こがれんアーカイブ

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〈2025年9~12月〉映画感想まとめ - “難しい映画” VS 映画初心者のぼく

世の中には「難しい映画」がある。 

テーマやストーリーが難しい映画、構成や演出の理解にリテラシーが必要な映画、所謂「スタンダード」から外れた映画に、言葉を濁した果てに「難しい」という表現に行き着く映画……。有識者曰く、映画館に通っているとそのような作品に出会うことは珍しくないらしく、自分もこの短い期間で3本の「難しい映画」に出会うことになった。そのような映画については「ひとくち感想」という建て付けでも単体の記事にするのは難しく、この感想まとめ記事があって良かったな……としみじみ感じるところ。 

そしてその3本との出会いから学んだのは、理解できなかったからといってそれらを一概に「難しい」と切り離してはいけないということ。 

真面目に向き合えば「難しさ」の先にあるものが見えてくることもあるし、その理解できない感覚にこそ作り手の真意が潜んでいることもある。……もちろん、中にはどうしたって受けつけない作品もあるけれど、それは(少なくとも自分にとっては)希なものだと思っている。 

だからこそ、今回の記事は自分の映画ライフにおける転換点。難しい映画だからこそ真摯に向き合い、しっかりと今後の「糧」にしていきたい。 

(既に感想を書いている作品については、当該記事を掲載しておきます) 

 

kogalent.hatenablog.com

 

《目次》

 

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『8番出口』(9/6鑑賞)

 

『8番出口』は、アイカツ!ブランドのVTuber的存在であるアイカツアカデミー!配信部2名の実況プレイを視聴したのみで、プレイしたのは本作の鑑賞後……なのだけれど、「あの作品をどう90分の映画にするのか」という興味と「本当にそんなことができるのか」という不安を胸に映画館へ。して、概ねネガティブな意味で予想を越えられてしまった一作だ。 

前提として「見所のある映画」だったとは思う。主演・二宮和也氏の名演や、「異変を見逃さない」を「見て見ぬふりをしない」に接続することで、8番出口という現象を物語から浮かせなかった采配。そして何より、POV視点やカメラの長回しを用いた原作再現は圧巻だった。あのループ構造は一体どうやって撮ってるんです……!? 

作中で見られる異変も、原作でも気づきにくく印象的なドアノブや、リセット効果のある濁流にスポットが当たっていたりと、そういった「原作のプレイ体験のトレース」ぶりは作り手の愛を感じたところ。無限ループで発狂寸前にまで追い込まれる二宮和也氏の姿も含め、これらは原作未プレイの自分よりも原作ファンの方が遥かにグッと来る部分になっていると思う。 

しかし『8番出口』にそこまで思い入れがある訳ではない身としては、そのようなプラス評価をマイナス面が上回ってしまった、というのが正直な感想。「歩く男」パートの尺が妙に長かったり、事の発端となる「別れようと決めた後に妊娠が発覚する」「選択を互いに決められない」という無責任すぎる前提が主人公カップルの好感度を著しく損なってしまったり 、そもそも本作の「異変」は「逃げれば解決する」ものなので画面で何が起こってもさほど緊張感がなかったり……。 

これら一つ一つが、構造上不可避な「間延び感」「同じ画を見せ続けられる苦痛」と合わさった結果、本作は何とも言えない「しんどさ」に満ちた映画になってしまっており、これを耐えられるのは『8番出口』の再現を自分以上に楽しめる人たち=プレイ済みの人ぐらいなのでは、と思えてしまう。 

が、そうした「プレイ済みの人たちをターゲットにした映画」として内向きに作られるならともかく、本作はキャストもPRもガッツリ力の入った「一般向け」映画で、そのことを踏まえて観るとどうしてもエンタメとして不適当な代物に思えてしまう。90分ではなく60分尺だったら見え方が変わったのかもしれないが……。

 

 

ヒックとドラゴン』(9/15鑑賞)

 

感想記事はこちら↓

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『映画 キミとアイドルプリキュア♪ お待たせ!キミに届けるキラッキライブ!』 (9/23鑑賞)

 

感想記事はこちら↓

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『THE オリバーな犬、(Gosh!!) このヤロウ MOVIE』(10/2鑑賞)

 

映画館にそこそこ通うようになって数年経ったけれども、中でもダントツの難解さだったのがこの映画。というのも、この映画が「何を描いた映画なのか」が正直なところ最後まで分からなかったのである。面白い面白くない、ではなく「分からなかった」という点がミソ。 

