感想『JUNK HEAD』”製作期間7年のストップモーションアニメ” で紡がれる、歪で眩しい「人間賛歌」

f:id:kogalent:20220227164427j:image

 

皆さん、昨年冬に彗星のごとく現れ、あらゆる人々をその可愛さ (となんだかよく分からない “凄み” ) で虜にしていった作品『PUI PUI モルカー』覚えていますか。

 

モルカーのテーマ

モルカーのテーマ

  • 小鷲翔太
  • アニメ
  • ¥255

 

僕は覚えてます、っていうか大好きです。Blu-ray買うくらいには好きです。推しはシロモなのでゾンビ化した時には本気で凹みました。あの世界のゾンビ化がフォームチェンジレベルのクッソ軽い概念だったので助かったんですけど、すんなり戻れると分かってしまうとそれはそれであのゾンビシロモが可愛く見えてくるんだから不思議なもので。飼い主と良好な関係を築いてレタスをパリパリ食べている良い子なシロモちゃんが、時折ゾンビの姿に戻って ““悪 (Eat a hamburger) ”” を働いている……畜生、なんて深い “”闇“” だ……ッ!!!!

 


(記事の主題が)違ァう!!!!!!!!!!!!

 


そんな感じで (?) 多くの人がモルカーの襲撃に阿鼻叫喚の中、急速に注目された作品形態が「ストップモーション・アニメーション (以下、“ストップモーションアニメ” ) 」。 

「静止している人形やジオラマを少しずつ動かしていき、その過程を1コマずつ写真撮影。撮影した写真を連続して流すことで、あたかも “動いている映像” のように見せる」 

という手法で作られる “実写アニメ” ことストップモーションアニメは、件の『PUI PUI モルカー』以外にも『ピングー』『ニャッキ!』に代表されるクレイアニメ (被写体が粘土製のストップモーションアニメ) や『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』などメジャーな作品が数多く存在し、我々にとっては存外身近で親しみ深い作品形態だったり。

 

しかし、ストップモーションアニメはその撮影手法上、とにかく凄まじい手間がかかるのが大きな難点。それもそのはず、人形やジオラマをほんの少し動かしては写真を撮り、またほんの少し動かしては写真を撮り……それを無数に繰り返しても、作れる映像はごく僅か。「そこにある」が故の独特のリアリティやその素材感が、イラストやCGによるアニメーションにはない独自の魅力を産み出すストップモーションアニメだが、そう易々と作れるものではないのである。 

 

しかし。


そんな壁を異様な執念で乗り越えて、1時間40分もの映画を「ストップモーションアニメで」創ってしまった漢がいた。


漢の名は、堀貴秀。 

「元内装業」の彼が 

「独学で作り始め」 

「7年もの時間をかけて」 

「原案、絵コンテ、脚本、編集、撮影、演出、照明、アニメーター、デザイン、人形、セット、衣装、映像効果、音楽の全てを一人で担い」 

「総ショット数約14万コマを持って」作り上げた奇跡の映画。

 

 

それこそがこの『JUNK HEAD』である。

 

f:id:kogalent:20220227164541j:image


『JUNK HEAD』は、奇しくも『PUI PUI モルカー』の最終回とほぼ入れ替わりとなる2021年3月26日に公開された劇場用作品。海外で発表されるや否や、北米最大のジャンル映画祭との呼び声も高い「ファンタジア国際映画祭」で最優秀長編アニメーション賞を受賞するなど数多の功績を叩き出し、その波に乗って日本に逆輸入。まさに「凱旋」と呼ぶべき異例の国内デビューを飾った映画だ。

 

しかし、その雰囲気は上記メインビジュアルの通り極めて異質なもの。 

正直、最初にこのメインビジュアルを目にした時は、その強烈な不気味さに嫌悪感を抱いてしまったし、予告PVを見るとその感覚は一層強まっていった。「人間の言語が登場しない完全字幕」というスタイルも足踏みの要因だったように思う。

