人生初の『プリキュア』スクリーン体験を『映画 プリキュアオールスターズF』でキメた十数分後、帰り道の電車で感動に涙を流しながら、それはそれとして猛烈に唇を噛んでスマホを叩き始めた。
「プリキュア全作を見た上でオールスターズF初見をキメる」ができなかったことが本当に悔しい。プリキュアシリーズと共に人生を過ごした上でこの映画に辿り着きたかった。面白かったと素晴らしかったの気持ちで一杯なのに、それ以上に「逃した」悔しさが大きい。こんな気持ち、冗談でなく初めてだ……
— 虎賀れんと (@Le_Soya) 2023年9月15日
自分は「プリキュア全作を見た上でオールスターズF初見をキメる」という、本当にかけがえのない最高の瞬間を自分の怠慢で潰してしまった。この超絶ド傑作最高映画で「人生完結」に至れなかったことが、本当に本当に、本ッッッッ当に悔しい……!!
オタク特有の誇張表現でなく、本当に悔しくてしょうがない。そう思わせてくれるほどに作り込まれ、愛に溢れ、魂に満ちたのがこの映画だった。……けれど、ただ悔しいと叫んでいるだけじゃあ何も好転するハズもないので、そんな悔しさと、自分を打ちのめした『オールスターズF』の素晴らしさをできる限り詳細に書き留めることで、少しでも本作で「完結」できなかった自分自身を供養しつつ、この作品への感謝を言葉にしておきたい。
ちなみに、当然ながら本編の内容にズカズカ言及していくので、本題に入る前にこれだけは大声で言っておきます。
プリキュアシリーズが大切な人、プリキュアと一緒に生きてきた人!!!!!!!!!プリキュアに救われてきた人!!!!!!!!!!!!!!!!!!何も見ず何も言わず!!!!!!!!!今すぐ劇場に行ってくれ!!!!!!!!頼む!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
※以下、『映画 プリキュアオールスターズF』のネタバレが含まれます。ご注意ください!※
引用:『映画プリキュアオールスターズF』公開記念 タイアップキャンペーン - 東京ドイツ村 公式ホームページ
《目次》
- 『オールスターズF』序盤 - 丁寧で上品な「公式同人誌」
- 『オールスターズF』中盤 - プリキュアの「インフィニティ・ウォー」
- 『オールスターズF』終盤 - 「メタ作劇」のジンクスを打ち破ったもの
- プリキュアって、なに?
- 余談 ー 葛藤するオタクVSプリキュアシリーズ
『オールスターズF』序盤 - 丁寧で上品な「公式同人誌」
『映画 プリキュアオールスターズF』は、現在放送中の『ひろがるスカイ! プリキュア』をメインに据えつつ、歴代プリキュアのクロスオーバーを描く『オールスターズ』系映画の最新作。
これまでプリキュアシリーズの映画をスクリーンで見たことのなかった自分が、そんな本作をなぜこの公開初日に見ているか……というと、それは「『ひろプリ』の面白さもあってプリキュア熱が高いから」というのは勿論だけれど、それ以上に「今回のメインとなる作品群が全て視聴済」なこと。というのも、自分が視聴済の『プリキュア』TV作品は『フレッシュプリキュア!』~『スマイルプリキュア!』、そして『Go! プリンセスプリキュア』から『ひろがるスカイ! プリキュア』までの9作と、幸いにして『オールスターズF』のメインとなる『Go! プリンセスプリキュア』以降の作品は全て履修済みなのである。
それに加えて「脚本が田中仁氏」であるとか、1つ前のアニバーサリー×オールスターズ作品である『映画 HUGっと!プリキュア♡ ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』がとんでもないド傑作だった……とか、ここまで「揃って」しまったらもう見に行かない理由がなかったし、事実『オールスターズF』前半はまさに『Go! プリンセスプリキュア』~『ひろがるスカイ! プリキュア』ファンの為に作られたかのような贅沢極まるクロスオーバー作品になっていた。
『オールスターズF』前半の巧さといえば、なんといっても「戦闘シーンの尺を限界まで減らす」という思い切りの良さ。
