、ラルクの「あがり」への布石となるこのシーンは、同時に「ディスヌフたち新型バスターマシンに人工知能が搭載されているのは、寿命が限られているパイロットに代わって戦いの経験や知識を未来に繋ぐため」ということが明かされる重要なシーンでもある。 

しかし、ディスヌフに見られる「歴代パイロットの落書き」からは、バスターマシンたちが「戦いの経験や知識」だけではなく、人々の「想い」を未来へ繋ぐ役割も託されている、と捉えることができるだろう。 ……このことを踏まえると、バスターマシン7号という存在がまた違った意味を帯びてこないだろうか。  

そのことについて更に切り込むのが、同じ第5話の冒頭=ノノの「師匠」をラルクが訪ねた際の会話だ。

 

「ココア……ノノも好きだったんですか?」
「あの子は和食党でね、ノノリリは大和撫子だったから、って。ご存知ですか?」
「大昔に太陽系を守った英雄、としか……」
「あの子もそうだったのかな。大昔に、太陽系を守る為に作られた……。見付けた時、あの子はほとんどの記憶を失っていた。千年万年を生きる時間の牢獄、それがどれほど恐ろしいことなのか……結局、私にも分からない。しかし、“太陽系の何を守る為に造られたのか” ……それを考えれば、何故人のカタチをし、人のココロを与えられたのか、分かる気がしませんか」
「……」
「あの子をノノリリに会わせてあげたかった。もし、ノノリリがあの子の言う通り “普通の女の子” なのだとすれば、やはり友人が必要だと思うのです。……英雄とは、いつも孤独なのでしょう。かつて人類にも、皆を守る為に自ら孤独の道を選んだ少女がいた。その事実が、あの子を支えていたように思います。あの子もノノリリに会ったことはない。だから、あなたに会えて嬉しかったのでしょう」

-「トップをねらえ2!」 第6話『あなたの人生の物語』より

 

バスターマシン7号が他のバスターマシンと異なり「人のカタチ」をしているのは、おそらく「遠い未来にノリコとカズミが帰ってきた時、人類がもし滅んでいたとしても、自分達の “お帰りなさい” の気持ちを伝えられるように」という願い、そして「未来で生きるノリコの友達」という役割を託された存在だったから。 

そんな優しい誰かに作られ、「普通の女の子」として戦い抜いたタカヤ ノリコの在り方を聞かされていたからこそ、ノノリリはノノにとって憧れの一番星になったのかもしれない。  

(カズミの扱いが不明瞭なことだけが若干気がかりだけれど、こればかりは作劇の都合上仕方のないことだったのかもしれない)

 

 

トップを継ぐ者

 

「タイタン変動重力源」こと真の宇宙怪獣によって甚大な被害を受けた人類の前に、最大最強の宇宙怪獣=エグゼリオ変動重力源がその姿を現す。 

トップをねらえ!』第5話で生まれたブラックホールを吸収・利用することで地球をも上回る体躯を手に入れてしまった強敵にはノノ・ラルクコンビも歯が立たず、軍上層部は「ノノの縮退炉で雷王星を重力崩壊させ、再びエグゼリオ変動重力源を封印する」という特攻作戦を立案。しかし、この作戦に乗り気な様子のラルクに対し、ノノはなんとそのまま戦線を離脱してしまう――。 

前作『トップをねらえ!』最終回を思わせる展開だったからこそ衝撃的だったこの展開。彼女が「敵前逃亡」という選択肢を取った理由として考えられるのは、まず第一にノノの決戦形態=ダイバスターの存在だ。 

 

最後の切り札であるダイバスターを発動させるためにもノノは死ぬ訳にはいかず、かといってダイバスター形態を形作るには相応の時間も必要なため、あそこでは「戦線離脱」という選択肢しか取れなかった。これだけでも十分に筋が通るけれど、ここで気になるのは「なぜノノはそのことを誰にも話さなかったのか」という点。それはおそらく、一番大切なお姉さま=ラルクが「諦めてしまっていた」からだろう。

 