本作は、TVドラマとして放送された『オリバーな犬』の劇場版。TV版未履修で楽しめるかやや不安だったところ、親切にも冒頭でTV版の出来事や「主人公にだけ人間に見える警察犬のオリバー」という特徴的な設定を振り返ってくれたので安心できたし、細かい点が分からなくてもこの映画は楽しめそうだ、という確信を持つことができた。 

その予想は当たっていて、イントロダクションとなるChapter.1は思ったよりも素直に楽しむことができた。00年代のバラエティを思わせるシュールな掛け合いや、そこから見えてくる「それぞれがそれぞれに少しズレている」という枠組み、そして何よりオリバーが放つ強烈な存在感。アーティスティックなこだわりを感じられるカット・演出も多く、導入として非常に掻き立てられるものがあった。 

そして、自分が最もワクワクさせられたのがこのChapter.1のクライマックス。破裂音がきっかけで何かと共鳴したのか、突如奇妙な行動を見せ始める羽衣、そしてモーセの海割りのように拓く海、その中に佇む赤いドア。この一連のシーンに感じられるトリップ感や狂気・不安、ルドルフの最期がオーバーラップする演出による期待の高まりは (美しく狂気的な劇伴もあって) 並々ならぬものがあり、ホラージャンルが好きな身としては「この先に凄いものが待ち受けていそうな気がする」と身を乗り出さんばかりの勢いだった。……のだけれど、確かにその先には「凄いもの」が待ち受けていた。

 

 

というのも、ここから先の展開にはオリバーもハンドラーの青葉一平もほぼ登場せず、コニシさんの過去、漆原富章の家族喧嘩と女装癖、溝口健一とたこ焼きの世界……といった奇妙なエピソードが描かれていく。それぞれのエピソードには、世界線を跨ぐポータルと思わしき「扉」が登場し、それらが神社の鳥居と重ね合わされる演出も見られたため、根底には認識論や神話のメタファーが込められているのかもしれない。 

そして、それらのエピソードを潜り抜けた先にようやく話がChapter.1のラストと繋がり、舞台はオープニングでも描かれていた謎のバーへ。ここで遂に話が動くか……!? と思わず拳を握り締めたものの、そこで映画は終了。序破急の破で話が打ち切られてしまったような、なんとももどかしい心地のまま劇場を後にすることになってしまった。 

残された不条理感と向き合いながら、自分はしばらく「この作品はどう楽しむのが正解だったのだろう」と考えていた。この理屈で推し量れないトリップ感やダイナミズムを全身で味わうことこそが本作の楽しみ方なのかもしれないし、セオリーから外れた物語展開も「起承転結という型からの脱却」と考えると、それはそれで作品の内容と辻褄が合ってくる。  

もしかすると、これが所謂「考えるのではなく感じる映画」なのかも、とも考えた。けれど、本作の中には間違いなく「筋」があった。オリバーやルドルフらの物語ではなく、より俯瞰的で一貫した何かが。そう感じ続けていたからこそ、それを理解できないのが悔しくてもどかしかったのだと思う。  

自分はまだまだ映画の多様性のたの字にも触れていないド素人。本作は、そんな自分にとって「映画」の入口になったのかもしれない。いつか本作を理解……とまではいかずとも、もっと純粋に楽しめるようになる日が来るよう、これからも映画館に通い詰めていきたい。 

ところで、SNSを騒がせていた『仮面ライダークウガ』要素として自分が見つけられたのは、件のバーに「バラのタトゥの女」のような人物 (一瞬だったので七森美江氏ご本人かまでは確かめられなかった) がいたことのみ。他にも何かあったのかな……と思っていたら、実際は何かあったどころの騒ぎじゃなかった。

 

 

クウガ世代として、この一世一代の銀幕クウガに気づけなかったのはとても悔しかったけれど、そのさりげなさにこそホンモノの愛があるというもの。オダギリジョー監督他キャストの皆様、こんなにもクウガを愛してくださって本当にありがとうございました……!!

