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総括感想『ウルトラQ dark fantasy』- 大人に向けて “空想” を届ける、恐怖満載の「現代版ウルトラQ」

2022年夏。地元のTSUTAYAが閉店することになった。 

そのTSUTAYAは、上京して間もない自分がこれまで触れたことのないエンタメに触れるきっかけを作ってくれた大恩ある場所で、閉店すると聞いた時はショックを隠せなかった。国内でもトップクラスの規模であるこのTSUTAYAは、サブスク全盛の世でも「文化の継承地」として残っていくのだろうと、そんな甘い見通しを立てていた自分が恥ずかしい。 

……そんな思い出深いTSUTAYAの閉店間際、一斉に売り出されたレンタル落ちDVDの中に「彼」はいた。

 

 

ウルトラQ dark fantasy2004年の4月から9月にかけて深夜帯で放送されていたウルトラシリーズの一作で、『ウルトラマンネクサス』の前番組とも言える存在だ。 

その内容は、一言で表すなら「深夜放送の現代版ウルトラQ。大人をメインターゲットとしたホラー色の強い作風は、当時小学生の自分にとってはあまりにショッキングで、そのトラウマが祟って以後一度も見返せなかったほど。そんな『Qdf』のDVDが、お値打ち価格の全巻セット……しかも、レンタル落ちとは思えないくらいの美品っぷりで並んでいたのである。 

今は勇気が出ないけど、いつか必ず見返す日が来る。そう信じて彼らを引き取ってから3年。遂にその日が訪れた。

 

 

様々な作品でホラー耐性を得たことで、遂に再会の時を迎えた『ウルトラQ dark fantasy』。この隠れた名作が今一度脚光を浴びることを願いつつ、今回は20年ぶりに味わった本作の魅力、そして改めて抱いた感想を書き残していく。

 

 

《目次》

 

夕方に咲く花

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ウルトラQ dark fantasy」とは

 

ウルトラQ dark fantasy』とは、2004年4月~9月に深夜枠で放送されたウルトラシリーズの一作で、1966年に放送されたシリーズの原点『ウルトラQ』の後継作。 

ウルトラQのリメイク作といえば2013年の『ネオ・ウルトラQ』なども記憶に新しいが、本作は『ウルトラQ』の原案である『UNBALANCE』に近い、怪獣・宇宙人よりもホラー・怪奇要素が中心の作風となっている。そのことは、現代的で不気味なアレンジが施されたメインテーマ (オリジナルサウンドトラックや『ウルトラマン 主題歌・挿入歌 大全集 Ultraman Songs Collected Works』にのみ収録。残念ながら配信は行われていない) からも明らかだろう。 

本作はあくまで『ウルトラQ』なので、全26話のほぼすべてに何らかの「怪異」が登場する。しかし、そのうちスーツがあるもの……所謂「怪獣・宇宙人」カテゴリに含められる存在は数えるほどしかおらず 「謎の力を持ったトーテム」や「光る舟」といったウルトラシリーズらしからぬものが大半を占めている。ほぼ全話が繋がりのないオムニバスという点からしても「特撮・SF色が強めの “世にも奇妙な物語” 」というとしっくり来るかもしれない。 

(円谷プロ作品で言うと『怪奇大作戦』にも近い作風だ)

 

しかし、それは転じて、普段とは全く異なる「未知のウルトラシリーズ」であるということ。いつの間にかホラーにお熱になっていた自分にとってそれはむしろありがたい話だったし、この全26話の旅路は本当に楽しいものだった。 

本来なら、そんな各エピソードを踏まえて作品全体を振り返っていくところなのだけれど、本作は (ほとんどのエピソードに登場する主人公コンビこそいるものの) 前述通りほぼ完全なオムニバスとなっているため、そのような総括は難しい。 

そこで、ここからはそんな『ウルトラQ dark fantasy』各エピソードを4つのタイプ・カテゴリーに分類。それぞれの観点から、この作品の魅力を掘り下げてみたい。

 

 

ウルトラQの現代リメイク系” エピソード

 

ウルトラQ dark fantasy、というタイトルから当然に期待されるのが『ウルトラQ』のリメイク。スーツを作る予算や枠の都合からそのような回は26話中たったの5本と非常に少ないが、これらはいずれも『Qdf』を象徴するエピソードとなっている。

