こがれんアーカイブ

特撮・アニメの感想記事を中心に、作品の魅力を日々発信中。

感想『映画 キミとアイドルプリキュア♪ お待たせ!キミに届けるキラッキライブ!』- わんぷりとキミプリを繋ぎ、アイドルとプリキュアを繋ぐ希代の傑作

公開初日に鑑賞した『オールスターズF』『映画 わんだふるぷりきゅあ!』に対し、今回の『映画 キミとアイドルプリキュア♪』は、公開から1週間以上も経った9月23日の鑑賞となった。 

昨年の『映画わんぷり』や現在放送中の『キミプリ』本編があまりしっくり来ていないことが主な理由なのだけれど、こと本作については「観に行って良かった」と心から思う。僅か1時間の尺で2回も泣かされる大傑作を映画館で――それも「何も知らない状態で」観ることができて、本当に良かった……!!

 

※以下、『映画 キミとアイドルプリキュア♪ お待たせ!キミに届けるキラッキライブ!』のネタバレが含まれます。ご注意ください※

 

引用:「映画キミプリ」アイドル嫌いの少女・テラと見つめあう謎の女性? 新スチール公開 「ひろプリ」&「わんぷり」も集結 - アニメ!アニメ!

 

《目次》

 

 

アマスとアイドル - 本作の「巧さ」たち

 

自分が『キミプリ』にしっくり来ていなかったのは、本作が「アイドル」モチーフである必要性をあまり感じられていないから。細かい理由は割愛するけれど、ある種シリーズの集大成とも呼べるステージ演出や楽曲群が素晴らしいだけに、それらが作劇に「活かされている」とは言い難い状況がもどかしく、大きな話題を呼んだズキューンキッスの物語にもイマイチ乗りきることができなかった。 

……と、そんな自分にクリティカルヒットだったのが今回の『映画キミプリ』である。

 

 

本作の中心となるのは、様々な時間・空間を越えた海に佇むアイアイ島の女神・アマス。珊瑚の精霊である彼女や島の住民は人間の10倍以上の寿命を持つ長命種であり、その島に昭和の日本で活躍していたアイドル……つまりは「普通の寿命の人間」が流れ着いてしまったことが、アマスの運命を大きく左右することになる。

 

 

本作の魅力の一つは、このアマスというキャラクターの立て付けに「アイドル」という概念がカッチリハマっていたことだろう。 

そもそもの話、「アイドルからエネルギーを貰える」という感覚は極めて抽象的な概念のため (キミプリ本編がそれで難儀しているように) アニメ媒体での表現が難しい。しかし、アマスにとってアイドルが生き甲斐だったことは観ていてすんなり受け入れることができた。 

というのも、アマスという「世界を守るために孤独な生を強いられた人柱」にとって、アイドルとは「誰もが繋がりを持っていい」かつ「世界を守りたいと思える理由になる」という、まさに彼女の穴を埋めるかのような存在。この背景のおかげで、実在のアイドルに馴染みの薄い自分でもアマスに「納得感」を持って感情移入できたし、それだけに、塞ぎ込んでしまった彼女こそがヤミクラゲの首魁という後半のどんでん返しには盛大に面食らってしまった。

 

 

(うたの歌に感銘を受け、絆を深めていく少女・テラ。その出自を知った上で2人の交流を振り返ると、一つ一つのシーン……とりわけ、アイカツスターズ!などでもお馴染みの「キュアアイドルが彼女の瞳に映る」演出が深々と突き刺さる)

 

このアマス周りに顕著だけれど、本作は終始脚本の巧さが光る作品だった。明らかに天照皇大神のエピソードを元にしているのに、観ている最中はアマスとテラの関係に気づけなかったり (テラが珊瑚というよりイソギンチャク的に演出されていたのもミスリードの一環か) 、本編で絡みの少ないうた&メロロンを組ませることで、結果的にもう片方の説明組も「探偵役を担えるこころとなな+画面を暗くしすぎないためのプリルン」という絶妙な組み合わせになっていたり、謎をばらまき時間軸を敢えてごちゃごちゃにすることで、視聴者が「流れ着いたアイドルが姿を消した原因は、自身の老化と寿命」という核心にすぐに至らないように導線が調整されていたり……。 

更に、本作は脚本に加え演出も冴え渡っていた。「ウインク&キュンキュンとズキューンキッスのWプリキュアカット」のような画的な見せ場が多いのはもちろん、「過去の映像を4:3画角で表す」といった細かい工夫も効いており、中でも驚かされたのは、うたたちが晩年の昭和アイドルの住処を訪れるシーン。そこにはたくさんの白百合が咲いており、妙にクローズアップされて描かれている……のだが、これは暗に人、ひいてはアイドルの「短命さ」を表しているのだろうし、百合といえば「死者への捧げ物」としての側面を持っているのは言うまでもない。 

そんな事の顛末をアマスが知るのは映画の最終盤=アマスの心を取り戻すために、キミプリの5人が連続ライブを行うシーンでのこと。 

 

 

「歌」にスポットが当てられた構成も本作の大きな魅力。劇場のスクリーン・音響で楽しむCGステージはまさに劇場版ならではの見所であったし、後述のサプライズ含め「挿入歌」としての活かし方にも目を見張るものがあった。中でも「『Awakening Harmony』をBGMに、アマスが真実を知る」シーンの頭一つ抜けた美しさには思わず涙してしまったし、それだけに「ここからひろプリ・わんぷり組が出たら蛇足になってしまうんじゃ……!?」という懸念もあった。しかし、彼女たちの出番は意外なことに/その尺に反して、本作を語る上で欠かせない正真正銘の大見せ場になっていたのである。

 

 

ひろプリ&わんぷり参戦 - 既に示されていた「寿命差」問題への回答

 

冒頭でチラッと登場し、うたたちとは離れた場所で人々を守るという粋な活躍で期待を煽ってくれた『ひろがるスカイ!プリキュア』そして『わんだふるぷりきゅあ!』の2チーム。その参戦は終盤も終盤、キュアアイドルの劇場版限定形態であるゴッドアイドルスタイル (最初はプリパラ要素だなんだと言っていたけれど、映画を観ると「ゴッド」を冠する理由に納得しかなくてひれ伏してしまう) の登場後。子どもたちの助けを求める声に応えて「ヒーローの出番です!」と駆けつけるキュアスカイ、まさしくレジェンドヒーローだったよ……!! 

