総括感想『Free!』シリーズ+『劇場版 Free! -the Final Stroke- 後編』”自由”の意味を水の中に問う、稀代の青春群像劇

運命の日、2022年4月26日。

松岡江なるキャラクターの素晴らしいポニーテールをプッシュされて見始めた『Free!』。 

実在のスポーツを主軸に据えた作品を見たことがなく、『Free!』について知っているのは「俺はフリーしか泳がない」という台詞だけ。その人気の高さから「面白いんだろうな」とは思っていたけれど、やはり「自分はメインターゲット層ではなさそう」と感じていて、正直、及び腰でのスタートだった。

 

……その時は、よもや2ヶ月後の自分が劇場で『Free!』最終章を観賞し、ボロボロに号泣することになるなどとは思ってもいなかった。

 


シリーズ第1作となる『Free!』。最初の感想は「正直なところ、あまり肌に合わない」というものだった。 

美麗な作画や、豪華声優陣の演技にはこちらをグッと惹き付けるパワーが溢れていたけれど、どこか「照れ」や「不馴れさ」が悪目立ちしていたり、アイドルアニメに引っ張られたと思われる演出が散見されたり、この作品が目指す方向性が見えてこなかったから……というのが率直な体感。 

主人公=七瀬遙 (CV.島﨑信長) の代名詞で、作中度々登場する「俺はフリーしか泳がない」という決め台詞にも、何も知らない当時はむしろ強い違和感を覚えていた。 
(今見ると「誰!?」となるくらいには所々別人の遙。キャラクターとしての核は出来上がっているのに口調などがブレているのは、原作『ハイ☆スピード』が中学時代までの話で終わっている都合かもしれない)

 

しかし、そんな状況に竜ヶ崎怜 (CV.平川大輔) の登場が一石を投じる。

 

 

「遙の泳ぎに魅せられて水泳を始める素人」、というさながら主人公のようなポジションで、理論派でありながら本番に弱いという愛すべき努力家=竜ヶ崎怜。 

そんな彼が懸命に努力し、美しくない泳ぎを衆目に晒してまでリレーに出場。終盤では「遙たちと最高のチームでありたい」という一心で、遙のライバル=松岡凛 (CV.宮野真守) と正面からぶつかり、遂には「仲間のために、自らの出番を凛に受け渡す」という決断にまで至る……。確かに肌に合わない点もあった『Free!』1期だけれど、そんな怜の美しい成長と、満を持して実現した「凛と遙らのチームを越えたリレー」が生み出す見たこともない景色に、すっかり魅せられてしまった。 

しかし、『Free!』という作品は「これからが本番」とでも言うように、続く2期から爆発的な盛り上がりを見せていく。

 

Dried Up Youthful Fame

Dried Up Youthful Fame

 

TVアニメ第2期『Free! -Eternal Summer-』。その主題歌『Dried Up Youthful Fame』は、明るく開放的な『Rage on』とは打って変わって、焼け焦げたアスファルトを思わせる熾烈さが特徴の一曲。そのイメージ通りに、『Eternal Summer』は1期のストーリーを踏まえつつ、よりシビアな「青春」そして「夢」を描く作品となっていた。 

引き続き主役となるのは遙たち岩鳶高校水泳部だが、中でも驚きだったのは、1期以上のキーマンとなった遙の幼馴染みにして親友=橘真琴 (CV.鈴木達央) のキャラクターが非常に思いきって描かれたこと。

 

 

1期時点では「友情の域を出そうな重い感情を持っている親友ポジションのキャラクター」という、インパクトはあるが決して珍しくはない役回りの人物に収まっていた感のある真琴。 

しかし『Eternal Summer』において、彼は自分の在り方を見つめ直す中で遙にフリーの真剣勝負を挑んだり、「子どもに水泳を教えるコーチになる」という夢を見付けてしまったがために、遙と夢を天秤にかけざるを得なくなったり、そのことがきっかけで遙と衝突してしまったり……と、遙への特別な感情が孕む「歪さ」が克明に描写され、更にそれが物語の軸になることで、青春の持つ影の側面が生々しいリアリティを持って描かれていた。 

一言で表せない感情、将来への不安、心の奥底で繰り返される葛藤……。『Eternal Summer』は、真琴らを通してそのような青春の苦悩を描くリアルな群像劇になっており、本作以降、遙たちが「作品の中で“生きている”」存在として一層魅力的に輝き始めたように思う。

 

また、そんな『Eternal Summer』のドラマに大きく貢献したのが、凛が所属する鮫柄高校の面々。1期では凛以外がフィーチャーされることはほぼなかった鮫柄だが、今回はもう一つの主役チームとして丹念に描かれていた。 

レギュラーキャラクターながらも才に恵まれず、葛藤しながら成長していく似鳥愛一郎 (CV.宮田幸季) や、惚れっぽいお調子者ながら、密かに送られた愛からのエールに「オレ、めちゃくちゃ頑張りますから!」と遠回しに答えるなど、誠実な男らしさも秘めた御子柴百太郎 (CV.鈴村健一) らの魅力もさることながら、やはり同作を象徴するのは、肩の故障で夢を絶たれた凛の親友=山崎宗介 (CV.細谷佳正)

 

 

友情と嫉妬、プライドと価値観の相違。彼と凛との関係性は、まさに一言では表せない複雑な思春期男性同士のそれであり、彼が最後に果たしたかった願いが「凛とまた泳ぎたい、本当の仲間になりたい」ことだったと判明する終盤、そして彼が魂を懸けて泳ぐ最後のリレーには、1期最終回とはまた異なるカタルシスが満ちていた。 

このように、岩鳶と同等かそれ以上の魅力を発揮していた鮫柄の面々。彼らの魅力は『Eternal Summer』という作品のクオリティに大きく貢献していたと言えるだろう。

 

こうして、手に汗握る熱さだけでなく「水泳を通して青春 (の光と影) を描く」というテーマがより明確に描かれていた『Eternal Summer』。同作に満ちた製作陣の熱意に当てられるかのように、自分は特にこの『Eternal Summer』から『Free!』の世界にズブズブとハマっていったように思う。 

そして、その「ハマり」方を確たるものにしたのが、遙たちの中学生時代を描く映画『ハイ☆スピード -Free! Starting Days-』そしてTVアニメ第3期『Free! -Dive to the Future-』。

 

 

『ハイ☆スピード』で主役となるのは、お馴染みの遙、真琴に加え、寡黙な天才少年の桐嶋郁弥 (CV.内山昂輝) 、そして快活さとナイーブさを併せ持つ椎名旭 (CV.豊永利行) の4人。
本作は、中学生という多感な時期の少年たちを悩ませるセンシティブな人間模様を軸に、TVシリーズ2作品に比べ「成長」に焦点を当てたストーリーが描かれており、『Eternal Summer』で『Free!』の魅力に落ちた私にとっては、まさにクリティカルヒットな一本。 

テーマ性や画の美しさは勿論のこと、これまで以上に活き活きと描かれる青春ドラマや、右肩上がりで盛り上がっていく絶妙な作劇バランス……など、本作は一本の映画として非常に高い完成度を誇っており、旭や郁弥、彼の兄である桐嶋夏也 (CV.野島健児) 、遙たちを支えるマネージャーの芹沢尚 (CV.日野聡) といった新キャラクターたちに、遙たちに勝るとも劣らない愛着を持たせてくれる傑作となっていた。 

だからこそ、郁弥や旭ら『ハイ☆スピード』の面々が『Dive to the Future』に参戦すると分かった時の期待たるや凄まじく、事実、『Dive to the Future』は抜かりないファンサービスの中で、これまでの『Free!』を踏まえつつその「先」にある物語をしっかりと見せてくれた。

 

Heading to Over

Heading to Over

 

1クールで完結していた1期や『Eternal Summer』と異なり、『Dive to the Future』は完結編となる『the Final Stroke』への橋渡しに位置する作品。そんな背景や「遙たちは大学生、怜たちはまだ高校生」という作劇の難しい状況もあってか「やや全体的なバランスに欠ける」ものの、その展開・演出の持つ瞬間最大風速はシリーズでも屈指のもの。そうした「これまで以上にケレン味に満ちた作劇」こそ、本作独自の魅力と言えるだろう。 

特に揺さぶられたのは、第8話『魂のメタモルフォーゼ!』において、遙が郁弥との約束を果たすべく遂に「フリー以外を泳ぐ」姿。

 


あの遙が、自らの信条を曲げる=自らの望む「自由」を手放してでも仲間との誓いを果たそうとするその姿は、彼がこれまで積み上げてきたドラマの結晶とも言えるものであったし、「俺はフリーしか泳がない」という台詞が印象的だからこそ、遙自身がそれを仲間のために捨てるという展開のカタルシスたるや凄まじいもの。郁弥の心が氷解するのも頷ける、あまりにも見事な「フリー」ぶりだった。 

他にも『Dive to the Future』はこれまでの作品のエッセンスを拾い上げる手腕に長けており、とりわけ「親交を深める凛と夏也」「旭と再会し、今度は自分が背中を押される怜」など『ハイ☆スピード』に魅せられたファンに対するサービスの数々と、それ故の熱い展開は非常に見応えがあり、本作を見終える頃にはすっかり『Free!』というシリーズに全面的な信頼を置いている自分がいた。 

だからこそ、『Dive to the Future』終盤における遙の敗北、そして『劇場版 Free! -the Final Stroke- 前編』における過酷な展開にも、驚きと不安はなく…………いや、正直とんでもなく驚いた。特に前編ラストは「ここまでやるのか」と絶句してしまった。

 


遙たちをここまで愛情深く描いてくださった『Free!』スタッフ陣であれば、きっと納得のいく物語を描いてくれる……とは思っていたけれど、どうにもその展望が見えなかった。「ここまでやってしまったら、もう遙たちにはどうにもできないのではないか」……と。 

遙は、凛との間に入ってしまった過去最大の亀裂を修復できるのか。「これまでのようには越えられない高き壁」であるアルベルト・ヴォーランデル (CV.ジェフ・マニング) を突破できるのか、世界に挑む中で何を失い、何を手に入れることになるのか……。 

期待よりも大きな不安を胸に、遙の誕生日でもある2022年6月30日、遂に初めての『Free!』リアルタイム体験として『劇場版 Free! -the Final Stroke- 後編』を観賞。以下は、その感想を思いのまま綴った結果生まれた長文(論文)となります。是非、お付き合いください。

 

 

※ここからは『劇場版 Free! the Final Stroke 後編』のネタバレが大いに含まれます、ご注意ください※

 



一言で評するなら「全ての答えが、これ以上ない形で示された大傑作」。それが『the Final Stroke 後編』だった。

 


