【祝開設1周年!】ブログを続けてみて良かったこと3選を考えてみる。


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突然ですが、今日は2021年9月13日。

この日が一体何の日かというと――

 


カイザ!カイザ!カイザ!カイザ!カイザ!


違ァう!!!!!!!!!!(違わないけど)

 

そう、本日2021年9月13日はなんと……


当ブログ『れんとのオタ活アーカイブ』が開設1周年を迎えた日なのです!!!イエエエエイ!!!!!!!!!!(ビルドドライバー)

 

kogalent.hatenablog.com

 

更に(若干狙いましたけど)ピッタリこの日に総アクセス数も5000を達成!

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自分にまつわるアニバーサリーなんて誕生日くらいしかないものですけど、我が子も同然なブログの1周年、ましてやちょうどその日にデカい目標が達成できた! ともなれば、誕生日以上にめでたく感じてしまうというもの……!

 

ここまでブログを続けてこれたのも、アクセス数5000を達成できたのも、当ブログの記事を読んでくださった皆様、応援してくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございます!!!!!!

 

kogalent.hatenablog.com

(思えば遠くへ来たものだなぁ、という顔)


そんなこんなでめでたい1周年。たかが1年ではあるけれど、非常にたくさんの学びや発見があり、ブログ運営の恩恵をこれでもかと浴びた1年でもありました。  

そう。ここだけの話、ブログ運営ってメリットだらけなんですよ……(宗教勧誘)

 

知ったからには。そんなメリットを広めていきたい。そしてあわよくば、それを知った誰かにブログを始めて貰い(それを僕が読み)たい……!!!!!!!! 

という訳で、そんなメリット、要は「ブログをやってみて良かったこと」を3つ、完全なる主観で発表していきます!聞いて驚けェ!!(言いたいだけ)

VAMOLA!キョウリュウジャー

VAMOLA!キョウリュウジャー

 

 

その1:アウトプットの練習になる! 

 

実はこのブログ、厳密に言うなら開設日は2020年の4月なんです(記事の初投稿とブログの公開が2020年の9月13日)。 

まずは形から……とブログを作って、後は『ウルトラマンタイガ』の総括記事を投稿してスタート! と、そう企んでいたのに……   

書けない。

びっくりするくらい書けない。 

語調が変。
内容に一貫性がない。
自分の主張が分からない。
作品の分析が足りない。
そして何より、一つの読み物として形に纏まらない……!!!!! 

筋金入りのツイ廃である自分は作品の感想をTwitterに連投するなど日常茶飯事で、だからこそ「記事を書くのはツイートの延長だ」という印象を持っていた時期があったんですね。 

ところがどっこいそんなことはなく、いざやってみると上記の通りまーーーーーーーーー書けない書けない。 

ブログ記事とツイートにそう大きな違いはないはずで、強いて言えば文字数と体裁くらいだろうか。 

文字数に制限がないが、一つの「作品」として形に残るブログ記事。一方、文字数に制限があり、(容易に人目に付く場所には)残らないツイート。 

けれど、この差が大きい。 

この差があるからこそ、同じネットへの放流という点では同じでもTwitterは圧倒的に「雑さ」が許される空気がある。 

文章がボロボロだろうと、短い呟きではそこまで目立たない。
前後のツイートに一貫性が欠けていても、全ての人がそこまで見ている訳ではない。
冒頭の挨拶や〆の括りなんて字数制限の間では不要。 

結果、いざブログで長い文章を書こうとすると、ツイートでは気にならなかった点が「これでいいのか」と突如気になってくる。慣れ親しんだ友人と遊ぶ時であれば気にならなかった自分の服装が、初めて遊ぶ友人相手だと途端に気になってしまうアレに近いかもしれない。 

ブログだと批判やヤジが飛んできやすい、という訳ではない。あくまで自分の気持ちの問題として、「まあいっか!」で済ませられていたものがそれで済ませられなくなってしまうのだ。

 

ところが、大学のレポートであったり会社の報告書・企画書だったりと、公的な場で求められる「アウトプット」の形は言うまでもなく後者に近い。確かにTwitterは良いアウトプットの場であるが、それはTwitterという至極特殊な枠組みでのアウトプットのみに特化しているように思えなくもない。 

だからこそ、Twitterの延長的な側面を持ちつつも、より長尺かつカジュアルとフォーマルの中間的なアウトプットの練習になり、更にはTwitterと違い「手元に残す」ことができるブログは、アウトプットの場として非常に優れていると言って差し支えないだろう。  

誰であれ必ず必要となるアウトプット力。いざ会社などでそういったものが求められ「あれッこんなに難しかったっけ!?」となる前に、演習がてらブログをやってみること、お勧めですよ……!

 

ブルーバード

ブルーバード

 

 

その2:自分のクソデカ感情と決着を付けることができる!

 

なんのこっちゃ……? と思われるかもしれないが、文字通りの話なのでしょうがない。 

当ブログから例を挙げるなら分かりやすいのがこちらの記事。

kogalent.hatenablog.com

当ブログの旗頭。ブログを始めることになった原点こと『ウルトラマンタイガ』の総括記事。こんなものを書いておいて変な話なのだけれど、僕はウルトラマンタイガという作品が決して好きではないんですね……!(アンチ寄りでさえある) 

『タイガ』という作品の設定が大好きでそこに大きなポテンシャルを感じていたウルトラシリーズファンとしては、あまり好ましくない結果になってしまった『タイガ』に「どうしてこうなってしまったのか」という、悔しさや虚しさのようなものをずっと感じていた訳で。 

それを事あるごとに、しつこいくらい友人たちに愚痴っていた……のだけれど、この『タイガ』記事を書いたところ、それがすっかり無くなってしまった。 

勿論作品への不満は消えようがないけれど、それに付随するストレス=人に愚痴らないとどうしようもなかったマイナス感情が綺麗さっぱり消え去ったのである。 

それもそのはず、『タイガ』の記事作成作業は「自分の中で納得のいかないモヤモヤを」「整理して体系化+言語化して」「思う存分吐き出す」という作業。ストレスの原因を洗い出し、理屈付けて、消化する……これって、実質的な心理療法……ってコト!?(?????)
(恋愛相談などと似た理屈かもしれない)

 

これは他の記事にも言えること。例えば 

 

・終了後も自分の中で大きな傷跡として残っていた転職活動

kogalent.hatenablog.com

 

・サービス終了がショック過ぎて空虚な気持ちに苛まれていた『ウルバト』

kogalent.hatenablog.com

 

・実質的なシリーズ完結編らしい雰囲気に寂しさを感じていた『ダンガンロンパ3』

kogalent.hatenablog.com

 

などがこれに該当するもの。
転職活動は「自分の中で意味のあるものにできた」
ウルバトは「全力で”ありがとう”を言えた」
ダンガンロンパ3「”ダンガンロンパ”がこの作品で一区切りとなることに納得できた」
など、その経緯は様々だけど、いずれも共通して言えるのは「記事にすることで、自分の中のマイナス感情を浄化(昇華)することができた」ということ。 

いよいよ宗教勧誘めいてきて我ながら嫌なのだけれど、似たような「何かに対するモヤモヤ」を抱えている方。それをスッキリさせられるだけでなく、自分の作品として形に残るものにできるブログ作成、とってもお得ですよ……!!

 

 

 

その3:交友関係が広がった!

 

これは個人的な事情も絡むので「ブログを書いたことによるメリット」として大手を振って宣伝できるものだと一概には言えないのだけれど、どうしても3つの中に入れたかったもの。

一体どういうことなのか、経緯がバラバラだったりややこしかったりするため、ざっくりまとめると……。  

 

・ブログを始めたきっかけのとある有名ブロガーさん(こちらが一方的にフォローしていた)からまさかのフォロー返しを頂けてしまった 

・自分のブログが拡散される中で、同じような思い(主に『タイガ』への不満)を持っている方々と繋がることができた 

・ブログを始めたことで、先輩ブロガーだったの相互フォロワーとの交流が深まった 

・その方をきっかけに参加した「スペース」で、多くの相互フォロワーさんや知っているブロガーの方と実際に話す機会に恵まれた 

・そのような方々が自分のブログを読んでくださっていた(!?) 

・お互いがお互いのブログを読んでいたので、自己紹介などの必要もなくスムーズに話すことができたばかりか、それらの繋がりが紆余曲折を経て擬似的な小説サークルの誕生にまで至った(!?!?!?!?) 

……と、改めて字面にするとコミュ障にあるまじきダイナミックな出来事ばかり。ネット繋がりの方と実際の交流を持ったことはこれまでたった2回しかなかったのにこのワープ進化ぶりである。

 

前述した2つと比べ、この交遊関係周りは全く想定外の思わぬ副産物。 

これを目的にブログを書いていこうとは思わないけれど、やはり価値観が近く、切磋琢磨できる友人は多ければ多いほど嬉しいもの。今後も良い流れが続けばいいなと願うところです。 

※前述のスペースがどんなものだったかは下記の記事をご参照ください。スペースが大活躍した奇跡の5日間がスマートに纏められています……!

kazurex1215.hatenablog.jp 


これらが「ブログを初めて/続けてみて良かった」と思う3つのこと。しかし、あまりにも「そりゃそうだ」すぎて敢えてランキングから外したものが一つ。 

それは「ブログを書くことが楽しい」ということ。 

一次創作のようにイマジネーションをフル活用するものでもなく、スポーツのように身体をフル活用するものでもない。自分が普段覚える些細な感想やちょっとした日常風景といった、ともすれば形にさえならず消えてしまうような儚いものを拾い集めて整えるだけで、自分にしか作れない「作品」が出来上がる。これってとても気楽にできる創作だし、一度ハマると自分の人生がグッと鮮やかに見えてくるものだと思います。

 

取っ付きやすいだけでなく、きっと僕が挙げた以上にたくさんの得難い経験をもたらしてくれるブログ運営。中々気軽に外に出れないこんなご時世だからこそ、是非新しいインドアライフの一環として皆さんも取り組まれてみてはいかがでしょうか。 

そして、僕自身もこんなご立派ァ!なことを言ったからにはブログ更新を今後もちゃんと続けていきます。 

2周年に10000アクセス!これを目指して頑張っていきますので、皆さんも是非応援よろしくお願いします~!

祝20周年!『ウルトラマンコスモス』がくれた思い出と葛藤と宝物を振り返る

 

2021年8月27日。『ウルトラマンコスモス』20周年のアニバーサリーを祝うイベント『ウルトラマンコスモスナイト ~20th Anniversary 君にできるなにか~』が池袋サンシャインシティにて開催された。  

これまで行われた『ダイナ』『ガイア』『ネクサス』などの例に漏れず、当時のキャスト・スタッフを招いてのステージショーやトークはファンの願いがそのまま形になったものばかりで、まさに夢のようなイベントでした。スタッフ・キャストの皆様、本当にありがとうございます!
(このイベントは、9/20まで見逃し配信がお手頃価格で視聴可能です、都合の合わなかった方は是非……!)
https://ultraman.spwn.jp/events/21082718-ultra-cosmos-night

 

……と、そんなイベントの余韻もあって、自分の中の愛が今にも爆発しそうな思い出の作品『ウルトラマンコスモス』。 

特別であるが故に安易に語れないこの作品が、これまでの自分にとって一体どのような存在だったのか、この熱に任せて振り返ってみたい。


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ウルトラマンコスモス』は2001年に放送開始した、21世紀初のウルトラマンシリーズTV作品。 

「怪獣を保護する慈愛のウルトラマン」という斬新な作風が好評を博したことなどを受けて放送期間が延長、全65話というシリーズ最長話数が放送されただけでなく、累計3つの単独劇場用作品が製作されるなど、数ある特撮ヒーロー作品の中でも類を見ない展開となった人気作だ。

 

そんな『コスモス』は、20代後半の所謂アラサーで、初めて1話から見たウルトラマンが前作『ウルトラマンガイア』だった自分にとってそれはもうド世代の作品。 

言うまでもなく自分は『コスモス』にドハマりしていたのだけれど、その理由は何よりもまずコスモスのデザインだったと思う。  

今でこそコスモスのデザインの素晴らしさについては山ほど語るトピックがあるものの、当時の感想は「青色大好き!!!!!!!!」がおそらく9割。ウルトラマンアグルV2や仮面ライダークウガライジングドラゴンフォームに目がなかった当時の筆者には「青色のウルトラマンが主役」というのがそれだけで嬉しかった。 

なのでお気に入りは当然のようにルナモード。その入れ込み具合は相当なものだったようで、当時の自分は家に入ってきたハエや蚊といった虫たちを必ず外へ逃がすようにしていたらしい。徳川綱吉かな?  

  

当然、デザイン以外に無関心だったなんてことはなく、幼い自分の目にも『コスモス』の内容は新鮮に映っていた。 

役割そのものが変わるモードチェンジ、太極拳のような独特の戦闘スタイル、カオス怪獣という新概念。そして何より「怪獣を保護する慈愛のウルトラマン」という斬新なコンセプト。 

柔和なモチーフで固められた各種メカニックや楽曲群なども含め、平成三部作とは全く異なる作風で展開される新たな『ウルトラマン』とその物語を、みんな大好きコスモスパン(ラムネ蒸しケーキ美味しかったな……)と一緒に楽しんでいた。


序盤ではイゴマス登場回の4話『落ちてきたロボット』がオチを含めて大好きで、ゲシュートが登場する10話『青銅の魔神』で「ストレス」という概念を学んだのをよく覚えている。 

中でも印象深いのは13・14話の前後編エピソード『時の娘』。幼心にどこまで理解していたのかは分からないが、レニとムサシの悲劇的な別離には当時から強いショックを受けていた。その影響で、ワロガは今でも大のお気に入りだったりする(支離滅裂な思考・言動)。

 

ショックといえば、外せないのが中盤の「実体カオスヘッダー」だ。 

『コスモス』が柔和/メルヘンチックな雰囲気で物語を作っていたこともあってか、その名の通り「混沌」を形にしたような禍々しい姿の実体カオスヘッダー=カオスヘッダー・イブリースの登場はとことん衝撃だった。  当時はそういった情報をテレビマガジンで仕入れていたはずなので、紙面を見てひっくり返っていたと思う。 

だからこそ、その直後に現れ更なる強さを見せたカオスヘッダー・メビュートはもう衝撃どころかトラウマ級の存在で。エモーショナルな画の多さとエクリプス登場のカタルシスもあってか、28話『強さと力』29話『夢見る勇気』30話『エクリプス』の通称「エクリプス3部作」は当時から大好きなエピソードだ。 

エクリプス誕生

エクリプス誕生

  

後半ではカオスウルトラマンのような強敵の登場エピソードが印象に残る一方、ノワール星人が初登場した『操り怪獣』も特に強く覚えている。

タケノコ狩りの帰りでウキウキだったテンションが一気にお通夜モードになったものの、夕陽の中で描かれるネルドラント・メカレーターとの悲愴な戦いは幼いながら惹きつけられるものがあったのもまた事実。優しい世界観がベースだからこそ、このようなエピソードの持つメッセージ性が浮き彫りになるのも『コスモス』の魅力だろう。  

エクリプス3部作や『時の娘』など同様、その委細は分からないながらも、現実の前に悩み、揺れ動くムサシの戦いに感情移入していたのだと思う。

 

その後『ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET』『ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE』という2本の映画作品を経て『コスモス』シリーズの展開は終了。 

しかし、主演の杉浦太陽氏の活躍もあって『コスモス』は高い人気と知名度を獲得し、その後もコスモスやムサシの客演がウルトラシリーズを賑わせることとなる。

 

 

2009年公開の映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』では杉浦太陽氏がムサシ役で6年ぶりに出演。残念ながら同作では顔見せ止まりだったが、3年後の映画『ウルトラマンサーガ』ではなんとコスモス/ムサシが準主役として登場。タイガやチームUたちを導く存在として成長した姿を披露し、コスモス世代としては(ルナモードで最後まで突っ走ることに首を傾げたりはしたが)まさにお祭り騒ぎ状態だった。 

以降もコスモス/ムサシは『劇場版ギンガS』『オーブ THE ORIGIN SAGA』とコンスタントに登場。加えて『ジード』では基本3形態の一つ「アクロスマッシャー」の融合素材に抜擢されたりと、「世代」のヒーローであったコスモスが平成の世を駆けてウルトラ史に定着していく様は、とにもかくにも感慨深いものがあった。

 

ウルトラマンコスモス(M-66)

ウルトラマンコスモス(M-66)

 

一方、筆者も子供から少年になり、少年から大人(めんどくさいオタク)へと成長していく中で、『コスモス』という作品の異端さ、そして同作がその躍進ぶりとは打って変わって賛否両論渦巻く作品であることを知ってしまった。  

そんな「賛否両論」を身をもって感じたのは約10年前、当時以来初めて『コスモス』を通して見直したあの時だ。

 

