感想『アイカツスターズ! 91・94話』 2年目の “不遇” と “香澄夜空” という枷。仲間たちとアリアが拓く、香澄真昼の新たな物語

「不遇なもの」を見ると、昔からオーバーなくらい胸が痛んでしまう癖がある。 

何かしらの作品 / キャラクターの扱いが明らかに悪い様を目にすると、それらに携わった方々やファンのことを考えて勝手にしんどい気持ちになってしまうし、ましてそれが自分の好きな作品・キャラクターなら尚更……というこの気持ちを、自分は『アイカツスターズ!』でも味わうことになってしまった。他でもない「2年目の香澄真昼」についてだ。

 

 

「物語を作ることの難しさ」なんていうのは、自分のようなド素人から見ても明らかな常識中の常識。1クールだろうと2クールだろうと、「メインキャラクターの中で ”不遇枠” が生まれてしまう」ことはある程度仕方のないことだろうし、それが4クールを越える長尺作品や原作のないオリジナルアニメともなれば、むしろそういった事態が起きない方が珍しいだろう。 

自分も、幼い頃から特撮ヒーロー番組 (大抵が4クール) や、『遊戯王』シリーズ (短くても100話) を追ってきたので、そういうことには慣れているつもりだった。……なのに、真昼の主役回が2話ほどしかない状態で『アイカツスターズ!』2年目が終盤に差し掛かった時は、正直不安で不安でたまらなかった。それはきっと、自分がそれだけ『アイカツスターズ!』という作品に惚れ込んでいて、心から大切だと言える作品であってほしくて、そして何より、大好きになってしまった真昼に最後まで「主人公」として物語を駆け抜けてほしかったからなのだろうと思う。 

どうか、『アイカツスターズ!』が真昼に華々しいステージを用意してくれますように、この作品が、これまで信じてきたように「キャラクターのことを大切にする作品」であり続けてくれますように……と、いつからかそんな縋るような状態にまで陥っていた自分の前に、しかし『アイカツスターズ!』は2つもドが付く救済を与えてくれた。第91話『ハッスル♪アイドル修行☆』、そして第94話『真昼の輝き』だ。  

2年目の真昼は、なぜここまで主役回が描かれなかったのか。久しぶりの主役回である第91・94話は何を描いたのか、2年目における真昼の物語とは何だったのか。香澄真昼という人間に真摯に向き合い、紆余曲折を経つつもその物語を見事描ききってくれた『アイカツスターズ!』への敬意を籠めて、この2つのエピソードを振り返っていきたい。

 

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(ここまでの感想は、こちらの記事か『アイカツスターズ!』タグからどうぞ!)

 

《目次》

 

 

“役割” から解放された双葉アリアのキラめき


次回予告とタイトルでコメディ回のような雰囲気を匂わせておきながら、その実非常に「核心を突く」内容となっていた第91話『ハッスル♪アイドル修行☆』。 

このエピソードは、前述の通り2年目の真昼に感じていた不安を払拭してくれた……だけでなく、自分が『アイカツスターズ!』2年目において、真昼と似た不安を感じていたもう一人のキャラクター=双葉アリアについても大きなターニングポイントとなっていた。
 

 

正直なところ、第76話というド終盤から登場し、颯爽と星のツバサをかっさらっていったアリアという存在にはそこはかとなく違和感があった。ゆめたち四ツ星学園とエルザたちヴィーナスアークがしのぎを削る最終局面に、なぜ彼女のような「天才少女」が現れたのか、もっと言うなら、彼女は「どんな役割」を背負って『アイカツスターズ!』の舞台に上がったのか……。その答えの一つが、この『恋するアイカツ♪』なのだと思う。 

ひめの勧めから一日を共に過ごし、テレビ番組・ステージで共演したゆめとアリア。アリアの自由奔放な振る舞いに振り回されるゆめだったが、アリアのアイカツには「アイカツへの愛」が、自身が失いかけていた感情の原点が満ち溢れていた――。  

 そう、アリアが「天才新人アイドル」であったのは、彼女が「あの頃のゆめと同じ存在のまま、この頂上決戦に飛び込んでくる必要があった」から。つまり、双葉アリアとは「S4になってすり減っていくゆめに、あの頃の輝きを手渡す為に現れた “かつてのゆめの写し鏡”」だったのではないだろうか。  

引用:感想『アイカツスターズ! 78~85話』 “パーフェクト” とは何か。回り出す歯車と、闇を切り払う「騎咲レイの誓い」- れんとのオタ活アーカイブ

 