その “本気” が最初に見えたのは、開幕数分で流れ出す『Dried Up Youthful Fame』のアレンジ。 

「過去の主題歌のアレンジが流れる」というのは、昨今の劇場用作品では決して珍しくないけれど、驚いたのはそれが『Dried Up Youthful Fame』であったこと。 

というのも、この歌をバックに描かれるのは「桜の木を前にした遙と凛の別れ」という、(清々しいまでに残酷な) 1期のオマージュシーン。そこで流されたのが『Rage on』ではなく『Dried Up Youthful Fame』だったのは、この曲が他でもない『Eternal Summer』の主題歌だからだろうと思う。

 

 

『Eternal Summer』の特徴は、シリーズの中でも遙の挫折が特に色濃く描かれただけでなく、「卒業」と「夢」を軸に、人として生きていく上で避けられない「別れ」をシビアに描いた作品であったこと。そんな切なくも熱い物語を彩った『Dried Up Youthful Fame』は、『Rage on』や『Heading to Over』と同じ熱さを持ちつつも、よりセンチメンタルな響きが印象的な=それだけ、この遙と凛の別れというシーンにマッチした一曲。 

オマージュ元が1期のシーンだからと『Rage on』を使うのではなく、ファンサービスと「確固たる演出」を両立させる見事な采配はまさに感嘆ものだった……けれども、「留まることをやめた僕らは 互いの扉開け放ってく」という歌詞が、新たな繋がりではなく "永遠の別れ" を感じさせる歌詞になっていることには思わず項垂れてしまった。

 


そもそもの話、『the Final Stroke 前編』ラストの遙と凛のやり取りを劇場の大スクリーンで改めて見せ付けられることが想像以上にショッキングだった。

 

何物にも囚われず、水と一体になり「自由」を体現するかのように泳ぐ遙。彼が幾多の困難を乗り越えることができたのは、彼自身の力以上に、1期では岩鳶の仲間たち、2期では彼らに加えて凛と、常に自らを支え、その背中を押してくれる仲間たちがいたからだった。 

しかし『Dive to the Future』で現れたフリーの世界記録保持者=アルベルトの実力は、「これまで積み上げてきた絆」を持って挑んだ遙でも遠く及ばない異次元のもので、あの遙が「怯え、恐怖する」ことからもその規格外ぶりを感じ取ることができた。けれど、それ以上に驚いたのは遙が (おそらくシリーズで初めて)「仲間に縋る」姿を見せたこと。

 

「次の世界大会は、お前と一緒に……」

 

仲間に助けられ、背中を押されることで初めて世界という舞台まで駆け上がることができた遙。そして、仲間たちもまた遙のおかげでそれぞれの夢に大きく近付くことができた。しかし、そうした助け合いの中で「遙の方から仲間たちに助けを求める」こと……ましてや「縋る」ようなことは一度もなかったと思う。 

(唯一の例外が、『Dive to the Future』で郁弥と個人メドレーで泳ぐために東に指導を依頼したことくらいだが、あれは助けを求めるというより「取引」のようなニュアンスだった)

 

確かに、件の台詞自体は「縋る」意味合いには見えないが、これまで「一緒に泳ぎたい」といった具体的な気持ちを言葉にすることはほとんどなかった遙が、ここでやたら流暢に「敢えてそれを口にした」のは、そうすることで凛から「同じ気持ちだ」という言葉を直接聞かなければ、不安と恐怖に押し潰されそうだったから……なのではないだろうか。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 予告 - YouTube

 

遙をそこまで追い詰めた強者、アルベルト・ヴォーランデル。彼がこれまでのライバルたちと決定的に異なっているのは、彼が遙と同じ「他人に影響する」泳ぎを持つ選手だということ。 

遙の最大の特徴は、何物にも囚われず、水と一体になった「自由」を体現するかのようなフリー。その姿は、怜のように見る者の心を解き放ったり、郁弥ら共に泳いだ者たちの心を氷解させたりと様々な奇跡を起こしてきた。これは決して超常的なパワーではなく、様々な思いを抱えた若者たちの心に遙の自由な姿が深く響き、ある種の道標となった結果なのだと思う。しかし、だからこそ「他人に影響する」泳ぎが遙だけの特権とは限らない。 

そんな泳ぎを持つ一人=アルベルトの泳ぎは、人々を解き放つ「自由」の遙とは対照的な「略奪」の泳ぎ。『Dive to the Future』第10話『希望のグラブスタート!』では、アルベルトと泳いだ遙がその感覚をこう表現していた。

 

「水が奪われ、水が乱れる。泳いでるのに、泳いでる気がしない……」

 

遙の泳ぎは、「水の中にいる方が自然」とまで感じる、天性の「水の申し子」としての心が生み出したもの。一方アルベルトの泳ぎは、勝利のみを目的とする水泳マシーンとして様々なものを切り捨てたことによる異次元の実力と、望まぬ泳ぎを強いられてきた彼の閉ざされた心が作り出すもの。圧倒的な実力差・パワーが物理的に、彼の昏い心が精神的に。その両方が共に泳ぐ選手に影響するからこそ、彼の泳ぎは「共に泳いだ選手の心を抉る」と言われていたのだろう。 

事実、遙も『Dive to the Future』でアルベルトと泳いだことで精神的なダメージを負っていたが、真琴らの支えや怜たち岩鳶高校水泳部の奮戦を目にしたことで再起、抉られた心は回復したかに見えた。しかし、前述の遙の言葉に対し、凛が「次の大会はバッタ一本に絞る/プロを目指す」こと、そして郁弥も同様の決断を下したことを伝えると、遙は目に見えて動揺を露にし、そのショックが引き金となってか、遙は胸の奥に抱えた想いを吐き出してしまう。

 

「凛はいいよな、バッタにはアルベルトがいなくて」
「そうだな、お前はそういう奴だ」
「前にも言ったよな、俺はお前のようには生きられない」
「いつも得意げに俺の目の前に現れて、散々巻き込んでおいて……凛、結局お前は、いつも突然いなくなるんだな」

 

凛を傷付ける自分の姿を背後で見せ付けられる「もう一人の遙」。その遙はこれらの言葉を否定するけれど、おそらく、そのどれもが遙の抱えていた本心なのだと思う。 

遙と凛は『Free!』1期でわだかまりを解き、互いの間にある変わらぬ絆を確かめることこそできたものの、遙は、凛が「いつも突然いなくなる」ことについてどう思っているのか、どう感じていたのかを彼の口から聞いたことはない=いつまた凛がいなくなるか分からないという不安が、遙の中でトラウマのように常に燻っていたとしてもおかしくはない。だからこそ (普段は、わざわざ口に出すほど強い思いでなかったとしても) 、そのほの暗い感情や「バッタにはアルベルトがいなくていいよな」という言葉は、少なからず遙の本心だったのだろう。

 

しかし、遙がそれらの言葉を口にしたのは、何も「自分の側から去ろうとする凛を傷付けたかったから」とはとても思えないし、この状況はきっと「精神への負荷が限界に達したことで “理性” の遙を押し退け、“本能”の遙が顔を出してしまっている」のだと思う。 

自分じゃない自分が喋り出し、止めようとしても止められない……。そんな遙の状況は (その絵面もあって) 一見するとオカルトめいた現象に見えてしまうけど、その状況は、むしろ過剰なくらいリアルなもの。限界までストレスが溜まり、その思いを胸の内で抱えきれなくなり、つい声に出してしまったり、態度に出てしまったり、モノに当たってしまったり……。そういう経験は誰にでもあると思う。それこそ、遙自身も『Eternal Summer』において、あくまで「競技」として水泳を捉える人々の眼差しや、それにより自由を奪われるという恐怖によって泳ぐことができなくなり、そんな自分を案じた凛に冷たく当たるという一幕があった。

 

 

また、そのようにナイーブだからこそ、遙は「かけがえのない存在」である凛に迂闊なことを言えない……という問題も抱えていたのだと思う。 

助けてくれ、とそのまま言おうものなら凛に心配をかけさせてしまうだろうし、凛も苦境にある中で、自分だけ弱音を吐くなんてことはできない。けれど……と、我慢できずどうにか言葉にしたのが「次の世界大会では、お前と一緒に」という言葉だったのかもしれない。 

遙にしてみれば、それはどうにか絞り出したSOSだったのかもしれないけれど、追い詰められていたのは凛も同じ。遙のその言葉を聞いた/聞かなかった以前に、普段の凛なら、遙の些細な仕草から彼が自分の想像以上に追い詰められていることは察することができただろうと思う。しかし、そんな余裕がなかったからこそ、凛は遙のSOSに気付かないまま、自分の決意を口にしてしまったのでは……と、そのように見えてしまう。 

その裏付けとなるのが、突き放すような遙の言葉に凛が返した「今のお前なら、分かってくれると思ってた」という言葉。遙も凛も背負ったプレッシャーに耐えきれず、お互いのことを見えているようで見えていない状況になってしまっている状況だからこそ、遙は精神の均衡を崩して凛に胸に抱えていたものを全て叩きつけてしまったし、凛もまた、そんな遙の異常に気付くことができずに拒絶の言葉を返してしまったのではないだろうか。

 

凛の留学、中学時代の再会と離別、『Free!』1期と『Eternal Summer』での衝突……と、遙と凛は、シリーズ中で何度もすれ違い、ぶつかり合ってきた。しかし、今回のそれは「お互いが “明確な拒絶の意思” を口にした」というもの。これまでのようなすれ違いでは済まされない、謂わば「断絶」だ。 

お互いを深く理解し合い、確かな絆を結んだ遙と凛。しかし、人の心は不安定で、まして彼らはまだ成人さえしていない。限界まで追い詰められれば、その心に歪みが生じてしまうのは当然のこと。これは、遙たちの絆が弱いのではなく、むしろ、これまで様々な困難を乗り越えてきた遙たちをここまで追い詰めるほどに「世界」の壁が高く、厚いものだということ。そして「その壁に立ち向かうために、遙たちは選択をしなければならない」ということなのだろう。 

アルベルトたちのように、高みへ行くために何かを捨てるのか、それとも、何も捨てないままに高みへ登るのか……。願わくば後者であってほしいと感じても、『the Final Stroke 前編』で見せ付けられた「これまでと同じやり方ではおよそ縮められないような」圧倒的な差、そしてそれに心を挫かれた遙たちの姿を見せ付けられると、やはり、彼らも「何かを捨てなければならない」のか、それが『Free!』における「大人になる」ことなのか……と思わざるを得なかった。 