 


結果、この映画が国内で大きな話題を集めても、筆者の好みをよく知る友人からオススメされても、2週連続でミニシアター系映画ランキングで1位を獲得し、14日間で興行収入2千423万円、観客動員数1万7千人を突破という異例の大ヒットを叩き出しても、映画館に足を運ぶことはなかった。 

ところが、公開から約1年が経った2022年2月、突如として『JUNK HEAD』がAmazon  primeの見放題作品に追加。根強く同作を熱く支持し、「むしろ自分より君の方が好きなはずだ」と語る友人に背中を押され、それならば……と、意を決して視聴したのが昨日の朝10時。 

 

参りました。

 

予想通りと言うべきか、確かにこの映画にはグロテスクなシーンや悪趣味な映像が多く、中には思わず渋面してしまうようなものさえあった。 

しかし、本作はそれ以上に好みの要素が満載で、かつ純粋に面白い、想像よりずっと真っ直ぐなエンターテインメント作品だったのである。

 

 

※以下、ネタバレ注意!

 

 

『JUNK HEAD』のイントロダクションは下記の通り。  

 

舞台は遥か未来、環境破壊が止まらず、地上が汚染されきった地球。

地下に新天地を求めた人類は、その開発の労働力として人工生命体「マリガン」を創り出す。しかし、自我に目覚めたマリガンはやがて人類に離反し、逆に地下世界を乗っ取ってしまう。

それから1600年後、地下への希望を捨てた人類は、代わりに「遺伝子操作 (というより肉体改造手術?) により、永遠の命を持つ半機半人のサイボーグになる」という道を選択。完全なるリモート社会を作り上げ、どうにか汚染された世界から身を守って生き延びていた。ところがある日、そんな人類に新種のウイルスが襲いかかり、実に人口の30%もの命が失われてしまう。 

サイボーグ化の代償として生殖能力を失っており、絶滅の危機に追い込まれた人類。彼らは最後の手段として、地下世界で進化を遂げていたマリガンから人類再生に繋がる情報を取得するという計画を開始。 

そんな地下調査計画に名乗りを上げたのが、本作の主人公(ロバートという名前だが、その名は劇中で語られない)。生徒が激減したダンス教室の講師である彼は、一発逆転の夢と冒険のロマンを求めて地下へ向かうも、そこに待っていたのは……。

 

 

と、以上が本作のプロローグにあたる部分。本編はこの主人公が地下に降下する場面から始まるが、なんとこの主人公、降下早々に人型のマリガンから銃撃を受けて爆散してしまう。 

胴体が切り離され、頭だけになった主人公 (爆速タイトル回収) は、地下世界で暮らしていたマリガンの博士に拾われ、赤ん坊のような身体を与えられる。こうして誕生するのが、メインビジュアルに描かれている奇妙なロボットだ。


f:id:kogalent:20220227164954j:image


主人公が降り立った未知の地下世界だが、その第一印象は限りなく最悪に近い。なにせ、分かってはいたことだがとにかくビジュアルが強烈なのだ。 

地下世界で暮らす人工生命体、マリガン。彼らは、その遺伝子情報の不安定さ故に様々な形態が種として存在している。 

その内、まず主人公が出会うのが前述した「博士」とその助手たち。


f:id:kogalent:20220227165048j:image
これが博士。


f:id:kogalent:20220227165102j:image
これが助手。


f:id:kogalent:20220227165112j:image
これが…………

 

筆者「なんかやべぇもの見ちゃってるよ僕ゥ……」

 

内面はともかく、凄まじいビジュアルを持つ面々に囲まれる主人公。常人ならもう発狂待ったなし、少なくとも筆者は「やっぱりこの映画ダメかもしれん………………」と思ってしまうこの状況下、不幸中の幸いか、爆散したショックで主人公は記憶喪失になっていた。 

