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平成・ニュージェネの原点! “アニメならでは” 満載の傑作『ザ☆ウルトラマン』のすすめ

令和という元号が馴染んで久しい2024年、夏。一時はシリーズ終了まで噂されていたことが嘘のように、ウルトラマンたちは世界中でパワフルな活躍を見せてくれている。 

テレビでは最新作『ウルトラマンアーク』が放送中で、Netflixでは独占配信の映画作品『Ultraman: Rising』が好評を博し、予約開始時に品切れが続出した『ウルトラマンカードゲーム』の発売も間近に迫ってきている……と、これらの活発さを受けてか、界隈では「もう一度4クールのテレビシリーズを」という声も度々見受けられるようになってきた。 

分かる、その気持ちは大いに分かる。けれど、現在は経済的な事情やYouTube・サブスク時代の影響など、様々な要因から「4クールものの作品製作」自体が逆風に曝されている状況。金銭・経営的に安定しているとは言い難い円谷プロダクションには、無理に4クール作品の製作を行うよりも、現状の2クール×2クールの無難な放送体制を守りながら、たくさんの新たなチャレンジを行ってほしい……というのが個人的な希望。 

それに、そのような「4クールのウルトラマンが見たい」という気持ちに対しては、現在サブスクで配信中の過去作品が少なからず応えてくれるはず。中でも、自分は昭和ウルトラシリーズからとある一作をオススメしたい。 

『デッカー』や『ブレーザー』のようにオムニバスエピソードと縦軸の両立を成し遂げ、イベント性に富み、一目で「唯一無二の個性」が伝わってくる、他作品では見られないような怪獣・ストーリーが目白押しの傑作。その名は『ザ☆ウルトラマン

 

 

2024年8月、大手映像サブスクサービス「U-NEXT」での期間限定配信をきっかけに、自分は幼少期以来久々に本作を視聴。その唯一無二の面白さにいたく感銘を受けてしまったのだけれど、実に45年前のアニメーション作品ということもあって、視聴に高いハードルを感じている方もちらほらと見受けられるところ。 

そこで今回は(主に)そんな『ザ☆ウルトラマン』未視聴者に向けたプレゼンとして、本作の魅力や名エピソードを紹介。本作に興味を持っている方もそうでない方も、未見の方も履修済みの方も、これを『ザ☆ウルトラマン』に触れる / 触れ直すきっかけにしてもらえれば幸いです……!


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引用:https://x.com/tsuburayaprod/status/1187171919063203840?t=m6RtAK6Ukt0P-eZTLPystg&s=19

 

《目次》

 

『ザ☆ウルトラマン』とは

 

『ザ☆ウルトラマン』とは、『ウルトラマンレオ』以来五年ぶりに復活したウルトラシリーズのテレビ作品であり、「昭和第三期ウルトラシリーズ」の一作目。当時大ヒットしていたアニメ作品、とりわけ『宇宙戦艦ヤマト』の影響が色濃いようで、世界観やキャラクターデザインに多くの共通点が見られるだけでなく、キャスティングに至っては「ヤマトの主人公・古代進を演じた富山敬氏と、その永遠のライバル・デスラー総統を演じた伊武雅刀氏がそれぞれ主人公とウルトラマンを演じる」という、ヤマトのオタクが製作に関わっているとしか思えない代物だったりする。 

更に、製作はかの日本サンライズ、メインライターは『ルパン三世 ルパンVS複製人間 (監督も兼任)』や『装甲騎兵ボトムズ』で知られる吉川惣司氏、音楽はなんと宮内國郎氏と冬木透氏という昭和ウルトラシリーズのツートップが二人で手掛ける……と、その製作陣も豪華そのもの。「ウルトラマンをアニメで蘇らせる」という挑戦的な企画に懸ける熱量が窺えるところだ。 

では、かくして生み出された『ザ☆ウルトラマン』がどのような魅力を持つ作品なのか、大きく三つのトピックに分けて振り返ってみたい。

 

 

① 奇想天外・アニメならではの怪獣たち

 

『ザ☆ウルトラマン』の特徴といえば、真っ先に挙げられるのは「アニメならではの、奇想天外な怪獣たち」だろう。何がどう奇想天外なのか……というと、論より証拠。ザ☆ウルトラマンのやべーヤツらを連れてきたよ!! 