去り行く凛、そして、我に返ったものの身体へのダメージで膝をつく遙。さながら2人の行く先に待ち受ける困難を暗示するかのような雨が振り出す中、『Dried Up Youthful Fame-version free-』の切ない余韻と共に現れるタイトルバック。この上なく不穏で、絶望的な幕開けだった。



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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 予告 - YouTube

 

そんな暗いイントロダクションを経て始まった『後編』本編。安堵したのは、遙と凛が「“何かを捨てる” ルートを選ぶことはない」と暗に示されたことだった。

 

互いに断絶し、コーチの元で各々の練習に没頭する遙と凛。しかし、良くも悪くも感情で泳ぐタイプの凛がそんな状況下でまともに泳げるはずもなく、コーチであるミハイル・マカローヴィチ・ニトリ (CV.木内秀信) に「これで良かったのか」と思いをぶつけるなど、その迷いを一層深めてしまう。 

一方、遙は『前編』で習得した急加速や無茶な練習の反動に身体が耐えられず、コーチの東龍司 (CV.草尾毅) によってトレーニングの中止を余儀なくされてしまう……と、早々に2人を襲った悲劇。そんな2人の苦心ぶりは、「何かを捨てる」道が「彼らが選ぶべきものではない」と示されているようで、絵面の不穏さとは裏腹にほっと胸を撫で下ろしてしまった。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 予告 - YouTube

 

やはり、遙たちには「何かを捨てる」ことで前に進んでほしくはない。先のような悲しい断絶をもう見たくない……という思いも勿論あるけれど、それ以上に、その選択は彼らのこれまでの歩みを否定してしまうからだ。 

かといって、遙たちが挑む世界の壁が「これまでの歩み」では太刀打ちできないものだという事実は変わらない。であれば、彼らは一体どうやって現状を打開するのだろう……と、気になっているのもつかの間、遙の状態を聞きつけた凛と真琴が東の元へと乗り込んでいく。あそこまで豪快に絶縁してもきちんと駆け付けてくれる凛には少し頬が緩んでしまうけれど、東と凛の衝突にはそんな気持ちを吹き飛ばすほど真に迫るものがあった。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 予告 - YouTube

 

「そんなこと本人に言え、大事なものは掴んで離すな!」

 

遙が休んでいる現状に憤る凛……に、激昂する東。事故に遭った親友=蓜島清文 (CV.置鮎龍太郎) の元へ駆け付けるよりも大会を取ってしまったことで、彼の死に目に会えなかった東。彼にとって、苦しんでいる親友に手を伸ばさない凛の姿は、まさに当時の自分と重なって見えたのだろう。そんな東の思いを受けて、凛がこれまでにない断絶を飛び越える決心をすることには大きな納得感があった。 

これまでは自分たち自身ですれ違いを解消してきた遙たち。だからこそ、これまでにない深い断絶を埋める為に必要だったのは、同じくこれまでになかった救い=取り返しの付かない後悔を知った「大人」からの言葉。大人からの言葉なくして、子どもは大人になれない。東たちの言葉が彼らの成長の鍵を握るというのは、考えてみれば当たり前のことだったのだ。 

だからこそ、凛が遙と泳いだ上で「遙を抱き締めて、言葉で想いを伝える」ことで初めて和解するその姿には、特に凛が「大人になった」ことを感じて思わず涙した。

 

「勝手なことばっかり言ったよな……!」

 

その一言は、一見すると些細なものかもしれないけれど、それは凛にとって「これまで自分の身勝手さで遙たちに迷惑をかけてきた」ことを認めることでもある。遙たちが大切であればあるほど、そのことは凛にとって過酷だろうし、遙の「お前のおかげで、俺は大切なことを学んだ」は、彼の本心であると共に、凛への思いやりに溢れた心からの言葉でもある。

 

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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 予告 - YouTube

 

これまでどこかお互いに甘えていた2人が、その甘えを捨て、自分と相手に心から向き合うことで、今度こそ「何があっても道を違えない」ようにその絆を結び直す。大切な相手に、自分の弱さに正面から向き合うことで「大人」になる。そのことをこの会話だけで描けてしまうのは、Free!』シリーズが遙たちを等身大の人間として誠実に描き続けてきた積み重ねがあり、その想いを本作が確かに継いだからなのだろう。 

『Dive to the Future』1話をノーカウントとするなら、おそらく1期の再会シーン以来となる遙と凛の1VS1。そんな最高のシチュエーションに甘んじることなく、あくまで「想いを言葉にして伝える」ことによる成長を描いたその誠実さ。私はそこに心を打たれてしまったし、だからこそ、あの深い断絶からの和解をすんなり飲み込むことができた。ハイライトの多い『the Final Stroke 後編』だけれど、このシーンはその中でも指折りの名シーンではないだろうか。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 予告 - YouTube

 

そして、この遙と凛の和解は、同時に本作が描く「答え」をも暗に示しているように思う。 

これまでの積み重ねや、絆 (想い) の力だけでは届かない世界の壁に、遙たちがどう立ち向かうのか。アルベルトたちのように「何かを捨てる」という選択をしない彼らには、どんな手段が残されているのか……? その答えは「大人になる」こと。それは、凛と遙のように「甘えを捨てて、より強固な絆を結ぶ」こと……だけではない。遙と凛がコーチ陣に申し出た「合同練習」では、そのような「絆」がより具体的に、ロジカルに発揮されていた。


これまでのトレーニングでも、想いの力でも足りない。けれど、遙たちにとっての最大のパワーソースはやはり仲間たちの絆。であれば、それをより具体的に「有効活用」すればいい。まさに目から鱗の着眼点だった。確かに、彼らが絆を結んできた仲間たちが集う合同練習は、これ以上ない最高のトレーニング環境であり、彼らだからこそ持ち得た最高の ”切り札” だ。 

遙と凛はそれぞれ選手1人×コーチ1人でトレーニングに励んでいたが、合同練習では各種目で日本屈指の実力者が揃っており、彼らと共に切磋琢磨することができる。   

(その有効性を裏付けるように、『the Final Stroke 前編』では、夏也が「郁弥が旭とのトレーニングで大幅に成長した」と語るシーンがあった)

 

更に、真琴や尚たち、誰より遙の身体状況を知るトレーナーがいるからこそ、最悪の事態を防ぐセーフティネットを持ちながら練習に励むことができる。 

それに加えて、これまで同様に「仲間たちと共に前へ進む」ことが、ナイーブな遙らの心を何より力強く支えてくれる。 

精神論ではなく具体的に、ロジカルに「これまでを越えていける」環境として実現した合同練習。それはまさしく、遙たちがこれまで結んできた絆が具現化したもの。笑顔でトレーニングに励む様子に呆れる東に「でも、それが彼らの強さだよ」とミハイルが返した通り、遙たちが何一つ捨てることなく、自分たちにしかできない「世界に挑める戦い方」を確立したこと。それが、一ファンとしてどこまでも感慨深く、嬉しくてたまらなかった。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 予告 - YouTube

 

こうして始まった合同練習の、これまでと打って変わって「明るく、楽しい」で溢れた雰囲気には劇場で笑顔が抑えられなかった。ただでさえ郁弥たち『Dive to the Future』組と宗介ら他キャラクターの絡みは貴重で、『Road to the World 夢』での日和・宗介らの絡みに歓喜した身としては、ほぼオールスター状態の彼らの合同練習なんて毎秒がご褒美状態だった。是非『続・Take Your Marks』があるなら合同練習の詳細を描いてほしい……! 

そんな合同練習パートは尺にしてみればごく僅かだったけれど、遙や凛の楽しげな姿、そして何より「俺たちで遙を守ろうな」という夏也の台詞は、それだけでこれまで立ち込めていた暗雲を吹き飛ばし、彼らの全日本選抜、そしてその先のフクオカ大会への期待を最高潮に高めてくれるには十分すぎるものだった。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

この遙VS凛~合同練習までの一連で「見たかったもの」をこれでもかと見せてくれた本作。後は、遙と凛、郁弥が前作のリベンジを見事果たしてくれればそれで満足――などと胸を撫で下ろしていたのだけれど、そんな生温い想像を遥かに越えていくのが本作。

全日本選抜大会でフクオカ大会への出場権を勝ち取ったのは、遙、凛、郁弥……だけでなく、旭、夏也、遠野日和 (CV.木村良平) 、金城楓 (CV.小野大輔) 、そして宗介! 宗介!?!?!??!!!!!?!?!?


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 予告 - YouTube

 

『Dive to the Future』での夏也とのやり取りをはじめ、徐々に復活への兆しを見せていた宗介。なので、彼が全日本選抜で凛と泳ぐ場面と「おかえり、宗介」は思わず劇場で涙してしまったし、明らかにスタッフの全力が注がれているであろう2人の泳ぎを見て、彼の出番はそこで終わりだと思っていた。バックで出場した日和が隣に立つ何者かを見て驚くシーンでも、まさかそれが宗介とは予想さえしておらず……。 

確かに『Eternal Summer』の時点でも、宗介は遙や旭らのような専門特化の選手ではなく、フリーとバッタの両方を得手とする選手だった。『the Final Stroke 前編』でのバックやブレを泳げることへの言及も手伝ってか「彼がバックで思わぬ才能を発揮した」というのも違和感がないし、「バックは肩への負担が少ない泳ぎだから」という裏付けまであれば尚のこと。


しかし、『Free!』シリーズは「何もかもが上手くいく訳ではない」という現実的なリアリティラインの上で描かれてきた。それこそ本作の全日本選抜でも、怜が見事レーン首位を取ってみせたり、渚と愛がトップを競って自己ベストを更新するなど、彼らの集大成と呼ぶべき見事な活躍を見せてくれたものの、残念ながらフクオカ大会への出場は叶わなかった。同じように、手術が成功したばかりの宗介では「全日本選抜でもう一度凛と共に泳げただけでも奇跡のようなもの」=ここで彼の出番は終わりだと、そう思っていた。 

そんな彼の「現実」を覆したのは、『Dive to the Future』や『Take Your Marks』などで描かれてきた彼自身の遠大な努力は勿論、今回の合同練習をはじめとした仲間たちの影響が大きかったことは想像に難くない。一番の理解者であり続けた凛や、(尚の件もあってか)スイミングクラブを紹介するなど、彼を気にかけ続けていた夏也。そして、肩を痛めた宗介にバックという新たな道を指し示すだけでなく、彼のリハビリを手厚くサポートした真琴と尚。バックの良き練習相手となったであろう日和……等々、彼を物理的にも精神的にも支えてくれたであろう多くの仲間たちとの絆。この合同練習は、遙と凛だけのためのものではなく、あくまで「みんなで世界に挑む」為のものであり、だからこそ全員が本気で切磋琢磨し、大きく成長できたのだろうと思う。 

(しかし、ここで宗介が「バックの選手」になったことが、よもや最高のクライマックスを作り出す布石になるだなんて、勘が鈍い私はこの時予想だにしていなかった……)



来るフクオカ大会でも「良い流れ」は続き、凛はバッタで、郁弥はブレでそれぞれ銅メダルを獲得 (2人とも「銅メダル」というのがリアルな采配で、この先の更なる未来を匂わせてくれるのがまた良い) 。凛がいつものゴーグルパッチンをしないことなどに少し違和感はあったけれど、彼らがメダルを手に入れ、ようやく屈託のない笑顔を見せてくれたことが何より嬉しくて、一人で見ていたら間違いなく拍手してしまっていたと思う。 

特に、凛にとってはメダルは一際特別な意味を持つもの。妹の松岡江 (CV.渡辺明乃) が凛にメダルを渡され、その重みを深く噛み締める……など、松岡家の場面では凛や遙たちを側で見守り続けた者としての江の成長も描かれており、涙なしには見られない感慨深いシーンになっていた。良かったね、凛、江……!

