感想『グリッドマン ユニバース』 空前絶後のクロスオーバーで “よく分からない” さえも肯定する、ユニバース級の極上エンターテインメント

※以下、映画『グリッドマン ユニバース』他、グリッドマンシリーズのネタバレが含まれます、ご注意ください※

 


 


とんでもないものを、見た。  

「クロスオーバー」概念に目がないオタクである自分にとってもはやバイブルと化している最高のクロスオーバー映画『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGA MAX』を越えかねない、少なくともこれまで自分が見てきたアニメ映画においては間違いなく史上最高・天地無双のクロスオーバー作品。それこそが『グリッドマン ユニバース』の正体だった。 

私たちの見たいものを一切逃すことなく「全て」回収し、その上でこちらの想像を軽々と越えていく。それは『SSSS.GRIDMAN』や『SSSS.DYNAZENON』で私たちが受けた衝撃の再演であると同時に、その2作品が内包するテーマをも新たな形で紡ぎ出す、文字通り完璧・最高の作品…………と言いつつも、一方では、この作品の背景や設定を未だに「よく分かってない」自分もいる。  

実際、自分は結局この作品で何が起こっていたのかよく分からなかったし、鑑賞中は何度も何度も必死に考えて、それでも事態が飲み込めない自分の頭の悪さを呪っていた……けれど、ED主題歌『uni-verse』のある一節で、自分はようやくこの作品を飲み込むことができたし、入れ替わるようにタイミングで流れ出した「あの曲」に見事号泣させられてしまった。 

……と、自分でも何とも不思議だなぁと思ってしまう『グリッドマン ユニバース』の鑑賞体験。作品を理解しきれていない状況ではあるけれど、むしろそんな今だからこそ、本作への思いと数々の魅力、そしてこの作品の難解さとその「答え」と思われるものを順に振り返りつつ、この円谷プロダクション超新星へのエールとして書き連ねていきたい。


《目次》

 


至高の「GRIDMAN×DYNAZENON」ムービー

 

もはや言うまでもないだろうけれど、本作『グリッドマン ユニバース』とは、円谷プロ製作の特撮ドラマシリーズ『電光超人グリッドマン』の要素を受け継ぐTVアニメ作品『SSSS.GRIDMAN』『SSSS.DYNAZENON』それぞれの続編にしてクロスオーバー作品。響裕太たちグリッドマン同盟が新条アカネを救った後の『SSSS.GRIDMAN』世界に、麻中蓬たち『SSSS.DYNAZENON』らが迷い込む……という、一周回って昨今では珍しい形の王道クロスオーバーとなっている。しかし、本作はそんな「クロスオーバー」の差し込み方が非常に巧かった。

 

本作のメインは『SSSS.GRIDMAN』であり、主人公はグリッドマンが抜けた後の「本物の」響裕太。アカネを救ってから数ヵ月後、2年生となった裕太たちを襲う新たな波乱と青春の物語となっている。 

六花への告白を考えつつも中々踏み出せない裕太と、内海・六花による「グリッドマンを題材にした演劇」の行く末。いっそこれだけで映画をやっても全然2時間行けるよ!! という彼らの甘酸っぱすぎて気が狂いそうになる青春の舞台に、もう現れないハズの非日常――怪獣が現れる。 

そこに駆け付けたのは、かつて共に戦った仲間=グリッドマンと新世紀中学生。しかし、グリッドマンの危機に遅れてやってきた「新人」は、内海や六花も知らない存在で……。

 

all this human 2023

all this human 2023

 

『SSSS.DYNAZENON』のバトルテーマ『all this human』を背に駆け付け、グリッドマンと共闘する新世紀中学生の新人=ダイナレックスことレックス!   

グリッドビームとレックスロアの同時発射といった「これが見れればもう100点」案件を惜しみ無く叩き込んでくれるのは勿論だけれど、嬉しかったのはやはり、ダイナレックスが戦いの中で「なんとかビーームッ!!」「必焼大火炎……レックスロアァァーーーッ!!」と叫んでくれたこと。こんなに暑苦しく名前を叫び、ダイナウイングのビームを夢芽のように「なんとかビーム」と呼称する男なんて、それはもう「あの」ガウマ以外にありえないし、これらの台詞によって『SSSS.DYNAZENON』ファンが一番気になる点=レックスがガウマその人であると明かしてくれることで、グリッドマンとダイナレックスの共闘に憂いなくのめり込ませてくれたのが本当に巧いし、嬉しかった。この瞬間まで、ずっと「ガウマが記憶を失って別人になっている」可能性が捨てきれなくて本当に怖かったんですよ……!!

