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感想『アイカツ!10th STORY ~未来へのSTARWAY~』- 10年を繋ぐ架け橋は ”ここまで来られた” 私たちと「氷の森」との分水嶺

アニバーサリー作品が一大文化として定着した昨今、様々な作品で「視聴者にシリーズとの思い出を追体験させる」シチュエーションが描かれてきた。直近では、視聴者の思い出を作劇に直結させた傑作『映画 プリキュアオールスターズF』が記憶に新しく、自分は『アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』もそのような作品なのだとばかり思っていた。 

……が、『未来へのSTARWAY』はそれら従来の作品群とは根本から大きく異なる、文字通り唯一無二の作品だった。

 

 

この作品を通して向き合うことになったのは、アイカツ!シリーズとの思い出だけでなく「これまで生きてきた人生」そのもの。ある種異様とさえ呼べるその作品性に「アイカツ!は人生」という言葉が比喩でないことを改めて思い知らされてしまったし、それ故に、この作品に生半可な気持ちで向き合うことは許されない。 

星宮いちごというアイドル、そして『MY STARWAY』『氷の森』から託されたメッセージは一体何だったのか。シリーズに感銘を受けたファンの一人として、それらにどう向き合っていくべきなのか。二年に渡る『アイカツ!』シリーズ履修マラソンの一つの区切りとして、この作品が描いたものを自分なりに紐解いてみたい。

 

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引用:【アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~】OPテーマ「MY STARWAY」ノンクレジット映像 - YouTube

 

《目次》

 

 

『未来へのSTARWAY』とは - 大人パートの衝撃とその「苦味」

 

アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』は、2012年から展開された女児向けメディアミックス作品『アイカツ!』の10周年を記念して製作され、「TVシリーズの第179~181話という体で作られたものを一本に繋げて劇場公開する」という珍しい形で公開された劇場用完全新作アニメ。そのうち第179話にあたる部分が『劇場版アイカツプラネット!』と同時上映されたことも、当時非常に大きな話題となっていた。 

(今では拝めないこの併映バージョンは、当時観に行った先輩ファン曰くEDが『カレンダーガール』になっている特別仕様だったとのこと。う、羨ましい……!)

 

しかし、その話題が爆発したのは当然2023年1月の本公開時。界隈の盛り上がりはそれはもう凄まじいもので、『アイカツスターズ!』の1年目を観ていた当時の自分にとっても「氷の森」「霧矢あおい22才」といった単語や、自分にシリーズを勧めた当人が飲みの席で泣き崩れる姿は十分に衝撃的で、「一体どれだけ凄まじい作品なんだ……」と外野ながらに恐怖したことを今もはっきりと覚えている。 

して、それから二年。自分は『アイカツ!』から『アイカツプラネット!』まで一連のシリーズ作品を履修し、『アイカツアカデミー!』の各メンバーシップにも登録した完全体アイカツ!オタクとして『未来へのSTARWAY』を鑑賞。二年前に抱いた疑問の答えをまざまざと見せ付けられることになった。

 

 

第一の事案は、本作がアイカツ!』第178話から地続きの物語として始まること。いちごとあかりのユニットに「コスモス」という素敵すぎる名前が付けられているのはもちろん、遂に描かれたいちごとあかりのステージ(本編でもあかりといちごのステージはあったけれど、「アイドルとして」並び立てたわけではなかった)には思わず合掌。新曲……かと思いきや、なんと『アイカツ!フォトonステージ!!』からの逆輸入曲だという『星空のフロア』で美月を思わせる歌詞が唄われた時には、劇場版アイカツ!のあれこれを思い出してつい叫びそうになってしまった。訂正、自宅なのでデッケェ悲鳴を上げてました。  

一方、その『劇場版アイカツ!』こそが本作に対する懸念点の一つでもあった。

 

 

星宮いちごと神崎美月」の完結編として満点以上のスコアを叩き出してくれた傑作『劇場版アイカツ!』は、同時に「アイカツ!1・2年目」の集大成でもあった。加えて、「ソレイユの物語」の最終回としてこれ以上ないものを本編第125話『あこがれの向こう側』が描いてしまっていたため、未来へのSTARWAYで何をどう描くのか、卒業ライブという題材でそれらをどう越えていくのか――と、そんな疑問がずっと頭から離れなかった。それが消し飛ばされたのは、本編が始まって20分ほど過ぎたところ=卒業ライブがすっ飛ばされ、あおいが旅立ち、SNSのタイムラインで何十回と見た「紫吹蘭22才」が登場したその瞬間。え、大人組の登場って「エンドロール後のおまけ」じゃないの!?

 

 

自分は、てっきりいちご22才の「ただいま」に蘭がひょっこり顔を出して映画が終わるものだとばかり思っていたので、何か飛ばしたんじゃないか、と焦ってつい一時停止、タイムバーを観て絶句してしまった。まさかこの映画、ガッツリ「22才パート」をやるとでも……!?  

