総括感想『戦姫絶唱シンフォギアAXZ』アンバランスな「大器晩成型」作品に灯された、錬金術師たちの誇りと魂

時に2016年2月28日。かつての雪辱を晴らし、遂に辿り着いた『戦姫絶唱シンフォギアGX』のライブ=『シンフォギアライブ2016』の会場で告げられたまさかの発表に、会場と自分は大いに沸き立っていた。 

 

そう、発表されたのは『シンフォギア』新作TVアニメ、第4期&第5期の製作発表。そんなことある……?????

 

2シーズン同時製作という報せは、何より『シンフォギア』というコンテンツが大いに盛り上がっている証左であったし、単純に最低でも2クール分の新作が確定したことが嬉しかった。 

しかし、いざTVアニメ第4期=『戦姫絶唱シンフォギアAXZ』が始まると、自分はその物語を楽しむどころか、どこか「置いてけぼり」を食らうような気分になってしまい、悲しいことに最後までその物語に乗れることはなかった。シンフォギアを見た後に残ったのが「虚しさ」だった経験は、後にも先にもこの一度きりだったと思う。

 

それから5年、なんだかんだで通算3周視聴したことで、どうにか正面から向き合えるようになった『AXZ』。シンフォギアが10周年、そして本作が5周年を迎える今だからこそ、本作がどのような作品だったのか、その魅力や欠点に正面から向き合っていきたい。

 

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(前々作『G』と前作『GX』の記事はこちらから、『第1期』の記事は、カテゴリータグなどからどうぞ!)

 


※以下には『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズのネタバレが含まれます。ご注意ください!※

 

 


戦姫絶唱シンフォギアAXZ』は、2015年の夏期アニメとして放送された『戦姫絶唱シンフォギアGX』の放送開始からちょうど2年後、2017年7月から全13話が放送されたTVアニメ作品。   

その舞台は前作『GX』の数ヵ月後、響の誕生日を間近に控えた秋。キャロルと同じ「錬金術師」を相手に戦う直系の続編作品で、シリーズでは唯一、前作からシンフォギアのデザインが変更されないという変わった特徴があったりする。 

(その理由は特に明言されたりはしないが、作中終盤の展開を見ると何となく察することができる)

 

そんな『GX』の要素を色濃く持っている『AXZ』だが、肝心のその中身はというと、『GX』が打ち立てたバトルアニメとしての要素に『第1期』『G』で描かれた連続ドラマ的な要素を再投入した結果、それが非常にチグハグな形で合体し「極めてアンバランスな作品」になってしまっていたように思う。 

なぜ本作がそのように「アンバランス」だったのか、そんなアンバランスな本作の魅力とは何なのか。順を追って、その短所と長所を検証してみたい。

 

 

シンフォギアAXZ』の主軸となるのは、新たに立ちはだかる3人の錬金術師――そして、彼女たちが所属する秘密結社「パヴァリア光明結社」との戦いだ。 

このパヴァリア光明結社は「欧州に端を発する、錬金術士たちが集う組織」であり、古来より裏歴史に暗躍し、フィーネとも争っていたばかりか『G』や『GX』の事件にも深く関与していた……という、まさにシンフォギア装者たちの宿敵とも呼べる存在。しかし、このパヴァリア光明結社の描かれ方が本作においては非常に大きな問題点となっている。

 

 

まず第一に、本作は前述のように「パヴァリア光明結社」という一大組織との戦いが描かれる作品である……のだが、その実戦う相手はたったの5人。結社の幹部3人と統制局長、その付き人 (?) という、所謂「組織のボス格」としか戦わないのである。

 

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引用:「戦姫絶唱シンフォギアXV」放送直前企画!<おさらいシンフォギア>- 戦姫絶唱シンフォギアXV 公式ホームページ  

 

中でも本作のライバル枠となるのが、左からサンジェルマン (CV.寿 美菜子) 、プレラーティ (CV.日高 里菜) カリオストロ (CV.蒼井 翔太) の3人。 

彼女たち3人の目的は、月遺跡によってコントロールされ、人類の相互理解を妨げる「バラルの呪詛」を解き放ち、相互理解による永久の平和をもたらすこと。そのために結社の一員として、時に非道な手段を持って「生贄」を集めており、カリオストロ曰く「ちょっと変わった正義の味方」なのだという。 

……ん? 「響たちとは相容れない正義を持った、3人組のライバル枠」……?

