平成ライダーの“名挿入歌”勝手にベスト10【前編】


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お題に沿ってブログを書く、という文化がある。 

「お題」といっても決して大それたものではなくて、例えば「好きなお茶」のような日常の些細な1コマを切り取ったお題でも、書く人が書けばこんなにも趣深い記事が出来上がったり……。   

www.bokuboku12.net  

「お……俺にはこんなセンスねぇよ兄貴!!(一人っ子)」  

とは思いつつも、「お題」をきっかけに何か書きたいな、書けないかな……などとぼんやり考えていたそんな折、はてなブログ公式様からこんな(オタクが好きそうな)お題が発表された。

 

【参加賞あり】はてなブログ10周年お題キャンペーン開催! 「はてなブロガーに10の質問」「好きな◯◯10選」など4つのお題で募集します - 週刊はてなブログ (hatenablog.com)

  

なんて書きやすそうなお題……ッ!!!!! 

これを逃したらおそらくどんなお題でも記事は書けない、書くなら今しかない!! という訳で。

 

今回の記事ではこちらのお題

【 はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選」 】

をお借りして、とある企画をやってみたいと思います。それは……

 

平成ライダーの“名挿入歌”勝手にベスト10』!!

 

歌、特に「挿入歌」と共にあったと言っても過言ではない平成仮面ライダーシリーズ。しかし、主題歌に比べると取り上げられることが少ないのがその定め……。 

ところが、11月に放送を控えるNHKの特番『仮面ライダー大投票』ではなんと「好きな歌」枠で挿入歌への投票ができるとあり、平成ライダー挿入歌界隈は、今まさに盛り上がり絶頂の真っ只中!!(筆者調べ)

 

そこで、今回はそんな世間の熱(筆者調べ)に油を注ぐべく仮面ライダーアギト』から『仮面ライダージオウ』までの平成仮面ライダーTVシリーズ19作品中で用いられた挿入歌から、超個人的な主観による「名挿入歌ベスト10」をランキング形式で発表、音楽知識皆無のオタク目線で好き放題語ってみたいと思います!

 

今回の【前編】で発表するのは10位~5位! ではでは……聞いて驚けェ!!!!(ニチアサ違い)

 

 

〇  〇  〇

 


10位:「仮面ライダードライブ」より
『Spinning Wheel』 

作詞:藤林聖子 
作曲・編曲:鳴瀬シュウヘイ
歌:泊進ノ介 (竹内涼真) & 詩島剛 (稲葉友) & チェイス (上遠野太洸

Spinning Wheel

Spinning Wheel

 

 トップバッターを飾るのは『仮面ライダードライブ』から、36話「銃弾はどこに正義を導くのか」にて初披露となった挿入歌『Spinning Wheel』! 

 作中何度もすれ違ってきたドライブ=進ノ介、マッハ=剛、チェイサー=チェイスの初の3人共闘に併せてのお披露目ということもあり、非常に印象深い挿入歌だ。

 

この『Spinning Wheel』の白眉と言える点は、何よりも俳優本人たちによるスリーボーカルという大胆な試み。仮面ライダーの挿入歌においてツインボーカルの曲は珍しくないが、スリーボーカルとなるとおそらく『仮面ライダーセイバー』における、仮面ライダークロスセイバーのテーマソング『Rewrite the story』しか他に例がないほど珍しいもので、この曲に懸けるスタッフ・キャストの思いが窺える。 

その甲斐あってか、この歌はタイヤを運命の歯車になぞらえた『Spinning Wheel』というタイトルに恥じないドラマチックな仕上がりになっている。「トップギアで」「揺れるアイデンティティ隠し」「この世界 たった1人 無条件に 愛する人 守りたい それだけ」など、3人がそれぞれのキャラクター性/物語に沿ったキーワードを歌い上げているのは勿論、3人のボーカルがぶつかり合うのではなく、それぞれが前に出ては追い抜かされ、すれ違いながらもより加速していくという、さながらレースのデッドヒートを思わせる曲調・構成はその最たるものだろう。

『ドライブ』における3ライダーと言えば、特徴として真っ先に挙げられるのが平成1期の作品群を思わせるようなすれ違いの多さ。ぶつかり合うことこそあったがそこには常に迷いがあり、お互いがお互いに割り切れないまま、ヒロイン=詩島霧子内田理央を軸に回り続ける三者三様の群像劇こそが同作の大きな魅力になっていた。 

前述した『Spinning Wheel』の曲調・構成はそんな本編のドラマがそのまま具現化したかのようなもので、幾重にもうねり急激に盛り上がっていく『ドライブ』終盤に相応しい重厚な一曲と言えるだろう。

 

ただ惜しむらくは、その肝心の初披露である36話において、進ノ介、剛、チェイスの3人がまだ和解しきっていなかったこと。 

CDのマーケティングのような事情があったのかもしれないが、結果的に「3人の心が一つになっていないのにスリーボーカルの曲が流れる」という聊かチグハグなシーンが爆誕。3人が競い合うような曲調を考えれば合っていない訳ではないものの。どうにも視聴者のテンションに比して上滑りしている感があったのは否めず、何とも惜しまれるデビューとなっていた。 

(それだけに、皆の心が通じ合った45話『ロイミュードの最後の夢とはなにか』での使用シーンは胸躍るものがありましたね……!)

 

 

〇  〇  〇

 


9位:「仮面ライダーキバ」より
『Supernova』 

作詞:藤林聖子
作曲: NAOKI MAEDA 
編曲: 鳴瀬シュウヘイ 
歌:TETRA-FANG 

Supernova [Tribute to Empire form]

Supernova [Tribute to Empire form]

 

9位は『仮面ライダーキバ』から、24話『皇帝・ゴールデンフィーバー』でのエンペラーフォーム初登場に併せて解禁された挿入歌『Supernova』! 

エンペラーフォームを体現するかのように美しく、かつ荒々しい盛り上がりが光る挿入歌で、24話という中盤での登場ながら最終回に至るまで頻繁に使用されたため、「最強フォームのテーマソング」といえば同曲を思い浮かべる方も多いのではないだろうか。

 

そんな『Supernova』を歌い上げるのは、仮面ライダーキバ=紅渡を演じる瀬戸康史氏がボーカルを務めるTETRA-FANG。 

TETRA-FANGは前作『電王』での楽曲展開の成功を受けた形で結成された『キバ』のためのロックバンドで、同曲以前にもキバフォームのテーマソング『Destiny's Play』をはじめとする多くの楽曲を担当し『キバ』の世界を鮮やかに彩ってきた。そして、そんなTETRA-FANGの集大成とも言えるのがこの『Supernova』! 

 

前作『仮面ライダー電王』で名曲『Double-Action』を手がけた佐藤健氏は最初から凄まじい歌唱力の持ち主だったがそれはむしろイレギュラーなことで、TETRA-FANGのボーカル=瀬戸康史氏は『Destiny's Play』や『Individual-System』といった初期の楽曲群において、どうしてもその歌唱に「不慣れさ」を滲ませている節があった。 

(これらの挿入歌はその点込みでも大好きです……!)

Destiny's Play

Destiny's Play

 

しかし、それらのレコーディングから間を置き、更にその期間中『キバ』のハードなアフレコを続けていたからなのか、『Supernova』における瀬戸氏の歌声はこれまでの物とは比較にならないほどのレベルアップを遂げていた。

その成長ぶりは文字通り別人に聞き間違えかねないほどで、これまでが嘘のように激しく情緒的に、伸びやかに『Supernova』を歌い上げる瀬戸氏の歌声は、既に『キバ』限定のタイアップボーカリストの枠に収まらない「アーティスト」のものに変貌、それこそエンペラーフォームに覚醒したキバのような進化ぶりを見せていたのである。

 

物語中で強化変身を遂げたキバ=紅渡と、見違えるような歌声を引っ提げてきた瀬戸氏。そんな両者のシンクロもあってか、『Supernova』には単なる「最強フォームのテーマソング」に留まらないケレン味が溢れており、『キバ』を追いかけた道の先で出会った人ほど衝撃を受ける名曲になっている。 

挿入歌は番組の展開に沿って展開されるため、曲そのものが何らかの文脈を引っ提げてデビューすることは決して珍しいことではないが、『Supernova』のそれはシリーズ中でも変わり種であると言えるかもしれない。ただでさえカッコいい歌が、こうした様々な文脈によって更にその煌めきを増していくのもまた、挿入歌の大きな醍醐味と言えるだろう。 

(それだけに、初披露となった24話がエンペラーフォームの活躍を素直に応援できる展開でなかったことが悔やまれる一曲でもあったり……)

 

 

〇  〇  〇

 


8位:「仮面ライダーウィザード」より
『Just The Beginning』 

作詞:藤林聖子
作曲・編曲:AYANO
歌:仮面ライダーGIRLS 

Just the Beginning

Just the Beginning

  • KAMEN RIDER GIRLS
  • J-Pop
  • ¥255
 

8位は『仮面ライダーウィザード』より、ウィザードを象徴するドラゴンスタイルの一番手、フレイムドラゴンの初登場を鮮烈に飾った『Just The Beginning』

 

挿入歌のパワーがもたらす効果は様々で、例えば演技や演出との相乗効果でシーンの魅力を倍増させることもあれば、一方では「挿入歌のパワーでシチュエーションに説得力を持たせる」という裏技めいたことさえもやってのけてしまう。  

『Just The Beginning』が初披露となった9話『ドラゴンの叫び』は、前話においてフェニックスに大敗を喫したウィザード=操真晴人白石隼也が、自分の中のドラゴンを御することで進化、フェニックスに一矢報いるという非常に熱いエピソード。しかし、その話数はなんと序盤も序盤である9話。 

晴人自身が身体の内にファントム=ウィザードラゴンを宿しており、ドラゴンは協力こそすれ、隙あらば晴人を絶望に堕とそうとしている……というこの関係性は『NARUTO』における主人公、うずまきナルトとその内に潜む魔獣=九喇嘛の関係性を彷彿とさせる緊張感のあるもので、『ウィザード』における縦軸の一つとなっていた。 

が、そんなウィザードラゴンを早くも説き伏せてしまうのがこの9話。しかも、その結果登場するドラゴンスタイルは基本スタイルの完全上位互換であり、当時は思わず「おいおいおい早くない!?」と突っ込んだものだった。

ウィザードラゴンを説き伏せてフェニックスに一矢報いるという展開の熱さもフレイムドラゴンのカッコよさ(デザインも二刀流アクションも惚れ惚れしますよね……)も100点満点なだけに、その早さが勿体ないなぁ、これじゃノれないだろうなぁ……などと思いつつ視聴に臨んだところ、そこで流れたのがこの『Just The Beginning』!

 

カッコいい!!!!好き!!!!!!(掌きりもみシュート)

 

と、前もって感じていた不平不満が全て消し飛んでしまうほどの圧倒的な熱量が『Just The Beginning』には満ちていた。  

同曲を手がける仮面ライダーGIRLSは前作『仮面ライダーフォーゼ』の卒業ソング『咲いて』で劇中挿入歌デビュー。爽やかで清涼感のある歌声が実にハマっていただけに、そんな彼女たちが歌う『Just The Beginning』の燃え上がるように激しく熾烈なメロディは殊更に刺激的で、気が付けばフレイムドラゴンの華麗なデビュー戦に釘付けになってしまっていた。

「挿入歌に圧倒的なパワーがあれば。多少無理のあるシチュエーションにも説得力を持たせることができる」という、挿入歌の持つ末恐ろしさに心底から震えた、そんなある意味思い出の一曲だ。 

 

その後『Just The Beginning』は12話『希望の和菓子』を最後に使われなくなってしまうものの、仮面ライダーGIRLSは後にインフィニティースタイルのテーマソング『Missing Piece』を歌唱、こちらも負けず劣らずの名曲なのが救いだった。 

『ウィザード』は仮面ライダーGIRLSに加えてお馴染みのRIDER CHIPSが久々に本格参加した作品でもあり、改めて振り返ると、同作はその豪華な楽曲展開も見所の作品だったな……と思ったり。 

いつかまたこの2大ライダーバンドがタッグを組み、たくさんの挿入歌と共に作品を盛り上げてくれる日が来てほしいと願ってやまない。

 

 

〇  〇  〇

 


7位:「仮面ライダーアギト」より
『BELIEVE YOURSELF』 

作詞:藤林聖子 
作曲・編曲:三宅一徳 
歌:風雅なおと 

BELIEVE YOURSELF

BELIEVE YOURSELF

 

7位は『仮面ライダーアギト』から、1stエンディングテーマの『BELIEVE YOURSELF』! 

前作『仮面ライダークウガ』では多くのボーカル曲が製作されたものの、演出方針のためか劇中では一度も使用されることが無かったため、「平成仮面ライダーシリーズ」における実質的な挿入歌第1号がこの『BELIEVE YOURSELF』。手がけるのは『電磁戦隊メガレンジャー』主題歌などで特撮ファンにはお馴染みの風雅なおと氏で、「ヒーロー感」をこれでもかと熱く力強く伸びやかに歌い上げる、まさしくフィニッシュテーマに相応しい名曲だ。

 

同曲は、平成ライダーシリーズ初の挿入歌というポジション、そして耳に残るイントロ(デレレレ~\デデ-ン!/)もあってか、挿入歌とは思えないほど露出の機会に恵まれた楽曲。 

具体的には、オンタイムで発売された対戦格闘ゲームの『仮面ライダーアギト』や、放送後に発売されたPlaystation2専用ゲームソフト『仮面ライダー 正義の系譜』において戦闘BGMに採用されただけでなく、後年の『仮面ライダージオウ』32話『2001:アンノウンなキオク』においては、なんとジオウとアギトの共闘用BGMに抜擢されるという凄まじい優遇ぶりを見せてくれた。筆者含めて、当時の視聴者やスタッフの中でいかに『BELIEVE YOURSELF』が印象的だったかを物語っているエピソードと言えるだろう。

しかし、この『BELIEVE YOURSELF』が印象的なのはそれだけの理由ではない。 

仮面ライダー龍騎』『555』などの平成仮面ライダーシリーズ初期作品においては、仮面ライダーたちが(味方サイドのライダーであっても)およそ「ヒーロー」と呼べないような状態であることが多く、そのため挿入歌はそんな彼らの「ヒーローらしさ」を補う側面を持っていた。 

そして、そんな役割をシリーズで初めて担ったのがこの『BELIEVE YOURSELF』。というのも、本作主人公の仮面ライダーアギト=津上翔一賀集利樹は基本的に無言でクールに戦う戦士であるだけでなく、初期にはアギトの力を制御しきれず仮面ライダーG3=氷川誠(要潤)に襲いかかることさえあったという、それだけ見るとおよそ主人公ライダーらしからぬ演出方針だ。 

また、影の主人公とも言える仮面ライダーギルス=葦原涼友井雄亮に至っては、その姿・戦闘スタイル共に異質で怪人のようなものであるばかりか、彼がメインとなるエピソードはとにかく暗い。話も画も何もかもが暗く、その戦いに漂う哀愁に拍車をかけていた。 

そんな彼らの戦いは非常に魅力的でカッコいい……のだが、どうしても(当時からすれば特に)「正義のヒーローらしくない」ものではあった。アンノウンの不気味さもあり、このままでは前作『クウガ』よろしく逃げ出してしまう子どもが出かねない! ということで、そんな彼らの戦いに華を添え、ヒロイックさを補強する対策として誕生した(と思われる)のが挿入歌と言う新たな文化であり、そのトップバッターがこの『BELIEVE YOURSELF』!