 

 

記念すべき第1話『踊るガラゴン』に登場するのは、ガラモンのオマージュである大型ロボット・ガラゴンと、小型のペットロボット・ガラQ。「可愛いペットロボットの正体はガラゴンの電子頭脳だった」という筋書きで話が進んでいくかと思いきや、なんと侵略兵器はガラQの方で、ガラゴンこそが電子頭脳だった……という転回が見事な一方、平成初期色の濃いポップな演出から好みが分かれそうなのが惜しい。「やってることは面白いのに、ややズレた演出で損をしがち」というQdfの特徴が顕著な一本だ。第16話『ガラQの大逆襲』では両者を送り込んだ黒幕・セミ女がホラー色強めの見事な特撮で登場するものの、最終的にはギャグマンガのような展開でガラQに敗北、爆散する。どうして……。 

だが、クセツヨなガラモン周りに対し残る3本は秀逸かつ正統派な『Q』リメイク。 

女の子を主役に据えることで、ファンタジックな原典に対する「現代的な風刺ドラマ」を描いてみせた第22話『カネゴンヌの光る径』や、肉体ではなく心の若さ=想像力を奪いに来るレキューム人の侵略を描いた第26話『虚無の扉』……。そして、個人的に最もグッと来たのが第14話『李里依とリリー』

 

 

本作に登場するリリーとは、心理学者の御厨が、娘である李里依を感覚剥奪実験装置アイソレーションタンク。本作独自の概念ではなく、実在する瞑想用装置)と非合法薬物に入り浸らせたことで生まれてしまった幽体。この見事な現代ナイズの時点で「オッ」となるのだけれど、病院に現れるリリーや「覚醒しながら夢を観ている状態の李里依」などにはJホラー的な演出がふんだんに用いられており、ともすれば後述のホラー系作品群より恐ろしいシーンもちらほら。 

ビジュアル面のオマージュはもちろん「環境によって歪んでしまった子どもは悪と呼べるのか」というテーマも原典『悪魔ッ子』をしっかりと汲んでいるなど、様々な点で『Qdf』屈指の傑作と言って差し支えない名作だ。

 

(怪しさしかないアイソレーションタンクだけれど、なんとあのオモコロでレポート記事が寄稿されていたりもする)

 

“ダークファンタジー系” エピソード

 

ウルトラQのリメイクが5本しかないなら、残りは一体何なのか……というと、大半を占めるのが「科学やオカルトから生まれる、様々な怪異」が描かれる仄暗い物語、言うなれば「ダークファンタジー」系エピソードたちだ。 

脳だけが生き長らえた男の見る夢と、その崩壊=第3話『あなた誰ですか?』、死に瀕した人間を魂の安楽地へと送る使命を背負った種族の生き様=第10話『送り火』、ゲノム実験により誕生した新人類による侵略=第20話『密やかな終幕』、「子どもに戻りたい」という大人たちの願いを叶えてしまった宇宙からの隕石=第12話『夢見る石』等々、このカテゴリーのエピソードは非常にバラエティ豊か。そしてその多彩さを生み出しているのが、本作の「主人公がいるようでいない特撮番組」という特徴である。

 

 

記者の坂本剛一とフリーカメラマンの楠木涼。これに準レギュラーの渡来教授を加えた3人が、本作のメインパーティーである。彼らの役どころは『Q』の万城目らよりも「怪事件に関わる必然性がある」ように調整されているが、本作のオチはその半分近くが「彼らが登場するがゲストを救えない」もしくは「そもそも彼らが登場しない」という、ウルトラシリーズでは珍しいものになっている。 

(『Q』はそのようなパターンがシリーズでも多い作品だったので、それを踏襲しているとも言える。一方、この点は本作が「世にも奇妙な物語っぽい」と呼ばれる理由の一つになっているという見方もできる)

 

一方、このイレギュラーさのおかげで、本作は「人々を怪異から救う必要がない」という自由さを手に入れている。「解決」を考えなくていいので、話としてまとまれば+面白ければどんな怪異も出し放題なのだ。 

この自由さが円谷プロの特撮ノウハウと噛み合った結果、前述のようにバラエティ豊かなダークファンタジー群が誕生。毎回のように「どのような話になるのか」「ゲストが救われるのか救われないのか」が予想できないワクワク感・スリルは相当なもので、この点が自分のような「ホラーも特撮も好きな人間」には刺さってしょうがないのである。 