いろんな意味で戦々恐々とし始めるこちらをよそに、画面の中では「イケボの大人らいち」「泥酔する大人ユリカ様」「ユリカの面倒見ポジションが板についているド美人スパダリ大人かえで」といった、ファンの集団幻覚だとばかり思っていた光景が次々と展開。しかし、それが幻覚でもファンサービスでもないと知らしめてくれたのが、この22才パートの節々に散りばめられていた「苦味」だ。

 

「時間が経つのも普段のことも忘れて、楽しんで、感動してもらえたら……きっとまた、会うのを楽しみに “それまで” を頑張ってもらえるよね」

-『アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』より

 

あおい・蘭とのやり取りでいちごが見出した「また会いたくなるアイドル」という理想像。この台詞は、大人になったいちごがその想いを改めて口にしたものだけれど、その台詞は当時よりも苦いもの――ファンが「忘れたいような “普段” を過ごしている」ことを強く意識したものになっている。 

他にも、蘭の稽古場で意見の衝突が起こっていたり、ユリカが「大人には色々あるの」と口にしていたりと、このパートでは『アイカツ!』TV本編がこれまでぼかしていた「苦味」がギリギリの塩梅で描かれている。けれど、それはある意味当然のこと。アイカツ!は元々女児向け作品だけれど、本作のメインターゲットは10年前の女児=現在の「大人」たち。大人としてそれぞれの悩みに直面し、行き詰まってしまういちごたちの姿は、大人になった子どもたちの現在を強く意識したものと言えるだろう。 

いちごは、自分を支えてくれるスタッフを導きつつ、どうすれば「みんなに楽しんでもらえるステージ」を作れるのか悩み続け、蘭は主演というプレッシャーの中で「型を壊す」一歩が踏み出せずにいる。ユリカもかえでも他の皆も、それぞれの道で悩んでいることは想像に難くない。けれど、いちごに蘭は「こうすればいいんじゃないか?」と言わないし、いちごも蘭に「踏み出してみようよ、蘭なら絶対大丈夫!」とは言わない。もとい、言うことができない。二人があおいの試験をサポートできないように、それぞれ違う道を進んでいるからこそ、彼女たちはお互いを「直接助ける」ことができなくなってしまっている。 

そして、同じことが社会で生きる私たちにも言える。学生時代は友人同士で勉強を教え合うこともできたけれど、それぞれの「仕事」を持ってしまった今はそうはいかない。専門分野も、それぞれに背負った「責任」も異なっている以上、どれだけ固い絆があろうとも、大人は少なからず「孤独」にならざるを得ないのだ。  

ならば、私たちはたった一人で孤独に戦い抜くしかないのだろうか。ならば、ユリカに「離れていても、どんな場所に立っていても大丈夫」と言わしめたものは一体何なのだろうか。その答えは、本作のクライマックス=卒業ライブの中で示されることになる。

 

 

卒業ライブのWサプライズ - 『Signalize!』と『TRAVEL RIBBON

 

「卒業ライブで何が歌われるのか」ということはかねがね気になっていた。いちごが22才パートで名前を出していた+鼻唄を歌っていたこともあって、自ずと頭は『ダイヤモンドハッピー』や『カレンダーガール』に引っ張られていたのだけれど、「あの歌」が流れ出した瞬間、それらすべてが作り手の計算内だったことを悟って、自分は「やられた……!」という心地好い敗北感、そしてそれ以上の喜びに思わず拳を握り締めてしまった。

 

 

本作のクライマックスで描かれるのは、いちごたちの「卒業ライブ」。写真を選ぶ際も卒業メンバーばかりが集まっていたので、ここで美月やさくらが現れ、トライスターとぽわぽわプリリンが揃った時点でそれはもう盛大なサプライズ。「この六人にも花道を用意してくれてありがとう……!!」だとか「もしかしてこの六人が揃うのって初めて!?」だとか色々考えていると、程なくして流れ出す聴き馴染みのありすぎるイントロ。……ま、まさかこれってSignalize! ~トライスター & ぽわぽわプリリン ver.~』ッッ!?

 

Signalize! ~トライスター & ぽわぽわプリリン Version~

Signalize! ~トライスター & ぽわぽわプリリン Version~

  • ささかまリス子, Remi Minnebo, えり & ゆな
  • サウンドトラック
  • ¥255

 

アイカツ!1年目の楽曲では『fashion check!』『ヒラリ/ヒトリ/キラリ』『カレンダーガール』と並んでお気に入りだった『Signalize!』。そのムーディーな曲調や「生まれ変わる世界を感じる予感の中で」などの歌詞から「むしろ美月に合っているんじゃないか」と感じていたこの歌を、本編第17話『ドッキドキ!! スペシャルライブPART2』ぶりに彼女が歌ってくれたことも、最後にトライスター&ぽわぽわプリリンというスペシャルタッグが拝めたことも言葉にならないくらい嬉しかったのだけれど、何より胸を打たれたのは「この歌が卒業ライブの一番槍を任される」という采配そのもの。なぜなら、それは「Signalize! が、最初のOPというポジションに反してあまり日の目を見ない」という、自分含めたファンの心残り……あるいはアイカツ!という作品の「最後の積み残し」が鮮やかに回収された瞬間でもあったからだ。  

そのあまりに美しい「立つ鳥跡を濁さず」感は、もはや喜び以上に寂しさを感じさせるもの。結果、自分は「このライブで壇上に立つのはいちごたち卒業生だけじゃない」という事実が何を意味するのかに考えが向かなかったし、六人の後を受けてステージに立った純白のシルエットを認識した瞬間、それだけで胸から熱いものが込み上げてしまった。

 

 

自分にとっては、2024年末のイベント「キラッキラ!」が初対面だったルミナスの新曲『TRAVEL RIBBON』。本作鑑賞前の自分は「中盤にルミナスが主役のパートがあり、そこでこの歌が披露されるのだろうな」とうっすら予想していたのだけれど、実際はそんなこともないままクライマックスの卒業ライブへ突入。 