 

kogalent.hatenablog.com

 

これはこれまでのSSSS.シリーズにもに言えることなのだけれど、本作は視聴者の感情コントロールが異様なまでに上手い。  

冒頭に全く『SSSS.DYNAZENON』を香らせないことで引っ張りに引っ張り、からのダイナレックスドーーーン!!!!ガウマだよ!!!!! とジェットコースターのように猛烈な緩急を付けることで「分かり切っている」GRIDMAN×DYNAZENONのインパクトを最大限に高めたり、前述のように早々にレックス=ガウマ本人だと示すことでその活躍と共闘に気持ちよく没頭させてくれたり……。 

そして、レックスが登場したとなればやはり気になるのが他の『SSSS.DYNAZENON』組。そんなこちらの気持ちに合わせて、ここから堰を切ったように次々とガウマ隊の面々=麻中蓬、南夢芽、山中暦飛鳥川ちせが合流。彼らとレックスの再会も勿体ぶらずに早々と描かれ、中でも「何も言えずに涙を流してしまう蓬の頭を撫でるガウマ」のシーンは演技・演出の全てが情感たっぷりで、こちらも貰い泣きせずにはいられなかった。家庭事情から人に甘えられず育ってしまった蓬にとって、ガウマは良き友人であり、恩人であり、兄貴分でもあり、同時に、唯一甘えることのできる父親のような存在でもあったのかもしれない……と、改めて思わされる一幕だ。

 

 

正直もうここまでの展開でお腹一杯。六花と夢芽などGRIDMAN組とDYNAZENON組の個々の交流も丹念に描かれ、既にして10000000000点満点を叩き出してしまった『グリッドマン ユニバース』。しかし、本作はこの辺りから「ファンの見たいもの」に加えて「誰がそこまで見せろといった」というレベルのシーンを次々に叩き付けてくる。  

学園祭の準備を通して、なんと「なみこ&はっす」をも加えて揃ってしまうSSSSヒロインズ。  

そのシーンで流れる電光超人グリッドマン』の日常BGM「ふたつの勇気インストゥルメンタル」のアレンジ。  

このタイミングで再会を果たしてしまうガウマとひめ。  

そして、再び現れた怪獣=ドムギランに対し (ただ共闘するだけでも大興奮なのに)、なんとお互いの必殺武器=グリッドマンキャリバーとダイナミックキャノンを交換して戦うフルパワーグリッドマンとカイゼルグリッドナイト……!  

この時点で「完璧なファンムービー」から「オッこの映画ちょっとびっくりするくらい凄まじい代物じゃないスかね???????」の片鱗を見せ始めた本作。しかし、このドムギラン戦直後に現れたもう一人のグリッドナイト=少年ナイトと少女2代目によって、本作がもう一つ、別の意味でも「凄まじい」代物であることが明らかになっていく。

 


グリッドマンユニバース』の難解さ

 

少年ナイトと少女2代目。この2人がもう一度見れることがまず非常に嬉しかったのだけれど、そんな喜びも束の間、2代目から事態の真相とこの世界を襲う危機、そしてその元凶が明かされる。 

……正直、ここがもう何がなんやらなのだ。 

このシーン以前でも明かされていた情報も含めて整理すると、下記のようになるだろうか。

 

【新条アカネの世界】

 ↓管理? 生成?

【SSSS.GRIDMANの世界】
 ↓↑ 別の宇宙
【SSSS.DYNAZENONの世界】
 ↑ ガウマたちが転生?