そんなダークファンタジー系エピソードの中でも特にお勧めしたいのが、第7話『綺亞羅』。芸術を巡って生き方を違えてしまった男たちの苦悩や、芸術に人生を捧げた男が得る「幸福」をショッキングに描くストーリー、ヨーロッパの伝承がモチーフと思われる妖精・綺亞羅の、清らかな/だからこそ恐ろしい存在感、そして本作屈指の美麗な合成で描かれる「羽を広げる綺亞羅」は必見だ。

 

 

“ホラー系” エピソード

 

前述のダークファンタジー系エピソードの中でも、特にホラー色の強いカテゴリーで、本作の「本命」と呼ばれたりもするエピソードたち。  

ベタな「3つの願いとその代償」かと思いきや、そのエスカレートっぷりに恐怖する第11話『トーテムの眼』、一見アンドロイドの人間のラブストーリーのようで、冷静に考えると非常に恐ろしい真相が見えてくる第17話『小町』、堀内正美氏×実相寺昭雄監督のタッグが「何が人を人足らしめるのか」という哲学に切り込む第24話『ヒトガタ』と、このカテゴリーはいずれ劣らぬ傑作揃い。中でも、晩年の実相寺昭雄監督がイマジネーションの根源として「恐怖」の持つ力を描き、作品を通して私たちが恐怖を感じる (視聴者それぞれが、本作に各々の「恐ろしいもの」を見出してしまう) という大仕掛けを作り出した第25話『闇』は、ウルトラシリーズで氏を追ってきたファンとしては特に響くものがあるはずだ。 

そして、この中に二つ「問題の作品」がある。

 

 

〈第2話「らくがき」〉

高級住宅街に暮らす女性・藤野加代子は、汚れた街の姿に苛立っていた。彼女は街の清掃、とりわけらくがきを消すことに精を出すが、犯人を捕まえようとした彼女は逆にらくがきの犯人・ジラフ星人に「見つかって」しまう。 

以来、彼女の周囲……机の下やクローゼットの中など、様々な場所に件の「らくがき」が現れるように。他人に見せようとすると消えるらくがきを前に、医師は彼女を「ノイローゼに陥っている」と診断するが、突如姿を消した彼女の赤血球には、確かにあのらくがきが刻まれており……。

筆者記

 

小学生だった自分に深刻なトラウマを植え付けた二大エピソード、その一つがこの第2話『らくがき』。 

DVDのパッケージにも描かれているらくがきや、顔がなく意図が分からないジラフ星人の不気味さもさることながら、本作最大の恐ろしさは「当たり前のように家の中にある」らくがきたち。 

家という安全地帯が奪われるJホラー的な怖さ、らくがきの意味が最後まで分からない不安。それらに加えて、このらくがきには「特撮ならではの怖さ」が満ちている。 

というのもこのらくがき、「ジラフ星人が家の中に侵入して書く」というシーンもなければ、これ見よがしに「強調する」ような演出もなく、加代子の周囲に現れるらくがきは、あくまで「当たり前のようにそこにある」ものなのだ。 

ジラフ星人がそうであるように、特撮作品は「フィクションの産物」が登場するものだが、その反動で「特撮でない部分がより真実味を帯びて見える」という効果も持っている。結果、一切特撮を介さない「らくがき」の実在感が目を見張るものになっており、ジラフ星人がフィクションでも、らくがきは家のどこかに現れてしまうかも……と心のどこかで怯えずにはいられないのである。 

そんな恐怖にホラー耐性0の小学生が耐えられる訳がなく、自分はその後「自作のウルトラマン漫画にジラフ星人を登場させ、らくがきは転移装置だったことにした上でジラフ星人を全滅させる」というパワープレイでトラウマを封印。しかし、本作のトラウマは『らくがき』だけでは終わらなかった。

 

 

〈第4話「パズルの女」〉

若いサラリーマン・望月のポストに、女性が描かれた謎のパズルが投函されていた。差出人不明のそのパズルを組み立てていく望月は、パズルが完成していくにつれ「何者か」の気配を感じるようになる。 

足が完成している時は「足」だけが。胴体まで完成したら「首なしの女」が自分を追ってきている。その恐怖で発狂寸前に追い込まれる望月は、しかしひょんなことから彼女に悪意がないことを知り、その孤独に共感してしまう。 

