こがれんアーカイブ

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【日記】ガンダム00のオタク、THE BACK HORN ワンマンツアーでロックバンドのライブに初参加する

2025年になってからというもの、かなり短いスパンで「人生初」のイベントが続いている。

本格的な二次創作の投稿。一人旅行。オーケストラコンサートへの参加。そして先日2025年6月8日、そんな人生初イベントの中に「ロックバンドのライブへの参加」が加わった。

 

 

参加したのは、今年でデビュー27年目となるロックバンド・THE BACK HORNの14thアルバムリリースツアーである『KYO-MEI ワンマンツアー 〜DearMoment〜』の東京公演。自分のような素人にはその具体的な感想は書き起こせないので、あくまで自分自身の備忘録として、この初体験の衝撃とそこに至るまでの一連を書き残しておきたい。


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《目次》

 

 

前談 -「アーティスト」に触れてこなかった自分と『機動戦士ガンダム00

 

自分はガチガチのオタクである。なので必然様々なタイアップにも触れてきたわけで、THE BACK HORNを知ったのもアニメ『機動戦士ガンダム00』の主題歌がきっかけだ。特に劇場版のOPに起用された『閉ざされた世界』は同作楽曲の中でも1.2を争うお気に入りで……と、そんな経緯がありながら、自分はそういったタイアップを入口に「アーティスト」そのものに触れていくようなことがついぞ一度もなかった。  

理由は色々とある。素晴らしいタイアップだ! と感動してインタビューを読んだ結果「別に作品のことをあまり考えてない」ことが分かったりしたら嫌だな……とか、日夜様々な芸能人が不倫だの薬物だので逮捕されている中で「実在の人物」に深入りしたくない (信じて裏切られたくない) ……とか、所謂「ヒットしている歌」が悉く他人事のように聞こえてノレた試しがない……とか、挙げたら文字通りキリがない。様々な出来事を経てトラウマが山積した結果、好き好み以前に「アーティスト」という存在そのものに心のどこかで壁を感じるようになってしまったのかもしれない。 

しかし、自分は最近『アイカツ!』シリーズにドハマりし、そのライブパフォーマンスに魅了されたり、記事を書く上でアーティストのエピソードを調べたりしていく中で、これまで避けていたもの=アーティスト各々の在り方や、ステージに懸ける「本気」の程を知ることになった。おかげで前述のトラウマは少しずつ和らいでいき、「作品を離れたライブにも参加してみたい」という思いも芽生え始めてきた。 

けれど、そうなると今度は「自分のようなにわかが行くことで顰蹙を買わないだろうか」という不安が顔を出してくる。もう一歩、あと一歩が踏み出せないもどかしさに苦しんでいた中、予想だにしない方向から「転機」が訪れた。

 

 

ライブ2日前の2025年6月6日、X (旧:Twitter) のスペースで行ったこの企画は、終生オールタイムベスト作品である『機動戦士ガンダム00』の “音楽” について、ガンダム00のオタクだけれど音楽 (アーティスト) に詳しくない自分が、同作のタイアップアーティスト……特にTHE BACK HORN石川智晶氏の大ファンである青葉える氏 (@matanelemon) と語らうというもの。 

『00』を知る自分からは「この歌詞が “00” 内ではどういう意味を持つのか」をお伝えし、対して青葉氏からは『00』に囚われない歌詞の考察や編曲の意味・効果、各楽曲にまつわるエピソードを教えてもらうことで、お互いに各楽曲への理解を深めつつ「音楽が持っている力」にしみじみ浸ることになったこのスペースは、何と総時間4時間40分。その中でも大きな割合を占めていたのが、他でもないTHE BACK HORN語り」であった。

 

 

THE BACK HORN。主題歌として『罠』『閉ざされた世界』を手がけられただけでなく、キャラクターソングやイベントのキャンペーンソングにも携わってくださったりと『ガンダム00』には欠かせない存在ながらも、前述の理由で触れてこなかったこのロックバンドに、自分は今回のスペース、そして予習で拝読した上記レポート記事を通して「出会い直す」ことになったのである。

 

(上記のスペースの予習にと読んだムック本。劇伴から主題歌まで幅広く取り上げられている他、巻末の大トリを『00』の監督である水島精二氏とTHE BACK HORN菅波栄純氏の長尺対談が飾っているなど、まさにファン必見の書籍だ)