博士は、空から落ちてきたことから主人公は「人間」であると推測。そして主人公に「人間はマリガンにとっての創造主であり、神様のようなもの」だと伝える。主人公も驚くが、それ以上に驚いたのが、研究所に雇われている謎の3馬鹿……もとい3兄弟。主人公は、自らを「神様」と呼び慕う彼らに連れられ、研究所で共に働くことになる。これが本作序盤の大まかな流れだ。


f:id:kogalent:20220227165225j:image

この3兄弟は、マスクをしているおかげで顔が分からない (=あんまり怖くない) ことや、そのおバカ……もとい軽妙でフランクな人 (?) 柄もあって、本作序盤の癒しと言える存在。主人公は彼らに倣って資源回収の仕事に精を出そうとするが、そこに現れるのが「グローム」という更なるマリガン。


f:id:kogalent:20220227165247j:image

 

え、EVA量産機 (↓) さん!?!?!?!?!?

f:id:kogalent:20220227165254j:image


このグロームの他にも、サンドワームや蜘蛛のような姿をした「虫」と呼ばれる凶暴なマリガンが地下世界には複数存在しており、地下世界に慣れない主人公はそれらに襲われたり飲み込まれたり (?)  吐き出されたり (??)  千切られたり (?????) して、最終的にはまたしても頭だけになってしまう。開始30分にして2度目のタイトル回収、サスガダァ……。 

こうして再びジャンクヘッドと化した主人公と、その壊れた身体パーツを拾ったのは、巨大な機械を皆で動かしながら暮らしている「バルブの村」という集落の技術者。ゴミを回収しては何かに使えないかと四苦八苦している彼は、明らかに単なるロボットではない(人間なので)その頭に可能性を見出だし、主人公に新たな身体を与える。


f:id:kogalent:20220227165641j:image

ジャンクヘッド第2形態、爆誕……ッ!!
(本作は、主人公がこのように段々とその姿を変えていくのも楽しみの一つだ)

 

生まれ変わった主人公は、しかしまたも記憶を失っており、喋ることもできなくなっていた。そのポンコツぶりから「ポン太」と名付けられた彼は、村の小間使いとして食料の買い出しに行くことになる。 

こうして一時的にバルブ村を出たポン太、もとい主人公。たかがお使い……ではあったが、彼は記憶喪失であること、そして喋れないことを利用されて食料を奪われたり、食料を取り返したものの巨大な蜘蛛型マリガンに襲われたりしたことで、食料を片手に広大な地下世界を彷徨うことになってしまう。


f:id:kogalent:20220227165728j:image

 

この中盤パートは、主人公を騙す (が、その後報いを受けるかのように蜘蛛型マリガンに補食されて死亡する) 悪辣な詐欺師マリガンへのストレスや、主人公が持ち帰ろうとする食料を狙う無数の「異形種」と呼ばれるマリガンの不気味さ、そして若干の間延び感などから視聴にストレスが伴うパートでもある……のだが、同時に、このパートこそが筆者に「この作品好きだ……」と技術面以外で思わせてくれた最初のパートでもある。


f:id:kogalent:20220227165914j:image
( “異形種” のマリガン。知性があるのかどうかハッキリしない、見た目込みで非常に不気味な存在だ)

 

というのも、これまでの『JUNK HEAD』の舞台は、博士の研究所とその周辺、そしてバルブ村というやや狭苦しく、スケールの小さい世界だった。それはおそらく不気味さの演出材料、あるいは地下世界の限界を示すメタファー、そして「ストップモーションアニメ」であるが故の物理的な限界なのかもしれない、と感じていたのだ。 

しかし、それは違った。 

この中盤パート、道に迷った主人公が様々な場所を旅しながらバルブ村に帰っていくシーンでは (公式公開の画像がないため掲載できないのが非常にもどかしいのだが) まさに山あり谷ありといった、広大な「地下世界の多彩な表情」を見ることができる。 