 

 

か、被ってる……!! 

そう、このパヴァリア光明結社の幹部3人 (パヴァリア組) の最も大きな問題点は、限りなくF.I.S.時代のマリア、調、切歌と似ていること。 

ちょっと待て待て待ちなさい、マリアたちはたった5人の独立軍、対するパヴァリア光明結社は世界を股にかける一大組織。似ているだなんてそんなそんな……と思われるかもしれないが、前述の通り、響たちと戦う=本編に顔を出すのはサンジェルマン、プレラーティ、カリオストロ、そして統制局長のアダム・ヴァイスハウプト (CV.三木 眞一郎) 、オートスコアラーのティキ (CV.木野 日菜) の合計5人であり、他の幹部はおろか、モブの構成員さえも最終回のワンカットくらいでしか画面に現れない。結果、このパヴァリア組はその規模に反してF.I.S.とそっくりな雰囲気を醸し出してしまっているのである。 

(ちなみに、「歯を食い縛って非道を行う優しい女性リーダー」「物静か×お調子者のコンビ」「白い服を着た横暴な大人」……と、この2組織はその構成メンバーのキャラクター性までもが非常に似ている。そりゃあ印象も被るよ……)

 

では、そんなF.I.S.組同様にパヴァリア組の3人も魅力的だったか? と言われると、個人的には手放しに「魅力的だった!」というのは少々躊躇ってしまうのが本音。なにせこの3人、何もかもが説明不足の塊なのだ。


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引用:ストーリー - 戦姫絶唱シンフォギアAXZ 公式ホームページ  

 

第1の説明不足は、そもそも彼女たちの目的=「バラルの呪詛の解除」が何をもたらすのかがよく分からないこと。 

 

上記リンク先の用語解説にある通り、言ってしまえばバラルの呪詛とは「統一言語を剥奪するシステム」。しかし、根本的な問題として、「統一言語」の存在によって何がどう変わるのかが分からない=「統一言語」を取り戻すことによって、彼女たちの言うように本当に平和が訪れるのか分からず、結果「生贄を集め、顕現させた神の力でバラルの呪詛を解除しようとする」というサンジェルマンたちに感情移入ができない。手段の非道さは分かるが目的の正当性が分からないので、彼女たちが正義なのか悪なのか、見ているこちらには何とも判断ができないのである。 

この点において、F.I.S.は見事なまでに対照的で、彼女たちの場合はその最終目的が「月の落下阻止」だとはっきりしていた。手段こそ終盤まで秘匿されていたが、目的は間違いなく「正当」なものだったため、「月の落下を阻止する手立てがないが、非道な行いを黙ってみていられない」響たちVS「月の落下を阻止するために、非道な手段を厭わない」F.I.S.という「正義VS正義」の図式が成立していたのである。


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引用:「戦姫絶唱シンフォギアXV」放送直前企画!<おさらいシンフォギア>- 戦姫絶唱シンフォギアXV 公式ホームページ  

 

第2の説明不足は「パヴァリア組のキャラクター性」について。つまりは、彼女たちについて「キャラクター性に見合うだけの掘り下げがない」ことだ。


F.I.S.の面々が作品全体で非常に丁寧に掘り下げられていたことはもはや言うまでもない(詳細は冒頭記載の『シンフォギアG』記事を参照) が、一方のパヴァリア組は……というより、プレラーティとカリオストロは各々の掘り下げがあまりにも足りていない。
サンジェルマンについては (響と信念をぶつけ合う都合もあってか) その過去や信条が度々描写されていたが、残る2人=プレラーティとカリオストロについては「男性から女性に肉体を変化させた」という衝撃的な設定の割に、その背景は「以前はろくでもない生活を送っていたが、サンジェルマンの信念に共感し、共に歩むことを決めた」ということ以外何も語られない。なぜ女性の肉体が完全とされ、その身体になることが必要だったのか(アダムは男性型なのに)、2人は人生を捧げるほどの何をサンジェルマンに見たのか、錬金術師とは縁もなかった2人が、なぜサンジェルマンに認められ、パヴァリアの幹部にまで至ったのか……これら全てが特に語られないため、2人にもやはり感情移入することができないのだ。 