危険を承知でパズルを完成させた望月は、やがてパズルの中へと導かれる。その世界で、彼は「パズルの女」だった女性と心を通わせていた――。

筆者記

 

とにもかくにも、この「パズルの女」である。 

いざ見てみると、パズルの女が「人を死に追い込む悪霊ではあるのだけれど、悪意がある訳ではない」ことが分かったり (言葉が喋れないので窓に「ごめんなさい」と書くパズルの女、悔しいけどちょっと可愛いと思ってしまった……) 、トラウマだった「家の中に首のない女が立っている姿」が望月の悪夢でしかなく、実際のパズルの女は家の中には入ってこなかったり……と、意外と怖くなかったりするのだけれど、だとしても「パズルの女」という概念が怖すぎる。いかに悪意がないとはいえ、いかに同情すべき過去があるとはいえ、いかに設定に無理があるとはいえ「生前に病院で話をした男性の元に自分の魂を宿したパズルを投函し、完成に伴い実体化する」という概念が怖すぎるのだ。 

そして、この「足だけ状態」や「首なし状態」の画作りがあまりに自然なのも恐怖ポイント。足だけエレベーターに入ってくるシーンがいくらなんでも怖すぎるし、円谷の特撮技術がいい仕事をしすぎなんですよこの辺ン……!! 

……と、このように当時の自分に深々とトラウマを刻みつけた『らくがき』と『パズルの女』だけれど、実はこの2編は「ゲストがどうなるか読めない」「特撮のノウハウ」という本作の強みが色濃く発揮された作品でもある。だからこそ自分はトラウマになるくらい怖がったのだし、今の自分がホラー好きなことを考えると『らくがき』『パズルの女』はそれだけの力を持った傑作と呼べるのかもしれない。

 

 

その他のエピソード

 

ウルトラQのリメイク、ダークファンタジー、ホラー。この3つが『Qdf』の大半を占めているけれど、他にも本作には「コメディタッチなもの」「ハートフルなドラマ」「怪異の登場しない不思議なドラマ」といったエピソードが存在している。 

本作オリジナルの怪獣・サビコングに対し、同じく本作オリジナルの宇宙人・ウニトローダと街の人々が共に戦いを挑む第8話『ウニトローダの恩返し』や、(ウルトラマンガイアと違って分かりやすく説明されない) 難解な量子力学の物語である第23話『右365度の世界 〜ALICE in the 365 degree world〜』、東京の地下で、すべてから解放され穏やかに死を待つ男性をナレーション・佐野史郎氏が好演した第6話『楽園行き』等々……。 

『Qdf』の中心は前述の「リメイク、ダークファンタジー、ホラー」の3点であり、それは深夜放送という条件に鑑みても当然の采配。けれど、だからといってそれに終始してしまったら、それはウルトラシリーズジャミラやムルチだけで語るようなもの。そう考えると、このカテゴリは『Qdf』の作風を大きく広げ、本作をよりウルトラシリーズ、ないし『Q』足らしめている功労者とも言えるかもしれない。 

(怪異さえ登場しないエピソードには『ウルトラQ』の括りで作られる意味を考えてしまうし、底抜けに明るい『ウニトローダの恩返し』には「他の回もこうしてよ!!」と当時ひどく憤慨したりもしたけれど……)

 

そんなこのカテゴリーの中でプッシュしたいのは、第15話『光る舟』。前述した「ウルトラQの括りで作られる意味を考えてしまう」エピソードではあるものの、一人の不良と一人の落ちぶれたサラリーマンが「今、ここにある世界の価値」に気づく等身大の暖かなストーリーや、テーマをなぞなぞや演出で仄めかす上品さが魅力的な、ウルトラシリーズでもお馴染みの太田愛氏の筆致が光る一本だ。

 

 

ウルトラQ dark fantasy」が目指したものとは何だったのか

 

ここまで書いてきた以外にも、本作には多くの魅力がある。「1話20分で楽しめる多彩な怪奇オムニバス作品」という枠組みそのものの手軽さ・触れやすさ、『ネクサス』『マックス』をはじめとしたウルトラシリーズキャストのゲスト出演や、堺雅人氏・高橋一生氏といった未来の大物俳優の出演、高橋洋氏をはじめとした名だたる脚本家の参戦……等々、そのトピックはそう簡単には語り尽くせない。その上で敢えて書き残しておきたいのが、本作のテーマ――あるいは「本作が目指そうとしていたもの」について。

