感想『ウルトラマンデッカー 最終章 旅立ちの彼方へ…』 正直ディナスだけで2000点。「理想的」かつ「一長一短」なデッカー完結編

人事を尽くして天命を待つ、という言葉があるけれど、自分はウルトラマンデッカー 最終章 旅立ちの彼方へ…』という天命に際して、些か人事を尽くしすぎた気がしていた。

 

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ウルトラマンデッカー』本編の総括として書いたこちらの記事は、なんと文字数55000という気が触れてないと書けないような意味不明のボリューム。結果、自分は『デッカー』に対して正直少し燃え尽きてしまったところがあって、人事を尽くして天命を待つハズが「人事を尽くしすぎた結果、天命に対して食指があまり動かない」という意味不明な状況に陥ってしまっていたのである。 

そのため、正直この『最終章』について感想を残す気は全くなくて。……という、この文章を今こうして書いているのはつまり「そういうこと」だった訳で。

 


※以下、『ウルトラマンデッカー 最終章 旅立ちの彼方へ…』ほか関連作品のネタバレが含まれます、ご注意ください※



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引用:ついに公開開始!『ウルトラマンデッカー最終章』劇場舞台挨拶&ヒーローグリーティング追加実施発表! - 円谷プロダクション公式ホームページ


《目次》


「本編開始前に及第点を出す映画」って、なに?

 

いきなり何だと思われるかもしれないけれど、それでもどうか言わせてほしい。「本編開始前に及第点を出す映画」という概念に出会うのは流石に初めてのことだった。 

何のことかというと、実は本作には「劇場限定で流れる特別映像」が存在している。
HANE2が『ウルトラマンデッカー』TV本編をナレーション付きのダイジェストで振り返るというもので、それだけ見れば決して珍しいものではない……のだけれども、思わず鳥肌が立ってしまったシーンが一つだけ。 

それは最終回『彼方の光』中盤、対マザースフィアザウルスの最終決戦にガッツファルコン等が出撃する、まさにその瞬間――!

 

ヒカリカナタ

ヒカリカナタ

  • provided courtesy of iTunes

 

流れ出す『ヒカリカナタ』!!!!  お、俺が見たかった最終回だ………!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

自分は常々「挿入歌」に弱いオタクで、前作『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』や、本作の前身にあたる『ウルトラマントリガー エピソードZ』では『Higher Fighter』や『明日見る者たち』のシーンで発狂したり大泣きしたりと大忙しだった。 

そんなオタクが、『デッカー』14話で披露された新ED『ヒカリカナタ』を聞いたらどうなるか。 

 

こうなるのである。 

いや実際「絶対流れるだろ!!」と思っていたし、未だに本編で流れなかったことが信じられない。4曲用意された「タイプチェンジテーマソング」がステージでしか使われなかったのも驚きだったけど、まさかここまで「熱い泣きメロ」満載の『ヒカリカナタ』が流れないとは思わなかったし、「自分だったら絶対に最終回で流してた」と一人勝手に悔しがっていた。あんな名曲が挿入歌として使われないの、勿体ないよ……! と、思っていた矢先にこの最終章本編前劇場限定スペシャルダイジェスト (長)である。 

『ヒカリカナタ』をバックにしたマザースフィアザウルスとの最終決戦はやはりというか何というか相性バッチリ。ダイジェストなのでごく短いシーンではあるのだけれど、もし自分と同じ想いを抱えていた『デッカー』ファンがいるのなら、是非、その為だけにでも劇場へ足を運んでほしいと思ってしまえるものだった。 

そして、この演出のおかげで『ウルトラマンデッカー 最終章 旅立ちの彼方へ…』は自分にとって「本編開始前時点で既に及第点を叩き出す」という、非常に稀有な作品になっていたのである。

 

さて、では肝心の本編はどうだったのか。趣旨がズレにズレてしまったような気もするけれど、是非、オタクの長文にお付き合いください。

 


ディナス……好きだ……。


ウルトラマンディナスなんですよ。

 

 