 

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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

後は、この最高の流れのまま、遙が決勝でアルベルトに勝つだけ……! と、そう思っていたけれど、よりによって遙にそれらの「ツケ」が回ってきた瞬間、悪寒で文字通り顔面蒼白になってしまっていたと思う。 

合同練習の前から遙には限界が近付いており、倒れたように眠る姿を見た宗介は思わず「周りの心配に気付いてくれよ (意訳) 」という言葉を口走っていた。 

冒頭では遙をして「ヒーローになれないから、辛いんでしょう」と表現していた宗介が、そこで「いい加減気付けよ、主人公」という台詞を口にするのは、遙が「ヒーロー(みんなの期待に応える存在) 」ではなく、「主人公 (みんなの期待を背負うものの、みんなのために戦う義務はない) 」だという認識、あるいはそうであってほしいという願いがあったからなのだと思う。 

自分にとっても、凛にとっても大切な友人である遙が、まるでかつての自分のように無理をして選手生命、あるいはそれ以上のものを失おうとしている……。そんな状況を考えれば、宗介からその願いが出てくるのは至極もっともなことだし、宗介以外の面々も、同様の願いを持っていた上で、あくまで遙の意志を尊重し、陰から支える選択を取っていた。 

そんな周りの心配を感じてはいたのだろうけれど、決勝を前にして東から止められていた急加速を使ってしまう遙。例によって彼は深い眠りに堕ちてしまい、そのまま決勝=アルベルトと戦う最後の機会を逃してしまう……。

 

今でこそそんな訳ないだろ! と言えるけれど、初観賞の際には本当にこれが『the Final Stroke』の結末かと思っていた。なので、なんて虚しい終わりだろう……とついがっくり肩を落としてしまったけれど、「安心した」というのも偽らざる本音。 

当然、消化不良の結末ではあるし、これでアルベルトが引退してしまったら、トラウマに囚われ続けてしまうであろう遙は今後どうなってしまうのだろう、という不安もあった。けれど、十分な休息もなしにこのまま遙が泳いでしまったら、遙は選手生命どころか、命まで失いかねないんじゃないか……というのが何よりの懸念だった。だからこそ、ここで遙がリタイアになったとしても「命があるだけいい」と、ほっと息をつく自分がいた。 

きっとエンディング後に再び世界の舞台に立つ遙とアルベルトが見れるだろうから、そう落胆しなくてもきっと大丈夫。なるほど、「上手く行くことばかりじゃないけど、それでも諦めなければ夢を掴むことはできる」……切ないというか虚しいけど、これはこれで『Free!』らしいかもしれない。うんうん、ちょっと納得のいかない自分もいるけど、遙が生きてくれているなら、無事でいてくれるなら私はそれだけで満足だよ……

 

 

 

 

初見真っ最中の筆者(え?

 

メドレーリレー!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?)

 


叫びそうだったのを必死に堪えた。なんなら声漏れてたと思う (お近くの方々すみませんでした…………!!)。 

そもそも、競泳に『Free!』で初めて触れたド素人にとっては、世界大会の種目にメドレーリレーがあるの!? という所から予想外だった。 

(自分が見逃していただけかもしれないけれど)『the Final Stroke 前編』ではメドレーリレーの話が出ていた覚えがないし、遙と絶縁する凛の捨て台詞 (?)「お前とリレーが泳げて嬉しかったよ」は、まるで “同じ世界大会に挑み続けはするけど、もう一緒にメドレーリレーを泳ぐ機会はない” ということが前提にあるかのような台詞。その辺りも全て、我々に「世界大会にはメドレーリレーが種目として存在しない」という誤認を与えるための仕掛けだったのだろうか。ま、またしても「してやられた」ッ!! 

 


(この特報では4人が拳を突き合わせているシーンがあるため、察しのリアルタイム視聴勢は既に気付けてしまっていたのかも……?)

 

さて、メドレーリレーが控えているとなると、話が全く変わってくる。遙はアルベルトへのリターンマッチに挑めるし、このクライマックスで披露されるメドレーリレーともなれば、そのメンバーは間違いなくシリーズの垣根を越えたドリームチーム……と、ここに来てようやく「宗介がバックの選手になった」ことの意味を悟って、またまた叫びそうになった。 

かくして結成されたチームは、バック=宗介、ブレ=郁弥、バッタ=凛、フリー=遙……という、考え得る限り最強、そして「シリーズ主人公+各シーズンの筆頭ライバル」という超絶怒濤のドリームチーム! そんな、オタクの「こうなったらいいな」の極致みたいな展開が最終章のクライマックスという大舞台で披露されるだなんて、そんなことがあっていいんですか……!? 

 

遙は勿論、凛にも郁弥にも、ここでメドレーリレーを泳ぐことには大きすぎる意義があるけれど、中でも敢えて注目したいのが宗介。 

全日本選抜然り『Take your Marks』~『Dive to the Future』の雪辱を晴らさんとばかりにスポットライトが当たる宗介だけれど、ことこのメドレーリレーにおいては、宗介の中に「真琴の魂」も宿っているように思える。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 予告 - YouTube

 

遙、凛と共に『the Final Stroke』の顔として存在感を発揮していた真琴。彼は『Dive to the Future』/『Road to the World 夢』での経験や尚の導きから「トレーナーとして水泳選手たちの夢を支える」という夢を見付けたことで、選手としては一線を退いていた。そんな彼が、遙と凛が不在の中でおそらく最も気にかけていたのが宗介だろう。 

柔和な真琴に、無愛想な宗介。一見すると対照的なように思えるけれど、その実情に厚く不器用で、遙と凛に振り回され続けていたという点では同じ、ある種の似た者同士とも言える2人。 

だからこそ、遙と凛が不在の中で2人が意気投合したのも納得がいくし、2人がそれぞれ「バックを得意とするトレーナー見習い」と「肩を痛めてリハビリ中の水泳選手」だったことには、(陳腐な表現ではあるけれど) 何かしらの運命を感じずにはいられないし、時期を踏まえるとあり得ない話かもしれないけれど、そのドラマチックさはまるで『Eternal Summer』時点で既にこの展開が決まっており、周到に全てが用意されてきたと言われても違和感がないほど。 

そして、その到達点と言えるのが件のメドレーリレー。真琴からバックを受け継ぎ、見事選手として完全復活を遂げた宗介が、遙とチームを組んでリレーを「バックで」泳ぐ……。その宗介の背中と泳ぎに真琴が重なって見えたのは、自分だけではないはずだ。 

それは、彼の泳ぐバックが、宗介自身の「真琴の分まで泳ぐ」という想いや、真琴の「自分の分まで頑張ってほしい」という祈り=2人の絆の結晶であると同時に「製作陣から橘真琴への恩返し」という文脈も感じさせてくれるからだろう。 

多くの葛藤を乗り越えて、自分の夢に向かって邁進するその勇気へのはなむけとして、そして『Free!』と七瀬遙を支え続けたことへの恩返しとして。彼が心のどこかに持っていたであろう「遙と共に世界で泳ぎたいという願い」を叶えさせるべく、彼の魂を背負って宗介がメドレーリレーを泳いだのではないか……と、もしかしたら単なる深読みかもしれないけれど、作品やキャラクターへの愛に溢れた『Free!』の最終章ともなれば、あるいは――と、そう思えてならない。

 

 

宗介のように、このメドレーリレーは4人全員に大きな意味があり、この時点で既に『Free!』の総決算に相応しいのは明白。押し寄せる怒濤の情報量と興奮にそれだけで発狂状態だったけれど、唯一、残された理性が不安がっていたのが「いくら休憩を取ったとはいえ、遙に予選~決勝と何度も泳げるほどの余力があるのか」という点。しかし、そんな懸念を「予選と本選のチームを分ける」というとんでもない提案が木っ端微塵に吹き飛ばした。 

「こんなドリームチームがもう一組見れる」というのがただでさえ衝撃的だったし、そのメンバーが日和、郁弥、夏也という『ハイ☆スピード』~『Dive to the Future』組ということにまたしても涙してしまった。頑なにリレーを拒んでいた日和と郁弥が、世界を舞台にリレーを泳ぐに至ったこと、夏也と郁弥が遂に世界を舞台に「共に泳ぐ」こと。そして、夏也がその身を賭して「自分たちで遙を守る」という誓いを果たそうとしてくれたこと……。 

1期と『Eternal Summer』だけでなく、残る2作品のメインキャラクターである彼らにも惜しみなく愛情を注いでくれることが、シリーズファンとしては本当に嬉しかった……のだけれど、観賞当時は、ここで残る一人が旭ではなく金城ということにどうしても首を捻ってしまった。バックが日和、ブレが郁弥、バッタが旭、フリーで夏也……というチームなら存分に力を発揮できたろうに――と。 

正直、観賞から時間が経った今でもその4人によるメドレーリレーが見れなかったことへの悔しさはあるし、おそらく製作陣としてもこれは苦渋の決断だったのだろうと思う。そうなると気になるのが「なぜそうまでして、金城が予選チームのフリーを担当することになったのか」ということ。そして、そもそも「金城楓」とは何者だったのか、ということだ。

 


日和の幼馴染みであり、亡くなった東の親友=蓜島清文の従弟でもある金城。『the Final Stroke』において彼の様々なアイデンティティーが明かされたけれど、中でも重要なものとして挙げられるのが、「金城楓=もう一人の七瀬遙」という図式だろう。 

