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感想『ウマ娘 プリティーダービー Season 2』- 現実に ”奇跡” は起こるのか。想いのバトンが紡ぐ「必然」の軌跡

最近、『ウマ娘 プリティーダービー』にじわじわとハマり始めている。

 

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そもそもの始まりは、2024年公開の『劇場版 ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』を観たこと。ウマ娘というコンテンツはもちろん、競馬という文化もミリしら状態だった自分は、そこを入口に『ウマ娘 プリティーダービー (アニメ1期) 』を観て、『ウマ娘 プリティーダービー Season 2』を観て、ウマ娘 プリティーダービー Season 2』を観て、『ウマ娘 プリティーダービー Season 2』を観た。 

そう。気づけば自分はウマ娘 プリティーダービー Season 2』をここ半年足らずで3周していたのである。 

何が自分をそこまで駆り立てたのか、この作品は一体何を描く物語だったのか。様々な意味で慎重な言語化が求められる本作について、その秘められたテーマとメッセージを紐解いていきたい。


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《目次》

 

 

フラグを叩き折る「史実」の恐怖

 

TVアニメ『ウマ娘 プリティーダービー Season 2 (以下 “2期” ) 』とは、競馬をモチーフにしたメディアミックスコンテンツ『ウマ娘 プリティーダービー』のアニメ作品。TVアニメ『ウマ娘 プリティーダービー (以下 “1期” ) 』のレギュラーメンバーのうち、あまりスポットが当たらなかった2人=トウカイテイオーメジロマックイーンを主人公に据えた続編兼スピンオフだ。 

……と、そう聞いていたので、自分は当初「1期の延長戦的なもの」つまり、同作のような「牧歌的な王道スポ根アニメ」を想像していたのだけれど、蓋を開けてみれば、待っていたのは「Season 2の皮を被った、身を切るようなハード作品」だった。そのことをフルスロットルで突きつけてきたのが、第1話『トウカイテイオー』のラストシーン。

 

 

ウマ娘シンボリルドルフに憧れ、皐月賞日本ダービー菊花賞の3レースを無敗で制覇し「無敗の三冠ウマ娘」になることを目指すウマ娘トウカイテイオー。第1話『トウカイテイオー』では、皐月賞を獲った彼女が次なるレース=日本ダービーに挑む姿が描かれる。 

前作同様、大まかな雰囲気こそ牧歌的ながら、台詞回しがよりメリハリの効いたものになっていたり、レースの作画が格段に良くなっていたり (画それ自体もさることながら、特にその緩急・迫力が際立っていた) と、様々な点で1期からの進化が感じられた第1話。しかし、問題は彼女が日本ダービーを制した直後、「左足に違和感を覚える」という怪しいカットを挟んで突入したウイニングライブだ。

 

winning the soul

winning the soul

 

ウマ娘にも「死傷者が出るタイプの歌」があることは『新時代の扉』で学んでいたけれど、それがあの1期の後継作で登場するとは予想さえしていなかったし、「テイオーの異変に気づくトレーナーとシンボリルドルフ+サビに合わせて黒背景タイトルイン+エンドロール」という不穏極まる (けれど、それはそれとしてあまりにもカッコ良い……!) 演出と併せて、それはまるで「ここがトウカイテイオーというウマ娘のピーク」だと暗示するかのようだった。 

(『winning the soul』の「届かなくても笑われても進め」「握りしめた悔しさの残像はゴールへ導くストーリー」といった歌詞は、今思うと本作の物語をこれ以上なく鮮やかに言語化したものばかり。中でも、物語は挫折 “から” 始まるとする「涙さえも強く胸に抱き締め そこから始まるストーリー」は本作のイズムが詰まった名フレーズだ)

 

 

誤解を恐れずに言うと、ここでの問題とは「テイオーの故障が匂わされたこと」それ自体ではなかった。それは、前作こと1期を通して「故障しても、そこから復帰できる可能性がある」ことが物語の主軸として描かれていたからであり――だからこそ「その上でテイオーの故障を匂わせる」一連の演出が怖くてしょうがなかった。敢えてそれを被せてくるということは、則ち「サイレンススズカのそれを上回る悲劇がテイオーを待ち受けている」ことに他ならなかったからだ。  

そして、その予感は凄まじいスピードで確信へと変わっていった。

 

 