開幕するなり颯爽と現れ「例のカット」をキメるサマー&プレシャス。スカイを交えた3人共闘。プリズム・ラメール・フィナーレらのドタバタ共闘。そして、ある意味前半のサプライズ要素とさえ言える「作画で描かれるフローラの必殺技~ごきげんよう」(メイン組では一番の古株だからか、本当に素敵なリスペクトだった……!) 。これらのシーンの異様な満足度の高さで忘れかけてしまうけれど、プリズムチームに合流するのどか、はるか以外のウィングチーム、そしてバタフライチーム全員については「合流前パートにおいて変身・戦闘が描かれない」し、なんなら合流してからも変身・戦闘でさほどスポットが当たる訳ではない。
レギュラーメンバーを絞った上で、更にその戦闘シーンを限界まで削る……と、この大胆な采配には驚きを隠せなかったけれど、しかし、この思い切った選択の甲斐あって『オールスターズF』前半は「これが見たかった!」を無限に摂取できるクロスオーバーのフルコースと化していた。
・まなつ、ゆい、ソラの「デリシャスマイル~!」
・気負いやすいソラに「今一番やりたいこと」を問うまなつ
・ローラに振り回されるましろ
・のどか&ラビリンとましろの共演
・はるかを「この世界のプリンセス」と呼ぶツバサ
・「夢」について語り合うはるかとさあや
・気ままなゆかりと理屈っぽいララの衝突&仲直り
・犬繋がりか、ラテをあきらと見間違えるゆかり(サラッとあきらの台詞が新録されてることにびっくり……!)
何コレ同人誌!?!?!?!?!?!? (褒め言葉)
も~~~~本当に毎分ニヤニヤしっ放しでたまらなかった。自分は前情報もあまり仕入れなかったので、ましろとローラ、ツバサとはるかの対面シーンなどは「ここが組むのか……!!」とたまらないものがあったし、いざ組んでからも全員が「らしい」掛け合いしかしないのが本当に素晴らしい。けれど、それらのクロスオーバーが決して「これみよがし」ではないのが上品だなと。
のどかはましろに「ラビリンと声がそっくりだね」と言わないし、ララとゆかりの衝突は一切の忖度がない「深刻」なものだったり……と、こういう丁寧さがこの映画への信頼感を磐石にしてくれたし、新キャラクターであるプリムとプーカについてもさぞ魅力的なドラマが用意されているのだろう、と期待に胸が膨らむ思いだった。
……ちなみにこの時点では「プリムがやむを得ない事情でプーカを突き放さざるを得なかった」のだと思ってましたね、ハハッ (乾いた笑い)
/⋰#映画プリキュアオールスターズF
— 『映画プリキュアオールスターズ F』 (@precure_movie) 2023年9月9日
公開までのカウントダウン🌟
\⋱#デリシャスパーティプリキュア#キュアフィナーレ/#菓彩あまね
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🌈公開まであと5日🌈
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(プリズム・ラメールとの合流シーンでのフィナーレの本気エルボー、あまりにも菓彩あまねみが強くて好ッき……)
『オールスターズF』中盤 - プリキュアの「インフィニティ・ウォー」
こうして「4チームそれぞれが親睦を深め、それぞれの色が出てきたところで合流を果たす」……と、ここまではまさしく「理想的なクロスオーバー」をたっぷり見せてくれていた『オールスターズF』。
ソラがまなつ・ゆいに見たデジャヴや、よりによってアスミが「この世界は……」と不穏な呟きを見せるあたりに不穏な気配があったものの、尺の問題もあるだろうし、おそらく「このまま城に到着、何かのキッカケでプーカが暴走し、プリムと駆け付けた全プリキュアたちでそれを救う」という展開になるのだろう……と、この時の自分はそんな甘っちょろい予想を立てていた。が、城下町に入ってからはそんな予想が1シーンごとに打ち崩されていく。
モブキャラのような人間たち。
ここにきて一切描写のない「アーク」なる存在。
異様にあっさり処理されるグレースたちの変身・戦闘……。
これらの描写でグングン高まっていく違和感とハードル。この辺りの「何かがおかしい」「何かとんでもないことが起こっているらしい」という “不穏さの中で宙吊りにされる” スリリングさがまた巧みだったし、いざ明かされた「真相」がそんなハードルを軽々越えていく衝撃的な代物だったことには興奮で血管がハチ切れそうだった。だってあの「全プリキュアVSシュプリーム」シーン、オタクの「好き」しか詰まってないじゃないですか……!!