アイカツスターズ!』らしい、ある種の「切実さ」が詰まっていた『恋するアイカツ♪』。自分は、このエピソードでようやく双葉アリアというキャラクターを受け入れることができたし、その後もアリアは第89話『星々のダイアリー』において「ゆめやローラたちからアイカツを学んでいく」という感慨深い姿を見せたり、第90話『ヴィーナス クライシス!』において、きららに「好き」という気持ちの大切さを伝える役割を担ったりと多彩な活躍を見せてくれた。……けれどこの時点では、双葉アリアというキャラクターに「腑に落ちない」ものを感じる=彼女のことが好きになれない、あるいは「物足りない」と感じてしまっている自分がいた。

 

 

「ゆめの映し鏡」という役割を持って登場し、その使命を見事果たしてみせたアリア。けれど、それはアリアのメタファー的な側面が機能したに過ぎず、それによりゆめたちが成長することこそあれ、アリア自身が成長することはなかった。この時点での彼女は、あくまで「役割」以上でも以下でもない、それ「だけ」のキャラクターに留まってしまっていたように思えるのだ。  

勿論、アニメ作品である以上キャラクターに「役割」は付き物だし、ある程度「記号的」な造形になってしまうことは避けられないだろう。それは『アイカツスターズ!』のような児童層にも向けられた作品なら尚更……かと思いきや、本作の生き生きとした、あるいは「ケレン味とリアルさが調和した」キャラクターや物語には「記号的」という表現はとても似合わない。その要因の一つが “記号的にせざるを得ない” ことを逆手に取ったキャラクター造形なのだと思う。

 

主人公にして「普通の女の子」であり、物語上必要不可欠となる「主人公補正」=「不思議な力」こそがむしろ最大の敵になるという衝撃的なドラマを見せたゆめ。 

主人公=ゆめのライバルという「敗北の運命」を背負ったキャラクターだからこそ、逆に「敗北」を軸にした物語を駆け抜けたローラ。 

主人公の幼馴染という「陰に隠れがち」なポジションであることを逆手に取り、ゆめたちとは全く異なる、予測不能の立ち回りでストーリーを牽引した小春……。 

このように『アイカツスターズ!』という作品はキャラクターの持つ「役割」に極めて自覚的であるばかりか、「避けられない “役割” に正面から向き合い、むしろそれを利用する」ことで、分かりやすさとカタルシス、キャラクターの「生」を見事に並立させていた。  

そんな作品だからこそ、双葉アリアというキャラクターが「ゆめの映し鏡」という役割だけで終わるはずがない。そんなこちらの不安と期待に応えてくれたのが、件の第91話『ハッスル♪アイドル修行☆』である。
 

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アイカツ!ランキングの予選終了を間近に控えたある日、ふとしたきっかけで真昼とトレーニングを共にしたアリア。しかし「誰かに勝ちたい」という情熱を感じたことのないアリアにとって、真昼のトレーニングは単なる苦行でしかなかった。 

アリアは、真昼の「本気だから負けたくないし、負けないために頑張れる」という言葉の意味を確かめるべく、彼女の山籠もり修行に同行。その過酷な修行内容に敢えなく心を折られかけてしまうが、真昼はそんなアリアを――そして、自分自身を諭すように語りかける。
 

「ごめんなさい、私……」
「無茶なことだって分かってる。でも、だからこそやる意味がある。楽しいだけじゃ、自分を越えられない……。私は越えたい。どんなに辛くても、私は私に勝つわ!」
「……! もう一度、やらせてください!」

-「アイカツスターズ!」第91話『ハッスル♪アイドル修行☆』より

自分がこのエピソードで気付かされたのは、アリアは確かに「かつてのゆめの映し鏡」であるけれど、2人は根本的な所で決定的に異なってもいる……ということ。 

純粋かつ天真爛漫。まるで姉妹のように馬が合い、アイカツを愛する心を同じくするゆめとアリア。しかし「S4になる / 世界一の星になる」という夢を持ったゆめに対し、「夢」がないアリアのアイカツには「誰かと競う」という前提そのものが抜け落ちていた。おそらく、自分がこれまでアリアというキャラクターを好きになれなかったのもそれが原因。 

というのも、ゆめたちが日々それぞれの目標に邁進し、ライバルと競い、「本気」というエンジンで新しい物語を紡ぎ続けている一方、アリアはただ「アイカツが好きだから」という理由だけでアイカツを行い、目指すものも、競う相手もおらず「停滞」してしまっていた。たとえ同レベルのパフォーマンス能力があったとしても、その背景にある汗と涙、努力と成長……そんな「キラめき」とでも呼べるものにおいて、アリアはゆめたちと決定的な差があった。それこそが、この時点でのアリアに最も欠けていたものであり、飛び入りでアイカツ!ランキング上位に躍り出た彼女が、いつの間にかその順位を落としてしまっていた原因なのではないだろうか。  