足を骨折したテイオーは、第2話で早々に「三冠ウマ娘」の夢を絶たれてしまったばかりか、第5話の天皇賞(春)で「無敗」の称号も失い、第6話の有馬記念後に二度目の骨折、第9話後には三度目の骨折で復帰が絶望的な状況に陥ってしまう。何度復活しても、何度「主人公フラグ」を立てても、彼女はその度にフラグをへし折られ、度が過ぎるほど丁寧に希望の芽を摘み取られていった。 

「今度こそ大丈夫だ」が通用しない本作のバランスは、予測不可能なスリルを演出する一方、見方によっては些かアンバランス (やり過ぎ) なもの。もしこれが普通のアニメだったら「テイオーの故障が多すぎる」とネガティブな反応も呼んでしまっていたかもしれない。しかし、こと本作においては――あるいはこの『ウマ娘 プリティーダービー』というコンテンツにおいては――そのアンバランスさ、あるいは「歪み」こそが作劇の肝となる部分だった。

 

 

ウマ娘』というコンテンツの大きな特徴は、作中で描かれる物語の大部分が「史実」であること。トウカイテイオーの度重なる故障・復活劇も例に漏れず史実であり、本作を観ていて違和感を感じた時は、十中八九「史実であること」がその理由だった。  

中でも分かりやすかったのが、マックイーンの落鉄や入場トラブル。この二つはどちらも「作劇のテンポ上やや不自然」なシーンだったけれど、そのような不自然さがかえって「生っぽさ」を醸し出していたし、それら一つ一つが「本作は史実に基づいている」ことを思い出させるシグナルとして機能していたようにも思う。 

どんなに辛い物語でも、それがフィクションであるなら得てして何かしらの「救い」「報い」が用意されているもの。亡くなったキャラクターの無念を誰かが晴らしたり、生存が絶望的だったキャラクターが奇跡的に生き延びたり……。 

しかし、この『ウマ娘』は史実に基づく物語。全てが史実通りでないにせよ、前述のような「フィクション故の担保」が存在する保証はどこにもない。結果、テイオーが立てたフラグは無惨に手折られていくし、骨折の度に「今度こそ本当にダメかもしれない」という不安に襲われる。何度も「もう観てられない」と目を背けたくなったけれど、そんな綱渡り感とハードな作劇が噛み合って生まれるカタルシスは凄まじいもので、自分はますますこの物語の行く末から目が離せなくなっていった。

 

 

シビアだからこそ輝く「祝福」の光

 

テイオーの挫折と克己をはじめ、極めてシビアなストーリーが描かれていった本作。しかし、そんな逆境の中でこそ光は輝くもの。そのことが顕著だったのが、第7話『祝福の名前』第8話『ささやかな祈り』の前後編。

 

 

菊花賞ウマ娘ミホノブルボンの「無敗の三冠」達成を阻んだ漆黒のウマ娘ライスシャワーミホノブルボンに憧れ、その背中を追いかけていた彼女にとって、菊花賞の優勝はまさに夢が叶った瞬間だったが、会場から飛んだのはブルボンの栄冠を心待ちにしていたファンからのブーイング。自身の走りが「望まれていない」ことに心を折られてしまったライスは、マックイーンの三連覇が懸かった天皇賞 (春) への出場を辞退しようとする――。 

作中でスペシャルウィークたちも「重い……」と絶句してしまったように、ライスの苦悩はこちらの想像よりもずっと深刻。第4話・第5話でマックイーンの「天皇賞 (春) 二連覇」が描かれたことで、私たち視聴者も「連覇を期待する」側に立たされてしまっていた=ライスの優勝を恐れるファンたちを否定できなかったし、「世間の反応が怖くて身動きが取れなくなる」というライスの苦悩は、この令和に生きる人間として、あるいは曲がりなりにも創作を生業とする人間として (もちろん、その深刻度合いには天と地以上の開きがあるけれど) 決して他人事ではなかった。そんな板挟み状態も相まって、第7話を観ている時は本当に気が気でなく――だからこそ、彼女にもたらされた「報い」には涙せずにはいられなかった。

 

「四の五の言わずに走りなさい!」
「どうしてそんなこと言うの!?」
「あなたに走ってほしいからです」
「分かんない! 走りたくないって言ってるのに、そんな……! ライスが走っても誰も喜ばない、勝ってもガッカリするだけ! 走る意味なんてどこにもない!それなのになんでっ!!」
「あなたは私のヒーローだからです」
「……っ!?」
「私は怪我をしました、大きな怪我です。いつまた走れるようになるのか、不安に押し潰されそうになった時もありました」 