常々、ウルトラマンには男性が「ウルトラマン」女性が「ウルトラウーマン」という名称の区別があるのがもどかしかった。 

お隣の畑の仮面ライダースーパー戦隊にはそういう区分けがないから、女性ヒーローが「特別視」され辛い=女性ヒーローが出しやすい風土があるように思う。この点はウルトラマンがつい先年まで日陰者だったことと決して無関係ではないだろうし、(スパークドールズや、前期のエースといったイレギュラーを除けば) 唯一の例外だったウルトラマンジャスティ (厳密には女性というより“中性的” “無性別” のイメージだけれど) が近年活躍していることには「世代ファンとして」とはまた別の意味での嬉しさを感じたことをよく覚えている。

 

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(女性ウルトラマン/ウルトラウーマンという概念の難しさについては、こちらの記事でも語っているので是非ご参照ください)

 

さて、そこに来てのウルトラマンディナスである。銀と紫という、バッと見ただけでは「女性らしい」訳でもなく、しかしどこかセクシーさを感じさせもする絶妙なデザインは「ウルトラマン」の名を持つ女性ウルトラヒーローにバッチリのデザインで、変身するのが女性だと分かった時にはウルトラマンの “令和” だ……」と、妙な感慨に耽ってしまっていた。 

しかし、こういったイレギュラーなヒーローは得てしてその活躍に恵まれなかったりもするし、似たポジションのウルトラウーマングリージョも『劇場版 ウルトラマンR/B セレクト! 絆のクリスタル』ではあくまで支援キャラクターとしての役割に留まっていた。ところが、問題のウルトラマンディナスはそんな予感をはね除けるかのような大活躍を見せてくれた。

 

「怪獣と日常的に交流を持っていたため、ディメンションカードで怪獣の力を使って戦うことができる戦士」という設定にはなるほどと頷かされたし、カードの展開エフェクト・モーションも一つ一つが異様にスタイリッシュ。しかし、一番グッと来てしまったのがイカルス星人戦で使われた「怪獣カードによるコンボ」!

 

 

ケルビムの尻尾攻撃とゼットンの火炎弾をミックスすることで炎の鞭を作り出し、足技の要領で敵を切り裂く――いやちょっと待って君カッコよすぎない!?!?!?!?!? 

カードによるコンボといえば、やはり頭を過ぎるのはデュアルソードによるウルトラコンボ。ウルトラヒーローでコンボができるなら怪獣でもコンボができるだろう!という発想だったのだろうけれど、各ウルトラマンの特色があまり出ないデュアルソードのコンボに比べ、ディナスのそれは怪獣の特徴がしっかりと現れていた点が魅力的。 

惜しむらくはその怪獣コンボがケルビム×ゼットンの1種類しか見れなかったことで、ディナスが怪獣カードで技を放つシーンの中に、もう一つくらい怪獣コンボが入っていたらなぁ、と思わずにはいられない。どうですか坂本監督?????? 

(再登場の暁には、怪獣カードを使わないディナス版のソルジェント/セルジェンド光線も見てみたい……!)

 

 

と、ここまでは「ウルトラマンディナス」についての話。ウルトラマンディナスの変身者=ラヴィー星人ディナスの魅力を語らずして、本作の魅力は語れないだろう。

 

戦闘に向かない身体のラヴィー星人でありながら、ウルトラマンダイナ=アスカ・シンの出自を知り、彼のように「たとえ自分が強い存在でなくても、誰かの大切なものを守るウルトラマンになりたい」と願う強い心を持つ……という、その真っ直ぐで熱いキャラクター性はまさに「王道主人公」のものだけれど、それを「女性ウルトラマンの骨子に据えた」という性別に囚われない采配がまず見事で、ディナスがカナタと肩を並べる存在としてハマっていたことにはこの点が大いに効を奏していた。 

演じる中村加弥乃氏の演技やビジュアルもそんなディナスにピッタリ (パンフレット掲載のインタビューによると、中村氏にキャラクターを寄せていった部分も大きいらしいが) で、キレの良いアクションを見せてくれるけど、決して「強者」には見えない……という設定そのままの華奢なスタイル、ボーイッシュな服装にあどけない容姿というギャップ、少し天然っぽい普段の姿と、スタイリッシュに熱く戦う「戦士」としてのギャップその2、凛々しさと愛らしさが同居した演技、カナタの叫びに負けない「ディナーーース!!」というシャウトのカッコよさ……と、何から何まで良すぎる。良さしかない。やめてくれないか、こんな刺さるヒロインをこの一作の出番に留めるのは……!!!!頼むよ浩一ィ!!!!!!