 

同曲は、歌声・歌詞・曲調のどれもが真っ直ぐ熱い王道ぶりなこともあって『アギト』の陰鬱な雰囲気を吹き飛ばすのにピッタリ。  

特にアギトは、必殺技の前に必ず特定のモーション(ライダーキック、セイバースラッシュ前のクロスホーン展開など)を入れるライダー。そこに挿入歌が加わることによるケレン味は圧倒的で、この『BELIEVE YOURSELF』が「平成ライダー初の処刑曲」に相応しい人気を博したも頷ける話。栄光の「平成ライダー初代挿入歌」として、是非今後も語り継がれていってほしい名曲だ。

 

 

〇  〇  〇

 


6位:「仮面ライダー555(ファイズ)」より
『The people with no name』 

作詞:藤林聖子 & m.c.A・T 
作曲:渡部チェル
編曲:RIDER CHIPS 
歌:RIDER CHIPS Featuring m.c.A・T 

 

6位は『仮面ライダー555』の2ndエンディングテーマこと『The people with no name』

 

初披露が仮面ライダーファイズ アクセルフォームの初登場回である21話『加速する魂』であるだけでなく、その後も(タイミングを踏まえれば当然だが)度々アクセルフォームの活躍シーンで流れる同曲は、強化クリムゾンスマッシュの圧倒的なインパクトなども相まって、実質的なアクセルフォームのテーマソングとして高い知名度を誇る名曲。

 

しかし、その印象深さは何もアクセルフォームのインパクトだけによるものではなく、この『The people with no name』そのものが非常に魅力的で、かつ変わり種の挿入歌であることも大きい。 

というのも、同曲はその最たる特徴として楽曲内にラップを組み込んでいる。間奏部分には本格的なラップパートがあるし、それ以外のメロディラインもラップに通ずる独特かつ軽快な、どこか癖になるテンポ感で構成されたもの。仮面ライダーアギト』『龍騎』と続いたライダーソングの王道テイストを引き継ぐことなく、全く異なるテイストでライダーソングの新たな地平を切り開いた点にこの歌の真価があると言えよう。 

そもそも『555』は『クウガ』から続くシリアスな作風を踏襲した作品だが、陰鬱な雰囲気の中に儚げな情緒が込められたその作風は他にない独特のもの。 

それは大人から見れば「味のある」、子どもから見れば「背伸びした気分になれる」ものであり、いずれの視聴層にも響く特異な魅力を醸し出していた。この『The people with no name』は、そういった意味でも非常に『555』らしい楽曲と言えるかもしれない。

同曲がそのような「変わり種」となったのは。おそらくゲストボーカルであり、ラップパートの作成を担当したm.c.A・T氏によるところが大きい。  

というのも、同氏は『555』OP主題歌『Justiφ's』を歌唱したISSA氏の所属するダンス&ボーカルグループ「DA PUMP」の元プロデューサーであり、自身の手で多くの楽曲を提供してきたという経歴の持ち主。DA PUMP……なるほど……(脳裏を過ぎる例の曲) 

そんな同氏が『The people with no name』の作曲・編曲面にどこまで関わっていたのかという詳細な所までは分からないものの、編曲をボーカルのRIDER CHIPSが担当していることも踏まえると、共同ボーカルであるm.c.A・T氏が(大々的な形ではないにしろ)何らかの形で編曲面に関わっていたとしても納得のいく話。 

何にせよ、『Justiφ's』同様に『The people with no name』が吹かせた新風が仮面ライダーシリーズの楽曲史に残した影響は間違いなく大きなもの。同曲が耳に残る楽曲なのも必然と言えるだろう。

 


〇  〇  〇

 


以上、10位から6位までのランキングでした! 
まとめると下記のようになります。 

10位 『Spinning Wheel』仮面ライダードライブ)
9位 『Supernova』仮面ライダーキバ
8位 『Just The Beginning』仮面ライダーウィザード)
7位 『BELIEVE YOURSELF』仮面ライダーアギト
6位 『The people with no name』仮面ライダー555 

皆様の推し挿入歌は入っていましたでしょうか……? もし入っていたなら、あるいは少しでも共感して頂けたなら幸いです。

NEXT LEVEL(次回予告 ver.)

NEXT LEVEL(次回予告 ver.)

  • YU-KI(TRF)
  • アニメ
  • ¥255

しかし、本番はまだこれから!
本当なら残る5~1位についてもこの記事で語っていきたいのですが、気が付けば字数が8000を超えてしまったので、一旦この辺りで切り上げたいと思います。 

長文にお付き合い頂きありがとうございました。【後編】の記事でまたお会いしましょう! 

”第2話”で振り返る『帰ってきたウルトラマン』 ハードなドラマと熱い変身は「魂の帰還」を高らかに謳う

突然ですが皆さん、ウルトラシリーズで好きな「第1話」や「最終回」ってありませんか?


第1話は作品の始まり、最終回は作品の総決算。印象的な名エピソードが多いのも当然で、この話題はファン共通のいわば語り草ですよね。 

一方、個人的にそんな第1話や最終回と並べて語っていきたいのが「第2話」! 

前二者に比べて中々取り上げられないものの、それらよりも自由であるからこそ、時には第1話以上に作品の個性・魅力が溢れているのが第2話というもの。

 

今回から始まるシリーズ記事『”第2話”で振り返るウルトラシリーズでは、数あるウルトラシリーズから筆者オススメの「第2話」をピックアップ。何かと隠れがちなその見所を取り上げつつ、作品そのものの魅力にも迫っていきます。

記念すべき第1回で取り上げるのはこちらのエピソード!


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第1回「帰ってきたウルトラマン」より

第2話『タッコング大逆襲』

1971年4月9日放送 
監督:本多猪四郎
脚本:上原正三

帰ってきたウルトラマン

帰ってきたウルトラマン

  • 団 次郎 & みすず児童合唱団
  • サウンドトラック
  • ¥255

第1回を飾るのは、筆者イチオシの昭和ウルトラ作品こと帰ってきたウルトラマンから、第1話冒頭で撤退したタッコングとの決着戦を描くタッコング大逆襲』!

 

帰ってきたウルトラマン』は、1971年から放送されたウルトラシリーズ第4作。前作『ウルトラセブン』終了から間を開けて始まった、通称「第2期ウルトラシリーズ」の初作で、当時の流行を反映する形でスポ根・ホームドラマ的な作風が押し出されているのが特徴。 

スポ根・ホームドラマ的な作風……というとどことなく時代がかった響きのようにも聞こえてしまうけれども、言い方を変えれば、本作が描くのは主人公・郷秀樹の人間としての葛藤と成長(スポ根)そしてその日常(ホームドラマ)。 

帰ってきたウルトラマン」ことウルトラマンジャックが郷と心身ともに一体化していくという点も含めて、本作は平成以降のウルトラ戦士に多く見られ、シリーズのもう一つの本流となっていく「人間ウルトラマン」の先駆け/パイオニア的作品であり、その優れたドラマ性が大きな魅力となっている。 

そんな『帰ってきたウルトラマン』の魅力がギュッと詰まったエピソードがこの2話『タッコング大逆襲』! 本話のあらすじは下記の通り。

 

怪獣攻撃部隊「MAT」にスカウトされた郷秀樹(団時朗)。ウルトラマンと一体化したことでその身体能力は超人的なものになっており、彼は入隊に伴う技能テストで次々に先輩隊員を圧倒してみせる。 

そんな自分の力に慢心した郷は、オイル怪獣タッコングの挟撃作戦において独断を働き、同行した南隊員(池田駿介)を負傷させたばかりか、タッコングの逃亡をも許すという大失態を犯してしまう。 

全ては自分の責任だと郷を庇う南隊員だったが、事の顛末を見抜いていた加藤隊長(塚本信夫)は郷に除隊を言い渡す。郷は、タッコングとの交戦時にウルトラマンへの変身が叶わなかったショックもあり、失意の中でMATを後にする。 

その有り様を受けて、郷の恩師にして良き理解者でもある坂田健(岸田森)も彼を冷たく突き放す。隊長や健の真意に気付かないまま、居場所を失い放浪する郷。しかし、その中で彼が目撃したのは「ウルトラマンごっこ」に興じる子どもたちの姿だった。 

自分は力に溺れて、真に為すべきことを見失っていたんだ――。 

自身の愚かさを悟った郷は、単身、再び暴れ出したタッコングとMATが交戦するコンビナート地帯に急行する。 

人としてできることを、と救助活動に没頭する郷が絶体絶命のピンチに陥ったその時、遂に彼はウルトラマンに変身。ウルトラマンは激戦の末に必殺のスペシウム光線で勝利を収め、郷も無事に復隊を果たすのだった。  

 

 

第2話『タッコング大逆襲』はタイトル通りオイル怪獣タッコングとの戦いが描かれるエピソードだが、最大の見所は何といってもその秀逸なシナリオ。  

「慢心からウルトラマンに変身できず、ウルトラマンとして/人としての在り方に向き合うことになる」という、後の『ウルトラマンダイナ』や『マックス』などに継承される名プロットをペースにMAT隊員の紹介編を織り込みつつ、郷の葛藤と成長を描き、それらが最終的に「真のMAT隊員」そして「真のウルトラマン」としての郷秀樹の誕生に結実する流れは見事の一言。 

第1話『怪獣総進撃』が怪獣特撮ものとしてのエンタメを追求した作りだったからこそ生まれた、人間ドラマとしての『帰ってきたウルトラマン 第1話』とでも呼べるエピソードが、この第2話『タッコング大逆襲』なのである。

 

そんな本エピソードは、新入隊員である郷がMATの技能テストを受けるシーンから幕を開ける。 

f:id:kogalent:20210930071944j:imageテストの一連は、郷が「ウルトラマンと一体化したことで超人的な力を手に入れた」ことを示すデモンストレーションのようなシーンだが、テスト種目と相手の隊員が都度変わっていくことで、実質的に各隊員の紹介シーンも兼ねているのがまた上手い。 

剣道の相手となる丘隊員(桂木美加)は、郷に敗れたことをして「初めて竹刀を持ったというのはウソね?」~「そうだとすると、私は素人に負けたことになるわ」と洒落たコメントを残し、一方、軍人気質で射撃の名手でもある岸田隊員(西田健)は郷を自ら射撃場に招くも敢えなく敗れ、その後「実戦は射撃場とは違う、甘く見るなよ」と(負け惜しみのようにも聞こえる)警告を行う……と、隊員たちの台詞が短いながらもそれぞれのキャラクター性を的確に表しており、一連のシーンが郷の異常な身体能力を引き立たせつつ、わざとらしさのないMAT隊員たちの紹介となっている。まさに隠れた名シーンと言えるだろう。 

(上野隊員(三井恒)だけは開幕早々、丘隊員の前座のような形で郷に敗れて以降特に見せ場がないのだが、狙ってかそうでないのか、それでこそ上野隊員といったような扱いなのが面白い)

 

そんなMAT隊員の中でも特にスポットが当てられているのが、後に郷の兄貴分的な存在となる南隊員。演じるのは『キカイダー01』の主人公、キカイダー01/イチロー役などで知られ、2006年公開の映画『ウルトラマンメビウスウルトラ兄弟』のエンドロールムービーで郷役の団時朗氏と再共演を果たしたこともある池田駿介氏だ。 

f:id:kogalent:20210930072100j:image 南隊員は、前述の技能テスト(柔道)において郷に敗れてしまうも、丘隊員や岸田隊員と異なり、郷の驚異的な技を素直に賞賛してみせるなどのフレンドリーな面を見せる。 

他にも、タッコング挟撃作戦で失態を演じた郷を庇ったり、ケガを押して救助活動に向かったりするなど複数の見せ場が設けられており、そのことが彼の人柄だけでなく、MATが従来の組織に比べて人間臭く、家族然としたチームであることを感じさせてくれる。その点には、郷の過ちを「郷の取った行動はミスではない、身勝手な思い上がりだ」と厳しく糾弾しつつも、その帰りを信じ待ち侘びていたという加藤隊長の父性溢れる振る舞いも大きく影響しているだろう。 

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このようなMAT隊員たちの鮮やかな導入/紹介は、1話で顔見せ止まりだった彼らとMATそのものの掘り下げに大きく寄与している。しかしそれ以上に注目したいのは、これらMATの描写が、彼らと対照的な郷の未熟さ、そしてその成長という本エピソードのメインストーリーをこの上なく引き立たせている点だ。

MAT

MAT

 

ウルトラマンジャック=郷秀樹といえば、歴代主人公の中でも特に熱さとクールさの二面性が魅力的な主人公。しかし、それは『帰ってきたウルトラマン』作中での様々な経験があればこそ。序盤では3話『恐怖の怪獣魔境』など、むしろ『ウルトラマンA』の北斗などにも通ずる無鉄砲な熱血漢ぶり、あるいはその未熟さが色濃く描写されることが多い。  

本話もその例に漏れず、ウルトラマンの力にあぐらをかいて作戦を無視したり、MAT除隊となった後、家代わりである坂田家に「俺、MAT辞めてきちゃったよ」と微妙にウソをつきつつ戻ってきたりと、何とも若者らしい未熟な面がクローズアップされていく。 

(ごく普通のレーサーがある日突然ウルトラマンの力を手にしたばかりか、MATという国が誇るヒーローにスカウトされたのだから、このくらい調子に乗ってしまうのはむしろ当たり前かもしれないが……)

 

自身の未熟さ故にMATを除隊されたとは口が裂けても言えず「MATを辞めてきた」と語る郷を、彼の恋人=坂田アキ(榊原るみ)は「半分はがっかりだけど、半分は(激務のMATから離れた=会いやすくなるから)嬉しいの」と正直な気持ちを吐露しつつ歓迎する。 

彼らが家に戻ると、待っていたのは家主であり、郷と共にレーサーの夢を追う男、坂田健。 

本作が平成生まれの作品であったなら、失意の郷に健が言葉を投げかけ、それが何かに気付くきっかけとなる……と、そういう展開になったかもしれない。しかし『帰ってきたウルトラマン』は1971年放送の作品。時代故か、スポ根ものを意識した作風故か、郷を待つ人々はそう甘くはない。 

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「俺はもう、お前と組むつもりはないんだよ」
「なんですって!?」
(レース用の新マシン=流星2号を作るのにかかる時間が)これから5年として、お前は一体いくつになるかな? レーサーとしてはとうが立ちすぎている。組むんなら……俺はもっと若いヤツと組むね」
「それ本当ですか……? 坂田さん!?」
「ハッ……鈍いなお前も。その気がないんなら、なんでお前をMATへなんかやるか」

郷が戻るや否や告げられるコンビ解消宣言。 

あまりに冷淡な態様に打ちのめされた郷は家を飛び出してしまうが、健は彼を追おうとするアキを引き留める。

「今、一番郷に必要なことは……一人で考えることだ」

コンビ解消宣言は決して本心ではなく、加藤隊長から事の顛末を聞いていた健が、郷に発破を掛けるために言い放ったものだったのだ。 

僅か2話にして主人公が居場所を失くしてしまうという衝撃のシーン。70年代ならではのハードな展開の中に、兄、あるいは父親のような深い情を思わせる岸田森氏の名演が光る、同作『帰ってきたウルトラマン』のドラマ性を象徴する名シーンだ。

後の『ウルトラマンA』『タロウ』など他のウルトラシリーズにおいても、強敵の出現によって主人公(ウルトラマン)が苦境に陥る様は度々描かれることになるが、こと『帰ってきたウルトラマン』においては、怪獣は郷たちに降りかかる「苦難そのもの」である以上に、苦難の「きっかけ」として描かれることが非常に多い。  

具体的には、(本話のように)郷自身の人間としての未熟さが危機を招いてしまったり、ウルトラマンであるが故に周囲と衝突したり、怪獣のために大切な人々が苦境に陥ってしまったり……。帰ってきたウルトラマン』における脅威とは、怪獣そのものの強さというより、むしろ怪獣がきっかけとなり引き起こされるドラマ、いわば「状況」の方なのだ。 

(そのためか、同作は怪獣の強弱に関わらず緊迫感のあるエピソードが非常に多い)

 

ただし、このことは裏を返せば怪獣が主役ではなく舞台装置的になっているということでもあり、それは『帰ってきたウルトラマン』序盤の視聴率が奮わなかったことと決して無関係ではないだろう。 

そんな視聴率不振を受けて、同作は作中屈指の人気怪獣ことベムスターが登場する第18話『ウルトラセブン参上!』を皮切りに、怪獣(+宇宙人)が中心となって描かれるエピソードが増えてくる。 

しかし『帰ってきたウルトラマン』が本来の方針を捨て去ることはなく、むしろ同作が元々持っていた高いドラマ性と怪獣・宇宙人の魅力が融合したことで、第31話『悪魔と天使の間に...』や第44話『星空に愛をこめて』といった、人間ドラマと怪獣特撮らしいエンタメ性の共存した傑作が次々と誕生していくことになる。  

MATの使命

MATの使命

 

逆境の中でも決して妥協せず、そのハードな物語性を貫き続けた製作陣。彼らがそうまでしてドラマ性にこだわった理由が集約されているのが、他でもない第2話『タッコング大逆襲』のクライマックスだろう。 

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坂田家を出て一人放浪する郷。彼は町中で、偶然にも「ウルトラマンごっこ」に興じる子どもたちを発見する。郷にとって、その姿はまさしくウルトラマンの力に酔いしれる自分の姿そのものだった。 

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「俺は確かに思い上がっていた、ウルトラマンであることを誇らしく振り回そうとしていた……。その前に郷秀樹として全力を尽くし、努力しなければならなかったんだ」

自身の過ち、そして本当にすべきことを悟った郷の耳に、怪獣タッコングの咆哮が響く。郷がMATを離れ悩んでいる間に、タッコングがコンビナート地帯に上陸し暴れ出していたのだ。 

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人として全力を尽くすべく現地に駆け付けた郷は、オイルプラント地下に閉じ込められた作業員たちの救出に奔走する。 

MATの戦い

MATの戦い

コンビナート地帯では先んじて到着していたMATが救助や避難誘導などを行っており、その中で加藤隊長は救助活動中の郷と合流する。 

迫りくるタッコングを前に「これ以上は無理だ!」と郷にも避難を促す加藤隊長だったが、

「最後まで……最後までやらせてください!」

今度は慢心ではなく、人々のために命を懸ける覚悟から命令を無視する郷。彼は制止を振り切って再度オイルプラント地下へ向かうが、タッコングの進撃によって地下にも火の手が回ってしまう。 

鎮火を試みる郷が絶体絶命のピンチに陥ったその時、脳裏にウルトラマンの光が閃く。彼が神託を受けた神官のように手を掲げると、その身体は遂にウルトラマンへと変身を遂げる――! 