規格外の力を持つ存在=シュプリームを相手に総出で立ち向かう歴代プリキュア。「フェリーチェ以前のプリキュアは主人公しか出ないだろうと思っていたので、開幕で吹っ飛ばされるミルキィローズに色々な意味で目を疑った」とか、「スターパンチと2000キロカロリーパンチの合体技だ」とか色々と言いたいことはあるのだけれど、何より衝撃的だったのはプリキュアの「完敗」ぶり。ブラックとホワイトが負けるというだけでも驚きなのに、ソラたちと行動を共にしていた以外のプリキュアや、彼女たちの住んでいた世界、そこに住んでいた人々は皆シュプリームによって「解体」された状態にあるのだという。えっ何、自分が見てるの本当にプリキュア?『インフィニティ・ウォー』とかじゃなくて!?
「歴代ヒーローが手も足も出ない強敵」という概念はまさに諸刃の剣。下手に扱えば「こんなヤツに◯◯が負けるなんて……」となってしまう一方、巧く演出できればそれこそサノスのように「格のある敵」として、物語をこれでもかと盛り上げてくれる。その点、巨大な体躯に美しく神秘的なデザインを持ち「神」のような風格を纏っていたシュプリームは間違いなく後者だったと思うし、プリキュアたちが総出でかかっても倒せないという「規格外」ぶりには並々ならぬ説得力があった。
そして、そんな「格」とは転じて「これどうするの……」という絶望感にも繋がる訳で、真相が明かされた後の「どうにもならない消化試合感」のやるせなさや、「大人にもいいとこ見せてよね」と注意を引き付けるバタフライ、ソラたちを逃がして特攻に出るウィングたちの「散り際」には言葉が出なかった。結果的にプリキュアの消滅は「時空改編」に近いものであり「死」ではなかったのだけれど、描かれ方は確実に「死」のそれだったし、物理的な残酷さからは縁遠いハズのプリキュアたちがボロボロになっていくシーンは「残酷な戦い」を見慣れているハズの自分にも深々と刺さるものがあった。体感としては『シン・ゴジラ』における初の熱線放射シーンや『魔法少女まどか☆マギカ』のような「絶望感と生理的な嫌悪感が入り混じる」もので、もしかすると「クレームが入るほどハードな展開が繰り広げられた」という初期プリキュアシリーズへのリスペクト / 原点回帰だったのだろうか。
何にせよ言えるのは、不謹慎ながらもこの「圧倒的な絶望感」にワクワクしてしょうがない自分がいたこと。ここまでのシチュエーションはプリキュア以外の作品を含めても昨今中々見たことがないし、このシチュエーションそれ自体が『オールスターズメモリーズ』とは違った物語を描き、『オールスターズメモリーズ』を越えていこう、という決意表明のように思えたからだ。
しかし、その絶望的すぎるシチュエーションの中、自分はほんのり「嫌な予感」を感じてもいて……。
『オールスターズF』終盤 - 「メタ作劇」のジンクスを打ち破ったもの
「オールスター系映画」における必須級概念であるところの「メタ作劇」(メタと言っても様々なので、ここでは「視聴者 / 観客の存在が前提になる作劇」のことを指す) 。
視聴者 / 観客自身の思い出や「好き」の気持ちを巻き込んで更なる物語へ昇華させることで凄まじい瞬間火力を叩き出す「メタ作劇」だけれど、一歩扱いを間違えると「エモーショナルに振る為にロジックを欠いてしまう」「展開の要となる “思い出” が “こちら側” に委ねられてしまうせいで、物語への没入感や作品それ自体の説得力が損なわれてしまう」などのデメリットを生んでしまうことから、便利なようでその実扱いには慎重を期さねばならない代物だ。