もしかしてこの歌は流れないんじゃないか、本作はルミナスにスポットが当たらないまま終わってしまうんじゃないか……と不安になっていたところに純白のルミナスである。およそ正気ではいられなかったけれど、TRAVEL RIBBONの存在を知らないままスクリーンでこれを浴びたあかジェネリアルタイム世代が受けた衝撃と感動はその比ではなかったはず。いちごたちが主人公の本作において、こんなにも堂々と「ルミナスも『アイカツ!』の主人公です」と宣言してくれるだなんて、誰も予想できなかっただろうから。

 

「私が……私たちが入学した頃は、先輩たちがスターライト学園からいなくなっちゃうなんて、想像もしていませんでした。私は星宮先輩がいなければ、今ここに立っていません。星宮先輩はすっごく輝いてて、一日中ずっといちごちゃんのことを考えちゃうくらい憧れで……。アイドルになってからもずっと引っ張ってくれて、一緒に特訓もしてくれた日のこと、私は一生忘れません!」
「一緒にいない時でも、先輩たちから受け取ったものはたくさんあって……。それが、前に進む力になっています」
「どこにでも飛び出していける勇気を貰いました。かけがえのない、大切な気持ちを!」
「先輩たちみたいに、卒業してからもアイドルとしての旅をずっと続けていけるように、私たちも新しい気持ちで、前に進みたいと思います。……では、聴いてください。“TRAVEL RIBBON”!」

-『アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』より

 

先輩たちから「前に進む力」「どこにでも飛び出していける勇気」を貰ったと語るスミレとひなき。そして「導いてくれたことへの何よりの恩返しは、自分たちがもっともっと輝くこと」と宣言するあかり。三人の台詞には『あかジェネ』本編におけるそれぞれの歩みを想わずにはいられなかったし、ソレイユを追いかけ、ソレイユに並んだルミナスが、とうとうソレイユを堂々と送り出せる=「後を引き継げる」存在にまで至ったことには、言葉では言い表せない感慨で胸が一杯だった。  

そんな彼女たちの想いを踏まえて聴く『TRAVEL RIBBON』の破壊力は、キラッキラ!で上がりに上がったハードルを軽々と飛び越えてくれるもの……!

 

 

『リルビーリルウィン♪』や『START DASH SENSATION』『Future jewel』など、あかりたちの歴代楽曲を踏襲したであろう柔らか+爽やかなメロディを軸に据えつつ、間奏のギターが彼女たちもまた大人への階段を上っていることを感じさせる『TRAVEL RIBBON』は、まさに彼女たちルミナスの総決算。しかし、何より泣かせてくれるのはその歌詞――とりわけ「旅は決めた時からもう始まってる」というフレーズ。それは、これまでならきっと「いちごたちが、あかりたちを励ますために使っていた」言葉だったと思うのだ。 

スターライト学園を去り、先の分からない未来へと踏み出していく卒業生。TRAVEL RIBBONは、そんないちごたち (と、先輩という道標を送り出した後の自分たち) のこれからを旅になぞらえて、「出発はプレゼント開けるみたい」「脱ぎ捨てた不安の分、最新のワクワクを詰め込んでいこう」と唄う、どこまでもポジティブで未来向きなエール。けれど、それらは「厳しい現実からの逃避」ではなく、これまでの旅路から紡ぎ出された心からの言葉。そして、彼女たちがアイカツという旅を続けてこられたのは、他ならぬソレイユが彼女たちの目標として眩しく輝き続けていたから。 

ソレイユのアイカツが巡り巡って彼女たち自身の背中を押すこの構図は、さながら劇場版アイカツ!の美月といちごを見ているかのよう。あかりが第178話でいちごと並び立ったように、この歌はルミナスが「本当の意味でソレイユと並び立った」証でもあるのかもしれない。

 

 

(『未来へのSTARWAY』ではそれほど出番が多くなかったあかジェネ組だけれど、なんと件のイベント『キラッキラ!』は、それ自体が「いちごたちが卒業ライブへの準備を進める半年の間に “あかりたちが企画した” イベント」という設定。特に朗読劇は未来へのSTARWAYを観た今だからこそもう一度観たい内容だったので、円盤の発売か再配信を何卒……)

 

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引用:【アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~】OPテーマ「MY STARWAY」ノンクレジット映像 - YouTube

 

「ここまで来られた」は赦しの言葉?

 

コスモスのライブやTRAVEL RIBBONなどの「アイカツ! 第179~181話として求めていた」もの。ガッツリ描かれる22才パートやSignalize!といったサプライズ要素。アイカツ!のメインキャラクターたちが(大半が台詞なしのカメオ出演とはいえ)総登場し、第89話『憧れは永遠に』のゲストである持田ちまきの成長した姿まで見せてくれるというファンサービス……。最後のステージを前にして、既に『未来へのSTARWAY』は満点以上の圧倒的なスコアを叩き出してくれていた。

 

「お礼を言いきれない人たちが、たくさんいます。私たちのアイドル活動……アイカツは、最高に楽しかった。上手くできないことだって、いっぱいあったのにね。そんなことをみんなで話したりして、気づいたんです。今までやってきたことの一つ一つが、今の勇気になってるんだなって」

-『アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』より

 

蘭、あおいに続き、壇上で最後の言葉を口にするいちご。常にこれからを見つめてきた彼女が「これまで」に目を向けていることから薫る卒業/終わりの匂いに鼻をツンとさせていると、瞬間、突如「こちら」を向いてくるいちごの視線と言葉。作品の輪郭そのものがうねり始めるような感覚に理解が追い付くより早く、続く言葉の衝撃で自分の頭は真っ白になってしまった。

 