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本話前半、タッコングに襲われた郷がなぜウルトラマンに変身できなかったのかも、逆になぜここでウルトラマンへの変身が叶ったのかも作中では明言されない。しかし、視聴者としてそこに疑問を挟む余地は欠片もない。今の郷がウルトラマンの力を使うに相応しい人物だということを、その言葉、表情、行動の全てが証明しているのだから。

夕陽に立つウルトラマン

夕陽に立つウルトラマン

郷が心身ともに本物の戦士に生まれ変わったことを、本話前半と同じ「命令の無視」によって描くという粋な演出から始まるこの一連は、炎に包まれた郷が遂に変身するシーンも含めて作中屈指の名場面と言えるだろう。 

郷の慢心、MATや坂田家の暖かさと厳しさ、それらを経て至る郷の再起……全てのドラマがこの変身に集約され、ウルトラマンの登場でカタルシスが爆発する。それはまさしく、『ウルトラマン』とも『ウルトラセブン』とも異なる新たなウルトラマンシリーズの産声、3年越しの魂の帰還とでも呼ぶべき瞬間だ。  

そう、怪獣とヒーローの魅力の到達点を生み出した『ウルトラマン』SFとしての圧倒的な完成度を誇った『ウルトラセブン』に対し、それらを越え得るものとして製作陣が切ったカードこそウルトラマンというヒーローそのものとドラマとの融合」であり、本話の圧倒的なカタルシスがその一つの完成形。製作陣が本作を通してドラマ性へのこだわりを最後まで貫いた理由そのものなのではないだろうか。 

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一方、そんな熱いドラマ描写の煽りを受けてしまったのがタッコング。 

タッコングはその味のあるフォルムや1-2話に跨って登場したことによるインパクトもあってか、後に『ウルトラマンタイガ』でも復活を遂げるなど高い人気を誇る怪獣だ。ところが、本話ではなんと(前半~中盤で大暴れするものの)ウルトラマンの登場からたったの1分10秒で爆殺されてしまう。  

ただ、その点はスタッフも自覚があったのか「短いならその分印象的な画を見せよう」と言わんばかりに、ウルトラマンタッコングの戦闘シーンは明らかに尋常でない気合を持って作られている。 

コンビナートのミニチュアは今見ても全く遜色のない緻密さであるし、画面中所狭しと炎が燃え盛る様は迫力満点。たった1分10秒だからと、やりすぎなくらいの全力で繰り広げられる特撮は圧巻の一言だ。 

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帰ってきたウルトラマン』はドラマ面にスポットが当たりがちだが、シリーズ復活第1作だけあって特撮や怪獣演出への気合も抜かりない作品。そういった意味でも、この『タッコング大逆襲』は同作を象徴するエピソードとも言えるかもしれない。  

(その猛烈な画がファンの間で語り草にでもなったのか、なんと後の1984年に公開された映画『ウルトラマン物語(ストーリー)』では、ウルトラの父がこのジャックとタッコングの戦いを「過酷な環境下での戦い」のサンプルケースとして挙げている一幕がある)

ウルトラ5つの誓い

ウルトラ5つの誓い

そんな本エピソードは、その〆も実に「らしい」ものになっている。   

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コンビナートでの活躍を認められてMATに復隊した郷。加藤隊長は、そんな郷と共に坂田家を訪れる。その目的は、健に自身の口から直接感謝を伝えることだった。

「貴方の所から戻った郷は、立派に立ち直っていました。もう、非の打ち所のない立派なMATの一員です」
「そりゃ良かった……。ところで、私の方からもお願いがあるんですが」
「ほう、なんでしょうか」
「休暇の時で結構です、郷を貸してください。流星2号を作りたいんです」
「坂田さん、本当ですかそれ!?」
「うん、俺たちの夢なんだ。大事に育てよう」

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帰ってきたウルトラマン』は前述したもの以外にも数え切れない様々な個性・魅力を持った作品だが、この加藤隊長と健のやり取りに象徴される「坂田家とMATの両方が郷の家であり、家族である」という暖かさと、そこから描き出される絆の物語こそが、同作最大のアイデンティティに思えてならない。

 

暖かさと厳しさの共存、怪獣特撮と人間ドラマの融合。1971年という時代だからこそできたハードなドラマ描写、そして特撮ヒーロー黎明期だからこそ生まれた果敢な挑戦の数々。それらに込められた魂が熱く気高いからこそ『帰ってきたウルトラマン』は今も色褪せることがない。 

2021年で遂に放送開始50周年を迎えた同作は当時から大きく再評価が進んだこともあり、現在は円谷プロ作品専門の動画配信サービス「ウルトラサブスク」こと「TSUBURAYA IMAGINATION」で見放題配信中な上、各社からBlu-ray BOXも新品が販売されているなど視聴手段には困らない。 

50周年というこの記念すべき節目に、是非第2話『タッコング大逆襲』そして、そこから続いていく郷たちの努力と絆の物語を振り返ってみてはいかがだろうか。

 

(次郎くん、触れられなくてごめんね……)

【祝開設1周年!】ブログを続けてみて良かったこと3選を考えてみる。


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突然ですが、今日は2021年9月13日。

この日が一体何の日かというと――

 


カイザ!カイザ!カイザ!カイザ!カイザ!


違ァう!!!!!!!!!!(違わないけど)

 

そう、本日2021年9月13日はなんと……


当ブログ『れんとのオタ活アーカイブ』が開設1周年を迎えた日なのです!!!イエエエエイ!!!!!!!!!!(ビルドドライバー)

 

kogalent.hatenablog.com

 

更に(若干狙いましたけど)ピッタリこの日に総アクセス数も5000を達成!

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自分にまつわるアニバーサリーなんて誕生日くらいしかないものですけど、我が子も同然なブログの1周年、ましてやちょうどその日にデカい目標が達成できた! ともなれば、誕生日以上にめでたく感じてしまうというもの……!

 

ここまでブログを続けてこれたのも、アクセス数5000を達成できたのも、当ブログの記事を読んでくださった皆様、応援してくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございます!!!!!!

 

kogalent.hatenablog.com

(思えば遠くへ来たものだなぁ、という顔)


そんなこんなでめでたい1周年。たかが1年ではあるけれど、非常にたくさんの学びや発見があり、ブログ運営の恩恵をこれでもかと浴びた1年でもありました。  

そう。ここだけの話、ブログ運営ってメリットだらけなんですよ……(宗教勧誘)

 

知ったからには。そんなメリットを広めていきたい。そしてあわよくば、それを知った誰かにブログを始めて貰い(それを僕が読み)たい……!!!!!!!! 

という訳で、そんなメリット、要は「ブログをやってみて良かったこと」を3つ、完全なる主観で発表していきます!聞いて驚けェ!!(言いたいだけ)

VAMOLA!キョウリュウジャー

VAMOLA!キョウリュウジャー

 

 

その1:アウトプットの練習になる! 

 

実はこのブログ、厳密に言うなら開設日は2020年の4月なんです(記事の初投稿とブログの公開が2020年の9月13日)。 

まずは形から……とブログを作って、後は『ウルトラマンタイガ』の総括記事を投稿してスタート! と、そう企んでいたのに……   

書けない。

びっくりするくらい書けない。 

語調が変。
内容に一貫性がない。
自分の主張が分からない。
作品の分析が足りない。
そして何より、一つの読み物として形に纏まらない……!!!!! 

筋金入りのツイ廃である自分は作品の感想をTwitterに連投するなど日常茶飯事で、だからこそ「記事を書くのはツイートの延長だ」という印象を持っていた時期があったんですね。 

ところがどっこいそんなことはなく、いざやってみると上記の通りまーーーーーーーーー書けない書けない。 

ブログ記事とツイートにそう大きな違いはないはずで、強いて言えば文字数と体裁くらいだろうか。 

文字数に制限がないが、一つの「作品」として形に残るブログ記事。一方、文字数に制限があり、(容易に人目に付く場所には)残らないツイート。 

けれど、この差が大きい。 

この差があるからこそ、同じネットへの放流という点では同じでもTwitterは圧倒的に「雑さ」が許される空気がある。 

文章がボロボロだろうと、短い呟きではそこまで目立たない。
前後のツイートに一貫性が欠けていても、全ての人がそこまで見ている訳ではない。
冒頭の挨拶や〆の括りなんて字数制限の間では不要。 

結果、いざブログで長い文章を書こうとすると、ツイートでは気にならなかった点が「これでいいのか」と突如気になってくる。慣れ親しんだ友人と遊ぶ時であれば気にならなかった自分の服装が、初めて遊ぶ友人相手だと途端に気になってしまうアレに近いかもしれない。 

ブログだと批判やヤジが飛んできやすい、という訳ではない。あくまで自分の気持ちの問題として、「まあいっか!」で済ませられていたものがそれで済ませられなくなってしまうのだ。

 

ところが、大学のレポートであったり会社の報告書・企画書だったりと、公的な場で求められる「アウトプット」の形は言うまでもなく後者に近い。確かにTwitterは良いアウトプットの場であるが、それはTwitterという至極特殊な枠組みでのアウトプットのみに特化しているように思えなくもない。 

だからこそ、Twitterの延長的な側面を持ちつつも、より長尺かつカジュアルとフォーマルの中間的なアウトプットの練習になり、更にはTwitterと違い「手元に残す」ことができるブログは、アウトプットの場として非常に優れていると言って差し支えないだろう。  

誰であれ必ず必要となるアウトプット力。いざ会社などでそういったものが求められ「あれッこんなに難しかったっけ!?」となる前に、演習がてらブログをやってみること、お勧めですよ……!

 

ブルーバード

ブルーバード

 

 

その2:自分のクソデカ感情と決着を付けることができる!

 

なんのこっちゃ……? と思われるかもしれないが、文字通りの話なのでしょうがない。 

当ブログから例を挙げるなら分かりやすいのがこちらの記事。

kogalent.hatenablog.com

当ブログの旗頭。ブログを始めることになった原点こと『ウルトラマンタイガ』の総括記事。こんなものを書いておいて変な話なのだけれど、僕はウルトラマンタイガという作品が決して好きではないんですね……!(アンチ寄りでさえある) 

『タイガ』という作品の設定が大好きでそこに大きなポテンシャルを感じていたウルトラシリーズファンとしては、あまり好ましくない結果になってしまった『タイガ』に「どうしてこうなってしまったのか」という、悔しさや虚しさのようなものをずっと感じていた訳で。 

それを事あるごとに、しつこいくらい友人たちに愚痴っていた……のだけれど、この『タイガ』記事を書いたところ、それがすっかり無くなってしまった。 

勿論作品への不満は消えようがないけれど、それに付随するストレス=人に愚痴らないとどうしようもなかったマイナス感情が綺麗さっぱり消え去ったのである。 

それもそのはず、『タイガ』の記事作成作業は「自分の中で納得のいかないモヤモヤを」「整理して体系化+言語化して」「思う存分吐き出す」という作業。ストレスの原因を洗い出し、理屈付けて、消化する……これって、実質的な心理療法……ってコト!?(?????)
(恋愛相談などと似た理屈かもしれない)

 

これは他の記事にも言えること。例えば 

 

・終了後も自分の中で大きな傷跡として残っていた転職活動

kogalent.hatenablog.com

 

・サービス終了がショック過ぎて空虚な気持ちに苛まれていた『ウルバト』

kogalent.hatenablog.com

 

・実質的なシリーズ完結編らしい雰囲気に寂しさを感じていた『ダンガンロンパ3』

kogalent.hatenablog.com

 

などがこれに該当するもの。
転職活動は「自分の中で意味のあるものにできた」
ウルバトは「全力で”ありがとう”を言えた」
ダンガンロンパ3「”ダンガンロンパ”がこの作品で一区切りとなることに納得できた」
など、その経緯は様々だけど、いずれも共通して言えるのは「記事にすることで、自分の中のマイナス感情を浄化(昇華)することができた」ということ。 

いよいよ宗教勧誘めいてきて我ながら嫌なのだけれど、似たような「何かに対するモヤモヤ」を抱えている方。それをスッキリさせられるだけでなく、自分の作品として形に残るものにできるブログ作成、とってもお得ですよ……!!

 

 

 

その3:交友関係が広がった!

 

これは個人的な事情も絡むので「ブログを書いたことによるメリット」として大手を振って宣伝できるものだと一概には言えないのだけれど、どうしても3つの中に入れたかったもの。

一体どういうことなのか、経緯がバラバラだったりややこしかったりするため、ざっくりまとめると……。  

 

・ブログを始めたきっかけのとある有名ブロガーさん(こちらが一方的にフォローしていた)からまさかのフォロー返しを頂けてしまった 

・自分のブログが拡散される中で、同じような思い(主に『タイガ』への不満)を持っている方々と繋がることができた 

・ブログを始めたことで、先輩ブロガーだったの相互フォロワーとの交流が深まった 

・その方をきっかけに参加した「スペース」で、多くの相互フォロワーさんや知っているブロガーの方と実際に話す機会に恵まれた 

・そのような方々が自分のブログを読んでくださっていた(!?) 

・お互いがお互いのブログを読んでいたので、自己紹介などの必要もなくスムーズに話すことができたばかりか、それらの繋がりが紆余曲折を経て擬似的な小説サークルの誕生にまで至った(!?!?!?!?) 

……と、改めて字面にするとコミュ障にあるまじきダイナミックな出来事ばかり。ネット繋がりの方と実際の交流を持ったことはこれまでたった2回しかなかったのにこのワープ進化ぶりである。

 

前述した2つと比べ、この交遊関係周りは全く想定外の思わぬ副産物。 

これを目的にブログを書いていこうとは思わないけれど、やはり価値観が近く、切磋琢磨できる友人は多ければ多いほど嬉しいもの。今後も良い流れが続けばいいなと願うところです。 

※前述のスペースがどんなものだったかは下記の記事をご参照ください。スペースが大活躍した奇跡の5日間がスマートに纏められています……!

kazurex1215.hatenablog.jp 


これらが「ブログを初めて/続けてみて良かった」と思う3つのこと。しかし、あまりにも「そりゃそうだ」すぎて敢えてランキングから外したものが一つ。 

それは「ブログを書くことが楽しい」ということ。 

一次創作のようにイマジネーションをフル活用するものでもなく、スポーツのように身体をフル活用するものでもない。自分が普段覚える些細な感想やちょっとした日常風景といった、ともすれば形にさえならず消えてしまうような儚いものを拾い集めて整えるだけで、自分にしか作れない「作品」が出来上がる。これってとても気楽にできる創作だし、一度ハマると自分の人生がグッと鮮やかに見えてくるものだと思います。

 

取っ付きやすいだけでなく、きっと僕が挙げた以上にたくさんの得難い経験をもたらしてくれるブログ運営。中々気軽に外に出れないこんなご時世だからこそ、是非新しいインドアライフの一環として皆さんも取り組まれてみてはいかがでしょうか。 

そして、僕自身もこんなご立派ァ!なことを言ったからにはブログ更新を今後もちゃんと続けていきます。 

2周年に10000アクセス!これを目指して頑張っていきますので、皆さんも是非応援よろしくお願いします~!

祝20周年!『ウルトラマンコスモス』がくれた思い出と葛藤と宝物を振り返る

 

2021年8月27日。『ウルトラマンコスモス』20周年のアニバーサリーを祝うイベント『ウルトラマンコスモスナイト ~20th Anniversary 君にできるなにか~』が池袋サンシャインシティにて開催された。  

これまで行われた『ダイナ』『ガイア』『ネクサス』などの例に漏れず、当時のキャスト・スタッフを招いてのステージショーやトークはファンの願いがそのまま形になったものばかりで、まさに夢のようなイベントでした。スタッフ・キャストの皆様、本当にありがとうございます!
(このイベントは、9/20まで見逃し配信がお手頃価格で視聴可能です、都合の合わなかった方は是非……!)
https://ultraman.spwn.jp/events/21082718-ultra-cosmos-night

 

……と、そんなイベントの余韻もあって、自分の中の愛が今にも爆発しそうな思い出の作品『ウルトラマンコスモス』。 

特別であるが故に安易に語れないこの作品が、これまでの自分にとって一体どのような存在だったのか、この熱に任せて振り返ってみたい。


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ウルトラマンコスモス』は2001年に放送開始した、21世紀初のウルトラマンシリーズTV作品。 

「怪獣を保護する慈愛のウルトラマン」という斬新な作風が好評を博したことなどを受けて放送期間が延長、全65話というシリーズ最長話数が放送されただけでなく、累計3つの単独劇場用作品が製作されるなど、数ある特撮ヒーロー作品の中でも類を見ない展開となった人気作だ。

 

そんな『コスモス』は、20代後半の所謂アラサーで、初めて1話から見たウルトラマンが前作『ウルトラマンガイア』だった自分にとってそれはもうド世代の作品。 

言うまでもなく自分は『コスモス』にドハマりしていたのだけれど、その理由は何よりもまずコスモスのデザインだったと思う。  

今でこそコスモスのデザインの素晴らしさについては山ほど語るトピックがあるものの、当時の感想は「青色大好き!!!!!!!!」がおそらく9割。ウルトラマンアグルV2や仮面ライダークウガライジングドラゴンフォームに目がなかった当時の筆者には「青色のウルトラマンが主役」というのがそれだけで嬉しかった。 

なのでお気に入りは当然のようにルナモード。その入れ込み具合は相当なものだったようで、当時の自分は家に入ってきたハエや蚊といった虫たちを必ず外へ逃がすようにしていたらしい。徳川綱吉かな?  

