最強の力で “反戦” を描く異色のガンダム -『機動新世紀ガンダムX』のすすめ

世界的な情勢の悪化もあって「戦争を題材にした作品」の扱いに一層の配慮が求められるようになった昨今、それでも世界には戦争を描いたフィクションが生まれ続け、エンターテインメントと共に「戦争の悲惨さ」や「相互理解」というテーマを訴え続けてきた。そんな作品の筆頭格と言えるのが、今年で生誕45周年を迎えるリアルロボットアニメの金字塔『機動戦士ガンダム』シリーズだ。

 

 

そして、そんなガンダムシリーズの中でも自分が愛してやまない作品の一つが、1996年放送のTVアニメ機動新世紀ガンダムX。 

ガンダムシリーズを見るとすれば、劇場版が公開中の『機動戦士ガンダムSEED』が真っ先に挙げられるだろうけれど、それとは全く異なるベクトルで「今だからこそ見るべき」と言える作品がこの『ガンダムX』。今回の記事では、そんな本作の魅力――とりわけ、シリーズの中でも特に色濃く「反戦」を打ち出したそのストーリーを振り返ってみたい。

 

 

DREAMS

DREAMS

 

コロニーの独立運動に端を発する、宇宙革命軍と地球連邦軍の大規模な武力衝突=「第7次宇宙戦争終結から15年が経過したA.W. (アフター・ウォー) 0015年。ある者は戦争の記憶に恐怖し、ある者は忌まわしき機動兵器・モビルスーツで残された資源を奪い合い、またある者は、戦争で猛威を奮った超能力者「ニュータイプ」を追い求めて彷徨っていた。 

そんな混迷の時代に、一人逞しく生きる「戦後生まれの若者」がいた。炎のモビルスーツ乗りを自称するジャンク屋の少年、ガロード・ランである。 

ニュータイプの少女=ティファ・アディールに一目惚れしたことをきっかけに、モビルスーツガンダムXと運命の出逢いを果たすガロード。しかし、そのガンダムは戦争の命運を分けた最強の力=サテライトキャノンが搭載された悪夢の兵器だった。 

15年前にガンダムXを操縦していたパイロット=ジャミルニートの「ニュータイプを保護する」旅に同行することになったガロードは、荒廃した地球を駆ける中で、ニュータイプという存在の意味――そして、自らに与えられた銃爪の重さに向き合っていく。

筆者記

 

ガンダムシリーズはそのほとんどが戦争を描いた物語だが、本作は珍しく戦後を描いたロードムービー。復興中の街や海上の軍事施設、動乱の渦中にある王国など、行く先々で起きる「ニュータイプを巡る争い」が本作の主な舞台となっていく。 

これだけでも十分異色の「ガンダムX」だが、中でも出色と言えるのが前述の兵器=サテライトキャノンの存在である。

 

 

月から送信されるマイクロウェーブを受けて発射される規格外の極大砲撃=サテライトキャノン。その火力はなんとスペースコロニーさえ破壊可能な程で、間違いなくガンダムシリーズ最強兵器の一角に数えられる代物だろう。 

現実における「戦略兵器」とは、主に「戦争を終結させるため、敵国の戦意やリソースを駆逐する為に用いられる」強力な兵器を指す呼称であり、サテライトキャノンも同様の意図を持って開発されたものと考えられる。しかし、本作のプロローグにあたる「第7次宇宙戦争」において、サテライトキャノンはその意図と真逆の事態を引き起こしてしてしまう。

 

 

第7次宇宙戦争末期、長期戦を不利と見た宇宙革命軍は、スペースコロニーを地球に落とす最終作戦=コロニー落としをもって地球連邦に降伏を勧告。 ところが、地球連邦はこれに対して決戦兵器=ガンダムXを投入、サテライトキャノンによって先発コロニーの破壊に成功する。 

しかし、その圧倒的な火力に焦りを感じたことで、宇宙革命軍はコロニー落とし作戦を強行。地球には致命的な被害が出てしまい、泥沼状態となった戦争は、連邦軍と革命軍の共倒れという最悪の形で幕を下ろすことになる――。  