・「全長480mの巨大竜巻」としか言いようのない姿をした、竜巻怪獣スパイラル (第2話) 

・ブルドーザー型の対怪獣兵器が液体怪獣に乗っ取られた、機械怪獣ヘクトール (第11話) 

・地球怪獣を凶暴化させる謎の惑星を守る宇宙怪獣ザイクロン。尚、問題はザイクロンではなく「この惑星そのもの」が一体の怪獣であること (第14話)   

・身長1000mの超巨大怪獣、暗黒怪獣バゴン (第21話) 

・地球と同化し、その自然現象をコントロールできるようになった結果、自分を地球そのものだと思い込むようになった異常一般怪獣、凶悪怪獣ギバルーガ (第26話) 

このように、ザ☆ウルトラマンの怪獣たちは多かれ少なかれ「アニメならでは」な要素を持っており、シーグラ (第1話) のように見た目こそ普通の怪獣でも、アニメであることを武器に「四体が同時に出現」するなど、大半の怪獣が何かしら凝った見せ方をされている。これら怪獣たちの奇想天外さと、それに立ち向かうジョーニアスの奮闘が本作の大きな見所の一つと言えるだろう。中でも個人的なお気に入りなのが、こちらの「ザローム「スケルドン」だ。

 

テレポート怪獣 ザローム

 

第10話「見えたぞ! まぼろしの怪獣が…」に登場する怪獣。ザローム自体は過去にも出現例がある凡庸な怪獣なのだけれど、問題は、このザローム「催眠術を応用して行う、本物のテレポート (?) 」を得意とするマジシャン、ジョージ佐竹を食べてしまい、そのテレポート能力を奪ってしまったこと。何て??? 

この時点で既に様子がおかしいのだけれど、ザロームはこのテレポート能力で遥か遠方の日本まで現れたばかりか「自らに催眠術をかけることで、自身の幻を遠方に発生させる」という意味不明な技まで習得し、科学警備隊は大混乱。こっちも大混乱だよ!!!! 

しかし、この回最大の見せ場はその後。ザロームに食べられてしまったマジシャン・ジョージ佐竹の家族の為に、ジョーニアスはある秘策を実行するのだが……。ここは見てのお楽しみ。

 

 

骨怪獣 スケルドン

 

第30話『動きだした巨大化石』に登場する怪獣。見た目こそ恐竜の骨のようで、自分は当初『帰ってきたウルトラマン』のステゴンのような怪獣かと思っていたのだけれど、その実態はなんと「蘇生と死亡を繰り返す、骨型の生命体」という極めて異質なもの。突如バラバラの骨に分離、「分離している間は死体に戻るので、生体反応が消失する」という異常な生態で科学警備隊を翻弄したり、分離合体を瞬時に行える点を活かし、さながら平成のキングジョーのように分離合体でジョーニアスの攻撃を躱したり……と、不気味さと強敵感を兼ね備えた恐ろしい怪獣だ。 

しかし、このスケルドンの真の恐ろしさは「最後までその正体が謎である」こと。観ている最中は「恐竜の骨が霊的な何かで動いたものか」などと思っていたのだけれど、このスケルドンが発掘された地層は恐竜が生きていた時代よりも更に古いものであり、その上、スケルドンの中枢部は「首の骨の内部」にあった。つまり、スケルドンは一見恐竜の骨のようでありながら、恐竜とは根本から異なる「骨に似た姿の生命体」だったのである。 

シリーズお馴染みの「骨型怪獣」を思わせるがその実根本から異なる生命体であり、ジョーニアスや科学警備隊、視聴者をも翻弄し、謎を残して消えていく……。アニメというメディアの強みをホラーチックに出力した、『ザ☆ウルトラマン』の隠れた名怪獣と言えるだろう。

 

 

② 秀逸な脚本 / ストーリー

 

『ザ☆ウルトラマン』のストーリーは、主に「怪獣によって引き起こされる怪事件と科学警備隊の攻防」が中心になっており、歴代シリーズで言うと『ウルトラマン 空想特撮シリーズ (初代ウルトラマン) 』などに近いもの。 

そして、その物語の中心となる怪獣たちは前述の通り「アニメならでは」のイロモノ揃い。その結果、本作はウルトラシリーズお馴染みの話運びを、全く未知の体感で楽しめる」という、初見にもシリーズファンにも美味しい作品になっている。こ、こういうウルトラマンが観たかった……!! 