電光超人グリッドマンの世界】

 ↑ ↑ ↑ 別の宇宙だが、各世界に干渉
【ハイパーワールド】

 

前々から疑問視されていた『SSSS.GRIDMAN』世界と『SSSS.DYNAZENON』世界の関係は、本作冒頭においてさらりと『別の宇宙/パラレルワールド』であると明かされる。つまり、グリッドマンシリーズの世界は個々に具体的な繋がりを持っているのではなく、個別に存在している世界だった……という訳だ。  

この辺りも、深く考えてしまうと「ナイトと2代目の成長・移動の時系列がおかしい」「『電光超人グリッドマンの世界』での記憶を持っているガウマがなぜ『SSSS.DYNAZENON』世界にいるのか」……という話になってくるけれど、後者については「ガウマたちの魂がSSSS.DYNAZENON世界に転生した」のように考えればいいだろうし、SSSS.シリーズは多分にメタフィクション要素も孕んでいるので、深く考えるよりも「感じる」方向に舵を切れば特に問題はなかった。 

しかし、問題はその後少女2代目によって語られた内容。  というのも、『SSSS.DYNAZENON』世界は、アカネが怪獣によってツツジ台を作り出したように「グリッドマンから」生まれた世界であり、他にも「グリッドマンから生まれた世界」が複数存在しており、それらが一つになることで世界が終焉に向かっている……のだという。それが蓬たちがツツジ台に迷い込んだ原因であり、つまり世界を崩壊に向かわせている原因はグリッドマンと、グリッドマンを利用する「何者か」なのだとか。

 

……なるほど、分からん……!


いや、正しくは「分かるようで分からない」と言うべきかもしれない。 

なにせ、言いたいことは分かるのだ。そもそもSSSS.シリーズは『電光超人グリッドマン』から生まれたものであるとか、グリッドマンは怪獣と同じ「非日常が形を得たもの」だからとか、フィクサービームのような「世界を修復する力」が世界を作ってもおかしくない……だとか理屈はいくらでも付けられるし、頭の中で整理すればきっと答えが見えるはず! 

そうして、大慌てで脳内を整理し始める。するとなるほど、SSSS.GRIDMANとSSSS.DYNAZENON、2つの世界は綺麗に対称的になって――

 

【現実世界】 

〈新条アカネの世界〉
 ↓ 怪獣により? 生成 

【SSSS.GRIDMANの世界】 

ツツジ台〉
 ↓ 怪獣により生成
裕太たちツツジ台の人間  (レプリコンポイド)

 

【SSSS.DYNAZENONの世界】 

グリッドマン
 ↓
〈フジキヨ台〉
 ↓ グリッドマンが生成?
蓬たちフジキヨ台の人間 (レプリコンポイド?)

 

――なくない?????? 

いや、まあ、強引に解釈はできる。上の『SSSS.DYNAZENON』の図が

 

【現実世界】
グリッドマン〉=グリッドマンというIP
 ↓ 製作陣が生成

【SSSS.DYNAZENONの世界】
〈フジキヨ台〉
 ↓ グリッドマンが生成?
蓬たちフジキヨ台の人間 (レプリコンポイド?)

 

というものなのであれば、こう……かろうじて分からなくもない。『SSSS.GRIDMAN』における「現実のレイヤー」=新条アカネが、『SSSS.DYNAZENON』においてグリッドマンだとするなら、それはきっとグリッドマンを直接的に指すのではなく、グリッドマンをベースにしたという企画=「製作陣」を指す、という考えだ。ここまで思い至って安堵していたら、ここで更に2代目が話をややこしくしてしまう。というのも、「グリッドマンから生まれた世界は無数に存在する」というのだ。 

いや待ってくれ、そうなると、アカネが作り出した『SSSS.GRIDMAN』世界が唯一の例外になるのか……? いやでも、この「グリッドマンから生まれた無数の宇宙」とは「『電光超人グリッドマン』から生まれた派生作品群」を指すのだろうし、そうなると『SSSS.GRIDMAN』も入っていないとおかしい。でも、だとしたらアカネはグリッドマンから生み出されて、いやでもアカネは現実にいて、いやでもあの世界もあくまで『SSSS.GRIDMAN』の一部と言えば一部で………………わ、分からないよぉ!!!!!!!!!

 

などと言っていたら、新条アカネ「ご本人」が出てくるのだからひっくり返ったし、ひっくり返りながら、「考えるのやめた!!!!」とスマイル満開で全てを投げ出した。  

 

 

よく分からない。けれどそれでも100億点

 

これまでのシリーズでも度々登場していた翔直人役・小尾昌也氏のそっくりさんがまさかの「翔直人ご本人」であることが仄めかされるというとんでもないサプライズを受けて、所謂「本作のサプライズ枠」がこれか! と感じていただけに、アカネの登場はホンモノの予想外だった。そして、おそらく製作陣はそこまで折り込み済みだったのだろうと思う。 

そんな巧妙すぎる策には自分もものの見事にやられてしまったし、感涙を越えて口を開けて絶句していた。ら、その矢先にインスタンス・ドミネーション」→アニメの「新条アカネ」まさかの復活である。待ってね!?!? ちょっと休もう!?!?!? 