「未来の私が……私たちが、スターライトにいた私たちを振り返ったら、きっと見守って、支えてくれる。きっと、こういうのって “私たちだけ” じゃないと思います。私たちにいろんなことがあったみたいに、みんなにもあったよね。嬉しいこと、楽しいこと! 悲しいことも……。いろんな出来事があったはず。何があったかはみんな違う、けど、同じことがある。私も、私たちも、君も、それぞれ前に進んできて、今、“ここまで来られた” ってこと。君は、とっても頑張ってきたと思う!ここまで頑張って来られたんだから……この先だって、きっと大丈夫。私も、それぞれの道を進むスターライトの仲間たちも、君も。離れていても、どんな場所に立っていても、前を向けるはず」

-『アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』より

 

アイカツ!の台詞には、作品の枠組みや画面を飛び越えて「こちら側」に届くものが山ほどあった。それは、この作品が持つ「現実を見据えながら、地に足の着いた “希望” を描く」というスタンスのなせる業。泥臭く、誠実に、悲しいことや辛いことを受け止めた上で「誰だって輝けるんだよ」と笑顔で叫ぶその在り方こそ、自分が『アイカツ!』に惚れ込んだ大きな理由だった。 

いちごのこの台詞は間違いなくその延長にあるものだったけれど、彼女のこれまでの言葉とは何か決定的に異なる響きも感じられた。それは、この言葉が「作中の誰か」ではなく「画面越しにライブを観ている私たち自身」に向けられているからだろう。

 

 

アイカツ!第97話『秘密の手紙と見えない星』において、いちごはスペシャルアピールが出せずに心折れてしまったあかりを「一人で頑張って頑張って、苦しい思いが続いてて、あかりちゃんには自分の光が見えなくなってるだけ。光は消えてないよ、頑張ってるあかりちゃんは、すっごく眩しいもん!」と励ましていた。あかりが視聴者=子どもたちと同じ目線にいる「いちごに憧れる普通の女の子」だからこそ、いちごの言葉はあかりへの励ましであると同時に「夢見る子どもたちへのエール」にもなっていた……というのは、今更語るまでもないところ。 

しかし、それから10年が経ち、当時の子どもたちはあかりに自らを重ねられるような状態ではなくなってしまった。 

それは何も年齢だけの問題じゃない。10年という長い時間の中で、社会の厳しさを知り、自分の天井を知り、自分が「主人公」にはなれないことを思い知った無力感こそが、フィクションと自身の間に越えられない壁を作ってしまうのだろうし、そんな彼ら/彼女らに対しては、それがどれだけ説得力のある言葉でも「フィクションの中にある言葉」である限り「そうはいっても」という諦めには敵わないのかもしれない。 

ところが「だったらその壁を越えればいい」と言わんばかりに、本作はフィクションの壁を飛び越え、いちごの言葉を現実世界の私たち自身に向けてみせた。とはいえ、それで済むなら苦労はない。画面の向こう側に向き合うということは、そこにある非情な現実を「認識」しなければならないということでもある。  

夢を叶えるどころか、持つことさえできなかった人もいる。大切な人に裏切られ、心が砕かれてしまった人もいる。不可抗力に人生を歪められてしまった人もいる。一度こちら側に踏み込み、その上で「みんな」と言ってしまったが最後、このような不幸から見て見ぬふりはできなくなるし、いちごが言う「みんなに言える “同じこと” 」のハードルは段違いに上がってしまう。 

ここでもし「作品が “フィクションの中に留まっていた” からこそ通用した言葉」――誰にだって支えてくれる人がいる、のような――を言ってしまったら、それはいちごが言い続けてきた「みんな」という言葉を……ひいては、星宮いちごというアイドルのこれまでの歩みそのものを「詭弁」に貶めかねない。 

いちごの台詞を聴きながら、自分の脳裏ではそんな「嫌な予感」が暴れ回って――直後、彼女が続けた言葉によって、それらすべてが彼方へと吹き飛ばされてしまった。

 

「何があったかはみんな違う、けど、同じことがある。私も、私たちも、君も、それぞれ前に進んできて、今、“ここまで来られた” ってこと。君は、とっても頑張ってきたと思う!ここまで頑張って来られたんだから……この先だって、きっと大丈夫。私も、それぞれの道を進むスターライトの仲間たちも、君も。離れていても、どんな場所に立っていても、前を向けるはず」

-『アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』より

 

フィクションで描かれる暖かい言葉に、心のどこかで「壁」を感じていた……というのは、自分も決して例外ではなかった。それがどんなに視聴者に寄り添っていても、地に足が着いたものであっても、それは自分にも当てはまるとは限らない。すべてはあくまで「自分ではない、善良で殊勝な誰か」に向けられたものだと考えて、その上で物語を楽しもうと/物語から精一杯学びを得ようとしてきた――けれど、この「ここまで来られた」だけは、そんな自分にも向けられている言葉だと素直に思うことができた。

自分は到底善い人間ではないけれど、だからこそ「善く在ろう」と努力してきたし、人並みになれなくても書くことを諦めはしなかったし、何度人生に絶望しても、すべてを投げ出す手前でどうにか踏み留まってきた。 

しかし、結果として自分は輝けてもいないし、キラめく何かを残せているわけでもない。そんな人生に意味なんてあるのか、と思い悩むことは一度や二度じゃなかったけれど、いちごの言葉はそこに意味をくれた。「それらの頑張りがあったからこそ、あなたはここまで来れたんだ」と、それはあらゆる人生を受け止めて肯定する、ある種の「赦し」に感じられたのだ。

 

 