この原因はやはりというか何というか「尺不足」に尽きるのだろうけれど、同じ状況 (装者6人を描く都合上、敵方に割ける尺が少ない) だった『GX』においては、ガリィたち4人が「その背景を掘り下げる必要性が薄い」オートスコアラーとして設定され、そのおかげで描写不足を感じさせなかった……という見事な解決策が提示されていたため、尺不足を言い訳にすることはできないし、結果的に彼女たち3人は「F.I.S.と似ているが、彼女たちほど共感を呼べない」という些か不遇なキャラクターになってしまい、そのことが『AXZ』の作品としての個性を薄めてしまっていたとも言えるだろう。


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引用:ストーリー - 戦姫絶唱シンフォギアAXZ 公式ホームページ  

 

このように、その濃いキャラクター性に反して描写が少なく、(感情移入が前提となるストーリー構成であるにも関わらず) いまいち共感できないキャラクターになってしまっていたパヴァリア組の3人。しかし、本作の問題点は彼女たちだけでなく、響たちシンフォギア装者側にも散見されている。

 

 

本作の主軸は前述の通りパヴァリア光明結社との戦いであるが、それと同時進行していく2つの縦軸がある。「新たなLINKERの生成」と「クリスの過去を巡る物語」だ。

 

まずLINKERについて。これは、マリア、調、切歌の3人=LINKERで適合係数を引き上げなければギアを纏えない3人のための新たなLINKERを、エルフナインが生み出すという物語……なのだけれど、率直な感想が「まだできてなかったの!?」だった。  

LINKERを作れるのは、櫻井理論の提唱者=櫻井了子、そしてその理論を一定量ものにしていたウェル博士の2人だけ。しかし、前作『GX』終盤でそのウェル博士からLINKER生成に関わるメモリーチップが託されたため、新たなLINKERの生成は時間の問題……だと思っていたし、そもそもマリアや調、切歌が薬で戦うのは正直見ていていたたまれないため、いっそ脱LINKERの上で各々の聖遺物にちゃんと適合してほしかった。 

しかし、いざ『AXZ』本編を見てみると、新たなLINKERが生まれていないどころか、その目処さえ立っていないという始末。ウェルさえ修復できなかったアガートラームを何の苦労もなく修復したエルフナインが、そこまでLINKERの生成に時間がかかるの……? 

本作中盤で「LINKERを作用させるべき部位は、人の“愛”を司る脳領域」だったと明かされたことで、エルフナインがここまでLINKER生成に難航した理由は「彼女が人間の世俗・感情に疎いから」と辻褄はどうにか合うのだけれど、だとしても、シンフォギアの修復が一瞬で終わるのに対し、LINKERの生成が『AXZ』6話分もかかってしまうというのは、どうにも「製作上の都合」を感じてしまい、物語に乗り切れない大きな原因となっていた。 

(しかもその過程で、マリアはウェルがLINKER生成のために残した遺言=大きなヒントをほぼ忘れていたことが発覚。これはポンコツの謗りを免れないぞマリア……)

 

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そんな「LINKERの生成」と同時進行していくもう一つの縦軸。それが「クリスの過去を巡る問題」なのだけれど、これまたどうにも手放しには褒められない仕上がりになっていた。

 

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引用:「戦姫絶唱シンフォギアXV」放送直前企画!<おさらいシンフォギア>- 戦姫絶唱シンフォギアXV 公式ホームページ  

 

クリスがかつて両親と共にバルベルデを訪れた際に友人となった少女=ソーニャ・ヴィレーナ (CV.藤原 夏海) と、その弟=ステファン・ヴィレーナ (CV.泊 明日菜) 。この2人とクリスを巡る物語が本作序盤~中盤に描かれるのだけれど、この一連も大きな問題を抱えている。 

一つは、これがあまりにも露骨な「クリスの優遇」であること。

 

GUN BULLET XXX

GUN BULLET XXX

 