 

 

感想『アイカツ!×プリパラ THE MOVIE -出会いのキセキ!- 』(10/18鑑賞)

 

感想記事はこちら↓

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機動警察パトレイバー 2 the Movie』(10/18鑑賞)

 

パトレイバー the Movie』は前作共々サブスクで視聴済だったのだけれど「これは劇場で堪能したい」という思いと「いやこれは劇場で腰を据えて向き合わないと理解しきれない」という思いとで、まずは前作『機動警察パトレイバー the Movie』を2024年9月に劇場で鑑賞。圧巻の作画と音楽をスクリーンて存分に堪能しつつ、それはそれとして、伊藤和典氏お馴染みの「 “説明臭さ” を徹底的に排除した視聴者忖度ゼロの台詞回し」に付いていくのに必死なことは否定できなかった。 

して、それから1年。間に『GHOST IN THE SHELL』『イノセンス』を挟んだことで伊藤和典氏適性 (?) も多少は付いただろうということで、最難関と思われた本作『機動警察パトレイバー 2 the Movie』を劇場で鑑賞……したのだけれど、同3作とは比べ物にならないほど「付いていくのに必死な劇場体験」だったというのは間違いない。 

というのも、本作第一の難しさは「何者かによって、自衛隊・警察間の内戦が引き起こされる」というプロットが多分に政治的であり、「軍事リテラシー」だけでなく「政治的リテラシー」までもが問われてしまう点。内戦が引き起こされる過程はもちろん、そこに関する単語にも専門用語が多く、一瞬でも気を抜いたら話に置いていかれるという危機感は凄まじく、鑑賞中のカロリー消費は相当なものだった。 

しかし、それでも「観させる」力があるのがこの作品。作画や音楽・推理ドラマ的な側面といった前作譲りの魅力や、柘植・南雲・後藤のビターかつドライな「語らない」関係性など本作はトピックを挙げたらキリがないが、中でも自分に刺さったのは、本作の「戦争」に対する向き合い方。

 

 

本作の黒幕と呼べる柘植行人。彼は「戦争を画面の中の出来事としか認識していない今の日本」の犠牲者であり、その目的は「日本を戦後からやり直させる」ことにあった。そしてそれは、今も世界中で起こっている戦争について現実感を持てておらず、日本を取り囲む昨今の世相を見ながら「どこからが “戦争” と呼べるものなのだろう」と何度も思っていた自分にも刺さるもの。「今の日本は平和ではなく、見せかけの平和の中にいる」という彼らの主張や、作中の「見せかけの平和を保ちながら内戦に突入する日本」のリアルな描写には、令和7年に生きる人間としてゾッとするものを感じずにはいられなかった。 

しかし、後藤の「まともでない役人には、二種類の人間しかいないんだ。悪党か正義の味方だ」という台詞にも象徴的なように、本作はあくまで「それでも人を信じる」物語をこそ貫いてくれた。見せかけの平和の中にいる人々は、現実から目を逸らしているのではなく、今そこにある虚構の平和を信じているのだと。  

法は人を守るものではなく、人が守ることで秩序を生み出すという手段に過ぎない。同様に、この世界には真の平和など存在せず、そこにある虚構の平和を信じ、そのためにそれぞれが力を尽くすことで初めて「平和」への道が見えてくるのかもしれない。 

そして、そのロジックはきっと私たちを取り巻く見えない繋がり=人間関係についても言えるもの。だからこそ、柘植・南雲・後藤のドラマはまさしく本作の「核」足り得ていたのだろうと思う。

 

 

『劇場版 ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス』(10/24鑑賞)

 

感想記事はこちら↓

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『劇場版 ペルソナ3』(12/13鑑賞)

 

こちらは劇場ではなく友人宅で鑑賞。ペルソナシリーズの知識は「4が明るいらしい」「5がなんかオシャレでカッコいいらしい」そして「3が特に重いらしい」という偏った知識しか持っていなかったので、正直自分に合う作品かどうかは全くの未知数。……だったのだけれど、いざ観てみたところ、想像以上に「刺さる」作品になっていた。 

ダークなテイストと重厚な劇伴、ホラータッチな演出とデザインワーク、それでいて若々しいジュブナイルという (おそらく意図しての) ミスマッチ感。一つ一つの要素が思った以上に好みだったのはもちろん、特筆すべきは本作で描かれていく「いつか失ってしまうなら、得ることに意味はないのか」というテーマだろう。

 

 

本作視聴前に知っていた唯一のキャラクターである荒垣真次郎。そのあまりに高い好感度や露骨な死亡フラグには「逆に死なないだろう」「というか死なないでくれ」と願っていたものの、彼は第2章『Midsummer Knight's Dream』終盤でその命を散らしてしまう。 

彼の死はそれだけでもショッキングだったのに、問題はその死を招いてしまった一因が――間接的とはいえ――主人公・結城理にあったこと。特別課外活動部の日々を終わらせたくないという迷いと躊躇いが、彼が二度と味わいたくなかった「大切な存在との離別」を引き起こしてしまったこの皮肉は、それ自体が『ペルソナ3』を象徴するものとさえ言えるかもしれない。 