いちごに「救済」という二つ名が付けられていたことを思い出しながら、自分は足元から崩されるように涙してしまって、その後の『MY STARWAY』や三人の再会、エンディングの二曲はまともに観る (聴く) ことができなかった。ふわふわした頭で惜しみない拍手を送って、素晴らしい作品だった、こんなにも作品に「救われた」ことがこれまであっただろうか――と、しばらくその余韻を噛み締めて/反芻して、そこでふと、頭の中にある小さな「違和感」に気がついた。「救われた」が『アイカツ!』の余韻で良いのだろうか。「ここまで来られた」の響きに当てられて、自分は何か大切なものを見落としてしまっているんじゃないか。  

すぐにでも本作を観直したい衝動に駆られてしまったけれど、生憎とその日は午後から出勤。せめてこれだけはとプレーヤーに一通りのCD音源を突っ込み、通勤電車で『MY STARWAY』と『氷の森』に耳を傾け続けた。 

アイカツ!は今も昔も「歌で語る」作品。であれば、答えはこの二曲が教えてくれるはず。余韻の抜けない頭でその歌詞・メロディに向き合っていると、思いの外早く自分の「見落とし」に気付くことができ――同時に、映画本編では語られていなかった、もとい「語るに語れなかった」であろうメッセージにも直面してしまった。

 

 

過去と未来が交錯する『MY STARWAY』

 

ソレイユの新曲として発表された本作のOP主題歌『MY STARWAY』。この歌を紐解く上で鍵となるのが、この歌を作った人物=花音の存在だ。

 

輝きのエチュード

輝きのエチュード

  • waka
  • アニメ
  • ¥255

 

劇場版アイカツ!でいちごの新曲『輝きのエチュード』を作詞・作曲したシンガーソングライター=花音。本作では、蘭の口からさらっと「花音さんが (私たちが新曲について相談するのを) 待ってる」と語られる一幕があり、あれからも花音はソレイユにとって「自分たちの伝えたい想いを歌にしてくれるパートナー」で居続けているんだな、と思わせてくれる粋なファンサービスとなっていた。 

(花音はあのジョニー先生が知らなかったことからしても、所謂「売れっ子」ではなかった様子。けれど、大スター宮いちご祭りでいちごが直々に名前を出した以上、その知名度はうなぎ登りのはず。そして、彼女がいちごに出会った=涼川がいちごに彼女を紹介しようと思ったのは、他でもない花音自身が「自分らしく歌い続けていた」から。彼女の「自分らしさ」がいちごを助け、そのいちごが彼女の活動を後押しすることになったのであれば、それもまた素敵なアイカツ!と言えそうだ)

 

して、そんな花音が『MY STARWAY』の産みの親となると、そこで歌われているのは「特定の一人への想い」ということになる。

 

「私はいつも “目の前の一人に伝わればいい” と思って歌ってるの。ぼんやりとみんなに伝えようと思うより、一人の人に絶対伝えたいと思って歌った方が、結果的にみんなに伝わるものよ。想いの強さでね! それに私、伝えるの得意なんだ。そういう恋みたいな気持ち」

-『劇場版アイカツ!』より

 

劇場版アイカツ!において、彼女は自らのポリシーをこのように語っていた。これはアイカツ!シリーズにおけるアイドル観そのものにも繋がっていて――という話は一旦置いておいて、早速、この考えを念頭に置きつつ改めて『MY STARWAY』を聴いて (読んで) みたい。

 

MY STARWAY

MY STARWAY

 

時を越えてきっと会えるその日まで がんばる約束!

昨日の続きみたいに  手を振ったさり気なさで 今は誰も気づかないの トクベツになっていく予感♪

おしゃべりなわたしの夢  目の前に忙しくて 24時間話し足りないよ 全力で夢中なんだ!!

いつか思い出す はじまりの日々は もう迎えられているのかも♪

そっと振り返るわたしを 遠くで見守っていてね(行ってきます!)

時を越えてキミにまた会えた時に 見せてあげたい未来

まだ知らないどんな夢が待っていても この道の先ならきっと大丈夫!

Hello, Hello, Always Alright‼ 飛び込んでいける

Hello, Hello, Starway Starlight‼ 輝きの中へ

-『MY STARWAY』より

 

一番の歌詞のうち「登場人物」を推定できるのは。

「時を越えてきっと会えるその日まで がんばる約束!」 

「そっと振り返るわたしを 遠くで見守っていてね(行ってきます!)」 

「時を越えてキミにまた会えた時に 見せてあげたい未来」 

の三箇所。「わたし」は言わずもがなとして、「キミ」「振り返るわたしを遠くで見守っていてほしい存在」とは、おそらく過去の「わたし」自身。過去の自分に見守られながら、その瞳に誇れる未来を歩いていけるよう頑張る誓い……。この範囲では、花音の言う一人の人とは「過去の自分自身」のように読めるけれど、歌が二番に入るとその様子に変化が現れる。

 

そうやって叶えるたび  生まれる勇気があって 信じてあげよう!  大好きでいよう!  自分こそがスターゲイザー

ココロは覚えているよ  怖がらなくても平気 泣きたい今日がいつかの笑顔に 出来ること分かったから

時を越えてキミにまた会いにいくね なりたいわたし見てて

ここではないどんな場所に立っていても この日々の先なら “好き” になれるはず!