『第1期』『G』『GX』と、これまでのシリーズでは、メインキャラクターたちは基本的に分け隔てなく描かれ、シンフォギアを纏わない未来の出番が少なかったり、逆に主人公格の響、マリアの出番が多かったり……といった差はあれど、それらはどれも作劇上の必然と言えるものだった。しかし『AXZ』では、明らかに「必然」ではないキャラクター格差が生まれている。そんな本作の物語を各装者ごとに振り返ると、下記のようになる。

 

響=終盤でメインになる 

翼=風鳴訃堂 (CV.麦人) との対立などがあるが、本作では回収されずに終わる。 

クリス=序盤~中盤のメイン 

マリア=序盤~中盤のメイン 

調=EPISODE 9『碧いうさぎ』のメイン 

切歌=EPISODE 10『アン・ティキ・ティラ』のメインだが、尺があまり割かれない

 

……と、かなり露骨な差が生まれており、特に翼はメインとなるエピソードがEPISODE 9『碧いうさぎ』しかなく、しかもそのエピソードの主役は翼というより調なので、実質的に彼女の主役回がないというかなり悲惨なことになっている。 

本作の時点で「後に訃堂とのくだりでメインとなる」ことは容易に想像できるものの、それにしたってこの扱いは主役級キャラクターのそれではなく、Blu-rayのCMで翼が待遇の改善を申し入れているシーンも笑い事で済ませられないし、むしろ自覚的なだけタチが悪いとも言えるだろう。 

(切歌も本作では影が薄い方だが、EPISODE 10で大見せ場があるほか、LINKERのくだりにおいてそもそもF.I.S.組3人の出番が多いため、翼ほどは気にならない)

 

響は主人公なので終盤のメインを張るのも当然として、残る問題はクリス・マリアの出番が多いこと。しかし、マリアが主役となるパート=「LINKER生成」のくだりについては、前作から引き継いだ内容ということもあって「作劇上の必然」があるもの。しかし、一方でクリスのバルベルデ問題は完全に無から生えてきたもの。裏設定が存在していたかどうかさえ怪しく、おそらくクリスの人気を踏まえ、彼女をピックアップするために生やされた一連だと見るのが妥当だろう。 

勿論、キャラクターの人気で格差が生まれてしまうのは多少は仕方のないこと。問題は、そのような「優遇」が、そういった背景事情を感じさせないような「必然」になっていること。クリスがステファンを助けるためにその足を撃ってしまうという悲劇が、ゆくゆくはパヴァリア光明結社や他の装者たちをも巻き込んだ大きなうねりに――


――ならないのである。

 

 

クリスとバルベルデ姉弟の一連。その真の問題点は、露骨な後付けであることでも、クリスの優遇ぶりでもなく、シンプルに「物語の縦軸として浮きすぎている」こと。 

クリスがステファンを撃ったことはパヴァリア光明結社との戦いにも他の装者にも全く影響せず、最初から最後まで「クリス個人の問題」として終わってしまう。EPISODE 2からEPISODE 8まで引きずり続け、しかもその間ずっとクリスは曇り続けているというのに、なんとこのくだりは『AXZ』から引っこ抜いたとしても物語に何の影響も出さないのだ。エンディングテーマの『Futurism』の映像はどう見てもこの問題やクリスの過去にスポットを当てているのに。

 

しかも、この問題の帰結として提示されるのは「過去は変えられなくても、未来は変えることができる」というメッセージ。それ自体は非常に意味のあるメッセージだが、こと『シンフォギア』シリーズ……しかもクリスにおいては、過去何度も問いかけられたものではなかったか。 

特に『G』後半では、クリスが「かつての自分の罪」に悩み、翼の協力でそれを払拭、最終決戦ではソロモンの杖と共に罪を償うという感動的なシーンが描かれていた。その上でこの展開を描くのは悪い意味での天丼……どころか、当のクリスに「まだそのことを理解していなかった」上に「G、GX、AXZと毎回悩んでいる」という余計な設定を付与してしまい、結果的に「彼女を優遇するはずが逆に株を下げている」という本末転倒に陥っている。この有様を見ると、むしろ、不遇だったがちゃんとEPISODE 9 (や12) で良い見せ場があった翼の方が幸せだったのかもしれない……とさえ思えてしまう。