しかし、ザ☆ウルトラマンが実写シリーズから受け継いだのは、そんな「怪獣特撮エンタメ」としての側面だけではない。ストーリーの裏に秘められた、切実な「子どもたちへのメッセージ」もまた、ザ☆ウルトラマンにおいて欠かせないポイントだ。中でも自分が胸を打たれた二つのエピソードを紹介したい。

 

 

第3話『草笛が夕日に流れる時…』

 

ワニのような小動物に「ペロ」と名付け、ペットとして飼うことにした少年・タカシ。しかし、ペロは分裂怪獣ワニゴドンの幼体であり、科学警備隊のマルメ隊員は、ペロを引き渡すようにタカシを説得する。

 

「今はワニの子どものように見えるけど、もし怪獣の子どもだったら、大変なことになるんだぞ?」
「ペロは絶対、怪獣の子なんかじゃないよ!」
「お兄ちゃんの友達も……昔、熊の子どもを拾ってペットにしていたんだ。でも大きくなった時、その熊は逃げ出して、近所の人に大怪我をさせてしまったんだ!」
「ペロは、人にケガなんかさせないよ!」
「黙って聞くんだ!」
「!」
「いいかいタカシくん。動物が小さい時は、誰でもペットにしたがる。でもね、最後まで責任を持てない限り、そう簡単にペットにしちゃいけないんだよ!」

-「ザ☆ウルトラマン」 第3話『草笛が夕日に流れる時…』より

 

マルメの言葉に半信半疑のタカシだったが、それから一日と経たずにペロは巨大化、成体のワニゴドンとして暴れ出してしまう。 

その様を目の当たりにして「あれはペロじゃない」と逃げ出すタカシ。そんなタカシにマルメは叫ぶ。

 

「よく見るんだ! あれは、君のペットのペロだ!!」
「違うよっ……ペロは、怪獣なんかじゃないよっ!」
「自分の都合の良い時だけ可愛がり、後は知らないっていうんじゃ、君にペットを飼う資格なんかないぞ!!」

-「ザ☆ウルトラマン」 第3話『草笛が夕日に流れる時…』より

 

「少年が怪獣の子どもを拾ってしまう」というのは、ウルトラシリーズでは決して珍しくないエピソード。しかし、本話が特徴的であるのは「少年と怪獣の絆」ではなく、少年の「責任」にスポットを当てている点。 

現代においても、人は「可愛いから」とペットを飼いたがる。しかし、ペットにしても人間の子どもにしても、一つの命を育てることは (それが世の中にありふれていることが不思議なくらい) 大きな困難を伴うもので、その命に責任を持つのは決して簡単なことではない。それを考えず軽率に命を背負い、世話の労力と責任の重さが「可愛い」という器から溢れ出した結果、人は時にいとも容易くその命を投げ出してしまう。 

命を預かる上で大切なのは、可愛がることよりも「その命に最後まで責任を持つ」こと。マルメの言葉は、ペット市場が急激に拡大していた1979当時にも、人々から「命を育てる」余力が失われつつある現代にも、どのどちらにも痛烈に刺さるメッセージと言えるだろう。 

しかし、本話の白眉はむしろここから。タカシはマルメの正論で改心する――のではなく、そこからも背を向けて「あのワニゴドンはペロじゃない」根拠を探そうとし始める。 

そう、子どもとはまだまだ不完全な生き物であり、正論を言われたからと言って「はい、わかりました」と即座に納得・改心できる訳ではない。だからこそ、子どもは失敗をして、痛みを味わって初めて「過ち」を学ぶのだ。それは、このエピソードにおいても決して例外ではない。

 

「ペロじゃない……。ペロは、僕の草笛を気持ち良さそうに聴いてくれた可愛いやつだ! ……そうだ!」

-「ザ☆ウルトラマン」 第3話『草笛が夕日に流れる時…』より

 

ジョーニアスを攻め立てるワニゴドンに対し、「この草笛に反応しなければ、ワニゴドンがペロでないと証明できる」と草笛を吹き始めるタカシ。しかし「ペロの部分」が残っていたワニゴドンはその草笛に反応してしまったばかりか、その隙を突かれたことでジョーニアスに倒されてしまう。皮肉にも、タカシは自分自身の手でペロを葬ることになってしまったのだ。 