そんな荒垣の死をきっかけに、本作はそのテーマ =「いつか失ってしまうなら、得ることに意味はないのか」という問いかけを露にしていく。 

母との死別をきっかけに「繋がり」を拒んだ理。想い人との戦いを強いられた順平、掌で踊らされていることに気付かず、愛すべき父を喪ってしまった美鶴。第3章ではそんな彼らの絶望と克己が描かれていくが、驚くべきことに、本作においてはそれらさえもある種の「前座」に過ぎなかった。

 

 

第3章から現れ、傷ついた理の良き友人となった青年・望月綾時。その正体は圧倒的な力を持つシャドウ「デス」であり、世界を滅ぼす「死」の具現化 =ニュクスの使徒(宣告者)でもあった。 

世界は滅びる。そのことが避けられない運命として突きつけられる本作終盤は、前述の「いつか失ってしまうなら、得ることに意味はないのか」というテーマを最大化する。それは「いつか死んでしまうなら、生きることに意味なんてないのか」という問いかけであり、「命の意味」を巡るテーゼとも言えるだろう。  

いつか失うなら得なくていい。いつか死ぬなら生きる価値なんてない。命に意味なんてない。そんな答えのない絶望を具現化するように、第4章では「死に行く世界」がリアルな質感を持って描かれていく。 

静かに消えていく人々、道に転がる動物の死体。生気を失い、狂っていくゆかりたち。このかつて見たことのない異様な空気感を前に、自分はこの作品がバッドエンドを迎えるものだと信じ込んでいた。このリアリティで描かれる「いつか死んでしまうなら、生きることに意味なんてないのか」という問いかけに対して、返せる答えなんてないと思っていたからだ。 

しかし、それは大きな間違いだった。

 

 

父の愛と夢に自身の未来を見た美鶴とゆかり。荒垣に託された遺志を思い出す天田と真田。側にある千鳥の息吹を感じる順平。夏紀との絆を確かめる風花。 

そして理も、客人と関わることで初めて生の実感を得たエリザベスの姿に、閉じ籠っていた自分が「ちゃんと生きていなかった」ことを、みんなとの出会いで自分が「生きることを始められた」ことを悟っていく。 

確かに、どんな繋がりもいつかは必ず失われる。どんな命もいつかは潰える。 

けれど、生とは他者との繋がりの中にある。だからこそ、繋がりが絶たれても命が燃え尽きても、生きた証は誰かの中に残ってくれる。自分が死んでも「自分より大切なもの」があるならば、そこには必ず命の意味がある。そのことに「生身かアンドロイドか」という差なんてありはしないのだろう。 

そして、理の母が最期に笑ったのもきっとそれが理由。自分が死んでも理が生きてくれるなら、そこに自分の「命の意味」があった。そのことに気づいたからこそ、彼女は――そして、皆と再会した理もまた、最期に心からの笑顔を浮かべられたのかもしれない。

 

 

おわりに

 

昨年の下半期映画感想まとめ記事で、自分はこんなことを書いていた。  

ランキングを作れなかったのはちと悔しいけれど、新作だろうと再編集だろうとリバイバルだろうと、素晴らしい作品に映画館で出会える体験は一期一会。今後も新作かどうかに囚われず劇場へ足を運びたいし、それはそれとして、来年はもっと自分の知らない世界に手を出していきたいところ。来年もこのシリーズが続けられるくらい、映画館に足を運べますように……

引用:〈2024年下半期〉映画感想まとめ - 完全新作僅か7本、過去に囚われたオタク VS 怒涛のリバイバル上映祭り - こがれんアーカイブ

 

2025年下半期の映画鑑賞本数は(映画館で観たものに限ると)13本。数の面では約20本観ていた2024年下半期に大きく劣るけれども、ここで言う「自分の世界を大きく広げる」という目的は十分以上に達成できたように思う。 

『F1』『ヒックとドラゴン』などの海外作品。(その是非はともかく)大衆向け作品としてマーケティングされていた『8番出口』、相異なるベクトルでの「難しい映画」だった『オリバーな犬』と『パトレイバー2』。読書感想もそうだけれど、この2025年下半期が自分にとって「映画鑑賞のステップアップ」に繋がることは間違いないはず。 

となれば、あとはその経験をしっかり生かすのみ。無理なく楽しく、2026年も映画館でのたくさんの出会いを自分の糧にしていきたい。