 

月下美刃

月下美刃

 

このように、次から次へと問題点が出てくる『AXZ』。あまり問題点ばかり取り上げるものではないけれど、最後に一つ言及しておきたいのが、本作の「日本語がよく分からない」現象について。 

細かい説明の前に、まずは下記の「錬金術師たちに対抗する術を見付けた」エルフナインの台詞を見て頂きたい。

「これは……?」
「以前ガングニールと融合し、謂わば生体核融合炉と化していた響さんより錬成されたガーベッジです」
「あぁ~! あの時のカサブタ!?」
「とはいえ、あの物質にさしたる力はなかったと聞いていたが……」
「世界を一つの大きな命に見立てて作られた賢者の石に対して、このガーベッジは響さんという一人の小さな命より生み出されています。つまりその成り立ちは正反対と言えます。今回立案するシンフォギア強化計画では、ガーベッジが備える真逆の特性をぶつけることで、賢者の石を相殺する狙いがあります」

『G』において、ガングニールの融合によって身体が金属化していた響から零れた「カサブタ」。それこそが事態を打開する切り札になる……という、この時点で奇妙な展開ではあるのだけれど、もっと分からないのは説明されたロジック。「一人の小さな命より生み出されたもの」が賢者の石の正反対の性質を持つというなら、それは髪の毛でもなんでも当てはまってしまわないだろうか……と、『AXZ』ではこのような「日本語の会話のはずなのに、その意味がとんちんかんで理解できない」シーン、つまり「作中での納得や理解が、視聴者を置き去りにする」場面が非常に多く、視聴者の感情移入を著しく妨げてしまっている。

 

更に、このような「視聴者を置き去りにした日本語」は、上記のような会話に留まらず、キャラクターたちの台詞それ自体にも散見されるようになり、特に響がその影響を色濃く受けてしまっている。 

例えば、EPISODE 2『ラストリゾート』ラストシーンのこの台詞。プレラーティとカリオストロが使役する無敵の怪物=ヨナルデパズトーリを、響が拳で粉砕してみせたシーンでのやり取りだ。

「うおおぉぉぉぉーーーーッ!!」
「ふ、効かないワケだ」
「それでも、無理を貫けば!」
「道理なんてぶち抜けるデース!」
「どういうワケだ……!?」
「もぉ~! 無敵はどこ行ったのよぉ!」
「だけど私は……ここにいる!!」

調と切歌の「それでも、無理を貫けば!」「道理なんてぶち抜けるデース!」は、これまでのシリーズでも見られた「ちょっと癖の強い日本語」だが、分からないのは響の最後の台詞。「だけど私は……ここにいる!!」の「だけど」がおそらくどこにも繋がっておらず、日本語として文字通り破綻してしまっているのである。 

『AXZ』は、新キャラクターのアダムは (新キャラクターなので) 良いとしても、響のような既存キャラクターがこのように破綻した日本語を口にするシーンがあまりにも多い。日本語としてギリギリ成立するからこそ旨味になっていた独特の台詞回しも、このように破綻してしまったら、視聴者としては感情移入が阻害……というか、そもそも作中の会話にさえ付いていけなくなってしまう。ここまでくると、それは作品の「味」ではなく、明確な「欠点」になってしまうのではないだろうか。 

(同様の理由で、本作はサブタイトルも難解なものが並び、EPISODE 12の『AXZ』さえその意味がよく分からないという、かなり致命的な事態に至ってしまっている。創作作品の在り方を考えさせられる、興味深い事例と言えるかもしれない)

 

負けない愛が拳にある

負けない愛が拳にある

 

このように、いくらなんでも目に余る欠点があまりに多い『AXZ』。欠点の多さといえば前作『GX』もそうだったけれど、同作はその欠点を補って余りあるほどの爆発的な熱量が随所に存在しており、そのおかげで欠点を±0……ないしプラスに持っていくことができていた。 

一方『AXZ』にはそこまでの「独自の魅力」があったのか……と考えると、それは個々の好き好みによるところも大きいだろうけれど、胸を張って「本作独自の魅力」と言えるものが名ユニゾン曲の数々だろう。