けれど、それは裏を返せば「アリアにはまだ秘められたポテンシャルがある」ということ。その潜在能力を開花させられるかどうか、ゆめたちと同じ場所に立てるかどうか……。「楽しいだけじゃ、自分を越えられない」という真昼にアリアが返した「もう一度やらせてください!」という言葉は、きっと彼女が本当の意味で『アイカツスターズ!』という作品に飛び込み、ゆめたちと同じ「キラめくアイドル」としてのスタートラインに立った証。

 

「取れました……!」
「凄いわ!」
「一枚だけ! だけど、嬉しい……! とっても嬉しいです!」
「うん!」

-「アイカツスターズ!」第91話『ハッスル♪アイドル修行☆』より

 

本気だからこそ悔しいし、本気だからこそ嬉しい。その想いこそが「キラめき」となって、アイドルの笑顔やパフォーマンスをより一層輝かせる――。アリアの笑顔がこれまでよりずっと可愛らしく、眩しいものだったのは、まさにそんな『アイカツスターズ!』のテーマそのもの。「本気」のアイドルとして、そして「真昼の弟子」として、アリアが「ゆめの映し鏡」でない自分自身の物語を歩み出したこのエピソードには、『アイカツスターズ!』が描いてきたテーマが凝縮されていると言っても過言ではないかもしれない。

 


“2年目の真昼” への不安 ー『機動戦士ガンダム00』を例に

 

「本気」の意味を知り、「役割」という枷からも解き放たれたことで新たな道へ踏み出したアリア。このような「一人一人のキャラクターに真摯に向き合う」姿勢こそ、『アイカツスターズ!』が自分にとっての「特別」になった理由の一つ。 

似たことが、第91話におけるもう一人の主役=真昼にも言えるのだけれど、彼女の描かれ方については、ただ真摯 / 丁寧……というだけに留まらない、ある種の「執念」のようなものさえ感じてしまった。

 

 
正直な感想を言ってしまうと、ここまでの2年目において、真昼はゆめ、ローラ、あこ、小春といった他のレギュラーメンバーに比べてどうにも影が薄いように感じてしまった。 

……というより、事実として真昼だけ明らかに主役回が少なかったのだけれど、あまりにも美しい形で「完成」されてしまっていた1年目の物語を踏まえると、「それも無理のない話だろう」と思わずにはいられないのだ。

 

自分は、この「ロマンスキスというブランドを受け継いだ」ことや「S4として姉と比較される」ことが2年目の真昼における重要なファクターになる……とばかり思っていたのだけれど、真昼の新ロマンスキスは既に広く受け入れられており、取り立てて真昼が夜空と比較されるようなこともない。 

これは真昼の描写がおざなりなのではなく、真昼が1年生の頃から「お姉ちゃんとは違うタイプのアイドル」を目指してきたことによる成果なのだろうし、「真昼と夜空のファンの対立」についても、前述のS4戦=第47話『香澄姉妹、対決!』において「夜空と真昼の戦いを見届けて、ファン同士も和解する」様が描かれていた。つまるところ、香澄真昼というアイドルも、彼女と夜空の物語も、もう既に描かれきった=完成してしまっていたのではないだろうか。  

引用:感想『アイカツスターズ! 64~77話』 星のツバサと運命のドレスが導く、虹の向こうの「二人の一番星」ー れんとのオタ活アーカイブ

 

ある種「やりきって」しまった=物語を描くための「余白」がなくなってしまった真昼。その状況には、誰より本作の製作陣自身が頭を抱えていたんじゃないかと思う。 

綺麗に終わった作品の続編が蛇足になってしまう、というのはよくある話だけれど、2年目は「続編」ではなく『アイカツスターズ!』という一作品の後半部分。1年目が綺麗に終わったからといって真昼を描かない訳にはいかないし、かといって下手を打とうものなら1年目の二番煎じ、ないし蛇足になってしまう……。そんながんじがらめの中で本作が出した最初の回答は、真昼に「前作主人公のような役回りを与える」というものだった。

 

 

かくして、2年目の真昼と接点を持ったのがヴィーナスアークの騎咲レイ。モデル兼任のアイドルであることは勿論、夜空・エルザとの関係など、その明らかに真昼を意識したキャラクター造形からは「夜空の輝きを受けて尚彼女へ進み、やがて追い越した真昼が、似た境遇にあるレイを導く」展開が匂わされていた……と思いきや、どういう訳か真昼とレイの絡みはさほど描かれることがなかった。 

それもそのはず同じ四ツ星×ヴィーナスアークのコンビであるあこ×きららと違い、真昼とレイの関係は「エルザ←レイ」という関係性ありきのもの=メインはあくまでエルザとレイの関係であるため、真昼はレイの物語の中核には成り得ない。『アイカツスターズ!』の「話数は多いが、1話あたりの尺は非常に短い」という性質も相まって、結果「真昼とレイのエピソード」はほとんど描かれない――というより「描きようがなかった」のかもしれない。