我々の知るどの景色とも異なる、それそのものが美術品であるかのような、幾何学的でどこか退廃的でもある景色。そして、そんな世界を旅するボロボロのロボット主人公。 

その画の不可思議さと、「確かにそこにある」という実写作品故の奇妙なリアリティ。同居するはずのないその2つの要素が融合した、まるで夢の中のような「脳が違和感を覚える」奇妙なトリップ感を伴う視聴体験。それは言葉では表せないセンセーショナルなもので、その感覚だけでもこの映画を見た価値があった、と思えてしまったのだ。

 

 

そうした主人公の旅路によって示される、地下世界の広大さ。ここでようやく、視聴者はこの地下世界の在り方を俯瞰することになる。 

本作は用語説明のようなシーンが少ないため、この世界については、博士の研究所やバルブ村のような小さな集落が各所にある……というような漠然としたイメージを浮かべることしかできない。しかし、この旅を持って、地下世界も「地上と同じような広い世界」であることが分かる。故に、そこには「集落に属せなかったもの」たちも確かに存在している。 

ロームのような「理性を持たない野性動物」ではない、謂わばスラム街を生きる孤児のようなマリガンがこの中盤では数多く現れる。ボロボロのコートを羽織った女の子のマリガン=ニコと、その友人であるホクロもまた、そんな孤独なマリガンだった。


f:id:kogalent:20220227170115j:image
(左=ホクロ、右=ニコ 見え辛いが、ニコには人間のように髪の毛が生えており、所謂”メカクレ” 的なデザインになっている)

 

世界の広さが描かれると同時に、その残酷な現実が浮き彫りになるのがこの中盤パート。ニコの過去はごく短い回想シーンで語られるのみだが、彼女は天涯孤独であり、村に所属するマリガンのような “裕福な” 者たちに嘲られ、石を投げられながら育ってきたことが伺える。 

マリガンは人間とは異なる種であるが、所詮は人間から創られたもの。知性を持つマリガンたちの間では、地下という資源の少ない世界という環境も手伝って、まるで人間のように苛烈な格差社会が出来上がっていたのである。
(しかし、マリガンの中に所謂 “金持ち” 然としたキャラクターは見られない。この世界で生きるには、普通かドン底かというシビアな二択が突き付けられてしまうのだ)

 

しかし、捨てる神あれば拾う神もいる。死を待つしかない赤ん坊だったニコは、たまたま通りがかった老いたマリガンに拾われ、彼の連れていたマリガン=ホクロと共に、貧しいながらもまるで家族のように成長していたのである。 

その後老マリガンが亡くなり、今も苦しい暮らしを生きるニコと、そんな彼女と共に過ごし、今も「主人公が落とした食料」を届けようとするホクロ。しかし、ニコはそれを追ってきた主人公を見て、歯噛みしながらも食料を返す。 

そんな2人を見た主人公は、「食料をその場に置いて」去っていくのだった。

 

 

『JUNK HEAD』が描くのは、なまじ人間を元にしたマリガンという生命体が、資源の少ない地下という世界で繁栄してしまったが故に生まれてしまったディストピア。 

マリガンたちに心の余裕はなく、故に、マリガンたちはお互いを罵り、傷付け合い、奪い合う。そして、それさえできないマリガンたちは生きることさえ満足にできていない。マリガンは、その姿こそ人ならざる異形だが、その内面は、むしろ恐ろしいほど正確に人間なのだ。むしろ、その醜悪な姿は人間の心が形になってしまったのかも、とさえ思わされてしまう。

 

