感想『Ultraman: Rising』+『ULTRAMAN (SEASON 1~FINAL) 』- Netflixが送り出す、新時代のウルトラサーガに願いを込めて〈ネタバレあり〉

サブスクを極力増やしたくない自分だけれど、今回ばかりは抗えなかった。入ったのは天下のNetflix、お目当ては2024年6月14日に全世界同時配信されたウルトラシリーズ最新映画Ultraman: Rising』だ。 

とはいえ、前情報の段階では『Ultraman: Rising』にそこまで高い期待値を持てていなかったので、元を取っておこうと同じNetflixで配信中のCGアニメULTRAMANも視聴。その時点では感想を記事にすることはなかったのだけれど、問題の『Ultraman: Rising』がべらぼうに面白かったので、折角なので両方の感想を一つの記事にまとめておきたい。 

奇しくも同じNetflixにて展開中のウルトラCGアニメたち。どちらかしか見ていないという方も(ネタバレは入ってしまうけれど)是非覗いてみてください……!

 

※以下、Netflix配信アニメ『ULTRAMAN』と、映画『Ultraman: Rising』のネタバレが含まれます。ご注意ください※

 


f:id:kogalent:20240616163025j:image

引用:『Ultraman: Rising』予告編 - Netflix - YouTube

《目次》

 

① 映画『Ultraman: Rising』

 

視聴前は正直あまり期待しておらず、むしろ不安視さえしていた『Ultraman: Rising』だけれど、いざ蓋を開けてみると思った以上~~~~に面白かった。 

映像やシナリオ等、一本の映画としての完成度・まとまりの良さは勿論、自分に響いたのは本作の見せてくれた「新しさ」の数々。その一つが本作におけるウルトラマンの描写だ。

 

 

本作におけるウルトラマンは「初代ウルトラマンアメリカナイズした」という、それだけだとやや地味にも感じてしまうデザインなのだけれど、映画が始まるとその印象は一変。青い目の中にある瞳を動かし、一般人相手にも日本語で話しかけ、変身の時間制限がないので、変身も変身解除も(異本的には)し放題……。極め付けには、ウルトラマンの力が宇宙人や特別な力と融合して手に入れたものではなく「遺伝性の特異体質」であるなど、本作のウルトラマンは、初代ウルトラマンをベースにしているという一点を除いた全てが「ありそうでなかった」要素で構築されているのである。 

(変身するサトウ・ケンが「プロ野球選手とウルトラマンの両立に苦しんでいる」という一般人ウルトラマンであるとか、ウルトラマンが一般人相手にもフランクに喋るとか、この辺りは『ウルトラマンR/B』で見たかった要素の進化系にも思えて嬉しかった……!)

 

 

一方、そのような奇抜さが作品内で「新しさ」として成り立っているのは、本作に満ちる「ウルトラ愛」の数々があればこそ。 

本作の監督・脚本を務めるシャノン・ティンドル氏と共同監督であるジョン・アオシマ氏は、二人とも自身がウルトラシリーズのファンであることを公言しており、それを裏付けるかのように、本作には数多くの……本当に多くの小ネタが散りばめられている。 

開幕早々ベムラーが登場したり、かつて戦った怪獣としてゴモラの存在が語られたり、影絵や変身バンク (ぐんぐんカット) がここぞという所で使われたり、ウルトラシリーズの怪獣が登場する幼児向け番組『かいじゅうステップ ワンダバダ』や、みやにしたつや氏の絵本『おとうさんはウルトラマン』が登場したり、KDF制服のモチーフがウルトラ警備隊であったり、クライマックスで初代ウルトラマンのアレンジ劇伴が流れたり、中には「ウルトラマンの感情が高まった際に背景に (ウルトラQのタイトルバックを模した) エフェクトがかかる」という、オマージュと演出効果を両立したものまであるなど、本作はこのようなウルトラシリーズへのリスペクトを探すだけでも楽しい作品になっている。これらの要素に滲み出ている製作陣の愛とリスペクトこそが、本作がそのアメリカナイズされた雰囲気と「ウルトラマンらしさ」を見事に両立できている大きな要因と言えるかもしれない。 

