こがれんアーカイブ

特撮・アニメの感想記事を中心に、作品の魅力を日々発信中。

〈2025年7・8月〉映画感想まとめ - 大長編タローマン F1地方のある場所に大爆発 ファースト・ステップ

2024年から、一本の記事にまとめられなかった映画の感想記事を「映画感想まとめ」という記事にしてアップするようにしている。先日も2025年上半期の記事をアップしたので今は下半期の記事を書いているのだけれど、驚くべきことに2025年7・8月の分だけで10000字弱の文章が出来上がってしまった。なんだこれは!  

その理由は、シンプルにここ2ヶ月の映画があまりにも傑作揃いだったから。事実上たった4本の感想まとめ記事になってしまうけれど、是非お付き合いください……! 

(既に感想を書いている作品については、当該記事を掲載しておきます) 

 

kogalent.hatenablog.com

 

《目次》


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引用:映画『大長編 タローマン 万博大爆発』本編〈冒頭〉映像【8月22日 (金) 公開】- YouTube

 

『KING OF PRISM-Your Endless Call-み~んなきらめけ!プリズム☆ツアーズ』(7/3鑑賞)

 

感想記事はこちら↓

 

 

『F1 (吹替版) 』(7/17鑑賞)

 

自分は洋画に不慣れで、F1はおろかスポーツ全体に疎い人間で、その上一人称視点 (FPS視点) で酔いやすい人間だ。つまり、この『F1』は自分にとって苦手要素のオンパレードであり、鑑賞後1時間が経った今も頭がふらふらするくらいにはハードな2時間半だった――のだけれど、それを押してでも「劇場で観て良かった」と思える傑作だった。 

『F1』の魅力として真っ先に挙がるのが、何と言っても疾走感溢れるレース描写。レースは第三者視点で見るとスピード感が感じにくい……というジレンマを踏まえてか、本作は一人称視点を強く印象付けたり、カットインを多用したりといった工夫でそれをカバー。クラッシュシーンを作中で多く見せていることもあって、F1レース特有の「デッドヒート感」を初心者でも体感できる作りになっていたし、そのような「説明ではなく、見せ方によるフォロー」が本作の大きな魅力。F1レースにおける攻防・戦略をすんなり理解し、レースの趨勢や中盤の大クラッシュで一喜一憂できたのも、これら見事な演出が功を奏した結果と言えそうだ。 

一方、自分にとってもう一つの不安要素が「洋画慣れしていない」ということ。洋画をあまり観ていないので人の区別が付きづらかったり、洋画特有のコミュニケーション (ジョークとジョークの応酬や恋愛観など) が飲み込みづらかったり……。実際、本作もケイトともう一人の女性クルーの区別が付かない時があったり、ソニーとジョッシュがポーカーで仲直りするくだりで「えっなんで仲直りしたの!?」となった (感情の変化に付いていけなかった) りと、そのような「不慣れさ」が何度も顔を覗かせていた。それでも自分が本作に最後まで付いていけたのは、偏に本作のメインストーリー=ソニーの物語が見事に刺さってしまったから。 

かつての栄冠を失い、年老いてしまったソニー・ヘイズ。『F1』はそんな彼がジョッシュという新世代に未来を託す継承の物語のようで、事実そういった側面はあるだろう。けれど、本作はあくまで「ソニー自身の」物語として描かれていく。ケイトに不器用なアプローチを重ねたり、ジョッシュに勝利を譲ろうとした結果、自分自身が優勝を掴み取る結果となったり……。本作でのソニーの歩みは、いずれも「老人は若者の糧となるべき」という暗黙の了解を覆す、とても瑞々しい青春の輝きだった。

たとえ年老いたとしても、自分の夢を持っていい、欲望に素直であっていい。義を見失うことさえしなければ、世界はきっと応えてくれる。そんな本作のメッセージに説得力があるのは、ソニーを演じたのが御年61才のブラッド・ピット氏だからなのだろうし、自分が更に年を重ねて「老い」を感じた未来、きっと自分はもう一度この青作品に触れて、今よりも大きな希望を貰うことになるのだろうと思う。