 

 

前述の通り、『Qdf』は『ウルトラマンネクサス』の事実上の前番組。『ウルトラQ』のリメイクから、初代ウルトラマンのオマージュ作こと『ULTRAMAN』との関わりも深く「魂の原点回帰」を謳うネクサスに続く……というのは、決して偶然ではないのかもしれない。 

そして、ネクサスといえば予算削減。当時の円谷プロが資金繰りで苦労していたのは有名な話で、『Qdf』もネクサス同様「どうにか予算を切り詰めよう」という涙ぐましい努力がそこかしこで見られる作品になっている。 

その低予算で「目の肥えた大人のファン層を相手に、シリーズの原点であるウルトラQのリメイクを作る」というのは無理難題めいているが、しかし、本作に満ちているのは諦めではなく、むしろ作り手の「矜持」だったように思う。そう考えられる根拠が、最終回となる第26話『虚無の扉』の物語だ。

 

 

原典である『ウルトラQ』の核となっていたのは、怪獣でも宇宙人でもホラーでもなく、あくまで「空想特撮」というファンタジー。そしてその根っこには、お茶の間の人々――とりわけ子どもたちに対する「テレビでも映画のようなワクワク感を味わえるように」という願いが込められていた。だからこそ『Q』は非常にバラエティ豊かな、様々な「空想」で溢れる作品になっていたのである。 

一方、その40年後に大人をメインターゲットとして作られた『ウルトラQ dark fantasy』最終回では、大人になり、悲惨な現実を前に「想像力」という心の若さを失ってしまった漫画家・笹山が登場する。

 

「子どもの頃は泉のようにアイデアが湧いてきたのになぁ……。ところが今や、現実の事件の方が、フィクションを遥かに凌駕してしまう。そんなご時世だ。……あ~あ、いつからこんな風になっちゃったんだろうな」

-「ウルトラQ dark fantasy」 第26話『虚無の扉』より

 

2004年といえば、2001年のアメリ同時多発テロが人々の心に根深い傷跡を残していた時期。そう考えると、笹山とは単なるキャラクターではなく「当時の大人たち」の写し鏡でもあり、未来を信じる意志=想像力を取り戻し、空想の力によってレキューム人を打破してみせる笹山の姿は、本作が彼らに示す未来の可能性とも解釈できる。ウルトラQ dark fantasy』とは、かつて『ウルトラQ』が子どもたちに空想の力を届けたように、大人に空想の力を届ける為の作品だったのではないだろうか。 

そのような想いがあったからなのか、本作を観ていると苦しい製作事情よりもむしろ「目の肥えた大人を唸らせよう」という前のめりな情熱が感じられるし、「原典をなぞると見せかけて、実はその逆だった」という第1話『踊るガラゴン』はその趣向が特に色濃く表れたエピソードと言えるかもしれない。

 

 

そんな『ウルトラQ dark fantasy』は、ウルトラシリーズのファン層が大きく広がり、ホラー作品が広く親しまれるようになった今だからこそより評価されるべき作品。「スーツを出さなくてもここまでやれる」と示した点に鑑みても、ウルトラシリーズ……とりわけ、ネクサス・マックス・メビウスら「ハイコンセプトシリーズ」を語る上でこの26話を避けては通れないように思うのだ。 

しかし、本作はとある事情から書籍等で存在が抹消されているばかりか、映像サブスクサービス等での配信も行われていない。その魅力に胸を掴まれた者としては、この抗いようのない「マイナーにならざるを得ない運命」が残念でならないし、だからこそ、少しでも本作が広く知られてほしいと今もこうしてスマホに指を走らせている。 

そんな本作の視聴手段は、レンタルビデオ店でのDVDレンタルか、自分のように中古品を購入することかの二つに一つ。いつか映像サブスクサービスで配信される日が来ることを願うのはもちろんだけれど、あなたが何らかの形で本作のDVDと巡り会えたなら、どうか迷わずに手を伸ばしてみてほしい。その向こうには、あなたが観たことのない「アンバランスゾーンへの旅」が待っているはずだから。