そんなメタ作劇が、自分はどちらかと言えば苦手な方……というか、厳密には「メタ作劇が核になる作品が肌に合わないことが多い」というジンクスがあった。理由は色々あると思うのだけれど、中でも最たるものが「メタ作劇によるカタルシスやドライブ感が、前述の “ロジックや没入感が弱くなる” デメリットを越えられなかった」こと。そのため、今回の『オールスターズF』においても、キュアマジェスティが現れた辺りから「嫌な予感」が止まらなかった。「ここまでは良かったのに、プリキュアの復活シーンからは合わなかった」となったらどうしよう……と。あ、ちなみに『オールスターズメモリーズ』はハチャメチャに好きな作品です、念のため。
(苦手なのはこの辺り↑の作品です、好きな方々、すみません……)
事実、ここからの展開=プーカ覚醒からプリキュア復活までの一連は、まさにドが付く直球の「メタ作劇」だった。
はぐたんとハリーが “こちら側” へ直接語りかけてきた『オールスターズメモリーズ』ほど直接的ではなかったけれど、世界を繋げる為の「プリキュアの記憶」を持っているのは明らかに私たち観客だったし、明らかに「それぞれの作品」単位で各世界が分かれているあの空間は、メタ認識なくては成り立たない「プリキュア歴史空間」とでも呼べる異常時空。自分は、本来ならこの「極めて強いメタ認識」が出された時点で頭を抱えてしまう――はずだったのに、不思議とそうはならなくて、むしろ記憶 / 歴史から蘇っていく主人公たちの姿にただただ阿鼻叫喚。そう、自分は人生で初めて、この手の「メタ作劇」に冷めるどころか、むしろその作劇こそがぶっ刺さってしまっていたのだ。
どうして今まで苦手としていたメタ作劇が『オールスターズF』のこのシーンでは刺さったのか。理由は色々あるだろうけど、大きいのは「エモーショナルに振る為にロジックを欠いてしまう」「展開の要となる “思い出” が “こちら側” に委ねられてしまうせいで、没入感や作品それ自体の説得力が弱くなってしまう」という、自分が感じていた「メタ作劇における苦手ポイント」を『オールスターズF』が見事払拭していたからだと思う。
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— 『映画プリキュアオールスターズ F』 (@precure_movie) 2023年8月27日
ゲスト声優解禁❣️
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🎀 #キュアシュプリーム/#プリム 役#坂本真綾 さん🌈
🎀 #プーカ 役#種﨑敦美 さん🌈
映画で初登場となる二人の
特別映像も届いたよ🎥#映画プリキュアオールスターズF pic.twitter.com/oPNPmuaaqa
まずは、この「プリキュア復活」シーンに用意された「ロジック」について。
この一連は、身も蓋もないことを言ってしまえば「観客の記憶によってプリキュアたちが復活した」という一言で纏められてしまうものなのだけれど、ポイントはそこに至るまでのロジック=導線が程よく整備されていること。
というのも、シュプリームVSプリキュア (城内) のシーンにおいて「シュプリームによる世界の解体・生命の消去は、あくまでそのカタチを変えているだけ」であり、元に戻せるものだと示唆されていた。つまり、プーカによる世界の再解体、もとい分離は「ぐちゃぐちゃに混ぜられたものを切り離した」状態だったと考えられる。
しかし、プーカが行ったのはあくまで「分離」まで。ぐちゃぐちゃに混ぜられたものを切り離した後は、それらを在るべき姿に「再構成」しなければならない。バラバラになった『プリキュア』の世界や歴史を「繋げる」必要があったのだ。
その鍵として全てを「繋ぐ」ことができるのは、プリキュアたちの――そして、様々な『プリキュア』を応援し続けてきた人々=他でもない私たち観客の想い。シリーズを跨いで「プリキュア」というヒーローたちを “見続けてきた” “応援し続けてきた” 人々の思い出だからこそ、プリキュアの世界や歴史を「繋げる」ことができる。