 

 

怪獣優生思想と同じ (?) 服装で、こちらもまさかの復活・アレクシス・ケリヴに乗り込むアカネ (お前ロボットになったの!? と思ったけど、おそらくアレクシスの内部=インナースペースをアカネが “そう解釈した” からああいった表現になっているのだろう。ウルトラマンのようなインナースペースにしたらアカネがいよいよヒーローになってしまうし、それはアカネ本人としても許し難かったんじゃなかろうか) 。 

もう頭が付いていかない。アカネのインスタンス・ドミネーションやアレクシスの「カオスブリンガー」発言は『SSSS.DYNAZENON』世界だけでなくグリッドマンユニバース全体の相互関係や、ユニバースにおける「怪獣」の概念、あるいは「怪獣優生思想」という存在そのものを知る大きなヒントになるのだろうけれど、そこを深く考察するには、如何せんスクリーンで展開する絵面が熱すぎた。アカネとアレクシスのタッグが最後の希望になる、こんな誰にも予想できなかった最高の「王道」がありますか……!!

 

(本作のアレクシスは、一応味方になるからなのか封印からの解放からすぐにカラーリングが白を基調としたものに変更。トランスフォーマーの『マイクロン伝説』の後半でメインキャラクターの色がガラリと変わったことを思い出してワクワクした……!)

 

グリッドマンユニバースの外、という裕太たちには手出しできない場所にいた事態の元凶=マッドオリジン。いや誰だよ!! と内心叫ばずにはいられなかったけど、どうやら彼は「世界中で怪獣が乱造されたことで生まれた存在であり、グリッドマンを自身の手中に収めようとしている」のだという。よく分からんが何やらメタの塊だってことはよーく分かった!!!!  

本作もそこに深く触れるつもりはないらしく、アカネ/アレクシスはお馴染みTRIGGERパンチでマッドオリジンをグリッドマンユニバースへと叩き込み (TRIGGER作品においてパンチは全てを解決する……!) グリッドマンもまた、仲間たちの描いた「グリッドマン」のイメージを一つにすることで「グリッドマン (universe Fighter) 」として復活を遂げる。なんかこう……分かる! 作品を客観視して「○○は○○だ!」と言いたい古い固定観念=マッドオリジンに対し、人のイメージの数だけヒーローはいる、とか……そういうことなんだよな!! いやゴメン、分からんけどカッコいいからいいや!!!!!

 

 

そして、グリッドマン (universe Fighter) はアレクシスの力で自身の中の宇宙を具現化=「グリッドマンユニバースのあらゆる記録を再現する」ことで、一度は消えたSSSS.DYNAZENON組を召喚、大量のノワールドグマ、そしてマッドオリジン相手に最終決戦を開始する――! と、この辺りはもう『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』と『アベンジャーズ エンドゲーム』をごちゃ混ぜにしてありったけ調味料をかけて豪快に焼き上げたような凄まじいもので、「見たいものが見れた」とか「見れると思ってなかったものも見れた」とか、そんな生易しいものを越えた「見れる可能性があるものを全部やる」という、もはや規格外/別次元のエンターテインメントだった。

 

 

インパーフェクト』も『UNION』も完璧なタイミングて流す。 

グリッドマン、グリッドナイト、アシストウェポンの合体は考え得るパターンを全部やる。 

内海と六花はアノシラス型巨大アーマーを着せた2代目に戦場へ連れていって貰う。 

蓬のインスタンス・ドミネーション含め、最終回限定技もしっかり魅せる。 

最後はちゃんと(?)TRIGGERパンチで〆る。 

アレクシスにはきちんと罰を与えつつ、その上で美味しい役回りを与える。 

成長したアンチ=ナイトがアカネに感謝の言葉を伝える。 

約束通り六花とアカネは再会しない (けれど、『youthful beautiful』を思わせる演出で2人の心が今一度繋がる、というのがあまりに素敵だった……)

 

……途中まで頭を悩ませていたのはどこへやら、「そんなことはどうでもいいや」と、ひたすら感謝を叫ぶ自分がいた。ありがとうグリッドマン!!!!!!ありがとうダイナゼノン!!!!!!!!最高の映画をありがとう!!!!!!!!!!!!

