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ウルトラシリーズ


ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA


ウルトラマントリガー』第1~2話 感想

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ウルトラマントリガー』第15話 推し語り(Higher Fighter)

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ウルトラマントリガー』 総括

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ウルトラマントリガー エピソードZ』感想 (ネタバレ無し)

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ウルトラマントリガー』全話感想+『エピソードZ』感想

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ウルトラマンデッカー〉


ウルトラマンデッカー』初報感想

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ウルトラマンデッカー』第7~8話 感想

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ウルトラマンデッカー』第21話 感想

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ウルトラマンデッカー』総括

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ウルトラマンデッカー 最終章 旅立ちの彼方へ…』感想

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ウルトラマンブレーザー


ウルトラマンブレーザー』初報感想

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ウルトラマンブレーザー』第1話 感想

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ウルトラマンブレーザー』第15話 感想

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ウルトラマンブレーザー』総括

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〈ウルトラギャラクシーファイト


『運命の衝突』Episode 1 感想

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『運命の衝突』Episode 2~4 感想

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『運命の衝突』 Episode 3 推し語り(Ultra Spiral)

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『運命の衝突』Episode5~6 感想

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『運命の衝突』Episode7~8 感想

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『運命の衝突』Episode 9~10 (終) 感想

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『運命の衝突』全話感想(後半ネタバレなし)

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ウルトラシリーズ (昭和) 〉


”第2話”で振り返る『帰ってきたウルトラマン

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追悼・団時朗

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ウルトラシリーズ (平成) 〉


ウルトラマンコスモス』総括

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ウルトラシリーズ (ニュージェネ / 令和) 〉


ウルトラマンタイガ』総括

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ウルトラマンZ』の “隠れた名台詞” について

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ウルトラマンZ』第19話 感想

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『シン・ウルトラマン』感想

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ウルトラマングロス』感想

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ウルトラマン列伝』~「ウルトラマンクロニクルD」総括

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ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ』総括

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ウルトラマンZ』~『レグロス』BGMセレクション

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ウルトラシリーズ (舞台) 〉


『ウルトラ6兄弟 THE LIVE ウルトラセブン編 Vol.1』感想

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ウルトラマン NEW GENERATION THE LIVE スターズ編 STAGE1』感想

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ウルトラマン NEW GENERATION THE LIVE デッカー編 STAGE5 』感想

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ウルトラシリーズ (イベント) 〉


ウルトラマンダイナ スーパーGUTSスペシャルナイト』イベントレポート

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『ツブコン2023』イベントレポート

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ウルトラシリーズ (その他) 〉


スマートフォン向けゲーム『ウルトラ怪獣 バトルブリーダーズ』総括

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仮面ライダーシリーズ


平成ライダーの“名挿入歌”勝手にベスト10(6位~10位)

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平成ライダーの“名挿入歌”勝手にベスト10(1位~5位)

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PS2専用ゲーム『仮面ライダー 正義の系譜』総括

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『劇場版 仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』感想

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仮面ライダーBLACK SUN』感想

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『シン・仮面ライダー』感想

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その他 (特撮) 


『 “ゴジラVS” シリーズ』総括

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【検証】桃谷ジロウ=アレルヤ・ハプティズム

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五星戦隊ダイレンジャー』第47話 推し語り(素面名乗り)

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グリッドマンシリーズ


『劇場総集編 SSSS.DYNAZENON』感想

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小説『SSSS.DYNAZENON CHRONICLE』感想

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グリッドマン ユニバース』 感想

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蒼穹のファフナー


未視聴者向け『蒼穹のファフナー』プレゼン

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蒼穹のファフナー THE BEYOND』第10~12話(終)感想

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蒼穹のファフナー FINAL Fes『angela LIVE -蒼穹作戦-』感想

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蒼穹のファフナー BEHIND THE LINE』感想(ネタバレなし)

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その他 (ロボットアニメ) 


【検証】桃谷ジロウ=アレルヤ・ハプティズム

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トップをねらえ!』感想

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トップをねらえ2!』感想

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『劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』感想

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機動新世紀ガンダムX』感想

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戦姫絶唱シンフォギア


未視聴者向け『戦姫絶唱シンフォギア』プレゼン

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戦姫絶唱シンフォギア (第1期) 』総括

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戦姫絶唱シンフォギアG』総括

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戦姫絶唱シンフォギアGX』総括

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戦姫絶唱シンフォギアAXZ』総括

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戦姫絶唱シンフォギアXV』 総括

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アイカツスターズ!