『コスモス』は、その最たる特徴である「怪獣を保護する慈愛のウルトラマン」というコンセプトが視聴者の間で物議を醸しただけでなく、スタッフ・キャストの中でも「本当にこれでいいのか」と度々悩みの種になっていたことが多くの書籍・イベントで語られている。 

当時はそんなことを感じもしなかったし知りもしなかったけれど、10年経って改めて見てみると、やはり「怪獣保護」周りで違和感を覚える点は非常に多かった。 

存在そのものが人類の脅威である怪獣を保護することの正当性や優先順位の解釈、そしてその保護基準など、怪獣保護というテーマは怪獣退治よりも遥かにデリケートな問題を星の数ほど抱えている。そんな概念を児童がメインターゲットの番組で扱うのは素人目にも困難なもので、結果的に番組中では「怪獣を傷付けること=悪」「怪獣を傷付けないこと=善」といった二元論寄りの形に押し込められがちだった。 
(劇中ではフブキや防衛軍などによる「現実的な視点」が用意されていたが、それらは意見の内容が怪獣保護に寄与するであろうものも含め、やや過剰に「悪」や「諦め」としてネガティブに演出・処理されていた) 

現実における人権問題と同じで、ただ無制限に権利を認めるだけでも、ただ権利を制限するだけでも真の「自由」には繋がらない。 

あまつさえ、相手は怪獣という「本質的に人間と相容れない存在」である。ならば、それこそ時に力で、時に優しさで持ってお互いの理想的な着地点を探っていかなければならないだろう。その模索に伴う痛みさえ「NO」とするのは、理想主義というよりも単なる臆病に思えてしまうのだ。

 

怪獣との共存という夢物語を現実のものにしたいなら、まずは現実的な視点でその夢に梯子を掛ける必要がある。にも関わらず、劇中で展開されるのは概ね前述のような「怪獣を傷付けること=悪」「怪獣を傷付けないこと=善」といった二元論。 

彼らの怪獣保護の着地点となったネオユートピア計画(遊星ジュランを開拓し、怪獣たちをそこで暮らさせる)も、それ単体で見れば怪獣保護という難題への回答としては現実的で説得力のあるものなのだが、「怪獣を傷付けること」を(共存のために必要な一歩として有益な試みだったとしても)軒並み否定し続けてきたムサシたちが掲げる答えという観点から見ると、「怪獣たちを元々の住処から追放することが果たして理想の共存と言えるのか」という重箱の隅をつつくような疑問が浮かび上がってくる。  

……といったように、『コスモス』における怪獣保護というテーマは「怪獣たちを傷付けずに共存することが理想であり正しさ」という極端な下地で描かれてしまったために、最終的にはそれが作品そのものの首を締めることになってしまっていたのである。


※『コスモス』本編や「怪獣保護」の是非については、こちらの記事が素晴らしく綺麗な形で纏めてくださっているので、皆さん是非ご一読を……!

www.bokuboku12.net


久しぶりに視聴したことで、『コスモス』がコンセプト上の致命的な問題点を抱えていることに気付いてしまった2011年の夏。 

当時既に(ともすれば今以上に)拗らせたオタクだった筆者としては、自分の中で特別な作品である『コスモス』には「思い入れがある作品」というだけでなく、心から「好きな作品だ」と大手を振れるものであってほしいというのが本音。 

拗らせたオタクは拗らせると止まらない。こればかりは他の作品のように「好きだけどそれはそれとしてここがダメだよね」と割り切ることもできず、長いこと頭を抱えることになってしまった訳で……。

 

ところが、そんな悩みを吹き飛ばしてくれたのもまた『コスモス』。具体的にはその完結編、映画『ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE』だった。 

  

『コスモスVSジャスティス』は、その名の通りコスモスとジャスティスの対立~和解がメインとして描かれる作品だが、主人公であるコスモス=ムサシは本編冒頭でジャスティスに敗北して以降、終盤で復活を遂げるまでなんとほぼ出番がない。  

そんなムサシ不在の中、中盤ではフブキを始めとする新生TEAM EYESやアヤノら元TEAM EYESメンバー、マリやギャシー星人たち劇場版で登場した面々、加えてリドリアスら鏑矢諸島の怪獣たちがムサシに代わって奮闘する姿が描かれる。 

ムサシの想いを継ぎ、ムサシから貰ったものを還し、ムサシのように諦めずに立ち上がろうとする彼らの想いがジャスティス=ジュリを動かし、やがてコスモス=ムサシの復活へと繋がっていくというのが主な流れだ。 

これらのように、『コスモスVSジャスティス』はコスモス=ムサシ本人ではなく、彼に夢を貰った者たちを中心に描くことで、TVシリーズのみならず『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』や『ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET』をも含めたコスモスシリーズ全体をわずか70分の尺でスマートに総括してみせる総決算的作品なのである。

 

 

そんな本作を鑑賞して出来の良さに唸らされる中、ふと気付いたのが(本っっっ当に今更なんですけど)「この映画に”怪獣保護”がほぼ関係ない」ということ。  

『コスモス』において大半の問題点の温床となってしまっている「怪獣保護」の概念。それは映画作品である『THE FIRST CONTACT』『THE BLUE PLANET』『コスモスVSジャスティス』の3作にはほとんど関わってこない。それ以前に、そもそも『コスモス』TVシリーズ本編においても、怪獣保護と繋がっていないエピソードはかなり多い。 

そう、「怪獣保護」は間違いなくコスモスの大きなテーマではあるが、それは劇場版まで含めた『コスモスシリーズ』という観点で見れば大テーマの中にある小テーマに分類されるものだと、筆者はこのタイミングでようやく気付かされたのだ。

 

では、本編やこの劇場3作品を通して一貫している大テーマとは何なのか、それは言わずもがな「信じれば夢はかなう」というメッセージだろう。  

先程問題点を指摘した『コスモス』本編だが、前述の通りその問題点の多くは「怪獣保護」という小テーマに絡んでのもの。もう少し距離を置いて作品全体を俯瞰すると、見えてくるのは「ムサシが夢を信じ、時に悩み、挫けながらも諦めずに走り続けたことで、遂にはコスモスさえも越えた真の勇者になる」という「信じれば夢はかなう」というメッセージを地で行く物語。  

特撮ヒーロー番組広しと言えど、こうも一貫して「主人公が夢を叶えるまでに至る物語とその成長」を描き切った物語は少ないだろうし、少なくともこの点において『ウルトラマンコスモス』という物語の美しさは頭一つ抜きん出たものがある。 

 

前述したように『コスモスVSジャスティス』では、そんな「夢を叶えた存在」=ムサシの想いを継ぐ者たちの物語が描かれる。 

決して諦めず、理想を信じ貫こうと奮闘するフブキ。かつてムサシがコスモスにそうしたように、ムサシへ思い(光)を届けるアヤノたち。彼ら「ウルトラマンでない者」たちの信じる心が次々と不可能を覆していく様は、『コスモス』の描いてきた「信じれば夢はかなう」というメッセージが決してウルトラマン=ムサシに限った話ではなく、彼から夢を信じる心を受け取ったごく普通の人々=『コスモス』の視聴者たちにも言えることなんだと改めて示しているように思えてならない。  

そしてこのことは、最初の劇場用作品『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』で打ち出されていたメッセージでもある。  

 

同作は「夢を信じ続けるという一点を除けば平凡な少年」であるムサシが、夢を信じ続けたからこそ奇跡に出逢う物語。知らず知らずのうちに夢は夢だと割り切り、俯いてしまっている現代の老若男女に向けて、「夢を持つことの大切さ」を届けてくれる傑作だ。 

 そんな『FIRST CONTACT』を経て夢への一歩を踏み出したムサシ。彼が苦難の果てに夢を叶えることで、その仲間たち、そして視聴者に「信じれば夢はかなう」という精神が受け継がれていく。この精神、そしてその継承こそが「怪獣保護」という敷居の高いテーマと闘う製作陣が示したかったもの=『コスモス』という作品の本懐なのではないだろうか。

 

思えば、幼い自分が『コスモス』という作品で見ていたのは「怪獣保護」という命題への回答やその正当性といった小難しい話ではなく、現実の壁にぶつかり、折れそうになり、それでも夢を信じて立ち上がり続けるムサシたちの背中だった。幼い自分でも最終回『真の勇者』で起きた奇跡に心から感動することができたのは、そんな彼らの諦めない姿に心を打たれていたからなのだろうと思う。  

『コスモス』が示した「信じれば夢はかなう」というメッセージ。その眩しさが自分の中でずっと色褪せないからこそ、自分の中で『コスモス』は大切な存在であり続けていたのだ。  

そのことに気付けた今なら、はっきりと言うことができる。「『コスモス』は至らない点こそあるけれど、自分にとっては大好きで大切な作品だ」と。

 

 

『コスモス』から20年。今やすっかりアラサーの自分は、夢を信じてそれを叶えることができただろうか……と思うと、正直とても胸が痛い。 

夢を叶えるためには(それこそムサシのように)夢自身を知り、世界を知り、自分を知らなければならない。その努力を怠ってしまったのだから、この結果は当然のものだ。 

ただ、それでも「夢を持ち続けること」だけは止めなかった。そのおかげで掴めたものは数知れないし、辛いことにも立ち向かうことができた。自分がそう在れたのは、間違いなく『コスモス』のおかげだろう、

(ヒーローオタクのサガとして)辛い時はいつもヒーローたちが支えてくれたが、そういった意味では他ならぬ『ウルトラマンコスモス』こそが、自分を最も助けてくれたヒーローだったのだ。冒頭で触れたイベント『ウルトラマンコスモスナイト』の中ではそんな思いが湧き上がって、何度も何度も心の中で「ありがとう」と叫んでいた。

 

High Hope

High Hope

 

世界が大きな苦難に見舞われている中ではつい忘れそうになるが、人が生きていくことは、本来それだけでも過酷かつ難しいことだ。 

そんな人生を進んでいくために必要なものこそ、「優しさ」「強さ」「勇気」そして「夢を信じて努力し続けること」。それらの大切さを『ウルトラマンコスモス』という物語は教えてくれる。  

 

もし、生きていく中で大切なものを見失ってしまった時、僕らにはそれを教えてくれるヒーロー、ウルトラマンコスモスがいる。こんなご時世だからこそ、もといこんなご時世が終わりを告げたとしても、今はまだ彼に学びつつ前に進んでいきたい。いつの日か夢を叶えて、胸を張って『コスモス』から独り立ちできるようになるために。

 

【感想 ダンガンロンパ3】裁判そっちのけで戦う異色作は最高の『完結編』だった


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2020年某日。『ダンガンロンパ1・2 Reload』をクリアしてから2週間。冷めやらぬ熱をブログの記事にしたためていた所に、突如とんでもない報せが舞い込んだ。



スーパーダンガンロンパ2』の続編にあたるTVアニメ作品ダンガンロンパ3 -The End of 希望ヶ峰学園-』がYouTubeにて期間限定で無料配信???????? 僕はなんて幸運なんだろう……!(緒方恵美

 

そんな訳で早速『ダンガンロンパ3』を視聴・完走したところ見事発狂。発狂したら(約1年越しだけど)日記を残すのはホラーゲームでは常識……ということで。  

以下はしがないオタクのコロシアイ生活視聴記、『ダンガンロンパ3 -The End of 希望ヶ峰学園- (以下“3”と記載)』編になります。ネタバレ注意!

 

※『ダンガンロンパ』シリーズの過去記事はこちらから!

kogalent.hatenablog.comkogalent.hatenablog.com

 


ダンガンロンパ3 -The End of 希望ヶ峰学園-f:id:kogalent:20210728175622j:image

『3』はPSP用ゲームソフトであった『無印』『2』と異なりTVアニメとして製作された作品。主要スタッフはほぼ『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 The Animation(以下“無印アニメ”)』のメンバーという安定の布陣だ。

特筆すべきはその番組構成で、苗木たち希望ヶ峰学園卒業生の生き残りが所属する「未来機関」で行われる新たなコロシアイゲームが舞台となる『未来編』と、狛枝たち77期生が絶望に堕ちるまでを描いた『絶望編』の2編が同時に放送され、最終的に『希望編』という真の最終回で全てが結実する、というものになっている。

(YouTube配信は各編の1~6話を「前編」、7話~最終回を「後編」とまとめて行われていた。一挙放送という都合やBlu-ray販促の為だろうか)

 

『2』をアニメ化せずに、その続編であり前日譚でもある『3』を製作した理由については諸説あるが、有力なのは『2』の「プログラム(ゲーム)内世界での物語」という事実が肝となるシナリオ構成、そしてもう一つは「彼」の存在と考えられる。  
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これはアウトですね、間違いない……。

(冗談みたいな話だが、著作権上の問題からか『3』では彼の名前が“封印されし田中”になっている。なんだその美味しすぎる処遇……?)


そんな特殊な背景で描かれる『3』は総計2クールに膨大な情報量が詰め込まれた作品で、その全てに言及していくとキリがない。なので、ここでは特に『2』の先の物語にあたる『未来編』、中でも、我らがシリーズ主人公「苗木誠」が紡いだ物語にスポットを当ててみたい。

 

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『未来編』は、『無印』のコロシアイ学園生活と『2』の江ノ島アルターエゴ事件を経た苗木が主人公となっており、物語はまさにその直後、日向たちをジャバウォック島に残してきたことを糾弾される場面から幕を開ける。つまり話としては『無印』『2』と地続きなのだが、その雰囲気は前2作と全くの別物だ。 

 

その大きな要因は、主題歌とその映像からも分かる通り、前2作に共通していた『ダンガンロンパ』のアイデンティティーである「サイコポップな世界観」が廃され、より陰鬱とした世界観になっていることだろう。  

ダンガンロンパ』らしいデザインのキャラクターたちが、正体不明の襲撃者によって次々と「赤い血」を流し死んでいく様は、さながらサスペンスホラーのような恐怖に満ちていた。 

筆者はグロテスク描写への耐性もホラーへの耐性もない(とある小説の、手首を切り落とす描写で貧血を起こすレベル)ので、凄惨な死に様もそのサイコポップさのおかげで見れていた、というのが正直なところ。 

それがなくなった以上、残る心の支えは推しの存在。オタクは推しがいればどんなことにも耐えられる強靭な生命体……! 幸い、この『3』には見た目も中身もドツボなキャラクターがおりまして。  

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その名も雪染ちさ。

ポニテ……ビジュアル……少し天然の入ったお人よし……未来機関の良識(癒し)担当お姉さん
……CV.中原麻衣……ご、500000000000000000兆点……ッ!!!!!!!!!!!    

彼女は『未来編』『絶望編』の両方に登場するキーマンで、後者ではなんと新キャラながら主人公を務めるのだという。はい神アニメ。

 

『無印』からお馴染みの朝日奈もなんと『3』で本格的なポニテデビューを果たしていたのだけれど、なんとなく死にそうな予感がしていたので目を逸らし、『絶望編』の主人公なのでまあ死なないだろうと思っていた彼女を(予防線は張りつつ)応援する腹づもりでいざ視聴開始。 

  

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1話で退場…………………………………?????????????????????????????????

 

分かってはいたんですよ。ダンガンロンパで推しに出会ったら終わりだと。でもよりによって(もう1つのシナリオの主人公なのに)最初の犠牲者。そんなことある??????????