 

 

『映画 ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー 復活のテガソード』(7/29鑑賞)

 

感想記事はこちら↓

 

 

『映画 仮面ライダーガヴ お菓子の家の侵略者』(7/29鑑賞)

 

感想記事はこちら↓

 


『ファンタスティック4 ファースト・ステップ』(8/7鑑賞)

 

マーベル作品は『アベンジャーズ/エンドゲーム』に連なる作品は最低限押さえていて、以降のものにはノータッチ。それは『F1』の項でも触れた通り「洋画がやや苦手だから」というのが理由で、細分化すると「人の見分けが付き辛い」「恋愛観が合わない」というのが根本的な原因だったりする。その点、この『ファースト・ステップ』は「登場人物が絞られている」「リードとスーは “既に夫婦” であり、2人の衝突も納得のいくものになっている」……と、奇しくも件の苦手要素を払拭するものになっており、結果、自分はそれが洋画であることを忘れるくらいには本作にのめり込んでしまっていた。そんな本作の魅力として挙げたいのが、作劇上の「バランス取り」の巧さ。 

本作の主軸は、ミスター・ファンタスティック=リードと、インビジブル・ウーマン=スーの夫婦とその子どもを巡る物語。一方、家族の為に自己犠牲に走ってしまうヒューマン・トーチ=ジョニーと、リード・スー夫婦のif的存在であるシルバー・サーファーの関係や、4人の中で唯一元の姿を失ってしまったザ・シング=ベンの切ない恋路は、ともすればそんな主軸を食いかねない程には魅力的なものだった。 

だからこそ、それらを丁寧にコントロールしてみせたのが本作の大きな評価点。ジョニーとシルバー・サーファーの物語は「中盤で一旦フェードアウトさせ、決定打を最後の最後まで取っておく」という構成のおかげで本筋を食うことなく描かれきっていたし、ベンの悩みと恋路については (中途半端に触れるには重すぎる題材であることを踏まえてか) 台詞ではなく「演出で魅せる」方針に舵が切られており、結果、彼の描写は尺に比べて深く、品の良い存在感を放っているように感じられた。 

(ベンについては、スーが民衆の前で語った「家族観」が彼にとっての救いとなっているであろう点も非常に巧かった)

 

他にも、民衆との対立・和解が説得力のある形で/露悪的になりすぎないように描かれていたり、スーの頭一つ抜けた力はあくまで子ども (フランクリン) が関わる際にのみ発揮されていたりと、このような「バランス感覚に優れた作劇」がそこかしこに散りばめられたことで、本作は (ツッコミどころがなくはないのだけれど) 総じて驚くほどストレスフリーな仕上がりになっていた。その結果際立っていたのが、レトロフューチャーの実写化というコンセプトや「家族は血の繋がりではなく、自分よりも大切にしたいと思える相手/その繋がり」という本作のテーマ。  

レトロなルックに包まれた現代的な絆。そんな「地に足の着いた暖かさ」こそがこの心地好い鑑賞体験の所以であるなら、それはまさに、誰もが心を磨り減らしながら生きるこの時代に相応しい「王道」であるのかもしれない。

 


近畿地方のある場所について』(8/12鑑賞)

 

『コワすぎ!』でお馴染みの白石監督が、話題作の実写化で邦画界に殴り込みをかける……ということで、カクヨム掲載の原作を履修した上で鑑賞。 

件の原作は、白石監督の傑作『ノロイ』などの系譜に連なる「様々なフッテージが一つの真実に繋がっていくモキュメンタリー」形式となっており、各時代ごとの日常風景や、それらを侵食する呪いの生々しさ・巧妙な叙述トリックも相まって話題になるのも納得の傑作ぶり。その凄まじい後味の悪さや破滅的な美しさもまた『ノロイ』へのリスペクトが感じられるものだった。