第1~13話 感想

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第14~30話+劇場版 感想

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第31~50話 感想 早乙女あこ編

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第31~50話 感想 香澄真昼編

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第31~50話 感想 桜庭ローラ&白銀リリィ編

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第31~50話 感想 虹野ゆめ編

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第51~63話 感想

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第64~77話 感想

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楽曲+「MUSIC of DREAM!!!」感想

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第78~85話 感想

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第74・84話 感想

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第86話 感想

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第87~89話 感想

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第90~93話 感想

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第91・94話 感想

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第95・96話 感想

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第97話 感想

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第98話 感想

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第99話 感想

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ダンガンロンパ


ダンガンロンパ』感想

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スーパーダンガンロンパ2』感想

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ダンガンロンパ3』感想

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その他 (アニメ) 


『アイの歌声を聴かせて』感想

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Free!』シリーズ+『the Final Stroke 後編』総括

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映画『金の国 水の国』感想

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致命的な勘違いをしていた男 VS『THE FIRST SLAM DUNK

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『星合の空』総括

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映画『プリキュアオールスターズF』感想

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映画『BLUE GIANT』感想

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映画『デジモンアドベンチャー02 THE BEGINNING』感想

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アニメ『進撃の巨人』Season1~3 感想

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アニメ『進撃の巨人』第67話 感想

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漫画


読切漫画『友達の話』感想

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漫画『くちべた食堂』プレゼン

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ドラマ・映画(実写)

 

映画『JUNK HEAD』感想

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『鎌倉殿の13人』最終回 感想

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わ~ん!『RRR』の感想が書けないよ~!!

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ノンフィクション・実録系

 

れんとの転職活動レポート【前編】

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れんとの転職活動レポート【中編】

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れんとの転職活動レポート【後編】

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インタビュー企画『あなたとトクサツ。』参加報告

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高校生の僕と「ガンダムスクール (仮称) 」- 「なりチャ」文化の記憶

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東京ディズニーランド」レポート

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「大洗旅行 / ガルパン聖地巡礼」レポート

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回顧 - 教科書で触れた「純文学」

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クウガ』の聖地 - 喫茶ポレポレ(珈琲ハウス るぽ)レポート

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その他


ご挨拶

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500アクセス記念

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ブログを続けてみて良かったこと3選(開設1周年)

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2021年振り返り

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“書こうとしたけど書けなかった記事” 3選(開設2周年)

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2022年振り返り

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歴代記事 “文字数” ランキングトップ10(開設3周年+100記事記念)

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2023年振り返り

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新番組『ウルトラマンアーク』初報に見る、シリーズの新たな挑戦と「ニュージェネレーション」のマインド

2024年4月5日、朝7時半。 

ぐっすりと眠っていた通勤電車で目を覚まし、なんとなしにスマホの電源を点けて、そこに表示されていた情報でそれはもうバッチリと目が覚めた。

 

 

2024年に降り立つ新たな光の巨人、その名はウルトラマンアーク! 

その全貌はまだ謎に包まれているけれど、前作『ブレーザー』とは異なる方向性の話題に溢れた『アーク』。そんな本作の注目ポイントを、発表されたスタッフや現時点で明かされている情報、そして「ニュージェネレーションシリーズの歴史」にも触れつつ読み解いていきたい。


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引用:\初出トレーラー公開/新テレビシリーズ『ウルトラマンアーク』2024年7月6日(土)あさ9時 テレ東系放送スタート! - YouTube
 
《目次》

 


ウルトラマンアーク』初報雑感

 

ニュージェネレーションシリーズ通算12作目となる『ウルトラマンアーク』。そのキャッチフレーズは「解き放て! 想像の力!」で、空想特撮そのものの骨子でもある「想像力」をキーワードに、明るくハートフルなドラマが展開されるとのこと。パンデミックを色濃く反映した『デッカー』や、ソリッドな作風が持ち味の『ブレーザー』とは異なる味わいが期待できそうだ。 

そして、そんな本作のキーワード=「想像力」を体現しているのが、主人公=飛世ユウマ (演.戸塚有輝) と光の使者「ルティオン」が一体化することで生まれるヒーロー・ウルトラマンアーク。

 

 

この投稿にもあるように、アークの姿やその変身アイテム=アークアライザーは、どうやらユウマのイメージを元にして生まれたものの様子。円谷作品のオタクとしては、今や一大シリーズを築いている『電光超人グリッドマン』シリーズを思い出さずにはいられない……!