『無印』の不二咲といい『2』のペコといい、推しが序盤で死ぬジンクス何とかなりませんかね……(ならない)


と、まあそういう個人的な事情はさておき、『未来編』の異質な雰囲気を作っているのは前述した「サイコポップな世界観の廃止」だけではなく、大きな要因として「前2作と全く異なる状況下で行われるコロシアイゲーム」がある。 

具体的には「ルールはNG行動とタイムリミット、勝敗条件についてのみで後は自由」「人間関係が予め出来上がっている」という2点によって、「襲撃者」による殺人の発生に関わらずキャラクターたちが憎しみあい、常時コロシアイが行われるという地獄絵図が発生してしまっている。もはやデスゲームというよりも『未来機関』の内部紛争だ。

 

宗方は逆蔵と組み天願らと激突。忌村と十六夜は流流歌を巡る因縁から死闘を繰り広げており、苗木・朝日奈・月光ヶ原の逃避行組や、霧切・黄桜・御手洗の捜査組が行く先々でそのような異能バトルに巻き込まれてしまう。 

しかも彼ら未来機関のバトルは(全員が元「超高校級」なので当然と言えば当然だが)武器、超能力、肉体強化と何でもありで、終始繰り広げられる戦いのとんでもない苛烈さには「俺は今何のアニメを見ているんだ……?」とスペキャまっしぐらだった。  

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世界観やキャラクター、コロシアイゲームという共通項こそあれ『無印』とも『2』とも全く異なるバトル中心の作風は、苗木の活躍シーンが一向に訪れないこともあって、正直「これはダンガンロンパなのか?」「ダンガンロンパでやる必要があるのか?」と思うものだったことは否めない。 

しかし、スタッフはおそらくそういう感想を持たれることも織り込み済みだったように思う。なぜなら。この『未来編』は、そんな「ダンガンロンパらしからぬ舞台」でしか描けないものを描いた物語となっていたからだ。 

それは「武力と怨恨渦巻くコロシアイの中でも、苗木誠が“超高校級の希望”であり続けることができるか」という命題。  

『未来編』は、この命題=『無印』終盤において苗木が突き付けられた「絶望に侵された“外の世界”でも尚、“超高校級の希望”であり続けることができるか」という命題の、言わば「実証編」。苗木にとっての最後の試練となる『ダンガンロンパ完結編』に相応しい物語になっており、そのことは1話で他ならぬモノクマ自身の口から宣言されていた。

「うぷぷぷ……。ささ、苗木君。今から始まるのは、人類の命運を賭けたコロシアイ……希望と絶望の最大最後の戦いだよ。大袈裟だって? いやいや…そんなことはないよ。だって、そう……この戦いこそが、キミとボクの完結編なんだからね」

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そんな苗木は、『未来編』(の特に序盤)においては非常に影が薄い。
『無印』ではそのポテンシャルを発揮して数多の学級裁判を打開してきたものの、今回行われるのはほぼルール無用のバトルロイヤル(物理)。あちこちで休みなく争いが起こるだけでなく「裏切り者=襲撃者候補」とされる苗木もまたその攻撃対象であるため、戦闘力において圧倒的に凡人である彼は、推理する間もなくただ逃げ回るばかりで、とても主人公とは呼べない立ち振る舞いを強いられてしまっていた。 

そんな彼をして「コロシアイ学園生活で苗木が超高校級の希望であれたのは、あれが“ルールが定められたゲーム”だったから。現実では何の意味も力もない」と言い放つのが『3』新規キャラクターの1人である宗方京介だ。  

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未来機関の副会長であり、元「超高校級の生徒会長」である宗方は、特殊な力こそ持たないものの、刀剣を使いこなして常人離れした高い戦闘能力を発揮する。生徒会長とは……? 

彼の行動理念は「希望のために絶望を殲滅する」ことであり、方法こそ違えど「希望の担い手」と言える存在。前述の通り苗木の影が薄いことや『未来編』が雪染の死から始まることもあって、前半はまるで主人公のような雰囲気を醸し出していた。 

事実、次々と未来機関の幹部たちが死に行く中で何もできない苗木に対し、宗方はただ1人コロシアイゲームの核心へと近付いていく。この「主人公感の差」は、さながら宗方の主張(苗木の精神論的な希望は、過酷な現実の前では無意味)に対し苗木が反論できない状況を具現化しているようでもあり、その構図が『未来編』中盤まで続くことになる。  

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この「主人公交代」然とした状況において、宗方と苗木、それぞれのターニングポイントとなるのが「人の死」である点には本作の『ダンガンロンパ』としての本懐を感じた。 

中盤、宗方は相討ちに近い形で未来機関の会長=天願を下すが、その際に彼から「襲撃者はひとりではない、あえていうならこの場の未来機関全員だ」という真実を告げられることになる。 

これはコロシアイゲームの犯人/殺人者である“襲撃者”の正体が「特殊な映像により洗脳され、自殺を行う被害者自身」ということを指した言葉だったが、ゲームの首謀者である天願はおそらく意図的に「宗方以外の全参加者が絶望に堕ちている」と聞こえるように言ったのだろう。  

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(しかもこの時、天願が自身のNG行動”質問に嘘で答える”を明かすことで、それが「嘘ではない」ことを証明している) 

天願を手にかけてしまったことに加え「雪染が絶望に堕ちていた」という事実(この点は紛れもない真実なのがまた厄介)に苦しむ宗方は天願の誘導にまんまと乗ってしまい、自分以外のメンバーを全て排除することを目的とする絶望の徒へと変貌してしまう。絶望を憎むあまり、自らが絶望を生むものになってしまう様はあまりにも皮肉だが、とても『ダンガンロンパ』らしいシチュエーションだ。


「天願の死」がターニングポイントとなった宗方。その一方で、自らの無力さに苛まれる苗木には「霧切の死」という最悪の事態が襲いかかり、そこで彼の「超高校級の希望」としての真価が問われることになる。  

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苗木は『未来編』冒頭から「超高校級の希望」として扱われ、祀り上げられるかのような様子が何度も描かれるが、無論自分自身にそのような自覚はなく、それ故に彼は「英雄視される自分」と「無力な自分」とのギャップに悩み続けていた。 

『無印』終盤において、真実を突き付けられて絶望に暮れる仲間たちを立ち直らせた苗木の力、即ち「希望の力」が、結局は恐怖や暴力という「外の世界の現実」の前に成す術もないという現状。宗方の主張の通り、苗木の精神論的な「希望」は、過酷な現実(絶望)の前では無意味なのか? 

この『無印』から続く命題に対して、本作では明確に「NO」という答えが島されたように思う。その鍵になるのが「仲間たちとの絆」だ。  

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勿論「仲間たちとの絆」というのは『無印』時代から苗木が前に進む原動力であり、『3』序盤でも苗木自身がそのことを口にする場面がある。

「僕には仲間がいる。だから、たとえどんな辛い事があっても、みんなで一歩ずつ歩いて行ける。先に何があるかはわからない、それでも僕らは足を止めない。希望は前へ進むんだ」

この時点で苗木は「仲間との絆」を原動力にしてはいるが、厳密には「仲間と一緒なら、自分たちは折れることなく進める」というまさしく精神的な話になっており、折れそうな自分を支えるための支えという域を出ていない。『無印』終盤と同じ台詞ではあるが、江ノ島に「希望」を叩き付けたあの時とは意味合いが違っていると言えるだろう。 

そんな「折れそうな自分を支える」ので手一杯な苗木を真に奮い立たせることになったのが、他ならぬ仲間の一人=霧切だ。

苗木「今まではもっと自分にもできることがあると思ってたんだ。でも、僕はここでは無力だよ……。宗方さんが言うように、僕の言葉には何の力もないのかも。でも……」  

霧切「私はそうは思わない。あなたの信じた言葉の力は、みんなの希望になってきたじゃない? 私だってその一人よ。自分に自信を持って。ちょっと前向きなのがあなたの取り柄でしょ?」 

(中略) 

霧切「希望は伝染する。貴方一人で足りないなら、私たちがいる。貴方の後ろにはみんながいるわ」

苗木の取り柄=力とは「人よりもちょっと前向き」なその性格。その前向きさこそが、絶望に打ち勝つ希望のトリガーになってきた。
宗方のように、苗木自身が誰よりも強くある必要はない。苗木に必要なのは、武力ではなく「自分の弱さ(=絶望)を受け入れて、仲間を頼る」こと。絶望の中で折れたとしても、仲間の手を取って立ち上がり、希望の担い手として世界に希望を広げていくこと。  

宗方は世界から絶望を消し去ろうとしたが、希望の徒である天願や宗方自身が希望を求めた果てに絶望へ堕ちたように、人間が人間である限り、世界から絶望が消え去ることはない。本当に理想論を語っていたのは、むしろ「絶望を残らず消し去る」ことを掲げた宗方の方だったのだ。  

決して消えることのない世界の絶望に対してできることは、絶望を残らず消し去ることではなく、皆が絶望を受け入れられるように/絶望しても再起できるように希望を広げていくこと。 

そして、そのトリガーになれる才能を持った人物こそが苗木その人。彼が希望を生み出し、その希望が仲間たちへ、仲間たちからその周囲の人々へと次々に伝染していくことで、最終的に何より大きな力を作り出す。それこそが「超高校級の希望」の真価であり、世界を覆う絶望に対するこの上ない対抗手段なのだろう。  

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霧切の言葉を受けて、自分の成すべきことに気付かされた苗木。 

彼は霧切の死によって絶望に堕ちかけるも、朝日奈、十神、こまるらとの絆、そして霧切自身が最期に残した「何があっても、絶対に希望を諦めないで。私はいつも貴方の傍にいるわ」というメッセージによって再起し、遂に宗方と正面から対峙することになる。 

無力と絶望に沈みながらも仲間たちの想いを受けて立ち上がっていく苗木の姿は、さながら『無印』最終盤の意趣返しのよう。『無印』では苗木が霧切らの絶望を希望に変えてみせたが、『未来編』では逆に霧切ら=「苗木に救われた仲間たち」の希望が彼に伝染し、その絶望を希望へと変えてみせたのだ。

 

弱さ(絶望)を受け入れる=仲間に頼ることで何度でも立ち上がり、大きな希望を創っていく苗木。弱さ(絶望)を切り捨て/拒絶し、結果絶望を生むものに堕ちてしまった宗方。「同じ希望の担い手でありながら相反する2人の激突」はどこか『2』の日向と狛枝のようでもあり、「超高校級の希望」である苗木の最後の試練として。これ以上ないクライマックスと言えるだろう。  

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こうして宗方が絶望を生むものに堕ち、苗木が希望を生むものとして再起したことで両者は雌雄を決することになる。容赦のない武力で追い立てる宗方に対し、自分自身の在り方を思い出した苗木は、これまでのようにただ説得を試みるのではなく「知恵と推理と言葉(言弾)」という武器で戦いを挑む。  

そんな苗木の姿は『ダンガンロンパ』を背負う主人公に相応しいものであるだけでなく、良くも悪くも原作ゲームをそのままアニメ化した『無印アニメ』に対し、全く異なるアプローチによる新たな『ダンガンロンパ The Animation』の完成形とでも呼ぶべきものだった。

そんな激戦の果てに、苗木は宗方の行動から彼のNG行動が『扉を開ける』ことであると見破り、その攻撃を封殺。話し合いの場を設けることで、遂に彼の絶望を論破してみせる(ここで遂に「それは違うよ」と言い放つ苗木に咽び泣くオタク)。  

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こうして苗木は宗方の説得に成功。『未来編』におけるデスゲームは、一旦の決着を迎えることとなった。

 

序盤こそ『ダンガンロンパ』らしからぬ「力が全て」の様相が描かれた『未来編』だったが、約10話に渡る試練を経て更に成長した苗木は、最後の最後に主人公としてこの上ない『ダンガンロンパ』を見せてくれた。  

この戦いをもって、ようやく『ダンガンロンパ』のナンバリング作品=苗木誠の続章として、そして苗木/宗方による希望と絶望の群像劇としても完成される『未来編』。この先のエンディング(希望編)を待たずとも、この時点で本作は「素晴らしい『3』だった」と言えるものに仕上がっていたと思えてならない。

 

Recall THE END

Recall THE END

 

このように『無印』から更に一歩踏み込んだ物語を展開した『未来編』だったが、一方では、1クールという尺に「15/6人によるデスゲーム」というシリーズのフォーマットを「バトルもの」という形で盛り込むことに四苦八苦している様子も多く見られた。

 

「四苦八苦」の内容として大きいものは、多くのキャラクターが描写不足のままに終わってしまった点だろう。  

万代は何をするまでもなくNG行動違反の見せしめとして退場し、中盤まで死闘を繰り広げた忌村、十六夜、流流歌の三人は終盤に差し掛かった所で因縁を消化しきれぬままに全滅。(過去作キャラなので掘り下げの必要はないと言えばないが)葉隠に至っては、メインビジュアルで描かれているにも関わらずそもそもデスゲームへの参加さえしていない。らしいと言えばらしいのだけれど、それはそれ。 

中でも、黒幕であった天願は描写不足が特に響いたキャラクターのように思える。f:id:kogalent:20210728201332j:image

未来機関の会長にして黒幕であった天願和夫。彼は『未来編』では「老衰したように見せて未だに切れ者」という美味しいキャラクター性を活かし、皆のまとめ役をこなしつつ主人公格の宗方と真相を巡って火花を散らすなど、まさに獅子奮迅の活躍を見せていた。宗方と相討ちでその命を散らす一連は、劇的な演出も相まって『3』名シーンの一つに数えられるだろう。
『絶望編』においても、彼はカムクライズルプロジェクトに臨もうとする日向を諭すなど人格者たる一面を見せ、非常に美味しい役回りを担っていた。  

だが、そんな彼こそが「御手洗に絶望的な状況を突き付けて“希望のビデオ”を使用させ、全人類を洗脳することで“超高校級の絶望”を根絶する」ことを目的にコロシアイゲームを開始した張本人であった。  

ところが、彼が絶望に堕ちた描写はなく(雪染に渡された「絶望のビデオ」についても、どういうものか分かった上で、しかもサンプルとして受け取っているため、誤って見たという可能性は低い)、他の絶望に堕ちたキャラのような目の変化演出も見られなかった。 

これらのことから察するに、天願は「正気で」件のデスゲームを開いたのだと考えられる。3話では彼自身が「強すぎる希望は時に絶望に近付くものだ」と言う場面があるが、これは宗方だけでなく彼自身にも言える台詞だった……というのが真相なのだろう。  

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宗方を含め、多くの人に尊敬される希望の担い手/良きリーダーであったはずの彼が、満面の笑顔で「悲しくて、悲しくて、ついやってしまったんだ」と真相を明かすシーンは、衝撃的でこそあるが如何せん前振りが足りておらず、ミスリードにしてもやり過ぎな感が否めない。 

更に「録画だった」というモノクマの映像をどう作ったのかなど、黒幕としての天願については説明不足な点がかなり多い。消化不良な点こそあるが物語として一定の完成を見せていた忌村らの一連と比較すると、天願の描写不足は(根幹に関わるだけに)非常に手痛いものだと言えるだろう。  

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他にも「バトルもの」とダンガンロンパという作品の食い合わせが悪い結果、延々とバトルが繰り広げられている状況そのものに違和感があったり、過去作の直系の続編ながら雰囲気を大きく変えたことの是非など細かい批判点が多く見られる『未来編』だったが、本作はそれ以上に多くの魅力を放っていたように思う。

 

DEAD OR LIE

DEAD OR LIE

 

前述した本筋の完成度は勿論、『無印アニメ』とは異なるダークテイストに舵を切ったOP・ED両主題歌や、過去作のアレンジBGM(主に毎話の引きで使われた『オールド・ワールド・オーダー』などはとりわけ印象深い)は、これまで以上に殺伐で陰惨としたデスゲームと非常にマッチしていたし、実質的な『絶対絶望少女』のアニメ化などの凝ったファンサービスも違和感なく作品に溶け込んでいた。 

ある意味『ダンガンロンパ』の見せ場と言える死亡シーンも、ある種の美しささえあった忌村の最期や、「因果応報」を体現するかのように「誰よりも寂しく、誰よりも無惨に」死亡する流流歌、自らの命を投げうって霧切を救う黄桜など本作ならではの魅力的なシーンが多く、何より『絶望編』とのリンクによって真実が明かされていく展開には他に類を見ない独特の見応えがあった。  

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そして何より、この『未来編』が『3』のナンバリングに相応しいポテンシャルを備えた作品であることを象徴するのが『希望編』における苗木の最後の決断だ。  

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『未来編』での試練を経てまた一つ成長を遂げた苗木。一方で彼は、これらの戦いによって「希望の危うさ」をも学ぶこととなった。 

彼が『3』で戦った相手は、宗方然り、コロシアイの首謀者である天願然り、いずれも「希望を求めた者」だった。希望を求め、絶望を世界から無くすことを目指し、その果てに自らが絶望を生むものになってしまった彼らから苗木が学んだのは「世界から絶望が消えることはなく、だからこそ絶望は消すのではなく受け止めていかなければならない」という現実。  

”超高校級の希望”として戦い続けてきた苗木が「希望と絶望の双方の肯定」という答えに辿り着く様は、彼が大人として大きな成長を遂げると同時に、「希望と絶望の向こう側」へ先んじて辿り着いていたもう1人の主人公=日向創と同じステージに立った瞬間でもあった。  

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「未来なんて、誰も見たことはない。僕らの行き先は、いつだって灰色の曇り空だ。希望も絶望も入り交じって、どっちがどっちだか分からない。それはとても怖いことだけど……でも、待っているだけじゃ何も変わらない。何が起きるか分からない未来の中に、僕たちは、一歩ずつ進んでいく。大切な人のことを思いながら、空を見上げて、明日はきっといい日になる、って思いながら」

苗木の成長、そして『3』の物語を総括するこのセリフが印象的な『希望編』のラストシーン。希望と絶望の狭間にある「未来」に異なる方向から辿り着いた2人の主人公は、方や世界の希望、方や世界の絶望の担い手として再出発することになる。「無垢な希望でも絶望の象徴でもなく、希望と絶望のどちらをも知り、受け止められる者こそが未来の担い手になれる」という、まさにシリーズの集大成とでも呼ぶべきエンディングだ。
(このエンディングを踏まえると、苗木が宗方と『2』の再演とも呼べる物語を展開したのは、苗木が日向と同じ場所に立つために必要なある種の必然だったのかもしれない)

 

 


視聴から1年近く経っているにも関わらず、内容を鮮明に思い出せた『3』。思うところこそあっても、自分にとってはとても「好みの作品」だったなぁ、と思う。 

本作は評価・好みの分かれる癖の強い作品には違いないが、苗木を主人公として『無印』のその先を描きつつ、希望と絶望の双方の肯定、そして「弱くてもいい」という『2』のテーマをアニメとして再生産するその物語は、まさしく『3』のナンバリングを背負うに相応しいものだったと言えるのではないだろうか。  

 

『2』が好きな身としては『絶望編』と『希望編』もしっかり振り返りたいところなのだけれども、前述の通りキリがなくなってしまうし、特に希望編は単なるオタクの叫びにしかならないのでここは割愛。 

なんだかんだで『無印』『2』『3』と続けてきたダンガンロンパの感想シリーズ、次は『ニューダンガンロンパV3』の記事でお会いしましょう。今度こそ推しが生き残る未来を夢見て……!!!!