 (中略) 

「それでも折れずにいられたのは……ライス、あなたがいたからです。次は勝ちたい、今度は負けたくない、強いあなたと走りたい。それを目標としてきたから、私はこれまで頑張れたんです。……確かに、あなたは私から夢を奪いました。けれど、それ以上の夢と希望を与えたのです」
「ブルボンさん……」
「あなたはヒールじゃない。ヒーローなんです」

-「ウマ娘 プリティーダービー Season 2」 第7話『祝福の名前』より

 

確かに、世間も観客もライスを見てはいなかった。けれど、他ならぬミホノブルボンその人――他にも、マチカネタンホイザイクノディクタスなど、数多くのライバルがライスの背中を見つめていた。 

そして、それはきっと「ライスがミホノブルボンに向けていた」ものと同じ眼差し。大衆から疎まれ、自分はその名に相応しくないと思っていたライスは、その実、既に目指すべき憧れへと辿り着いていたのだ。

 

 

天皇賞 (春) でマックイーンに勝利、三連覇の栄冠を阻んだライスは、またしても観客から心ないブーイングを浴びることになる。それはきっと、史実においても競走馬・ライスシャワーが経験したものなのだろうし、ここで「観客がライスの走りに心打たれ、会場から惜しみない歓声が送られる」といったハッピーエンドを描かなかったことは、本作のシビアさ、そして誠実さの表れだろうとも思う。

 

「また、たくさんの夢を壊してしまいました」
「それが勝つということです。勝負ですからね、誰かが勝てば、誰かは傷つき夢破れる。そういうものです」
「ブーイングって痛いですね。やっぱり……痛かったです」
「ブーイングはチャレンジャーの勲章です、傷つく必要はありません。でも……いつか、これが歓喜と祝福の声になる日は必ず来ます。あなたが勝ち続ければ、きっと」
「……!」
「だって、あなたの名前はライスシャワーなんですから」
「……うん。ライス、頑張るね!」
「それでこそ、私のヒーローです」

-「ウマ娘 プリティーダービー Season 2」 第8話『ささやかな祈り』より

 

一度憎まれ役になってしまった存在が、その世評を覆すことは極めて難しい。彼女に向けられるブーイングが歓喜と祝福の声になる日が来たならば、それはまさしく「奇跡」なのかもしれない。 

前述の通り、本作が描くのは残酷で、非情で、奇跡なんてそう簡単には起こらない現実の世界。なら、どうしてこんなにも「ライスはいつか、歓喜と祝福の未来に辿り着くはず」と素直に信じられるのだろうか。 

それはきっと、ライスに暖かな/確かな拍手が贈られていたから。他ならぬミホノブルボンが彼女のことを信じているから。そして何より、本作が「奇跡は、それを望み奮起する者に必ず訪れる」と力強く謳い上げる物語だったからだろう。

 

ささやかな祈り

ささやかな祈り

 

想いのバトンが紡ぐ「奇跡」という必然

 

史実をベースに、非常にシビアな物語を描いた本作は、しかし一方で数多くの「奇跡」を描く作品でもあった。その筆頭となるのが、本作屈指の名編である第10話『必ず、きっと』。

 

 

三度目の骨折で「復帰は極めて難しい」と告げられたテイオーは、葛藤の末にスピカを離れることを決断。最後の晴れ舞台としてファン感謝祭のステージに立つが、突如何者かが舞台上のモニターをジャック。映像が切り替わると、そこにはライスやイクノディクタスといった強敵たちを振り切り、オールカマーという大舞台で優勝を掴み取るツインターボの姿が映し出されていた。

 

願いのカタチ

願いのカタチ

 

『これが諦めないってことだぁぁぁーーー!!』
「……!」
『トウカイテイオぉぉぉーーーーっ!!』

-「ウマ娘 プリティーダービー Season 2」 第10話『必ず、きっと』より

 

ファンやトレーナー、スピカの仲間たち、キタサンブラックの言葉を受け、そして「勝てる訳がない」と切り捨てたツインターボの勝利を見届けたことで言葉を失うテイオー。そんな彼女に、マックイーンは毅然と言い放つ。

