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ウルトラシリーズとアイカツ!シリーズ、他特撮・アニメが中心の長文感想ブログ。

感想『ウルトラマンアーク THE MOVIE 超次元大決戦!光と闇のアーク』- “これが見たかった” のフルコース! ファンもアークも涙する傑作編〈ネタバレあり〉

言葉にできないモヤモヤを抱えている時は、その気持ちを「書き出す」ことが一番の対策になるのだという。確かに、自分はこれまで記事の執筆を通して様々なモヤモヤを解消してきたのだけれど、こと『ウルトラマンアーク』に対する複雑な気持ちは、40000字の論文を持ってしても晴れることがなかった。

 

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縦軸と横軸の両立。SKIPという発明。ニュージェネレーションシリーズの集大成とも呼べる玩具演出。想像力をテーマにした真摯なドラマ。遊び心に溢れた名特撮の数々……。あらゆる方面で高い完成度を誇っていた『アーク』だけれど、決して欠点がなかったわけではない。中でも「大見せ場に限って勘所を外しがち」という悪癖 (?) は致命的で、ブレーザー客演回や第24話のあらすじなど、こちらの期待を煽るだけ煽るが「期待に見合うもの」を出してこない、という「梯子外し」が度々炎上していたのは記憶に新しいところ。 

しかし、これらの問題は往々にして「本編の外」に原因があった。四週に渡るブレーザー編!だとか、これまでの物語は幻だった!だとか、そのような「誇張された宣伝」が期待を過度に煽ってしまったり、キングオブモンス登場回と『ガイアよ再び』のサブスク解禁やスプリーム・ヴァージョンのソフビ発売が重なっていたり……。このような事情を知れば知るほど「製作陣はむしろ被害者なのでは」という気持ちと「宣伝や商品展開も含めて一つの作品だろう」という気持ちとがケンカを始めてしまって、結果「気持ちを言語化しても落としどころ (気持ちの遣り場) が見つからず、モヤモヤが晴れるどころか逆に悪化する」という本末転倒に陥ってしまっていた。 

この辺りの問題は今後インタビューを追っていけば解明できるのかもしれないけれど、そのような「読みたいインタビュー」がまとめて掲載されているフィギュア王ウルトラシリーズ特集号は当時まだ音沙汰がなく、もし発売されないようであれば、この先当分『アーク』にモヤモヤを抱え続けるのか……と気が滅入ってしまったし、愛すべき作品に気兼ねなく「好き!!」と叫べないのは、ファンとしてはあまりに息苦しい。  

そんな現状を覆す希望があるとすれば、それはやはり2月公開の映画ウルトラマンアーク THE MOVIE 超次元大決戦!光と闇のアーク』。しかし、この作品に救いを求めようとすればするほど、頭の中では「期待したらまたスカされるんじゃないか」という不安も膨れ上がっていき、結果、期待と不安がないまぜのぐちゃぐちゃな精神状態で映画に臨むことになってしまった。さぁ、鬼が出るか蛇が出るか……!

 

 

やってくれた。やってくれたよ、劇場版アーク……!! 

こちらの不安やモヤモヤを見事吹き飛ばし、全力で好きを叫ばせてくれた劇場版アーク。早速その魅力を振り返っていきたいのだけれど、本作は所謂「ネタバレ要素」が多い作品。まだご覧になっていないという方は、この先へ進む前に是非劇場に足を運んでみてください。アークが好きなら、きっと後悔はしませんよ!!

 

※以下、『ウルトラマンアーク THE MOVIE 超次元大決戦!光と闇のアーク』のネタバレが含まれます。ご注意ください!※


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引用:【最新予告】『ウルトラマンアーク THE MOVIE 超次元大決戦!光と闇のアーク』2025年2月21日(金)全国ロードショー!- YouTube

 

《目次》

 

 

この映画、本当に大丈夫!? - 前半の魅力とデカすぎる不安

 

ウルトラマンアーク THE MOVIE 超次元大決戦!光と闇のアーク』とは、2025年2月21日に公開された『ウルトラマンアーク』の劇場用特別編。その特徴として真っ先に挙げられるのは、本作が「テレビシリーズ後の物語」ではなく「テレビシリーズ内の、語られなかった物語」である点だろう。

 

 