ラストシーン、涙ながらに「あれはペロだった」と繰り返すタカシを「君は責任を取ったんだ」と励ますマルメだが、彼の頬にも涙が伝っていた。確かに、子どもは失敗から「責任」を学んで大人になるものだけれど、子どもを悲しみから守るのは大人の役割、大人の「責任」なのだ。   

ペットという存在を通して、子どもと大人の双方に「人としての責任」を問いかけるこのエピソードは、人々が金銭的な余裕と共に「心の豊かさ」を失いつつある今だからこそ見直されるべき傑作なのではないだろうか。

 

「タカシくん……」
「お兄ちゃん!やっぱり、ペロだったんだぁ……! うあぁっ……」
「責任を取ったんだ、君は。責任を」
「ペロだったんだよぉ……!」
「これで良かったんだ、これで……」

-「ザ☆ウルトラマン」 第3話『草笛が夕日に流れる時…』より

 

 

第15話『君がウルトラマンだ』

 

ウルトラマンとしての自覚が芽生え、誰に言われるでもなくトレーニングに励むようになったヒカリ。しかし、どれだけ身体を鍛え、ウルトラマンとして懸命に戦っても、自らの正体を隠している限り、その努力は誰にも認めて貰えない。平凡な若者であるヒカリにとって、それは大きな苦痛だった。 

そんなある日、芋虫型の宇宙怪獣・隕石獣ゴグランが出現。「周囲に認められたい」という欲に囚われたヒカリは、かつて宇宙ステーションEGG3でゴグラン (別個体) を撃退した際の武勇伝を語ろうとしてひんしゅくを買ってしまっただけでなく、ゴグランとの交戦中にウルトラマンへの変身を拒んでしまう。そんなヒカリに対し、脳内で語りかけてくる声があった。

 

『ヒカリ』
「その声は!?」
『私だ。君の身体の中に在って、君と常に行動を共にしている、私だ』
ウルトラマン……!?」
『なぜやめた。なぜウルトラマンとなって戦わない?』
「僕は確かに、貴方の力で戦うことができる。しかし……」
『しかし?』
「僕は人間として戦ってみたいんだ。ヒカリ超一郎として」

-「ザ☆ウルトラマン」 第15話『君がウルトラマンだ』より

 

地球は人類自らの力で守り抜かなければならない。それはウルトラシリーズに通底した思いであり、これまでも幾度となく人間の自立が描かれてきた。しかし、この台詞がそれらと異なっているのは、根底にあるのが「周囲に認められたい」という欲求であること。 

その境遇を思えばヒカリの思いは察するに余りあるけれど、彼がそうして対ゴグラン戦から離脱していた結果、一人で戦っていたマルメはゴグランに撃墜され、負傷してしまう。「人々を守る」という科学警備隊員の使命よりも己のエゴを優先させた結果が、最悪の形で表れてしまったのだ。 

そのことを深く悔いたヒカリは、再度出現したゴグランに単身挑むも敢えなく負傷、ビームフラッシャーを落とし変身できなくなるという窮地に追い込まれてしまう。 

誰にも自分のことを理解して貰えない孤独。マルメを負傷させたばかりか、彼の分まで戦うことさえろくにできない自分への憤り。そして、それらに振り回されてしまう心の弱さ……。ヒカリが凡庸で無力な自分自身に絶望した時、脳裏に再びウルトラマンの声が響く。

 

『ヒカリ、気を確かに持て』
「……! ウルトラマン
『頑張れ。君自身が駄目になったら、私とて力を発揮できない』
「でも、駄目なんです。僕はやっぱり、ただの人間だ……!」
『ヒカリ、君はなぜ私に選ばれたと思う? 君のような若者は数多くいる。その中でも、私が特別に君を選んだ理由を、考えたことがあるか』

-「ザ☆ウルトラマン」 第15話『君がウルトラマンだ』より

 

 

ジョーニアスがヒカリをパートナーに選んだきっかけとは、彼が宇宙ステーションEGG3に務めていた時のとある出来事。ステーションの壁を食い破って侵入しようとする怪獣を、ヒカリが己の命をなげうって撃退したことだった。 