 

THE BACK HORNの歌はなぜ “響く” のか

 

実は、件のスペース以前にも何度かTHE BACK HORNのことを知る機会があった。2018年に幕張メッセで開催された『00』の10周年記念イベント『ガンダム00 Festival 10 "Re:vision"』にTHE BACK HORNがゲスト出演されていたり、創作仲間とのやり取りの中でTHE BACK HORNの名前やオススメの楽曲が挙がったり……。その上で今回の一連 (記事+スペース) を経て、自分の中では少しずつ彼らへの興味が膨れ上がっていった。中でも大きな契機となったのは、彼らの手がける歌――特に、自分の好みからは遠いはずの「優しい歌」が無性に響いたことだった。

 

 

自分がこれまでアーティストを知ろうとしてこなかった理由の一つは、そこで歌われる「優しさ」「愛」「切なさ」のようなものがまるで他人事のように聞こえていたこと。それらがまるで、人と人との繋がりのキラキラした部分にばかり目を向けた、空虚な「綺麗事」のように聞こえてしまっていたからだ。 

なら、なぜTHE BACK HORNのそれは無性に響いた/染みたのか。それは、歌や演奏の力もちろんあるだろうけれど、前提として「彼らが地獄も歌うバンドである」ことが大きいと思う。

 

 

欲望は毒林檎 手に入れたものは何

未来の子供達へと 遺せるものは何

-「罠」より

 

ガンダム00の1stエンディングテーマである『罠』は、同作のテーマも踏まえつつ、驚くくらい生々しく/痛烈に「反戦」を叫ぶ歌になっていた。しかしこの歌は「祈り」があるだけ優しい方 (?) で、中にはより直截な、いっそ「呪い」とさえ呼べそうな歌も存在している。

 

 

この『修羅場』を筆頭に、THE BACK HORNの歌には強烈なワードセンスで人間の愚かさを糾弾し、世の中の地獄を浮き彫りにし、その中で生きる息苦しさ・ままならなさを痛切に叫んでくれるものが数多く存在している。彼らはどうやら、今も昔も地獄の中で歌い続けるロックバンドであるらしい。 

だからこそ、前述の『修羅場』には (不貞をエンタメに、時に魅惑のロマンスのようにさえ演出する世の中に憤りを感じる身としては) 恐怖と同時にある種の痛快ささえ感じたし、同じアルバムに収録されている『ジャンクワーカー』の「理不尽な職場からようやく帰ってきて電気を点けたら、そこには判の押された離婚届が」という歌詞には「この地獄、し、知ってる~~!!!!!」と存在しない記憶と恐怖を追体験させられてしまった。生々しく、鋭く、的確に現実を抉り出すTHE BACK HORNが歌うのは、自分のようにキラキラした世界とは無縁の人間が生きる「泥のような現実」そのものなのだ。

 

 

しかし、THE BACK HORNの魅力はそんな苛烈さそのものではなく、苛烈さと「優しさ」「祈り」「強さ」が同居していることにある。そのことが表れた歌の一つが、「劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-」のOP主題歌『閉ざされた世界』。

 

 

「赤く濡れた指先で振られる賽」「聖者の祈りは掠れて消えてゆく」といった歌詞が「私たちの誰もが、地獄と隣り合わせの残酷な世界で生きている」ことを突きつけてくる『閉ざされた世界』。しかし、この歌の本懐は決してそれらを嘆くことではない。

 

運命を 切り拓け
傷ついた翼広げ翔び立つよ
真実は ここにはないから
誰がために 鐘は鳴る?
絶望に満ちた閉ざされた世界
羽撃き続ける 微かな光へと
もう一度 信じるだけの勇気をもって
もう一度 疑うだけの知性をもって
最後まで 世界を見つめ続けてゆく
最後まで 世界を見つめ続けてゆく

-「閉ざされた世界」より

 

現実は残酷で、「運命」のような巨大な力の前に容易く崩れ去ってしまう箱庭のようなもの。しかし、そこで嘆き、死んでいくだけではガス室で息絶える動物と何も変わらない。嘆いていても世界は変わってくれない。世界は残酷で、だからこそ「自分自身で変わるしかない」のだ。  

(「ガス室の~」前後の歌詞とその歌い方には「本当はそんな残酷さなど在ってはならない」という悲しみ・憤りも強く感じられる)