  

当然、デザイン以外に無関心だったなんてことはなく、幼い自分の目にも『コスモス』の内容は新鮮に映っていた。 

役割そのものが変わるモードチェンジ、太極拳のような独特の戦闘スタイル、カオス怪獣という新概念。そして何より「怪獣を保護する慈愛のウルトラマン」という斬新なコンセプト。 

柔和なモチーフで固められた各種メカニックや楽曲群なども含め、平成三部作とは全く異なる作風で展開される新たな『ウルトラマン』とその物語を、みんな大好きコスモスパン(ラムネ蒸しケーキ美味しかったな……)と一緒に楽しんでいた。


序盤ではイゴマス登場回の4話『落ちてきたロボット』がオチを含めて大好きで、ゲシュートが登場する10話『青銅の魔神』で「ストレス」という概念を学んだのをよく覚えている。 

中でも印象深いのは13・14話の前後編エピソード『時の娘』。幼心にどこまで理解していたのかは分からないが、レニとムサシの悲劇的な別離には当時から強いショックを受けていた。その影響で、ワロガは今でも大のお気に入りだったりする(支離滅裂な思考・言動)。

 

ショックといえば、外せないのが中盤の「実体カオスヘッダー」だ。 

『コスモス』が柔和/メルヘンチックな雰囲気で物語を作っていたこともあってか、その名の通り「混沌」を形にしたような禍々しい姿の実体カオスヘッダー=カオスヘッダー・イブリースの登場はとことん衝撃だった。  当時はそういった情報をテレビマガジンで仕入れていたはずなので、紙面を見てひっくり返っていたと思う。 

だからこそ、その直後に現れ更なる強さを見せたカオスヘッダー・メビュートはもう衝撃どころかトラウマ級の存在で。エモーショナルな画の多さとエクリプス登場のカタルシスもあってか、28話『強さと力』29話『夢見る勇気』30話『エクリプス』の通称「エクリプス3部作」は当時から大好きなエピソードだ。 

エクリプス誕生

エクリプス誕生

  

後半ではカオスウルトラマンのような強敵の登場エピソードが印象に残る一方、ノワール星人が初登場した『操り怪獣』も特に強く覚えている。

タケノコ狩りの帰りでウキウキだったテンションが一気にお通夜モードになったものの、夕陽の中で描かれるネルドラント・メカレーターとの悲愴な戦いは幼いながら惹きつけられるものがあったのもまた事実。優しい世界観がベースだからこそ、このようなエピソードの持つメッセージ性が浮き彫りになるのも『コスモス』の魅力だろう。  

エクリプス3部作や『時の娘』など同様、その委細は分からないながらも、現実の前に悩み、揺れ動くムサシの戦いに感情移入していたのだと思う。

 

その後『ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET』『ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE』という2本の映画作品を経て『コスモス』シリーズの展開は終了。 

しかし、主演の杉浦太陽氏の活躍もあって『コスモス』は高い人気と知名度を獲得し、その後もコスモスやムサシの客演がウルトラシリーズを賑わせることとなる。

 

 

2009年公開の映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』では杉浦太陽氏がムサシ役で6年ぶりに出演。残念ながら同作では顔見せ止まりだったが、3年後の映画『ウルトラマンサーガ』ではなんとコスモス/ムサシが準主役として登場。タイガやチームUたちを導く存在として成長した姿を披露し、コスモス世代としては(ルナモードで最後まで突っ走ることに首を傾げたりはしたが)まさにお祭り騒ぎ状態だった。 

以降もコスモス/ムサシは『劇場版ギンガS』『オーブ THE ORIGIN SAGA』とコンスタントに登場。加えて『ジード』では基本3形態の一つ「アクロスマッシャー」の融合素材に抜擢されたりと、「世代」のヒーローであったコスモスが平成の世を駆けてウルトラ史に定着していく様は、とにもかくにも感慨深いものがあった。

 

ウルトラマンコスモス(M-66)

ウルトラマンコスモス(M-66)

 

一方、筆者も子供から少年になり、少年から大人(めんどくさいオタク)へと成長していく中で、『コスモス』という作品の異端さ、そして同作がその躍進ぶりとは打って変わって賛否両論渦巻く作品であることを知ってしまった。  

そんな「賛否両論」を身をもって感じたのは約10年前、当時以来初めて『コスモス』を通して見直したあの時だ。

 

『コスモス』は、その最たる特徴である「怪獣を保護する慈愛のウルトラマン」というコンセプトが視聴者の間で物議を醸しただけでなく、スタッフ・キャストの中でも「本当にこれでいいのか」と度々悩みの種になっていたことが多くの書籍・イベントで語られている。 

当時はそんなことを感じもしなかったし知りもしなかったけれど、10年経って改めて見てみると、やはり「怪獣保護」周りで違和感を覚える点は非常に多かった。 

存在そのものが人類の脅威である怪獣を保護することの正当性や優先順位の解釈、そしてその保護基準など、怪獣保護というテーマは怪獣退治よりも遥かにデリケートな問題を星の数ほど抱えている。そんな概念を児童がメインターゲットの番組で扱うのは素人目にも困難なもので、結果的に番組中では「怪獣を傷付けること=悪」「怪獣を傷付けないこと=善」といった二元論寄りの形に押し込められがちだった。 
(劇中ではフブキや防衛軍などによる「現実的な視点」が用意されていたが、それらは意見の内容が怪獣保護に寄与するであろうものも含め、やや過剰に「悪」や「諦め」としてネガティブに演出・処理されていた) 

現実における人権問題と同じで、ただ無制限に権利を認めるだけでも、ただ権利を制限するだけでも真の「自由」には繋がらない。 

あまつさえ、相手は怪獣という「本質的に人間と相容れない存在」である。ならば、それこそ時に力で、時に優しさで持ってお互いの理想的な着地点を探っていかなければならないだろう。その模索に伴う痛みさえ「NO」とするのは、理想主義というよりも単なる臆病に思えてしまうのだ。

 

怪獣との共存という夢物語を現実のものにしたいなら、まずは現実的な視点でその夢に梯子を掛ける必要がある。にも関わらず、劇中で展開されるのは概ね前述のような「怪獣を傷付けること=悪」「怪獣を傷付けないこと=善」といった二元論。 

彼らの怪獣保護の着地点となったネオユートピア計画(遊星ジュランを開拓し、怪獣たちをそこで暮らさせる)も、それ単体で見れば怪獣保護という難題への回答としては現実的で説得力のあるものなのだが、「怪獣を傷付けること」を(共存のために必要な一歩として有益な試みだったとしても)軒並み否定し続けてきたムサシたちが掲げる答えという観点から見ると、「怪獣たちを元々の住処から追放することが果たして理想の共存と言えるのか」という重箱の隅をつつくような疑問が浮かび上がってくる。  

……といったように、『コスモス』における怪獣保護というテーマは「怪獣たちを傷付けずに共存することが理想であり正しさ」という極端な下地で描かれてしまったために、最終的にはそれが作品そのものの首を締めることになってしまっていたのである。


※『コスモス』本編や「怪獣保護」の是非については、こちらの記事が素晴らしく綺麗な形で纏めてくださっているので、皆さん是非ご一読を……!

www.bokuboku12.net


久しぶりに視聴したことで、『コスモス』がコンセプト上の致命的な問題点を抱えていることに気付いてしまった2011年の夏。 

当時既に(ともすれば今以上に)拗らせたオタクだった筆者としては、自分の中で特別な作品である『コスモス』には「思い入れがある作品」というだけでなく、心から「好きな作品だ」と大手を振れるものであってほしいというのが本音。 

拗らせたオタクは拗らせると止まらない。こればかりは他の作品のように「好きだけどそれはそれとしてここがダメだよね」と割り切ることもできず、長いこと頭を抱えることになってしまった訳で……。

 

ところが、そんな悩みを吹き飛ばしてくれたのもまた『コスモス』。具体的にはその完結編、映画『ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE』だった。 

  

『コスモスVSジャスティス』は、その名の通りコスモスとジャスティスの対立~和解がメインとして描かれる作品だが、主人公であるコスモス=ムサシは本編冒頭でジャスティスに敗北して以降、終盤で復活を遂げるまでなんとほぼ出番がない。  

そんなムサシ不在の中、中盤ではフブキを始めとする新生TEAM EYESやアヤノら元TEAM EYESメンバー、マリやギャシー星人たち劇場版で登場した面々、加えてリドリアスら鏑矢諸島の怪獣たちがムサシに代わって奮闘する姿が描かれる。 

ムサシの想いを継ぎ、ムサシから貰ったものを還し、ムサシのように諦めずに立ち上がろうとする彼らの想いがジャスティス=ジュリを動かし、やがてコスモス=ムサシの復活へと繋がっていくというのが主な流れだ。 

これらのように、『コスモスVSジャスティス』はコスモス=ムサシ本人ではなく、彼に夢を貰った者たちを中心に描くことで、TVシリーズのみならず『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』や『ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET』をも含めたコスモスシリーズ全体をわずか70分の尺でスマートに総括してみせる総決算的作品なのである。

 

 

そんな本作を鑑賞して出来の良さに唸らされる中、ふと気付いたのが(本っっっ当に今更なんですけど)「この映画に”怪獣保護”がほぼ関係ない」ということ。  

『コスモス』において大半の問題点の温床となってしまっている「怪獣保護」の概念。それは映画作品である『THE FIRST CONTACT』『THE BLUE PLANET』『コスモスVSジャスティス』の3作にはほとんど関わってこない。それ以前に、そもそも『コスモス』TVシリーズ本編においても、怪獣保護と繋がっていないエピソードはかなり多い。 

そう、「怪獣保護」は間違いなくコスモスの大きなテーマではあるが、それは劇場版まで含めた『コスモスシリーズ』という観点で見れば大テーマの中にある小テーマに分類されるものだと、筆者はこのタイミングでようやく気付かされたのだ。

 

では、本編やこの劇場3作品を通して一貫している大テーマとは何なのか、それは言わずもがな「信じれば夢はかなう」というメッセージだろう。  

先程問題点を指摘した『コスモス』本編だが、前述の通りその問題点の多くは「怪獣保護」という小テーマに絡んでのもの。もう少し距離を置いて作品全体を俯瞰すると、見えてくるのは「ムサシが夢を信じ、時に悩み、挫けながらも諦めずに走り続けたことで、遂にはコスモスさえも越えた真の勇者になる」という「信じれば夢はかなう」というメッセージを地で行く物語。  

特撮ヒーロー番組広しと言えど、こうも一貫して「主人公が夢を叶えるまでに至る物語とその成長」を描き切った物語は少ないだろうし、少なくともこの点において『ウルトラマンコスモス』という物語の美しさは頭一つ抜きん出たものがある。 

 

前述したように『コスモスVSジャスティス』では、そんな「夢を叶えた存在」=ムサシの想いを継ぐ者たちの物語が描かれる。 

決して諦めず、理想を信じ貫こうと奮闘するフブキ。かつてムサシがコスモスにそうしたように、ムサシへ思い(光)を届けるアヤノたち。彼ら「ウルトラマンでない者」たちの信じる心が次々と不可能を覆していく様は、『コスモス』の描いてきた「信じれば夢はかなう」というメッセージが決してウルトラマン=ムサシに限った話ではなく、彼から夢を信じる心を受け取ったごく普通の人々=『コスモス』の視聴者たちにも言えることなんだと改めて示しているように思えてならない。  

そしてこのことは、最初の劇場用作品『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』で打ち出されていたメッセージでもある。  

 

同作は「夢を信じ続けるという一点を除けば平凡な少年」であるムサシが、夢を信じ続けたからこそ奇跡に出逢う物語。知らず知らずのうちに夢は夢だと割り切り、俯いてしまっている現代の老若男女に向けて、「夢を持つことの大切さ」を届けてくれる傑作だ。 

 そんな『FIRST CONTACT』を経て夢への一歩を踏み出したムサシ。彼が苦難の果てに夢を叶えることで、その仲間たち、そして視聴者に「信じれば夢はかなう」という精神が受け継がれていく。この精神、そしてその継承こそが「怪獣保護」という敷居の高いテーマと闘う製作陣が示したかったもの=『コスモス』という作品の本懐なのではないだろうか。

 

思えば、幼い自分が『コスモス』という作品で見ていたのは「怪獣保護」という命題への回答やその正当性といった小難しい話ではなく、現実の壁にぶつかり、折れそうになり、それでも夢を信じて立ち上がり続けるムサシたちの背中だった。幼い自分でも最終回『真の勇者』で起きた奇跡に心から感動することができたのは、そんな彼らの諦めない姿に心を打たれていたからなのだろうと思う。  

『コスモス』が示した「信じれば夢はかなう」というメッセージ。その眩しさが自分の中でずっと色褪せないからこそ、自分の中で『コスモス』は大切な存在であり続けていたのだ。  

そのことに気付けた今なら、はっきりと言うことができる。「『コスモス』は至らない点こそあるけれど、自分にとっては大好きで大切な作品だ」と。

 

 

『コスモス』から20年。今やすっかりアラサーの自分は、夢を信じてそれを叶えることができただろうか……と思うと、正直とても胸が痛い。 

夢を叶えるためには(それこそムサシのように)夢自身を知り、世界を知り、自分を知らなければならない。その努力を怠ってしまったのだから、この結果は当然のものだ。 

ただ、それでも「夢を持ち続けること」だけは止めなかった。そのおかげで掴めたものは数知れないし、辛いことにも立ち向かうことができた。自分がそう在れたのは、間違いなく『コスモス』のおかげだろう、

(ヒーローオタクのサガとして)辛い時はいつもヒーローたちが支えてくれたが、そういった意味では他ならぬ『ウルトラマンコスモス』こそが、自分を最も助けてくれたヒーローだったのだ。冒頭で触れたイベント『ウルトラマンコスモスナイト』の中ではそんな思いが湧き上がって、何度も何度も心の中で「ありがとう」と叫んでいた。

 

High Hope

High Hope

 

世界が大きな苦難に見舞われている中ではつい忘れそうになるが、人が生きていくことは、本来それだけでも過酷かつ難しいことだ。 

そんな人生を進んでいくために必要なものこそ、「優しさ」「強さ」「勇気」そして「夢を信じて努力し続けること」。それらの大切さを『ウルトラマンコスモス』という物語は教えてくれる。  

 

もし、生きていく中で大切なものを見失ってしまった時、僕らにはそれを教えてくれるヒーロー、ウルトラマンコスモスがいる。こんなご時世だからこそ、もといこんなご時世が終わりを告げたとしても、今はまだ彼に学びつつ前に進んでいきたい。いつの日か夢を叶えて、胸を張って『コスモス』から独り立ちできるようになるために。

 

【感想 ダンガンロンパ3】裁判そっちのけで戦う異色作は最高の『完結編』だった


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2020年某日。『ダンガンロンパ1・2 Reload』をクリアしてから2週間。冷めやらぬ熱をブログの記事にしたためていた所に、突如とんでもない報せが舞い込んだ。



スーパーダンガンロンパ2』の続編にあたるTVアニメ作品ダンガンロンパ3 -The End of 希望ヶ峰学園-』がYouTubeにて期間限定で無料配信???????? 僕はなんて幸運なんだろう……!(緒方恵美

 

そんな訳で早速『ダンガンロンパ3』を視聴・完走したところ見事発狂。発狂したら(約1年越しだけど)日記を残すのはホラーゲームでは常識……ということで。  

以下はしがないオタクのコロシアイ生活視聴記、『ダンガンロンパ3 -The End of 希望ヶ峰学園- (以下“3”と記載)』編になります。ネタバレ注意!

 

※『ダンガンロンパ』シリーズの過去記事はこちらから!

kogalent.hatenablog.comkogalent.hatenablog.com

 


ダンガンロンパ3 -The End of 希望ヶ峰学園-f:id:kogalent:20210728175622j:image

『3』はPSP用ゲームソフトであった『無印』『2』と異なりTVアニメとして製作された作品。主要スタッフはほぼ『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 The Animation(以下“無印アニメ”)』のメンバーという安定の布陣だ。

特筆すべきはその番組構成で、苗木たち希望ヶ峰学園卒業生の生き残りが所属する「未来機関」で行われる新たなコロシアイゲームが舞台となる『未来編』と、狛枝たち77期生が絶望に堕ちるまでを描いた『絶望編』の2編が同時に放送され、最終的に『希望編』という真の最終回で全てが結実する、というものになっている。

(YouTube配信は各編の1~6話を「前編」、7話~最終回を「後編」とまとめて行われていた。一挙放送という都合やBlu-ray販促の為だろうか)

 

『2』をアニメ化せずに、その続編であり前日譚でもある『3』を製作した理由については諸説あるが、有力なのは『2』の「プログラム(ゲーム)内世界での物語」という事実が肝となるシナリオ構成、そしてもう一つは「彼」の存在と考えられる。  
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これはアウトですね、間違いない……。

(冗談みたいな話だが、著作権上の問題からか『3』では彼の名前が“封印されし田中”になっている。なんだその美味しすぎる処遇……?)