 

 

ところで、(話が盛大に逸れてしまうのだけれど) 2年目の真昼について考えていると、自然と脳裏に浮かんでしまうキャラクターがいる。アニメ『機動戦士ガンダム00』における主人公の一人=アレルヤ・ハプティズムだ。

 

 

ガンダム00』のTVシリーズは、1stシーズン25話、その4年後を描く2ndシーズン25話……という2部構成。キャラクターも物語もそっくり引き継がれるのだけれど、アレルヤはこの2ndシーズンにおいて見せ場が少なく、正直とても影が薄い。その理由は明白で、一つは、彼の物語が他の主人公たちに比べて「閉じた」もの (彼のテーマは「一個人の中での “善悪の葛藤” 」) であったこと。そしてもう一つは、1stシーズンのクライマックスが、彼の物語における「一番美味しい部分」を使い切ってしまったこと。こうして文字にしてみると、夜空との関係という「閉じた」物語を背負い、1年目で美しすぎる「完成」を見せてしまった結果、2年目で活躍の機会が減ってしまった……という真昼と瓜二つではないだろうか。 

しかし、アレルヤは2ndシーズンのクライマックス、そしてその後に続く完結編=『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』において、これまでの雪辱を晴らすかのような大立ち回りを見せ、彼の背負った物語に相応しい「答え」を提示してくれた。 

 

 

至らない点もある『ガンダム00』が、それでも自分にとって特別中の特別である理由の一つは、そのように「至らなかった部分を良しとせず、後にきちんと名誉挽回してくれた」=製作陣からキャラクターたちへの愛がしっかりと感じられたこと。  

そのため、自分は『アイカツスターズ!』が終盤に差し掛かり、2年目における真昼の不遇が自明になってきた辺りから、ずっとずっと「これまでの不遇を返上するようなエピソードが来ないものか」と祈り続けていた。我ながら自分勝手な話だと思うけれど、『アイカツスターズ!』に惚れ込んでしまったからこそ、『ガンダム00』のように最後の最後で真昼の不遇を帳消しにし、自分に「この作品が大好きだ」と後腐れなく言わせてほしい……と、そう願わずにはいられなかったのだ。  

(なので、その身勝手な願いを第91話『ハッスル♪アイドル修行☆』そして第94話『真昼の輝き』の二編が叶えてくれた時は、「これで自分はこの作品を後腐れなく愛せる」ということの嬉しさでついつい涙が出てしまった。い、嫌なオタクゥ!!)

 

(『機動戦士ガンダム00』、最高の最高で最高な作品なので、是非よろしくお願いします!!!!!)

 

第91話『ハッスル♪アイドル修行☆』ー “不遇” を “必然” に変える、衝撃の救済編

 

前述の通り、1年目時点で一人のキャラクターとして / アイドルとして「完成」してしまっていた真昼。彼女は2年目もゆめたちに先駆けて星のツバサを手に入れるなど、その高い実力を更に伸ばしている様子が描かれていた……にも関わらず、アイカツ!ランキング終盤において、真昼はいつの間にかゆめに追い抜かれてしまっていた。 

これといった挫折もなく、堅調に成長を続けていたはずの真昼がなぜゆめに追い抜かれてしまったのか。確かに2年目のゆめは成長著しかったけれど、果たしてそれだけが理由だったのか――という、その答えの一つが『ハッスル♪アイドル修行☆』において示唆されていた。

 

「私の海王星コーデをもっと輝かせる為には、今のままじゃダメなの。完璧な自分になるわ!」
『相変わらずね』
「まあね」
『でも、ちょっと可哀想』
「え?」
『私は大好きだけどな、今の真昼も。じゃあね』
「可哀想……? どういう意味?」

-「アイカツスターズ!」第91話『ハッスル♪アイドル修行☆』より

 

アイカツ!ランキングの予選終了を間近に控えて奮起する真昼に対し、意味ありげな言葉を残す夜空。その真意が解けないまま、アリアと共に最後の仕上げ=山籠もり修行に臨んだ真昼は、滝行の中で発した「自分自身の言葉」から夜空の真意を知ることになる。

 

「大丈夫!?」
「ごめんなさい……私、ダメです! 全然ダメです!」
「そんなことないわ!」
「でも……!」
「そんな風に言ったら、今まで頑張ったアリアちゃんが可哀想じゃない!」 

 (中略) 

「アリアちゃんはダメなんかじゃない。頑張った自分を、ちゃんと認めてあげてね。……これは、私の分」
「はい……はい! お師匠様! 私、もっともっとアイカツしたいです! 本気のアイカツを!」