しかし、驚くべきはその直後。ウインクとキュンキュンの「ここはあの歌ですね!」という謎の台詞から「それ」は始まった。

 

ひろがるスカイ!プリキュア ~Hero Girls~

ひろがるスカイ!プリキュア ~Hero Girls~

  • aim
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

まさかの登場、ウインク&キュンキュンによるひろプリ主題歌カバーこと『ひろがるスカイ!プリキュア 〜Hero Girls〜 ReMix for Cure Wink & Cure Kyun-Kyun』……!! 

この楽曲は映画のサントラCDに収録されているので、その存在は既に知られていたらしいのだけれど、情報を全く仕入れていなかった自分にとってはとんでもないサプライズ。スーパープリキュア大戦でバッファーを務めるキミプリ組概念だ!!!!!!!!(?????)

 

(ひろプリ組活躍シーンのクライマックスを飾った印象的なカットは、なんとこの『感謝祭』メインビジュアルをモチーフにしたもの。短い出番ではあったけれど、昨年の雪辱を晴らすかのような大立ち回りに感激……!!)

 

わんだふるぷりきゅあ!evolution!!

わんだふるぷりきゅあ!evolution!!

  • 吉武千颯、わんだふるぷりきゅあ!
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

そして、そんなひろプリ組に続くわんぷり組の活躍を彩ったのは『わんだふるぷりきゅあ!evolution!! ReMix for Cure Zukyoon & Cure Kiss』!! 

まだ最終回から一年も経っていないのになんだか懐かしく感じてしまったし、しっかりと「ヤミクラゲの声を聞き、元の姿に戻す」というわんぷり組ならではの活躍を見せてくれる姿にはそれだけでグッと来た……のだけれど、彼女たちの真の活躍はその直後=アイドルと人間の寿命差という現実に苦しむアマスに「それでも、出会えたことは無駄じゃない」と伝えることにあった。

 

 

『わんぷり』本編でも何度か触れられていた「寿命差」問題。この点については終盤で大きな転機があり、一時は心を折られかけたいろはも「いつか別れは来る。だからこそ、そこから目を背けるのではなく “ありがとう” でお別れできるように、目一杯今を生きる」という前向きな回答へと辿り着くことになった。この真摯な結論や、それをきっかけにいろはがトラメたちとの和解に踏み出した一連は『わんぷり』ひいてはプリキュアシリーズ屈指の名編であったように思うし、彼女たちのこの歩みこそが (こころ・うたの「アイドルは儚いからこそ強く輝く」「覚えてくれる限り、ずっと生き続ける」という主張と併せて) アマスを苦しめていたサンゴの精と人間の寿命差問題への答えにもなっている。 

それは、もはやわんぷり組というより『わんだふるぷりきゅあ!』という作品それ自体の客演とさえ呼べるもの。同作をここまで丁寧に扱ってくれたことには、ファンとしてはもちろん「寿命差問題に触れつつも、何らかの事情で方向性を変えざるを得なかった」名残が伺える『映画わんぷり』に惜しいものを感じた身としても大満足で、自分はここでまたしても号泣させられてしまった。吉野弘幸様、ありがとうございます……!!

 

 

「アイドル」とは何か

 

「アイドルとは何か」その定義は非常に難しい。直訳すれば「偶像」となるけれど、それはイコールではなくニアリーイコール。歌って踊るのは何もアイドルだけではないし、「事務所を持ち、握手会やライブを行い、歌って踊る華やかなパフォーマー」とまで突き詰めてしまうと、それが果たしてアイドルの本質なのだろうか、という別の疑問が湧いてくる。 

その疑問には、アイドルを扱う作品が十人十色の答えを提示しており、ななとこころが「歌手とアイドルの違い」を考えるくだりからは、本作がキミプリにおける「その時」なのだということが察せられた。 

して、本作で描かれたアイドルの定義とは、おそらく「誰かの笑顔のために輝くもの」なのだろうと思う。 

誰かの笑顔のために輝くからこそ、アイドルは「他者」がいなければ存在できない。 

「誰かの笑顔のために輝く」という真っ直ぐな使命を自分自身で果たせる時間は、人生においてごく一部の僅かな時間。 

「誰かの笑顔のために輝く」その尊い想いが時代を越えて存在するからこそ、アイドルという存在もまた受け継がれていく。 

他者との繋がりを糧に、人生のごく短い時間を「誰かの笑顔」のために戦い抜き、その輝きを未来へと受け継いでいく存在。こう書くと、それはまるでプリキュアという存在を指しているようにも思えてくる。もしかすると、アイドルとプリキュアの出会いは (マーチャンダイジング的な側面を差し引いても) ある種の必然だったのかもしれない。 

しかし、本作を手掛けたのはメインライター・加藤陽一氏ではなくあくまで吉野弘幸氏。もちろん加藤陽一氏が関わられている可能性は高いけれど、本編ではきっとより踏み込んだ加藤氏ならではの「アイドルプリキュア」論が展開されていくに違いない。プリキュアアイカツ!両シリーズのファンとして、間もなく訪れる『キミプリ』終盤戦を心して見守っていきたい。