そんな特殊な背景で描かれる『3』は総計2クールに膨大な情報量が詰め込まれた作品で、その全てに言及していくとキリがない。なので、ここでは特に『2』の先の物語にあたる『未来編』、中でも、我らがシリーズ主人公「苗木誠」が紡いだ物語にスポットを当ててみたい。

 

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『未来編』は、『無印』のコロシアイ学園生活と『2』の江ノ島アルターエゴ事件を経た苗木が主人公となっており、物語はまさにその直後、日向たちをジャバウォック島に残してきたことを糾弾される場面から幕を開ける。つまり話としては『無印』『2』と地続きなのだが、その雰囲気は前2作と全くの別物だ。 

 

その大きな要因は、主題歌とその映像からも分かる通り、前2作に共通していた『ダンガンロンパ』のアイデンティティーである「サイコポップな世界観」が廃され、より陰鬱とした世界観になっていることだろう。  

ダンガンロンパ』らしいデザインのキャラクターたちが、正体不明の襲撃者によって次々と「赤い血」を流し死んでいく様は、さながらサスペンスホラーのような恐怖に満ちていた。 

筆者はグロテスク描写への耐性もホラーへの耐性もない(とある小説の、手首を切り落とす描写で貧血を起こすレベル)ので、凄惨な死に様もそのサイコポップさのおかげで見れていた、というのが正直なところ。 

それがなくなった以上、残る心の支えは推しの存在。オタクは推しがいればどんなことにも耐えられる強靭な生命体……! 幸い、この『3』には見た目も中身もドツボなキャラクターがおりまして。  

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その名も雪染ちさ。

ポニテ……ビジュアル……少し天然の入ったお人よし……未来機関の良識(癒し)担当お姉さん
……CV.中原麻衣……ご、500000000000000000兆点……ッ!!!!!!!!!!!    

彼女は『未来編』『絶望編』の両方に登場するキーマンで、後者ではなんと新キャラながら主人公を務めるのだという。はい神アニメ。

 

『無印』からお馴染みの朝日奈もなんと『3』で本格的なポニテデビューを果たしていたのだけれど、なんとなく死にそうな予感がしていたので目を逸らし、『絶望編』の主人公なのでまあ死なないだろうと思っていた彼女を(予防線は張りつつ)応援する腹づもりでいざ視聴開始。 

  

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1話で退場…………………………………?????????????????????????????????

 

分かってはいたんですよ。ダンガンロンパで推しに出会ったら終わりだと。でもよりによって(もう1つのシナリオの主人公なのに)最初の犠牲者。そんなことある??????????

『無印』の不二咲といい『2』のペコといい、推しが序盤で死ぬジンクス何とかなりませんかね……(ならない)


と、まあそういう個人的な事情はさておき、『未来編』の異質な雰囲気を作っているのは前述した「サイコポップな世界観の廃止」だけではなく、大きな要因として「前2作と全く異なる状況下で行われるコロシアイゲーム」がある。 

具体的には「ルールはNG行動とタイムリミット、勝敗条件についてのみで後は自由」「人間関係が予め出来上がっている」という2点によって、「襲撃者」による殺人の発生に関わらずキャラクターたちが憎しみあい、常時コロシアイが行われるという地獄絵図が発生してしまっている。もはやデスゲームというよりも『未来機関』の内部紛争だ。

 

宗方は逆蔵と組み天願らと激突。忌村と十六夜は流流歌を巡る因縁から死闘を繰り広げており、苗木・朝日奈・月光ヶ原の逃避行組や、霧切・黄桜・御手洗の捜査組が行く先々でそのような異能バトルに巻き込まれてしまう。 

しかも彼ら未来機関のバトルは(全員が元「超高校級」なので当然と言えば当然だが)武器、超能力、肉体強化と何でもありで、終始繰り広げられる戦いのとんでもない苛烈さには「俺は今何のアニメを見ているんだ……?」とスペキャまっしぐらだった。  

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世界観やキャラクター、コロシアイゲームという共通項こそあれ『無印』とも『2』とも全く異なるバトル中心の作風は、苗木の活躍シーンが一向に訪れないこともあって、正直「これはダンガンロンパなのか?」「ダンガンロンパでやる必要があるのか?」と思うものだったことは否めない。 

しかし、スタッフはおそらくそういう感想を持たれることも織り込み済みだったように思う。なぜなら。この『未来編』は、そんな「ダンガンロンパらしからぬ舞台」でしか描けないものを描いた物語となっていたからだ。 

それは「武力と怨恨渦巻くコロシアイの中でも、苗木誠が“超高校級の希望”であり続けることができるか」という命題。  

『未来編』は、この命題=『無印』終盤において苗木が突き付けられた「絶望に侵された“外の世界”でも尚、“超高校級の希望”であり続けることができるか」という命題の、言わば「実証編」。苗木にとっての最後の試練となる『ダンガンロンパ完結編』に相応しい物語になっており、そのことは1話で他ならぬモノクマ自身の口から宣言されていた。

「うぷぷぷ……。ささ、苗木君。今から始まるのは、人類の命運を賭けたコロシアイ……希望と絶望の最大最後の戦いだよ。大袈裟だって? いやいや…そんなことはないよ。だって、そう……この戦いこそが、キミとボクの完結編なんだからね」

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そんな苗木は、『未来編』(の特に序盤)においては非常に影が薄い。
『無印』ではそのポテンシャルを発揮して数多の学級裁判を打開してきたものの、今回行われるのはほぼルール無用のバトルロイヤル(物理)。あちこちで休みなく争いが起こるだけでなく「裏切り者=襲撃者候補」とされる苗木もまたその攻撃対象であるため、戦闘力において圧倒的に凡人である彼は、推理する間もなくただ逃げ回るばかりで、とても主人公とは呼べない立ち振る舞いを強いられてしまっていた。 

そんな彼をして「コロシアイ学園生活で苗木が超高校級の希望であれたのは、あれが“ルールが定められたゲーム”だったから。現実では何の意味も力もない」と言い放つのが『3』新規キャラクターの1人である宗方京介だ。  

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未来機関の副会長であり、元「超高校級の生徒会長」である宗方は、特殊な力こそ持たないものの、刀剣を使いこなして常人離れした高い戦闘能力を発揮する。生徒会長とは……? 

彼の行動理念は「希望のために絶望を殲滅する」ことであり、方法こそ違えど「希望の担い手」と言える存在。前述の通り苗木の影が薄いことや『未来編』が雪染の死から始まることもあって、前半はまるで主人公のような雰囲気を醸し出していた。 

事実、次々と未来機関の幹部たちが死に行く中で何もできない苗木に対し、宗方はただ1人コロシアイゲームの核心へと近付いていく。この「主人公感の差」は、さながら宗方の主張(苗木の精神論的な希望は、過酷な現実の前では無意味)に対し苗木が反論できない状況を具現化しているようでもあり、その構図が『未来編』中盤まで続くことになる。  

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この「主人公交代」然とした状況において、宗方と苗木、それぞれのターニングポイントとなるのが「人の死」である点には本作の『ダンガンロンパ』としての本懐を感じた。 

中盤、宗方は相討ちに近い形で未来機関の会長=天願を下すが、その際に彼から「襲撃者はひとりではない、あえていうならこの場の未来機関全員だ」という真実を告げられることになる。 

これはコロシアイゲームの犯人/殺人者である“襲撃者”の正体が「特殊な映像により洗脳され、自殺を行う被害者自身」ということを指した言葉だったが、ゲームの首謀者である天願はおそらく意図的に「宗方以外の全参加者が絶望に堕ちている」と聞こえるように言ったのだろう。  

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(しかもこの時、天願が自身のNG行動”質問に嘘で答える”を明かすことで、それが「嘘ではない」ことを証明している) 

天願を手にかけてしまったことに加え「雪染が絶望に堕ちていた」という事実(この点は紛れもない真実なのがまた厄介)に苦しむ宗方は天願の誘導にまんまと乗ってしまい、自分以外のメンバーを全て排除することを目的とする絶望の徒へと変貌してしまう。絶望を憎むあまり、自らが絶望を生むものになってしまう様はあまりにも皮肉だが、とても『ダンガンロンパ』らしいシチュエーションだ。


「天願の死」がターニングポイントとなった宗方。その一方で、自らの無力さに苛まれる苗木には「霧切の死」という最悪の事態が襲いかかり、そこで彼の「超高校級の希望」としての真価が問われることになる。  

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苗木は『未来編』冒頭から「超高校級の希望」として扱われ、祀り上げられるかのような様子が何度も描かれるが、無論自分自身にそのような自覚はなく、それ故に彼は「英雄視される自分」と「無力な自分」とのギャップに悩み続けていた。 

『無印』終盤において、真実を突き付けられて絶望に暮れる仲間たちを立ち直らせた苗木の力、即ち「希望の力」が、結局は恐怖や暴力という「外の世界の現実」の前に成す術もないという現状。宗方の主張の通り、苗木の精神論的な「希望」は、過酷な現実(絶望)の前では無意味なのか? 

この『無印』から続く命題に対して、本作では明確に「NO」という答えが島されたように思う。その鍵になるのが「仲間たちとの絆」だ。  

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勿論「仲間たちとの絆」というのは『無印』時代から苗木が前に進む原動力であり、『3』序盤でも苗木自身がそのことを口にする場面がある。

「僕には仲間がいる。だから、たとえどんな辛い事があっても、みんなで一歩ずつ歩いて行ける。先に何があるかはわからない、それでも僕らは足を止めない。希望は前へ進むんだ」

この時点で苗木は「仲間との絆」を原動力にしてはいるが、厳密には「仲間と一緒なら、自分たちは折れることなく進める」というまさしく精神的な話になっており、折れそうな自分を支えるための支えという域を出ていない。『無印』終盤と同じ台詞ではあるが、江ノ島に「希望」を叩き付けたあの時とは意味合いが違っていると言えるだろう。 

そんな「折れそうな自分を支える」ので手一杯な苗木を真に奮い立たせることになったのが、他ならぬ仲間の一人=霧切だ。

苗木「今まではもっと自分にもできることがあると思ってたんだ。でも、僕はここでは無力だよ……。宗方さんが言うように、僕の言葉には何の力もないのかも。でも……」  

霧切「私はそうは思わない。あなたの信じた言葉の力は、みんなの希望になってきたじゃない? 私だってその一人よ。自分に自信を持って。ちょっと前向きなのがあなたの取り柄でしょ?」 

(中略) 

霧切「希望は伝染する。貴方一人で足りないなら、私たちがいる。貴方の後ろにはみんながいるわ」

苗木の取り柄=力とは「人よりもちょっと前向き」なその性格。その前向きさこそが、絶望に打ち勝つ希望のトリガーになってきた。
宗方のように、苗木自身が誰よりも強くある必要はない。苗木に必要なのは、武力ではなく「自分の弱さ(=絶望)を受け入れて、仲間を頼る」こと。絶望の中で折れたとしても、仲間の手を取って立ち上がり、希望の担い手として世界に希望を広げていくこと。  

宗方は世界から絶望を消し去ろうとしたが、希望の徒である天願や宗方自身が希望を求めた果てに絶望へ堕ちたように、人間が人間である限り、世界から絶望が消え去ることはない。本当に理想論を語っていたのは、むしろ「絶望を残らず消し去る」ことを掲げた宗方の方だったのだ。  

決して消えることのない世界の絶望に対してできることは、絶望を残らず消し去ることではなく、皆が絶望を受け入れられるように/絶望しても再起できるように希望を広げていくこと。 

そして、そのトリガーになれる才能を持った人物こそが苗木その人。彼が希望を生み出し、その希望が仲間たちへ、仲間たちからその周囲の人々へと次々に伝染していくことで、最終的に何より大きな力を作り出す。それこそが「超高校級の希望」の真価であり、世界を覆う絶望に対するこの上ない対抗手段なのだろう。  

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霧切の言葉を受けて、自分の成すべきことに気付かされた苗木。 

彼は霧切の死によって絶望に堕ちかけるも、朝日奈、十神、こまるらとの絆、そして霧切自身が最期に残した「何があっても、絶対に希望を諦めないで。私はいつも貴方の傍にいるわ」というメッセージによって再起し、遂に宗方と正面から対峙することになる。 

無力と絶望に沈みながらも仲間たちの想いを受けて立ち上がっていく苗木の姿は、さながら『無印』最終盤の意趣返しのよう。『無印』では苗木が霧切らの絶望を希望に変えてみせたが、『未来編』では逆に霧切ら=「苗木に救われた仲間たち」の希望が彼に伝染し、その絶望を希望へと変えてみせたのだ。

 

弱さ(絶望)を受け入れる=仲間に頼ることで何度でも立ち上がり、大きな希望を創っていく苗木。弱さ(絶望)を切り捨て/拒絶し、結果絶望を生むものに堕ちてしまった宗方。「同じ希望の担い手でありながら相反する2人の激突」はどこか『2』の日向と狛枝のようでもあり、「超高校級の希望」である苗木の最後の試練として。これ以上ないクライマックスと言えるだろう。  

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こうして宗方が絶望を生むものに堕ち、苗木が希望を生むものとして再起したことで両者は雌雄を決することになる。容赦のない武力で追い立てる宗方に対し、自分自身の在り方を思い出した苗木は、これまでのようにただ説得を試みるのではなく「知恵と推理と言葉(言弾)」という武器で戦いを挑む。  

そんな苗木の姿は『ダンガンロンパ』を背負う主人公に相応しいものであるだけでなく、良くも悪くも原作ゲームをそのままアニメ化した『無印アニメ』に対し、全く異なるアプローチによる新たな『ダンガンロンパ The Animation』の完成形とでも呼ぶべきものだった。

そんな激戦の果てに、苗木は宗方の行動から彼のNG行動が『扉を開ける』ことであると見破り、その攻撃を封殺。話し合いの場を設けることで、遂に彼の絶望を論破してみせる(ここで遂に「それは違うよ」と言い放つ苗木に咽び泣くオタク)。  

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こうして苗木は宗方の説得に成功。『未来編』におけるデスゲームは、一旦の決着を迎えることとなった。

 

序盤こそ『ダンガンロンパ』らしからぬ「力が全て」の様相が描かれた『未来編』だったが、約10話に渡る試練を経て更に成長した苗木は、最後の最後に主人公としてこの上ない『ダンガンロンパ』を見せてくれた。  

この戦いをもって、ようやく『ダンガンロンパ』のナンバリング作品=苗木誠の続章として、そして苗木/宗方による希望と絶望の群像劇としても完成される『未来編』。この先のエンディング(希望編)を待たずとも、この時点で本作は「素晴らしい『3』だった」と言えるものに仕上がっていたと思えてならない。

 

Recall THE END

Recall THE END

 

このように『無印』から更に一歩踏み込んだ物語を展開した『未来編』だったが、一方では、1クールという尺に「15/6人によるデスゲーム」というシリーズのフォーマットを「バトルもの」という形で盛り込むことに四苦八苦している様子も多く見られた。

 

「四苦八苦」の内容として大きいものは、多くのキャラクターが描写不足のままに終わってしまった点だろう。  

万代は何をするまでもなくNG行動違反の見せしめとして退場し、中盤まで死闘を繰り広げた忌村、十六夜、流流歌の三人は終盤に差し掛かった所で因縁を消化しきれぬままに全滅。(過去作キャラなので掘り下げの必要はないと言えばないが)葉隠に至っては、メインビジュアルで描かれているにも関わらずそもそもデスゲームへの参加さえしていない。らしいと言えばらしいのだけれど、それはそれ。 

中でも、黒幕であった天願は描写不足が特に響いたキャラクターのように思える。f:id:kogalent:20210728201332j:image

未来機関の会長にして黒幕であった天願和夫。彼は『未来編』では「老衰したように見せて未だに切れ者」という美味しいキャラクター性を活かし、皆のまとめ役をこなしつつ主人公格の宗方と真相を巡って火花を散らすなど、まさに獅子奮迅の活躍を見せていた。宗方と相討ちでその命を散らす一連は、劇的な演出も相まって『3』名シーンの一つに数えられるだろう。
『絶望編』においても、彼はカムクライズルプロジェクトに臨もうとする日向を諭すなど人格者たる一面を見せ、非常に美味しい役回りを担っていた。  

だが、そんな彼こそが「御手洗に絶望的な状況を突き付けて“希望のビデオ”を使用させ、全人類を洗脳することで“超高校級の絶望”を根絶する」ことを目的にコロシアイゲームを開始した張本人であった。  

ところが、彼が絶望に堕ちた描写はなく(雪染に渡された「絶望のビデオ」についても、どういうものか分かった上で、しかもサンプルとして受け取っているため、誤って見たという可能性は低い)、他の絶望に堕ちたキャラのような目の変化演出も見られなかった。 

これらのことから察するに、天願は「正気で」件のデスゲームを開いたのだと考えられる。3話では彼自身が「強すぎる希望は時に絶望に近付くものだ」と言う場面があるが、これは宗方だけでなく彼自身にも言える台詞だった……というのが真相なのだろう。  

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宗方を含め、多くの人に尊敬される希望の担い手/良きリーダーであったはずの彼が、満面の笑顔で「悲しくて、悲しくて、ついやってしまったんだ」と真相を明かすシーンは、衝撃的でこそあるが如何せん前振りが足りておらず、ミスリードにしてもやり過ぎな感が否めない。 

更に「録画だった」というモノクマの映像をどう作ったのかなど、黒幕としての天願については説明不足な点がかなり多い。消化不良な点こそあるが物語として一定の完成を見せていた忌村らの一連と比較すると、天願の描写不足は(根幹に関わるだけに)非常に手痛いものだと言えるだろう。  

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他にも「バトルもの」とダンガンロンパという作品の食い合わせが悪い結果、延々とバトルが繰り広げられている状況そのものに違和感があったり、過去作の直系の続編ながら雰囲気を大きく変えたことの是非など細かい批判点が多く見られる『未来編』だったが、本作はそれ以上に多くの魅力を放っていたように思う。

 

DEAD OR LIE

DEAD OR LIE

 