 


『SSSS.DYNAZENON』の完結編として

 

信じられないことに、この映画はたったの2時間しかなかったのだという。たったの2時間しかないのに、体感4時間くらいの内容を詰め込み、両作品のクロスオーバーもファンサービスも全部やっておきながら、本作はきちんと『SSSS.DYNAZENON』と『SSSS.GRIDMAN』の「真の最終回」にもなっていた。

 

ストロボメモリー

ストロボメモリー

 

新世紀中学生の一員として、ハイパーワールドに帰還するガウマ、もといレックスに対し「今度はきちんとお別れができる」と嬉しさを滲ませる蓬。その言葉に虚を突かれたガウマは、もしかすると「大切な誰かときちんとお別れをする」ことそのものが初めてである、ということに気付いたのかもしれない。  

この時点で『SSSS.DYNAZENON』真の最終回としては完璧以上のものだったけれど、だからこそ驚かされたのは、ガウマの元に残った蟹 (蓬への土産として蟹を渡したのは、単に蟹が好きだからか、それともSSSS.DYNAZENONで彼が蓬からカニせんべいを貰ったことへのお返しなんだろうか) の領収書。その裏面には、ビッグクランチの影響で再会したひめからの「いつまで引きずってるんだ」というメッセージが書かれていた。 

ガウマの後を追って自殺したというひめ。彼女がダイナゼノンをガウマに託したのは、きっと「自分がいない世界に蘇っても、ガウマが誰かと縁を結び、幸せに生きていけるように」という願いから……だと自分は思っていたのだけれど、ひめはそこにもう一つ「自分のことを引きずらず、自分自身の幸せの為に生きてほしい」という願いを込めていたのだろう。彼女が「3つ目」をガウマに伝えたのも、もしかすると「 “3つ目” はガウマ自身もひめから知らされておらず、ひめは、ガウマの心残りをなくすべくここで初めて “3つ目” を伝えた」のではないだろうか。そう考えると、ひめがガウマに対し動揺していないのも、彼女が自分を振り切らせるためにわざと「素知らぬ」様子を演じていたからかもしれない。 

きっとそういう強さを持った女性だったからガウマは彼女と将来を誓い合ったのだろうし、一連のメッセージからひめが辛い気持ちを「隠している」ことを読み取れないガウマではないはず。だから、ガウマは彼女のことをこれからも忘れないだろうし、どうしても引きずってはしまうのだろうけれど、それが他ならぬ彼女の願いであるならば、ガウマはきっとひめを忘れるでもなく振り切るでもなく「彼女の願いを受け取り、その願いの為、自分の幸せの為に生きる」という人生を歩み出すのだろう。 

ひめとの再会を果たし、その願いを受け取り、大きく成長した蓬たちを見届けることも叶ったガウマ。本作の出会いと別れを経て、ようやく彼は「ガウマ」ではなく「レックス」として本当の再出発に至ることができたのかもしれない。

 


グリッドマン ユニバース』と『uni-verse』からのメッセージ

 

これらに加えて、蓬と夢芽、裕太と六花で〆ることで『SSSS.GRIDMAN』『SSSS.DYNAZENON』両作品の「心残り」「思い残し」を全て綺麗に回収していった『グリッドマン ユニバース』。その熱い盛り上がりには自分も頭が沸騰しそうなほど湧き立っていたし、最後の「完結編」としてこれまでの心残りが回収されていく姿には文字通り「一片の悔い無し」とでも言うような気持ちにさせられていた。本当に素晴らしいものを見せて貰ったし、一から九まで大満足だった。そう、一から九まで。

 

実のところ、自分はこの時点で本作にまだ涙を流せずにいた。フルパワーグリッドマンとカイゼルグリッドナイトの共闘にも、アカネの再登場にも、アンチからアカネへのお礼にも、ガウマ隊の別れにも。……あ、いやガウマが蓬を撫でるシーンだけは泣いてしまったけど、本当なら、これら全てのシーンが「普段の自分なら号泣しているような」シーンばかりだったのだ。  

では、なぜ泣けなかったのか。それはきっと、自分の中で「この作品を租借できていない」ことが引っ掛かりになっていたからだと思う。 

結局この物語は何だったのか、マッドオリジンとは何者だったのか。グリッドマンユニバースとは何なのか、新条アカネとあのジャンクパソコンは何なのか。Universe Fighterはどういった理屈で生まれたのか。そして何より、この作品が伝えたかったメッセージとは何だったのか。 