 


(自分が同作の中で特に好きなパート。ホラーというジャンルそのものの芯を捉えた金言として、この一連を常に胸に刻んでおきたい)

 

して、そんな小説の実写化として送り出されたのが今回の『近畿地方のある場所について』。フッテージを散りばめた「資料集」と背筋氏の語りで構成されていた原作に対し、本作はより劇映画チックな再構成が施されており、菅野美穂氏演じる背筋氏もとい「瀬野千紘」と、赤楚衛二氏演じる「小沢悠生」のW主人公が資料を元に近畿地方のある場所に迫っていく、リッチな画作りのミステリードラマとなっていた。チヒルルォォ!!ニゲルルォォォ!! 

この前提にも顕著だが、特に本作序盤で光っていたのが節々の「アレンジ」の巧さ。というのも、本作のフッテージは原作に極めて忠実な (本作、特にフッテージにおいては「脳内で思い描いていた情景」そのままの画が多々登場する。白石監督、流石すぎる……) 仕上がりになっているが、実写化するにあたって的確なアレンジが施されているものも多い。 

例えば、「2ちゃんねるでの幽霊物件実況」が「幽霊物件突撃のニコ生配信」になっていたり (コメントにサラッと流れる「見つけてくれてありがとうございます」の怖さよ!) 、バイカーの不審なブログ投稿は「そのブログを見て、その真似をした人による動画」になっていたり……。それらは得てして「小説で描かれたニュアンスを、実写映画という媒体で伝える」上で必要な改変であり、そのような的確な改変を施されたフッテージたちが本作への期待を否応なしに高めてくれていた。「各時代に合わせた演出・ディレクション」の精度が更なる進化を遂げていた点も白石監督のファンとしては垂涎ものだ。 

しかし、そんな忠実な実写化は「瀬野のビンタが精神を乗っ取られた小沢を正気に戻す」というシーンを皮切りに徐々に崩れ去り、手持ちカメラによる佐山家探索と「岩を破壊すればどうにかなる」という目的の確立によって急に『コワすぎ!』へと変貌。容赦なく轢かれる赤い女のような (セルフオマージュの匂いも感じさせる) 面白シーン大連発はファンとしてとても楽しかったけれど、頭の中ではどうしても「これは原作ブレイクではないか」という懸念が拭えなかった。しかし、今思うとそれは原作ブレイクではなく、前述の「実写化にあたって必要だった、原作を尊重した改変」だったように思えるのだ。  

というのも、原作の大オチは「実は (同作における) 語り部=背筋氏は女性であり、最初から呪いを拡散するために動いていた」というもの。この性別逆転が冒頭で述べた叙述トリックなのだけれど、本作は実写映画なのでその点がごっそり抜け落ちてしまっており、何らかの補填がなければその分オチが弱くなってしまう。また、原作のじっとりと「厭」な終末感も、そのまま実写映画としてお出しするにはややパンチが弱かったのかもしれない。原作を尊重すればこそ、その痛烈なショックの再現には「改変」が必要であり、その結果として生まれたのが「コワすぎ!的な展開そのものを盛大なミスリードに、瀬野が既に術中にあったという恐怖を倍加させる」という本作のクライマックスだったのではないだろうか。  

……とはいえ、ましろさまや赤ん坊の姿が露になってしまったり、途中まで激コワだった赤い女やあきらくんが車で爆走する2人に太刀打ちできなかったり、といった展開には少なからず「ノロイの方向で駆け抜けて欲しかった」と思ってしまったし、原作では集団心理に殺されていたましろさま=まさるが「宇宙からの来訪者によって呪いに変じた」という、物語の根幹と言える部分が変貌している点については今もやや納得しかねている。このモヤモヤを晴らすためにも、パンフレットや入場特典から本作の「真相」に迫っていきたい。