「残った雷王星の中心核に7号が進出、マイクロブラックホールを点火材に、縮退連鎖を誘発させます」
雷王星ブラックホールにするということか」
「この至近距離での超重力崩壊であれば、変動重力源も倒せるハズです」
「……特攻させるというのか……!」
「もちろんノノ一人じゃ行かせない、私も行くよ。ワクワクする! 2人で世界を救うんだ! 一緒に星になろう、ノノ!」

-「トップをねらえ2!」 第5話『星を動かすもの』より

 

「普通の女の子のままに人類を救った」ノリコを、彼女の持つ「最後まで諦めない」在り方を愛したノノ。そんな彼女の目の前で、ラルクが自身の生還を諦めて華々しく散ろうとしてしまっている――。もしこの状況下でノノがダイバスターの存在を明かしてしまったら、ラルクは勿論、人類は皆「神頼み」の生きた屍になってしまうかもしれない。 

それで人類を救えたとしても、その先の人類はノリコのような「努力と根性」を失ってしまう。それは「ノリコの帰還する時まで人類を守り、繋ぐ」という使命も帯びたノノにとって到底看過できない事態だろうし、ノノは敢えてダイバスターの存在を明かさずに去ることで、ラルクの、ひいては人類の「自ら戦おうとする意思」を守ろうとしたのではないだろうか。

 

火星最後の鳥の物語

火星最後の鳥の物語

 

また、ノノの戦線離脱=雷王星重力崩壊作戦の頓挫は『トップをねらえ2!』の作劇においても重要な意味を持っていたように思う。 

大前提として、第4話からここまでの展開は、以前よりも格段に『トップをねらえ!』色が濃いものになっている。しかし、もしそのままの勢いで最後まで駆け抜けてしまったら、それは『トップをねらえ!』の単なる二番煎じになってしまう。せっかく「丹念に両者の繋がりを隠してからの第4話」というドデカい花火を打ち上げても、その先が『トップをねらえ!』と同じになっては、わざわざ「続編」にした意味がないからだ。 

だからこそ、雷王星重力崩壊作戦は頓挫する必要があった。「この作品は『トップをねらえ!』の焼き直しじゃない」ということを示すために、敢えて『トップをねらえ!』のクライマックスと同じシチュエーションを用意し、それを失敗に終わらせたのだ。  

では、『トップをねらえ2!』が描くものとは何なのだろう。『トップをねらえ!』と同じシチュエーションを自ら否定し、これは続編なんだと狼煙を上げたからこそ描ける、シリーズの「本質」とは一体何なのだろう。その答えは、最終話『あなたの人生の物語』において描かれることになる。

 

 

ノノを失った人類は、地球そのものを最強の武器=「本土決戦用特別攻撃最終質量兵器 地球」としてエグゼリオ変動重力源に衝突させるプランを実行。その操縦を担うディスヌフ=ラルクの前に、ダイバスターとなったノノが立ち塞がる。 

ノノを引き剥がそうとするラルクだったが、彼女はよりによってその最中にトップレス能力を喪失。ディスヌフもドゥーズミーユも動きを止め、ラルクはエグゼリオ変動重力源とダイバスターの一騎討ちを眺めるだけの傍観者と化してしまう。 

力を失い、途方に暮れてしまうラルク。一方、エグゼリオ変動重力源に力及ばず、徐々に身体を砕かれていくも決して「諦める」ことはしないノノ――。この光景は『トップをねらえ!』第5話のリフレインである以上に『トップをねらえ2!』という作品を象徴するもののように思う。

 

Groovin' Magic (feat. Nino)

Groovin' Magic (feat. Nino)

 

トップをねらえ2!』では、特別な力を持つが故に「特別でなくなること」を恐れるキャラクターが何人も描かれてきた。あがりを恐れるあまり、人としての道徳をかなぐり捨ててしまったニコラス・バセロン (CV.岩田光央) や、「あがり」に向き合う前に自らトップレスとしての立場を退いたカシオ、あがりを迎えたニコラが自分ではなくノノを求めたことで、自身の存在意義を見失ってしまったラルク……。 

しかし、そんな彼らの悩みが根本から「間違えている」ということが、本作第4話で既に明言されていた。

 