水の申し子として生まれ、水の中にこそ自分の居場所を見出だしていた遙。金城と遙の最大の共通点は、この「水の中にこそ己の居場所を見出だしている」という点だと思う。

 

遙とは異なり、幼少期は水泳に触れていなかった金城。彼が水泳の世界に入るきっかけになったのは、数少ない友達だった日和、そして従兄である蓜島清文の2人。彼らは2人とも「幼い金城の前からその姿を消してしまった」人物であり、そのことが金城の心に暗い影を落としてしまっているのは火を見るより明らかだった。 

しかし、金城はそのことで彼らを想起させるもの=水泳から身を引くのではなく、むしろ (タイミングに鑑みて) それらが後押しするかのように水泳の世界へと飛び込んでいった。これはあくまで筆者の妄想でしかないけれど、金城は2人の面影を追い、その存在を感じ続ける/彼らに近付くために水泳を始めた……つまり、水の中こそが、金城に残された絆の在処=心安らぐ居場所だったのではないだろうか。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

その仮説を裏付けるのが『Dive to the Future』で語られた「金城は元々バッタの選手だったが、フリーに転向したことで飛躍的に記録を伸ばした」という遍歴。 

遙は幼くして、誰に教わることもなくフリーを習得し、その後も頑ななまでにフリーのみを泳ぎ続けていた。その大きな理由の一つが、彼曰く「フリーは最も水を感じることのできる泳法だから」というもの。水を自らの居場所とする遙がフリーのみを泳ぐというのも頷ける話で、彼にとって、フリーはそれほどまでに「適した」泳ぎだったと言えるだろう。 

そして、おそらく同じことが金城にも言える。水の中に居場所を見出だす金城にとって、最も水を感じることのできる泳法=フリーは極めて親和性が高く、だからこそ、彼はフリーに転向することで驚異的な躍進を見せたのだろうと思えるし、この共通項は遙と金城の2人が「近しい存在」であることを暗に示しているようにも思う。 

(だからこそ、金城は真琴でさえ気付けなかった遙の身体の限界を早期に察することができたのだろう)


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 予告 - YouTube

 

しかし、遙と金城は同じ「水の中に居場所を見出だす者」である一方で、その「水の中での在り方」において決定的に異なってもいる。 

水の中における遙は「自由」そのもので、「外向きに開かれ」ている。水中という居場所で自由を謳歌し、それを泳ぎという形で体現するからこそ、遙と泳ぐ人々は彼の在り方に感化されてきたのだろう。しかしその一方、水の中の金城は遙とは真逆で「内向きに閉ざされ」ている。 

「水は生きている」という感覚に身を任せ、在るがままに水と溶け合う=そこが自ずと「居場所である」遙。だが、金城の心にあるのは「これ以上何かを奪われたくない」という恐れや不安。だからこそ彼は水の中に過去の思い出を投影し、そこを自らの「居場所にする」。その強い執念が水を支配し、何者をも寄せ付けない怒濤の泳ぎを実現したのではないだろうか。


水に居場所を見出だすという共通項を持ちながらも、一方では対極に位置する者同士=光と影のような関係だとも言える2人。しかし、2人を分けた最たる要因は、きっと彼ら自身ではなくその周囲の環境。 

金城の周りからは大切な人々が次々に消えていった一方、遙の周囲は、常に良き友人や仲間たちで溢れていた。 

凛とのすれ違いや「将来の進路」によって幾度となく水泳から身を引きかねない状況に追い込まれたりと、遙の水泳人生は決して順風満帆だった訳ではなかった……けれども、結果として遙は真琴たちの想いによって立ち上がり続けることができた。 

しかし、裏を返せばどうだろうか。もしも遙が再起できなかったら。もしも、どこかで凛や真琴との軋轢を消すことができなかったら……。それらの歯車が一つでもズレていたならば、遙も金城のように水の中を「殻」にしてしまっていたかもしれない。 

逆に、金城の側に清文や日和がずっと居続けてくれたなら、金城は遙のように、水の中を誰よりも「自由」に泳ぎ、周囲の人々を魅了する存在になっていたかもしれない。遙と金城は近くもあり、遠くもあり、どちらがどちらであってもおかしくはない――そんな、文字通り表裏一体の存在だったのだろう。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

Free!』の登場人物たちに一貫して描かれていたのは、彼らが「私たちと同じように“生きている”」人間だということ。彼らは確かに優れた能力を持ってはいるけれど、その反面で大きな欠点を抱えていたり、私たち同様に進路や人間関係といった身近な問題で深く思い悩む。 

そのことは、主人公の遙も例外ではない。むしろ、遙は『Free!』の中でも人一倍優れた能力と共に、人一倍ナイーブな心をも持った青年だ。そんな彼がこうして日本を背負って立つまでになったのは、仲間たちや、かつて自分に「誰かのためじゃなく、自分のために泳いでほしい」「そんなハルちゃんのフリーが大好きだから!」と言ってくれた親友=真琴がいてくれたおかげなのだろう。そうでなければ、遙は別の道を辿っていただろうし、その可能性の一つが、他人を拒絶し、自分の世界を絶対として泳ぐ男=金城。 

つまり、『Free!』におけるスターの条件として不可欠なのは「巡り合わせ」。個人の資質や努力の積み重ねは勿論だが、それだけでは、絶対的な壁を越えることはできない――。そんな、本作のテーマとも言えるメッセージを示す役割を担ったのが、「巡り合わせ」を失ってしまった結果、遙に逆転されてしまった“もう一人の遙”=金城という存在なのではないだろうか。

 

しかし、大切なことが「巡り合わせ」であればこそ、そこには「遅い」も「早い」もない。 

大切なものを失い、心を閉ざしてしまった金城がこれまでずっと一人で戦い続けていたとしても、もし誰かが彼に手を差し伸べてくれるなら。あるいは、金城が己のプライドに囚われず、誰かのために、自分のためにも一歩を踏み出す=本作の凛と遙のように「大人になる」という決断を下せたのなら、金城は、遙と同じかそれ以上のステージに立つことができるはず――。そのことを示したのが「リレーの予選メンバーに名乗り出る金城」なのだと思う。 

金城がその決断を下したり、予選後の遙を気遣う一面を見せたことには、少なからず「遙に、病弱だった清文の面影を見た」こともあるだろう。しかし、たとえそれが清文への想いから出た行動だったとしても「遙の実力を認めた」ことも「遙やその仲間たちと共に泳ぐ」決断を下したことも、これまで孤独に戦ってきた金城にとっては大きな一歩であるし、それは同時に、彼自身が「七瀬遙の影」という作劇上の役割から開放された瞬間でもある。 

(“予選のフリー枠” というのはある意味文字通り “遙の影” 。それを自ら買って出ることで遙の影という枠から開放されるというのは、金城が“大人になる瞬間”として、これ以上なく相応しいもののように思える)

 

こうして考えていくと「金城がメドレーリレー予選のフリー枠を泳ぐことを自ら名乗り出て、夏也らとチームを組む」ことは、金城という「作劇のために生まれた」キャラクターを、一人の人間として開放するための、必要不可欠な儀式だったのではないかと思う。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

ただし、金城が予選を泳ぐことにそういった「意味」があったとしても、それと「旭が世界を舞台にリレーを泳げないこと」に納得できるかどうかというのは別の話。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

この点については製作陣も意識的だったらしく、リレーの開始前、尚に対して旭が「アテネでは必ず、遙たちと最高のリレーを泳ぐ」と宣言する一幕がある。 

そう、本作は『Final』と銘打ってはいるが、このフクオカ大会は旭たちにとってはこれから挑んでいく大会の一つでしかなく、旭たちの競泳はこれからも続いていくものなのだ。 

このような「作品の完結編」としてはもどかしいけれど、これからも彼らの人生が続いていくことを踏まえると自然な描写・展開」は作中にいくつか見られており、特に分かりやすいのが、怜、渚、愛一郎の3人が、世界大会への出場を逃してしまったこと。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

作品の完結編としては(3人とも自己ベストを更新したり、怜がレーン1位を取るという好成績を残したりはするものの)少し歯切れが悪いようにも思えてしまうこのくだり。けれども、そのように「誰も彼もが上手くいく訳ではない」ことは非常に自然であるし、そういったリアルさについて真摯に描き続けてきたのが『Free!』シリーズでもある。そして、そんなリアルな世界だからこそ、私たちは作品の中でリアルに生きている彼らを、転じて、彼らが「その世界の中でこの先も生き続けていく」ことを感じることができる。旭にも、怜にも、渚にも、愛にも「この先でリベンジする未来が待っている」と思わせてくれるのだ。 

結果論的な妄言と言われたらそれまでだけれど、この『後編』は、旭をはじめ、『前編』では世界大会出場を逃した面々が大挙して世界大会への切符を勝ち取ったり、宗介が見事復活を遂げたり、凛と郁弥が銅メダルを取ったりと、「(オーバーなくらい)上手くいく」展開が頻発する。それに対して、旭がリレーへの出場を逃す、というような描写が挟まることでフィクションラインの釣り合いを取っているという見方もできるだろう。そして、そうして担保された作品のリアリティラインが「『Free!』の世界が、これからも続いていく」=「旭も怜も、渚も愛も、この先で必ずリベンジしてくれる」という確信を持たせてくれる。 

「誰もが上手くいく訳じゃないけど、未来や可能性は皆に等しく、無限に広がり続ける」というのは『Free!』がシリーズを通して繋いできたメッセージ。旭が「金城のために最後のリレーを逃した」というのは真実かもしれないけれど、その一方で、彼はそんな大切なメッセージを背負う大役を託されていたのではないだろうか。 

とりわけ、旭は『Free!』主要メンバーの中でも一際明るく、『ハイ☆スピード』でも自身のスランプを見事乗り越えてみせた熱血漢。たとえ挫折しても、遙や郁弥といった天才たちに囲まれていても、決して諦めずに立ち上がり続けてきた彼の「次の大会では、必ず」という誓いには真に迫るものがあるし、この役割は、そんな旭だからこそ果たせたのではないか、とも思えてしまうのだ。 

(ED後のエピローグで練習風景が描かれるのが「旭、怜、渚」であるというのも、彼らの更なる成長や未来のリベンジを示唆しているように思えてならない)
 

 

かくして『Free!』を締め括るべく集った8人。全ての舞台が整う中、残る問題は遙自身。アルベルトの問いかけに対する「答え」だ。

 

「What's are you swimming for?」

 

「何のために泳いでいる?」という問い。遙の中ではこの言葉がトラウマのようになっていたけれど、それはきっと「この問い」そのものがトラウマになっていたというより、アルベルトの泳ぎとセットでトラウマになっていたのだと思う。