そして、それはまさにヒカリが皆に話そうとしていた武勇伝そのもの。自分の戦いを誰も知らないものと思っていたヒカリだったが、ただ一人、ジョーニアスだけは彼の勇気ある行動をしかと見届けていたのだ。

 

「ねぇ、あの話の続きを聞かせてちょうだい。EGG3での出来事を」
「……また、今度ね」

-「ザ☆ウルトラマン」 第15話『君がウルトラマンだ』より

 

ゴグランの撃破後、ヒカリは日々のトレーニングの甲斐あってか驚異的な回復を見せ、ムツミは彼に武勇伝の続きを聞きたがる。しかし、ヒカリは遂にその武勇伝を口外することはなかった。 

再び孤独なトレーニングに戻っていったヒカリに対し、ジョーニアスは優しく――それまで見せなかった「感情」を滲ませた声で、ヒカリに語りかける。

 

『自分の手柄を誇りたいのは、誰しも無理のないことだ。だが、ウルトラマンになる人間はそうであってはならない。――ヒカリ。私は、君を選んだことを誇りに思う。心から』

-「ザ☆ウルトラマン」 第15話『君がウルトラマンだ』より

 

 

ヒカリのウルトラマンとしての戦いがそうであるように、善行や努力とは得てして人の目に触れ辛く、一見すると報われないことのように思えるかもしれない。しかし、だからこそ「それでも善の為に身を捧げ、誰かの為に努力できる心」は、それだけで清く眩く輝いているもの。強靭な身体でもなく、高等な知性でもなく、その輝きこそがジョーニアスの認めたもの=ウルトラマンの資質であり、他ならぬその人自身を救ってくれるものなのだ。ヒカリが、鍛えられた身体のおかげですぐに回復できたように。ジョーニアスという「もう一人の自分」がヒカリの献身を見守ってくれていたように。 

このことは、ジョーニアスからヒカリへのメッセージであるだけでなく、製作陣から視聴者へ向けられたエールでもある。認められたい。褒められたいという気持ちと戦い、それでも誰かの為に頑張れるのなら、それだけで「君がウルトラマンだ」と言えるのだと。そして、その頑張りはいつか必ず報われるのだと。そんな切実な想いが込められているからこそ、自分はジョーニアスの最後の台詞にどうしようもなく涙してしまうのかもしれない。

 

 

③ 平成・令和シリーズの先駆け - U40とヘラー軍団

 

『これがウルトラの星だ!!』- ウルトラの星・U40の魅力

 

アニメならではの怪獣たちと、脚本・ストーリーの秀逸さで序盤から盛大に魅せてくれた(特に自分は上記の二編ですっかり惚れ込んでしまった)『ザ☆ウルトラマン』。しかし恐ろしいことに、この作品は未だにその「真価」を隠し持っていた。 

「アニメならでは」の要素を「秀逸な脚本」で描き出すザ☆ウルトラマンの真価。それこそが「ウルトラの星・U40」の存在であり、その存在が初めて語られるのが、第19話『これがウルトラの星だ!! 第1部』。

 

 

アフリカ大陸に出現し、3つの都市を壊滅に追いやった爬虫怪獣ゲラド。科学警備隊の攻撃を寄せ付けず、ジョーニアスをして「我々はこの怪獣に勝てない」と言わしめる強敵・ゲラドに対し、ヒカリは彼の制止を振り切って戦いを挑む。 

激戦の結果、辛くも勝利を手にするジョーニアスだったが、ゲラドの残骸から謎の光球が出現、それは地球の爬虫類に憑依することで強力な怪獣へと「変身」させるという、ウルトラマンを思わせる生態の精神寄生体であった。ジャニュール、次いでベドランへと姿を変える精神寄生体によって連戦を強いられた結果、なんとジョーニアス=ヒカリはその命を落としてしまう。しかし、そこに突如巨大な円盤が降下。中から現れたのは、ウルトラマンそっくりな謎の巨人で――。 

さながら平成ウルトラシリーズの最終三部作のような盛り上がりに、「2クール目にして、U40の使者が地球に現れる」という衝撃の展開……。この時点で自分はワクワクが止まらず椅子から転げ落ちそうになってしまったのだけれど、ここから『これがウルトラの星だ!!』は更なる盛り上がりを見せていく。