(小ネタではないけれど、脚本・シャノン氏の愛と理解を最も感じたのは、ウルトラマンに対する「調和を作る戦士」という表現。「戦士であると同時に深い慈愛を持ち、時に怪獣や宇宙人にも手を差し伸べる」というウルトラヒーローの個性を表した言葉としてこの上なく美しく、説得力のある言葉選びに思わず唸ってしまった)

 

 

一方、本作はストーリー面、とりわけ、本作の核となる「家族」の描写においても魅力的な「新しさ」を見せてくれた。 

というのも、本作は確かに家族愛を描いた物語だが、父親にあたるキャラクター=サトウ教授やケンが不完全な面をクローズアップされ、その一方で子どもが「親に大切なことを教えてくれる / 成長させてくれる存在」として描かれるように、本作における家族観からは「血の繋がり / 親という存在が持つ絶対性」といった格式ばったファクターが限界まで薄められている。 

おそらく、本作が定義する家族とは「血の繋がりに由来する特別で最高なカンケイ」ではなく「近くにいるからすれ違うが、近くにいるからこそ大切なことを教え合い、一緒に成長していけるパートナー」のこと。 

それを象徴するのが、ケンとエミ、ケンとミナといった「血が繋がっていない / 種族さえ違う者たちの繋がり」であり、親子であるサトウ教授とケンもまた、血の繋がりに甘えることなく、あくまでお互いを知り、歩み寄っていくことで絆を取り戻していく。そんな現実的かつ丁寧な積み重ねがあるからこそ、ジャイガントロン親子・サトウ親子の共同戦線や「親子スペシウム」というサプライズが本作の集大成として大きな感動を呼ぶのだろうし、それは、親子三世代作品であるウルトラシリーズが令和に打ち出す大作映画として、何より相応しいクライマックスの形だったのではないだろうか。

 

 

② 『ULTRAMAN (SEASON 1) 』

 

鉄のラインバレル』等で知られる清水 栄一, 下口 智裕両氏の手掛ける原作漫画をアニメ化した『ULTRAMAN』。その初作であるSEASON 1は全12話で、原作1巻から8巻頃=北斗とエースキラーの決着までを比較的忠実にアニメ化したものとなっている。 

先にネガティブな感想から話しておくと、この作品に対してはずっと「あまり話が好みじゃない」と感じている。初代ウルトラマンから分岐するif世界で、ハヤタの息子が主人公、ウルトラマンは光の巨人ではなく、その力を再現した強化スーツであり、ウルトラ兄弟を模したキャラクターがそれぞれのモチーフに倣ったスーツで次々と参戦していく……というこの基本骨子は大好きなのだけれど、いざ本編を開けてみると、どうにも「スッキリしない」点が多いのだ。 

その理由は色々、それはもう色々とある。例えば、異星人への差別問題が作中ずっと付き纏っているせいで、作品全体の雰囲気が暗く、辛気臭いものになっている……とか、戦う相手がベムラー (実は味方) だったりアダド (実は味方) だったり暴走した異星人だったりするせいで、ULTRAMAN SUITのカッコ良さに浸れる痛快な戦いが少ないとか、進次郎と諸星、北斗が戦いを経てもそんなに仲良くならない (仲良くなっていることが伝わるシーンが少ない) とか、進次郎がくよくよ悩んでばかりとか、北斗の「はじめまして、兄さん」というウルトラ兄弟の設定を踏まえたであろう意味深な台詞に特に意味がないように、歴代ウルトラシリーズへのオマージュ以上の意味を持たないことが多かったり……とか。本ッッッッ当に色々だ。この中には、佐山レナを中心とした「ウルトラマンへのアンチテーゼ」という問題も関わってくるのだけれど、それはまた後程。 

しかし、これら物語面での問題は漫画からそのまま引き継いだもの。アニメはアニメで「人間のCG描画に大きな難がある」という致命的な問題がある。ツルツルとした表面処理や、モーションアクターを採用しているとは思えないカクカクとした動き、そして何より、道行く人々が誰もカバンを持っていないという、逆にこのアニメを見るまで意識したことさえなかった違和感。キミ本当に2019年のアニメなの……!?