 

「ずっと、水に入るだけで満たされていた」

 

『Road to the World 夢』におけるこの言葉通り、「何のために泳いでいる?」という質問に対する遙の答えは、前提としては「そう在ることが自然だから」「そうすることで満たされるから」なのだと思う。だからこそ幼い頃から遙は水に触れて育ってきたし、誰に教わることもなくフリーを習得するという神業も見せた。遙にとってこの問いは、我々に「何故呼吸するのか?」と訊くくらい意味のない、野暮なものと言える。 

にも関わらず、遙の心にはこの言葉が深く刻まれ、トラウマのようになっていた。きっとそれは、アルベルトの泳ぎが遙の在り方にとって最大の「天敵」だったからなのだと思う。

 

 

幼い頃より水と共に在り、水の中ではいつでもフリーだった遙。遙はその「自由」に身を委ねていたい、そして「自分のまま、もっと自由になりたい」だけだったのに、遙が泳げば泳ぐほど、彼の「自由」は抉り取られていった。 

小学生の頃には、自身の泳ぎが原因で上級生に目を付けられ、スイミングクラブに行かなくなったことがあったのだという。ただ泳いでいただけなのに、それが原因で敵意を向けられ、あまつさえ彼らに負けてしまった。自分の居場所を奪われたような感覚、そして、それまで無敵だった遙に焚き付けられる「勝敗」の観念。それはきっと、遙にとって初めて自分の世界が侵食された経験だったのではないだろうか。

 

それからも、遙は水泳の中で傷付き続けた。 

仲間の手を取って一歩踏み出したのに、その仲間=凛は自分の前から姿を消した。 

再会した凛を、自らの泳ぎで傷付けてしまった。 

それがきっかけで、新しい仲間=郁弥ともすれ違ってしまった。 

そして、それらの悲しみの向こうには、自由ではなく「勝負の世界」という、狭く、縛られた「不自由」が待っていた。 

泳げば泳ぐほど、遙は何かを喪い、その自由は抉られていった。「魚だったら、どんなに良かっただろう」……と、遙はそう何度も思ったのではないだろうか。 

魚は自由だ。人間よりも水に適しているし、速く泳いだことで誰かに憎まれることもない。自由に泳いだことで誰かを傷付けることもない。自分が泳がなくなったことで誰かを裏切ることもない。そして何より、生まれてから死ぬまで、魚はずっと自由なのだ。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

なら、なぜ遙は人間として産み落とされたのだろう。神の寵愛を受けたかのような「水の申し子」でありながら、なぜ水の中では暮らせない「人間」として生まれたのだろうか。 

先に引用した『Road to the World 夢』での遙の台詞は、下記のように続く。

 

「ずっと、水に入るだけで満たされていた。それだけでいいと思っていた……でも、ずっと一人だったら、今の自分はない」

 

遙が泳ぐ理由は「そう在ることが自然だから」あるいは「そうすることで満たされるから」。そのためには、何も誰かと泳ぐ必要なんてない。浴槽や河川のような、他に誰もいない閉ざされた水の中で沈んだり、泳いだりしていればそれでいいはず。現に、遙は誰かの前で泳ぐことで、誰かと共に泳ぐことで「自由」を喪い続けてきた。 

しかし――。

 

「僕は、いつも自由なハルちゃんのフリーが大好きだから!」

 

そんな自分が「自分らしく」「自由」であることを望み、後押ししてくれる友がいた。だからこそ遙は泳ぎ続け、自分の外の世界へ踏み出すことができた。 

そして、その先で遙は「自由」が、誰かと共に泳ぐことでより広がっていくものだと知った。誰かと共に泳ぐことで、誰かの為に泳ぐことで見れる最高の景色。凛という友が、最高のチームがリレーによって見せてくれた「見たことのない景色」。それは、幼い遙が夢に見ていた「僕が僕のまま、もっと自由に」なれる世界。仲間と手を繋ぐことで、遙は「何かを喪う」ことも「変わってしまう」こともなく、無限に広がる更なる自由を手に入れることができたのだ。 

遙が人として生まれたのは、きっとその領域に辿り着くため。魚では辿り着けないその領域に辿り着くために、敢えて人の形を取って生まれた存在。それが七瀬遙なのではないだろうか。

 

 

しかし、世界という大海には、そんな遙の「自由」を阻む壁がそびえ立っていた。それこそがアルベルト・ヴォーランデル。 

彼の、閉ざされた心=孤独 と「勝利するためのマシーン」としての在り方=不自由が作り出す泳ぎは「水を乱し、水を奪う」ものであり、まさに遙と正反対だ。 

そんなアルベルトに完敗したこと、それは「自由で在るために/仲間の為に」泳ぎ、成長してきた遙のこれまでの全てを否定するようなもの。遙にとってトラウマになっていたのは、心の中で囁くアルベルトの問い掛けそのものではなく、アルベルトと共に泳ぐことで、再び「自分の全てが否定されてしまうのではないか」という不安・恐怖だったのではないだろうか。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

だからこそ、遙の脳裏にはかつての自分の「if」が展開されていた。もしも、凛からリレーに誘われた時にそれを断っていたらならば、ずっと一人でいたならば、こんなに傷付くことはなかった。ずっと、水の中で平和にいられた。自由でいられた。魚のようにただ水の中に居続ければ、自分は自由のまま、何も喪うことはない――。 

しかし、遙はそんなアルベルトにも奪えないものがあることを知った。 

どれだけアルベルトの泳ぎが自分の「フリー」を否定しようとも、真琴をはじめとする仲間たちは、遙が遙らしく在ること=「フリーであること」を願ってくれていた。 

そして遙は、ある種の「甘え」でもあった仲間たちとの繋がりを、凛と「本当の気持ちを、言葉にして伝え合う」ことで確かなものとした。『the Final Stroke』において、遙は仲間からの思い、自分の中にある仲間への思いに正面から向き合い、恐れを越えて全てを受け止める=「大人になる」ことを選んだのである。   

だからこそ、今の遙はアルベルトの存在に惑わされることも、仲間とのすれ違いに怯えることもなく、夢の中で過去の自分に語りかける。

 

「お前らしくいろ。お前の選択 (仲間たちと共に歩んでいくこと) は間違っていない」

「感じたままに生きろ、未来へ飛び込め。お前なら、きっと――」


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

自分の中にあった「もしも」を「言葉で」否定し、夢から帰還した遙は、真琴に「行ってくる」と告げて歩き出す。 

この時の「遙と真琴がすれ違う」カットは、中学生時代の凛、そして郁弥との離別とほぼ同じ構図。遮断機同様、遙の「喪失」の象徴であったであろう画だ。 

しかし、この瞬間においてそれが意味しているのは、今の遙が「もう過去の後悔に脅かされたりしない」ということ。何があろうとも、親友たちとの、仲間たちとの心の繋がりはそこに在り続けるのだと分かったのだから。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

渚と怜が作った「チームハルちゃんのお守り(「Free」の一文字白く刻まれたデザインは、かつて遙が花壇に刻んだ文字のよう)」を身に着けた面々が見守る中。遂に幕を開けた世界大会のクライマックス=メドレーリレー。 

「世界を舞台に郁弥と泳ぐ」というシチュエーションがそうさせるのか、明らかにこれまで以上のパワフルな泳ぎを見せる日和、宗介を「おいおい、なんだあのバッタは!?」と驚嘆させるほどに「ノった」夏也(凛の「夏也さんは凄いだろ」という一言が『Dive to the Future』ファンにはたまらない……!)。 

そして「水の中に答えがある。俺の中の繋がりが」という清文の言葉、そして「チームとして、日和と共に同じリレーを泳ぐ」という最高の舞台を噛み締めつつ、存分に「自由」な泳ぎを披露する金城!


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

即席チームとは思えない抜群の引き継ぎを見せ付け、日本チームは決勝へ進出。 

最高の舞台に立った遙は、ここまで導いてくれた仲間たちの想いに報いるように、凛たち3人に思いの丈を伝える。

 

「このリレーに、俺の思いの全てをぶつける。お前らと全力で泳いで……取りたい、金メダルを」

 

かつては願うことのなかった勝利の栄冠。それを今願うのは、自分のため、仲間たちのため。そして、いつか抱いた「自分のまま、もっと自由になる」という夢のため。

 

引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

「俺は、フリーしか泳がない!」

 

これまでは「拒絶」「逃避」のために使っていたその言葉を、本作の遙は仲間たちに向けて堂々と告げた。 

それは、そうあれかしと望んでくれた/思いを託してくれた仲間たちへの感謝の言葉であり、遙自身の「自分らしく在り続ける」という決意表明でもある。どんな時でも自分らしく。閉ざされた籠の中の自由ではなく、鳶が空を駆けるような "フリー" を泳ぎ続ける――と。 

この言葉に始まり、この言葉に終わる『Free!』。しかし、その意味が文字通り反転することで、七瀬遙の成長と、彼が紡いできた絆そのものを表す言葉になるだなんて、それは本当に、なんて美しい物語だろうと思う。 

それぞれの思いを告げ、4人のボルテージが頂点に達した瞬間、凜は高らかに叫ぶ。

 

「さあ、クライマックスだ!」

 

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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

先陣を切るのは宗介。実はここが彼のバックの (映像上の) 初披露であり、どこか新鮮な心持ちで見ることができる――けれど、初見時は感極まっていてそれどころじゃなかった。『the Final Stroke』では何かとスポットが当たっており、凛と再び泳ぐという大見せ場まで用意された宗介だけれど、このシーンのボルテージはともすればそれ以上のもの。なにせ、ここで彼が泳ぐことは殊更に「文脈」が乗り過ぎている。 

そもそも、あの宗介がこうして泳いでいるだけでも涙ものだというのに、その舞台は世界大会の決勝で、しかも彼の双肩には日本代表の仲間たち、遙、郁弥、凛、そして真琴の想いまで乗っているときた。 

そんな彼の背負ったドラマを、仲間たちの言葉が爆発させてくれる。「時津の宗介だ」と騒ぐ観客に、誇らしげに「鮫柄の宗介だ」と叫ぶ鮫柄の仲間たち。それもそのはず、宗介がこうして世界を舞台に泳げているのは、『Eternal Summer』で宗介の「勝手に自分の可能性を潰すな」という言葉に救われ、『Take Your Marks』で宗介にそのことへの感謝を届けた愛、そして「傷害平癒」ではなく、「必勝」の御守りを宗介に託した百太郎の想いがあればこそ。 

最高のライバルや愛すべき後輩たち。宗介が鮫柄にいた時間は決して長くはなかったけれど、鮫柄の仲間たちが、鮫柄で見た景色が、宗介をこのリレーに繋いでくれた。鮫柄にいたからではなく、今も鮫柄で紡いだ想いと共に戦っているからこそ、彼は「鮫柄の宗介」で在り続けるのだ。

 

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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube


仲間たちの想い、そして真琴から託されたものを双肩に乗せて泳ぎきった宗介。彼からバトンを引き継ぎ、ブレを泳ぐ郁弥!