 

自分の意思で立ち、自分で自分を奮い立たせ、自分の頭で考え、自分の知性で世界と向き合う。自分がどういう世界に生きているのかを自分自身の目で見つめる……。それは『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』で描かれている「自分自身を変革させること」「絶望や恐怖に囚われず、自分の意思で他者と向き合うこと」というテーマを唄ったものであると同時に、世界の残酷さを直視した上で「それでも」と放つ人々へのエール、あるいは道標なのではないだろうか。

 

 

一方、そのようなエールをもっと優しく、暖かい音で届けてくれる歌も存在している。

 

 

バンド25周年の〆としてリリースされた歌であり、人との出会い・人生の交わりを祝福する『最後に残るもの』。その真っ直ぐで前向きなサビがスッと胸に染み入るのは、きっとその直前に下記のフレーズが添えられているからだと思う。

 

生きる理由は誰かのため?
生きてゆく意味は自分のためだろ?
その両方を歌にのせて鳴らすんだ

-「最後に残るもの」より

 

「君は一人じゃない」と地上から言われても、谷底で苦しむ人からすればどこ吹く風だ。しかし、これまで挙げてきた歌からも明らかなように、THE BACK HORNは「谷底にいる人の気持ち」を知っている。だからなのか、THE BACK HORNの歌は (自分の知る限り) それがどんなポジティブな歌であっても、必ずどこかに陰がある。 

彼らは、地上から「生きていれば良いことがあるよ!」と歌うのではなく、自ら谷底に降り、同じ視点から「世界ってろくでもないよな、でもおれたちは君の味方だから一緒に頑張ってこうぜ」と励ましてくれる存在であり、だからこそ、彼らの声は自分のようなはぐれものにも染みるのかもしれない。

 

 

「KYO-MEIワンマンツアー 〜Dear Moment〜」東京公演へ

 

THE BACK HORNというロックバンドへの好感度がグングン高まっていったある日のこと、数奇な (本当に数奇な) 巡り合わせがあり、2025年6月8日 (日) 東京都の大型ライブハウス・Zepp新宿で開催されるTHE BACK HORNのワンマンツアー「KYO-MEIワンマンツアー 〜Dear Moment〜」東京公演に行くことに。素晴らしいご縁に感謝……!

 

 

前述の通り、自分は『アイカツ!』シリーズを通して「作品と離れた、アーティストご本人のライブ」に行きたいと思うようになったものの、「自分のようなド素人が行くことで顰蹙を買わないだろうか」「付いていけるだろうか」という心配から一歩を踏み出すことができなかった。 

ところが、この『Dear Moment』はその名の通りTHE BACK HORNの14thアルバム『親愛なるあなたへ』のリリースツアー。メインとなるのは当然『親愛なるあなたへ』の収録曲であり、このアルバムを聴き込むだけでも「最低限の準備」は整えることができる。加えて、ロックバンドのライブはその大音響や会場の熱量から、仮に「付いていけない時がある」としても、そのことがあまり目立たないという性質がある。つまり、このライブは自分のようなド素人にとってもハードルの低い、まさに「初めて参加するロックバンドライブ」にうってつけのものだったのだ。 

もちろん、サイリウムではなく拳を振り上げるとか、コイン交換式のドリンク購入とか、フルスタンディング形式とか、無言で拍手を行うアンコールとか、そういった未知の文化に対する戸惑う場面もあったけれど、それらはライブの楽しみに比べればごくごく小さなもの。結果、自分はこのライブを思ったよりもずっと純粋に、萎縮することなく前のめりに楽しむことができていた。 

そんな本ライブのセットリストは以下の通り。

 

 

今回のセットリストは、 (練習期間などの都合もあってなのか) ありがたいことに「ARABAKI ROCK FEST.25」と同じものが多かった。その結果、前述の「ARABAKI ROCK FEST.25」レポート記事と『親愛なるあなたへ』を頭に叩き込んだだけの自分も、今回のライブはセットリストの過半数を「予習済み」の状態で楽しむことができたのである。  

(特に、好みの楽曲だった『太陽の花』『コバルトブルー』、歌詞とその歌い方が琴線に触れた『コワレモノ』、ライブ映像の盛り上がりに内心「楽しそうだなぁ」と思っていた『刃』などを聴けたのは思わぬ収穫!)