 

 

『ウルトラマントリガー』を信じて見守りたい3つの理由


2021年7月10日、遂に始まったウルトラマンシリーズ最新作『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』。
……びっくりするほど賛否両論ですね!!!!!!

 

ネット・SNSの評価をリアルタイムで見ながらウルトラマンシリーズを視聴するようになったのはちょうど『ギンガ』からなのだけれど、個人的には2話時点でここまで賛否両論(荒れている)のは初めてなように思う。

正直「そうなる理由も凄く分かる」というのが本音で、筆者自身も『トリガー』の今後に不安を感じている一人だったり。


しかし、そんな状況下でも『トリガー』を信じて見守っていきたいというのが一番の気持ち。なぜここまで『トリガー』に期待をかけるのか、自分自身の備忘録としての意味合いも兼ねて、特に大きな「3つの理由」についてざっくばらんに書いていきたい。

 

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そもそも『トリガー』がなぜこんなにも早く賛否両論状態になっているのか。理由を挙げていくとキリがなさそうだが、主なものはこれまた3つに集約されると思っている。


①脚本の問題
・(特にケンゴの)違和感のある台詞回しや独り言
・駆け足な展開(特に2話)
・未だに方向性がはっきり見えてこない物語
・トリガーの名前はカルミラから知るのに台詞は最初からバッチリな初回変身など、細かなツッコミどころの多さ

 

②偉大すぎる前作(ウルトラマンZ)の存在
・『Z』でそもそもの視聴母数が増えている
・『Z』は1話/2話が共に隙がなく、演出・脚本などあらゆる面で優れたエピソードだった(作品の方向性がはっきり示されていたことも大きい)
・『Z』の実質的な後番組である以上。その成功(とそこに至らしめた様々な功績/要因)を踏まえているのが「当然のスタンス」として求められる前提

 

③『NEW GENERATION TIGA』の不明瞭さ
・リメイクなのかリブートなのか、あるいはそれ以外なのか不明瞭
(坂本監督の「『ティガ』が与えたインパクトを再び」という発言も槍玉に上がりがちな印象)
・(スーツ事情などのやむを得ない点を除いても)ごった煮状態の『ティガ』要素と『ティガ』らしからぬ要素
・『ティガ』を冠した上で上記のような様々な問題が露見している現状


……悲しいけれど、概ね納得できてしまうのが正直なところ。

初めて見たウルトラマンが『ダイナ』で、『THE FINAL ODEYSSEY』の時期に『ティガ』再放送をリアルタイムで追いかけていたという生粋のTDG世代オタクではあるものの、個人的には『ティガ』という作品との関係性よりも「『Z』の成功を踏まえて作られているのかどうか」の方が懸念点。

 

ウルトラマンZ』の魅力は数あれど、その最たるものの一つはやはり故・吹原氏と田口監督による緻密な脚本/シリーズ構成や各話脚本の徹底した監修といった文芸面へのこだわり。
そんな『Z』の後番組なのだから最低限そこだけでも踏襲してほしい……と思っていたので、2話の駆け足展開は中々にショックだった。展開そのものというより「ひょっとして製作陣は『Z』がなぜあそこまでウケたのか分かっていないんじゃないのか」という不安が拭えなくなったことがショックだったのだ。

 

1話であれば、「つかみ」の弱いアバンタイトル(『Z』の田口監督は、YouTube全盛の時代だからこそと最初のつかみ=ゴメスのシーンに並々ならぬこだわりを注いでいた)や少し冗長な戦闘。

2話であれば、トリガーへの変身に対して深く考えている様子の見えないケンゴやあっさり負けてしまうギマイラ……など、一度引っかかると次々見えてきてしまう細かい粗がその不安を拭わせてくれず、現状、不安が7割ほどの状態で3話の視聴を迎えようとしている。

 

 

では残りの「3割」が何なのかというと、それこそが記事タイトルの「『トリガー』を信じて見守りたい3つの理由」に基づく今後への期待。

 

不安不安と散々喚いてきたが、それでも『トリガー』は面白くなる、と信じられる3つの理由。1つ目は、本作のシリーズ構成が『ハヤシナオキ氏×足木淳一郎氏』のコンビであることだ。

ハヤシナオキ氏の作品には恥ずかしながら触れたことがないのだけれど、担当された作品は

・実写版を坂本浩一監督が手掛けた
『BLACK FOX(アニメ版)』

・人気ホラーゲームの続編(?)アニメ
ひぐらしのなく頃に(業/卒)』

・“泣きゲーの金字塔”と呼ばれる名作ゲーム 『Kanon

……など錚々たるラインナップで、体感はさながら『仮面ライダー鎧武』のメインライターに虚淵玄氏が登用された時のよう(虚淵氏もアニメ・ゲーム畑の名物ライター)。

特に『ひぐらし~』などはその難解な謎解きが当時から話題になっている人気作品であり、比較的ハイターゲット向けの色が濃く、緻密な世界観構築が必須であろう『トリガー』にはピッタリの人選じゃないか、と思えてならない。

 

しかし、そんなハヤシ氏は一方で「特撮畑のライターでない」という大きなハンデを抱えている。更に『トリガー』においては(同作がどういう方向性を目指すとしても)『ティガ』という作品の熟知が欠かせない。そんな窮地を救うかのようにタッグを組んだのが、他でもない我らが足木淳一郎氏!

 

本記事を読まれている方には説明不要と思うが、足木氏は『ウルトラマンフェスティバル』などのイベント/舞台作品や『ウルトラマン列伝』などへの脚本・演出参加を経て、『ウルトラゼロファイト(第2部)』において初めて本格的な映像作品の脚本を執筆。

以降『ウルトラファイトシリーズ(ニュージェネ)』などを手がけた他、『タイガ』ではTVシリーズの実質的なライターデビューを果たしつつ(それまでは番外編や総集編のみの参加)タイタスらU40組の出世にこれでもかと貢献された、円谷が誇る名ライター兼人類史上最強のU40オタクである(?????)

そんな足木氏が『トリガー』にうってつけと言える一番の要因は、氏の「題材となる作品の設定や文脈を汲み取って作品に昇華させる手腕」である。


往々にして、ヒーローの客演においては「描写に割く時間が惜しい」「新規層への配慮」など様々な理由から各作品の細かな設定・文脈の描写は割愛されがちだが、足木氏はそこに強いこだわりを持たれており、更にはその設定を「物語性」に昇華させることができる稀有な脚本家だ。

大ファンを公言する『ザ☆ウルトラマン』の設定をふんだんに取り入れ、ドラマチックな「公式外伝」を描いた『ザ☆ウルトラマンタイタス(ボイスドラマ)』や、『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』において、ジードがギンガらと力を合わせてゼロビヨンドへの変身カプセルを生成。粋なコメントを添えて「ニュージェネによるゼロへの恩返し」を行うシーンなど、その例は挙げればキリがない。

更に、そんな「足木流」の極致とも言える最新作『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』では、ウルトラマングレートウルトラマンレジェンドなど、多種多様なヒーローたちの設定や文脈を盛り込み、華麗に捌きつつ壮大な物語を練り上げるという離れ業をやってのけた。
(これで筋金入りのウルトラオタクという訳ではなく、ほとんどのシリーズは『ウルトラマン列伝』への参加を通して学んだというのだから驚きである)

 

実力派ライターでこそあれ、特撮畑とは縁のなかったハヤシナオキ氏。そしてウルトラで脚本を書き続けてきた「設定に強い」ライターである足木淳一郎氏。
考えれば考えるほど、この2人ほど『トリガー/NEW GENERATION TIGA』を描くにあたってふさわしい人選があろうか、というもの。

……なら、なんで1.2話があんな感じだったのかと言われると、それはおそらく門外漢であるハヤシナオキ氏が不慣れな状態で脚本を執筆したことが大きな要因だろう。「『Z』に倣って監督などがしっかり脚本を精査すべきじゃなかったのか」と言われると返す言葉もない。ただし、だからといって『トリガー』がこの先もずっと同じ醜態を晒し続けるとも限らない。

 

今後『トリガー』が巻き返せるのかどうか、鍵になるのはハヤシ×足木タッグによるシリーズ構成であり、1.2話や基礎設定の時点で膨大な伏線がばらまかれていることからも、後に大きなどんでん返しがあろうことは想像に難くない。

SNSなどで話題になったケンゴの花「ルルイエ」については、ケンゴ(トリガー)が闇の出自の存在であり「ルルイエ」という名前に本能的な安息/安らぎを覚えていたと考えれば合点がいくし、闇の巨人についても、キリエロイドを思わせるデザインのヒュドラム、ガタノゾーアと同じ「クトゥルフ神話の邪神由来の名前」になったダーゴン(一番怪しい)など、裏設定では済まされないような設定がこれでもかとひしめいている。

これらの下準備が爆発するであろう中~後半の時期は、すなわちハヤシナオキ氏が「特撮の脚本」をモノにしてきたであろう頃合いとも一致するはず。その瞬間最大風速は、それまで本作が積み重ねていくであろう負債を返上して余りあるものになっているに違いない(と信じたい)。

事実「不安定な脚本からスタート」 「既存の人気作を下地にしている」 「数多くの伏線」 「特撮外のライター×ウルトラ常連ライターのタッグ」と『トリガー』と多くの共通点を持つ『ウルトラマンジード』は中~後半でそのポテンシャルを爆発させ、シリーズでも指折りの人気作となってみせた。
だからこそ『トリガー』もきっとそうなってくれる、と期待せずにはいられないのである。

 


2つ目の理由は、本作のメイン監督を務める坂本浩一監督への信頼だ。

 

坂本監督はもはや言わずと知れた名監督だが、坂本監督は『ウルトラ』においてはかなり善し悪しのハッキリした監督と知られている。

デビュー作となる『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』からそのアクロバティックなアクション演出や新しさに満ちた画作りへの意欲、過剰すぎるくらいのファンサービスといった魅力は発揮されていたものの、その反面「敵の演出がワンパターン」 「過去のヒーローたちに対するリスペクトが足りない」 などの短所も散見された。

その後の『ギンガS』では「楽曲へのこだわり」といった更なるプラスポイントを見せた反動か、更に「冗長な演出」 「フェチズムに寄りすぎた撮影」といったマイナスポイントが追加されてしまっていた。
ウルトラシリーズに新風を吹き込み、その復活の礎を作った坂本監督だが、どうにも『ウルトラ』との食い合わせは悪いんじゃないか? という懸念が拭えない状況だったのである。

しかし、その後もウルトラシリーズへの参加を重ねていくにつれ、坂本監督の撮影スタイルには明確な変化が現れていた。

ウルトラファイトビクトリー』『ウルトラファイトオーブ』では過去作のヒーローたち=ウルトラ兄弟を個性豊か/魅力的に演出し、『X』では冗長さの取り払われたスタイリッシュな巨大戦を披露。

3年ぶりにメイン監督を務めた『ジード』では前述の通り不馴れな脚本とのミスマッチなど多くの懸念点が生まれたものの、それを払拭して余りあるドラマチックなウルトラサーガを見事描き切ってみせた。そして話題の『Z』では専売特許と言わんばかりにジードやゼロを進化した超絶アクション/映像で演出したほか、ガンマフューチャーの筆頭監督として、昭和だけでなく平成のレジェンドヒーロー=ティガ・ダイナ・ガイアら3人にも抜かりない愛があることを証明してくれた。

 

これらの変遷を見るに、坂本監督は「ただ進化する」監督なのではなく、「自身の至らない点を理解し、それを改善する方向へ進化する」監督なのだろうと思う。
クリエイターとして当然と言えば当然の心構えではあるが、坂本監督の場合その「改善」ぶりが目に見えて分かるのだ。短所のハッキリした監督であるが故に変化が分かりやすいというのもあるが、根底にあるのは坂本監督自身の作品作りに対する真摯な姿勢だと感じずにはいられない。

そんな「改善」を重ね、『ウルトラ』での経験も十二分に積んだ坂本監督だからこそ、『トリガー』において我々視聴者が感じている問題点については少なからず察していると思いたいし、そうであるなら、きっと監督は作品の中で更なる進化と改善を見せてくれることだろう。

余談だが、坂本監督は、映画『仮面ライダー 平成ジェネレーションズ』の撮影にあたって、客演ヒーローであるが撮影経験のなかった『仮面ライダー鎧武』を全話視聴したのだという。本作に臨むにあたって『ティガ』はきっと見てくれているだろうし、この誠実な原作への向き合い方が『トリガー』でも活かされていくと信じていたい。

 


最後の理由は、そもそも現時点で『トリガー』が「ツボに入りそうな」作品だということ。具体的に言うなら「好みの要素」がとても多いことだ。

 

1話においては、ウルトラマンシリーズでは珍しい(初?)「初回のOP主題歌カット」からの「挿入歌として『Trigger』を初披露する」というコンボにすっかり心を掴まれてしまったし、「レギュラーの紹介は後回しに、初回はケンゴとミツクニの2人にスポットを当てて描く」という潔い割り切り方も、いかにも連続ドラマのプロローグといった具合で好きな見せ方。

更に、ケンゴという存在の謎にトリガーダーク(?)、ユザレの台詞やミツクニとティガの関係など、『ジード』以上の前のめりさで伏線をバラまいていくのもワクワクするポイント。
トリガーの名前をカルミラの言葉から知ったり、そのカルミラたちの言葉がケンゴにしか正しく聞こえないというのも「分かってる」演出だ。

続く2話は1話以上に脚本の運びが悪くドラマが駆け足になってしまったのが残念だったが、ギマイラ戦は昼/ダーゴン決着戦は夜→海中と、『THE FINAL ODEYSSEY』オマージュということを差し引いても「ワンパターンな画にならないように」という配慮が行き届いているのが好感触だった。

『ティガ』オマージュの演出については触れていくとキリがないが、逆ピラミッドの遺跡や「選ばれし者」として過剰に持ち上げられている節があるケンゴ、そしてそんなケンゴとトリガーの一体化も「ケンゴが宿る」のではなく「トリガーが取り込む(?)」形であるなど、(n番煎じの考察か分からないけど)むしろ『ティガ』と逆の描かれ方が多い点が気になってくる。

 

主題歌『Trigger』には

自分が何者か誰も教えてくれない 自らを導いて出すべき答えがある

という歌詞があり、ケンゴが前述した謎の先で(ダイゴやアスカとは違う道のりで)「自分の存在や、手にした光の意味に悩む」展開に至ることを予感させてくれる。

もしそうなのだとしたらその展開が純粋に楽しみだし、加えて「歌の歌詞に肝を仕込むくらいストーリーが周到に作られている」ことの裏付けにもなるので、一層本編の展開に期待が持てるというものだ。

(周りのヨイショで「みんなの笑顔を守るヒーロー」という自覚と自惚れが育ったところで、ルルイエの開花をきっかけに“笑顔を奪う者”として覚醒してしまい絶望するケンゴくん、見たい……見たくない?)

Trigger

Trigger

  • 佐久間貴生
  • アニメ
  • ¥255

また、個人的に外せない要素がトリガーの基本武装ことサークルアームズ。シリーズお馴染みとなったインナースペースで持つタイプの基本武装だが、「トリガーに合わせてタイプチェンジ」することで各タイプの差別化に一役買うだけでなく、スパークレンスが「GUTSスパークレンス」という人工物であるために損なわれてしまう「超古代の戦士」感を補うというファインプレーぶりに思わず感動してしまったり。

デザインも、玩具としての取り回しの良さと「玩具らしくない」ディテール、キャッチ―なカッコよさと3拍子揃った素晴らしいものになっており、個人的にはこれまでのウルトラマンの武器の中でも群を抜いて魅力的に思える。まさにニュージェネレーションシリーズが積み上げてきたものの集大成……!