 

しかし、そんなディナスの「巧さ」といえば、これだけビビッドなキャラクターでありながら、既に出来上がっている『デッカー』組の雰囲気にしっかりと溶け込んでいたこと。それは、GUTS-SELECTメンバー (特にカナタ、イチカ) との相性の良さがしっかりと描かれていたこともあるのだろうけれど、彼女の存在そのものが『デッカー』の物語にフィットしていたことも大きいように思う。 

思えば、TV本編においてウルトラマンデッカー=カナタはどこまでも「普通の人間」であり、『デッカー』という作品は「特別な存在でなくても、目の前にある大切なことを一つ一つやり遂げていけば、誰だってヒーローになれる」というメッセージを謳い上げる物語だった。 

そんなカナタたちの前に現れたのが、その「普通」にすらなれない=身体的なハンデを背負いながらも、命懸けで戦うディナス。ギベルスの作戦に追い詰められたカナタたちが彼女の想いに鼓舞され立ち上がるというストーリーラインは、『デッカー』という作品のアフターエピソードである本作において非常にスマートな作劇だったと言えるのではないだろうか。

 

 

それぞれの進路

 

元来「続編もの」が好きな自分としては、やはりGUTS-SELECTそれぞれの「その後」がしっかり描かれていたのが嬉しかった。 

教官に戻るというムラホシ、念願叶って宇宙に飛び出したイチカ……は勿論だけれど、やはり感動してしまったのはサワとリュウモン。 

「怪獣の出現を事前に知ることで、不幸な衝突を無くす」というサワの目標は、本人は「消極的な共存かもしれませんが」と言っていたけれど、それでもサワ自身が未来に投げることなく「現実的な怪獣との共存方法」に辿り着いたことには、第10話『人と怪獣』ラストシーンにおけるシゲナガ博士とのやり取りを思うと胸に来るものがあった。

 

 

そして、リュウモンはまさかまさかの新隊長への就任が決定……! 

最終回における「隊長代行」としての活躍もあってか、その僅か1年後に隊長へ抜擢されるという大躍進。若すぎない? というツッコミについても、組織・設定的な面では「エタニティコアが鎮まり、スフィアの脅威も去ったことから、以前のように怪獣が頻繁に出現していない(=再び軍備縮小路線に入った)から」と説明できるし、残る問題=能力的な問題についても、訓練シーンなどで「実力においては不足なし」であることを示しつつ、本編終盤で「指揮経験の不足」という穴をきちんと突いてくる。「見たいものを見せてくれるだけでなく、その外堀もきっちり埋めた上でお出ししてくれる」というデッカーの魅力が詰まった好例と言えるだろう。

 

 

一方、TV最終回で「目の前のことを、一つ一つ」という自分の生き方を見付けたカナタが、「一つ一つ、が多すぎる!」と一人まだ自らの道を決めきれずにいる……というのも、カナタの「普通」らしさに向き合ってきた『デッカー』らしいな、と思えたポイント。 

彼が最終的に辿り着いた「 ”誰かの大切なもの” を、一つ一つ守っていく」という夢は、ウルトラマンダイナ=アスカ・シンからディナスへ、そのディナスからカナタへと受け継がれた「誰かの大切なものを守るために戦う」という誓いから生まれたもの。彼らが「ウルトラの光と同時に、もっと大切なものを繋いでいった」ことには、あくまでウルトラの光は付随的なものであり、彼らは「ウルトラマンではなく、ウルトラマンになれるだけの、ただの人間」であるとする、TVシリーズから続く武居監督のこだわりが満ちていたように思う。 

(ただ、カナタが「最終的に宇宙へ旅立つナースデッセイの艦長になる」というオチについては、ずっと前から宇宙を目指していたのに抜かされてしまったイチカが不憫でならずイマイチ納得できなかった。それは努力の天才どころじゃないのでは……???)