そう、サテライトキャノンはそのポジションこそ「主人公の必殺技」だが、それ以上に「大きな力は、より大きな災いを呼ぶ」という因果の象徴、あるいは「戦争」という概念が形を成した存在と呼べるものなのだ。


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この扱いは、戦後15年が舞台の『ガンダムX』本編でも一貫しており、第2話『あなたに、力を…』ではガロードが初めてサテライトキャノンを使用、襲撃者たちを一掃するも、それら無数の「死」によってティファが精神に大きなダメージを負ってしまう姿が描かれていた。サテライトキャノンは、本編初登場の時点から「ヒロイックなキメ技」ではなく、あくまで「大量破壊兵器」として描かれていたのである。 

それ以降、サテライトキャノンが「兵器」として用いられたのは第5話『銃爪はお前が引け』におけるティファ救出作戦のみ。他は移動手段のようなトリッキーな使われ方に留まっており、サテライトキャノンは総じて「ヒロイックな印象を持たれすぎないよう、作劇に細心の注意が払われていた」と言えるだろう。 

しかし、それでもサテライトキャノンが『ガンダムX』の看板足り得るのは、この兵器が最後まで作品の中心に在り続けたからこそ。この点において重要な転機となったのが、ガロードガンダムXの後継機=ガンダムDX (ダブルエックス) に乗り込む第24話『ダブルエックス起動!』。

 

 

当初は「ティファを守りたいから」という恋心だけで戦っていたガロード。しかし、人工ニュータイプとして呪いを背負わされた少年=カリスとの決戦や、生体兵器となってしまったジャミルの元上官=ルチルとの出会い、そして、戦争で妻子を失った男性=カトック (上記画像) 「過ちは、繰り返すな」という言葉を受けて、ガロードは自分が何をすべきなのか、自分に与えられた力にどう向き合うべきなのか、その答えに少しずつ近付いていく。 

そんな中、地球では「新地球連邦」が樹立。連邦軍が新たな力=ガンダムDXを得たジャミル一行に迫る中、ガロードはDXに搭載された新兵器・ツインサテライトキャノンの使用を迫られる。 

守るためには力が必要。しかし、大きな力はより大きな災いを呼ぶ――。旧世代から続く争いのジレンマを打ち破るべく、ガロードは「ツインサテライトキャノンで無人島を爆破、戦力を誇示し、無血で軍を撤退させる」という新たな答えを提示してみせる。それは、戦争の呪いに囚われない戦後生まれであり、しかしその悲惨さを胸に刻んだ新世代の若者=ガロードだからこそ出すことのできた「過ちを繰り返さない」為の回答であり、「何かを失うことでしか、何かを守ることはできない」という戦争のジレンマに風穴を開ける一撃だったと言えるだろう。

 

(カトックがその命と引き換えにガロードへ託したガンダムDX。そんな背景と本作のテーマを受けてか、DXの初戦闘は重々しい劇伴をバックにした悲壮感溢れるものになっていた。後期主人公機の初陣としてはシリーズでも異色のシチュエーションだ)

 

新地球連邦の樹立と宇宙革命軍の復活によって、世界が第8次宇宙戦争に向かっていくシリーズ後半では、サテライトキャノンのくだりでも触れられていたテーマ=「旧世代から続くジレンマ」が大きなキーワードとなっていく。つまるところ、本作における「ニュータイプ」とは何なのか、という問題だ。

 


ガンダムシリーズで度々顔を見せる「ニュータイプ」概念だが、作品によってその定義は微妙に異なっている。 

では『ガンダムX』においてはどうか、というと、本来の定義は「フラッシュシステム (無人MSのコントロールなどに使われる、思念式の遠隔通信システム) の適合者」を指す言葉であったが、最初に現れたニュータイプが超常の力を持っていたことから、その「混迷の時代に現れた超能力者」という側面が戦火の中で拡大解釈・流布されていき、結果「テレパス」や「予知」など超常の力を持つ者の総称となっていった……というのが『ガンダムX』における「ニュータイプ」であり、作中ではこの言葉に囚われたキャラクターが数多く登場する。 