前述した本筋の完成度は勿論、『無印アニメ』とは異なるダークテイストに舵を切ったOP・ED両主題歌や、過去作のアレンジBGM(主に毎話の引きで使われた『オールド・ワールド・オーダー』などはとりわけ印象深い)は、これまで以上に殺伐で陰惨としたデスゲームと非常にマッチしていたし、実質的な『絶対絶望少女』のアニメ化などの凝ったファンサービスも違和感なく作品に溶け込んでいた。 

ある意味『ダンガンロンパ』の見せ場と言える死亡シーンも、ある種の美しささえあった忌村の最期や、「因果応報」を体現するかのように「誰よりも寂しく、誰よりも無惨に」死亡する流流歌、自らの命を投げうって霧切を救う黄桜など本作ならではの魅力的なシーンが多く、何より『絶望編』とのリンクによって真実が明かされていく展開には他に類を見ない独特の見応えがあった。  

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そして何より、この『未来編』が『3』のナンバリングに相応しいポテンシャルを備えた作品であることを象徴するのが『希望編』における苗木の最後の決断だ。  

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『未来編』での試練を経てまた一つ成長を遂げた苗木。一方で彼は、これらの戦いによって「希望の危うさ」をも学ぶこととなった。 

彼が『3』で戦った相手は、宗方然り、コロシアイの首謀者である天願然り、いずれも「希望を求めた者」だった。希望を求め、絶望を世界から無くすことを目指し、その果てに自らが絶望を生むものになってしまった彼らから苗木が学んだのは「世界から絶望が消えることはなく、だからこそ絶望は消すのではなく受け止めていかなければならない」という現実。  

”超高校級の希望”として戦い続けてきた苗木が「希望と絶望の双方の肯定」という答えに辿り着く様は、彼が大人として大きな成長を遂げると同時に、「希望と絶望の向こう側」へ先んじて辿り着いていたもう1人の主人公=日向創と同じステージに立った瞬間でもあった。  

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「未来なんて、誰も見たことはない。僕らの行き先は、いつだって灰色の曇り空だ。希望も絶望も入り交じって、どっちがどっちだか分からない。それはとても怖いことだけど……でも、待っているだけじゃ何も変わらない。何が起きるか分からない未来の中に、僕たちは、一歩ずつ進んでいく。大切な人のことを思いながら、空を見上げて、明日はきっといい日になる、って思いながら」

苗木の成長、そして『3』の物語を総括するこのセリフが印象的な『希望編』のラストシーン。希望と絶望の狭間にある「未来」に異なる方向から辿り着いた2人の主人公は、方や世界の希望、方や世界の絶望の担い手として再出発することになる。「無垢な希望でも絶望の象徴でもなく、希望と絶望のどちらをも知り、受け止められる者こそが未来の担い手になれる」という、まさにシリーズの集大成とでも呼ぶべきエンディングだ。
(このエンディングを踏まえると、苗木が宗方と『2』の再演とも呼べる物語を展開したのは、苗木が日向と同じ場所に立つために必要なある種の必然だったのかもしれない)

 

 


視聴から1年近く経っているにも関わらず、内容を鮮明に思い出せた『3』。思うところこそあっても、自分にとってはとても「好みの作品」だったなぁ、と思う。 

本作は評価・好みの分かれる癖の強い作品には違いないが、苗木を主人公として『無印』のその先を描きつつ、希望と絶望の双方の肯定、そして「弱くてもいい」という『2』のテーマをアニメとして再生産するその物語は、まさしく『3』のナンバリングを背負うに相応しいものだったと言えるのではないだろうか。  

 

『2』が好きな身としては『絶望編』と『希望編』もしっかり振り返りたいところなのだけれども、前述の通りキリがなくなってしまうし、特に希望編は単なるオタクの叫びにしかならないのでここは割愛。 

なんだかんだで『無印』『2』『3』と続けてきたダンガンロンパの感想シリーズ、次は『ニューダンガンロンパV3』の記事でお会いしましょう。今度こそ推しが生き残る未来を夢見て……!!!!

 

 

『ウルトラマントリガー』を信じて見守りたい3つの理由


2021年7月10日、遂に始まったウルトラマンシリーズ最新作『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』。
……びっくりするほど賛否両論ですね!!!!!!

 

ネット・SNSの評価をリアルタイムで見ながらウルトラマンシリーズを視聴するようになったのはちょうど『ギンガ』からなのだけれど、個人的には2話時点でここまで賛否両論(荒れている)のは初めてなように思う。

正直「そうなる理由も凄く分かる」というのが本音で、筆者自身も『トリガー』の今後に不安を感じている一人だったり。


しかし、そんな状況下でも『トリガー』を信じて見守っていきたいというのが一番の気持ち。なぜここまで『トリガー』に期待をかけるのか、自分自身の備忘録としての意味合いも兼ねて、特に大きな「3つの理由」についてざっくばらんに書いていきたい。

 

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そもそも『トリガー』がなぜこんなにも早く賛否両論状態になっているのか。理由を挙げていくとキリがなさそうだが、主なものはこれまた3つに集約されると思っている。


①脚本の問題
・(特にケンゴの)違和感のある台詞回しや独り言
・駆け足な展開(特に2話)
・未だに方向性がはっきり見えてこない物語
・トリガーの名前はカルミラから知るのに台詞は最初からバッチリな初回変身など、細かなツッコミどころの多さ

 

②偉大すぎる前作(ウルトラマンZ)の存在
・『Z』でそもそもの視聴母数が増えている
・『Z』は1話/2話が共に隙がなく、演出・脚本などあらゆる面で優れたエピソードだった(作品の方向性がはっきり示されていたことも大きい)
・『Z』の実質的な後番組である以上。その成功(とそこに至らしめた様々な功績/要因)を踏まえているのが「当然のスタンス」として求められる前提

 

③『NEW GENERATION TIGA』の不明瞭さ
・リメイクなのかリブートなのか、あるいはそれ以外なのか不明瞭
(坂本監督の「『ティガ』が与えたインパクトを再び」という発言も槍玉に上がりがちな印象)
・(スーツ事情などのやむを得ない点を除いても)ごった煮状態の『ティガ』要素と『ティガ』らしからぬ要素
・『ティガ』を冠した上で上記のような様々な問題が露見している現状


……悲しいけれど、概ね納得できてしまうのが正直なところ。

初めて見たウルトラマンが『ダイナ』で、『THE FINAL ODEYSSEY』の時期に『ティガ』再放送をリアルタイムで追いかけていたという生粋のTDG世代オタクではあるものの、個人的には『ティガ』という作品との関係性よりも「『Z』の成功を踏まえて作られているのかどうか」の方が懸念点。

 

ウルトラマンZ』の魅力は数あれど、その最たるものの一つはやはり故・吹原氏と田口監督による緻密な脚本/シリーズ構成や各話脚本の徹底した監修といった文芸面へのこだわり。
そんな『Z』の後番組なのだから最低限そこだけでも踏襲してほしい……と思っていたので、2話の駆け足展開は中々にショックだった。展開そのものというより「ひょっとして製作陣は『Z』がなぜあそこまでウケたのか分かっていないんじゃないのか」という不安が拭えなくなったことがショックだったのだ。

 

1話であれば、「つかみ」の弱いアバンタイトル(『Z』の田口監督は、YouTube全盛の時代だからこそと最初のつかみ=ゴメスのシーンに並々ならぬこだわりを注いでいた)や少し冗長な戦闘。

2話であれば、トリガーへの変身に対して深く考えている様子の見えないケンゴやあっさり負けてしまうギマイラ……など、一度引っかかると次々見えてきてしまう細かい粗がその不安を拭わせてくれず、現状、不安が7割ほどの状態で3話の視聴を迎えようとしている。

 

 

では残りの「3割」が何なのかというと、それこそが記事タイトルの「『トリガー』を信じて見守りたい3つの理由」に基づく今後への期待。

 

不安不安と散々喚いてきたが、それでも『トリガー』は面白くなる、と信じられる3つの理由。1つ目は、本作のシリーズ構成が『ハヤシナオキ氏×足木淳一郎氏』のコンビであることだ。

ハヤシナオキ氏の作品には恥ずかしながら触れたことがないのだけれど、担当された作品は

・実写版を坂本浩一監督が手掛けた
『BLACK FOX(アニメ版)』

・人気ホラーゲームの続編(?)アニメ
ひぐらしのなく頃に(業/卒)』

・“泣きゲーの金字塔”と呼ばれる名作ゲーム 『Kanon

……など錚々たるラインナップで、体感はさながら『仮面ライダー鎧武』のメインライターに虚淵玄氏が登用された時のよう(虚淵氏もアニメ・ゲーム畑の名物ライター)。

特に『ひぐらし~』などはその難解な謎解きが当時から話題になっている人気作品であり、比較的ハイターゲット向けの色が濃く、緻密な世界観構築が必須であろう『トリガー』にはピッタリの人選じゃないか、と思えてならない。

 

しかし、そんなハヤシ氏は一方で「特撮畑のライターでない」という大きなハンデを抱えている。更に『トリガー』においては(同作がどういう方向性を目指すとしても)『ティガ』という作品の熟知が欠かせない。そんな窮地を救うかのようにタッグを組んだのが、他でもない我らが足木淳一郎氏!

 

本記事を読まれている方には説明不要と思うが、足木氏は『ウルトラマンフェスティバル』などのイベント/舞台作品や『ウルトラマン列伝』などへの脚本・演出参加を経て、『ウルトラゼロファイト(第2部)』において初めて本格的な映像作品の脚本を執筆。

以降『ウルトラファイトシリーズ(ニュージェネ)』などを手がけた他、『タイガ』ではTVシリーズの実質的なライターデビューを果たしつつ(それまでは番外編や総集編のみの参加)タイタスらU40組の出世にこれでもかと貢献された、円谷が誇る名ライター兼人類史上最強のU40オタクである(?????)

そんな足木氏が『トリガー』にうってつけと言える一番の要因は、氏の「題材となる作品の設定や文脈を汲み取って作品に昇華させる手腕」である。


往々にして、ヒーローの客演においては「描写に割く時間が惜しい」「新規層への配慮」など様々な理由から各作品の細かな設定・文脈の描写は割愛されがちだが、足木氏はそこに強いこだわりを持たれており、更にはその設定を「物語性」に昇華させることができる稀有な脚本家だ。

大ファンを公言する『ザ☆ウルトラマン』の設定をふんだんに取り入れ、ドラマチックな「公式外伝」を描いた『ザ☆ウルトラマンタイタス(ボイスドラマ)』や、『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』において、ジードがギンガらと力を合わせてゼロビヨンドへの変身カプセルを生成。粋なコメントを添えて「ニュージェネによるゼロへの恩返し」を行うシーンなど、その例は挙げればキリがない。

更に、そんな「足木流」の極致とも言える最新作『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』では、ウルトラマングレートウルトラマンレジェンドなど、多種多様なヒーローたちの設定や文脈を盛り込み、華麗に捌きつつ壮大な物語を練り上げるという離れ業をやってのけた。
(これで筋金入りのウルトラオタクという訳ではなく、ほとんどのシリーズは『ウルトラマン列伝』への参加を通して学んだというのだから驚きである)

 

実力派ライターでこそあれ、特撮畑とは縁のなかったハヤシナオキ氏。そしてウルトラで脚本を書き続けてきた「設定に強い」ライターである足木淳一郎氏。
考えれば考えるほど、この2人ほど『トリガー/NEW GENERATION TIGA』を描くにあたってふさわしい人選があろうか、というもの。

……なら、なんで1.2話があんな感じだったのかと言われると、それはおそらく門外漢であるハヤシナオキ氏が不慣れな状態で脚本を執筆したことが大きな要因だろう。「『Z』に倣って監督などがしっかり脚本を精査すべきじゃなかったのか」と言われると返す言葉もない。ただし、だからといって『トリガー』がこの先もずっと同じ醜態を晒し続けるとも限らない。

 

今後『トリガー』が巻き返せるのかどうか、鍵になるのはハヤシ×足木タッグによるシリーズ構成であり、1.2話や基礎設定の時点で膨大な伏線がばらまかれていることからも、後に大きなどんでん返しがあろうことは想像に難くない。

SNSなどで話題になったケンゴの花「ルルイエ」については、ケンゴ(トリガー)が闇の出自の存在であり「ルルイエ」という名前に本能的な安息/安らぎを覚えていたと考えれば合点がいくし、闇の巨人についても、キリエロイドを思わせるデザインのヒュドラム、ガタノゾーアと同じ「クトゥルフ神話の邪神由来の名前」になったダーゴン(一番怪しい)など、裏設定では済まされないような設定がこれでもかとひしめいている。

これらの下準備が爆発するであろう中~後半の時期は、すなわちハヤシナオキ氏が「特撮の脚本」をモノにしてきたであろう頃合いとも一致するはず。その瞬間最大風速は、それまで本作が積み重ねていくであろう負債を返上して余りあるものになっているに違いない(と信じたい)。

事実「不安定な脚本からスタート」 「既存の人気作を下地にしている」 「数多くの伏線」 「特撮外のライター×ウルトラ常連ライターのタッグ」と『トリガー』と多くの共通点を持つ『ウルトラマンジード』は中~後半でそのポテンシャルを爆発させ、シリーズでも指折りの人気作となってみせた。
だからこそ『トリガー』もきっとそうなってくれる、と期待せずにはいられないのである。

 


2つ目の理由は、本作のメイン監督を務める坂本浩一監督への信頼だ。

 

坂本監督はもはや言わずと知れた名監督だが、坂本監督は『ウルトラ』においてはかなり善し悪しのハッキリした監督と知られている。

デビュー作となる『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』からそのアクロバティックなアクション演出や新しさに満ちた画作りへの意欲、過剰すぎるくらいのファンサービスといった魅力は発揮されていたものの、その反面「敵の演出がワンパターン」 「過去のヒーローたちに対するリスペクトが足りない」 などの短所も散見された。

その後の『ギンガS』では「楽曲へのこだわり」といった更なるプラスポイントを見せた反動か、更に「冗長な演出」 「フェチズムに寄りすぎた撮影」といったマイナスポイントが追加されてしまっていた。
ウルトラシリーズに新風を吹き込み、その復活の礎を作った坂本監督だが、どうにも『ウルトラ』との食い合わせは悪いんじゃないか? という懸念が拭えない状況だったのである。

しかし、その後もウルトラシリーズへの参加を重ねていくにつれ、坂本監督の撮影スタイルには明確な変化が現れていた。

ウルトラファイトビクトリー』『ウルトラファイトオーブ』では過去作のヒーローたち=ウルトラ兄弟を個性豊か/魅力的に演出し、『X』では冗長さの取り払われたスタイリッシュな巨大戦を披露。

3年ぶりにメイン監督を務めた『ジード』では前述の通り不馴れな脚本とのミスマッチなど多くの懸念点が生まれたものの、それを払拭して余りあるドラマチックなウルトラサーガを見事描き切ってみせた。そして話題の『Z』では専売特許と言わんばかりにジードやゼロを進化した超絶アクション/映像で演出したほか、ガンマフューチャーの筆頭監督として、昭和だけでなく平成のレジェンドヒーロー=ティガ・ダイナ・ガイアら3人にも抜かりない愛があることを証明してくれた。

 

これらの変遷を見るに、坂本監督は「ただ進化する」監督なのではなく、「自身の至らない点を理解し、それを改善する方向へ進化する」監督なのだろうと思う。
クリエイターとして当然と言えば当然の心構えではあるが、坂本監督の場合その「改善」ぶりが目に見えて分かるのだ。短所のハッキリした監督であるが故に変化が分かりやすいというのもあるが、根底にあるのは坂本監督自身の作品作りに対する真摯な姿勢だと感じずにはいられない。

そんな「改善」を重ね、『ウルトラ』での経験も十二分に積んだ坂本監督だからこそ、『トリガー』において我々視聴者が感じている問題点については少なからず察していると思いたいし、そうであるなら、きっと監督は作品の中で更なる進化と改善を見せてくれることだろう。

余談だが、坂本監督は、映画『仮面ライダー 平成ジェネレーションズ』の撮影にあたって、客演ヒーローであるが撮影経験のなかった『仮面ライダー鎧武』を全話視聴したのだという。本作に臨むにあたって『ティガ』はきっと見てくれているだろうし、この誠実な原作への向き合い方が『トリガー』でも活かされていくと信じていたい。

 


最後の理由は、そもそも現時点で『トリガー』が「ツボに入りそうな」作品だということ。具体的に言うなら「好みの要素」がとても多いことだ。

 

1話においては、ウルトラマンシリーズでは珍しい(初?)「初回のOP主題歌カット」からの「挿入歌として『Trigger』を初披露する」というコンボにすっかり心を掴まれてしまったし、「レギュラーの紹介は後回しに、初回はケンゴとミツクニの2人にスポットを当てて描く」という潔い割り切り方も、いかにも連続ドラマのプロローグといった具合で好きな見せ方。

更に、ケンゴという存在の謎にトリガーダーク(?)、ユザレの台詞やミツクニとティガの関係など、『ジード』以上の前のめりさで伏線をバラまいていくのもワクワクするポイント。
トリガーの名前をカルミラの言葉から知ったり、そのカルミラたちの言葉がケンゴにしか正しく聞こえないというのも「分かってる」演出だ。

続く2話は1話以上に脚本の運びが悪くドラマが駆け足になってしまったのが残念だったが、ギマイラ戦は昼/ダーゴン決着戦は夜→海中と、『THE FINAL ODEYSSEY』オマージュということを差し引いても「ワンパターンな画にならないように」という配慮が行き届いているのが好感触だった。

『ティガ』オマージュの演出については触れていくとキリがないが、逆ピラミッドの遺跡や「選ばれし者」として過剰に持ち上げられている節があるケンゴ、そしてそんなケンゴとトリガーの一体化も「ケンゴが宿る」のではなく「トリガーが取り込む(?)」形であるなど、(n番煎じの考察か分からないけど)むしろ『ティガ』と逆の描かれ方が多い点が気になってくる。

 

主題歌『Trigger』には

自分が何者か誰も教えてくれない 自らを導いて出すべき答えがある

という歌詞があり、ケンゴが前述した謎の先で(ダイゴやアスカとは違う道のりで)「自分の存在や、手にした光の意味に悩む」展開に至ることを予感させてくれる。

もしそうなのだとしたらその展開が純粋に楽しみだし、加えて「歌の歌詞に肝を仕込むくらいストーリーが周到に作られている」ことの裏付けにもなるので、一層本編の展開に期待が持てるというものだ。

(周りのヨイショで「みんなの笑顔を守るヒーロー」という自覚と自惚れが育ったところで、ルルイエの開花をきっかけに“笑顔を奪う者”として覚醒してしまい絶望するケンゴくん、見たい……見たくない?)