 


「勿体ない」ギベルスとギガロガイザ

 

「総じてそつのない完成度を誇り、見たかったものを見せてくれる」ものになっていた『旅立ちの彼方へ…』。しかし、当然ながら不満点がない訳じゃない。特に、本作を振り返る上で避けて通れないのは特撮パート、厳密にはスーツアクションパートだろう。

 

 

ゼット・トリガーのタッグマッチやイーヴィルトリガー戦など、スーツアクションのパートが異様にもっさりしていたり地味だったりと『トリガー』本編よりもスケールダウンしている節があった前作『ウルトラマントリガー エピソードZ』。そんな『エピソードZ』の系譜であり、同じ武居監督がメガホンを取った本作は (やはりというか何というか) 悲しいことにその欠点を継承してしまっていた。 

ナースデッセイ号などメカニックの活躍は大盤振る舞い+大迫力だったものの、スーツアクションの特撮パートが(エピソードZほどではないにしろ)どうにもこうにもスローペース。戦いの舞台が『劇場版 ウルトラマンR/B セレクト!絆のクリスタル』よろしく、一部を除いて日中の市街地で固定されていることも相まって少し「野暮ったい」印象になっていることは否めない。 

その影響をモロに受けてしまったのが、本作でデビューとなった新怪獣=ギガロガイザ、そしてまさかのサプライズで登場する真のラスボス=ゾルギガロガイザだ。

 

 

宇宙戦艦と怪獣が合体するという極めて珍しい個性にサイボーグのような出で立ち、アンバランスさがかえってロマンを醸し出しているクソデカキャノン巨大ビーム砲……という魅力たっぷりの怪獣ではあったものの、その戦闘シーンがもっさりしているせいで些か迫力不足な印象になってしまっていた。

 

また、本作で新登場した新キャラクターといえばもう一体、ゾゾギガ星人のプロフェッサー・ギベルスがいる。 

一見すると、「スフィアバリアが消えたからこそ現れた存在」であり「宇宙にいるのは友人だけではない」ことを示す役回りでもあるなど、設定面では『デッカー』完結編の敵としてこの上なく相応しい存在と言えるギベルス。しかし、リアル志向の『デッカー』においてはその「地球侵略」というざっくりした目的が少々浮いているし、本編のラスボス=無機質で底知れない存在だったスフィアに比べると「強敵」としての格が劣っているように感じられたり (その割に侵略行為のスケールがやたら大きいため困惑する) 、追い詰められると小走りで逃げるというシュールな姿を見せるなど小物感が隠せていなかったり……と、どうにもキャラクターとしては「完結編の敵」の器ではなかったようにも思えてしまう。 

本作終盤には、TV本編では見ることのできなかった (と、個人的には感じている)「絶望的な状況からの逆転劇」という熱いシチュエーションが用意されているが、このギベルス次第ではより引き締まるものになったのでは……と、少々「惜しさ」も感じてしまうところだった。 

(大物そうな風貌と小物臭のギャップ、というのは中尾隆聖氏の演技と相性バッチリで美味しいキャラには違いなかったため、ラスボスではなく中堅どころの強敵として、今後存分にその地位を確立していってほしい……!)

 


クライマックス~デッカー復活

 

こうして振り返ると、思いの外良し悪しがはっきりしてるな……と思えてくる本作だけれど、観賞後は非常に晴れやかな気持ちだったし、最終回では決壊しなかった自分の涙腺も粉々にされてしまっていた。 

そうさせたのは、やはり本作のクライマックス=ウルトラマンデッカーが降臨するくだりだったのだろう。

 

 

自らテラフェイザーに乗り込みウルトラマンディナスと共に最後の敵=ゾルギガロガイザに挑むカナタ。しかし、圧倒的な力を前になすすべもなく、カナタはディナスを庇って瀕死の重症を負ってしまう……どころか、なんとその命を落としてしまう。 

ここだけの話、この絶望的なシチュエーションを前にして内心「そうそうこういうの!こういう “うねり” や “激動” が足りなかったんだよデッカーには!!」……というダイナミック不謹慎シャウトを決めていたのだけれど、そこからの展開に自分は目を見開いて黙り込んでしまった。

 

 

ディナスとGUTS-SELECTの想いが「ダイナの光」に共鳴、ディナスのカードを「デッカー」のカードへと進化させると、その力がカナタをも蘇らせる。仲間たちとの絆を乗せて、ウルトラマンデッカーが再臨する――という、ここ。このシーンだ。このシーンが、あまりにも良すぎる。 