本作の脚本は、SSSS.シリーズは勿論ウルトラシリーズなどでも多くの名作を作り上げてきた長谷川圭一氏。これらの「分からなかった」ことに理屈がないとは到底思えないし、事実、本作にはこれまでのSSSS.シリーズの穴を回収する要素が数多く仕込まれていたように思う。 

例えば、本放送時から気になっていたのが『SSSS.DYNAZENON』第10話における夢芽と香乃の再会。

 

 

2人の再会した空間は、一見すると「過去の記憶の世界」のようであった。展開としては「夢芽が香乃からようやく事の真相を聞かされる」ものなのだけれど、しかし、それが夢芽自身の記憶や深層意識の作る世界なのであれば、香乃の語った真実も「夢芽がそう思っていたことが香乃の姿で再生されただけであり、真実とは限らないのでは」と思えてしまうし、それが少しばかり「解決」としては引っ掛かっていた。 

このシーンについては「香乃から聞くという形を取ることで、夢芽が自分の推測に納得しようとした」のだろうと自分なりに解釈して落とし込んでいた……のだけれど、そこからの『グリッドマン ユニバース』である。同話での「夢芽の元へ行こうとする蓬」の描写が、本作の「裕太に接触しようとする少年ナイト」の描写とそっくりだったのだ。 

このことを踏まえると、『SSSS.DYNAZENON』第10話で夢芽たちが飛ばされた世界は “自身の記憶の世界” ではなく、自身の記憶にごく近い “平行世界” ないし “別の宇宙” だったのではないかと考えられるし、ひょっとすると、件の少年ナイトの描写は「自分と似た受け取り方をした人が多く、その勘違いを是正するために挿入された演出」なのではないか、と思えてしまう。……流石に考えすぎだろうか。


他にも、前述の「アカネによるインスタンス・ドミネーション」など、本作には考えれば考えるほどSSSS.シリーズの穴を回収する手がかりになりそうな要素が満載。だからこそ、本作において自分が「分からなかった」部分が多かったのは、製作陣がそれについて考えていないのではなく、シンプルに自分の頭が「作品についていけなかった」からだと思えてならなかった。 

自分の頭の悪さのせいで、この最高の作品を楽しみきれなかったこと。それが心底悔しかったし、同時に気になってしょうがなかった。この作品が何を言いたかったのか、素晴らしい作品だからこそちゃんと受け取りたかった――と、スタッフロールに入ってからしばらくの間悔しがっていた自分は、ED主題歌『uni-verse』のある歌詞を聴いてハッとさせられた。

 

その設定は無理があるとか
いまいちリアリティに欠けるとか
いや実際問題怪獣なんて出ない方がいいけど
夢みたいなことばかり起こってしまう物語
疑いようのない空想という名のビッグバン

 

作中でも、内海・六花の作る演劇『グリッドマン物語』に対して散々言及されていた「その設定は無理がある」「いまいちリアリティに欠ける」という言葉。それを歌詞に乗せて歌い上げる『uni-verse』は、まるで自分に「あくまでこれは創作なんだ、細かいことは分からなかったかもしれないけど、夢みたいに楽しかっただろ?」と、そう言われた思いだったし、自分はその問いかけに全力で頷いていた。自分が「分からなかった」ことについて、作品の方から「無理して分からなくてもいい」と言われたのだから、残る感想は「楽しかった!!!!!最高でした!!!!!!!」に尽きるのだ。

 

UNION

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  • OxT
  • アニメ
  • ¥255

 