しかし、私たち観客とプリキュアとの間には “隔たり” があり、このままでは、私たちの思いを届けることができない……と、そこに最後のピースとして現れる「観客とプリキュアを繋ぐバトン」=ミラクルライト。こうして全てが揃い、遂にプリキュアの復活劇が幕を開ける――。
と、このように本作におけるプリキュア復活劇は「観客の願いがプリキュアを蘇らせる」という、ともすればエモーショナルに割り切れてしまう演出に―― “理屈っぽさ” が出ないような、絶妙な塩梅で――ロジックを通してみせたのだ。
そのことに何の意味があるんだ、オタクの誇大妄想じゃないか……と思われるかもしれないけれど、ここに「意識的にロジックが用意されている」のは間違いないと思うし、そこには確実に “意味” があると思う。
というのも、こうしたロジックが弱めのメタ作劇の場合、私たち観客は「こちらが願えば奇跡でも何でも起こせる神」のようになってしまう。メタ作劇によって “物語” の中に招かれながらも、その結果 “その物語にいてはいけない” 存在になるという本末転倒に陥ってしまうのだ。
しかし、『オールスターズF』において、私たちは決して神ではない。プリキュアたちが力を尽くし、プーカがシュプリームの能力の穴を突いたことでようやく見えた希望を、「プリキュアを応援してきた」私たち「だからこそ」繋ぐことができる。つまり、本作におけるプリキュアたちの復活劇は、彼女たちと観客が「力を合わせた」からこそ成し得たものであり、私たち観客はこの時、神という第三者ではなく、文字通り「プリキュアたちと共に戦う唯一無二の登場人物」になることができた。
この些細で、しかし決定的な違いこそ、これまで「メタ作劇」が刺さらなかった自分に本作が刺さった一番の要因なのだろうと思う。
/⋰#映画プリキュアオールスターズF
— 『映画プリキュアオールスターズ F』 (@precure_movie) 2023年7月27日
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プリキュアって、なに?
キュアハート、そしてキュアブロッサムが先陣を切る形で次々と現れる歴代主人公たち。シチュエーション自体はこれまで何度も見てきたハズの「人々の記憶・思い出から蘇るヒーローたち」に違いなく、自分がまだ知らないプリキュアもいるというのに、彼女たち一人一人の復活シーンにはどうしようもなく胸が高鳴ってしまったし、当たり前のように涙が抑えられなかった。それは、この復活劇に満ちる「説得力」が、そして何より「原作の名シーンを背に」「CGでなく、作画で」復活するという演出が、彼女たちを「客演したレジェンドプリキュア」ではなく「それぞれの時代から駆け付けた主人公たち」足らしめていたから。
「観客の記憶から蘇る」のだから想像で補完してね、と甘えることなく「展開の要となる “思い出” 」を原典から抽出し、スクリーンにしかと焼き付ける。これ一つがあるだけで、プリキュアたちだけでなく、私たちの「あの時」の思いまでもが蘇ってくる。先の「ロジック」も含め、隅々まで行き渡ったこの「本気」の演出が、メタ作劇によるカタルシスと没入感・説得力を巻き込み、爆発させ――結果、ここから続く最終決戦や、そこで描かれるクロスオーバー一つ一つの「本物感」を桁違いのものに昇華させていたのだ。
/⋰#映画プリキュアオールスターズF
— 『映画プリキュアオールスターズ F』 (@precure_movie) 2023年8月23日
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キュアトゥインクルとキュアスターたち「星のプリキュア」たちの共演。「マーメイド」繋がりのキュアマーメイド・キュアラメールの共演。そして何より、単独映画の方針変更によって実現しなかった『デリシャスパーティ♡プリキュア』と『キラキラ☆プリキュアアラモード』の共演……!