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

『Road to the World 夢』以降、宗介と郁弥の接点が多かったのはこのためか――と、この瞬間に気付かされたし、「確固たる心の繋がりがなければ、良い引き継ぎはできない」という、シリーズが描き続けてきた信念を首尾一貫させる姿勢にはただただ拍手を送りたい。 

そして『Road to the World 夢』以降接点が多かったというのは、郁弥が引き継ぐ相手である凛にも同じことが言える。宗介と真琴が似た者同士であるように、一見真逆なようでその実「気持ちで泳ぐ」「負けず嫌い」同士である2人。にも関わらず、『the Final Stroke』で郁弥が凛のように路頭に迷うことがなかったのは、きっと『Dive to the Future』において彼なりの答えを得て、その上で夏也と真に並び立てたこと。そして、それらの経験から夏也や旭らと「遠慮なく、心の底から通じ合う」ことができていたからだろう。

 

「一人で生きていく為に強くなるんじゃない、誰かの為に強くならなきゃ意味がない。それが本当の強さ。それを手に入れることが、きっと……本当の “フリー” 」

 

『Dive to the Future』において、遙と泳いだ郁弥が掴んだ答え。桐嶋郁弥という人間はきっとこの時点でほぼ「完成」されていたのだと思うし、事実、『the Final Stroke』での郁弥にはほとんど迷いがなかった。旭とも『ハイ☆スピード』よろしくちょっかいを出し合ったりはするけど、そこには彼への素直な親愛が感じられたし、夏也とも「喧嘩も相談も何でも遠慮なくできる、確執のない兄弟」として確固たる絆を見せていた。そして、素直に/ストイックに自分自身や遙に向き合う郁弥の姿は、誰よりも凛の励ましになっていたのだと思う。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 予告 - YouTube

 

『Dive to the Future』では、苦悩するあまり自分の殻に閉じ籠ってしまった郁弥だけれど、だからこそ、そんな彼が終始迷うことなく自分のため、そして仲間のために戦う姿は、遙や凛と並んで『the Final Stroke』の看板を背負うに相応しい眩しさがあった。 

(一視聴者としても、『the Final Stroke』で遙と凛が追い詰められていくにつれてどんどん胸を締め付けられていくような感覚がある中、郁弥の安定感がそれをカバーする精神的支柱になってくれていた感覚がある。ありがとう郁弥……!)

 

「とっととゴールに戻ってこい、自慢の弟!」
「懐かしい感覚。誰かのために泳ぐ……みんなで一つのゴール」

 

そんな郁弥にとって、メドレーリレーはまさしく自身が積み上げてきた「誰かの為の強さ」が最大限発揮される場所。 

日和や旭、夏也 (自慢の弟、という単語一つで涙が出てしまう……) らの思いをしっかりと受け止めて、これ以上なく自由に泳ぐその姿は、『ハイ☆スピード』の彼を思えばこそ、胸に来るものがあった。

 


そんな郁弥を待つのは、彼と支え合い、高め合い、互いに認め合った新たなライバル=凛。

 

「後ろから食い千切られねえように気を付けな」

 

久しぶりの決め台詞、そして待ってましたのゴーグルバッチン! バッタ決勝で披露しなかったのは、このクライマックスに取っておいたからなのか……! と、泳ぎ出す前からこちらのテンションは最高潮。にも関わらず。  

 

「入水角度はバッチリです!」

 

という怜の言葉でその天井がどこかへ吹き飛んでしまった。凛に対するいの一番のエールが怜、しかもその台詞は1期最終回の「入水角度が5度足りませんが、まあいいでしょう」というコメントのリフレイン……!   

「最後のリレーで1期をセルフオマージュ」という演出が熱いのは勿論のこと、凛と怜の関係性をこの大一番に持ってくるほど製作陣が大切にしてくれていることが何より嬉しかった。

 

 

「遙、真琴、渚、凛の幼馴染み組で話が進む」1期において疎外感を覚えていた怜。そんな怜と凛が真っ向から思いをぶつけ合い、最終回において怜が凛にリレーのバッタ枠を明け渡す……というのは、『Free!』1期のカタルシスが詰まったシリーズ屈指の名シチュエーションだ。 

そんな彼らの繋がりは、過去から続く絆が色濃く描写される『Free!』において「絆に早いも遅いもない」という点を補完する重要な役割を担っていたと言えるだろうし、そうでなくても、他の面々と一風変わった距離感で「仲間/好敵手」として認め合う2人の間柄がシリーズを通して度々描かれ、その都度2人の「特別な絆」が育っていることには嬉しさで笑みを隠しきれなかった。凛に真っ先にエールを送るのが怜であることは、『Dive to the Future』以降2人の絡みを描くに描けなかったことに対する、スタッフの想いが爆発したシーンのようにも見えてしまう。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

怜や江、母らの期待に応えるように、絶好調の泳ぎを見せる凛。ミハイルの「気持ちで泳ぐ選手」という評の通り、凛は一度気持ちが崩れるとガタガタになるものの、最高の舞台で、最高の仲間と共に泳ぐリレーともなれば文字通り無敵の選手。「見たことのない景色」の導き手としてシリーズを牽引してきたその強さには、夏也が「な? アイツすげぇだろ!」と言ってしまうのも頷けてしまう。 

(予選リレーでは、凛の方が「な? 夏也さん、すげぇんだよ!」と言っており、その仲良し不器用コンビぶりに変な声が出てしまいそうだった)

 

戻ってくる凛を待ちながら、遙はアルベルトへ毅然と言い放つ。

 

「お前と泳いでから、ずっと考えていた。大切なものは何か……その答えを見せてやる」

 

遙の見付けた「大切なもの」そして、遙の中でアルベルトが囁く「What's are you swimming for?」=「何のために泳ぐのか?」という問いの答え。 

それはきっと、遙自身がどこまでも「Free」で在るため。そして、自分がフリーであることを望み、支えてくれる仲間たちもまた自由で在れるように=「For the Team」。 

みんなの思いがあるから遙は「遙らしく」あれる、自由でいられる。そして、そんな遙の姿がみんなを自由にする。一人で作り出せる自由には限界があるからこそ、真の自由とは仲間たちと手を取り合った先にある。本当のFreeとは、遙と皆が揃うことで初めて作り出せるものだったのだ。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

アルベルトや金城といった「捨てた者たち」に勝って自由を取り戻すために、一時は全てを捨てようとした遙。しかし、仲間たちのおかげで、彼は変わることもなく、喪うこともなく、かつて描いた夢のように「自分のまま、もっと自由になる」道を見付けることができた。 

そんな遙にとっては、「何も捨てずに、仲間と共にアルベルトを越える」ことが “答え” そのもの。泳ぎで自身の物語を示そうとする遙と、それを迎え撃つ世界最強の男=アルベルト。メドレーリレーの、そしてシリーズのフィナーレを飾る2人の対決は、まさに『Free!』の最終決戦に相応しいものだった。

 

共に稀有な才能を持った選手である遙とアルベルト。しかし、方や遙は「自由を望まれ、仲間に支えられてきた」者。片やアルベルトは「勝利を望まれ、全てを捨ててきた」者。だからこそ、そんなアルベルトの泳ぎは遙のアイデンティティーを抉るものだった――が、それは逆もまた然りだったのだろう。 

『the Final Stroke 前編』にて、遙と泳いだアルベルトは、その泳ぎから「あの感覚……」と何かを感じ取り、決勝戦を辞退した。それはきっと、遙の自由な泳ぎがアルベルトの中に眠っていた「自由への憧れ」あるいは「水泳への愛」を呼び起こすものだったから=もう一度彼と泳ぐことが、彼のアイデンティティーを抉り取ってしまう可能性があったからではないだろうか。

 

遙の中でアルベルトが囁いていたように、アルベルトの中でも遙が囁いていたのかもしれない。「お前は、何のために泳ぐんだ」と。 

そうして、自らの泳ぐ意味を問われた2人の神童が心を繋げた時、2人は光と闇という対極の世界に立っており――遙は、アルベルトの深層意識に優しく語りかける。

 

「本当のお前と勝負がしたい。水の中なら誰でもフリーだ」

 

本作における幼い遙といえば、遙の心の中に現れた「もしあの時、凛たちの手を取らなければ、こんな辛い思いはせずに済んだかもしれない」というifのイメージ。アルベルトと泳いだことがきっかけで生まれたその暗い「if」は、遙自身の説得によって、現実同様に凛たちの手を取った。そうして彼が掴み取った自由を具現化したのが、遙の周りに広がる一面の青空なのだろう。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

だとすれば、遙と向き合う幼いアルベルトも同じように「遙と泳いだことがきっかけで生まれたif」=勝利に囚われず、遙のように自由に泳いでいれば……という、アルベルトの後悔が具現化したものなのかもしれない。 

しかし、仲間との絆のおかげで自分自身の在り方を肯定できた遙と異なり、一人ぼっちだったアルベルトの世界は鉛のように深く、暗い闇の中にある。「本当の自由は、一人では掴めない」ものだということを見せつけるかのように。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

だからこそ、そのアルベルトを連れ出せるのは遙しかいない。彼に最も近い者として、そして、仲間を持ち暗闇から立ち上がることができた者として。 

水の中なら、どんな生き方をしてきたとしても、どんな思いを抱えていたとしても、誰もがありのまま自由であれる。そしてその自由は、仲間と手を取り合うことで真に拓けるもの。その「答え」を見せるだけでなく、言葉で伝え、手を差し伸べる。それは、何度も悩み/折れて、それでも仲間のおかげで立ち上がり、本当のフリーになれた遙のフィナーレを飾るに相応しい、文字通り「ヒーロー」の姿だった。 

そんなヒーローの手を取り、最後のデッドヒートに入るアルベルト、そして遙。正直、この時点で泣いてしまっていたし、ミハイルが東にかけた「まだ泣くには早いよ」という台詞にはつい自分のことかと驚いてしまったりもした。けれど、それほどまでに2人の戦いは『Free!』の最後の戦いに相応しい「勝敗を越えた」ものだったように思う。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 予告 - YouTube

 
最高潮のテンションのまま試合は終了。しかし、そのまま倒れる遙と、無慈悲にも始まるエンディングに愕然……というより、むしろ「……え、死ん……だ?」という焦り一色になっていた。 

今でこそ冗談みたいな話だけれど、普段から命を懸けた戦いを描いた作品ばかり見ているからか、本気でそう危惧していた。だからこその「Final」なのか、とか、アルベルトに全てを託してしまったのか、とか、嫌な方向に辻褄が合い始めてしまって動揺が止まらなかった。一度悪い想像をすると、妙に辻褄が合い過ぎてしまうのは世の常なのか……。 

しかも、エンドロールで流れ始めるのは、歴代の『Free!』シリーのキービジュアル、主題歌・映像ソフトのジャケット、ピンナップといったイラスト群。
 
……走馬灯……?
 