 

マルチタイプのマルチソードはこれまでのソード系武装(エクスラッガーやオーブカリバーなど)と異なる「無骨な大剣」として独特のアイデンティティを発揮しているし、パワータイプのパワークローはディテールの奇抜さが目を引き、ファイトスタイルが地味になりがちなパワーファイターに華を添えている。

殊更に白眉と言えるのが(活躍は3話までお預けの状態だが)スカイタイプのスカイアロー。清廉なイメージの青ウルトラマンに弓が似合うことはネクサス(ジュネッスブルー)やフーマが証明しているし、何より”機動性特化”という(演出的に)扱いの難しい能力からか活躍に恵まれなかった本家ティガ スカイタイプのリブートとして、遠距離攻撃を得意とする戦士というアイデンティティを加えることはこの上ない最高の+αだろう。スカイアロー自体のスマートで癖がないデザインがスカイタイプに馴染んでいるのも見逃せないポイントだ。

 

しかし、そんな素晴らしい武器がある中でもきちんと光線技を大事にしてくれるのが我らが坂本監督!
1話ではオーブグランドカリバーのように地面にマルチソードを突き立ててからゼペリオン光線に繋げてくれたし、2話でもデラシウム光流を「膠着状態を打開する起点」として印象的に使ってくれていた(いつかトドメに使ってほしい……)。

坂本監督は『X』において、エクシードエクスラッシュ→ザナディウム光線のコンボを考案したり、『ジード』においてレッキングバーストをここぞという時の切り札として描いてくれた方なので、特にゼペリオン光線の扱いについてはこれからも楽しみにしていきたいところ。

 

 

『トリガー』の好きな点と不安な点、2話にしてよくもまあこんなに意見が出るものだと我ながら驚きではあるが、それだけ期待値が高いということだろうし、その点においては多くのウルトラファンが同じ意見だろうと思う。

けれど、どんな作品でも2話時点で全てを判別することなんてできないもの。特にウルトラマンシリーズはそれが顕著な傾向にある。

 

昭和シリーズや『マックス』のようなオムニバス色の強い作品は当然として、傑作と名高い『ネクサス』『オーブ』や『ジード』は中々にスロースターターだった。

対して序盤の勢いが良かった作品と言えば名前が挙がりやすいのは賛否両論ある『R/B』や『タイガ』だったりするし、序盤から作風・クオリティが安定していた『メビウス』や『X』がむしろイレギュラーだろう。それこそ『ティガ』だって完全無欠の作品ではなく、改めて見ると比較的スロースターターな作品だった(背景事情が違いすぎて単純な比較はできないが)。

脚本のバランスがかなり危ぶまれること、前作『Z』が規格外の作品だったこと、そして背負うものがよりによって『ティガ』なことで厳しい目を向けられている(し自分を同じ目を向けてしまっている)『トリガー』。しかし本作が『NEW GENERATION TIGA』という殻の中に何を宿しているのかはまだまだ分からない。製作陣も、生半可な覚悟で作っているはずはないのだから。

 

TDG世代のかつての子ども、としてではなく、あくまで一介のオタクとしてこれらのこと、そして前述した「3つの理由」を忘れないよう肝に銘じつつ、いつか来る大きな転機まで『ウルトラマントリガー』を信じて見守っていきたい。そしてとりあえずは、25年ぶりの復活となるガゾートの勇姿とスカイタイプの初陣が描かれる明日の第3話を楽しみに待ちたい。

(ガゾートの扱いが悪かったとしても)スマイルスマイル!!!!

さらばウルバト! 怪獣愛に満ちた奇跡のゲーム『ウルトラ怪獣 バトルブリーダーズ』を振り返る

時に2021年5月26日。

ウルトラマンTVシリーズ最新作『ウルトラマントリガー』への期待で界隈が盛り上がっている中、株式会社バンダイナムコエンターテインメントが運営していたスマートフォン向けゲームアプリ『ウルトラ怪獣 バトルブリーダーズ』通称『ウルバト』がサービス終了となった。

決してメジャーではないものの、運営とユーザーの「怪獣愛」によって支えられた奇跡のゲームであるウルバト。しかし、アプリゲームの定めとしてその軌跡は形に残らない。

今回の記事では、一人でも多くのウルトラファンに「こんなに素晴らしいゲームがあったんだ」と知って貰うため、そして一人でも多くのブリーダーが『ウルバト』を思い出せる場所となるように、本作がどのようなゲームだったのかを振り返ってみたい。


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ウルトラ怪獣 バトルブリーダーズ』がサービス開始したのは2018年秋。テレビでは『ウルトラマンR/B』が放送中=ちょうど新世代ウルトラマンシリーズもお馴染みになってきた頃合いで、ゲームのリリースにはまさにうってつけのタイミング。

 

ジャンルは『怪獣育成シミュレーション』で、ざっくり言うなら『スーパーロボット大戦』シリーズに「怪獣の育成」というもう1つの軸が加わったようなイメージだ。

ウルトラシリーズのゲームというと対戦格闘などアクション系のイメージが強いかもしれないが、実は『ウルトラマン オールスタークロニクル』や名作と名高い『ウルトラ警備隊 MONSTER ATTACK』などもあり、シミュレーションゲームはウルトラと意外にも縁の深いジャンルだったりする。

そんな本作の主役たちは名だたる怪獣・宇宙人やロボット、そして闇の巨人たち(以下“怪獣”)。

そのラインナップは凄まじく重厚で、なんとほぼ全てのウルトラシリーズから総勢200体もの怪獣が参戦しているという豪華ぶり……!

特にニュージェネレーションシリーズからは『ギンガS』から『Z』までの人気怪獣が大挙して参戦し、グリーザ(第二形態)や特空機セブンガーなどの参戦は特に大きな話題となった。
だが、ともすればそれ以上の話題となっていたのが『G』と『マックス』から怪獣の参戦が叶ったこと。この2作はこれまでのゲームで怪獣が参戦したことがなかったためファンからの要望も高く、『マックス』からラゴラス、ひいてはラゴラスエヴォまで参戦したり、『G』からゴーデス第二形態が参戦したりといった際にはTwitterで多くのファンが咽び泣いていた。僕はラゴラスエヴォで泣きました。

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(↑最終的な参戦作品リスト。サブスクのラインナップか何か?)

 

ゲーム序盤はゴモラガンQなどお馴染みの面々からのスタートだったが、「毎週新しい怪獣を実装する」という狂気じみたサービス精神を見せたウルバトはあっという間に怪獣数を増やしていった。その中で徐々にガゾートやゾアムルチ、ドラゴリーといった完全新規モデルの怪獣が実装され始め、最終的にはユーザーの意見でスペックが決まったガヴァドンAや『ガイア』のブリッツブロッツなどマニアックな怪獣も次々参戦、ブリーダー界隈は毎週のようにお祭り騒ぎとなっていた。

 

勿論その「毎週追加される新怪獣」の中には、ナックル星人やバルタン星人(ベーシカルバージョン)など『Fighting Evolution』や『大怪獣バトル』など過去のゲーム作品でCGモデルが作られた怪獣もいたが、ウルバトのこだわりは妥協を許さない。なんと「過去にゲームで登場していた怪獣」も、モデルを(怪獣によっては一から)作り直しているのである……!
(例えば、ファイブキングはデータカードダスの『大怪獣ラッシュ』で既にCGモデルが作られていたが、本作にてCGモデルが完全新生。現行作の「フュージョンファイト」に逆輸入されたりもしている)

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(↑カッコよすぎるファイブキング。何度再販されても高騰する大人気怪獣だった)

 

当然ながら、それら精巧なCGモデルの作成には円谷プロとの綿密な連携、緻密なスケジュール管理など多くの関門がある。それらを乗り越えつつ、2年以上に渡り毎週新規怪獣を実装し続けてくれた運営の方々の努力には本当に頭が上がらないし、ウルバトのサービス終了にはその点も関係しているのでは? という噂も。それならそれで納得しかない……。

 

そんな運営様方の努力が作り出した数多くの怪獣たち。そのイカれた(褒め言葉)ラインナップの一部を紹介するぜ!!!!

ウルトラセブン』からギエロン星獣
帰ってきたウルトラマン』からタッコング
『80』からザンドリアス
『ティガ』からレギュラン星人
『ダイナ』からデマゴーグ
『ガイア』からニセ・ウルトラマンガイア
『ネクサス』からダークファウスト
メビウス』からボガール
『X』からムー
ジード』からレギオノイド・ダダ・カスタマイズ
『R/B』からグルジオキング
『タイガ』からナイトファング
『Z』からエリマキテレスドン

……惑うぜ! 現実!!
自分で書いていながら違和感を覚える怒濤のラインナップ。オタクしか喜ばないぞこんなの!? 大丈夫!? という質問に満面の笑みを浮かべるスタッフが見える。お、俺たちのウルバト……!!!!

 

Twitterでは参戦怪獣の発表に先駆け、クイズのような「ヒント画像」が掲載されることがほとんどで、毎週月/火曜日の参戦発表は界隈の話題をさらった。ガルベロスやサイバーゴモラなど新規参戦怪獣の名前がTwitterのトレンドに載ることも少なくなく、そのような点も含めてウルバトは怪獣ファンにとって夢のようなゲームであった。

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(↑ヒント画像集。毎週作るのに苦労したとのこと、せやろな……)

 

そうして毎週のように増えていく怪獣たちだが、決して数ばかりが多い訳ではない。怪獣には「力」「技」「速」「無」のいずれかの属性(相性)に加え、怪獣固有の能力・必殺技が与えられている。それらによって、怪獣を「原作っぽく」戦わせられるのが本ゲームの大きなポイントだ。例えば……。

・同じパーティに編成することで真価を発揮し、必殺技も変化するマグマ星人&ギラス兄弟、サデス&デアボリック

・タイプチェンジによって能力を使い分けるキリエロイドⅡ

・仲間の身代わりとなり、散り際に攻撃バフと体力回復を残していくシェパードン

・(不意打ちでゼガンを撃破した再現なのか)初撃のみ超強化されるヘルベロス

・自分が状態異常「暗闇」の時に強化されるムルロア

・強力な必殺技『投げつけるアイスラッガー』を持つが、ウルトラセブンにそれを使うと自身が確定で即死する改造パンドン(??????????????)


などなど。ただ強いキャラを集めればいいという訳ではなく、怪獣をいかに「らしく」暴れさせるか考え、それが見事決まった時の達成感ったらたまらない。キングオブモンス&バジリス&スキューラで大暴れしている時とか最高ですよ!


では、どうすればその怪獣を入手できるのか。スマホゲーならガチャじゃない? は~~~つまんな!! と思ったそこの貴方。ウルバトはそんなありきたりなゲームじゃあありませんのですわ!(多方面から刺されそうな発言)

怪獣たちの入手方法こそ、実はこのウルバトにおける最大の特徴。その名も「マーケット」
これは「ガチャ」でも「建造」でもない独自方式で、オークション形式でキャラクターの入手権を争うもの。

具体的には1〜2週間の間、マーケットに新規と復刻、併せて数体のキャラクターが出品され、1日2回、多くの金額(通貨は「ウルトラストーン」)を入札した上位層がキャラクターをゲットできるというシステムだ。f:id:kogalent:20210528072801j:image

更に、所謂「天井額」(概ね10000円)相当のウルトラストーンを入札すればマーケットを無視して怪獣を落札できる上にボーナスも付く「即決」システムまで実装されており、狙ったキャラクターを入手できる可能性は実質的に100%という驚異のユーザーフレンドリーぶり。斬新過ぎて運営が心配になるほど良心的なシステムだった。

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(↑大好きな怪獣が出品された時は即決すべき。太平風土記にもそう書いてある)

 

キャラクターは出品される時期や「新規か復刻か」など様々な背景によって出品される数が異なっており、凄まじく白熱するマーケットもあればあまり盛り上がらないマーケットもある。そうしたマーケットの様相を眺めるのもこのゲームの醍醐味。
かくいう自分は怪獣については比較的ライトなオタクなので、買う時もあれば買わない時もあり、そんな「マーケットに参加しない時期」が長ければ長いほど、1ユーザーながら「このゲームの運営は大丈夫なんだろうか」と不安に駆られたりもしていた。f:id:kogalent:20210528073208j:image
(↑自分が見た中で一番高騰したのはまさかのニセメビウスで、次いで高かったのはゼッパンドンやオーブダークなど。あと少しの額で即決ボーナスが付くことを考えると恐ろしい高騰ぶり……)


そんなマーケットで競り落とし、育てた怪獣を戦わせる舞台=プレイモードは大きく分けて4つ。

まずは「メインクエスト」
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これはこのゲームの致命的な欠点なのだけれど、とにかくこのメインクエストが薄い。(名前はそれっぽい割に)尋常でなく薄い。

惑星ウルバト(直球)を舞台に、怪獣のデータ解析や再現をシミュレーションしている謎のナビゲーションロボット『ナヴィ』。彼女と、彼女によって呼び出されたブリーダー(プレイヤー)が、様々なシミュレーションを体験したり、惑星ウルバトが保持するデータ目的で襲いくる宇宙人と戦ったりする……というのが大まかなストーリー。というか、それ以上の内容がない

ゲームが始まってから1年ほどの間はストーリーが定期的に更新されたがその後は実質的な打ち切りで、ばらまくだけばらまかれた伏線は最後のクエストで一気に回収されることになった。それはそれで凄いな……。


一方、そんなメインクエストに代わってウルバトの本命と言えるのが「イベントクエスト」だ。
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イベントクエストは一般的なスマホゲーと同じく、定期的に様々なイベントが新規・復刻織り混ぜて期間限定で開催されるもの。

ウルバトのイベントクエストは、大きく分けると下記のような種類がある。


・強敵出現イベント
エタルガーや闇に堕ちた タ ロ ウといった強敵に挑むイベント。ボス怪獣の特徴や原作再現を意識したギミックが仕込まれており、例えばグリーザ出現イベントではゴモラやゴメスといった怪獣をダークサンダーエナジーから解放するために(HP調節などで)奮闘することになる。
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(↑ジャグラーとマガオロチを相手取るイベント。マガオロチの実装には界隈も大いに盛り上がっていた)

 

・スコアアタック系イベント
オーブダークが呼び出す大量の怪獣を殲滅したり、大量発生したツインテールグドンやボガールに横取りされないよう狩りまくったりするイベント。デスフェイサーやギャラクトロンなど、範囲攻撃を持つ怪獣が大活躍する。f:id:kogalent:20210528092231j:image

(↑狩るどころか狩られることもある、世の中は非情だ)

 

・「(疑似)レイドイベント」
ウルトラマンベリアルやデストルドスなど、莫大なHPを持つ敵に対して何度も挑み、その討伐を目指す。大型イベントとして開かれるため演出に気合いが入っており、グランドキング戦ではウルトラ6兄弟と共闘することができる他、ガタノゾーア戦では石化したティガを数ターン守りきることでグリッターティガを出現させることもできた。f:id:kogalent:20210528073631j:image

(↑TVを意識した仕様が美しいグリッターティガ)

 

ウルトラマン降臨イベント
ウルトラマンを召喚して敵に追加攻撃ができるアイテム「ウルトラ必殺技」を入手することができるイベント。『君だけを守りたい』『ウルトラマンジード プリミティブ』『ご唱和ください、我の名を!』など多くの新規版権BGMアレンジ曲が実装された他、ウルトラ6兄弟のチームと戦ったり、オーブの助っ人としてジャグラーが現れたり、ファン垂涎ものの演出が目白押し。

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(↑仲良く新年の挨拶をしてくれるTDG。戦闘中のBGMはなんと『Beat on Dream on』!)