 

 

円盤が向かった先にあったのは、なんとウルトラの星・U40。そこで蘇生されたヒカリは、U40の戦士・エレクとロト、そしてジョーニアスの妹・アミアと行動を共にする中で、惑星U40やその敵対者・バデル族のことを知り、戦火の中へと果敢に飛び込んでいく――。 

このようなあらすじで始まる『これがウルトラの星だ!!』第2・3部は、なんと「ほぼ全編がU40と宇宙空間で繰り広げられる」という、後の『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』の先駆けとも呼べる一大巨編。 

そのスケール感は勿論、メカニックデザインマクロスシリーズでお馴染みの河森正治氏が担当していたり(U40編の担当。科学警備隊のメカニックはあの大河原邦男氏が担当されており、それぞれに違った魅力がある……!)、エレク、ロトら多数のウルトラ戦士が登場し「戦闘機・戦艦に混じって艦隊戦を行う」という非常に新鮮な画が見れたり、『ヤマト』や『スター・ウォーズ』の影響が節々に色濃く表れていたり (バデル族の宇宙要塞が「バデルスター」なのは流石にギリギリすぎる) 、全長1000mの規格外怪獣・バゴンが現れたり……など、本作の「アニメならでは」という強みがふんだんに詰め込まれた第2・3部だけれど、中でも自分が感心してしまったのは、ウルトラの星・U40の驚くほど作り込まれた世界観だ。


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引用:8月15日 ザ☆ウルトラマン U40で蘇生したヒカリがウルトラ人と出会う! - 講談社コクリコ

 

1979年といえば、『ウルトラマンタロウ』『ザ・ウルトラマン (漫画) 』などを経て、徐々にM78星雲・光の国のディテールが仕上がっていった時代。U40の世界観は、そんな光の国を意識しつつ、全く別のものになるよう細かく作り込まれている。 

その最たる例と言えるのが、古代ギリシャ風の衣装に身を包んだ三人のウルトラ人(上記画像の左から、ロト、エレク、アミア)とヒカリが、自然豊かなU40を船で散策している際の下記のやり取りだ。

 

「ヒカリ、変な顔してどうしたの?」
「いや、この星があまりにも地球とそっくりなんで……」
「ガッカリした?」
「ううん、ただ、もっと科学が発達していると思って……」
「ハハハ、超高層ビルやベルトウェイ、無重力バスなんかが一杯詰まったドーム都市。君はそんな未来世界を想像していたらしいね」
「そりゃあ、わざわざ自分の足で歩いたり、船に乗ったりするなんて……」
「歩くのも船に乗るのも、それが一番の贅沢だからさ」
「贅沢?」
「そう、一番人間らしいことだ。人間は生き物なんだからね、雨に打たれたり、暑さ寒さを感じて生きるのが “自然” なんだ」

-「ザ☆ウルトラマン」 第20話『これがウルトラの星だ!!第2部』より

 

数十年前の創作における「未来都市」を見ると、少なからず「いかにもだな」と感じてしまうのは仕方のないこと。しかし「科学が限界まで発展したからこそ、自然こそが一番の贅沢と感じるようになった」というU40の文化設定はその「いかにも感」を限りなく抑えており、その超然とした雰囲気にはウルトラマンとしての説得力が満ち溢れている。その上で「じゃあヒカリを迎えに来た円盤はどこから来たのか」という疑問に「文明都市は地下に広がっている」というアンサーを返すのが、ザ☆ウルトラマンという作品の周到さなのだ。 

他にも「ウルトラヒューマノイドとしての姿も、人間としての姿も、どちらも自身の姿と認識している」「地球人と似ているのは、地球人の出自にU40が関わっているから」「巨大化できるのはジョーニアスを含めて (本作の時点では) 8人」など、光の国との差異や地球人との類似性を踏まえて作り込まれたウルトラの星・U40の文化・設定は、それ自体が本作の大きな見所とさえ言えるし、これらがザ☆ウルトラマンという作品の世界観に大きなスケール感と深みを与えていることは言うまでもないだろう。

 

勝利の闘い (TV用 M-17・18) [『ザ☆ウルトラマン』より]

勝利の闘い (TV用 M-17・18) [『ザ☆ウルトラマン』より]

  • スタジオ・オーケストラ
  • サウンドトラック
  • ¥255

(前述の通り、本作の音楽は宮内國郎氏と冬木透氏の両名体制になっているが、冬木氏は主にU40編の関連楽曲担当として参加されている。U40編の神秘的かつ壮大な雰囲気は『M-17・18 勝利の戦い』をはじめとした数々の名曲があればこそ……!)