Hello, Hello, Always Alright‼ あこがれの彼方

Hello, Hello, Starway Starlight‼ 輝きを連れて

-『MY STARWAY』より

 

「信じてあげよう、大好きでいよう」「自分こそがスターゲイザー」「泣きたい今日がいつかの笑顔に出来ること分かったから」……と、自分を励ますかのような歌詞が「走り出してから訪れる挫折」を思わせる二番。ここで「わたし」以外の人物が登場しているのは「時を越えてキミにまた会いにいくね なりたいわたし見てて」の一箇所だ。 

このパートは、一番では「そっと振り返るわたしを 遠くで見守っていてね」「時を越えてキミにまた会えた時に 見せてあげたい未来」と歌われており、「遠くで見守っていてほしい存在」と「キミ」はどちらも「過去のわたし」だった。 

一方、二番ではその部分が「時を越えてキミにまた会いにいくね なりたいわたし見てて」となっている。再会のニュアンスが含まれている点からしても、この「キミ」は一番同様「過去のわたし自身」なのだろうけれど、「見ててほしい」と歌われているのは「なりたいわたし」=「 “未来” のわたし」。 

走り出した頃 (一番) はハッキリとした夢があるわけではなく、漠然とした憧れ (輝き) の中に飛び込んでいった。それから時が経ち、漠然とした憧れは「なりたいわたし」として形を得たけれど、夢が明確になればなるほど挫折も増えていくもの。 

信じてあげよう、と鼓舞しなければ自分を信じられなくなる。大好きでいようと口にしなければ「好き」を好きでいられなくなる。そんな厳しい現実の中で、自分は憧れを追いかける主人公 (スターゲイザー) にはなれない……と、そう思い悩むことは一度や二度ではないはず。 

けれど、そうして悩み、時に立ち止まってしまうのも、すべてはわたしが「夢に向かって進んできたから」に他ならない。たとえ失敗することがあっても、たとえ成果を出せなかったとしても、その歩みこそが自分をここまで連れてきてくれたもの=「輝き」であり、積み重ねた日々 (小さな目標を叶えてきた努力・経験) はわたしに自信や勇気を与えてくれる。  

そんな自信や勇気を胸に、輝きを連れて歩いているわたしの姿は、きっと遠目に見れば「輝いて」いるのだろう。それはきっと、わたしがかつて憧れた相手も同じ。誰もが同じように悩み、苦しみ、過去の自分自身に背中を押されて歩き続けてきた。傍にある輝きに気づき、「なりたいわたし」を目指して立ち上がった時点で、わたしもきっと誰かの「憧れ」になっているのだ。

 

眠れない夜は空を思ってる 目覚めたあの日の夢を思ってる

全部繋がってるなって分かる 連れていけるって分かる わたしが居て、それが今ココロ強いんだ!

時を越えてキミにまた会えた時に 見せてあげたい未来

まだ知らないどんな夢が待っていても この道の先ならきっと大丈夫!

Hello, Hello, Always Alright‼ 飛び込んでいける

Hello, Hello, Starway Starlight‼ 輝きの中へ

My way…, Starway…, どこまでも続く

Starry starry way, わたしの毎日

-『MY STARWAY』より

 

クライマックス (ラスサビ) で一番のサビが繰り返されるのは何ら珍しいことではないけれど、挫折から立ち上がり、なりたいわたしに向けて改めて走り出した姿を「一番のサビの復唱」で歌い上げる構成は、まるでその構成自体が「わたしが “走り始めた頃の夢や憧れ” を取り戻した」ことを表現しているかのよう。  

……こうして振り返っていくと、この歌が「誰に向けられた」ものなのかも見えてくる。それはきっと、卒業ライブと向き合っている「今」が「過去」になった「未来」のいちごたち自身。過去に勇気を貰った今の想いを『MY STARWAY』という歌に残すことで、未来の自分が悩んだ時に、今度は「今」が勇気を与えられるように。それこそが、ソレイユが花音に伝えた「この歌に託すもの」であり、大人になってもユリカたちの歩みを支える、10年の時を経て再出力された「未来向きの今」なのだろうと思う。



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引用:【アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~】OPテーマ「MY STARWAY」ノンクレジット映像 - YouTube

 

『氷の森』とキラめくライン

 

未来のいちごたち自身に贈られた歌であり、10年という時間経過を踏まえた上で再錬成されたアイカツ!イズムでもあった『MY STARWAY』。ならば、本作のED主題歌『氷の森』とは一体何者なのだろう。

 

 

二年前に初めてそのタイトルを聞いた時は「生命が息絶えたバッドエンドの景色」のようなものを想像してしまい、それがアイカツ!の最後を飾ることに戦々恐々の思いだったので、満を持して触れたエンディング映像や曲調が『Precious』のような方向性だったことにはひどく安堵して――「氷の森」というモチーフの不穏さにますます首を傾げてしまった。 

しかし、いざ音源をプレイヤーに入れてじっくり耳を傾けてみると、この歌がなぜそのタイトルを冠しているのかへの納得、次いで猛烈な「寂しさ」が込み上げてきた。

 

氷の森

氷の森

  • waka, ふうり, ゆな, Remi Minnebo, えり & ささかまリス子
  • サウンドトラック
  • ¥255

 

件のいちごの台詞が過去を肯定するのは、前述のようにあくまで「未来へ踏み出す」ためであり、「今を赦す」ことはその本質とは言い難い。そこで立ち止まってしまうことは、過去に囚われ今に甘んじることでしかないからだ。そのことを改めて示してくれるのが、この『氷の森』である。

 

記憶と出逢って 迷いこむ時間 きらきら輝いた 氷河の中に 眠る みんなとの想い出

春夏(押し花)秋冬(結晶)面影は笑顔のまま

いつまでもここにいたい 去り難いと思うけれど 大好きを かわらず胸に抱いて もう行くね 歩きだすね

ありがとう でもおやすみ 寄りそうように 流れている

色褪せない (光だった) 宝物が (あの日たちが)