他にも様々なイベントクエストが存在しているが、それらはいずれも難易度が「ノーマル」「ハード」「エキスパート」に分かれており、難易度が上がるほどに演出や報酬が豪華になっていく。それらを楽しむために不可欠なのが怪獣の育成だ。f:id:kogalent:20210528073900j:image

育成というとイメージしやすいのが「レベル上げ」だが、ウルバトではアイテムによって比較的簡単にレベルをMAXにすることができる。その代わり重要になってくるのが「スキル構成」。

ウルバトの怪獣たちは、各怪獣に1つ固有の能力である「固有スキル」と、入れ替えができ
る汎用的な「継承スキル」という2種のスキルを持っている。ポケモンに例えるなら、

固有スキル=とくせい
継承スキル=わざ

といったところ。
シナリオクリアだけならレベルアップで覚えた技だけでも問題ないが、通信対戦やクリア後の対戦コンテンツなどに挑むなら技やチーム構成を熟考する必要がある、というあのバランス感覚に近いかもしれない。

 

例えば『ティガ&ダイナ』に登場し、圧倒的な火力を誇ったロボット怪獣であるデスフェイサーを見てみると、レベルMAXのスペック(初期状態)がこの通り。f:id:kogalent:20210528073949j:imagef:id:kogalent:20210528073957j:image

同じ『ダイナ』怪獣で、防御に優れた怪獣であるデマゴーグと比べると、全体的にステータスで劣る反面、必殺技の威力が非常に高いという原作再現がされている(原作では通常スペックも高かったが、それはそれ)。

 

デスフェイサーの固有スキル『殲滅へのカウントダウン』は必殺技(SP)ゲージをチャージしたり、逆に敵のSPを減少させたりもできる攻防一体のもので、ダイナから戦意を奪ったことの再現とも取れる。
継承スキルも主に必殺技のサポートが揃っているが、ここはより特化させてネオマキシマ砲を原作ばりの超火力にしたいところ。そこで行うのが継承スキルの入れ換えだ。

 

継承スキルとは「継承(したりされたり)できるスキル」の意。
ポケモンでの「わざマシン」のように、ウルバトでは継承スキルを付与できる「スキルエッグ」なるアイテムが存在する。イベント報酬などで手に入るこのスキルエッグを使ったり、「怪獣を消費してスキルを受け渡す(継承)」ことを繰り返し、怪獣を自分好みにカスタマイズ/成長させていく。

原作再現に特化するもよし、強さを追及するも良し、様々なロマンを求めてもよし。手間がかかる分育成しきった時の感動はひとしおで、一度味わってしまうと癖になる。この「育成」の楽しさは、間違いなくウルバトの大きな魅力の一つだろう。f:id:kogalent:20210528125709j:image

(↑スキル継承のためだけに怪獣を生成することも日常茶飯事。サイバー怪獣惑星ウルバトに秩序などないのだ……)

 

例として、スキル入れ替えが完了した(り他にも色々強化した)デスフェイサーがこちら。
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継承スキルのバフは戦闘開始時に乗ってくるので、実際の必殺技火力はなんと約4000。ガタノゾーアだろうがグリムドだろうが消し飛ばすスーパー電脳魔神の誕生……ッ!


こうして育てた怪獣たちが揃ってくると、加速度的にゲームの幅が広がってくる。
イベントクエストの高難易度「エキスパート」に挑むことができるようになってくるだけでなく、超難易度の詰め将棋めいたモード「探査」へのチャレンジや、擬似的なPvPを楽しめる「アリーナ」での力試しが可能になってくるのだ。

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アリーナは「攻撃チーム」「防衛チーム」をそれぞれ作成し、他プレイヤーの防衛チームに戦いを挑むというもの。その勝敗でランキングが変動し、順位によってはウルトラストーンを貰える他、順位が高くなくても、勝利スコアを集めることでレアなアイテムや怪獣が手に入ったりする。

 

だが、アリーナ最大の魅力は「ブリーダーの愛が詰め込まれた怪獣たちと戦える」点だろう。
ダークロプスゼロやメカゴモラによる「VSダークロプスゼロ」パーティや、特空機
セブンガー、特空機ウインダム、キングジョーストレイジカスタムによるストレイジチームなど人によってチームは様々で、中にはゴーデス第2形態×4というぼくらのグレートが発狂しそうなパーティも(ちなみにアホほど強い)。


ただ強いだけでなく愛に満ちたチームとの戦いは、負けてもどこか清々しささえ感じるもの。何かと炎上しがちなソーシャルゲームPvPだが、本作はこういった点のおかげか概ね好意的な意見が多かったように思う。f:id:kogalent:20210528124811j:imagef:id:kogalent:20210528124755j:image

(↑上が自分のアリーナ攻撃チーム、下が防衛チーム。世代がバレること請け合いの人選だ)


と、ここまで説明したのがウルバトの主な遊び方。要は「怪獣を競り落とし、育成し、クエストに挑み、獲得したアイテムで更に怪獣を育成」というサイクルをこなしていくのが大まかな流れという訳だ。

こうして見ると良ゲー、人によっては神ゲー判定が出そうなものだが、悲しいかなウルバトの売上順位はちょくちょく危なっかしいランクに足を突っ込んでおり、いつサービス終了してもおかしくはない状況だった(某バイク乗りが街を守るゲームと概ね100位差ぐらいだったろうか……)。

その原因は多々考えられるが、最も大きいであろうものは「敷居の高さ」だろう。

 

まず何より、怪獣が主役のゲームである点。
(ありがたいことに)世の中にごまんといるウルトラファンだが「怪獣が主役のゲーム」ということにハードルの高さを感じる人は多いのではないだろうか。

かくいう自分もその一人で、始めたのは1周年の少し前頃だった。『Fighting Evolution』で義務教育を終えたくせに『大怪獣バトル』に触れてこなかったドロップアウトボーイとしては、モンスアーガーやデスフェイサーらが使えることに興味津々だったものの、恒常的にプレイするスマホゲーを増やすことはどうにもハードルが高く、そのデメリットを押してまで始めるか? となると、そう思えるほどの意欲が湧かなかったのが本音だった。
(1周年の少し前、というと新規CGの怪獣もまだ少なく、よもや推し怪獣たちがほとんど実装されることになるとは知る由もなかった……)

 

元来、特撮番組を題材にしたゲームはどうしてもターゲット層が限られる上、一般的なスマホゲーのように「美男美女など幅広い層にアプローチできるキャラクターで完全新規ファンを誘致する」ことが難しく、この時点でまず集客の難易度が高い。

 

その上でウルバトに入ってくれた、ウルトラシリーズ入りたてのライトユーザーがいたとする。彼らこそがゲームを背負っていく重要な存在であり、彼らにいかにウルトラ怪獣の奥深さや魅力を伝えるかが運営の要だ。しかし、ウルバトは(なぜか)そういったユーザーに厳しい。例えば……。

・怪獣をレベルアップさせるだけではなく、スキル構成までガッツリ考えないと十分にプレイできない

・怪獣が数多く登場するにも関わらず、その知識はちょっとした紹介コーナーと怪獣図鑑(持っている怪獣のみ情報がアンロックされるギャラリー)でしか得ることができない

・メインクエストが薄すぎて怪獣(キャラクター)の紹介という役割を担えていない

(怪獣の特性を反映させたイベントクエストは多いが、知らない人向けの解説はほぼないようなもの)

実際、自分にこのゲームを勧めてくれた友人はニュージェネから本格的に入ってくれたウルトラファンで、それ以外の視聴作品はコスモスとネクサス、マックス。
当人は怪獣というコンテンツを非常に好いていたが、それでもウルバトにおいて知らない怪獣を買うことは片手で数えるほどしかなかったという。

怪獣というコンテンツが好きで、ウルトラシリーズにかなり触れているファンさえこうなのだ、ユーザー母数がとにかく重要なスマホゲーでは不可欠の「ライトなファン層」がどれほどウルバトをプレイし続けてくれていたのか、正直具体的な数字を見たくないくらいには不安が残る。

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(↑怪獣図鑑での解説。最低限の解説はされているが……)

 

更に、一見するとメリットだらけの理想的なシステムに思える「マーケット」にも「大きな売り上げが見込めない」という致命的な欠陥があった。

理由は多々ある。例えば、一般的な「天井」に該当する「即決」システムが約10000円で使えたり、同一の怪獣を複数入手するメリットが(運営終盤まで)なかったり……。そして何よりの原因は「競りがほぼ意味を成していない」ということだ。

前述の通り、ウルバトのマーケットでは(基本的に)1週間の間、1日2回怪獣の出品と落札が行われる。各日11:50と23:50という2回の落札タイミングに向けて、希望者がこぞって入札を行っていく訳だ。
怪獣が早く欲しい人は我先にと入札するため、当然、値段は初出品をピークに右下がりになっていく…………のだが、なんとこのゲーム「怪獣を早期に/高額で落札するメリット」がほとんどない。

怪獣を早期に落札しても、落札した怪獣はレベルもスキルも初期状態のため、実践投入はほぼ不可能。育成にはデイリークエストやウルトラストーンで獲得する怪獣個別の「DNA」というアイテムが必要なため、どのみち実践投入までは一定の時間がかかってしまう。一刻も早く実践投入したい、もしくは何としてもその怪獣が欲しい、というのであれば、天井額の入札によって「即決」すれば最初からかなり育成が進んだ状態で入手できるが、その場合そもそも競りに参加しないことになる。
(「即決」せずに高額で落札した場合は、金額に応じてボーナスアイテムが手に入ったりするが、さほど通貨価値が高い訳でもない。どうして……)

 

このような根本的な問題が放置され続けてきたマーケットにも程なくしてテコ入れがやってきたが、その方法はシステムの改善ではなく「誰もが欲しくなるようなハイスペック怪獣の投入」だった。それは違うよ!

 

Uキラーザウルスやファイブキングなど、ウルバトでは所謂「壊れ」相当の化け物スペックを持つ怪獣が定期的にに場し、良くも悪くも大きな反響を呼んでいた。
そんなインフレの果てに、マーケットシステムを完全放棄する形で導入されたのが「レジェンドキャラクター」たち。これは即決でのみ入手可能=競りが開催されないキャラクター」で、ごく僅かなデメリットと引き換えに、インチキめいた性能を持った壊れキャラクターたちであった。

シンプルにハイスペックな上、必殺技を受けるとプレイヤーの怪獣を身代わりにするウルトラマンベリアルを皮切りに、異常な耐久力とデバフ・状態異常をばらまくガタノゾーア、倒されるとプレイヤーの怪獣のコントロールを奪うグリムドなど多くのボス格キャラクターがこの枠で実装されていき、通常キャラクターのインフレと併せてウルバトそのものが凄まじいインフレに陥ってしまった。

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(↑2回行動や必殺技吸収を備えるハイパーゼットン イマーゴ。ちゃんと翼も生える)

 

それ以外にも、キャラクターの格差を埋めるために実装された限界突破システム「覚醒」などゲームの短所を改善するための様々な仕掛けが行われたが、それらは軒並み「根本的な問題を是正しないまま、外付けで強引に粗を埋めていく」タイプの対処ばかりで、時には問題の是正どころか更なる悪化を招くことさえあった。
徐々に徐々に、ウルバトというゲームの道行きに暗雲が立ち込めていったのである。

 

とはいえ、そこは有能なウルバト運営。危険なテコ入れの裏では改善もきっちり進められており、ブースト周回機能の実装やアンケート結果に応じた怪獣の参戦、イベントクエストやアリーナのシステム改善などが次々と行われていった。

そんなウルバト運営の功績の中でも、特に話題を呼んだのが「ジオラマ」機能の実装。

これはゲーム内のCGモデルやエフェクトをステージに自在に配置することで「自分の思う大怪獣バトルを形にできる」というトンデモ機能で、推し怪獣たちによるドリームマッチやウルトラゾーンめいた大喜利など、様々なジオラマSNSを大いに賑わせていた。f:id:kogalent:20210528192726j:image

(↑オタクは推しと推しを戦わせずにはいられない生き物……)

 

これら様々な紆余曲折の中、改善と改悪のぶつかり合いが繰り広げられていたのが2年目のウルバト。その果てに待っていたのは破滅か……と思いきや、辿り着いたのは非常に良質なゲームバランス、そして平和かつ賑やかな空気感。

激動の末、ウルバトは非常に理想的な状態で2周年を迎えることになったのである。

 

そこから『ウルトラマンZ』で界隈の盛り上がりが最高潮となった年末年始を跨ぐと、前述のニセ・ガイアや人気怪獣のサイバーゴモラ、キングジョーストレイジカスタムなど待望のキャラクターたちが次々実装。当然の如くマーケットは大盛り上がりで、ウルトラマンシリーズ共々『ウルバト』の今後に誰もが胸を高鳴らせていた。


しかし。


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……おん……???????

出品されるのがレジェンドキャラクターの場合もヒントはない。だがしかし「出品をお待ちください」のような一文がないのは初めてだった。

TLが期待と不安で二分される中、その答えはメンテナンス直後に誰もが知ることとなった。f:id:kogalent:20210528131001j:image
「さらば」「LAST BATTLE」の文字。そして、何も出品されてないマーケット。じわじわと現実を理解して、身体がざわつき、「サービス終了」の文字を見つけて呆然とした。

 

2021年3月24日。ウルバトはサービス終了を発表。ウルトラもウルバトも「これから」というタイミングでの、悲しすぎる別れだった。

 


自分の慣れ親しんでいたゲームが終わるというのは「よくあること」だ。ポケモン図鑑を完成させた時。フォルテBXを倒した時。妄想ウルトラセブンを解放し、全ストーリーをSランクでクリアした時……。そういった別れの悲しさは慣れようもないが、『ウルバト』の喪失感は、それらとどこか異なるものだった。

 

前述の通り「これから」というタイミングでの終了となったことや、1年半に渡りプレイしてきたこと。それもその通りだが、それよりも大きかったのは『ウルバト』が自分にとってゲームを越えた概念となっていたこと。

 

ウルトラへの愛に溢れるだけでなく、定期的な番組配信を行ったり、アンケートの回答を律儀にゲームへ反映させたりと、非常に良心的で親しみを持てた運営。そんな運営から毎週のように届けられる「愛と魂が込められた」コンテンツの数々。そして、毎週のようにそんな運営からの贈り物でお祭り騒ぎのブリーダー界隈……。

 

それは『年中盛り上がれるウルトラ』の再来であり、毎月コロコロコミックを買ってクラスメイトと盛り上がったあの日々にどこか近いもののようにも思えた。
ウルバトの存在は、もはや一介のゲームに留まらず、ゲームを媒介にした(運営を含めた)ウルトラファン同士の繋がりや「ウルバトありきの日常」そのものを支える概念になっていたのだ。

 

ウルバトのサービス終了は、ただゲームが終わるだけでなく、そういったコミュニティや日常との別れをも指している。慣れ親しんだ学校からの卒業や部活の引退のようなものだ。

だからこそ、サービス終了の報せには思わず涙してしまったし、これまで実装されたレジェンドキャラクターが総出で襲いかかってくる最終クエストには愛すべき相棒たちで挑んだし、やり場のない気持ちとこれまでの感謝を込めたネオマキシマ砲で全てを消し飛ばした。f:id:kogalent:20210528131321j:image
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それから2ヶ月。

「これで終わりなんだ」という、なんとも言えない虚しさと感慨を引きずりながら迎えた2021年5月26日。いつもより遅い時間に入ったメンテナンスが終わり、『ウルバト』は静かに旅立っていった。


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ウルトラシリーズには「休止期間」が付き物だ。
『80』から15年経って『ティガ』が始まったように。『メビウス』から6年経って『ギンガ』が始まったように。

それはゲームにおいても同じで、『大怪獣バトルRR』で終わりを告げたデータカードダスシリーズは『大怪獣ラッシュ』として一時帰還した後、『フュージョンファイト!』として新生。『ウルトラ』のデータカードダスにおける最長稼働記録を更新し続けている。

そして、そんなデータカードダスシリーズを支えてきたのは、過去に『Fighting Evolution』シリーズなどで作られたCGモデルたちだ。

「光は絆だ。誰かへ受け継がれ……再び輝く」

『ウルバト』は確かに終わった。しかし、いつかまたウルトラを題材としたゲーム作品がリリースされた時、本作のノウハウ、そして何より「本作があったからこそ生まれた/新生したCGの怪獣たち」が、それら次代の光を支えていくのは間違いない。

 

そうでなくとも、これまでにないほど「ウルトラ怪獣」への愛とリスペクトを持って作られた本作は今後もオンリーワンの存在としてブリーダーたちの記憶に生き続け、ウルトラのゲーム史において燦然と輝き続けるだろう。


2018年から2021年。ウルトラにとって苦難の時でも、世界にとって苦難の時でも決してその歩みを止めなかったウルバトと、そんなウルバトを支え続けてくださったスタッフの皆様、本当に、本当にありがとうございました。愛すべき怪獣たちと進む日々は、心の底から楽しく幸せなものでした。

 

さらば、そしてありがとう『ウルトラ怪獣 バトルブリーダーズ』!f:id:kogalent:20210528132844j:image

れんとの転職活動レポート【後編】~後のない無職、2021年の転職活動に臨む~

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~これまでのあらすじ~

とある特殊法人の非常勤職員に転職し、正社員への登用を目指して勉強に励む虎賀れんと。しかし、よりによってそんな状況下で某ウイルスによるパンデミックが発生。
試験がその門戸を大きく狭めたばかりか、大打撃を受けた職場からは無慈悲にも3月末での解雇が宣告されてしまう。


時に2021年2月。3月までの就職先決定を目標に、第2次転職活動がその幕を開けようとしていた……。

 


○  ○  ○

 


『自分との戦い』というフレーズをよく見かける。身近なところだと、スポーツや勉強などにおいて『自分の怠惰/欲望を捩じ伏せること』を意味することが多いだろうか。

このフレーズがもし転職活動において使われるならば、それは少し違う。転職活動は自分で自分をいかに励まし、支えてあげるかという戦いだ。


転職活動は、真剣に行えば行うほどに自分を否定されることになる無限地獄。

自己分析をすれば『他人に誇れるような経歴/能力』を持たない自分に嫌気が差す。
書類選考で落ちれば、これまでの仕事でもっと良い成果を挙げられなかった自分を責める。
面接で落ちれば「自分が魅力的じゃないから落とされたんだ」と底知れない不安に陥る。