 

 

……などと思っていたら、こちらから見れるTSUBURAYA IMAGINATION限定バージョンの予告では、アークがなんと (某ライダーのサングラスラッシャーを思い出すデザインの剣や) アーマーで武装グリッドマン』は勿論『X』のリベンジにも期待できそうだ。 

また、アークのデザインが非常にシンプルなのも特徴的。子どもの落書きに着想を得ているのか「パッと見は初代ウルトラマンのようだけれど、よく見ると全然違う」という新たな切り口のデザインを手掛けるのは、歴代ニュージェネレーションヒーローズを手がけてきたお馴染みのイラストレーター・後藤正行氏。 

TSUBURAYA IMAGINATIONで公開された監督インタビューによると、ベースとなるオーダーは「初代ウルトラマンCタイプ」だったようで、ある種これもリピアーやブレーザー同様「 “ウルトラマンという概念” の再翻訳」にあたるデザインと言えるかもしれない。

 


(単独発光・単独音声というウルトラ史上最も高価なコレクターズアイテムになることが予想されるアークキューブ。その玩具っぽさを「へんしんどうぐ」の一言でカバーする手腕が既に見事……!)


待望のメイン登板! 辻本貴則監督の魅力


今回の情報解禁の中でも、ファンの間で一際大きな注目を集めていたのが、ウルトラシリーズ初となる「辻本貴則監督&継田淳氏」ペアのメイン登用だ。

 

 

辻本貴則 (「辻」は一点しんにょう) 監督といえば、『ウルトラゾーン』でウルトラシリーズに初参加され、その後『X』を挟んで『R/B』以降はレギュラー監督として活躍を見せる特撮界の若手ホープ。「田口・坂本」ラインに続く「武居・辻本」ラインとしてシリーズの2番手を務めることが多く、ここ数年は「今年こそは辻本監督がメインだろう」という予想が立てられては散っていくのがある種の恒例行事となっていた。前述のインタビューでは監督自身が「メインはもう来ないんじゃないかと思ってた」と漏らす場面もある辺り、監督自身にとってもファンにとっても、まさに待望と言えるメイン登板だ。 

そんな辻本監督の魅力と言えば、『トリガー』前後からメキメキと上達され『デッカー』第23話で完成を見た情緒的なドラマ演出……もあるのだけれど、それ以上の目玉としてピックアップしたいのが下記の4点だ。

 

①ミニチュア特撮へのこだわり

 

監督本人も公言しているように、辻本特撮の真骨頂と言えばこだわりのミニチュア特撮。  

ミニチュアセットを遠景で広く映したり、シリーズでお馴染みの「地割れ」を丹念に演出したり、ラジコンカーなどの小物でセットの「実在感」を高めたり……。辻本監督は、これらのこだわりをただ見せるだけでなく「しっかり目立たせる」のも特徴で、アナログ特撮で育ってきた筆者のようなオタクにとってはまさに毎回がご馳走だ。  

しかも、このようなミニチュア特撮へのこだわりは冷めるどころか毎年のように進化を続けており、ウルトラマンZの「ペギラの冷凍光線で浮き上がった車からの景色」や、ブレーザーの「溶けて地面に染み込んでいくレヴィーラ」などのように、監督のアナログ特撮の進化はそれそのものがニュージェネレーションシリーズにおける一つの「見所」と言っても差し支えないだろう。

 

 

②昭和第2期ウルトラシリーズへのリスペクト

 

ニュージェネレーションシリーズの歴代監督は、田口監督なら『ウルトラマン 空想特撮シリーズ』や『ウルトラマンティガ』、坂本監督なら『ウルトラマンレオ』……といったように、特定のシリーズ作品に強い思い入れを持たれていることが多い。辻本監督の場合、それはおそらく帰ってきたウルトラマン』~『ウルトラマンレオ』の4作品、所謂『昭和第2期ウルトラシリーズ』だろう。  

ウルトラマンタイガ第22話『タッコングは謎だ』では『帰ってきたウルトラマン』のBGMを採用し、ゴロサンダーや第23話『激突!ウルトラビッグマッチ!』のタイトルには『タロウ』イズムを注ぎ込み、ウルトラマンZの『最後の勇者』は『ウルトラマンA』へのリスペクトが全編に満ち溢れて沸騰しているような代物だった。モグージョンなど氏が手掛けるオリジナル怪獣のデザインを見ても、その「癖」の程は明らかなところだ。 

では『アーク』はどうかというと、TSUBURAYA IMAGINATIONのインタビューでは「メイン監督として、自分のこだわりは出しすぎないようにした」と仰っていたにも関わらず、既にアークのファイティングポーズやタイトルバックが『帰ってきたウルトラマン』そのもの。  