 

平成・ニュージェネに連なる原点 - U40組という「サブトラマン」とヘラー軍団

 

『これがウルトラの星だ!!』三部作以降、つまり『ザ☆ウルトラマン』後半は、従来のオムニバス回を基本に、折に触れて「U40絡みのエピソードが描かれる」というハイブリッド方式になっていく。中でも盛り上がるのは、やはりアミアたちU40の戦士たちが地球に降り立つエピソードだろう。


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引用:10月31日 ザ☆ウルトラマン U40から女戦士アミアがやってくる! - 講談社コクリコ

 

アミアが地球に来訪し、地球人の少女と一体化する第31話『ウルトラの女戦士』、そして、地球が怪獣の大群に襲われるという未曽有の危機にエレク・ロトが揃って駆け付ける第35・36話『盗まれた怪獣収容星(前後編)』。 

時期を鑑みれば、これらのエピソードは「ウルトラ兄弟客演回」要素を継承したもののように思えるけれど、重要なのはアミア・エレク・ロトがあくまで『ザ☆ウルトラマン』のキャラクターであること。つまり、彼らは客演ヒーローではなく「サブヒーロー(所謂 “サブトラマン” )」であり、このU40組の扱い・立ち回りは(彼らとのエピソードが最終章に帰結する点も含め)ウルトラマンアグルやヒカリといった後のサブヒーローたちに繋がる「原点」と言えるのではないだろうか。

 

(厳密には、ウルトラ兄弟からのウルトラファミリー、『レオ』におけるセブン、そこからのU40組……という一連の流れを含めて「原点」と言うべきなのだろうけれど、細かい点を詰め始めたらキリがないので、その辺りは割愛)

 

また、本作における「平成・ニュージェネレーションに繋がる原点」と言えば、本作最終クールに登場する敵=ヘラー軍団も欠かせないトピック。


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引用:3月19日 ザ☆ウルトラマン ヘラー軍団が占拠したU40に科学警備隊が突入!- 講談社コクリコ

ヘラー軍団とは、ウルトラマインドを利用して「不死の身体」という禁忌を手にし、全宇宙を支配するという野望の為にU40と袂を分かったウルトラ人・ヘラーとその下に集った者たちが結成した国家。 

ウルトラ人でありながらその手を闇に染めた彼らは、前述の第15話でも触れられた「ウルトラマンとは何か」というテーマにおけるアンチテーゼと言える存在であり、本作の最終クールは、このヘラー軍団や彼らの送り込む怪獣・宇宙人との戦いがメインになっていく。……と、その立ち回りは後のシリーズ、特にニュージェネレーションシリーズのヴィランとそっくり。『ザ☆ウルトラマン』は、味方(サブヒーロー)と敵ヴィランの双方において、後のシリーズの原点と言える作品になっているのだ。 

そして、彼らヘラー軍団の登場によって特に際立っているのが『ザ☆ウルトラマン』の巧みなシリーズ構成。というのも、本作は 

・従来のシリーズを踏襲した作風の序盤(~第18話) 

・U40の登場で世界観が広がる中盤(~第36話) 

・U40の戦士たちと共にヘラー軍団に挑む終盤(~最終回) 

という三つの部に分けることができ、これによって「従来のファンへの目配せ」「視聴者を飽きさせない構成」「画期的な要素」「シリーズを通しての盛り上がり」といった長編作品の勘所を的確に押さえることに成功している。思えば、このシリーズ構成は、ニュージェネレーションシリーズが10年もの積み重ねを経てようやく辿り着いた『デッカー』『ブレーザー』のそれに非常に近いものではないだろうか。 

サブヒーロー、ヴィラン、そしてシリーズ構成。45年も前から、様々な面で現代に繋がるルーツを築き上げていた『ザ☆ウルトラマン』は、ウルトラシリーズ史において自分が思っていた以上に重要な存在であり、大きなターニングポイント、あるいは「特異点」と呼べる存在なのかもしれない。

 