 

なら、そのどちらでもない「今回初めて触れた歌」では盛り上がれなかったのか……というと、そんなことはなかった。確かに、リアルタイムで歌詞を把握しその内容まで汲み取ることまではできなかったけれど、『カラス』はともすれば『修羅場』以上かもしれないボーカル・山田将司氏の妖しい色気に面食らってしまったし、『Running Away』の圧倒的な疾走感は、既知だろうと未知だろうと有無を言わせず世界観に引っ張り込むエネルギーで満ち溢れていた。初聴きならではの「読めなさ」も、各楽曲の衝撃とボルテージを高めてくれるバフ的な効果を発揮してくれていたように思う。

 

 

また、そもそもの前提として「生のTHE BACK HORNがとても魅力的だった」ことも欠かせない要素だ。音源は何度も聞いていたものの、いざ耳にするとその凄まじい「幅」に喫驚せずにはいられないボーカル・山田将司氏。折に触れて挟まるソロパートで魅せに魅せてくれたギター・菅波栄純氏とベース・岡峰光舟氏。そんな個性的なお三方を取りまとめ、率いてみせるドラム・松田晋二氏の「リーダー」感も、生で拝むと一際実感できるものがあった。 

しかし、ひとたびMCパートに入るとそんなクールさはどこへやら。突如ぽやっとした「和」が醸し出されるギャップも彼らの大きな魅力。翌週の日比谷野音公園で販売されるてるてる坊主に関する疑惑はまだギリギリ笑いを噛み殺せたけれど、続く「岡峰氏に血まみれの手でドリンク引換券を差し出してきた菅波氏」をはじめとしたエキセントリック・歌舞伎町エピソード群では流石に堪えきれなかった。面白すぎるよこの方々……!  

一方、そんなMCパートで触れられるまで、自分は山田将司氏が足を負傷していることに気づけなかった。負傷の話自体は聞き齧っていたけれど、あまりにパフォーマンスが自然だったので「治った」のだとばかり思っていたのだ。同じことを思った観客も少なくなかっただろうし、このことは氏のアーティストとしての矜持や驚異的な体幹を物語るエピソードとして、後々語り草になっていくのかもしれない。

 

 

おわりに

 

思えば、終始圧倒されっぱなしだった『Dear Moment』。生で聴けた『Mayday』が音源よりも数段刺さったことや、ライブハウスの音響にジャギーな演奏がとことん映えていたこととか、衝撃の「ダブルアンコール」とか、語るべきことはまだまだたくさんあるのだけれど、ロックバンド素人の自分にはそれらを的確に表せる語彙がないので、その辺りは是非有識者の方々にお任せしたいところ。敢えて最後に触れるなら、それはやはり「また生きて会おうぜ!!」という〆の言葉だろう。

 

 

「また会おう」だけなら、それはあくまでライブを〆る常套句かもしれない。けれど、THE BACK HORNはこれまでも常に「生きて会おう」と言い続けてきたのだという。 

自分はドが付く新参者だけれど、それでもこの言葉には彼らの死生観、そしてファンへの真摯な想いを感じずにはいられないし、それは上記の楽曲たちはもちろん、東日本大震災を受けて作られた『世界中に花束を』の歌詞を見ても明らかなところ。きっと、それこそがTHE BACK HORNが結成27年目を迎えて尚多くの方に支持されている理由の一つなのだろうと思う。 

地獄を知り、地獄を歌い、そこに差し込む光を隣で見上げてくれるロックバンド・THE BACK HORN。彼らがこれまでどのような道を歩いてきたのか、彼らがこの先どのような道を歩いていくのか。その道行きを追いかけることは、もしかすると自分の生き方における新しい道標になってくれるのかもしれない。 

ともあれ、今はひとまずライブの余韻に浸りつつ、この類い希な縁と、18年越しの贈り物を届けてくれた『機動戦士ガンダム00』という作品、そしてTHE BACK HORNを『00』の看板アーティストに選んでくださった水島精二監督に、同作のファンとして改めて心からの感謝を捧げておきたい。

 

自分が嫌いだって
暗い部屋で泣いてるその背中
大前提 俺は味方だ
正々堂々と 存在証明して
無い物ねだり グッバイだ来世

-『Mayday』より