 

 

シンフォギアAXZ』そして「ユニゾン」……というこの2つの単語を見ると、真っ先に想像してしまうのはこちらのシーン。 

 

EPISODE 1『バルベルデ地獄変』において、藤尭とあおいの窮地に駆け付ける (涙が出るほどカッコいい) マリア・調・切歌! しかも流れる歌=『旋律ソロリティ』は、響たちの『RADIANT FORCE』や『激唱インフィニティ』に相当する3人の絆の歌。前作の『「ありがとう」を唄いながら』が普段の『シンフォギア』と毛色の違う特殊な歌だったため、この『旋律ソロリティ』は、文字通り待ちに待った「3人の絆の歌」だった。 

しかし、なんとこの『旋律ソロリティ』を初めとする合唱タイプの歌は、なんと本作で定義された「ユニゾン」には該当しないのだという。

 

激唱インフィニティ

激唱インフィニティ

 

一見するとこれまでのシリーズでも出ていたようで、その実おそらく『AXZ』が初出となる概念=「ユニゾン」。詳細は下記リンクを参照されたいが、厳密には『始まりの歌』や『RADIANT FORCE』といった楽曲群は「フォニックゲインの共鳴現象」であり、厳密にはユニゾンとは似て非なるものだったのだ。 

 

そんな中、明確な「ユニゾン」と定義されたのが、これまで毎シリーズで歌われてきた調×切歌のデュエット曲。このユニゾンこそ、イグナイトモジュールが泣き所となる対錬金術師戦の切り札になると判断した弦十郎は、各装者に「誰とのコンビネーションでもユニゾンを発動できるように」という特訓を課し、その結果、各錬金術師との決戦の中で3つの「新たなユニゾン」が披露されることとなった。

 

Change the Future

Change the Future

クリス×マリアのユニゾン『Change the Future』。クリスが『Stand up! Ready!!』を、マリアが『GUN BULLET XXX』の歌詞をそれぞれ歌うという粋な歌詞に加えて、世界に敵対した過去を持つ2人が「未来を変える」と叫ぶ……と、ほぼ関わりがなかった2人に想定外の親和性があったことを教えてくれる名曲だ。惜しむらくは、尺の問題や、この歌がサプライズで披露される都合から「クリス×マリア」の掘り下げがあまりなかったことだろうか。

 

風月ノ疾双

風月ノ疾双

翼×調という、これまたほぼ関わりのなかった2人によるユニゾン『風月ノ疾双』。調の歌をベースに翼のエッセンス=和楽器が加えられた結果生まれた非常に美しいメロディを、よりによって水樹 奈々×南條 愛乃という究極のアニソンシンガータッグが歌うという、ユニゾンの中でも特に話題性の高い一曲。 

また、この歌が披露されたEPISODE 9『碧いうさぎ』は、これまでなかった「調の出自に迫る、彼女の単独エピソード」であり、その中で「心に壁を作っていた」経験を持つ翼が調と絆を結ぶという非常に完成度の高い一編。このエピソードもあって、殊更に印象深いユニゾン曲だ。

 

必愛デュオシャウト

必愛デュオシャウト

響の「コーラスが映えるヒーローソング」に、切歌の印象的なメロディラインを加えるという、本作特有の「2人の歌を融合する」というコンセプトで作られたユニゾン曲の中では最も高い完成度を誇る歌=必愛デュオシャウト。 

しかし、この歌が披露されたEPISODE 10『アン・ティキ・ティラ』は「響と切歌のエピソード」というより、「響」のエピソードと「切歌」のエピソードを同時に行うかのような内容であり、最後の大見せ場も切歌の絶唱に持っていかれてしまったため、その完成度に反して印象が薄いという不遇のユニゾン曲とも言えるだろう。

 

 

前作『GX』よろしく「各エピソードで一人ずつ錬金術士を倒していく」という展開になってしまったものの、これらのユニゾンの魅力でブーストをかけたかのように、この終盤からむしろ盛り返していくのも『AXZ』の魅力。

 

 