-「アイカツスターズ!」第91話『ハッスル♪アイドル修行☆』より

 

そう、夜空が口にした「可哀想」とは、真昼が「自分自身を大切にしていない」こと=真昼に「自分自身を労り、その不完全さを受け入れる」気持ちが欠けていることを示唆した言葉だった。 

アイカツスターズ!』が描いてきた「ライバルや仲間の大切さ」とは、裏を返せば「一人で完璧になる必要なんてない」というメッセージでもある。にも関わらず真昼が「完璧」を目指してしまったのは、きっとその生真面目でストイックな性格――そして、『月と太陽』以降、彼女のアイカツが順風満帆だった=ゆめやローラたちのように「自身の不完全さと向き合う機会」に恵まれなかったことが原因。皮肉なことに、ストイックな性格や高い実力といった「香澄真昼の長所」そのものが、他ならぬ真昼自身の首を締めてしまっていたのである。  

他の面々より一歩先にいるからこそ生まれてしまった欠落に、真昼が「夜空からの指摘で気付く」のではなく「夜空の言葉をきっかけに、真昼自身で気付く」。そんな本エピソードは、まさに「1年目をリスペクトしつつ真昼を掘り下げる」という2年目の至上命題そのもの。第15話『月と太陽』をはじめ、第31話『はばたけ、SKY-GIRL!』や第44話『春の予感♪』など、真昼の主役回を数多く手がけられた森江美咲氏だからこそ描けた、理想的な "2年目の真昼回" だったと言えるのではないだろうか。

 

 

……と、これだけでも既に「真昼救済回」として十分すぎるものを見せてくれた第91話『ハッスル♪アイドル修行☆』。しかし、このエピソードにおける白眉はそれらと別のところ=「2年目において、真昼の物語がほとんど描かれなかった」というシリーズ構成上のアクシデントを本筋に逆輸入してみせた点にあると思う。  

そんなの考え過ぎだ、と思われるかもしれないし、こればかりは正直自分自身でも「製作陣はそこまで考えてないんじゃないか」と思わなくもない。けれど「2年目に真昼主役回がほとんどなかった」こと (シリーズ構成上のアクシデント)「真昼だけが自身の不完全さと向き合う機会に恵まれなかった」こと (ストーリー上の背景) の一致ぶりはとても偶然とは思えないし、事実このエピソードが生まれたことで、2年目の真昼は「物語が描かれなかった」という不遇の立場から「描かれなかったことこそが真昼の物語だった」というどんでん返しの立役者へと姿を変えてみせた。「描かれなかったこと」それ自体に意味が与えられたことで、2年目の香澄真昼は「不遇」ではなくなったのである。

 

こうして、ストーリー上の観点からも、メタ的な観点からも真昼を「救済」したばかりか、当初はレイとの関係で想定されていたであろう “導き手としての香澄真昼” というストーリーラインを「アリアとの師弟関係」という形でごく自然に復活させるなど、真昼というキャラクターへの愛――あるいは「執念」さえ感じられる驚異のエピソード『ハッスル♪アイドル修行』。けれど、それは『アイカツスターズ!』という作品がそれだけ真昼へ真摯に向き合っていること、そして、これまでの真昼の不遇が「製作陣からしても苦渋のアクシデント」であったことの証明でもある。  

だからこそ、このエピソードは自分の中にあった『アイカツスターズ!』への不安を綺麗に消し去ってくれたし、その徹底した救済ぶりには、関心や感動を通り越してただただ圧倒されるしかなかった。ありがとう『ハッスル♪アイドル修行』、タイトルから日常回だと早合点してしまって本ッッ当にすみませんでした……!!

 

 

第94話『真昼の輝き』ー 余談「カタカタ☆ピンポン」

 

主役回がなかった=「物語が描かれなかった」ことそれ自体を「物語」へ転換する、という超絶技巧で見事真昼の名誉を挽回してみせた第91話『ハッスル♪アイドル修行☆』。真昼への愛情がギチギチに詰め込まれ、更にはアリアまで救済していく怒涛の30分弱で自分はすっかり満足してしまったのだけれども、満足しすぎた結果、真昼にはもう一つの「取り零し」あるいは「描かれなければならない物語」があることをすっかり忘れてしまっていた。そのことを思い出させてくれたのが、第94話『真昼の輝き』だ。

 

 

遂に始まるアイカツ!ランキング決勝トーナメント第2回戦、その対戦カードは「エルザVS真昼」という両校のエース対決。一大決戦を前に真昼を探すゆめたちだが、肝心の真昼は何処かへと姿を消してしまっていた。

 

「真昼ちゃーん? ……いないみたい」
「どこ行ったんだろう?」
「てっきり、ステージ前に気合いを入れてるだろうと思ったのに……」
「気合い!? 」
「「「えっ?」」」
「カタカタカタカタカタカタ……ピン☆ポン! 分かりましたわ~っ!」
「うわ、これ久々に見た」

ー「アイカツスターズ!」第94話『真昼の輝き』より

 

あ~~~~~~~~~~~!!!!!!ここ好き~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!  