Trigger

Trigger

  • 佐久間貴生
  • アニメ
  • ¥255

また、個人的に外せない要素がトリガーの基本武装ことサークルアームズ。シリーズお馴染みとなったインナースペースで持つタイプの基本武装だが、「トリガーに合わせてタイプチェンジ」することで各タイプの差別化に一役買うだけでなく、スパークレンスが「GUTSスパークレンス」という人工物であるために損なわれてしまう「超古代の戦士」感を補うというファインプレーぶりに思わず感動してしまったり。

デザインも、玩具としての取り回しの良さと「玩具らしくない」ディテール、キャッチ―なカッコよさと3拍子揃った素晴らしいものになっており、個人的にはこれまでのウルトラマンの武器の中でも群を抜いて魅力的に思える。まさにニュージェネレーションシリーズが積み上げてきたものの集大成……!

 

マルチタイプのマルチソードはこれまでのソード系武装(エクスラッガーやオーブカリバーなど)と異なる「無骨な大剣」として独特のアイデンティティを発揮しているし、パワータイプのパワークローはディテールの奇抜さが目を引き、ファイトスタイルが地味になりがちなパワーファイターに華を添えている。

殊更に白眉と言えるのが(活躍は3話までお預けの状態だが)スカイタイプのスカイアロー。清廉なイメージの青ウルトラマンに弓が似合うことはネクサス(ジュネッスブルー)やフーマが証明しているし、何より”機動性特化”という(演出的に)扱いの難しい能力からか活躍に恵まれなかった本家ティガ スカイタイプのリブートとして、遠距離攻撃を得意とする戦士というアイデンティティを加えることはこの上ない最高の+αだろう。スカイアロー自体のスマートで癖がないデザインがスカイタイプに馴染んでいるのも見逃せないポイントだ。

 

しかし、そんな素晴らしい武器がある中でもきちんと光線技を大事にしてくれるのが我らが坂本監督!
1話ではオーブグランドカリバーのように地面にマルチソードを突き立ててからゼペリオン光線に繋げてくれたし、2話でもデラシウム光流を「膠着状態を打開する起点」として印象的に使ってくれていた(いつかトドメに使ってほしい……)。

坂本監督は『X』において、エクシードエクスラッシュ→ザナディウム光線のコンボを考案したり、『ジード』においてレッキングバーストをここぞという時の切り札として描いてくれた方なので、特にゼペリオン光線の扱いについてはこれからも楽しみにしていきたいところ。

 

 

『トリガー』の好きな点と不安な点、2話にしてよくもまあこんなに意見が出るものだと我ながら驚きではあるが、それだけ期待値が高いということだろうし、その点においては多くのウルトラファンが同じ意見だろうと思う。

けれど、どんな作品でも2話時点で全てを判別することなんてできないもの。特にウルトラマンシリーズはそれが顕著な傾向にある。

 

昭和シリーズや『マックス』のようなオムニバス色の強い作品は当然として、傑作と名高い『ネクサス』『オーブ』や『ジード』は中々にスロースターターだった。

対して序盤の勢いが良かった作品と言えば名前が挙がりやすいのは賛否両論ある『R/B』や『タイガ』だったりするし、序盤から作風・クオリティが安定していた『メビウス』や『X』がむしろイレギュラーだろう。それこそ『ティガ』だって完全無欠の作品ではなく、改めて見ると比較的スロースターターな作品だった(背景事情が違いすぎて単純な比較はできないが)。

脚本のバランスがかなり危ぶまれること、前作『Z』が規格外の作品だったこと、そして背負うものがよりによって『ティガ』なことで厳しい目を向けられている(し自分を同じ目を向けてしまっている)『トリガー』。しかし本作が『NEW GENERATION TIGA』という殻の中に何を宿しているのかはまだまだ分からない。製作陣も、生半可な覚悟で作っているはずはないのだから。

 

TDG世代のかつての子ども、としてではなく、あくまで一介のオタクとしてこれらのこと、そして前述した「3つの理由」を忘れないよう肝に銘じつつ、いつか来る大きな転機まで『ウルトラマントリガー』を信じて見守っていきたい。そしてとりあえずは、25年ぶりの復活となるガゾートの勇姿とスカイタイプの初陣が描かれる明日の第3話を楽しみに待ちたい。

(ガゾートの扱いが悪かったとしても)スマイルスマイル!!!!

さらばウルバト! 怪獣愛に満ちた奇跡のゲーム『ウルトラ怪獣 バトルブリーダーズ』を振り返る

時に2021年5月26日。

ウルトラマンTVシリーズ最新作『ウルトラマントリガー』への期待で界隈が盛り上がっている中、株式会社バンダイナムコエンターテインメントが運営していたスマートフォン向けゲームアプリ『ウルトラ怪獣 バトルブリーダーズ』通称『ウルバト』がサービス終了となった。

決してメジャーではないものの、運営とユーザーの「怪獣愛」によって支えられた奇跡のゲームであるウルバト。しかし、アプリゲームの定めとしてその軌跡は形に残らない。

今回の記事では、一人でも多くのウルトラファンに「こんなに素晴らしいゲームがあったんだ」と知って貰うため、そして一人でも多くのブリーダーが『ウルバト』を思い出せる場所となるように、本作がどのようなゲームだったのかを振り返ってみたい。


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ウルトラ怪獣 バトルブリーダーズ』がサービス開始したのは2018年秋。テレビでは『ウルトラマンR/B』が放送中=ちょうど新世代ウルトラマンシリーズもお馴染みになってきた頃合いで、ゲームのリリースにはまさにうってつけのタイミング。

 

ジャンルは『怪獣育成シミュレーション』で、ざっくり言うなら『スーパーロボット大戦』シリーズに「怪獣の育成」というもう1つの軸が加わったようなイメージだ。

ウルトラシリーズのゲームというと対戦格闘などアクション系のイメージが強いかもしれないが、実は『ウルトラマン オールスタークロニクル』や名作と名高い『ウルトラ警備隊 MONSTER ATTACK』などもあり、シミュレーションゲームはウルトラと意外にも縁の深いジャンルだったりする。

そんな本作の主役たちは名だたる怪獣・宇宙人やロボット、そして闇の巨人たち(以下“怪獣”)。

そのラインナップは凄まじく重厚で、なんとほぼ全てのウルトラシリーズから総勢200体もの怪獣が参戦しているという豪華ぶり……!

特にニュージェネレーションシリーズからは『ギンガS』から『Z』までの人気怪獣が大挙して参戦し、グリーザ(第二形態)や特空機セブンガーなどの参戦は特に大きな話題となった。
だが、ともすればそれ以上の話題となっていたのが『G』と『マックス』から怪獣の参戦が叶ったこと。この2作はこれまでのゲームで怪獣が参戦したことがなかったためファンからの要望も高く、『マックス』からラゴラス、ひいてはラゴラスエヴォまで参戦したり、『G』からゴーデス第二形態が参戦したりといった際にはTwitterで多くのファンが咽び泣いていた。僕はラゴラスエヴォで泣きました。

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(↑最終的な参戦作品リスト。サブスクのラインナップか何か?)

 

ゲーム序盤はゴモラガンQなどお馴染みの面々からのスタートだったが、「毎週新しい怪獣を実装する」という狂気じみたサービス精神を見せたウルバトはあっという間に怪獣数を増やしていった。その中で徐々にガゾートやゾアムルチ、ドラゴリーといった完全新規モデルの怪獣が実装され始め、最終的にはユーザーの意見でスペックが決まったガヴァドンAや『ガイア』のブリッツブロッツなどマニアックな怪獣も次々参戦、ブリーダー界隈は毎週のようにお祭り騒ぎとなっていた。

 

勿論その「毎週追加される新怪獣」の中には、ナックル星人やバルタン星人(ベーシカルバージョン)など『Fighting Evolution』や『大怪獣バトル』など過去のゲーム作品でCGモデルが作られた怪獣もいたが、ウルバトのこだわりは妥協を許さない。なんと「過去にゲームで登場していた怪獣」も、モデルを(怪獣によっては一から)作り直しているのである……!
(例えば、ファイブキングはデータカードダスの『大怪獣ラッシュ』で既にCGモデルが作られていたが、本作にてCGモデルが完全新生。現行作の「フュージョンファイト」に逆輸入されたりもしている)

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(↑カッコよすぎるファイブキング。何度再販されても高騰する大人気怪獣だった)

 

当然ながら、それら精巧なCGモデルの作成には円谷プロとの綿密な連携、緻密なスケジュール管理など多くの関門がある。それらを乗り越えつつ、2年以上に渡り毎週新規怪獣を実装し続けてくれた運営の方々の努力には本当に頭が上がらないし、ウルバトのサービス終了にはその点も関係しているのでは? という噂も。それならそれで納得しかない……。

 

そんな運営様方の努力が作り出した数多くの怪獣たち。そのイカれた(褒め言葉)ラインナップの一部を紹介するぜ!!!!

ウルトラセブン』からギエロン星獣
帰ってきたウルトラマン』からタッコング
『80』からザンドリアス
『ティガ』からレギュラン星人
『ダイナ』からデマゴーグ
『ガイア』からニセ・ウルトラマンガイア
『ネクサス』からダークファウスト
メビウス』からボガール
『X』からムー
ジード』からレギオノイド・ダダ・カスタマイズ
『R/B』からグルジオキング
『タイガ』からナイトファング
『Z』からエリマキテレスドン

……惑うぜ! 現実!!
自分で書いていながら違和感を覚える怒濤のラインナップ。オタクしか喜ばないぞこんなの!? 大丈夫!? という質問に満面の笑みを浮かべるスタッフが見える。お、俺たちのウルバト……!!!!

 

Twitterでは参戦怪獣の発表に先駆け、クイズのような「ヒント画像」が掲載されることがほとんどで、毎週月/火曜日の参戦発表は界隈の話題をさらった。ガルベロスやサイバーゴモラなど新規参戦怪獣の名前がTwitterのトレンドに載ることも少なくなく、そのような点も含めてウルバトは怪獣ファンにとって夢のようなゲームであった。

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(↑ヒント画像集。毎週作るのに苦労したとのこと、せやろな……)

 

そうして毎週のように増えていく怪獣たちだが、決して数ばかりが多い訳ではない。怪獣には「力」「技」「速」「無」のいずれかの属性(相性)に加え、怪獣固有の能力・必殺技が与えられている。それらによって、怪獣を「原作っぽく」戦わせられるのが本ゲームの大きなポイントだ。例えば……。

・同じパーティに編成することで真価を発揮し、必殺技も変化するマグマ星人&ギラス兄弟、サデス&デアボリック

・タイプチェンジによって能力を使い分けるキリエロイドⅡ

・仲間の身代わりとなり、散り際に攻撃バフと体力回復を残していくシェパードン

・(不意打ちでゼガンを撃破した再現なのか)初撃のみ超強化されるヘルベロス

・自分が状態異常「暗闇」の時に強化されるムルロア

・強力な必殺技『投げつけるアイスラッガー』を持つが、ウルトラセブンにそれを使うと自身が確定で即死する改造パンドン(??????????????)


などなど。ただ強いキャラを集めればいいという訳ではなく、怪獣をいかに「らしく」暴れさせるか考え、それが見事決まった時の達成感ったらたまらない。キングオブモンス&バジリス&スキューラで大暴れしている時とか最高ですよ!


では、どうすればその怪獣を入手できるのか。スマホゲーならガチャじゃない? は~~~つまんな!! と思ったそこの貴方。ウルバトはそんなありきたりなゲームじゃあありませんのですわ!(多方面から刺されそうな発言)

怪獣たちの入手方法こそ、実はこのウルバトにおける最大の特徴。その名も「マーケット」
これは「ガチャ」でも「建造」でもない独自方式で、オークション形式でキャラクターの入手権を争うもの。

具体的には1〜2週間の間、マーケットに新規と復刻、併せて数体のキャラクターが出品され、1日2回、多くの金額(通貨は「ウルトラストーン」)を入札した上位層がキャラクターをゲットできるというシステムだ。f:id:kogalent:20210528072801j:image

更に、所謂「天井額」(概ね10000円)相当のウルトラストーンを入札すればマーケットを無視して怪獣を落札できる上にボーナスも付く「即決」システムまで実装されており、狙ったキャラクターを入手できる可能性は実質的に100%という驚異のユーザーフレンドリーぶり。斬新過ぎて運営が心配になるほど良心的なシステムだった。

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(↑大好きな怪獣が出品された時は即決すべき。太平風土記にもそう書いてある)

 

キャラクターは出品される時期や「新規か復刻か」など様々な背景によって出品される数が異なっており、凄まじく白熱するマーケットもあればあまり盛り上がらないマーケットもある。そうしたマーケットの様相を眺めるのもこのゲームの醍醐味。
かくいう自分は怪獣については比較的ライトなオタクなので、買う時もあれば買わない時もあり、そんな「マーケットに参加しない時期」が長ければ長いほど、1ユーザーながら「このゲームの運営は大丈夫なんだろうか」と不安に駆られたりもしていた。f:id:kogalent:20210528073208j:image
(↑自分が見た中で一番高騰したのはまさかのニセメビウスで、次いで高かったのはゼッパンドンやオーブダークなど。あと少しの額で即決ボーナスが付くことを考えると恐ろしい高騰ぶり……)


そんなマーケットで競り落とし、育てた怪獣を戦わせる舞台=プレイモードは大きく分けて4つ。

まずは「メインクエスト」
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これはこのゲームの致命的な欠点なのだけれど、とにかくこのメインクエストが薄い。(名前はそれっぽい割に)尋常でなく薄い。

惑星ウルバト(直球)を舞台に、怪獣のデータ解析や再現をシミュレーションしている謎のナビゲーションロボット『ナヴィ』。彼女と、彼女によって呼び出されたブリーダー(プレイヤー)が、様々なシミュレーションを体験したり、惑星ウルバトが保持するデータ目的で襲いくる宇宙人と戦ったりする……というのが大まかなストーリー。というか、それ以上の内容がない

ゲームが始まってから1年ほどの間はストーリーが定期的に更新されたがその後は実質的な打ち切りで、ばらまくだけばらまかれた伏線は最後のクエストで一気に回収されることになった。それはそれで凄いな……。


一方、そんなメインクエストに代わってウルバトの本命と言えるのが「イベントクエスト」だ。
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イベントクエストは一般的なスマホゲーと同じく、定期的に様々なイベントが新規・復刻織り混ぜて期間限定で開催されるもの。

ウルバトのイベントクエストは、大きく分けると下記のような種類がある。


・強敵出現イベント
エタルガーや闇に堕ちた タ ロ ウといった強敵に挑むイベント。ボス怪獣の特徴や原作再現を意識したギミックが仕込まれており、例えばグリーザ出現イベントではゴモラやゴメスといった怪獣をダークサンダーエナジーから解放するために(HP調節などで)奮闘することになる。
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(↑ジャグラーとマガオロチを相手取るイベント。マガオロチの実装には界隈も大いに盛り上がっていた)

 

・スコアアタック系イベント
オーブダークが呼び出す大量の怪獣を殲滅したり、大量発生したツインテールグドンやボガールに横取りされないよう狩りまくったりするイベント。デスフェイサーやギャラクトロンなど、範囲攻撃を持つ怪獣が大活躍する。f:id:kogalent:20210528092231j:image

(↑狩るどころか狩られることもある、世の中は非情だ)

 

・「(疑似)レイドイベント」
ウルトラマンベリアルやデストルドスなど、莫大なHPを持つ敵に対して何度も挑み、その討伐を目指す。大型イベントとして開かれるため演出に気合いが入っており、グランドキング戦ではウルトラ6兄弟と共闘することができる他、ガタノゾーア戦では石化したティガを数ターン守りきることでグリッターティガを出現させることもできた。f:id:kogalent:20210528073631j:image

(↑TVを意識した仕様が美しいグリッターティガ)

 

ウルトラマン降臨イベント
ウルトラマンを召喚して敵に追加攻撃ができるアイテム「ウルトラ必殺技」を入手することができるイベント。『君だけを守りたい』『ウルトラマンジード プリミティブ』『ご唱和ください、我の名を!』など多くの新規版権BGMアレンジ曲が実装された他、ウルトラ6兄弟のチームと戦ったり、オーブの助っ人としてジャグラーが現れたり、ファン垂涎ものの演出が目白押し。

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(↑仲良く新年の挨拶をしてくれるTDG。戦闘中のBGMはなんと『Beat on Dream on』!)