 

youtu.be

 

これら様々な要因のせいで、視聴間もないタイミングで視聴モチベーションがドン底に落ちかけてしまった『ULTRAMAN』……だけれど、CGアニメの利点を活かしたULTRAMAN SUITのアクションは間違いなく本作ならではの大きな魅力だ。 

メタリックなULTRAMAN、SEVEN、ACEスーツはCGアニメと親和性が高く、あの複雑なディテールが画面をアクロバティックに動き回る様は見応え抜群。そんなULTRAMAN SUITの活躍を「原点から引用されたSE」が彩るのもアニメならではの魅力で、スーツの装着時に各ウルトラマンの変身SEが使われるのは勿論、カラータイマー音が「チャージ音」のように使われているのも非常に粋なポイントだ。 

ULTRAMAN=進次郎の「(ぐんぐんカットでもお馴染みの)拳を突き上げるポーズで変身する」という原作からのアレンジも合わせて、本作におけるULTRAMAN SUITたちの描写・演出はまさにファン必見。その活躍を見る為の作品、と割り切って楽しむのもアリかもしれない。

 

 

③ 『ULTRAMAN (SEASON 2) 』

 

前述のように、どうにも一長一短だったSEASON 1。その評判を踏まえてなのかどうかは分からないけれど、原作とはもはや別物のようなアレンジを施されていたのがこの『ULTRAMAN (SEASON 2)』。 

そのアレンジの最たるものが、本シーズンの実質的な主人公=東光太郎周りの描写。前提となるタロウの力を得た経緯は勿論、この時点でTARO SUITを纏うことも本作のオリジナル要素。他にも、味方では恋人のイズミ (元ネタはおそらくZATの森山いずみ隊員。白鳥さおりでなくこちらを採用した背景が気になる……) 、敵ではモチロンがそれぞれ新キャラクターとして登場しているなど、『タロウ』ファンへの行き届いたサービスも嬉しいポイントだ。  

また、SEASON 2の特徴として欠かせないのが (進次郎とレナの出番が少ないからか)ウルトラマンや宇宙人にまつわる辛気臭い話」が鳴りを潜めており、その分ヒーロー活劇色が強くなっていること。 

6話という話数や、熱血系主人公の光太郎+飄々としたジャックという魅力的なコンビがメインを張ることも相まって、本作は非常に見易い作品。前作の難点だった人間のCGも (カバンを持つようになったことをはじめ) そのクオリティを大きく向上させている。 

6戦士が並び立ちこそすれ共闘しなかったり、レナ不在の代わりなのかワドラン星人がその奇妙なキャラクター性に反して妙にプッシュされていたり……と、気になる点がないとは言えないものの、それよりも魅力が際立っているのがこのSEASON 2。前後作に比べて純粋にULTRAMAN SUITの魅力を堪能することができるため、気になる方はいっそこのSEASON 2だけ覗いてみるのもありかもしれないし、何より、びっくりするほどカッコいいラストシーン=「俺はウルトラマンタロウ」の一連を一人でも多くのウルトラファンに見てほしい……!