『エピソードZ』で見れなかった「満を持して復活するヒーロー」のカタルシスや、復活したデッカーの美しさ (武居監督のヒーロー降臨では、個人的にはダイナミックタイプのそれがダントツだったけれど、バンクからの繋ぎや “間” など、他監督のものも含めた近年のシリーズ中でもトップクラスだったように思う) といった点は勿論、胸の奥底まで響いたのはこのカナタの復活が「人々の希望と願いを受けて立つヒーローがウルトラマン」という、当たり前のようでふと見失いがちな「ウルトラマンの “核” 」を画にしてくれたこと。そして、彼らの願いを受け止めることで、カナタが今度こそ、(おそらく) ウルトラマンデッカー」そのものになったこと。

 

TV本編ではデッカーの光を借り受けていた/共有していたカナタが、皆の想いを受けて次のステージへ進む=彼自身が「ウルトラマンデッカー」そのものになる、という展開への感動や、復活時の瞬間移動から伝わる「人間から遠ざかってしまった」寂しさがごちゃ混ぜになり、そこにカナタたちの『輝け』「輝け――フラッシュ!」、そしてあまりにも美しく、荘厳な「ウルトラマンデッカー」の再誕 (誕生) を浴びた結果、気が付けばドバドバ泣いてしまっていた。俺の敗けだよ、ウルトラマンデッカー……。 

(『エピソードZ』でも、自分はケンゴの「ウルトラマンになれるだけの、ただの人間なんだぁぁっ!!」に泣かされてしまったし、やはりこういう「ドラマパートで特大のカタルシスを作り上げる」手法において、武居監督は文字通り「ニュージェネナンバーワンの監督」と言えるなと、改めて思い知らされた瞬間だった)

 


明日への旅立ち

 

かれこれ10000字になってしまったけれど、まだまだ本作の感想は書ききれていない。 

(事情は分かるし巧いとも感じたけれど、それでも) 最後のデッカーがフラッシュタイプだけなのは画がどうしても地味に感じられてしまったこと。全体的にテンポが間延びしている向きがあったこと。(シチュエーションが重くなりすぎるのを避けるための意図的な処置かもしれないけれど) 敵が総じて緩すぎること……といった不満点。 

ウルトラマンダイナの登場・活躍ぶりや「始まりのディナス」の真相 (ここはパンフレットのインタビューで明言されるため、本記事では伏せておく) が非常に良かった (好みだった) こと。「俺はアスミ カナタ、ウルトラマンデッカーだ!」とフィニッシュを決めるデッカーの姿に『ダイナ』最終回が重なったこと。そして、ディナスを庇ったカナタの姿に、確かにアガムスが見えたこと……といった評価点。 

こうして見ると、中々に一長一短だな……と感じられてしまう本作だけれど、劇場を出た際の心持ちはどういう訳か非常に爽やかだった。その理由は多々考えられるけれど、やはり最も大きな要因は本作のラストシーン=人間から一歩遠ざかってしまったかに見えたカナタが、何も変わらずあくまで人間としてそこにいてくれただけでなく、カナタとディナス、ダイナの光を継いだ彼ら2人が「 "仲間と共に" 旅立つ」というラストを迎え、「未来へ向かう希望」を体現してくれたことだろう。

 

パンデミック下の現在をモチーフにしたと思われる『デッカー』TV本編。そのラストシーンが「おかえり」で〆られることには、いつか迎えられるであろう幸せで平和な日常への祈りや、子どもたちへの力強いメッセージが込められていたように思う。 

そして、本作のラストは「その先」を描いてくれた。「今」を乗り越えられる日は必ず来る。そして、今を乗り越えたその先には、可能性に満ちた未来が広がっている――と、そんな「開けた」終わり方をしてくれたことが嬉しかったのだ。 

それは、『デッカー』という作品がパンデミックというある種の「枷」を乗り越えた証でもあるし、カナタらがアガムスとの一件も、ギベルスとの戦いもを受け止めた上で、それでもネオフロンティア時代へ進むと決めた=この次元に生まれるレリアが、自分の夢=「地球に行くこと/そこでたくさんの友人を作ること」を叶える道が拓けたということでもある。そういった意味でも、本作は『デッカー』完結編に相応しい作品だったと言えるのではないだろうか。

 

こんなにも美しいフィナーレをありがとう、ウルトラマンデッカー。 

しかし、もし一つだけワガママを言わせて頂けるのであれば……

 

円谷様!!!!!!!ツブイマ限定でも何でも構わないので!!!!!!!!!!スピンオフ作品『ウルトラマンディナス』お待ちしております!!!!!!!!!!!!!!!!