他にも様々なイベントクエストが存在しているが、それらはいずれも難易度が「ノーマル」「ハード」「エキスパート」に分かれており、難易度が上がるほどに演出や報酬が豪華になっていく。それらを楽しむために不可欠なのが怪獣の育成だ。f:id:kogalent:20210528073900j:image

育成というとイメージしやすいのが「レベル上げ」だが、ウルバトではアイテムによって比較的簡単にレベルをMAXにすることができる。その代わり重要になってくるのが「スキル構成」。

ウルバトの怪獣たちは、各怪獣に1つ固有の能力である「固有スキル」と、入れ替えができ
る汎用的な「継承スキル」という2種のスキルを持っている。ポケモンに例えるなら、

固有スキル=とくせい
継承スキル=わざ

といったところ。
シナリオクリアだけならレベルアップで覚えた技だけでも問題ないが、通信対戦やクリア後の対戦コンテンツなどに挑むなら技やチーム構成を熟考する必要がある、というあのバランス感覚に近いかもしれない。

 

例えば『ティガ&ダイナ』に登場し、圧倒的な火力を誇ったロボット怪獣であるデスフェイサーを見てみると、レベルMAXのスペック(初期状態)がこの通り。f:id:kogalent:20210528073949j:imagef:id:kogalent:20210528073957j:image

同じ『ダイナ』怪獣で、防御に優れた怪獣であるデマゴーグと比べると、全体的にステータスで劣る反面、必殺技の威力が非常に高いという原作再現がされている(原作では通常スペックも高かったが、それはそれ)。

 

デスフェイサーの固有スキル『殲滅へのカウントダウン』は必殺技(SP)ゲージをチャージしたり、逆に敵のSPを減少させたりもできる攻防一体のもので、ダイナから戦意を奪ったことの再現とも取れる。
継承スキルも主に必殺技のサポートが揃っているが、ここはより特化させてネオマキシマ砲を原作ばりの超火力にしたいところ。そこで行うのが継承スキルの入れ換えだ。

 

継承スキルとは「継承(したりされたり)できるスキル」の意。
ポケモンでの「わざマシン」のように、ウルバトでは継承スキルを付与できる「スキルエッグ」なるアイテムが存在する。イベント報酬などで手に入るこのスキルエッグを使ったり、「怪獣を消費してスキルを受け渡す(継承)」ことを繰り返し、怪獣を自分好みにカスタマイズ/成長させていく。

原作再現に特化するもよし、強さを追及するも良し、様々なロマンを求めてもよし。手間がかかる分育成しきった時の感動はひとしおで、一度味わってしまうと癖になる。この「育成」の楽しさは、間違いなくウルバトの大きな魅力の一つだろう。f:id:kogalent:20210528125709j:image

(↑スキル継承のためだけに怪獣を生成することも日常茶飯事。サイバー怪獣惑星ウルバトに秩序などないのだ……)

 

例として、スキル入れ替えが完了した(り他にも色々強化した)デスフェイサーがこちら。
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継承スキルのバフは戦闘開始時に乗ってくるので、実際の必殺技火力はなんと約4000。ガタノゾーアだろうがグリムドだろうが消し飛ばすスーパー電脳魔神の誕生……ッ!


こうして育てた怪獣たちが揃ってくると、加速度的にゲームの幅が広がってくる。
イベントクエストの高難易度「エキスパート」に挑むことができるようになってくるだけでなく、超難易度の詰め将棋めいたモード「探査」へのチャレンジや、擬似的なPvPを楽しめる「アリーナ」での力試しが可能になってくるのだ。

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アリーナは「攻撃チーム」「防衛チーム」をそれぞれ作成し、他プレイヤーの防衛チームに戦いを挑むというもの。その勝敗でランキングが変動し、順位によってはウルトラストーンを貰える他、順位が高くなくても、勝利スコアを集めることでレアなアイテムや怪獣が手に入ったりする。

 

だが、アリーナ最大の魅力は「ブリーダーの愛が詰め込まれた怪獣たちと戦える」点だろう。
ダークロプスゼロやメカゴモラによる「VSダークロプスゼロ」パーティや、特空機
セブンガー、特空機ウインダム、キングジョーストレイジカスタムによるストレイジチームなど人によってチームは様々で、中にはゴーデス第2形態×4というぼくらのグレートが発狂しそうなパーティも(ちなみにアホほど強い)。


ただ強いだけでなく愛に満ちたチームとの戦いは、負けてもどこか清々しささえ感じるもの。何かと炎上しがちなソーシャルゲームPvPだが、本作はこういった点のおかげか概ね好意的な意見が多かったように思う。f:id:kogalent:20210528124811j:imagef:id:kogalent:20210528124755j:image

(↑上が自分のアリーナ攻撃チーム、下が防衛チーム。世代がバレること請け合いの人選だ)


と、ここまで説明したのがウルバトの主な遊び方。要は「怪獣を競り落とし、育成し、クエストに挑み、獲得したアイテムで更に怪獣を育成」というサイクルをこなしていくのが大まかな流れという訳だ。

こうして見ると良ゲー、人によっては神ゲー判定が出そうなものだが、悲しいかなウルバトの売上順位はちょくちょく危なっかしいランクに足を突っ込んでおり、いつサービス終了してもおかしくはない状況だった(某バイク乗りが街を守るゲームと概ね100位差ぐらいだったろうか……)。

その原因は多々考えられるが、最も大きいであろうものは「敷居の高さ」だろう。

 

まず何より、怪獣が主役のゲームである点。
(ありがたいことに)世の中にごまんといるウルトラファンだが「怪獣が主役のゲーム」ということにハードルの高さを感じる人は多いのではないだろうか。

かくいう自分もその一人で、始めたのは1周年の少し前頃だった。『Fighting Evolution』で義務教育を終えたくせに『大怪獣バトル』に触れてこなかったドロップアウトボーイとしては、モンスアーガーやデスフェイサーらが使えることに興味津々だったものの、恒常的にプレイするスマホゲーを増やすことはどうにもハードルが高く、そのデメリットを押してまで始めるか? となると、そう思えるほどの意欲が湧かなかったのが本音だった。
(1周年の少し前、というと新規CGの怪獣もまだ少なく、よもや推し怪獣たちがほとんど実装されることになるとは知る由もなかった……)

 

元来、特撮番組を題材にしたゲームはどうしてもターゲット層が限られる上、一般的なスマホゲーのように「美男美女など幅広い層にアプローチできるキャラクターで完全新規ファンを誘致する」ことが難しく、この時点でまず集客の難易度が高い。

 

その上でウルバトに入ってくれた、ウルトラシリーズ入りたてのライトユーザーがいたとする。彼らこそがゲームを背負っていく重要な存在であり、彼らにいかにウルトラ怪獣の奥深さや魅力を伝えるかが運営の要だ。しかし、ウルバトは(なぜか)そういったユーザーに厳しい。例えば……。

・怪獣をレベルアップさせるだけではなく、スキル構成までガッツリ考えないと十分にプレイできない

・怪獣が数多く登場するにも関わらず、その知識はちょっとした紹介コーナーと怪獣図鑑(持っている怪獣のみ情報がアンロックされるギャラリー)でしか得ることができない

・メインクエストが薄すぎて怪獣(キャラクター)の紹介という役割を担えていない

(怪獣の特性を反映させたイベントクエストは多いが、知らない人向けの解説はほぼないようなもの)

実際、自分にこのゲームを勧めてくれた友人はニュージェネから本格的に入ってくれたウルトラファンで、それ以外の視聴作品はコスモスとネクサス、マックス。
当人は怪獣というコンテンツを非常に好いていたが、それでもウルバトにおいて知らない怪獣を買うことは片手で数えるほどしかなかったという。

怪獣というコンテンツが好きで、ウルトラシリーズにかなり触れているファンさえこうなのだ、ユーザー母数がとにかく重要なスマホゲーでは不可欠の「ライトなファン層」がどれほどウルバトをプレイし続けてくれていたのか、正直具体的な数字を見たくないくらいには不安が残る。

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(↑怪獣図鑑での解説。最低限の解説はされているが……)

 

更に、一見するとメリットだらけの理想的なシステムに思える「マーケット」にも「大きな売り上げが見込めない」という致命的な欠陥があった。

理由は多々ある。例えば、一般的な「天井」に該当する「即決」システムが約10000円で使えたり、同一の怪獣を複数入手するメリットが(運営終盤まで)なかったり……。そして何よりの原因は「競りがほぼ意味を成していない」ということだ。

前述の通り、ウルバトのマーケットでは(基本的に)1週間の間、1日2回怪獣の出品と落札が行われる。各日11:50と23:50という2回の落札タイミングに向けて、希望者がこぞって入札を行っていく訳だ。
怪獣が早く欲しい人は我先にと入札するため、当然、値段は初出品をピークに右下がりになっていく…………のだが、なんとこのゲーム「怪獣を早期に/高額で落札するメリット」がほとんどない。

怪獣を早期に落札しても、落札した怪獣はレベルもスキルも初期状態のため、実践投入はほぼ不可能。育成にはデイリークエストやウルトラストーンで獲得する怪獣個別の「DNA」というアイテムが必要なため、どのみち実践投入までは一定の時間がかかってしまう。一刻も早く実践投入したい、もしくは何としてもその怪獣が欲しい、というのであれば、天井額の入札によって「即決」すれば最初からかなり育成が進んだ状態で入手できるが、その場合そもそも競りに参加しないことになる。
(「即決」せずに高額で落札した場合は、金額に応じてボーナスアイテムが手に入ったりするが、さほど通貨価値が高い訳でもない。どうして……)

 

このような根本的な問題が放置され続けてきたマーケットにも程なくしてテコ入れがやってきたが、その方法はシステムの改善ではなく「誰もが欲しくなるようなハイスペック怪獣の投入」だった。それは違うよ!

 

Uキラーザウルスやファイブキングなど、ウルバトでは所謂「壊れ」相当の化け物スペックを持つ怪獣が定期的にに場し、良くも悪くも大きな反響を呼んでいた。
そんなインフレの果てに、マーケットシステムを完全放棄する形で導入されたのが「レジェンドキャラクター」たち。これは即決でのみ入手可能=競りが開催されないキャラクター」で、ごく僅かなデメリットと引き換えに、インチキめいた性能を持った壊れキャラクターたちであった。

シンプルにハイスペックな上、必殺技を受けるとプレイヤーの怪獣を身代わりにするウルトラマンベリアルを皮切りに、異常な耐久力とデバフ・状態異常をばらまくガタノゾーア、倒されるとプレイヤーの怪獣のコントロールを奪うグリムドなど多くのボス格キャラクターがこの枠で実装されていき、通常キャラクターのインフレと併せてウルバトそのものが凄まじいインフレに陥ってしまった。

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(↑2回行動や必殺技吸収を備えるハイパーゼットン イマーゴ。ちゃんと翼も生える)

 

それ以外にも、キャラクターの格差を埋めるために実装された限界突破システム「覚醒」などゲームの短所を改善するための様々な仕掛けが行われたが、それらは軒並み「根本的な問題を是正しないまま、外付けで強引に粗を埋めていく」タイプの対処ばかりで、時には問題の是正どころか更なる悪化を招くことさえあった。
徐々に徐々に、ウルバトというゲームの道行きに暗雲が立ち込めていったのである。

 

とはいえ、そこは有能なウルバト運営。危険なテコ入れの裏では改善もきっちり進められており、ブースト周回機能の実装やアンケート結果に応じた怪獣の参戦、イベントクエストやアリーナのシステム改善などが次々と行われていった。

そんなウルバト運営の功績の中でも、特に話題を呼んだのが「ジオラマ」機能の実装。

これはゲーム内のCGモデルやエフェクトをステージに自在に配置することで「自分の思う大怪獣バトルを形にできる」というトンデモ機能で、推し怪獣たちによるドリームマッチやウルトラゾーンめいた大喜利など、様々なジオラマSNSを大いに賑わせていた。f:id:kogalent:20210528192726j:image

(↑オタクは推しと推しを戦わせずにはいられない生き物……)

 

これら様々な紆余曲折の中、改善と改悪のぶつかり合いが繰り広げられていたのが2年目のウルバト。その果てに待っていたのは破滅か……と思いきや、辿り着いたのは非常に良質なゲームバランス、そして平和かつ賑やかな空気感。

激動の末、ウルバトは非常に理想的な状態で2周年を迎えることになったのである。

 

そこから『ウルトラマンZ』で界隈の盛り上がりが最高潮となった年末年始を跨ぐと、前述のニセ・ガイアや人気怪獣のサイバーゴモラ、キングジョーストレイジカスタムなど待望のキャラクターたちが次々実装。当然の如くマーケットは大盛り上がりで、ウルトラマンシリーズ共々『ウルバト』の今後に誰もが胸を高鳴らせていた。


しかし。


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……おん……???????

出品されるのがレジェンドキャラクターの場合もヒントはない。だがしかし「出品をお待ちください」のような一文がないのは初めてだった。

TLが期待と不安で二分される中、その答えはメンテナンス直後に誰もが知ることとなった。f:id:kogalent:20210528131001j:image
「さらば」「LAST BATTLE」の文字。そして、何も出品されてないマーケット。じわじわと現実を理解して、身体がざわつき、「サービス終了」の文字を見つけて呆然とした。

 

2021年3月24日。ウルバトはサービス終了を発表。ウルトラもウルバトも「これから」というタイミングでの、悲しすぎる別れだった。

 


自分の慣れ親しんでいたゲームが終わるというのは「よくあること」だ。ポケモン図鑑を完成させた時。フォルテBXを倒した時。妄想ウルトラセブンを解放し、全ストーリーをSランクでクリアした時……。そういった別れの悲しさは慣れようもないが、『ウルバト』の喪失感は、それらとどこか異なるものだった。

 

前述の通り「これから」というタイミングでの終了となったことや、1年半に渡りプレイしてきたこと。それもその通りだが、それよりも大きかったのは『ウルバト』が自分にとってゲームを越えた概念となっていたこと。

 

ウルトラへの愛に溢れるだけでなく、定期的な番組配信を行ったり、アンケートの回答を律儀にゲームへ反映させたりと、非常に良心的で親しみを持てた運営。そんな運営から毎週のように届けられる「愛と魂が込められた」コンテンツの数々。そして、毎週のようにそんな運営からの贈り物でお祭り騒ぎのブリーダー界隈……。

 

それは『年中盛り上がれるウルトラ』の再来であり、毎月コロコロコミックを買ってクラスメイトと盛り上がったあの日々にどこか近いもののようにも思えた。
ウルバトの存在は、もはや一介のゲームに留まらず、ゲームを媒介にした(運営を含めた)ウルトラファン同士の繋がりや「ウルバトありきの日常」そのものを支える概念になっていたのだ。

 

ウルバトのサービス終了は、ただゲームが終わるだけでなく、そういったコミュニティや日常との別れをも指している。慣れ親しんだ学校からの卒業や部活の引退のようなものだ。

だからこそ、サービス終了の報せには思わず涙してしまったし、これまで実装されたレジェンドキャラクターが総出で襲いかかってくる最終クエストには愛すべき相棒たちで挑んだし、やり場のない気持ちとこれまでの感謝を込めたネオマキシマ砲で全てを消し飛ばした。f:id:kogalent:20210528131321j:image
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それから2ヶ月。

「これで終わりなんだ」という、なんとも言えない虚しさと感慨を引きずりながら迎えた2021年5月26日。いつもより遅い時間に入ったメンテナンスが終わり、『ウルバト』は静かに旅立っていった。


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ウルトラシリーズには「休止期間」が付き物だ。
『80』から15年経って『ティガ』が始まったように。『メビウス』から6年経って『ギンガ』が始まったように。

それはゲームにおいても同じで、『大怪獣バトルRR』で終わりを告げたデータカードダスシリーズは『大怪獣ラッシュ』として一時帰還した後、『フュージョンファイト!』として新生。『ウルトラ』のデータカードダスにおける最長稼働記録を更新し続けている。

そして、そんなデータカードダスシリーズを支えてきたのは、過去に『Fighting Evolution』シリーズなどで作られたCGモデルたちだ。

「光は絆だ。誰かへ受け継がれ……再び輝く」

『ウルバト』は確かに終わった。しかし、いつかまたウルトラを題材としたゲーム作品がリリースされた時、本作のノウハウ、そして何より「本作があったからこそ生まれた/新生したCGの怪獣たち」が、それら次代の光を支えていくのは間違いない。

 

そうでなくとも、これまでにないほど「ウルトラ怪獣」への愛とリスペクトを持って作られた本作は今後もオンリーワンの存在としてブリーダーたちの記憶に生き続け、ウルトラのゲーム史において燦然と輝き続けるだろう。


2018年から2021年。ウルトラにとって苦難の時でも、世界にとって苦難の時でも決してその歩みを止めなかったウルバトと、そんなウルバトを支え続けてくださったスタッフの皆様、本当に、本当にありがとうございました。愛すべき怪獣たちと進む日々は、心の底から楽しく幸せなものでした。

 

さらば、そしてありがとう『ウルトラ怪獣 バトルブリーダーズ』!f:id:kogalent:20210528132844j:image