「ノノは本当に馬鹿でした! バスターマシンがあるとかないとか、関係ないのです! “バスターマシンさえあれば” なんて思う者が、本当のトップになれるハズがありません! なぜならば……! 自分の力を最後まで信じるものにこそ、真の力が宿るからです!  きっと、本物のバスターマシンパイロットは――本物のノノリリは、心にバスターマシンを持っているのだから!」

-「トップをねらえ2!」 第4話『復活!! 伝説のバスターマシン!』より

 

ラルクたちは皆「特別な力を失う」ことに怯えていたけれど、それは違った。特別な力があるから強くなれるのではなく、自分の力を信じる者にこそ「特別な力」が宿るのだ。かつて、ごく普通の女の子でありながら世界を救ったノリコとカズミが「努力と根性」によって何度も立ち上がり、世界を救う英雄へと至ったように。 

自分の力を信じているノノと、トップレスの力こそが自分の全てだと思っていたラルク。2人の明暗を分けたのは「バスターマシンの力」ではなく、そんな「心の力」の差でしかなかった。そのことに気付いたラルクに、身も心も磨り減らして尚戦う “バスターマシンの声” =ノノの心の声が届く。

 

「ラル、ク……」
「ノノッ!! ……分かるか、ディスヌフ? ノノが怖がってる。あいつをもう一人にしたくない! ノノ、今行くから!!」

-「トップをねらえ2!」 第6話『あなたの人生の物語』より

 

ラルクの想いに応え、封印されていた真の操縦席を開放するディスヌフ。そこに遺されていたのは、かつてノリコたちが纏っていた「あの」ユニフォーム。 

そう、ラルクは彼女たちと同じユニフォームを纏うことで強くなるのではない。自らの手で答えに辿り着いたからこそ、このユニフォームを纏う者=「トップを継ぐ者」としての資格を得たのである。

 

 

「何やってんだ、ノノ! 痛いことや苦しいことをありがたがるなんて、バカみたいじゃないか。だけど……それが人間ってことなんだ。強さは体の大きさじゃない、心の力だ! そうなんだろ、ノノ!? それが…… “努力と根性” だ!!」
「……はいっ!」
「行くぞッ!」
「はい、お姉さま!」
「「とぅっ!!」」
「イナズマアァァァッ!!」
「ダブルウゥゥゥゥッ!!」
「「キイィィィィィィーーーーーーーーック!!」」

-「トップをねらえ2!」 第6話『あなたの人生の物語』より

 

「普通の女の子だって、努力と根性さえあればヒーローにだってなれる」というテーマを恥じることなく真っ直ぐ貫いてみせた前作『トップをねらえ!』。その後継作である本作は、まずそのテーマを一度解体。 自身のアイデンティティーに苦しむ00年代の人々に向けて「 “特別” があるとすれば、それは超能力でも何でもなく “努力と根性” を形にできるだけの心の強さ」という、令和の世界にも響く普遍的なメッセージへと再構成してみせた。 

前作のエッセンスをただ使うのでも、なぞるのでもなく、その魅力とテーマを再解釈・再発信することで「現代に相応しい作品」として蘇らせる。それこそが本作の打ち出した「2」の意義であり、姿形の全く異なる2人が放つ合体技=イナズマダブルキックは、そんな本作の美しさを何より象徴する祝砲だったように思えてならない。

 

立つ鳥跡を濁さず

立つ鳥跡を濁さず

 

それはきっと、別れではなく~『トップをねらえ!』の未来

 

自分が『トップをねらえ2!』を見始めた最大のモチベーションは、前作ラストシーン (オカエリナサト) の裏側=ノリコとカズミの生死、そして一万二千年後の人類の状況に少しでも近付けるかもしれない、という淡い期待だった。結論から言うならば、その願いは見事叶えられたことになる。

 

「この夜をずっと待っていた。どうしても彼女に会って話したい、いつも笑っていた貴女のことを。何故ならば……何故ならば、貴女の憧れ続けた伝説の女の子 “ノノリリ” が、今夜帰ってくるのだから――!」

-「トップをねらえ2!」 第6話『あなたの人生の物語』より

 

