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『仮面ライダーエグゼイド』10周年前の再履修 - 不変の面白さと、マイティノベルXが見せてくれた「真の完結」について

放送当時以来、約10年ぶりに『仮面ライダーエグゼイド』を観た。 

きっかけは、友人が貸してくれた『仮面ライダーエグゼイド ファイナルステージ&番組キャストトークショー』のDVD。『鎧武』のそれが非常に良かった、と話したら貸してくれたのだけれど、そんな親切には万全の体勢で応えたくなるのがオタクの性というもの。 

して、3月末からの1ヶ月でTVシリーズ、劇場版、Vシネマ、そして『マイティノベルX』までまとめて再履修。結果、待っていたのは当時と同じかそれ以上の「エグゼイド、お、面白ェ~~~~~!!!!!!!!」だった。10年経っても面白かったよ、仮面ライダーエグゼイド……!

 

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引用:仮面ライダーエグゼイド 公式ホームページ - テレビ朝日

 

《目次》

 

EXCITE

EXCITE

 

TVシリーズ前半 - 貴利矢の消滅と隠れた「王道」

 

仮面ライダーエグゼイドといえば、今やシリーズ屈指の人気作。けれど、2016年の放送当時……特に序盤はかなりハラハラしながら観ていた覚えがある。

 

 

長年ライダーのオタクをやっているからか、見た目や「医療×ゲーム」というテーマの奇抜さには「いつか慣れるだろう」とあっさり割り切れていたし、主題歌もカッコいいし、エナジーアイテムや必殺技カットインなども新鮮で楽しい。なら何が問題だったかといえば、やはりドクターたちの結束のなさや過剰なギャグ演出 (所謂 “平成2期” ライダーの中でも特に顕著だ) 。この辺りの厳しさは、残念ながら彼らの過去を知った上で見ても覆ることがなく、『エグゼイド』熱の再燃は今回も「九条貴利矢の消滅」を待つことになる。

 

 

全視聴者が驚愕したであろう、仮面ライダーレーザー=九条貴利矢の消滅。「ゲームオーバー」の意味が明かされたり、ゾンビゲーマーの異質なデザインから滲み出る「ここからはもう “遊び” じゃない」というプレッシャーであったり……。貴利矢の消滅を一発ネタにすることなく、それを起爆剤として様々なピース、「医療」と「ゲーム」というテーマ、そして物語そのものが急激に転がり始めるこの時期のドライブ感は、今尚シリーズ屈指と呼ぶに相応しいものだろう。

 

 

また、冬映画の流れを変えた人気作『仮面ライダー 平成ジェネレーションズ』が公開されたのもこの辺り。当時はマイティブラザーズの登場が秘匿されており、突如現れた2人のエグゼイドに「永夢の二重人格には “何か” あるんだ」と察してしまった瞬間のゾクゾクは今でも忘れられない。しかし、そんな大ネタを決して勿体ぶらないのが『エグゼイド』という作品のパワフルさ。

 

 

マイティブラザーズの本格参戦は、『平成ジェネレーションズ』が公開し、貴利矢が消滅したすぐ後である第14話。この新形態をきっかけに、物語は「永夢がなぜ変身できるのか」「永夢の二重人格とは何なのか」といった、序盤から仄めかされていた謎に次々と切り込んでいく。 

当時はそんな「謎解き」にガッツリ見入っていたけれど、今回の再履修ではそれ以上に「ドクターたちの結束」が輝いて見えた。序盤のいがみ合いがストレスだったからこそ、永夢に心を動かされてきた飛彩や大我たちがその永夢を救おうと奮戦する姿……あるいは、彼らの「ドクターとしての誇り」に殊更胸を打たれてしまったし、貴利矢を加えた4人の想いが一つになる第23話『極限のdead or alive!』の盛り上がりは、改めて観てもやはり頭一つ抜けたものだったように思う。 

ビジュアルやテーマから変わり種のような印象を受ける『エグゼイド』だけれど、このように芯にあるのは熱い王道。ドクターの和解や永夢の克己、「貴利矢のゲーマドライバーで復活するエグゼイド」といった心踊る展開を、スカすことなく最大火力で魅せてくれるのが本作の大きな美点であり、その魅力は作中後半で更に加速していくことになる。

 