この投稿や特別総集編の内容からも予想されていた通り、本作の時系列は第21話『夢咲き鳥』と第22話『白い仮面の男』の間。そのことが明言されるOPの巻き戻し演出には思わず声が出そうになってしまったけれど、本作が「第21.5話」というより「第21.3話、第21.6話、第21.9話」のような三本立て構成であることにはそれ以上に驚かされてしまった。

 

 

「宇宙賢者を名乗る竹中直人」という、どう考えても黒幕にしか見えない謎の宇宙人、ディグル星人サスカル。本作は、彼がユウマに課す三つの試練=「ドグルフと少年の絆を巡る戦い」「SKIPオフィス内で繰り広げられる、宇宙植物ガチュラとの戦い」「ギルアーク、レポディオスとの戦い」から成る準オムニバスストーリーとなっている。 

観終わった今でこそ納得できるこの構成だけれど、初見時はもうハラハラドキドキだった。ストーリー展開にではなく、頭の中で「この映画、本当に大丈夫!?」というサイレンがガンガン鳴り響いていたからだ。

 

 

第一の試練で描かれるのは、職権濫用犬狼怪獣ドグルフと、ドグルフに助けてもらった少年、武川モトキの物語。 

辻本監督渾身の犬怪獣というだけあってドグルフの演出は並々ならぬ気合いが入っており、なんとアクション時以外はほぼ全ての表情が合成で描かれるという凝りっぷり。監督肝煎りであろう「ドグルフを撫でるアーク」の微笑ましさや、ルーナソーサーをフリスビーに見立てたダイナミックな合体技も魅力的で、ソフビが発売されなそうなことが心底惜しい怪獣になっていた。 

……が、それはそれとして、頭の中ではずっと「これ劇場版でやるエピソードじゃなくない……?」という言葉もチラついていた。確かに、モトキとドグルフの絆に懐疑的なユウマたちと、その「前例がないもの」を信じようとする所長の対比は非常に『アーク』らしく、テレビで放送されていたら人気を博していたであろうことは想像に難くない。が、それが「劇場版の一環として流される」場合は話が別。予算の都合や中弛みの防止など様々な事情があるのは察せられるけれど、自分含め、視聴者はあくまで「劇場版アーク」を観に来ているのであり、「いつものアーク」を観に来ているわけではない。失礼な物言いになってしまうけれど、お金を払って観に来ているのだから「いつも以上の、特別感があるもの」を期待してしまうのは当然の心理だろう。 

その点、この第一の試練は楽しさよりも「このノリで三本やって終わらないよね!?」という不安の方が勝っていたし、その予感は続く第二の試練で更に後押しされてしまった。

 

 

第二の試練で描かれるのは、SKIPに持ち込まれた宇宙寄生植物ガチュラとの戦い。このガチュラ、サイズも小さく演出もユーモラスだけれど、その実「他の生命体に寄生して意思を乗っ取る」というセレブロめいた危険生物。このガチュラがSKIPの誰かに寄生してしまったことで、SKIP内で取り調べめいた寸劇が始まる……と、ここだけ読むと中々シビアな展開に思えるのだけれど、その実本パートは中弛み対策のコメディ担当。  

ガチュラの弱点としてカフェイン=コーヒーを持ち出したシュウの「コーヒーをこんなことに使いたくなかった……」という台詞や、ユピーのコーヒー攻撃を眺めるシュウの今にも泣き出しそうな表情、SKIPオフィス内でガチュラと戦うアークなど細かい見所は多いし、『劇場版X』のバラージの青い石争奪戦や『劇場版ジード』の沖縄観光に比べるとテンポも良い。また、オムニバス形式のおかげで「本筋を阻害しない」形になっているのは、コメディパートの在り方として一つの理想形と言えるかもしれない。 

しかし、ドグルフ編に続いて「テレビシリーズの一エピソードのような展開」が出されてしまうと、ここでもやっぱり「こんなノリで三本やって終わらないだろうな!?」という不安が勝ってしまう。確かに中弛みの防止には役立っているのかもしれないけれど、クライマックスに続く「溜め」ができないのは映画として致命的。正直、この時点では「第三の試練も、竹中直人が変身したギルアークやレポディオスと戦うぐらいで終わってしまうのかも」としか思えていなかったし、最後までアークは「梯子を外す」作品で終わってしまうのか……と内心項垂れてさえいた。

 

 

衝撃の「ギル」アーク

 

凄まじい不安の中で迎えた第三の試練は『決戦!アーク対ギルアーク』。状況が状況だったのでそのタイトルを見ても胸が踊ることはなかったし、ただひたすらに「頼むから面白くあってくれ……」と祈るばかりだった。 