「キラキラルと!」「ほかほかハートを!」「レッツ・ラ・まぜまぜ!」には思わず涙してしまったし、満を持してマカロンの元に馳せ参じるショコラには変な声が出そうになってしまった。「退屈しなかったから」というマカロンの返しも含めて、この2人が並ぶ時の「質感が変わる」感覚、キラプリでメチャメチャ見たヤツだ!!
/⋰#映画プリキュアオールスターズF
— 『映画プリキュアオールスターズ F』 (@precure_movie) 2023年8月15日
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他にも、このクライマックスでは尺ギリギリにありとあらゆるクロスオーバーが仕込まれていたし、文字通り「処理が追い付かない」状態だった。見逃したシーン、見落としたクロスオーバーは山ほどあると思うけれど、製作陣の「気が狂うほどの愛」だけはしかと胸に感じたところ。
そんな中でも一際鮮烈だったのは、やはりキュアエールからプーカに贈られる「なんでもできる!なんでもなれる!」の言葉、そしてキュアペコリンたち「妖精プリキュア」の力を受けたプーカが変身したキュアプーカ!
/⋰#映画プリキュアオールスターズF
— 『映画プリキュアオールスターズ F』 (@precure_movie) 2023年8月18日
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🌈公開まであと27日🌈
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2018年という「1つ前のアニバーサリー」の主役である彼女には何か大きな役割が与えられるのでは、と予てから多くのファンが予想していたけれど、まさか「プーカの背中を押す」という大役を担うとまでは思わなくて、ただでさえ凄まじいクライマックスにおいてここだけは本当に声が漏れていたと思う。普段なら現行主役に与えられるであろうポジションだけれど、そう、この台詞を投げ掛けるのに最も相応しいプリキュアは、やはり誰をおいても「彼女」しかいないのだ。
かくして現れる、本作最大のサプライズ=キュアプーカ。彼女が変身する瞬間、周囲に何人かのプリキュアが輝いていた (脳の処理が間に合わなくてキュアペコリンしか分からなかった) けど、これって多分キュアモフルンたち「妖精プリキュア」が力を貸したってことで良いんですよね……ッ!?
と、その凄まじいサプライズもさることながら、何より涙腺に響いたのは彼女の「傷付ける為ではなく、救う為にならその力を使う」という想い。たとえ「破壊の権化」の分身だとしても、たとえ人間でなかったとしても、その想いを胸に戦い、ソラが口にしたように「決して諦めず、何度でも立ち上がる」ことができるなら、誰もが等しくプリキュアになれるのだ。
けれど、人はそれほど強くなく、間違うことも挫けることもある。だからこそ、プリキュアはいつも「誰かと一緒に、支え合いながら」歩むもの。並び立った黒と白のプリキュア=シュプリームとプーカの背中で幕を引く本作のラストシーンは、 「これからもずっと “プリキュア” の根底には “ふたりは” の文字がある」という原典へのリスペクトであると同時に、「弱さ」を肯定し、繋がりをこそ「強さ」とする、シリーズが貫いてきたメッセージそのものなのではないだろうか。
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— 『映画プリキュアオールスターズ F』 (@precure_movie) 2023年9月10日
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9/17(日)23:59まで!#映画プリキュアオールスターズF pic.twitter.com/jnXwgE97cH
余談 ー 葛藤するオタクVSプリキュアシリーズ
思い出して、また泣いた。