初期からずっと続くあこの口癖 (?) カタカタピンポン。当初は文字通り「カタカタカタカタ……ピンポン!」と読み上げているだけだったけれど、第94話の現在、あこ役・村上奈津実氏の演技力はまさに桁違い。同じカタカタピンポンも、ここでは (どうにか文字に起こすと)「カタカタカタカタカタカタカ…タ…ッピン☆ポンっ♪」となっていて、あこの心底嬉しそうな笑顔 (本当に猫のような作画が最高~!!) もあって本ッ当~~~に可愛いし聴いてて楽しい。一生聴いてられるカタカタピンポンですよ!! 癖になりすぎて10回くらい戻しましたホントに。この後の「わっかりましたわ~~!!」も可愛い……!! 

しかもこのシーン、そんなあこのカタカタピンポンを受けてのゆめ、ローラ、小春のリアクションもと~~~っても良い。「これはダメなヤツだわ……」とでも言いたげな虚無表情のローラ、「あこちゃん可愛い♪」と言いたくてウズウズしていそうな笑顔の小春、そしてゆめの「うわ、これ久々に見た」……!! ローラと小春のリアクションだけでもご飯30杯はいけるけど、このゆめの冷めたリアクションで追加大盛り50杯はいける!! これまで『アイカツスターズ!』の感想ではいろんな「言語化できない」にぶち当たってきたけれど、この「うわ、これ久々に見た」がどうしてここまで刺さるのかは全ッ然分からない。  

強いて言うなら、第一に考えられるのは「ローラにも小春にも真昼にも優しく接するゆめが、あこには比較的ドライに接しがち」という点。「あこが皆に心を開ききる前からゆめのことは積極的に気にかけていた」頃の影響か、ゆめとあこは2年目も絡みが多く「 (良い意味で) 遠慮のない」やり取りが数多く見られていた。このゆめらしからぬドライなリアクションは、ある意味そんな「あことの絡みでしか見れないゆめ」というレアな一面が極まったようなもので、この一言に詰まった「ゆめとあこの独特な関係性」が大好きだからこそ、この一言が自分に深々と刺さったのかもしれない。 

他には、こう……「普段は凛としている人が、家でしか出さない抜けた姿」の良さみたいなものもあるかもしれない。え、それはお前の性癖だろ? そうです!!!!!!!!!!  

(『戦姫絶唱シンフォギア』の風鳴翼や『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の神楽ひかりのような、普段クールなのに私生活がだらしないキャラクターが可愛すぎるのはもはや周知の事実なところ、ゆめは果たしてそれに該当するのか? という問題はあるけれど、S4の、特に2年目終盤のゆめはしっかり者かつ大人びたイメージがあるので大いにアリ!!)

 

ところで、このカタカタピンポンのくだり含め、第94話はあこが真昼のサポートにとても積極的なのだけれど、これはおそらく、第75話『香澄家の休日』でのやり取り=きららの遅刻をフォローする為にステージを行ってくれた真昼への「次真昼が困った時には、私が全力で助けますわ!」という台詞を踏まえたものだろう (両話の脚本はどちらも山口宏氏が担当されている) 。比較的珍しい真昼×あこの絡みとしてとても印象深かっただけに、こうして回収してくれたことが本当に嬉しい……! ありがとう『真昼の輝き』!!  まひあこ万歳!!!!!

 

 

真昼VSエルザ ー 香澄夜空からの “卒業”

 

……ハイ!!!!余談はここまで!!!!!!!(2000字)

 

本題=真昼の「もう一つの取り零し」に大きく関わるのが、真昼が合流したあこたちに思いの丈を打ち明けるこのシーンだ。

 

「ちょっと、迷ってて……」
「迷う?」
「私、何のためにステージに立つんだろう、って」
「えっ?」
「それは……勝つために決まってるじゃありませんの!」
「勝つって、何?」
「今になって……急にどうしたの?」  

 (中略)  

「ヴィーナスアークへ留学してたから分かる。エルザさんの求めるものは、お姉ちゃんや私とは全く違う。それなのに、競い合う意味があるのかな、って……」

-「アイカツスターズ!」第94話『真昼の輝き』より

 

極めて順調なアイカツを続け、第91話で残る欠点も回収した=憂いのない状態かと思われた真昼が、ここに来て「なぜエルザと競わなければならないのか」という根本的な問題にぶつかってしまう姿には、ローラよろしく「急に何!?」と思わずにはいられなかった。 