その不完全な地下世界の在り方は、『JUNK HEAD』における地上世界と対応している。 

不完全であるが故に、人々が傷付け合う残酷な世界である地下世界。一方、テクノロジーの発展によって限りなく完全で平和になった地上世界。 

一見すると、地上世界の方が望ましい世界だろう。しかし作中後半、主人公は「地上では思えなかったけど、今は生きてるって感じがするんだ」という思いを口にする。 

何を持って、彼は不完全な地下世界に「生」を見出だしたのか。周囲のことは全て機械操作で進み、人々とのやり取りがフルリモートとなっている地上世界の描写を思えば心当たりはいくつもあるが、その一つは、闇の溜まった地下世界だからこそ煌めく “人と人との温かな繋がり” だろう。


f:id:kogalent:20220227173243j:image

 

ニコは食料を分けてくれた主人公に恩義と親しみを感じ、バルブ村の近くまで顔を出すようになる。彼女はあわや村の子ども ( "悪辣な子ども"の 再現度が異様に高い) たちに襲われそうになるが、どうにか主人公が救出。このことをきっかけに、主人公とニコ=ロボットとマリガンの友情が紡がれていく。 

言葉さえ話せない余所者と、コミュニティに属せなかった貧しい被差別者。姿形関係なく、お互いの些細な善意がきっかけとなってコミュニティよりも強固な絆が紡がれていく……というその物語は昨今決して珍しくはないものの、『JUNK HEAD』の徹底してほの暗く歪な世界観の中では、その絆は字面以上に眩しく温かい。 

確かに、完璧な世界では苦しみも悲劇も生まれないだろう。しかし不完全な世界だからこそ、こういった絆も生まれ、それが未来に繋がっていく。 

悲劇を生むが未来も生む。『JUNK HEAD』の不気味かつ不完全で、しかし可能性に満ちた地下世界は、それそのものが人間という存在のメタファーになっており、そんな世界で描かれる眩しい絆は、まさに本作だからこそ描けた「人間賛歌」と言えるだろう。


f:id:kogalent:20220227173405j:image

主人公がようやく帰還したバルブ村には、何処からか不穏な影が迫っていた。作中序盤に現れたグロームに似ているが、しかし更に凶悪な謎のマリガンが村の周辺に現れ始めてしまうのである。 

(主人公もその餌食になってしまうが、ニコのおかげで事なきを得る。ええ子やニコちゃん……)

 

そこで、バルブ村の面々は対策として「地獄の三鬼神」と呼ばれるハンターたちを呼ぶことになる。作中中盤、まるでエセ都市伝説のような扱われ方をしていたこの単語が、なぜこんな所で持ち出されてくるのか……と首を傾げていると、現れたのはなんと――


f:id:kogalent:20220227173428j:image


お前らかよ!!!!!!!!!!!!!!!!

 

もはや過去のものとなっていた「作中序盤」とバルブ村の「現在」がなんとここで完全リンク。なんて……なんて熱いクロスオーバー……!! 

同じ作品やろがい! と言われたら返す言葉もないのだけれど、バルブ村に舞台を移してから研究所組の話は一切出てこない上、主人公の記憶もなければ姿も違う。実際に見てみると、両者が「別の世界」のような認識になってしまうのはもう無理もない話なのだ。 

そんな状況で現れる「地獄の三鬼神」……ッ!!  いやそもそもお前らそんな凄いヤツだったの!? 

このシーンはもう笑い所も笑い所。衝撃のクロスオーバーに感動しながらも声を出して笑ってしまっていたのだけれど、考えてみれば、彼ら3人もまた主人公の「友達」だった存在。これまで世界の残酷さが描かれてきた分、彼らの帰還には素直に胸が温まってもしまう。伏線を回収しつつ、彼らの登場だけで滝のようにカタルシスを叩き込んでくる、様々な意味でこの映画に欠かせない名シーンと言えるだろう。

 

f:id:kogalent:20220227173457j:image

 

ここから、物語は怒濤の終盤へと突入していく。 

バルブ村に来るや否や主人公のかつてのボディパーツを見付けた3人は、ポン太の正体が変わり果てた主人公=あの「神様」であることを突き止める。衝撃の真実 (神様ではないのだけれど) を知り彼を崇め始めたバルブ村の人々は、持ち合わせの資材で主人公に新たな身体を提供する。

 

f:id:kogalent:20220227175117j:image

(遂に最終形態……! 最初の姿をリスペクトしつつ、より洗練されたフォルム。これはもう実質ダブルオークアンタなのでは……?)