生き続ける 氷の森 美しい 氷の森

-『氷の森』より

 

過去・今・未来は繋がっているもの。だからこそ、過去を肯定することが今や未来の肯定にも繋がっていく。けれど、それでも過去は「過ぎ去ったもの」に他ならない。そのことを表すために使われる「氷」「押し花」「結晶」という言葉は、アイカツ!楽曲の歌詞とは思えないほどに冷ややかで無機質だ。 

けれど、それはあくまで必要な冷たさ。「ここまで来られた」という響きが優しく甘美で、見方によっては「赦し」とも取れてしまうものだったからこそ、未来への道標という本質から目を逸らしてはいけない。 この作品が「過去」からやってきたものだからこそ、その過去に引きずられてはいけない。『アイカツ!』という作品が10年前から引っ張り出されるほどの人気作だからこそ、そこに伸ばされる数多の腕を作品自身が断ち切らなければならない。それらの役回りをいちごたちに代わって引き受けることが、この『氷の森』が担う役割の一つだったのだろうか。 

そんな冷たさを踏まえて語られる「いつまでもここにいたい 去り難いと思うけれど 大好きを かわらず胸に抱いて もう行くね 歩きだすね」という「わたし」の思い。ここで、大好きを捨てることなく「かわらず胸に抱いて」いくことが、後の歌詞において大きな意味を持ってくる。

 

グレイの日常 そう見える時に 涙が溶けそうになる瞬間に ぎゅっと抱きしめた想い出

憧れ (カレンダー) 淋しさ (ダイアリー) たくさん一緒だったと カラフルな 意味がわかる

さようならを知った今は凍えそうな指から この胸から大好きな色をともす

そばにある異次元から みつめるように 聞こえてくる

出会えたこと (嬉しかった) 離れるのは (また会うこと)

信じている氷の森 約束の氷の森

-『氷の森』より

 

「そばにある異次元」が指す言葉は多々考えられるけれど、ことアイカツ!においては、それはきっとアイカツ!カードのこと。そのカードが「離れるのは また会うこと」=「思い出と離れても、新しい思い出に出会えるから大丈夫」と語りかけてくる歌詞には、おもちゃと一緒に育ってきた人間として涙ぐまずにはいられない。一緒に過ごしてきたおもちゃは、誰よりも身近な存在――ともすれば、家族以上に自分を知るかけがえのない友達だからだ。 

しかし、氷の森を出た=思い出に別れを告げたことで、わたしは厳しい現実に向き合わざるを得なくなってしまう。彩りのない世界に絶望して、思い出がカラフルだった意味を知ることになる。氷の森に戻りたくなってしまう。 

けれど、氷の森から出る=思い出から巣立つことは、決して「思い出から貰ったもの (大好き) 」を捨てることを意味しない。思い出に別れを告げても、胸の中にその暖かさを宿し続けているなら、わたしは自ら「この胸から大好きな色をともす」ことができる。きっと、それを選べるかどうかが大きな分岐点なのだろう。 

過去に浸ることは心地好く、未来に踏み出すことは恐ろしい。けれど、その「未来に踏み出す」勇気をくれたのがアイカツ!という作品。その作品を愛し続けたのなら、その思い出を糧に、わたしは自ら世界に色を灯す=夢や希望を見出して、一歩踏み出すことができるはず。それこそが、ただ額に入れて愛で続けるよりも、ずっと「思い出を大切にする」ことと言えるから。

 

時計塔が回りだす (動き出す) 人の流れ 空の下 (いつもの日)

戻る (帰る) たびに (不思議) 魔法みたいに 笑顔になっていた

カラフルな 意味がわかる さようならを知った今は大好きを かわらず胸に抱いて もう行くね 歩きだすね

ありがとう でもおやすみ 寄りそうように 流れている

色褪せない (光だった) 宝物が (あの日たちが)

生き続ける 氷の森 美しい氷の森

-『氷の森』より

 

「わたし」が外の世界に向き合ったことで、止まっていた時間がようやく動きだし (時計塔が回りだし) 、最後のサビでは、二番の「カラフルな 意味がわかる さようならを知った今は」と、一番の「大好きを かわらず胸に抱いて もう行くね 歩きだすね」が一つに交わっている。それは、現実の厳しさを知って尚、思い出から貰ったもの (大好き) を捨てることなく、世界に自ら色を灯せるようになった「未来のわたし」を象徴するもの。 

ここで描かれている「フィクションからの自立」という成長は、昨今では心ない形で (フィクションや思い出それ自体を否定する棍棒として) 使われることも多いけれど、そういった意味での冷たさは『氷の森』には感じられない。「思い出に別れは告げても、そこから貰ったものを捨てる必要はない」「思い出を大切にしてくれるあなたなら、きっと自分自身で世界を彩れる」「思い出は、森の中でずっと生き続けている (あなたを見守っている) 」……これらのメッセージに感じるのは、冷たさよりもむしろ暖かさ。信頼しているからこそ送り出す、子どもの背中を押す親のようなまなざしだ。 

成長のための別れに、未来への祝福。それにピアノが印象的な柔らかな曲調。もしかすると、この『氷の森』が描いているのは、思い出との別れではなく、思い出からの「卒業」……つまり『未来へのSTARWAY』とは、いちごたちと私たちをスターライト学園 (アイカツ!) から未来に送り出すための「卒業式」だったのかもしれない。


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引用:【アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~】OPテーマ「MY STARWAY」ノンクレジット映像 - YouTube

 