(本作が後のシリーズに残した影響は他にも数知れないが、中でも大きなものとして挙げられるのが「ウルトラマンと変身者の関係性」を描くドラマだろう。ヒカリとジョーニアスが互いに影響を与え合い、やがてその行く末が物語の焦点になる……という作劇は『コスモス』『X』など多くの作品に受け継がれていくことになる)

 

その後のU40と『ウルトラマンタイタス』というボーナスステージ

 

ここまでで既に10000字オーバー、それでも書ききれないくらい『ザ☆ウルトラマン』は魅力が一杯の作品で、自分は全50話を心行くまで満喫することができた。この令和の時代に、こんなにも面白いウルトラマンを丸々50話、現行作品である『アーク』にプラスして摂取できたというのは本当に幸せなことだったし、最終回の美しいラストシーンに涙しながら、自分はしみじみとその余韻に浸り続けていた。 

しかし、『ザ☆ウルトラマン』はまだまだ終わっていなかった。2024年の今、ありがたいことにU40の新規供給はそこかしこに溢れているのだ。その筆頭と言えるのが、U40出身のニュージェネレーションヒーロー・ウルトラマンタイタスの存在だろう。

 

 

ザ☆ウルトラマンミッシングリンクにもなっているボイスドラマ『ザ☆ウルトラマンタイタス』は勿論、タイタスが「力の賢者」の称号を与えられた出来事であるボイスドラマ『黄金惑星の激闘』、そして、タイガがU40でタイタスと出会い、仲間になるまでの一連が描かれる『ウルトラヒーローズEXPO THE LIVE ウルトラマンタイガ』……等々、タイタス周りの作品群は『ザ☆ウルトラマン』をしっかり楽しんだ上で見るとまさに別格の面白さだった。あのシーンにも、あのシーンにもタイタスが「居た」んだな……!!

 

 

そして、『ウルトラマン列伝』『ウルトラマンフェスティバル2014』『ウルトラマンフェスティバル2019』など様々な作品を経て、2021年の『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』では、ウルトラマンジョーニアスが満を持してウルトラシリーズのメインストリームへと帰還! 

アニメのスタイルを意識した新スーツや、伊武雅刀氏へのリスペクトが込められた金光宣明氏の演技を引っ提げ、アブソリュートタルタロスと一進一退の攻防を繰り広げるジョーニアス。それはアニメで描かれた「U40最強の戦士」の姿そのもので、彼にこんな大見せ場を与えてくれた坂本監督と足木淳一郎氏には感謝してもしきれない。本当に……本当にありがとうございましたッ……!! 

(『ウルトラマンフェスティバル2019 第1部』では最終回を踏まえた熱い台詞が聴けたり、『ウルトラヒーローズEXPO THE LIVE ウルトラマンタイガ』ではウルトラ人風の衣装が見れたり、『大いなる陰謀』DC版ではサブタイトルのBGMでジョーニアスのカットインが観れたり……と、こと足木淳一郎氏が関わる際の『ザ☆』要素の手厚さが尋常でないと改めてよーーーく分かった。足木神、あなたこそがナンバーワンです……!!)

 

 

おわりに

 

2024年8月1日。池袋サンシャインシティトーク+ステージイベント『ザ☆ウルトラマンウルトラマン80 45thスペシャルナイト』が開催。会場は満員御礼で、ザ☆ウルトラマンから出演されたムツミ隊員役・島本須美氏と、ゴンドウキャップ役・柴田秀勝氏は驚きと喜びの声を上げられていた。

 

 

このようなイベントが開催されたり、Blu-ray BOXが発売されたり、HDリマスター版の地上波放送が大きな反響を呼んでいたり……と、『ザ☆ウルトラマン』は近年目覚ましい再評価を受けている。そして、『ウルトラマンレオ』や『ウルトラマンネクサス』などがそうであったように、この再評価は確かな理由=「今の時代にも通用する唯一性・面白さ」によるものだ。  

少しでも本作が気になる方、あるいはこの記事で気になってくださった方は、是非その「理由」をTSUBURAYA IMAGINATIONや各種サブスクサービス、レンタルDVDなどで確かめてみてほしい。そして、いつかきっと多分来るであろう「ギャラクシーファイトへのエレク・ロト・アミアの参戦」に皆で備えましょう……!