やっぱり辻褄が合ってしまう。いくらなんでも『Free!』でそんな終わりは覚悟してなかったし期待もしてないんだが……!?!?!? と。ここまでが素晴らしかっただけに様々な不安で気持ちがグチャグチャになって、シリーズ初心者にとっては供給の嵐でしかない歴代イラスト群の映像も、2期のものぐらいまでは全く目に入ってこなかった。 

しかし、流石に1.2分もして『Timeless Medley』辺りのイラストが流れ始めた頃には「今騒いでもしょうがねェ……」と動悸も収まり、ようやく冷静な気持ちでエンドロールを見ることができた。 

それにしても、非常に特異なエンドロールだと感じた。確かに、これまでの主要イラストを流すというのは、歴史を総括する「最終章」にはピッタリだけど、自分が見た作品の中で同様の手法を取っている作品は見たことがない。その意図はあくまで推測するしかないけれど、私個人としては、それが「『Free!』の卒業アルバム」であるという意味合いからか、あるいは、もう一つ別の意味合いがあるようにも感じた。その点は後述したい。 

 

This Fading Blue

This Fading Blue


エンドロールが終わると、場面はフクオカ大会のその後へ。『Free!』の劇場用作品は、エンドロール後の尺が長めの傾向があると感じていたけれど、本作も例に漏れず、想像以上にボリュームのあるエピローグを見せてくれる。 

そのエピローグが何より嬉しかったのは、どのシーンも「終わり」ではなく「新たな始まり」を描いてくれていたことだ。

 

怜と渚のロードワーク、そしてそこに合流する旭は、いずれも主要キャラクターでありながら最後のリレーに出れなかった面々。短いながらも、彼らの「これから」を予感させてくれる。 

特に、遙らと同期の旭はエピローグで「就活の時期だけれど、泳ぐことを選ぶ」シーンも描かれるなど (リレーの一件の補填なのか) 出番が多い。彼が郁弥たちから一歩引いたポジションになってしまったことはやはり残念でならないけれど、『ハイ☆スピード』の頃から、旭は彼らのような “天才” ではなかった。だからこそ彼は、我々視聴者にとって親しみやすく、作品世界との橋渡しになってくれる大切な人物だったと言えるだろう。

 

鮫柄では百太郎が、岩鳶では歩がそれぞれ新部長に就任し、金城は日和や宗介らと親睦を深める……等々のシーンを経て、ようやく語られる遙の現在。その第一声が「復帰」というから驚いた。存命かどうかさえ疑わしかったのに、まさか復帰の目処が立っているとは……! 

そんな遙は海外で真琴と合流、同じく凛は愛と合流する……と。エピローグにレギュラーキャラクターほぼ全員の「その後」を詰め込んでしまうのは流石の一言。特に、『Dive to the Future』以降中々描かれなかった凛と愛の2人がここにきて大きくクローズアップされ、凛から愛へ「逞しくなったな」という一言が贈られるのは、1期へのリスペクトというよりも、怜と凛よろしくスタッフの愛情 (執念) を感じてしまうところ。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

遙、凛、渚、怜、江、宗介、愛、郁弥、旭、日和、楓、夏也、尚、新生岩鳶水泳部に新生鮫柄水泳部。皆の「その後」を描いた後は、最後の「やり残し」。 

踏切で止まる遙、そして向こう側に立つ凛。道を阻む「遮断機」が遂に上がり、踏切の真ん中で2人が向かい合う。

 

「夢を見たんだ。大会の夢」
「俺もだ」
「なあハル。夢の続き、気にならないか」
「そんなの、決まってる」

 

かつての遙にとっては「喪失」と紙一重だった「夢」、あるいは、夢を叶えるための「未来」。

 

 

「十で神童、十五で天才、二十歳過ぎればただの人……。ただの人まであと3年ちょっと。あぁ、早く “ただの人” になりてぇ……」

 

当初、自分の泳ぎ (自由であること) が誰かを傷付けることに絶望し、時の流れによって自分の才 (誰かを傷付ける要因) が失われること=喪失による解放を望んでいた遙。 

しかし、『the Final Stroke』までの長い旅路の中で、彼は自らの未来にも、夢にも、恐れることなく飛び込めるようになった。

 

「ああ――そうだ。 “ただの人” になるのは、もう少し後でいい」

 

「二十歳過ぎればただの人」なんて、そんなの分からない。遙が何も喪うことなくアルベルトを越えることができたように、未来は決して喪うことばかりじゃない。 

もし、何かを取り零し続けていくことが人間の宿命だったとしても、仲間と紡いだ絆によって、そんな宿命を変えてしまえるのもまた人間なのだと、そんな人間の可能性と、“自由” の意味を見せてくれたのが『Free!』という物語だったのだと思う。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube

 

本作のラストシーンでは、我々の見てきた『Free!』シリーズが、 (厳密には違うのだろうけれど) 遙たちを見守ってきた人々の撮った映像から作られたドキュメンタリーであることが示唆された。それはきっと、Free!』シリーズはあくまで「遙たちの人生の一部を切り取ったもの」に過ぎないという製作陣からのメッセージなのだと思う。「彼らの人生はこれからも続いていくし、彼らはずっと自由と共に生きていく」と言って貰えているようで、だからこそ、ここまで明確な「完結編」ながら不思議と寂しさはなく、むしろ安心感のようなものさえあった。 

本作『the Final Stroke』は、前編・後編ともに些か作劇のバランスに欠けるきらいがあったけれど、それらはこのような「描かなければならないもの」を限界まで詰め込んだことにより生まれた、避けようのない歪みのようなもの。だからこそ、劇場が明るくなった時に感じていたのは心地良い「満足」だけだった。 

終わりの悲しさや疑問・飲み込めない点といったものもあるにはあったけれど、それを塗り潰してしまうほど満たされている自分がいた。それはきっと、それだけ自分が『Free!』に貰ったものが大きかったのだと思う。

 

Stroke will go on

Stroke will go on

  • 加藤達也
  • アニメ
  •  
  • provided courtesy of iTunes

 

遙が抱いていた「未来へ歩けば歩くほど、人は何かを喪っていく」という絶望。これは作中の遙だけでなく、現実の中で非常に多くの人が抱いている悩みだと思う。私もある年齢を越えた辺りからそのことを考え始めて、いつしか「人生はそういうものなんだ」と諦めていた。そんな自分にとってある種の福音だったのが『Free!』もとい七瀬遙の人生。 

いくら自由でありたくても、そう上手く生きられないのが人間という社会的動物の背負った性。時間の流れに、人間関係という難題に次々と大切なものを奪われるばかりか、未来には更なる束縛までもが待ち受けている。『Eternal Summer』第9話『失速のフォーミング!』でプールに立ち尽くしてしまう姿に代表される遙の繊細な苦悩・葛藤には、生きる場所は違えど深く共感してしまっていた。 

遙だけでなく、真琴や宗介、『ハイ☆スピード』の郁弥や旭など、『Free!』シリーズに登場する面々は皆何かしらの苦悩を背負っており、それらはあくまで「等身大の悩み」として緻密に描かれていた。そのことが『Free!』の物語に “フィクションと現実の折衷作” として唯一無二の共感性・説得力を持たせていたと思う。 

そして、彼らは皆それぞれに「答え」を見付けて、自らの夢へと向かっていく。遙もまた、凛にオーストラリアへと連れ出され、世界の舞台を目にしたことで夢を抱き「喪うことばかりではなく、そこに踏み出すことで見える景色もある」のだと知った。そうして踏み込んだ場所=『Dive to the Future』そして『the Final Stroke』という未来の中で、遙は遂に何も喪うことなく、自らの夢を掴んでみせた。

 

 

サクセスストーリーとして華々しいフィナーレを飾った『Free!』だけれど、最後に待っていたのが希望だったからこそ、私は強く強く励まされた。遙たちほど輝かしく何かを掴むことはできなくても、彼らが示してくれた「未来へ進むことは、決して喪うことばかりじゃない」というメッセージに、確かな希望を見ることができたのだ。そして、それはきっと遙たち『Free!』の登場人物を「生きている人間」として描き、魂を吹き込んでくださったキャスト・スタッフ陣の尽力があったからこそ。 

しかし、そんなスタッフの中には、既に亡くなられてしまった方も多い。『the Final Stroke 後編』のエンドロールがアニメーション映像ではなく「画」というカタチでこれまでの歴史を振り返る形式だったことには、その一枚一枚を描かれた方々……とりわけ、件の事件で亡くなられた方々への哀悼と感謝の意を表したかったのではないか、と思う。 

自分のような些末な一個人にできることはたかが知れているかもしれないけれど、『Free!』に大切なものを貰ったファンの一人として、できる限り形にした恩返しをしていきたい。

 

 

そんな『Free!』は (新参者の自分には全くもって実感のない話だけれど) 、なんと来年の2023年をもって10周年なのだという。そしてなんと、10周年を記念したイベントも開催決定……! 

こうして『Free!』が続くということは、それこそ自分のように、同作にこれから初めて触れる人が増えていくということ。中には「水泳がメインで、特に女性人気の高い作品」という点などから、自分には合わないかも……とハードルを感じたり、敬遠してしまう方もいるかもしれない。 

しかしFree!』はあくまで「悩み多き若者たちの群像劇」であり、人間関係や、夢・未来への向き合い方など、誰もが共感できるテーマに一つの “答え” を示してくれる、とても誠実で美しい作品だった。


多くの方々の魂と愛、祈りが繋がって完結まで辿り着いた『Free!』シリーズ。この素晴らしい作品群が、これからもたくさんの人の手を引き、自由まで導いてくれること。一ファンとして、そんな未来がどこまでも続くことを願っています。 

Free!』シリーズを作ってくださった皆様、本当にありがとうございました。これからも、遙たちの人生に幸多からんことを。


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引用:『劇場版 Free! -the Final Stroke-』後編 大ヒット御礼スペシャルPV - YouTube