トップをねらえ2!』の舞台とは「空白の一万二千年」――その最後の10年。ガンバスターと共に帰還したノリコとカズミは今も生きており、「オカエリナサト」とは「今を生きる人間たち」に一万二千年の時を越えて受け継がれた、希望と感謝のメッセージだったのだ。 

トップをねらえ2!』ならではの熱さと想いをこれでもかと叩き付け、その上で原点に惜しみない愛を贈る。そんな最高の続編である本作が「オカエリナサト」を照らした瞬間、自分の中でこの『トップをねらえ!』というシリーズが紛れもない「特別」になった音がした。 

しかし。

 

「約束、楽しみにしてたのに……何で笑ってるんだよ!?」
「諦めてさえしまわなければ、願いはいつか叶います。時間はいくらでもありますから」
「お前は普通の女の子になりたかったんだろ!?」
「ノノリリが輝かせた特異点は、ノノが貰います」
「もう一人にしないから!」
「代わりに」
「嫌だ、ノノ! 行くな!!」
「お姉さまには、ノノの特異点を捧げます! 何故ならば――!」

-「トップをねらえ2!」 第6話『あなたの人生の物語』より

 

ラルクの隣に、ノノはいない。ノリコに誰よりも「お帰りなさい」と言いたかったであろう彼女は、この世界を守るために何処へとも知れぬ次元へと旅立ってしまった。 

けれど、不思議と『トップをねらえ!』最終回で感じたような不安=「ノノはもう帰ってこないかもしれない」という懸念はなかった。それは「帰還の誓い」である折り鶴をラルクに託し、「何故ならば」の先を告げずに旅立ったノノ自身が、誰よりもラルクとの再会を諦めていなかったから。 

ノリコとカズミが約束を果たして無事に帰ってきたのだから、いつか必ず、ラルクがノノを「お帰りなさい」と迎え入れる日も来る。そんな確信を持たせてくれるのがノノとラルクの物語、そして『トップをねらえ2!』という作品だったのだ。

 

星屑涙

星屑涙

 

……とはいうものの、ノノとラルクの再会は果たしてこの先「描かれる」のだろうか。 

当然ノノとラルクの再会は見たい。見たくない訳がない。けれど、ノノの帰還が確定的である以上、それをわざわざ描くのは野暮……ああいやすみませんイキりました。見たいですノノとラルクの再会!!! 願わくば、願わくばノノとノリコの対面も見たいッッッッッ……!!!! 

しかし、最もその可能性が高かったであろう『トップをねらえ3』については、諸般の事情で企画そのものが凍結状態。2からさえ20年近く経過していることに鑑みても、シリーズの再始動は絶望的と言う他ないだろう。

 

 

しかし、だ。 

今回自分が『トップをねらえ!』に触れるきっかけになった35周年記念上映は (少なくとも自分の観測範囲では) 大盛況。『トップをねらえ! OVA後編』は平日昼間+公開2週目にも関わらず6割以上席が埋まっていたし、公開3日目の『トップをねらえ2! OVA後編』は当然のようにほぼ満席。どうやらその盛況ぶりは公式にも届くレベルだったようで、なんとつい先日公式Twitterアカウントで「上映館の拡大」が告知されていた。

 

 

過去作品、それもOVAをそのままリバイバル上映するという事態がイレギュラーなら、それが盛況により急遽追加上映というのはとんでもないイレギュラー。しかし、きっとそれほどまでに愛されているのが『トップをねらえ!』という作品なのだろうし、昨今のリバイバルブームに乗って『トップをねらえ!』が奇跡の復活を遂げるのも決して夢ではないはずだ。 

パンデミックをはじめ様々な問題が溢れ返るこの令和において、私たちにはこれまで以上に「個々人の強さ」が求められている。そんな時世だからこそ、本シリーズ――ないし、そこで描かれた「努力と根性」というテーマが改めて求められているようにも思う。 

そんな声が然るべき所に届き、本シリーズとノノに「お帰りなさい」が言えるように、そして (敢えてやらなかったのだと理解はしているけど) いつか「ノノとラルクが歌う『トップをねらえ! 〜Fly High〜』」が聴ける日が来るように、一ファンとしてできること=可能な限りの投資をしながら、本シリーズの再始動を辛抱強く待ち続けていたい。