ジャミルのように、ニュータイプこそが人の革新であり、荒廃した世界における「希望」とする者。ニュータイプという概念を兵器や思想統制の道具にしようとする者。フロスト兄弟のように、そのような思想によって「烙印」を押された者たち……。 

誰もが「ニュータイプとは何なのか」という答えを知らないまま、その理想に縋る他なかった混迷の時代。しかし、そんな理想の被害者となるのは、常にガロードやティファのような何も知らない子どもたち。だからこそ、旧い世代の人々は、届かない過去や理想ではなく、今そこにある「現実」に向き合わなければならないのだ。

 

 

月に封印された人類最初のニュータイプであり、長年に渡り世界を俯瞰し続けてきた存在=D.O.M.E.は、ジャミルたちにニュータイプ能力とは偶発的に生まれた特異体質でしかなく、 “人の革新・ニュータイプ” という希望は幻に過ぎない」ことを告げると、未来を切り拓く存在としてガロードの名を挙げる。

 

『たとえどんな未来が見えたとしても、それを現実の物としようとしない限り、それは手には入らないのだから。ニュータイプを求めて流離う時代は、もう終わったんだよ。そして、君たちは “新しい未来” を作っていかなきゃならない』
「新しい未来を、作る……」
『それは不可能なことではない。そこにいる少年は、それを繰り返してきた。そうだろう? ガロード・ラン』
「えっ、オレ?」
『君は、ティファの予見した未来をことごとく変えてきた』
「オレはただ、ティファのことを守りたいと思っただけで、特別な力なんてないし……」
『その心の強さが、君に未来を変える力を与えたんだ。そして、それは戦争を知らない世代に共通した希望の光だ。旧い時代に左右されず、新しい時代を生きる力がある』

-「機動新世紀ガンダムX」 第39話『月はいつもそこにある』より

 

戦争は過去の因縁から始まるが、実際にその “過去” に生きていた者が、果たして今どれほどいるのだろう。 

戦争とは気高い理想を求めて始まるが、数多の犠牲を経て掴み取った理想に一体どれほどの価値があるのだろう。 

ならば、人々は過ぎ去った過去でもなく、都合の良い理想でもなく、目の前にある大切なもの――ガロードというありふれた少年が、自らの恋路を当たり前に走っていけるような、そんな「今」を守らなければならない。ガロードの真っ直ぐな恋心が世界を守り抜いたように、若者たちのひたむきな想いこそがどんな兵器よりも尊い力であることは、戦後世界でも我々の生きる現実でも変わらないのだから。

 

Resolution

Resolution

 

サテライトキャノンとニュータイプを軸に、世代間の葛藤――大人の使命と若者の可能性を描いた『ガンダムX』。そんな本作が「反戦」を強く打ち出した作品であることは考えるまでもないけれど、その一方で、本作は放送開始1年前に起こった大災害=阪神・淡路大震災の被災者に向けられた作品であるようにも思える。 

悲劇から立ち直るのに「ニュータイプ」のような特別な力なんて必要ない。真っ直ぐ全力で生きてさえいれば、巡り巡ってそれが誰かを救う力になる。誰もが誰かを救う主人公になり得る――。荒廃した戦後世界を真っ直ぐ駆け抜けていったガロードの姿には、そんなエールが込められているように思えてならないのだ。

 

 

ガンダムX』の放送から28年。今も世界では戦争が行われており、大きな自然災害が日夜人々の命を脅かしている。――そんな世の中だからこそ、本作はあなたに新しい気付きや生きるヒントをもたらしてくれるはず。 

一時はマイナー扱いだった本作だけれど、今では再評価が進んだことやサブスクサービスの充実もあって視聴方法には困らない。30周年が迫る今、改めてA.W.の世界、そしてガロード・ランの生き様に向き合ってみてはいかがだろうか。