遂にサンジェルマンと響が共闘し、響の新曲『花咲く勇気』が披露される……ことを盛大な見せ球に、本作とも連動するスマートフォン向けゲーム『戦姫絶唱シンフォギアXD UNLIMITED』の主題歌『UNLIMITED BEAT』という予想外の真打を見せてくれたEPISODE 11『神威赫奕の極みに達し』。 

(響がこの超難読サブタイトルを台詞としてさらっと読み上げたのは、一体何だったんだろうか……)

 

そして、次回作『XV』への布石として、未来の「響! 私のおひさま……!」という台詞によって2人の関係を再定義するファインプレーを見せたEPISODE 12『AXZ』。しかし、このエピソードにおいてはやはりサンジェルマン、プレラーティ、カリオストロの3人による命懸けの錬金術をこそ取り上げるべきだろう。

 

 

未来たちの尽力で暴走した響が元に戻ったにも関わらず、日本に向けて放たれた反応兵器。その災禍から日本を守るため、天高く歌うサンジェルマン、プレラーティ、カリオストロ……。 

前述のようにF.I.S.と被っている他、キャラクターの掘り下げも不十分だったパヴァリア組の3人。しかし、Blu-ray特典の『戦姫絶唱しないフォギア』で描かれた彼女たちの実態は自らを「ちょっと変わった正義の味方」と定義し、理想ではなく「サンジェルマン」という孤独な戦士をこそ信じ、絆を結んだ気高い錬金術師たちだった。彼女たちがF.I.S.組と異なっていたのは、自分たちの行動に確かな信念を持ち、それが世界から疎まれると分かっていても貫ける強き者であったということ。彼女たちの行いは非道だったかもしれないが、その志は紛れもない「正義の味方」のものだったのだ。 

そんな長年の志を、統制局長=アダムの思惑によって踏みにじられたサンジェルマン。全てを喪ったかに見えた彼女が、プレラーティとカリオストロという「自分自身を信じ、付いてきてくれた」仲間と共に、最期の力で正真正銘の「正義」を成す姿……。リアルタイムで視聴した時には正直困惑もあったけれど、『しないフォギア』で全てを見届けてから改めて見た彼女たちの勇姿は、3人が口にする『死灯 -エイヴィヒカイト-』は、この作品を背負うに相応しい、切なく熱い「誇り」に満ちていた。

 

死灯 -エイヴィヒカイト-

死灯 -エイヴィヒカイト-

 

そんな凄まじい熱量のEPISODE 12に続く、EPISODE 13『涙を重ねる度、証明される現実は』。正直、ここまで嘘のように右肩上がりだった本作の勢いがどこまで保つのか、ちらつく「5期」の存在もあって不穏な結末に至りやしないかとビクビクしながら視聴に臨んだ最終回……だったけれど、それは、最終回で悉く伝説を築き上げてきた『シンフォギア』の名に恥じることなく、熱く燃え盛る「予想外」を見せ付けてくれるウイニングランだった。

 

アクシアの風

アクシアの風

 

6人ユニゾンアクシアの風』に追い詰められ、遂にその真の姿を晒け出したアダム。その圧倒的な力に苦戦する響の脳裏に、どこからか勇壮な声が届く。

「力負けている……!」
『まだだ、立花響ッ!!』
「何をするつもりだったのかなァ……サンジェルマンのスペルキャスターめぇぇーーッ!!」

サンジェルマンのスペルキャスター (銃型のファウストローブ装着用コンバーターユニット) に残されたエネルギーをそのまま火力として解き放つアダム。そして、その膨大なエネルギー=「サンジェルマンの遺した力」を正面から受け止めようとする響。 

そんな響をマリアたち5人が支え、エルフナインがエネルギーの負荷をイグナイトモジュールに肩代わりさせることで、本来なら相容れない「錬金術 (ラピス) 」を「歌 (シンフォギア) 」と一つにする……。それはまさしく、響が為そうとしたこと=「相容れない存在であるサンジェルマンと手を繋ぐこと」そのもの。敵わなかった理想を果たすべく、最後の「抜剣」が発動する。


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引用:ストーリー - 戦姫絶唱シンフォギアAXZ 公式ホームページ  

 

「抜剣!」
『ラストイグニッション!!』


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引用:ストーリー - 戦姫絶唱シンフォギアAXZ 公式ホームページ  

 

黒い殻を破って現れたのは、エクスドライブでもイグナイトでもない、全く新しいギア=ラピスの力を宿し再構成された「リビルドギア」! 