必死の想い

必死の想い

(個人的なお気に入りは、永夢の克己エピソードである第20話『逆風からのtake off!』。劇伴での「キメ」に定評のあるエグゼイドだけれど、本話での『必死の想い』はその最たるもの。永夢の復活・変身とドラマチックなサビが完璧に噛み合った、作中屈指の名シチュエーションだ)

 

TVシリーズ後半 - クロノスの惜しさと『エグゼイド』の矜持

 

まるで最終回のような盛り上がりを見せたエグゼイドは、第25話から新章「仮面ライダークロニクル編」に突入。一切出し惜しみをしない本作らしく、ここからもポッピーとの敵対、パラドの真相、黎斗と貴利矢の復活、クロノスの登場に飛彩の離反と、絶えず何かしらのイベントが起こり続けていく。 

しかし、特筆すべきはそれら全てが「各キャラクターの深掘り」あるいは「ドラマの主軸」に直結しており、一切の無駄が感じられないこと。この異様な交通整理の巧さと「見たかったものをしっかり見せてくれる」的確なツボ押しが重なって生まれる瞬間火力はまさにエグゼイドの真骨頂で、当時も今回もこの後半は特に楽しくてしょうがなかった。ところで自分「マキシマムマイティXから飛び出したレベル99のガシャコンキースラッシャー持ちノーマルエグゼイド」がドドドドド癖なんですけど誰か分かる方いらっしゃいますかァ!?

 

(1クールほど音沙汰のなかったOPが新規映像マシマシで復活し「新章開幕」を高らかに謳い上げた瞬間はもう脳汁ドバドバ。この時期は語り草に事欠かないけれど、個人的には第38話『涙のperiod』がお気に入りのエピソードだ)

 

一方、この凄まじい面白さに影を差したのが檀正宗=仮面ライダークロノス。……というより、厳密に言うなら彼の驚異的な「しぶとさ」だ。

 

 

ポーズという禁じ手を引っ提げて現れた本作のラスボス=仮面ライダークロノス。深刻なインフレを経て、第23話でレベル99を出してしまったエグゼイド界隈に「チート」が殴り込みをかけてくるのは驚きを通り越して痛快だったし、その禁じ手に「無敵」という更なる禁じ手で対抗する無法ぶりは、予想だにしない方向から殴ってくるタイプの作品 (言い方) が大好物な自分にとってはたまらないものがあった。 

なら一体何が問題だったのか……というと、とにもかくにも「クロノスがしぶとすぎる」こと。ムテキゲーマーに倒され、永夢と飛彩のタッグに倒され、満を持して実現した永夢とパラドのタッグに倒されたかと思えば、今度はリセットで形成を逆転、ゲムデウスが攻略されると今度はその力を取り込み、真のラスボス・ゲムデウスクロノスとして立ちはだかる……と、手を替え品を替えではあるものの、クロノス登場から最終回までは延々「クロノスが倒されては逆襲する」という展開が続くことになる。  

とはいえ、第2クールも敵はずっと黎斗であったし、アニメ『ポケットモンスター』のロケット団など「毎回のように倒される敵」というのは枚挙に暇がない。ならなぜクロノスがここまで引っ掛かるのかといえば、理由はおそらく「クロノスの打倒」それ自体がストーリーの軸になっていること。 

第2クールは黎斗との戦い以上に「永夢の謎」が物語を牽引しており、黎斗との決着が付かない一方でそちらは毎話のように進展があるため、見ていて「同じことが繰り返されている」という印象は受けなかった。ロケット団が気にならないのも概ねこれと同じ理屈なのだろう。 

一方、クロノス編は「クロノスを倒すこと (仮面ライダークロニクルのクリア) 」こそが目的であり話の軸。飛彩の葛藤もパラドの成長も大我クロノスも、すべては「クロノスを倒す」ことでカタルシスが爆発する構成になっていたので、最後の最後で正宗に逃げられたり、リセットされたりといった展開の繰り返しにはどうしても「気持ち良く終われない」「彼らの努力が報われない」といったモヤモヤが残ってしまった。ラスボスとしては黒星が多く「格落ち」感が否めないため、折角の熱すぎるOP再現→ラストバトルでイマイチ盛り上がりきれないのも惜しい点で……というのは、流石に厳しい目を向けすぎだろうか。

 

 