 

 

④ 『ULTRAMAN FINAL』

 

ULTRAMAN』のシーズン3にして完結編である『ULTRAMAN FINAL』。±0だったシーズン1、ストレートに楽しめたシーズン2と来て非常に楽しみな作品だったのだけれど、いざ蓋を開けてみると、自分にとっては「過去一の問題作」に感じられてしまった、というのが正直な感想だ。 

第一の問題点は、最終章であるにもかかわらず、前作で勢揃いした6戦士の足並みが全く揃わないこと。ザラヴィー (ザラブ星人がモチーフの異星人) の暗躍によって、光太郎に追われることになる進次郎。序盤で行方不明になる早田。後半まで出てこない北斗とジャック。最初から出ているが単独行動をし続ける諸星……。このように皆がバラバラに動いているせいで、本作は最終章とは思えないほど「共闘シーン」がなく、6戦士の共闘に至っては実質的に「存在しない」という有様なのである。 

更に、この6戦士に絡むもう一つの問題が「スペシウムの力を持つ継承者」という概念。曰く、ウルトラマンの因子=スペシウムの力を持つ者が真のウルトラマンとして敵に狙われる……という話で、ただでさえ気になっていた「早田親子とそれ以外の戦士たちの差」をわざわざプッシュした挙句、4人目の継承者とされるのがなぜか (シーズン2ラストでベムラーに救われている光太郎ではなく) 異星人の子でこそあるがウルトラマン縁の存在ではないレナであるなど、レナがMARIE SUIT を纏うお膳立てだとしても粗雑過ぎると言わざるを得ないものだった。 

(ちなみに、このレナ=4人目の継承者という問題や、MARIE SUITの存在はその後本筋に特に関わらない。尺に比して要素が多かったのは分かるけれど、1クールのアニメなのだしこの辺りの手綱はしっかり握ってほしかった……)

 

 

しかし、そんな足並みの揃わない6戦士やレナの扱い以上に大きな問題と言えるのが、本作の軸となるウルトラマンへのアンチテーゼ (のようなもの) 。要はウルトラマンは厄災なのではないか」という問いかけだ。

 

 

本作の黒幕の目的は、地球人の中にある「ウルトラマン信仰」を消し去る為に、地球人にウルトラマンへの不信感を植え付けた上で「光の巨人」となった進次郎を殺すこと。その一環として、メフィスト (メフィラス星人モチーフの異星人) が地球人にウルトラマンの排除を呼び掛けたりするのだけれど、この辺りの描写が視聴にあたってあまりにもキツかった。何がキツいって「地球人の民度の低さ」がキツい。 

大雑把な流れとしては、前述のザラヴィーによって偽ULTRAMANが街を破壊→人々の間でウルトラマンへの不信が高まる→メフィストが「ウルトラマンは正義面した危険分子です、私たちがウルトラマンを排除してみせましょう」と呼びかける→人々がメフィストゼットンを応援する→倒された進次郎を見て、人々が「でも、ウルトラマンたちは自分達を守ってくれていた」と改心する、というもの。そもそもこの話と内輪揉めで最終章を1クールやるというのがおかしいんじゃ、という点に目を瞑ったとしても、このくだりのツッコミどころの多さは尋常ではない。 

まず「偽ULTRAMANが街を破壊したので不信感が高まる」までは分かる。しかし、メフィストの「ウルトラマンは正義面した危険分子です、私たちがウルトラマンを排除してみせましょう」という呼びかけに一般人が賛同することに違和感がある。というのも、この世界は異星人の存在が明らかにされており、過去の出来事や一部の異星人の暴走によって、人々は異星人に恐怖や嫌悪感を持っている。そして、その異星人たちをULTRAMAN SUITを纏った戦士たちが倒してきたのも知っている。そのため、ULTRAMANが街を破壊したことで不信感が高まるのは当然としても「だからメフィストは信用できる」となるはずがないし、メフィストゼットンを応援してULTRAMANに暴言を投げる様には「お前らULTRAMANが倒された後のこととか考えられないの!?」と叫びたくなってしまった。 