 

こうして新たな身体を得た主人公は、三鬼神とのやり取りによって、以前の記憶=研究所側での出来事、そして自分自身の使命を思い出す。 

彼の目的が「マリガンの生殖情報の回収」にあることを知ったバルブの村の技術者は、遥か遠くに「生命の木」というマリガンの母体のうち、現在も生きている最古の個体があるという情報を伝える。


f:id:kogalent:20220227173648j:image

 

生命の木に辿り着ければ、主人公の求めている情報が手に入るかもしれない。早速出発の準備を始める一同だったが、主人公は村の片隅にニコを発見。思わず駆け寄っていくが、ニコはどこか挙動不審な様子を見せる。

 

「聞こえた。神様だって」
「いや、そんなんじゃないよ! 村の人に食べ物を貰えるように言っておくよ」
「ありがとう。でも……あの、お願いが」
「何?」
「あの……えーと……キレイに、してほしい」
「そんな事はできないよ」
「神様なのに?」
「違うけど……でも、そんな事気にする必要ないよ。そのままでカワイイと思う」

 

ぼふん、と音を立てて赤面するニコと主人公。一見するとひたすらニヤニヤしてしまうスーパー癒しパートだが……いや実際スーパー癒しパートである。無限に見たい。 

しかし、神様という立場 (?)を得つつキレイに生まれ変わった主人公に対して引け目を感じてしまうニコと、そんな彼女に「そのままでカワイイ」と返す主人公……というこのやり取りは、まさに前述した「不完全な世界だからこそ輝くもの」の一つの象徴。「大切なのは姿形ではなく、その在り方 (心) である」という、先の2人のやり取りでも示されていた普遍的なメッセージが、ここでよりハッキリと言葉にされているのだ。

 

『JUNK HEAD』には(これまで書ききれなかった部分も含めた)、その全編に同様のメッセージが散りばめられている。 

本作は確かに不気味で、ナンセンスな演出も数多くある作品。その点は個人的には苦手なのだけれど、本作を見ていると不思議と楽しく、背中を押されるような思いもある。それは折に触れて挿入されるコメディシーンの秀逸さもあるが、それ以上に件のメッセージが作品全体を貫く骨子になっているからだろう。

 

それはそれとして主人公とニコの絡みは永遠に見ていたい。もっとイチャつけ!!!!!!!!!幸せになれ!!!!!!!!!!!!!!!!!! 

……と、そんな視聴者の望みを叶えてくれるのが俺たちの『JUNK HEAD』。地獄の三鬼神と共に出発した主人公だったが、なんと4人の背後には、その跡をひっそりと追いかけるニコとホクロが! 

主人公たちの道のりは「危険な旅になる」と言われており、こんな所にいては危ない、と慌てて駆け寄る主人公。しかし、大量のフラグが恐るべき敵を呼び寄せてしまう。地獄の三鬼神を呼ぶきっかけとなった凶悪なマリガン=トリムティだ。


f:id:kogalent:20220227173753j:image

 

俊敏かつ頑強なトリムティには銃火器が通用せず、追い詰められた……かに見えたが、依然余裕の地獄の三鬼神。彼らは怪しい注射器を取り出し、「でも、これやると次の日しんどいんだよね……」などと露骨にその薬の正体を匂わせてくる。 

彼らが自らにその注射器を打った瞬間――

 

 


f:id:kogalent:20220227173810j:image

 

お分かりいただけただろうか。


f:id:kogalent:20220227173822j:image

 