「ここまで来られた」ことを糧として、森の外へと送り出される私たち。けれど、それでも未来が暗がりの中にあるのは変わらない。夢や目標を持っていない人は「行く先が分からない恐怖」に、夢や目標を持っている人は「目指す輝きとの距離」にそれぞれ悩み、苦しめられてしまうはず。 

けれど、私たちには道標となってくれるものがある。生き方を教えてくれた思い出が、胸の中で確かに息づいている。

 

「もしも今とは違う自分になりたいなら、まずは少しだけ自分を変えてみるの。いつもより10分早起きするとか」
「はい」
「勇気を出して、今より大きな声でおはようって言ってみるとか。可愛いお洋服をね、着てみるのもいいかも」
「はい!」
「そしてある日、鏡を見るの。きっと違う自分、憧れていた自分に会えるから。……やってみて?」
「はいっ!」

-「アイカツ!」 第89話『あこがれは永遠に』より

 

このユリカとちまきのやり取りをはじめ、『アイカツ!』は人生の教科書とも呼べるほど「生き方の道標」が詰まった作品だった。 

自分が何をしたら幸せか、本当に分かるのは自分だけ。夢や目標が見つからないなら、気になったこと、幸せだと感じることに飛び込んでいけばいい。夢は叶うかどうか分からないけれど、叶えようと思わなければ叶わない/叶うかどうかは分からなくても、夢があるから頑張れる。夢に向かう道の中で、たくさんの学びや出会いが待っている……。 

アイカツ!』という作品を愛することと、その学びを胸に未来へ進んでいくこと。それらは、遠目に見れば変わっていないように見えるかもしれないし、思い出に囚われていることと何が違うのだろう、と自問することもあるかもしれない。けれど、何者にもなれていなかったあかりの「変わろうとする」姿がユウの心を動かしたように、変わろうと踏み出した瞬間から「変化」は始まっているもの。ぐるぐる回る毎日が螺旋階段になって、これまでより高く、もっと高くへ私たちを連れていってくれるはず。 

そうしていつの日か、思い出に胸を張れる自分になれた時――あるいは、本当にどうしようもなくなってしまった時、再会は必然としてやってくる。

 

SHINING LINE*

SHINING LINE*

 

『MY STARWAY』を締め括るのは、聴き馴染んだ『SHINING LINE*』のフレーズ。しかし、その歌詞は原曲とは似て非なるものになっていた。

 

今 私たちを繋ぐ 胸の中 キラめくライン

-『SHINING LINE*』より

 

今 わたしが歩いてる “かけがえない” キラめくライン

-『MY STARWAY』より

 

かつては「私たち」で歩いていたいちごたちも、今は「わたし」の道を歩いている。けれど、それは過去と決別するわけじゃない。違う道を歩んでいるからこそ、かつて自分たちを繋いでいた「キラめくライン」が今と未来とを繋ぐ道に――昔よりも、ずっと「かけがえのないもの」になっている。 

SHINING LINE*のメロディを引用しつつ「別の歌詞」を唄うことで、三人の再会と本作のテーマを謳い上げてみせた『MY STARWAY』のラストフレーズは、これまで『SHINING LINE*』『Good morning my dream』『START DASH SENSATION』と受け継がれてきた、アイカツ!の「歌で完成する」演出の集大成であり、アイカツ!もまた「この10年間、未来に向けて歩き続けてきた」という何よりの証。  

であるなら、私たちがアイカツ!と再会する未来は、自分自身の未来を進んだその先にしかあり得ない。 

自分も、後追いとはいえこのアイカツ!にたくさんのものを貰った身。いつか再会を迎えたその時、この作品や過去の思い出、そして何より「過去のわたし」に胸を張れる自分でありたい。それが、きっと『アイカツ!』への一番の恩返しでもあるだろうから。

 

「始めよう」
「うん。またここから!」
「いつでも、アツく」
「新しい私たちで――!」

-『アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』より


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引用:【アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~】OPテーマ「MY STARWAY」ノンクレジット映像 - YouTube

 

アイカツ!アニメシリーズを完走して

 

2022年11月3日から『アイカツスターズ!』。2024年6月から『アイカツ!』。8月から『あかりGeneration』と『アイカツフレンズ!』。12月に『アイカツオンパレード!』。2025年1月に『アイカツプラネット!』……と、約二年に渡った『アイカツ!』アニメシリーズ履修の旅も、この『未来へのSTARWAY』を持って遂に完結。『スターズ!』を勧めてくださったツナ缶食べたいさんをはじめ、自分の旅路を見守ってくださった皆様、本当にありがとうございました……!

 

 

……と、本当ならここでその旅路を振り返っていきたいのだけれど、どうにもこうにも終わった実感がない。それもそのはず、自分の旅はまだ「終わっていない」のだ。

 

 

片時たりとも忘れたことはなかったし、それこそ『未来へのSTARWAY』を観ている間にも、この作品のこと――『MUSIC of DREAM!!!』の「未来を走る背中に いつかの約束に 胸を張れるように 私らしくいよう」という歌詞や、最終回で「こちら側」に語りかけてくる虹野ゆめの姿が頭をよぎってしょうがなかった。であれば尚のこと、この作品に向き合うこと……もとい、この作品に向き合った上で「何をするか」こそが、自分が「氷の森」から踏み出せるかどうかの分水嶺。  

気が付けば、履修 (視聴) のみならず「感想記事執筆マラソン」にもなっていたこの二年。そのゴールテープを笑顔で切り、新たなスタートラインを迎えるためにも、自分にとっての原点=『アイカツスターズ!』に改めて向き合っていきたい。