そんなこんなで些細な不満点こそあれ、このクロノス編もプラスマイナスで考えるなら間違いなく「プラス」に傾くもの。 

前述のパラドと永夢の共闘は再履修なのに何度もリピートしてしまったし、各勢力がクロノスやムテキを「どう攻略するか」模索するフェーズは、それこそ難易度の高いゲームに各プレイヤーが攻略法を見出だしていく過程を見ているかのような楽しさと「そう来たか!」という驚きの連続。中でも、ゲムデウスウイルスでクロノスに対抗するという奮闘を見せ、戦士としての誇りと共に散っていったグラファイトは、このクロノス編で大きく株を上げたキャラクター。飛彩たち含め、チート能力を持たないキャラクターたちが一切置き去りにされなかったのも『エグゼイド』のキャラクター人気を確かなものにした大きな要因なのだろうと思う。

 

 

また、『エグゼイド』最終章を語る上で避けて通れないのが、最終回における永夢の記者会見。 

クロノスとの決着ではなく、ゲーム病で消滅した患者を一人一人――貴利矢や黎斗も含めて――読み上げる永夢の姿をクライマックスに据えたのは、彼らが「仮面ライダーである以前にドクターである」ことだけでなく、「ドクターの闘いには終わりがない」ことを示唆しているかのよう。それは、永夢たち同様に終わりのない闘いを続けている「現実のドクター」に対する真摯なリスペクトであり、子どもに医者というヒーローの存在を伝える本作の「矜持」であるように思えてならない。

 

 

その後のエグゼイドと「檀黎斗」という男

 

オタクは三度の飯より「時系列に沿った関連作の履修」が好きな生き物。本編を観終えると、自分はすぐさま劇場版の『トゥルー・エンディング』、そして今回の本命でもある『仮面ライダーエグゼイド ファイナルステージ&番組キャストトークショー』へ。

 

 

自我が芽生えたゲムデウスウイルスが引き起こした事件であり「トゥルー・エンディングの本編とエンドロール後の間」と時系列が明確に定められた「正史」であるファイナルステージ。 

ゲムデウスが作り出したムテキゲーマーのコピーである「ゲムデウスムテキ」や、ゲーム内でニコが変身する「仮面ライダーニコスナイプ」といった本作オリジナル要素、移動スクリーンを活かして本編のエフェクトを再現する演出、ソルティたちバグスター組の心境の変化 (これがまた泣かせるんだ……) 、「一緒にドレミファビートをプレイする」という約束の回収……。見所を挙げたらキリがないけれど、中でも刺さったのがグラファイト周りの演出。 

飛彩・大我との共闘が (奇しくも第10話で永夢が用いた理屈で) 実現したり、クライマックスではライダーたちと共に「一斉変身」をしてみせたりと、本作のグラファイトは間違いなく「ヒーローの一人」として描かれていた。本編ではまず描かれないであろう (誰よりグラファイトが望まないであろう) それは、おそらくキャストへのはなむけ=ファイナルステージというイレギュラーな場所だからこそ実現した奇跡の一幕。けれど、ポッピーの『PEOPLE GAME』を背に人間と共闘する彼の姿は、決してこの場限りのものではなく、『エグゼイド』世界における未来の形なのだと思いたい。

 

 

ステージ後半は、檀正宗役・貴水博之氏やラヴリカ役・小手伸也氏、そして鏡灰馬役・博多華丸氏が追加登壇しての豪華トークショー。各クールの振り返りトークや名場面の再現、各々の想いが籠った挨拶などこちらも全編が見所で、キャスト陣に明るくない自分は、飛彩役・瀬戸利樹氏のユーモラスなキャラクターや大我役・松本享恭氏の「闘病中の方から手紙を貰った」エピソードなどがいずれも初耳。より『エグゼイド』が好きになれる素晴らしいトークショーだったし、永夢役・飯島寛騎氏に寄せ書きが渡されるラストには貰い泣きせずにはいられなかった。当時はそれはもう様々な罵詈雑言に曝されていた『エグゼイド』だけれど、無事人気作になって本当に良かった……!