 

「もう一度言いますわ。あなたがどうなろうとも、あなたにどんな不安や困難が立ちはだかっても、わたくしは走り続けます。最強のウマ娘で在り続けるために」
「でも、もう追い付けないかもしれないよ……?」
「奇跡は起きます。それを望み、奮起する者の元に。……必ず、きっと」

-「ウマ娘 プリティーダービー Season2」 第10話『必ず、きっと』より

 

奇跡とは、一般的には「理屈では説明できない不思議な出来事」を指す言葉。しかし、ここでマックイーンが語った言葉も、ターボがオールカマーを制した事実も、どちらも決して「理屈では説明できない不思議な出来事」ではない。 

マックイーンが「奇跡は起こる」と確信しているのは、テイオー自身が二度の骨折を乗り越えてみせたから。テイオーが二度の骨折を乗り越えられたのは、マックイーンやトレーナーたちの支えがあったから。そして、皆がテイオーにそれだけの想いを向けたのは、他ならぬテイオーの走りが彼女たちにたくさんの夢や希望を与えてきたから。 

ターボが優勝できたのは、彼女の中に「テイオーと勝負したい」「テイオーに “諦めなければやれる” ことを示したい」という強い想いがあったから。彼女の願いを叶えるために、カノープスの面々が限界まで力を尽くしたから。そして、仲間たちを動かしたターボの情熱も、原点はやはりテイオーの走りにある。そんなテイオーの走りも、彼女の憧れ=シンボリルドルフの走りにルーツがあり……。これら想いの連鎖に一体どれだけの因果が連なっているのか、自分にはとても想像がつかない。 

本作で描かれた「奇跡」は、一見すると確かに突拍子もないこと =「理屈では説明できない不思議な出来事」かもしれない。けれど、それらを紐解いた先に見えるのは無数に折り重なった想いのバトン。であるなら、本作における奇跡とは「数えきれない想いの重なりが生み出した “必然” 」に他ならないのだ。 

(ターボの勝利に繋がるカノープスの尽力は、アプリゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で詳細に知ることができる。「イクノにとって “ターボを勝たせること” が何を指していたのか」を知ってしまうと、あの局面で「いけぇぇーー!ターボーーーッ!!」と叫んだ彼女の姿にも涙せずにはいられなくなる)

 

 

 

思えば、本作は最初から最後までそんな「想いのバトン」を描き続ける作品であり、そのことは、エンディング主題歌『木漏れ日のエール』の映像にも顕著だった。


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引用:TVアニメ『ウマ娘 プリティーダービー Season 2』ノンテロップED映像 - YouTube

 

彼方のシンボリルドルフを追いかけるテイオーの画が、第6話を経て「テイオーに手を差し出すマックイーン」の画に変わり、第12話で「マックイーンの手を握るテイオー」に変わる。中でも第12話は歌のパート分けまで入れ替わっているなど、ストーリーと完璧にシンクロした演出と歌詞が何度も涙を誘った『木漏れ日のエール』。テイオーとマックイーンの関係と、それに伴うこの演出の変化は、まさに前述の「バトンリレー」を象徴するものだろう。 

他にも、テイオーの姿に感化され「縁のない世界」だと思っていた上位レースに挑むようになったナイスネイチャ、そしてダイタクヘリオスという「逃げ友」を得たことで目覚ましい躍進を見せたメジロパーマーなど、本作は「ストーリーの合間で描写を重ね、主役回が存在しないウマ娘たちの物語もできる限り描いていく」という難易度の高い作劇を行っており、結果、彼女たちもそれぞれの「想いのバトン」を繋いでいることが丹念に描写されていた。 

ウマ娘 プリティーダービー Season 2』の舞台は現実に近い世界であり、「理屈では説明できない不思議な出来事」は起こらない。けれど、無限に折り重なった想いのバトンが、理屈を越える「奇跡」を起こすことに一体何の疑いがあるだろう。

 

 

第13話『夢をかける』において、テイオーは当時の最強と名高いビワハヤヒデを打ち破り、見事有馬記念の優勝を掴んでみせる。三度の骨折を経てのそれはまさしく「奇跡」だったけれど、自分はそれを疑うこともなく、ただ「起こるべくして起こった必然」と納得し、涙ながらに違和感もなく受け入れていた。 