TESTAMENT

TESTAMENT

 

錬金術師たちの想いを受け継いで生まれ変わった新たなシンフォギアを纏う6人は、更にその力を響に集約させていく。

「あたしの “呪りeッTぉ” デス!」
「借ります!」
「 “蒼ノ一閃” !」
「否定させない! この僕を、誰にも!!」
「みんなのアームドギアをッ!!」
「“禁月輪” ……!私たちの技を……ううん、あれもまた “繋ぐ力” 。響さんのアームドギア!!」

本作のキャッチフレーズにもある「一にして全なるモノ」とは、即ち「完全なもの」=錬金術師たちが希求してやまない到達点を指すのだという。その錬金術師たちを束ねる統制局長であり、神の力=完全へと至ろうとしたアダムは、たかが一人の人間に追い詰められている。 

それはきっと、その「たかが一人の人間」が、アガートラーム、イガリマ、天羽々斬、シュルシャガナ、イチイバル……それらあらゆる力や、仲間たちの想いさえも束ねてみせる存在だから。たかが一人だとしても、手を繋ぐことで無限にその可能性を広げていく響という存在は、全てを使い潰し、一人孤独に落ちていくアダムよりもずっと「一にして全なるモノ」あるいはそれ以上の存在と言えるのではないだろうか。 

そして、敵がアダムであり、彼女がそのような存在であるならば、錬金術師がそこに手を貸さない道理はない。

「無理させてごめん、ガングニール!一撃でいい……みんなの想いを束ねてアイツにッ!!」
『借りを返せるワケだッ!』
『利子付けて、のし付けて!』
『支配に反逆する、革命の咆哮を此処にッ!!』

響をして「終生分かり合えぬ仇同士」と語ったサンジェルマン。しかし、その生を終えたからこそ、彼女は想いのままに響と手を繋ぐことができた。 

様々な紆余曲折を見せた『シンフォギアAXZ』。しかし、本作が右肩上がりを続け、その勢いのままにアダムとの決着を描ききったこと。そして、その要が「手を繋ぐこと」だったこと。ここに自分は確かな『シンフォギア』の息吹を感じたし、一連の熱く心揺さぶるクライマックスには、前半の欠点を補って余りあるものがあったと、胸を張って言うことができるだろう。


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引用:ストーリー - 戦姫絶唱シンフォギアAXZ 公式ホームページ  

 

本放送時は、ひたすらに困惑し、どんどん視聴意欲が減退してしまった『AXZ』。しかし、何度も見返して、こうして改めて向き合うことでその魅力を再発見することができた。 

確かに、本作は「粗が多い物語」や「『GX』に劣る瞬間最大風速」その他諸々……と、どうしても欠点が目立つ作品には違いないかもしれない。しかし、本作の次に控えるはシリーズ最終作=『戦姫絶唱シンフォギアXV』。そのことを踏まえると、本作は「XVの前に、色々とやり過ぎた『GX』からその魅力を抽出しつつ、従来のような物語性に舵を切り直そうと奮闘した」実験作のようにも見えてしまうのだ。


これまでの3作品がただでさえハードルを高めに高めているというのに、その上で課せられる難題。(それを越えられたかどうかはともかく) 本作はそれに全力で挑んだからこそ、しっかりと本作独自の魅力を生み出すことができていた。本作は『XV』の前座ではなく、『戦姫絶唱シンフォギアAXZ』という、確固たるシリーズの一角だったのである。 

そのことに『AXZ』5周年の節目で気付けただけでも、この作品に改めて向き合った意味はあったし、むしろお釣りが来るものでさえあった。ありがとう、シンフォギアAXZ……!

 

 

シンフォギア10周年記念記事も、残すところ『シンフォギアXV』一作のみ。本作が描いた『シンフォギア』のフィナーレとは一体何だったのか、当時向き合いきれなかった分までしっかりと向き合っていくので、ついてこれるヤツだけ……と言わず、是非見守って頂けますと幸いです。 

それでは、次は『XV』記事でお会いしましょう!