アイドルたるもの、求めるものは十人十色だろうし、これまでだって真昼はそのような「自分と違うものを求めるアイドル」と戦ってきたはず。そんな当たり前のことに、なぜこのタイミングで急に悩んでしまうのか。ゆめたちがこれまで気にしたことのなかった事柄に、第91話よろしく「なぜ真昼だけが突っかかってしまった」のか。それはきっと、真昼のアイカツが「誰かを目標とする」という点において、極めて特異なものだったからではないだろうか。

 

「私の夢は……お姉ちゃんから生まれたの。最初はお姉ちゃんみたいになりたくて……いつからか、お姉ちゃんとは違うアイドルになりたくて、がむしゃらに頑張ってきた。私がここまで来れたのは、お姉ちゃんのおかげ。香澄夜空は、私の憧れ! これまでも……これからも!」
「真昼……」
「ありがとう、お姉ちゃん!」

-「アイカツスターズ!」 第47話『香澄姉妹、対決!』より

 

「私の目標は “打倒真昼” よ」
「えっ、自分を倒しちゃうの?」
「私は、自分自身を越えるの。毎日成長して、常に新しい自分でいるわ!」

-「アイカツスターズ!」 第64話『星に願いを』より

 

夜空を目標にアイカツを始め、S4決定戦後は夜空を越えた自分自身を更に越えることを目標としてきた真昼。それはきっと「夜空を越えた自分に責任を持つ」という夜空へのリスペクトの表れ=彼女が、今も昔も「香澄夜空」と戦い続けている所以なのだろうと思う。その真っ直ぐさこそが真昼の強さであり魅力なのは間違いないけれど、それは同時に「目標を立て、それに挑む」という経験のバリエーションを欠いているとも言える。  

(真昼に比べると) 目標が特定個人ではない」=その時々で、様々な相手と競い合ってきたゆめたち。彼女たちにとっては「自分と違うものを求めるアイドル」を目標とすることも日常茶飯事だろうし、だからこそ、ローラたちが「自分と違うものを求めるアイドル」であるエルザと同じステージで競うことに躊躇しなかった一方、真昼は強い違和感を抱いてしまった。なぜなら、真昼にとってエルザとは、初めて目標として意識した (あるいは、意識せざるを得なかった)「夜空以外の相手」だからだ。  

理由があるからこそ本気になれる。本気になれるからこそ楽しいアイカツができる。そんな真昼にとって、これまでずっと最高のモチベーションだった「夜空という目標」を一時にせよ外に追いやるなら、相応の「理由」をエルザとの戦いに見出さなければならない。それが見付からなかったからこそ真昼は悩んでしまい、この局面で本気になれない自分自身への苛立ちやフラストレーションを解消するには、それを瓦にぶつけるしかなかったのだろう。  

(思えば、真昼は第15話『月と太陽』の頃から「スッキリできないモヤモヤがあると、途端に不安定になってしまう」という一面があった。この点は、一見大人びた真昼の数少ない “子どもらしい” 一面と言えるかもしれない)

 

しかし、それは裏を返せば、真昼が知らず囚われていた「香澄夜空」というある種の枷から脱却する絶好の機会でもある。夜空を越えた真昼がもっと広い世界に羽ばたく為に、本当の意味で「お姉ちゃんと違うアイドル」になる為に、真昼はもっとたくさんの目標と出会い、もっとたくさんの「本気の香澄真昼」と出会わなければならない。  

そんな「自分自身では絶対に乗り越えられない壁」に挑む真昼の背中を押すのは、彼女と共に歩んできた仲間たちの言葉だった。

 

「実は私、困ってるんだよねー。次の決勝ステージ、ゆめを応援するか、真昼を応援するか、って」
「!」
「私もだよ!幼馴染みはゆめちゃんだけど、真昼ちゃんは同じ美組だし」
「私は……そうですわね、まあ、武士の情けで両方応援してあげますわ」
「見せてよ。私たち2年生の代表が、テッペンでぶつかるところ!」  

 (中略)  

「あのね……私、待ってるから!」
「その必要はないわ」
「えっ?」
「私が、すぐに追い付いて見せるから!」
「真昼ちゃん……!」
「せーのでっ!」
「アイ!」
「「カーーツっ!」」  

 (中略)  

「太陽の輝きに目が眩んで、私はエルザさんしか見えてなかった。でも、本当に目指すべきは……太陽の向こうで輝いている一番星。一緒にアイカツしてきたゆめと、競い合ってみたい!」

-「アイカツスターズ!」第94話『真昼の輝き』より

 

仲間たちのおかげで出会えた新たな目標=「ゆめと競い合うステージ」に目を輝かせ、本気のアイカツでエルザにぶつかった真昼。あこたちはそのステージを「これまでで一番の輝き」と絶賛したけれど、それはきっと、真昼が今度こそ夜空から自立、あるいは卒業したからこそ手にできた、真の「真昼だけの輝き」と言えるものだった。 