本当に素敵で、熱くて、泣けて、眩しい希望と暖かいメッセージに満ちていて、クロスオーバー作品としても『プリキュア』アニバーサリー作品としても抜け目なく、どこを取っても素晴らしい、「歴史で殴られる」の総決算的にして到達点のような大傑作だった。懸念だった「メタ作劇」についても、その弱点を完封した上で、一番美味しいところを丁寧に掬い上げてカタルシスに昇華させる……という本作にすっかり打ちのめされてしまったし、これはもうオールタイムベスト……もとい狭義のオールタイムベストに入ってくるんじゃなかろうか。と、そんな清々しい気分と感動の涙で劇場を後にした。
しかし、一つだけ問題があった。「今はまだ、この映画を “オールタイムベスト” と呼べない」という葛藤だ。
「プリキュア全作を見た上でオールスターズF初見をキメる」ができなかったことが本当に悔しい。プリキュアシリーズと共に人生を過ごした上でこの映画に辿り着きたかった。面白かったと素晴らしかったの気持ちで一杯なのに、それ以上に「逃した」悔しさが大きい。こんな気持ち、冗談でなく初めてだ……
— 虎賀れんと (@Le_Soya) 2023年9月15日
これまで以上に「個人的な話」になるのだけれど、この映画のボルテージが上がれば上がるほど、盛り上がる気持ちの側で「悔しい」という気持ちが湧き上がっていった。「未視聴の作品」がそれなりにあることだ。
何も「オールスター映画は、関係作品全てを見ていないと楽しめない」だなんて言うつもりは全くなくて、自分もプリキュアやスーパー戦隊シリーズは勿論、『アベンジャーズ / エンドゲーム』なども関連作品を見ないまま楽しんでいた……のだけれど、問題は『オールスターズF』がそれら以上に自分の「ツボ」すぎたこと。「この映画の為にこれまでのプリキュアを全て見るべし」とさえ言えるくらい本当に本当に最高の映画だったのに、自分はそれを初見でフルに楽しめなかった。そして、そのリベンジはもうこの人生では絶対に叶わない……という、そのことが本当に悔しくてしょうがないのだ。
そしてその「悔しさ」のもう一つの原因は「未視聴の作品がある状態で『オールスターズF』を見る」という状況を作り出してしまったのが、他でもない自分自身であること。その気になれば、『オールスターズF』前に未視聴の作品群=『ふたりはプリキュア (TV版) 』『ふたりはプリキュア Max Heart』『ふたりはプリキュア Splash Star』『Yes! プリキュア5』『Yes!プリキュア5GoGo!』『ドキドキ!プリキュア』『ハピネスチャージプリキュア!』の7作品を見ることだって不可能ではなかったハズ。それをしなかった自分の甘さ、愚かさ、あるいは『プリキュア』というコンテンツの力を見くびっていた事実が許せない……ッ!!
しかし「人はやり直せる」と教えてくれるのもまた『プリキュア』シリーズ。程なくして訪れるであろう次なる『オールスターズ』に備えることはできるし、そもそも、この『オールスターズF』がなかったら、自分は他シリーズの履修をどんどん後回しにしてしまっていたかもしれない。可処分時間だとか、人生の有限さだとかそんな先のことにばかり目をくれるのではなく、今一番やりたいことをやって、今一番やるべきことを頑張って、次なる『オールスターズ』を観る頃には、今よりはプリキュアに胸を張れる大人になっていたいと思う。
……で、思い立ったが吉日。早速、スキマ時間を使って早速未履修の歴代シリーズを見ていこう。まずはどれから見ようかな、総集編だけしか見ていなかった『ふたりはプリキュア』か『Max Heart』か、それとも『ふたりはプリキュア Splash Star』か『Yes! プリキュア5』………………あっ。
1ヶ月切ってるじゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(1ヶ月後)(50話と100話)(後悔先に立たず)(筆者の明日に御期待ください)