 

しかし、自己嫌悪がどれだけ積み重なっても止まることは許されない。

誰であれ、自己嫌悪に対して自分を肯定する材料はどうしても少なく、どうにか他の手段で崩れ落ちそうな自分を必死に支える必要がある。自分の場合は、友人たちとの会話や好きなコンテンツを楽しむことがその『手段』だった。

 

もう1つ大きかったのが、自分を支えてくれたこの歌の存在。

2009年放送のアニメ『DARKER THAN BLACK-流星の双子-』の主題歌である『ツキアカリのミチシルベ』。この歌は切なくも力強い『先の見えない旅路を行く人へのエール』であり、転職活動中の自分にこれ以上なく響く歌だった。

答えのない毎日が ただ過ぎて行く時間が
これから先どうなるのだろう 分からない
ツキアカリのミチシルベ
雲を越えボクに届け
進むべき道を照らしてよ
今日がどんなに壊れそうでも

(中略)

答えは自分の中に 必ずあるものだから
諦めないで 強く生きることを やめないで
悲しすぎて 前に進めない時でも
共に悩み歩んだ僕らに 風は吹く
どこまででも

この歌を聴く度に、同作主人公たちの過酷で一途な旅路を思い出して「自分も頑張ろう」と思えたし、孤独に寄り添いつつ、優しく背中を押してくれるようなこの歌そのものにも何度も励まされた。
(『DARKER THAN BLACK』とこの曲については別記事にて)

 

こういった様々な支えがあったからこそ、絶望的な状況下でもどうにか立ち止まらずに歩き続けられたのだと思う。

それらさえない本当の『孤独な戦い』であったなら、2021年3月末、どこへの転職も叶わずに無職となったあの瞬間に自分は折れていた。

 


○  ○  ○

 


2月末に始まった転職活動、その初動は非常に好調だった。

事前情報通り、転職サイトから応募した場合の書類選考通過率はエージェント経由の場合に比べ圧倒的で(サイト経由での応募のうち約50%が書類選考を通過した)入念な事前準備が実を結んでいると言えた。

 

しかし、書類選考の後に待っているのは前回も苦戦したコミュ障最大の敵、面接。
3月が終わった時点での面接通過率は5/12。数字だけ見ると前回以上の数字だが、受かった5つはいずれも『穏やかな雰囲気で行われる対面面接』であり、そうでないもの=Web面接や、厳格に行われる役員面接といったものは漏れなく全滅。……それって最終面接詰みでは? という不安が募る。

 

受かった面接の内実を見てみると、受かった5つのうち2つの面接はある法人の1次・2次(最終)面接であり、その結果、大変ありがたいことに3月中旬で内定を頂くことができた。しかし、そこは『採用情報ページの情報と実情が違う(だいぶ黒い)』という典型的な要注意タイプの法人であり、逃げ出すように辞退。

一方残り3つの法人はというと、1次面接を通過できても2次面接で落選したり、合否連絡までのスパンが長く、最終面接が4月になったりといったところ。もう1社はそもそも面接が3月末だったため、月内合格への期待はしていなかった。

 

結果、来たる3月末。転職の宛もないまま(こんなご時世なので送り出されることもなく)職場を去り、れんとは無職となった。

 

さよならの時くらい微笑んで

さよならの時くらい微笑んで

 

3月末は転職に無関係な点でも精神的に追い詰められる出来事が多く、文字通り最悪の状況だった。しかし、偏頭痛が悪化しようと瞼が痙攣しようと止まれないのが転職活動の辛いところ。歯を食い縛り、気合いと根性で転職活動2ヶ月目に突入する。

 

無職になっても何が変わるでもなく、ハローワークで失業保険の受給手続きなどを行った後はこれまで通り応募を続けていくのみ。増えた自由時間は選考の振り返りと対策に注ぎ込む。

 

しかし、肩書きが『在職中』から『離職中』になったためか、書類選考の結果が目に見えて悪化していた。具体的には、これまで体感50%だった書類選考通過率が体感20%ほどまで落ちており、エージェントを介した応募に至っては合格通知が全く来なくなっていた。

『面接の対策をしてもそもそも面接まで辿り着かない』というシビアな状況に、日夜血の気が引いていく。
(状況を打開するため、『リクナビNEXT』と『エン転職』『エン・エージェント』にも手を出すが、大きな進展にはならず……)

 

そんな紆余曲折を経ていると、あっという間に1週間が過ぎ、2週間が過ぎて4月中旬。ますます追い詰められる精神状態の中、マイナビ転職からの目を疑う通知が一件。それは3月末に『1次面接』を受けた会社からの内定通知だった。

 

自分でもよく分からない叫び声を上げながらメールを確認する。自分の読み間違いじゃないかと内定通知の文面を何度も見返すも、夢じゃない。
だが、そこで焦ってはいけない。はやる気持ちを抑えつつ、添付されていた労働条件通知書をしっかりと確認する。

 

確認して、がっくりとうなだれた。
その待遇は『特定の国家資格に合格するまでは契約社員』というもの。それ以外にも多くの条件が聞いていた内容と矛盾している、怪しさしか感じられない代物だった。


「自分はそんな企業からしか内定が出ない程度の人間なんじゃないか」……と、肩を落としながら泣く泣く内定辞退。当たり前の話だが、危険な会社=人が定着しない会社ほど、人欲しさにあっさり内定を出してくるものなのだ。

 

罠


転職活動には、実はタイムリミットがある。それは『失職してから2ヶ月』。無職の状態が2ヶ月以上続いていると、企業から「選り好みをしている」or「それだけの間どこからも雇ってもらえないような人物」という印象を持たれてしまい、書類選考通過率が更に低下してしまうのだという。
『在職中』から『離職中』になっただけで書類選考通過率が大きく下がったことを踏まえると、状況がどれほど悪化するのか考えたくもない。

2021年4月中旬、2社目の内定を辞退したことで、この話が殊更に頭を離れなくなっていた。

 

企業に応募してからリアクションが来るまではおおよそ1週間。しかし、1週間後は4月下旬、ゴールデンウィーク直前の繁忙期に反応を貰えるはずもない。
しかし、ゴールデンウィークが明け、その後の繁忙期が終わるとあっという間に5月中旬。その頃には件の『タイムリミット』まで1ヶ月しかなくなってしまう。そうなったらもうなりふりかまっていられない訳で、自分の希望も理想も捨てざるを得ない。

無職1ヶ月目にして、既に背水の陣の只中と言える状況だった。


しかし、転機は急に訪れた。

4月上旬に面接を受けた会社から最終面接の案内が来たことに加え、4月頭に最終面接で落ちた会社から「別部署での採用枠でもう一度最終面接を行いたい」との案内が届いたのである。

 

その2社は共に志望度の高い会社だったため、喜び勇んで即受諾。GW周りのことを考えると、その2つの面接が4月内の、もっと言うなら『自分の望む形での転職』を実現するラストチャンス。有り余る時間を全て使い、最終面接への対策を開始した。


○  ○  ○


最終面接前にできることは、企業研究と更なる自己分析、そして面接対策の3つだけ。そのうち最大の課題は言わずもがな『面接対策』だ。

 

これまで大きな弱点だった『話が詰まる』事態には、何も考えずに話すことができる『自分の本音』を分析し、そこにPRや志望動機を沿わせる=『僅かな嘘を本音に混ぜる』作戦で対応。これで面接は断然スムーズにこなせるようになったが、『自然体の面接』というものが未だに課題だった。

面接では「楽にしてね」「リラックスしてください」「雑談感覚で話せれば」などと言われ続け、正職員登用試験の不合格通知を受けた際も担当者から『肩に力が入りすぎている』『素が見たい』と言われていた。これら全てがイコール『自然体の面接をしてくれ』ということなのだろう。


……自然体って何だ……?


インターネットや本を漁っても、面接に『素で行こう』とは書いておらず『自然体』が推奨されている。それもごもっともな話で、文字通り素で行こうものなら社会人としてのマナー不足と見なされる。だからこその『自然体』という言い方なのだろうが、じゃあ自然体って何だよ、という話。

それがどうにも掴めずヒントを探すも、見付かるのは「リラックスしよう!」「ゆっくり話そう!」「自信を持とう!」といった曖昧なものばかりで、目指すべき『自然体』の正体はどこにも見付からなかった。

 

……じゃあ、逆に面接官は何を求めているんだろう。
ある日、バスの中で不意にそんなことを考えた。面接官は求職者に『ロボットのような完璧なマナー』を求めている訳じゃない。かといって、本当の『素』が見たい訳でもない。じゃあ何が見たいのか? 面接官がこちらの『雰囲気』にこだわる理由は何か……?
おそらく、それは『会社に馴染むかどうか』だろう。

 

『雰囲気が会社と合わない』というのは、上手くいったと思った面接で落ちる場合によくあるパターンらしく、確かに自分も採用側だったらそれは気にするだろうと思う。これは良し悪しではなく、ただただ『相性』の問題だ。

 

能力が低くても、周囲と馴染むことができれば活躍の道は開けるだろうし、周りにも良い影響を与えていくだろう。
だが、それは逆もまた然りで、いくら優秀でも、会社の雰囲気に合わないようであれば活躍の道が狭まるだろうし、周囲のパフォーマンスを下げかねない。そんな事態を避けたいからこそ、人事担当者や役員はわざわざ相手の顔を見れる機会=『面接』の場を設けるのだ。

もしこの仮説が正しいならば、面接官の求める『自然体』の正体もうっすら見えてくる。
つまるところ、面接官が『リラックスしてください』『自然体で臨んでください』などと言うことで引き出したい求職者の自然体とは『会社で働いている時に出す雰囲気』……もっと言うなら『職場で上司と接する時の態度』なのではないだろうか。

 

それをイメージすると、なるほど確かに素でもなければ固すぎる訳でもないのが『自然体』だ。職場で上司相手に「はい!それは◯◯という理由があり、◯◯からです。このことから私は~」などと機械のように読み上げる部下がいたら不気味にも程があるし、だからこそ、面接官は面接の場で『リラックスしてください』『自然体で臨んでください』などと言う訳だ。

分っかり辛いわ!!!!!!!!!!!!

 

自然体のつくり方 (角川文庫)

自然体のつくり方 (角川文庫)

 


1社目の最終面接を控えた決戦前夜。勿論緊張こそするが、驚くほどにリラックスしている自分がいた。『自然体』の正体に気付けたことで、これまでずっと頭を悩ませていた『自分なりの正しい面接』がようやく見えたからだ。

 

(比較的)嘘も偽りもない動機を軸に据え、相手を会社の上司だと思って、自分の仕事に対する現実的な目標/何がしたいのかを語り、それを実現できる根拠(能力や実績)をPRポイントとして述べる。
目標地点がはっきりすれば後は着地までのルートを描くだけ、これまでのように道に迷うこともない。

 

かくして望んだ1社目の最終面接。
相手は現場のリーダーと常務取締役という緊張必至の顔ぶれ。しかし、面接の軸=回答のスタンスが固まっているためか、予想外の質問にもそれこそ『自然体』で答えることができた。そして何より、こちらのPRポイントに2人の面接官が興味を持っていると察することができた。

余裕があるからこそ、しっかりとアピールポイントを伝えることができたのかもしれない。

 

所々不安な問答もあり「概ね上手くいったか……?」という感触で終わった最終面接。それでも、やれることはやりきったのだから後悔はない……と、そう思っていたその日の帰り道、『マイナビ転職』のマイページに通知が1件。それを開き、驚きと感動で崩れ落ちた。

 

内定通知だった。


そこで余裕が生まれたのだろう、直後に行われたもう1つの最終面接にも無事合格。絶体絶命の窮地から一転し、2社の内定を獲得することができた。

突拍子もなく選ばれる側から選ぶ側に回り困惑したものの、事業内容や勤務待遇、職種に面接の雰囲気、そして内定を当日中に出してくれたことを鑑みて、1社目の会社の内定を受諾。
急転直下、2年間に渡る転職活動はここに終わりを告げたのであった。


第2次転職活動の最終的な結果は以下の通り。

 

【活動期間】
2021年2月末~2021年4月中旬

 

【自己応募】
応募=25社
書類選考通過=12社
1次面接通過=5社(うち1社内定)
2次面接通過(内定)=3社

 

【エージェント経由】
応募=30社
書類選考通過=4社
1次面接通過=2社
2次面接通過(内定)=0社


合計応募数は55社、そして内定は4社。
最初の転職よりも困難を極める状況ながら、より良い結果を掴むことができた自分をここは素直に褒めてあげたい。

 

十分な自由時間を持てる社会人ライフ、穏やかな雰囲気の職場、様々な経験と知識……。あまりにも過酷だった2年間だったが、相応に数多くのものを得ることができた。どれもこれも、この2年間が無駄でない証明としては十分すぎるもの。

しかし、それら以上に価値があったのは、この2年間を駆け抜けたことで少しだけ自分を好きになれたこと。心も身体もボロボロの自分には、それが何よりの報酬だった。

 

 

○  ○  ○

 

 

全てが終わって現在、2021年5月。GW明けから新しい職場で働いている真っ最中だ。
休みの少なさが玉に瑕だが、その欠点を補って余りあるほど快適な職場環境に毎日驚いている。

 

まだ勤務開始から1ヶ月も経っていないが、一つ分かったのは、自分のポジションがこの職場において『積極的な業務の改善・効率化』を求められていること。
それは、自分が第2次転職活動においてPRポイントとして挙げ続けていたものだった。

 

要は、運。

自分が受かった一番の要因は、自分の能力をピンポイントで求めていた会社に出会えたことだったのだ。


優秀な人も、合わなければ落ちる。
優秀でなくても、合えば受かる。

きっと、そういう『自分と合う企業』に出会えるかどうかは本当に運でしかないのだろう。

 

ただし全て運任せでいいはずもなく、そういう企業に出会うチャンスを増やす……つまり『運の底上げ』をするには、求人への応募を重ねて場数を踏み、理不尽さに打ちのめされても止まることなく歩き続けなければならない。 
仮に自分と合う企業と出会えたとしても、採用担当者の目に留まり、自分のPRポイント=『どこが合っているのか』をしっかり伝えられなければ意味がない。そのためにも選考対策は不可欠だ。

 

運だけに任せられない、けれど結局は運次第……。なんて理不尽な話だろう。
だからこそ、転職活動はきっと誰にとっても過酷な旅になる。人によって得意不得意や大小の差こそあるかもしれないが、結局、誰にとってもゴールの見えない旅である点は変わらない。最後の決め手は『運』なのだから。

 

何も「上手くいかないことを運のせいにしていい」と言いたい訳じゃない。言いたいのは「最後の決め手が運だからこそ、上手くいかなくても自分を責めるべきじゃない」ということ。

 

上手くいかないと凹むのは当然のことだが、どれだけ完璧に仕上げたとしても結局は運が絡む。選考に落ちたとしても、必ずしも『劣っている』と判断されたとは限らない。

 

例えば、ある求職者が書類選考を通ったものの面接で落ちたとする。
その原因が『能力不足』かと言われると、そうとは限らない。そもそも書類選考に受かった時点で、その能力や実績は『十分に採用の可能性がある』レベルだと評価されているのだから。
では、コミュニケーション能力や人柄に問題があったのか? というと、そうとも限らない。求められる人物像は企業によって異なるからだ。

 

積極性がありリーダーシップに優れた人は、成長中の企業では好まれる一方、年功序列型の組織では出る杭として嫌われることもある。そういう組織では、消極的であっても周囲に溶け込める落ち着いた人柄が好まれるだろう。


人の長所が様々なら、企業の求める人物像も様々。周囲から見て優秀そうな人でも落ちる時は落ちるだろうし、逆に、最低限の社会人経験と会社の求める人物像さえ持っていれば、それだけで合格できることだってあるかもしれない(おそらく自分はそのパターン)。

なにせ、こちらも人なら相手も人なのだから。

 

 

○  ○  ○

 

 

とはいえ、転職活動の過酷さの中ではどうしても自分を責めてしまう、自分を信じられない、という人もいるだろう。


そんな時はどうか周りを見てみてほしい。家族か友人かパートナーか、きっとあなたを待っている誰かがいるはず。もしそうなら、それは自分では見えなくても他人からは見える『何か』があるからだ。本当に何もない人間を人は待ってくれないし、手を差し伸べてもくれない。

 