思えば、SSSS.シリーズは2作品とも「フィクション」を全力で作りつつ、その「フィクションと現実の関係」を意識的・自覚的に描いてきた作品だった。 

『SSSS.GRIDMAN』では、「虚構の産物」であった六花たちとアカネの交流を通して。『SSSS.DYNAZENON』では、ダイナゼノンという非日常で得た繋がりで成長していくガウマ隊と、「怪獣」という非日常で他者を傷付け、拒む怪獣優生思想との対比を通して。どちらの作品も「フィクションに力を貰って過酷な現実に向き合う」という在り方を、優しく/力強く肯定する物語だったSSSS.シリーズ。そんなシリーズの現状の集大成と言える本作は、そのあまりにも重厚かつ絶品なフルコースを持ってして、「細かいことは分からなかったかもしれないけど、楽しかっただろ?」と言ってみせた。『SSSS.GRIDMAN』ではアカネが、『SSSS.DYNAZENON』ではガウマ隊がフィクションに力を貰っていたけれど、本作『グリッドマン ユニバース』が手を差し伸べたのは作中の誰かではなく、本作を見ている「私たち」。本作が前2作に比べメタフィクション性を強めていたのは、この作品の中に私たちを組み込むため=グリッドマン ユニバース』とは、これまでずっと画面の向こうだったグリッドマンたちが、満を持して「私たち」を退屈から救いに来てくれる=「次は君たちが立ち上がる番」だと胸を叩いてくれる、そんな物語だったのではないだろうか。  

だからこそ、本作は設定の説明は最低限に、あくまで「最高の画作り」に終始してみせた。言い替えれば、本作の難解な設定は全て「最高の画」を作るために用意されたものであり、だからこそ「知りたい人は何度も見て考察してくれればいい」というものでしかなく、作品としての本懐は、お出しされた「最高の画」を楽しむことにある。そこを楽しめれば、それはこの作品を堂々と「楽しめた」ということ。自分は『uni-verse』を聴いてそのことに気付き、そこでこれまで溜まっていたものが溢れ出したかのように涙が溢れてしまっていた。この作品の設定や背景が分からなくても、自分はこの作品を「良かった」と言って良かったのだ。

 

 

最後のサプライズと、製作陣の “愛”

 

しかし、だ。自分が「涙を必死に堪えなければならない」程涙してしまったのはその直後、『uni-verse』が終わった後も続くエンドロールを不審に思っていたその瞬間に「あの歌」が流れ出したこと。

 

もっと君を知れば

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それは『電光超人グリッドマン』のED主題歌『もっと君を知れば』のインストゥルメンタル。  

『SSSS.GRIDMAN』最終回の六花・アカネの別れなどでも印象的に使われていたこの劇伴が本作の「エンドロール」で使われるということは、それ自体が何よりも『グリッドマン ユニバース』があくまで「グリッドマンをリスペクトした作品」であることを叫んでいたし、前述の「その設定は無理がある」「いまいちリアリティに欠ける」といったツッコミに対する「細かいことを気にしすぎず楽しもう」という回答は、ひょっとするとスタッフによる『電光超人グリッドマン』へのラブコールなのでは、と思うのだ。

 

 

自分は『電光超人グリッドマン』放送後に生まれたため、当然リアルタイムで同作品を追いかけた訳ではない。小さい頃、なぜか自宅にVHSが1巻だけあり(第2話の「現実世界に出て行こうとするバモラと、それを食い止めようと奮戦するグリッドマン」の戦いをやたらと気に入っていた)、本編を最後まで通しで見たのはそれから10年ほど経った中学生の頃。しかし、その年齢+2010年前後の時代で見ると、『電光超人グリッドマン』はどうしても「ツッコミどころが目立つ」作品でもあった。  

よく槍玉に挙げられる話だが、やはり大きいのは同作の「コンピューターワールド」に絡む設定。特に「カーンデジファーの企みによって巻き起こる怪獣災害」の描写は、「病院のコンピューターがハッキングされたことでメスや鉗子が空中に浮く」「ミイラの保管器具の管理パソコンがハッキングされたことでミイラが復活する」など、コメディ色が強くなる前の作品序盤からかなりぶっ飛んだ描写になっており、当時パソコンが一般社会にあまり普及していなかった=「こういった分かりやすい事象にしないと話が成立しなかった」という背景を鑑みても、まさに「その設定は無理がある」「いまいちリアリティに欠ける」と言われても仕方のないものだったように思う。  

……しかし、そのような設定だからこそ『グリッドマン』という作品には夢があった。

 

古いパソコンに宿った「ぼくたちだけのヒーロー」グリッドマンというロマン溢れる設定。 

そんなグリッドマンを、一平たち「特別な力を持たない」一般人の少年少女が支えて戦い、彼らと戦うカーンデジファーは逆に一般人である藤堂武史を利用している……という等身大ヒーロードラマとしての魅力。 