しかし、そんな自分の不安は本パートで見事に覆されることとなる。

 

 

相手のことを思いやり、胸の内を想像する力を説いてきたアークの登場人物たちは、その姿勢故に「他人の中に踏み込む」ことをしてこなかった。その線引きが美徳であることは間違いないけれど、それは同時に「相手を深く知ることができない」ということでもある。結果、ユウマはシュウが負った傷の深さ――そして、シュウが自分 (ウルトラマンアーク) の影であることに、この時まで気づくことができなかった。

 

 

シュウ宛に届けられた、苦しみに喘ぐ人間を思わせる不気味な彫刻。それは、第6話で言及されていた事件――レポ星人から同僚を守れなかったシュウが、その後悔と怨嗟の捌け口として彫ったものだった。 

大切な人を喪い、その救いを芸術に求める。それは一見すると、両親を喪って孤独に苦しみ悲しみながらも「目指すべきもの (さいきょうのヒーロー) 」を描くことで前に進んできたユウマと同じ。しかし、自分の可能性を広げる夢や憧れを形にしたユウマに対し、シュウが彫ったのは、自分を過去に縛り付ける「罪の意識」。似た出自を持っていた二人は、その実全く真逆の想像力を発揮しており、少し歯車がズレていたら逆になっていたかもしれない「光と影」だったのだ。  

そのことに気づいてからは、まるで流れに乗ったジグソーパズルのように、頭の中で次々とピースがハマっていった。 

ギルアークの正体が執拗に秘匿されていたのは、その正体がシュウであることを特大のサプライズとして叩きつけるため。 

作品前半を柔らかめの仕上がりにしていたのは、後半で「シュウが自分の罪の意識 (想像力) を利用され、アークの影に変貌する」というシビアな展開をノンストップで駆け抜けるため。 

シュウの彫刻がレポ星人にGuiltyと名付けられる瞬間は、これらへの納得と「やられた……!」という気持ちで笑顔が溢れて止まらなかった。予告や舞台挨拶など、宣伝周りも一丸となったサプライズでこちらの期待をしっかり越えて、劇場版に相応しい特別感も醸し出してくれる一連の盛り上がりは、まさに自分が『アーク』本編に求めていたものに他ならなかったからだ。  

そして驚くべきことに、本作はここから更に怒涛の盛り上がりを見せていく。


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引用:【TVCM】ウルトラマンの涙!?『ウルトラマンアーク THE MOVIE 超次元大決戦!光と闇のアーク』2025年2月21日(金)全国ロードショー!- YouTube

 

先行上映でも目玉として挙げられていたアークの涙。情報解禁の時点では、自分は「サスカルが変身したギルアークから悲痛な境遇を聞いたユウマが、涙を流して説得する」のような状況を想像していたのだけれど、この涙は決してそんな生半可なものではなかった。

 

 

ギルアークの目から下向きに伸びる黒いライン。初めて見た時は「カオスウルトラマンみたいな隈取だな」としか思わなかったのだけれど、本編を観て、ギルアークがシュウの持つ負の想像力=後悔や自責の具現化と知るなり見え方が一変。それは単なる隈取ではなく、仮面ライダーで言うところの「涙ライン」だったのだ。  

そんなギルアークに対し、ユウマは「抱えた痛みに気づけなかった」ことを詫び、その痛みを分かち合いたいと涙を流す。 

シュウが自分から話さなかった以上、ユウマがその詳細な過去を知らなかったのも無理はない。つまり、本当なら彼が痛みを感じる必要はないのだけれど、ユウマは親友の痛みに気づけなかった己を責めて涙を流す。自らを「罪人」として「涙を流す」=ギルアークに自分から近づいていったアークの姿は、まさに「痛み (罪) を分かち合いたい」というユウマの願いを具現化したもの。  

どこまでいっても人と人とは他人であり、心の痛みを真実「分け合う」ことはできない。けれど、その痛みを想像し、我が事のように涙してくれる相手が側にいるなら、胸の痛みは自ずと和らいでくれるもの。アークが流す涙は、そんなユウマの想像力――相手を想う想像力こそが、力では救えないものを救い得る「光」だと謳ってきた『アーク』における、一つの「象徴」と言っても過言ではないだろう。

 

 

『アーク』最後の花道と、アーマーチェンジの「真価」

 

尺の問題もあって、シュウは思いの外あっさりと解放されてしまうのだけれど、第一・第二の試練がしっかり前フリになっていたり、一連のテーマが本編の延長になっていたりと導線 (説得力) は十分。『アーク』の物語としても、ユウマとシュウのバディものとしても満足感が高く、強いて言うなら派手さがもう少し欲しかったかな……などと思っていた矢先、一連の黒幕であるレポ星人がラスボス・レポディオスに変身。まさか、と思う間もなく開始されるアーク&ギルアークのタッグバトル! こ、これだよ! こういうのを観たかったんだよ!!