そんな人間たちが最後、進次郎が倒されたところで急に応援し始める姿は「罪悪感で我に返って進次郎たちを応援し始めた」ようにしか見えなかったし、それは転じて「前述の一連から繋がるULTRAMAN SUIT C-TYPEの誕生に全く燃えられない」という致命的な欠陥になっていたようにも思う。

 

 

ちなみに、この「ウルトラマンは厄災なのか」という問いかけはシーズン1でもレナの「母親がウルトラマンの戦いに巻き込まれて死んだ」という過去 (実際には事情が異なっていたことが本シーズンで発覚する) を通して描かれており、このウルトラマンの戦いで犠牲者が出ている」というツッコミは『ULTRAMAN』という作品を離れてもよく目にする定番の切り口と言える。 

けれど、自分はそもそもこの切り口が好きになれない、というか納得がいかない。ウルトラマンは守る為に戦っているのであって、責められるべきはむしろ被害を引き起こした側。侵略異星人ならその異星人を責めるべきだし、怪獣なら動物災害や天災に近い視点で考えるべきだろう。にもかかわらず、これらの視点を欠いてウルトラマン側を一方的に叩くのは「自分に逆らわない相手だからいじめやすい」という心理による弱いものいじめと変わらないし、そのことに気付かないまま、この切り口を「鋭い指摘」だと感じていそうな語り口自体にどうしても腹が立ってしまうのだ。 

(ちなみに、これは日夜大規模な戦いを強いられるウルトラマンたちにとって避けられない問題であり、ある種のタブーといえるもの。『ULTRAMAN FINAL』では、初代ウルトラマン=ハヤタが被害に遭った人を見舞い、詫びているという回答が示されたが、被害者全員にそんなことをするのは到底不可能。タブーに切り込んだ割にこのような回答にならない回答を正解として描くのは、物語としての強度に支障を出すだけでなく「そういうことをしていないウルトラマンたちへの批判」という飛び火にもなっている。製作陣には『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』や『ウルトラマンサーガ』など、そのようなテーマに慎重に切り込んだ作品を見てよく考え直してほしい)

 

 

おわりに

 

思っていたよりも遥かに楽しめた『Ultraman: Rising』。一方、感想が半ば愚痴のようになってしまった『ULTRAMAN』。両作品を振り返ると、改めてウルトラマンって、今こんなに元気なんだな……」としみじみ感じてしまう。

 

 

映像配信サイトとウルトラシリーズがタッグを組んでコンテンツを製作する、というのは、おそらく2016年の『ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA』と2017年の『ウルトラマン ザ・プライム』以来。この2作はどちらもAmazon Prime 独占配信作品として製作されたものの後に続かず、「あまりウケなかったんだな……」という切なさと共に、今後のウルトラシリーズの展開に不穏な影を落としていた。 

しかし、時代が令和になった今、天下のNetflixにおいてこのように全く毛色の異なる作品が二つも作られており、『Ultraman: Rising』に至っては、円谷プロにとってもNetflixにとっても肝煎りの、世界を狙った作品であることが明らか。これら二つの作品は、その存在自体がウルトラシリーズの再生を象徴していると言っても過言ではないのである。

 

 

世界展開といえば忘れてはならないのが、来月放送開始のTVシリーズ最新作『ウルトラマンアーク』。このアークと『Ultraman: Rising』が世界中で人気を博し、それらが『Ultraman: Rising』第二作に繋がってくれればシリーズファンとしてこんなに嬉しいことはないし、第二作があのラストシーンから連想される通りの映画になるのだとしたら、自分はそこが『シン・ウルトラマン』以来の成仏ポイントになってしまうかもしれない。 

そんな未来に思いを馳せつつ、今は何より『Ultraman: Rising』を周囲に布教し、来る『アーク』の放送開始――具体的には、6/21(金)17:00~に生配信が行われる『ウルトラマンアーク プレミア発表会』に向けて万全の準備を整えておきたい。