 

 

映画『大長編 タローマン 万博大爆発』(8/22鑑賞)

 

タローマンが映画化、という話を聞いた時は、あの狂気を2時間浴びれるのかという自分向けの心配と、2時間もやったらタローマンの良さが損なわれてしまうんじゃないか、という外向きの不安とで胸が一杯だったけれど、ところがどっこい、この流れから「順当に面白い特撮映画」がお出しされるだなんて、一体誰に予想できたのだろうか。  

本作は、冒頭こそタローマンのモーニングルーティン (タローマンのモーニングルーティン???????) や、一見トンチキなようでその実とても豪華なフルセットアナログ特撮で描かれる昭和100年の世界など、所謂「TV版タローマンのスケールアップ」的な展開を見せていく。その光景を、自分は楽しさ半分「このまま最後まで走り抜けられるか……?」という不安半分で見守っていたのだけれど、そのような不安たちは、大人になった少年隊員の「でたらめを切り捨てる現CBGに対し奇獣と共に戦っていた」というアツすぎるカミングアウトや、敵首魁の「でたらめになれない悔しさから、世界からでたらめを奪うものに変貌してしまった隊長」という正体バレによって一気に消し飛んでいく。そう、この作品は一見でたらめなようで、それと同じくらい「堅実で真面目な」SF作品でもあったのだ。  

本作の白眉は、このような真面目な話をしている中盤パートに「タローマンの記憶喪失」というイベントをあてがったこと。べらぼうだけで2時間持たせることはできない。ならば、しっかりと面白いSFを作る必要がある。ならば、その間映画からべらぼうを失わせれば良い。けれど、児童層のためにもタローマンはコンスタントに画面に出しておきたい。それらすべてをクリアするのがタローマンの記憶喪失イベントであり、その上で、前述のSF的なワンダーや「子どもの頃は規則だ規律だと言われるが、大人になると急に個性だべらぼうだを求められてしまう」という隊長の悩みをはじめとした各キャラクターのドラマ、やりすぎなくらいに凝ったアナログ特撮、そして岡本太郎氏の思想・言葉の組み込み方がいずれも「筋の通った」ものだったからこそ、本作はタローマンとしての型を保ちつつ自然に2時間尺の映画として仕上がっていたのである。 

して、そんな積み重ねを爆発させるかのように、本作終盤はアツさ満載のでたらめオンパレード。未来食を使って脱出する中年隊員。タローマン輸送作戦で用いていた特技を活かし、囚われていた奇獣を救い出し、あまつさえ共同戦線を敷いてみせる青年隊員。タローマンが埋めた分身が50年の時を経て進化した奇獣「地底の太陽」の登場……等々、ここからの盛り上がりは大部分が前半の「仕込み」を丁寧に拾っていて唸らされてしまったし、エランが身を捧げたタローマンの復活劇や、地底の太陽とタローマン、奇獣たちの共同戦線にはどういう訳か涙が溢れてしまった。お、おれはタローマンで泣いている……!? 

しかし、クライマックスにおいてそれら以上の見所となっているのは、やはりタローマン (や、急に駆け付けるやべー集団) が見せる映画級のでたらめ、そして岡本太郎氏へのリスペクトが結実したとある盛大な「伏線回収」だろう。未見の方は、是非この衝撃を自身の目で確かめていただきたい……! ところで山口さん、なんか自分らと違う映画見てません??? (こわい)

 

 

おわりに

 

記事を書き上げて、改めて「できればそれぞれ一本の記事にしたかった」という思いが強くなってしまった。自分の感想のセーブデータ、という意味ならこれで十二分なのだけれど、形としてやや消化不良なのはもちろん、自分の好きな作品やその魅力を広く布教する、という目的には到底及ばないからである。  

しかし、これもまた一種の筋力トレーニング。この記事や、これからも続く映画感想まとめ記事によって、より多くの単独記事を投稿できるよう精進していきたい。