現実にも奇跡は起こる。それを望み、奮起する者の想いが結ぶ「必然」として。競馬という文化の中で実際に紡がれてきたであろうそのメッセージ――あるいは「エール」をアニメというメディアで再解釈、競馬のファンはもちろん、それを知らない一般人……とりわけ「奇跡なんて起こらない」と諦めている現代の人々に届けること。それこそが『ウマ娘 プリティーダービー Season 2』という作品に課せられた使命だったのかもしれない。

 

 

マックイーンの未来と「希望」の在り方

 

第12話『ふたり』において、ウマ娘にとって不治の病とされる重病=繋靭帯炎を発症し、ターフへの道を閉ざされてしまったマックイーン。テイオーは有馬記念で彼女に「奇跡は起こる」ことを示してみせたが、今の自分には「その後、マックイーンにも奇跡が起こったかどうか」までは分からない。 

マックイーンは、スズカの帰国後を描いた無印のEXTRA R『響け、ファンファーレ!』でウィンタードリームトロフィーに出場していたが、同エピソードの立ち位置やマックイーンの病からして、2期後の彼女がこのタイミングで復帰したとは考えられない=両者はあくまでパラレルと考えるべきだろう。 

一方、2期第13話のラストシーンでは、復活したマックイーンがテイオーと走る姿も描かれていた。しかし、それがいつの話なのか――ひいては、それが「現実なのかどうか」さえもぼかされているように思えた。これはおそらく、前述のEXTRA R共々、コンテンツとしての様々な配慮から「どうとでも取れるように」解釈の余地を残したものと思われる。 

そして、その「どうとでも」の中には、もしかすると「マックイーンが史実通りに引退した未来」も含まれているのかもしれない。

 

 

奇跡は現実に存在する。しかし、当然ながら「奇跡」はそう易々とは起こらない。どれだけ求めても/どれだけ奮起したとしても、それで誰もが報われるとは限らないのが現実だ。 

けれど、だからといって一歩も踏み出さなければ何も叶わないし、変えられない。本作が描いた「奇跡」の本質とは、奇跡という事象そのものではなく「誰かが起こした奇跡を希望として、新しい一歩を踏み出す」ことにある。  

奇跡は現実に存在する。だから、たとえ届かなくても、笑われても、その「かもしれない」を糧に進み続けること。これから「奇跡」を目指して歩み出すであろうマックイーンの背中に恥じないよう、それぞれの夢に向かって進み続けること。それが、この『ウマ娘 プリティーダービー Season 2』という作品からバトンを受け取った私たちの責務なのではないだろうか。

 

 

まだ見ぬ『ウマ娘』の物語へ

 

『新時代の扉』『1期』『2期』と、この三作だけで既に火傷しそうな熱量を叩き込んできた『ウマ娘』というコンテンツ。そのシリーズは膨大で、見渡せばあちこちにまだ見ぬ物語が広がっている。 

原点であるゲームアプリ『ウマ娘 プリティーダービー』はもちろん、本作の続編である『Season 3』、新時代の扉とも関係があるという噂の『ROAD TO THE TOP』、そして今まさにアニメ版が放送中の人気漫画『シンデレラグレイ』。

 

 

『シンデレラグレイ』の主人公は、アニメ2期でも画面外で存在感を発揮していたウマ娘オグリキャップ。普通のアニメだったら「面白いモブ」止まりだったかもしれない彼女も、本作では一転・川井憲次氏がBGMを担当する日曜夕方TVアニメの主人公になってしまう。そして、そんな「どのウマ娘にも、主人公として走り抜けた物語がある」という事実こそが、この『ウマ娘』というコンテンツがファンを掴んで離さない大きな魅力なのだろうと思う。 

当初は「競馬に触れたことがないから」と遠ざけていた『ウマ娘 プリティーダービー』だけれど、蓋を開けてみれば、それは老若男女に響くであろう「夢」そして「人生」の物語だった。であるなら、まさにその2つと向き合う年頃の自分にとって、このシリーズはまだまだたくさんの「ヒント」をもたらしてくれるはず。 

夢を架けるため、夢を駆けるウマ娘たち。人々はその背中に希望を託し、それぞれの夢を賭ける。そんな熱く厚いバトンの繋がりを、曲がりなりにも夢を追いかける人間の一人として、この先も可能な限り見届けていきたい。