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引用:【最新予告】『ウルトラマンアーク THE MOVIE 超次元大決戦!光と闇のアーク』2025年2月21日(金)全国ロードショー!- YouTube

 

浮島での激闘という『帰ってきたウルトラマン』のザゴラス戦を思わせるシチュエーションで描かれるレポディオス戦は、独特な「宇宙と空の狭間」のホリゾントも相まって特別感が溢れる名バトル。同じ技で連携するユウマとシュウはもちろん、それらを悉くはね除けるレポディオスの大暴れにもたまらないものがあった。『帰ってきたウルトラマン』を強く意識した作品の最後の敵が『ウルトラマンA』の超獣を思わせるレポディオスなのは、つまりそういうことなんですか辻本監督……!? 

ともあれ、そんなレポディオスの大攻勢によってギルアークは場外へ吹き飛ばされ、アークもギャラクシーアーマーを装着できない大ピンチに。折角ギルアークがいるのに+最終回で大見せ場があったのに、また素のアークがフィニッシュを飾るのか……!? と胸騒ぎを覚えた、その瞬間のことだった。

 

 

まさかの登場、ギルアーク ギャラクシーアーマー!!!!!!!!うおぉぉぉぉこれだよこれェェェェ!!!!!!!!こういうのが欲しかった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ありがとうございます辻本監督!!!!!!!!!!!!ありがとうございます!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

自分は「ほとんど形態変化がなかったブレーザーとの差別化として、多彩なアーマーチェンジをウリにしていくのだろうな」とばかり思っていた――のだけれど、蓋を開けてみればアークのアーマーチェンジは本編内では三種類。その活躍含め、デッカー以前のタイプチェンジとさほど変わらないな……という印象は拭えなかった。

引用:総括感想『ウルトラマンアーク』- 想像に "現実を変える力" はあるか? 新体制の挑戦作が描いた「想像力」とは何だったのか - こがれんアーカイブ

 

自分が『アーク』に抱いていた不満の一つが、アーマーチェンジがタイプチェンジと同等の扱いに収まっていたこと。 

アーク同様アーマーチェンジを売りにしていた『X』が「最終回にハイブリッドアーマーというアーマーならではの姿を登場させ、それを物語の帰結点にする」というダイナミックな作劇を見せてくれただけに、自分はアークにも何かしら「アーマーならではの展開」を見せてほしいと期待していて、それが本編では拝めなかったことが大きな心残りになっていた。 

……と、そんな状況で披露されたのがギルアークのギャラクシーアーマー。それは「使い回しができる」というアーマーの性質を活かした前代未聞の隠し球にして、シュウの変身さえも前振りにする最大級のサプライズ。その衝撃はまさに圧倒的で、上がった期待値を軽々と飛び越えるだけに留まらず、有り余る熱量で自分の『アーク』に対する様々な心残りをまとめて消し飛ばしてくれるほどだった。


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引用:【ネタバレ有】『ウルトラマンアークTHE MOVIE』戸塚有輝×金田昇×辻本貴則座談会! 『ウルトラマンアークTHE MOVIE 超次元大決戦!光と闇のアーク』をさらに楽しむためのポイントは? - ホビージャパンウェブ

 

ギルアークがギャラクシーアーマーを纏うのに合わせて、アークはここでなんとソリスアーマーにチェンジ! アーマー形態の並び立ちはそれだけでも十分に美味しいシチュエーションだけれど、ソリスアーマー (太陽) とギャラクシーアーマー (宇宙) は「光と闇」という本作にピッタリの取り合わせ。そんな文脈メガ盛りタッグの戦いを彩るのは、第8話ぷりに挿入歌として使われる『arc jump'n to the sky』

 

arc jump'n to the sky

arc jump'n to the sky

 

正直、夢を見ているような気分だった。 

あの『アーク』が、宣伝をしっかりコントロールして見事なサプライズを決め、それさえも前振りにした更なるサプライズで観客を湧かせ、「アーマーならでは」を存分に発揮したタッグバトルを挿入歌で熱く彩る……。自分にとって、それらは文字通り「これが欲しかった」のフルコースで、アークアイソードとアークギャラクサーの連携技や「光線の撃ち合いで浮島の落下角度を調整する」という特大のトリッキーテクニックを眺めながら、自分の中に渦巻いていた『アーク』へのネガティブな気持ちは綺麗さっぱり浄化されていった。ありがとうございます辻本監督、自分、アーク大好きです……!!