 

 

しかし、そんな涙々のステージを経ても『エグゼイド』は終わらない。ベストライダー映画の一つに数えられる『平成ジェネレーションズFINAL』を経て、続いては『仮面ライダーエグゼイド トリロジー アナザー・エンディング』三部作へ。

 

 

仮面ライダーブレイブ&スナイプ』『パラドクスwithポッピー』『ゲンムVSレーザー』。明らかに「番組が人気を博したので急遽作りました」な三部作だったこと、この時期のライダーVシネは「蛇足感の否めないもの」あるいは「悪ノリが形を成したようなもの」が少なくなかったことから「TVシリーズのように上手くまとまらないんじゃ……」と警戒していたのだけれど、いざ観てみると (確かに悪ノリが酷い部分はあったけど) 3作とも、各キャラクターの「その後」に真摯に向き合った良作となっていた。特に『ブレイブ&スナイプ』における飛彩と小姫の顛末は「本編の苦さを尊重しつつ、仄かな希望を持たせてくれる」アフターストーリーとして極めて理想的な仕上がりになっていたように思う。 

また、このトリロジー三部作で避けて通れないのが、再生医療センター勤務のドクター=八乙女紗衣子の存在だ。

 

 

財前美智彦の娘という衝撃的な出自を持ち、ある種「檀黎斗のアナザー」とも呼べる存在でもあった紗衣子。しかし、彼女が黎斗と違っていたのは「罪を認め、償う意志」があったこと。その点を踏まえると、黎斗と共に暗躍した彼女が改心するまでの過程を描いた『アナザー・エンディング』は「黎斗がなぜ許されてはいけないのか」を描くもの=黎斗が愛されキャラになってしまったことに対する、ある種の「けじめ」でもあったのかもしれない。 

しかし、そんな納得に待ったをかけたのがトリロジーの〆を飾った『ゲンムVSレーザー』のラストシーン。

 

 

アナザーパラドを取り込むことで天才ゲーマーの力を手に入れ、ゾンビクロニクルで人々を消滅させていった黎斗。今度こそ人の心を捨てたかに見えた彼は、しかし本作ラストで「貴利矢を人間に戻す」という偉業を成し遂げてみせた。 

ポッピーは「最期に自分の才能を示したかったのかも」と推測していたけれど、TVシリーズ最終回で永夢の会見を聞き「私の才能に不可能はない」と静かに呟いた黎斗の様子からすると、本当にそれだけが理由なのだろうか、という疑問も湧いてくる。檀黎斗とは果たして何者で、彼は一体何を求めていたのだろうか。

 

 

『マイティノベルX』で真に完結する、永夢と黎斗の物語

 

檀黎斗。自分は本編後に『アウトサイダーズ』やら何やらを観たせいもあって、彼に「誇張されすぎたネタキャラ」という悪印象を持ってしまっていたのだけれど、今回の再履修の中で、その印象は少しずつ解きほぐされていった。

 

 

途中までは概ね記憶通り。クールな黒幕としての仮面が徐々に剥がれていき、檀黎斗劇場の果てに服を脱ぎ、海老のように反り返って「ブゥン!!」と叫び始める。当時はここで完全退場していれば……と思ったりもしたけれど、彼の本領が発揮されるのは「ここから」だった。

 

 

対パラドの切札として蘇った檀黎斗、改め新檀黎斗。TVシリーズ第31話『禁断のContinue⁉』において、彼は「母・櫻子をバグスターに感染させたのは、その命をデータとして保存するためだった」というポッピーの推測を肯定も否定もしなかったが、同話で彼は「身を挺してポッピーを守る」という行動に出てみせた。これ以降も、彼は文字通り命を賭して永夢たちの活路を拓く姿が多々見られ、 (いくら正宗やパラドへの復讐のためとはいえ) 自分の才能が喪われることを何より厭う彼がここまで身体を張る姿には、彼の中に眠る「何か」を感じずにはいられなかった。彼のことを、単なる「改心の余地がない、どうしようもないネタキャラ」で終わらせてはならないように思えたのだ。  

そんな自分のモヤモヤについて一つの回答を示してくれたのが、問題の『小説 仮面ライダーエグゼイド マイティノベルX』であった。

 

 

永夢に届けられた謎のガシャット「マイティノベルX」。それを起動し、新型のゲーム病を発症してしまった永夢を救うべく、ドクターたちはこれまで誰も知らなかった永夢の過去に向き合っていく――。 

明かされた永夢の過去や、彼が「命」「笑顔」にこだわる理由、本編の核心に迫る永夢の父親・宝生清長の罪……。小説という媒体だからこそ描けたであろうハードな設定に改めて向き合っていくと (檀黎斗とは何者なのか、という疑問を持ちながら読んだからだろうか) 自分は、当時見落としていた「本作が ”エグゼイドの完結編” たる所以」にようやく気づくことができた。