僕も、大概自分のことが信じられない人間だ。全てが終わり、少しは自分が好きになれた今でさえ、日々過去の失敗を思い出しては都度凹み、自分嫌い病と格闘する毎日。転職活動中はそれが特に顕著で、メンヘラだと言われれば返す言葉もない。
かといって、メンヘラあるあるの『理解のある彼くん/彼女ちゃん』などいるはずもなく、ずっと背中を押してくれていた家族同然の親友は、転職活動中のある日を境に会うことも話すことも叶わなくなってしまった。

美談でありがちな『特別な支え』など、自分には無かったのだ。

 

だからこそ、自分嫌いが止まらなかった。

書類選考で落ちて、面接で落ちて、ただでさえ嫌いでしょうがない自分をもっと嫌いになる。何もかもが嫌になる弱い自分が情けなくて、もっともっと嫌いになる。負のスパイラルはどうやっても止まらない。

 

それでも、そんな自分の転職活動の終わりを待ってくれている人たちがいた。
自分のことが信じられなくても、信頼できる家族や友人たちが自分を信じてくれているのだ。皆が自分に何を見出だしてくれているのか分からなくても、自分を信じる皆のことなら信じてみても悪くないはず。「お前を信じる俺を信じろ」という言葉が脳裏を過った。

 

 

この記事を読んでいる方の中に、転職活動をしようとしている人、もしくはしている最中の人はいるだろうか。

 

これまで書いてきた通り、転職活動は過酷なもの。少なくとも僕は周りの支えがあったから最後まで進むことができたが、それでも最後は運次第。運が悪ければ、僕はきっと今でも無職だった。

 

ワクチンの接種こそ始まったが、熾烈なパンデミックの中で転職市場がいつ、どれほど好転するかは闇の中だろう。

そんな中で戦う/戦おうとしているあなたのことを僕は心から応援したいし、助けになれることがあるなら全力を尽くしたい。けれど、僕があなたを知らない以上、そこにはどうしても限界があるだろう。

知識や経験で多少の助力ができても、あなたのことを知らない僕からのエールは、あなたの心の支えにはなり得ない。

 

しかし、転職活動という険しい道を進むあなたの周りには、支えになってくれる人たちが必ずいる。周りが真っ暗で何も見えない時は、遠慮なく声を上げてみてほしい。喜んで手を差し伸べてくれる人がいるだろう。助けを求める側に遠慮があるように、助けたい側にも遠慮があるものだから。

 

 


転職活動はゴールの見えない過酷な旅で、『いつか必ず理想のゴールに辿り着ける』などという聞こえの良い言葉で締めることのできない理不尽なもの。だからこそ、とても一人で乗り越えられるものではないし、誰かの助けを借りることは決して恥ずかしいことじゃない。

 

『自分にできる最善を尽くし、時に誰かの手を借り、折れることなく歩き続けていく』ことが、僕の学んだ転職活動の最適解。

より細かく具体的なことも、3つの記事にできる限り書き綴ってきました。そんな記事たちが、一人でも多くの求職者の助けになることを切に願っています。

 

僕はあなたのことを知らないけれど、心の底からあなたのことを応援する一人です。

 


記事にして3本、非常に長い文章となりましたが、ここまで読んでくださった方々、僕の転職活動を支えてくれた皆様、本当にありがとうございました。

やったよ、俺。

 

れんとの転職活動レポート【中編】~契約社員、パンデミックに堕つ~


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~これまでのあらすじ~

虎賀れんとが新卒で就職した営業職、それは想像を遥かに越える地獄だった。

営業から逃げ出して平和なオタクライフを手に入れるべく始まった転職活動は、50社もの応募を経て遂に実を結ぶ。しかし、その雇用形態はあくまで契約社員という不安定なもの。

「正社員登用試験に受かればいい」と高みの見物を決め込むれんとだったが、水面下で『ある脅威』が世界に迫っていることを、この時は気付くはずもなく……。

 


○  ○  ○

 


時に2019年10月。
どうにか無職の期間を作ることなく、とある特殊法人の非常勤事務職員として転職に成功。前職は(どういう訳か)営業が営業事務をほぼ全て自身で行う会社だったため、事務職としての経験は十分。順調すぎるほどに業務をこなし、配属先での評価も上々。気分はさながら異世界転生して無双する主人公だった。 ※フラグ

 

しかしどれだけ成果を上げようとも、2年半という契約期間も、それまでに正職員登用試験に合格しなければならないというミッションも変わらない。

仕事の傍らで試験絡みの情報を収集していき、その試験が厳密には『一般向けの正職員採用試験に自分も参加するだけ』という(聞いていた話となんか違う)ものであることや、規模を変えて年2回開かれること、そのどちらも形式は同じで


①書類選考
②教養・作文試験
③1次面接(グループディスカッション)
④2次面接
⑤最終面接
という流れであることを知る。

 

当時は10月。最初の試験となる冬試験は、目的が欠員補充のため枠が少なく倍率が高い(30倍ほど)もの。そこで肩慣らしを行い、春に開かれる本試験で合格を狙う……というプランを立て、大学受験以来となる試験勉強の日々が幕を開けた。

 

畑中敦子の数的推理ザ・ベストプラス【第2版】

畑中敦子の数的推理ザ・ベストプラス【第2版】

  • 作者:畑中 敦子
  • 発売日: 2018/02/28
  • メディア: 単行本
 

 

非常勤職員ということもあってかそこまでハードな仕事は任されず、仕事は概ね定時で上がることができた。そうして確保できた時間を惜しみなく勉強に投入していく。
試験科目は公務員試験に準ずるため、大雑把に言うなら

・数学(数的推理/判断推理)
・国語(文章読解)
・社会(日本史/世界史/地理)
・理科(物理/化学/生物/地学)
・英語(文章読解)
・政治
・経済
・法律
・時事
・作文

といったところ。多くない?


ただでさえまともに勉強したことのない経済や物理といった科目が並んでいるのに、数学や世界史といった過去の宿敵たちまで並ぶ様相はまさに世紀末。早速この道を選んだ自分を全力で呪いつつ、家では数学の参考書、外では暗記科目の一問一答に教材を絞っていざ猛勉強。

 

そしてあっという間に迎えた2020年1月、無事に教養・作文試験を通過。1次面接となるグループディスカッションも上手いこと発表を担えたからか無事突破するも、2次面接で不合格となってしまった。

対策期間を考えれば健闘した方だぞ! と励ましてくれる自分もいれば、割とがっつりショックを受けている自分もいたりしたが、どのみち本番は次(6月)の春試験。怯むことなく試験の全容を書きまとめ、次なる対策を始めていく。

 

不安定な状況には違いなかったが、なぜかこの時の自分には「春試験では大丈夫だ」という妙な確信があった。
なにせ今度は対策の時間も十分。出題形式も分かるし、面接の形式も分かる。採用枠も多ければ、日々の仕事を通して法人への理解も深まっている。


そして何より面接担当者から言われたのだ、「よほどのことが起こらなければ大丈夫」だと。

 

 

2020年2月。
某ウイルスによる未曾有のパンデミック発生、緊急事態宣言発令。

 

2020年5月。
職場の友人から
「応募数が昨年比3倍」
というおぞましい報せが入る。

 

2020年6月~7月。
本試験に臨むも2次面接で落選。

 

2020年8月。
今回の試験の採用枠が昨年比1/10であり、実質的な倍率がおおよそ100倍スタートの試験だったと知る。

 


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ウゾダドンドコドーン!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 


そんなこんなで春試験は無事開催されたものの、またしても力及ばず敗退。
確かに、確かに自分が誰よりも完璧に仕上げていれば問題はなかった。『内部の人間』という大きなアドバンテージがあったのに、というのもその通り……なのだが、こんなのって、こんなのってないよォ!!!!!!!!!(碇シンジ)

 

だが本試験で採用が少なかったということは、転じて『欠員補充』を本来の目的とする冬試験での採用枠が増える可能性が高い、ということだ(ポジティブシンキング)。
契約期間(残り1年半)内に受けられる試験は残り3回。次を最後にする意気込みで、冬試験までの半年間をかけた更なる追い込み修行が始まった――!

 

フリージア

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2021年1月、試験当日。

熱 が 出 ま し た /(^o^)\


2021年2月。

人事担当「パンデミックのせいで経営悪化しました、3月で解雇ね ^ ^

 


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ウゾダドンドコドーン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 

 


正直、半期決算を見て嫌な予感はしていたし、その時点でこの事態を予想しておくべきだったのかもしれない。
そこで「どうにかなるっしょ!!」などと楽観を決め込んだ結果がこの始末。残り1年の猶予期間も、最後のチャンスだと思っていた残り2回の試験も消滅。全ての展望が白紙に戻ってしまったのだ。


厳密には『受験はできる』のだが、その場合は『無職の状態で、受かるかどうかも分からない試験に全てを懸ける』ということになる。それがいくらなんでも無謀すぎることくらい、冷静さを欠いた頭でも難なく理解できていた。
結果、残された道はたった1つ。

 

2021年2月。
パンデミックが世間を襲う中、転職活動が再び始まったのである……!

 


○  ○  ○

 


こうして幕を開けた第2次転職活動。しかし、同じ転職活動といっても状況は前回とまるで別物。

前回の転職時は社会人3年目。つまりはギリギリ『第二新卒』だった訳だが今度は4年目。第二新卒でないどころか『たった4年で2度も転職をしている要注意人物』という烙印が押されている状態だ。


更に、転職市場が売り手市場だったのも過去の話。世間はパンデミックでリストラが横行する真っ只中で、前回と同じような甘い覚悟で挑もうものなら惨敗するのが目に見えていた。

 

転職活動のピークは4月/10月就職分。そして、転職活動にかかる期間は平均して1~3ヵ月と言われている。
当時は既に2月。ピークに合わせて4月就職を目指すならすぐにでも応募を始めるべきだったが、見切り発車でどうにかなるような状況じゃないことは明白。急がば回れ、まずは土台を磐石にすることが何より必要だった。

 

絶対内定2023 自己分析とキャリアデザインの描き方

絶対内定2023 自己分析とキャリアデザインの描き方

 

 

という訳でまずは前回の転職活動の振り返り。するとまあ、志望動機や自己PRの拙いこと拙いこと。1年以上かけて正職員登用試験対策の修行を積んでいたこともあり、かつての自分の転職活動ぶりが無様に見えてしょうがなかった。気分はまさにフリーザとセルを同時に相手取るGT悟空。(オタク特有の伝わらない比喩)

 

問題は自己PRや志望動機だけではない。他にも業界や職種への理解度、将来の展望(ビジョン/キャリアプラン)といった『自己分析に由来する点』全てが練り不足だったため、自己分析のやり直しはまさしく急務だった。

 

前回の転職活動では転職エージェントとの面談や適性検査を経て早々に終えてしまった自己分析。確かに『資格・技能』や『数年間1つの職種で勤め上げてきた経験』など、箇条書きにするだけで伝わる魅力を持っている人ならばそれで問題ないだろうが、虎賀れんとというポンコツはそうもいかない。資格もなければ、社会人4年目にして転職2回目、しかも経験職種はバラバラだ。こんな履歴はプラスどころか明らかにマイナスなため、その分を自己PRや志望動機のような部分でカバーする=自己分析を人並み以上にしっかり行う必要があった。

 

その上でメインに据えたのは書籍。アナログな考え方だが、自己分析や面接対策のような『多様な切り口から学ぶ必要があるコンテンツ』に向き合う時は、各ページに都度飛ぶ必要があるネットよりも一つのモノとして体系的に纏まっている書籍の方が圧倒的に使い易い。


勿論この手の書籍には当たりはずれもあるが、そんな時に便利なのが書店。(時世柄あまり良いことではないが)店頭で内容をサッと確認し、自分の感じている『つまずき』に対応した回答が記載されているか、説得力のある文章か、などポイントを絞って転職活動のお供を見定めていく。

転職大全 キャリアと年収を確実に上げる戦略バイブル

転職大全 キャリアと年収を確実に上げる戦略バイブル

  • 作者:小林 毅
  • 発売日: 2019/04/19
  • メディア: 単行本
 

個人的にお勧めなのがこちらの書籍。

転職に特化した書籍自体が少ない中、この本は『転職初心者とコンサルタントの対談』を模した形式になっているため、シビアな転職事情を素人の視点から分かりやすく学ぶことができる。スタートアップから内定周りのことまで一冊でカバーしている点もポイントが高く、買っておいて損はない一冊だ。

(これまでに何度か貼り付けてきた『絶対内定○○』も非常に有用なシリーズなので、特定の分野に不安のある方は是非)

 

この本をベースにしつつ、不足している点を他の書籍や『マイナビ転職』などの転職サイトに掲載されたコラムなどで補い、自己分析を一からやり直す。そしてその自己分析を元に、これまで転職エージェントに丸投げしていた職務経歴書を自分で一から作り上げる。

 

ラジオ体操を全力で行うとかなりの運動量になるように、自己分析もここまでガッツリ行うと中々に時間がかかるもので、この時点で既に2月下旬。はやる気持ちを抑えつつ、次は『どうやって応募していくか』を見直していく。


結論から言うと、個人的な最適解は『転職エージェントと転職サイトの併用』だった。

 

前回の転職活動では転職エージェント2社(duda、マイナビジョブ20s)を利用し、自己応募は片手で数えるほどの件数しか行わなかった。しかしその結果が2/50の内定で、それも片方は非常勤職員というハードルの低い採用=実質的にノーカウント。大敗だ。

この大敗には、自分自身の力不足という大前提に加えて、もう1つ『エージェント経由の場合は採用側のハードルが高い』という事情が影響している。

 

転職エージェントは(自分の知る限り)無料で利用することができる。では転職エージェントの利益はどこから出ているのか? というと、求職者が転職した場合に採用した企業からエージェントに支払われる『紹介料』だ。

ここで、求職者-転職エージェント-企業の関係を整理すると下記のようになる。

 

     【求職者】
    依頼↓ ↑企業を紹介
   【転職エージェント】
求職者を紹介↓ ↑依頼(成約時に追加報酬)
  【社員を募集する企業】

 

つまり、転職エージェントとは求職者から見れば『無料で利用できる頼もしいアドバイザー』である一方、企業から見れば『高いお金を払うことで、安心して質の良い新入社員を迎えられる』サービスという訳だ。


そのため『わざわざ高い金を払ってでも雇いたい』レベルの求職者でなければ、いかにエージェントのフォローがあれど選考を勝ち抜いていくことは難しいのである。
(参考までに、エージェント各社に『事務職への転職における書類選考通過率』を訊ねたところ、各社多少のブレはあったが10~20%という共通の回答が出ていた。低すぎない……?)

 

こういった事情から、転職エージェントは確かに便利だが『それ一本でやっていくにはリスキー』なシステムで、安定した転職活動を求めるならそのリスクを補う方法が必要になってくる。そこで登場するのが『マイナビ転職』のような転職サイトだ。

 

転職サイトへの求人掲載は(ハローワークを除くと)有料だが、転職エージェントと違い採用時に特段の追加発生料金がないため、企業からすると安定性に優れた求人方法で、採用も比較的気軽に行うことができる。そのためエージェントを介する場合よりも書類選考率が高い、という訳だ。

 

当然だが、転職サイトからの応募は『自己応募』であり、転職エージェントのようなサポートを受けることはほぼできない。書類は0から作らなければならないし、応募手続きも全て自分で行う必要がある。しかし、だとしても選考通過率が高いというメリットに敵うものなんてない。

 

この転職サイトを転職エージェントと組み合わせて使うことで『転職エージェントのサポートで得たノウハウを活かし、転職サイトから応募し安定した活動を実現する』という(個人的な体感として)最も有効な転職活動が可能になるのだ。
(勿論、サポートを受けるためにもエージェント経由での応募は不可欠。難易度こそ高いが、持ち玉が多いに越したことはない)

 

このように大まかな方針を決めた次は、より細かい準備を行っていく。

まず、使う会社は自分の経験と各所の評判、実際の使いやすさなどから判断し、転職エージェントを『マイナビジョブ20s』と『マイナビAGENT』に、転職サイトを『マイナビ転職』にそれぞれ決定。

 

志望職種は諸般の事情、そして自分の能力や経験を踏まえて広義の事務職(人事/総務/労務/経理/事務/営業事務)に限定。更に志望業界を自身の適性や希望としっかり擦り合わせることで、ようやく第2次転職活動の準備が完了。

長い戦い、その最終章が遂に始まろうとしていた。

 

○  ○  ○

 

第2次転職活動、その準備を始めた頃はまだ2月上旬、しかし準備が終わってみれば2月末。
4月の転職に向けて大きく出遅れてしまったが、時間をかけて様々なことを学び、改善していく過程は苦労に見合った自信を与えてくれた。

 

努力は絶対に裏切らない、などと柄にもないスポ根精神を胸に秘め、ゆっくりと歩き出す。
目標は3月以内の内定獲得。

世間がパンデミックの脅威に震える中、本当の最後の戦いが遂に幕を開けた――!

 


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