怪獣が現実世界に現れるのではなく「コンピューターワールドを荒らすことで現実世界でトラブルが発生する」というスケール感だからこそ、直人たち文字通りの「少年少女たち」が主人公として奔走できる世界観。 

「実体を持たないエネルギー体がプログラムの身体を与えられた」というヒーローだからこそ、同じプログラムであるアシストウェポンと合体し、ロボットのように次々と進化を遂げていくグリッドマンの圧倒的なケレン味

 

……こうして振り返ってみると、『電光超人グリッドマン』という作品がなぜ当時苦戦したのかも、同時になぜ当時から根強いファンも持っているのかもハッキリしているように思うし、SSSS.シリーズとは「早すぎた名作」と言われたグリッドマンを現代に蘇らせただけでなく、これら『グリッドマン』に込められていた数々の「夢」を、当時の少年たちが受けた衝撃ごと我々に伝えてくれるものであるようにも思えるのだ。  

もし、『グリッドマン』という作品が「設定は無理がある」から、「いまいちリアリティに欠ける」から、と切り捨てられ、忘れ去られてしまっていたら、この『グリッドマン ユニバース』という素晴らしい作品が出来上がることはなかった……。そのこと=フィクションにおけるロマンの大切さを、グリッドマンを愛したスタッフたちが「グリッドマン」そのものを題材に証明してみせることで送る原作へのラブコール。それがこの『グリッドマン ユニバース』であり、エンドロールで流れる『もっと君を知れば』は、そんなスタッフの滾る愛情とリスペクト、ないし感謝の現れなのではないだろうか。

 

uni-verse

uni-verse

 

自分がこの作品を鑑賞したのは、公開初日の2023年3月24日。この日は、本作の公開初日というめでたい日であると同時に、グリッドマンシリーズとも縁のある「ウルトラマンシリーズ」のとある主演俳優が亡くなられたことが発表された日でもあり、同シリーズのファンである自分はものの見事に仕事が手につかなくなり、急遽休みを取って会社を抜け出さなければならないような精神状態だった。こんな状況で『グリッドマン ユニバース』を楽しめるのか、と、激しく不安だった。 

しかし、自分はこの『グリッドマン ユニバース』を楽しめなかったどころか、むしろ大きく救われたように思う。

 

 

それは、単純に『グリッドマン ユニバース』が見せてくれるどこまでも熱く豪華な数々のクロスオーバーや美しい「エピローグ」ぶりに心を打たれたから……というのは勿論だけれど、何もそれだけじゃない。

 

人間、悪いことが起こると悪いことしか見えなくなるものだ。好きな人に「恋人ができたらしい」という噂が立つと、その真偽を確かめるまでもなく「終わった」と絶望してしまうように。 

けれど、世の中はそんな狭い視野で全てを図れるほど簡単じゃないのだ。「自分の物語なんてない」と感じていた裕太に、その実六花の方も惹かれ始めていたように。この『グリッドマン ユニバース』が、私たちシリーズファンが想像することさえできなかった「空想という名のビッグバン」を見せてくれたように。 

「確かに、世の中には悲しいことも辛いこともたくさんあるけれど、一方では君の想像できない “素敵なこと” も広がっている。可能性に満ちたユニバースとは、決して虚構だけを指す言葉ではない」……と、『グリッドマン ユニバース』とは、私たちをそう力強く励ましてくれる作品だった。そんなこの作品の眩しさにたくさんの元気を貰ったからこそ、自分は前述のショックから立ち直ることができたのだろうと思う。

 

この作品は、グリッドマンやSSSS.シリーズのファンに向けられたものではあるけれど、それ以上に (『SSSS.GRIDMAN』や『SSSS.DYNAZENON』同様) フィクションに力を貰うことを肯定してくれる優しい物語でもあり、途方もない熱量で心を滾らせ、無限の元気をくれるヒロイックムービーでもある。 

この点において、本作は決して「閉じきった」作品ではないだろうし、そもそも、今こうして10000字越えのテキストを書いている私自身、これまで述べてきたように本作のことをろくに理解できていないのだ。だからこそ『グリッドマン』シリーズのファンでない方々にも、特撮に縁がなかった方々にも、是非本作からたくさんの元気を貰ってほしい。そして、願わくばこの作品が空前のヒットを飛ばし、これまで以上にたくさんの人と「バトル、ゴーーッ!」と吠え、「アクセス……フラーーッシュ!」と叫べる、そんな日が来ることを祈っていたい。