 

 私が知る限り、黎斗は誰かから注意されたり説教されたりしたことなんて一度もなかった。絶えず周囲から褒められて育っていた。

 そのせいで――恐ろしく自尊心の強い子になった。

-『小説 仮面ライダーエグゼイド マイティノベルX』より

 

永夢の過去が掘り下げられることで知られる本作は、その実「檀黎斗の過去」が掘り下げられる作品でもあった。その二つが並行して描かれた結果、見えてきたのは「永夢と黎斗は鏡合わせの存在だった」ということ。 

事実上の育児放棄状態にあったばかりか、父親の転勤のために友人もできなかった永夢。息子ではなく「商品」として管理され、誰にも干渉されることなく育った黎斗。孤独な幼少期を過ごしてきた2人は、その結果として「命に対する価値観」を正常に養うことができなかった。 

もし永夢が交通事故に遭っていなかったら――日向恭太郎に救われ、命の価値を知ることができなかったら、彼は「黎斗のような、人の痛みを理解できない天才ゲーマー」になっていたのかもしれない。永夢と黎斗は、お互いに鏡合わせの「if」の存在だったのだ。  

このことを踏まえると、本作のラストシーン=永夢がノベルゲーマーの力で黎斗のバックアップ =「檀黎斗Ⅱ」を撃破した後のこの会話が、全く違う意味を持って響いてくる。

 

「これでマイティノベルXは終わりです。でも僕の物語は……僕の人生はまだ終わりません」
 黎斗Ⅱが僕を見つめた。全ての運命を受け入れた、その目で。
「黎斗さんの心療はこれからも続いていくんです。近い将来、ゲーム病の再生医療が確立されたら、黎斗さんを復元する日がやってくるかもしれません。その時はあなたと心から向き合うつもりです。もう黎斗さんに罪を償わせようとは思いません。罪を犯したと思っていないあなたには何を言っても無駄だってことがわかりましたから。そんなことをしてもあなたの本当の笑顔は取り戻せないんだってわかりましたから。きっとあなたは死ぬまで変わらない。きっと死ぬまでゲームを作り続けるでしょう。だから僕もあなたの心療を続けます。死ぬまで攻略し続けます。あなたが作るゲームを」
「……果てしないな。君のエンディングを拝むまで」

-『小説 仮面ライダーエグゼイド マイティノベルX』より

 

永夢にとって、黎斗とは「ドクターに救われなかった世界線の自分自身」。そんな黎斗に対し、永夢は一生をかけて心療を行っていくと宣言する。それは、自分が黎斗にとっての「日向恭太郎」になるという決意表明であり、孤独に苦しんでいたかつての自分自身の「遊び相手」になるということでもある。  

永夢は、ポッピーたちに救われ、自分自身の過去と「もう一人の自分 (黎斗) 」に向き合ったことで、ようやくあの日の自分自身を救う道を見つけることができた。本作をもって、仮面ライダーエグゼイドは「ドクターに救われた孤独な少年が、ドクターとなって “かつての自分自身” の笑顔を取り戻す物語」として完結するのである。

 

「いつもの黎斗さんのようだったけど、いつもの笑い声ではなかった気がした。心の底から黎斗さんが笑っている気がしてならなかった」

-『小説 仮面ライダーエグゼイド マイティノベルX』より

 

『エグゼイド』10周年に向けて

 

近年屈指の話題作、という印象だった『エグゼイド』も、なんと今年で放送から9年目。もうすぐ10周年ということで、先日のX (旧:Twitter) では下記の投稿が大きな反響を呼んでいた。

 

 

『エグゼイド』が完結してから、世界は大きく変わってしまった。新たなウイルスが世界を脅かし、子どもたちは以前にも増して「大人」であることを強いられるようになっている。 

だからこそ、どうしても思ってしまう。何度も予想を覆し、世界のルールにさえメスを入れ、その上で真っ直ぐひたむきに「命の価値」を謳い上げる、そんなドクターたちの物語をもう一度観てみたいと。この時代にあって、彼らとの再会をずっと強く願うようになったファンは自分だけではないはずだ。 

とはいえ、まず何よりも願わねばならないのは「作り手」の問題が解消されること。 

健全な精神は健全な肉体に宿るもの。ドクターたちとの再会を心から喜べる日が来るように、件の問題が少しでも良い方向に向かうことを一ファンとして祈るばかりである。