覚醒

覚醒

  • Superfly
  • ロック
  • ¥255


そんやこんなでパワーアップした三鬼神は、およそストップモーションアニメとは思えない、アクション映画顔負けのアクロバティックなバトルを展開、トリムティを圧倒する。上記の画像はまさにその真っ最中の光景だ。
(天地無用のアクションに高速回転にと、このパートの “どうやって撮ってるの” 感は一際異常)

 

激戦の末、三鬼神は遂にトリムティを行動不能状態にまで追い込むことに成功するが、しかし、その戦いと平行して起こっていた “ある出来事” の影響で、バルブ村を中心とした一帯の地殻が不安定になっていた。 

トリムティを倒したのもつかの間、巨大な瓦礫が一行を襲う。主人公があわやその下敷きになろうかというその時――三鬼神のうち2人、フランシスとジュリアンが主人公を庇い、犠牲となってしまう。


f:id:kogalent:20220227173942j:image

(人形のため主人公の表情は変わらないが、このシーンは特に表情が “見えて” しまう。フランシスとジュリアンの生き様と最後のやり取りを含め、涙を禁じ得ない場面だ)

 

更に、事態に追い打ちをかけるようにトリムティが復活。残ったアレクサンドルも重傷を負い、主人公は絶体絶命の窮地に陥るが、そこを救ったのはニコとホクロ。2人の協力を得た主人公は捨て身の特攻を決意、半身を失いつつもトリムティにトドメの一撃を浴びせ、無事に勝利を収めるのだった――。

 



f:id:kogalent:20220227174416j:image

 


何も終わってないんだが!?!??!!?!?!?

 

いや待って待って待って待って!? というこちらの叫びも届かず、大体全部堀貴秀で埋め尽くされている狂気のエンドロールに笑う間もなく映画は終了。と思いきや、なんと今作は「3部作のうち第1章」とのこと。ほっと一安心である。

 

 


……ん? 

え、待って。


完結は14年後ってことですか???????

 

(確かに『JUNK HEAD』は今作だけでは完結しないが、それでも面白い作品であることに変わりはないので、その点はご安心ください……!)


f:id:kogalent:20220227174506j:image

 

映画の内容を振り返りつつ自分なりの感想を書き殴ってきたけれど、何よりも伝えたいのは「この映画、思ったよりストレートに面白いよ!」ということ。 

「新人監督が一人で作った大作ストップモーションアニメ」「伝説のカルトムービー」といった触れ込み、奇抜で不気味な世界観、不穏な雰囲気が溢れ出ているメインビジュアル……。そのどれもがおよそ広い客層に向けられたものではないし、少なくとも筆者は「自分はこの映画のターゲット層ではない」と思い込んでしまっていた。 

確かにそのような触れ込みも、メインビジュアルの方向性も決して間違ってはいない……のだけれど、この映画は決してイロモノではない。イロモノだと、自分には合わなそうだと思って忌避するのは本当に勿体無い作品なのだ。

 

ストップモーションアニメという手法で描かれるリアリティに満ちた世界は、監督の情熱と狂気以上に『JUNK HEAD』で描かれるキャラクターたちの「生の実感」を熱く伝えてくれる。 

不気味な世界観やデザインワークは、だからこそ本作のキャラクターたちの「眩しい心」を一層輝かせ、彼らに大きな愛着を持たせてくれる。 

『JUNK HEAD』は、想像されるよりずっと真っ直ぐで、闇を丹念に見せるからこそ光の眩しさが際立つ「上質なエンターテインメント映画」なのである。 

 

 

Amazon primeの見放題作品は、早いと数ヶ月でラインナップから消えてしまうのだという。もし「まだ本作を見ていないけど、これまでの文中で気になる部分があった」という方がいたならば、是非筆者を信じて『JUNK HEAD』の世界に飛び込んでみてほしい。暗く不気味に見える地下世界は、きっと想像よりずっと温かく、あなたを歓迎してくれるだろうから。