結果、真昼はエルザに敗れてこそしまったけれど、2人の点差はごく僅か。「完璧でない自分を許した」真昼が「完璧であろうと自分を追い詰める」エルザに後一歩のところまで食らい付いた――というこの結果は、真昼 / 四ツ星学園の「在り方」、そして、第91話で真昼と夜空が交わした「勝負はドレスだけで決まる訳じゃない」という言葉を裏付けるもの。ゆめVSエルザへの布石として、四ツ星学園2年生のトップエース・香澄真昼の最終決戦として、それは確かな意味と価値のある戦いだったのではないだろうか。  

(『アイカツスターズ!』は、上述のような “点差” にもこだわられた作品。良い例がS4戦におけるあこの点数で「グレードアップグリッターなしでの2位」であると同時に、ツバサとの点差が「グレードアップグリッターがあっても埋まらなかった」であろう数値になっているなど、第45話『あこ、まっしぐら!』でのあこの選択を最大限に尊重したものになっていた。そのため、この “僅差” も、演出上そうなっただけでなく、文字通り「真昼がエルザの喉元まで迫った」証なのだと思う)

 

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こうして、エルザとの戦いを通して間接的に描かれた「夜空からの自立 / 卒業」。その仕上げとばかりに、ステージを終えた真昼の前に夜空が現れる。

 

「まー、ひー、るっ!」
「お姉ちゃん!……ごめん」
「?」
「お姉ちゃんから美組のS4とロマンスキスを受け継いで、自分なりに頑張ってきたつもりだったけど……結局、最後の最後で負けちゃった」
「負けて、悔しかった?」
「……少し」
「そっか。……今だから言うけどね、去年のS4戦で真昼に負けた時、実は私もちょっとだけ悔しかった」
「えっ!? ……ふふっ、あはは、あはははっ! なぁんだ、そうだったんだ!」
「やっぱり、私たち姉妹よね」

-「アイカツスターズ!」第94話『真昼の輝き』より

 

あくまで普段通りに、自然体で真昼に接してみせた夜空。真昼を励ますのでもなく、慰めるでもなく「受け止める」姿には夜空の大きさを改めて痛感してしまうけれど、このシーンで重要なのはその後=夜空のカミングアウト。 

香澄夜空も、負ければ自分と同じように悔しいと思う。彼女は自分の姉/尊敬すべきトップアイドル (モデル) である以前に、ただの女の子――。そのことを知って真昼が破顔したのは、他ならぬ夜空の口からそんな言葉が出てきたから……というのは勿論、これまで無意識下で背負っていた「香澄夜空に勝った者」としてのプレッシャーから解放され、ようやく、本当の意味で「夜空から卒業できた」証なのかもしれない。  

(かといって、真昼が夜空に勝利しても2人の関係が変わらなかったように、今回も2人の関係や、真昼から夜空へのリスペクトは変わらない。むしろ今回のことをきっかけに、2人はようやく ”対等な、本当のライバル” になれたと言えるのではないだろうか)

 

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おわりに ー 運命の “第95・96話” へ 

 

描写不足気味だった真昼 (とアリア) を見事に救済した上で、香澄姉妹の物語に “蛇足” でない秀逸なアフターエピソードを加えてみせる……という大金星によって、自分の中に残っていた「2年目」への不安要素 (アリアの今後と真昼の扱い) を見事払拭してくれた第91・94話。 

ある作品が、自分にとって「好き」や「大好き」といった秤を外れた「特別」になる……というのはオタクあるあるだと思うけれど、この二編は自分にとって『アイカツスターズ!』を「特別」にしてくれた決め手の一つ。100話という長尺を言い訳にすることなく、キャラクターに対してどこまでも真摯に向き合ってくれる姿勢が自分は本当に嬉しかったし、前述の『ガンダム00』も然り「全てが完璧とはいかなくても、それを上回るカタルシスや愛に満ちている」作品だからこそ、自分はこの『アイカツスターズ!』が好きでたまらないのかもしれない。  

続く第95・96話は、そんな『アイカツスターズ!』の実質的な最終回。運命のラストステージで紡がれた最高のフィナーレ、そしてその圧倒的な展開にネタバレなしで立ち会えた衝撃と感動を、こちらも相応の覚悟を持って文字に残していきたい。

 

 

「世界一になって、私はアイドルを辞めるわ」
「そんなの絶対メェ~ッ!」
「ゆめ、勝ってエルザを止めてくれ……!」
「次回、アイカツスターズ!『孤独な太陽』掴め、アイドル一番星!」

-「アイカツスターズ!」第94話『真昼の輝き』より