 

 

「最終回前のエピソード」であった意味

 

こうして振り返ると、とても満足度の高い作品だったな……としみじみ感じてしまう本作。レポディオス撃破後の粋なファンサービスもその満足感を後押ししており、 (賛否が分かれそうな点は多々あれど) 自分は加点方式で断然「賛」の立場。アークという作品にここまで胸を張って「好き」を言えることが本当に嬉しくて、辻本監督や継田氏には感謝の気持ちで一杯だ。 

一方、そんな本作に対して唯一残った疑問点が、本作の「本編内のエピソード」という特殊な立ち位置。 

確かに、このエピソードが挟まるおかげで (個人的にやや消化不良だった) ユウマとシュウの関係が大幅に補完され、特に第23話以降のシュウの行動は説得力が倍増。それはファンとしては大いにありがたいのだけれど、それだけのためにこうも大胆なチャレンジを試みたとは思えない。  

どことなくむずむずした気持ちを抱えていると、なんとこの点にピンポイントで触れるインタビューが公開されていた。

 

――今回の劇場版『ウルトラマンアークTHE MOVIE 超次元大決戦!光と闇のアーク』はテレビ本編の第21話と第22話の間の話となっていました。例年ウルトラマンの劇場作品は最終回後のお話であることが多いと思うのですが、今回の時系列はどういった意図で決められたのですか? 

辻本:テレビ本編25話までを丁寧に描いたつもりなので、その後また新しい敵がやって来て「地球の危機だ!」みたいなことをやるのはちょっと違うというか、それをやってもテレビ本編を超えられないように思ったんです。なら後日談をやるよりは本編中の出来事としてやった方が、自分の気持ちも乗りやすいし作品としても良くなるんじゃないかと考えて決めました。

引用:【ネタバレ有】『ウルトラマンアークTHE MOVIE』戸塚有輝×金田昇×辻本貴則座談会! 『ウルトラマンアークTHE MOVIE 超次元大決戦!光と闇のアーク』をさらに楽しむためのポイントは? - ホビージャパンウェブ

 

なるほど……としみじみ頷いてしまう話だった。確かに、60分という短い尺や限られた予算の中で、本編25話分の積み上げを上回る作品を作り上げるのは素人目に見ても至難の業。これまでのニュージェネレーションシリーズでも、ストーリーを最低限に抑えて特撮映画としてのカタルシスに全力投球したり (劇場版X) 、ギャラクトロンの親玉を連れてくることで、前提を省きつつ敵のスケール感に説得力を持たせたり (劇場版ジード) と、その前提をクリアするために様々な創意工夫が行われていた。 

一方、本作は自らを「テレビシリーズ内の一エピソードに位置づける」ことで、劇場版という枠組みに囚われることなく、物語やサプライズ、ケレン味たっぷりのラストバトルで「劇場版らしい特別感」を担保してみせた。この逆転の発想もまた『アーク』らしいし、ファンとしては、本作のチャレンジが (商品展開からも苦戦が窺える/ややマンネリ感が否めなくなってきている) ウルトラシリーズの春期展開を変革する嚆矢となってくれることを祈るばかりだ。 

……などと書いていると、すっかりその展開が終わったかのように感じてしまうけれど、ウルトラマンアークという作品にはまだまだ「先」がある。

 

 

今年もやってきた、作品のフィナーレを飾る舞台作品こと『NEW GENERATION THE LIVE ウルトラマンアーク編』! 

同作は現在全国を巡業中で、おそらく上記の埼玉公演が千秋楽。ストーリーや時系列など気になる点は多々あれど、現時点でハッキリ言えることは「これを見届けなければアークは終われない」ということ。滑り込みで注文できたS.H.Figuartsギャラクシーアーマーを堪能し、その頃にはおそらく発表されているであろう新テレビシリーズの情報と向き合いながら、来る6月21日に向けて想像力を存分に鍛え上げておきたい。