どこまで折り込み済みかは分からないけれど、2024年春はウルトラマンジャック=郷秀樹役の団時朗氏が光の国へ旅立ってから一周年という節目。このタイミングでやってきたウルトラマンに『帰ってきたウルトラマン』の息吹が込められている……。そのことがもし氏へのリスペクトであるならば、『帰ってきたウルトラマン』ファンとして監督の想いに頭を下げずにはいられない。


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引用:\初出トレーラー公開/新テレビシリーズ『ウルトラマンアーク』2024年7月6日(土)あさ9時 テレ東系放送スタート! - YouTube

 

③リアルなガンアクション

 

辻本監督といえば『THE NEXT GENERATION -パトレイバー-』などで披露した「ガンアクションへのこだわり」も外せないポイント。 

ウルトラシリーズでは『X』第6・7話のルディアンの他、最新作『ブレーザー』におけるアースガロンやエミの殺陣 (第4話) が大きな話題となっていた。……が、残念ながらウルトラマンは「銃」とはあまり縁がなく、辻本監督が銃使いのウルトラマンを撮れたのは、おそらく前述の『X』第7話におけるエックス エレキングアーマーくらいのもので、それもエレキング電撃波を放つだけだった。 

と、そこにきて今回の『アーク』である。アーマーを纏うウルトラマンとなれば銃タイプの武装を持っている可能性は高いだろうし、辻本監督による「銃使いのウルトラマン」が堪能できる日がすぐそこまで来ている……!?

 

 

ケレン味たっぷりのアニメ風演出

 

『タイガ』から見られるようになった辻本監督の得意技 (?) が、大胆なパースやド派手なエフェクトを用いたアニメ風演出の数々。  

スーパーロボットアニメの金字塔『勇者シリーズ』に色濃くインスパイアされたであろう大胆なパース・陰影によるソード系必殺技 (『タイガ』第22話のタイガブラストアタックや、『トリガー』第9話のゼペリオンソードフィニッシュなど) は勿論、『Z』第5話の空中戦や『トリガー』第22話における「闇の中で閃く剣戟」、『デッカー』第22話での「燃え盛る都市での死闘」など、辻本監督はアニメ的な演出を特撮に落とし込むプロフェッショナル。 

アーマーを用いた戦闘は勿論、「想像力」というファクターがどのように演出されるのかにも注目したいところだ。

 

 

辻本監督のバディ・継田淳氏への期待

 

『アーク』のメインライター・シリーズ構成を務めるのは、こちらも初のメインとなる継田淳氏。しかし「メインを務めるなら両氏がタッグを組むことになるだろう」というのは既に方々で予想が立てられていた。それは、これまでの継田氏の担当回を見れば明らかだ。

 

【ウルトラゾーン】
・第7話「さすらいのM1号」
・第10話「続・さすらいのM1号」
・第16話「新・さすらいのM1号」
・第17話「帰ってきたさすらいのM1号」
・第19話「さすらいのM1号 情熱編」
・第21話「さすらいのM1号 完結編」
☆第22話「名探偵M1号・前編」
☆第23話「名探偵M1号・後編」 

ウルトラマンZ】
☆第18話『2020年の再挑戦』 

ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA
☆第20話『青いアイツは電撃と共に』
☆第21話『悪魔がふたたび』 

ウルトラマンデッカー】
☆第5話『湖の食いしん坊』
・第17話『過去よりの調べ』 

ウルトラマンブレーザー
☆第4話『エミ、かく戦えり』
☆第5話『山が吠える』
☆第6話『侵略のオーロラ』
☆第16話『恐怖は地底より』
☆第17話『さすらいのザンギル』
・第18話『そびえ立つ恐怖』
・第19話『光と炎』
 
そう、この☆マークの箇所はなんと全てかま辻本監督回! ウルトラマンへの参加も『ウルトラゾーン』での繋がりがきっかけとのことで、辻本監督と継田氏はまさに歴戦の戦友。特に『ブレーザー』に関しては露骨に登板+辻本監督とのペアが増えており、この点から次作へのメイン登板を予測する声が多く見られていたのである。 

ウルトラシリーズ脚本家陣では比較的新参と言える継田氏だけれど、辻本監督の得意とする「牧歌的・クラシカルな雰囲気」との相性は抜群。それは転じて『アーク』との相性の良さも伺えるし、満を持して発揮されるであろう継田氏の本領に期待大だ。

 

(この辻本・継田ペアがメインに至るまでの流れは、実は『デッカー』の武居監督・根元歳三氏ペアとほぼ同じだったりする。このことも、多くの方が予想を当てていた要因だろう)

 

 

「脱・防衛隊路線」とニュージェネのマインド

 

ここまで『アーク』の注目ポイントに可能な限り触れてきたけれど、自分が最も期待しているのはその世界観、もっと言うなら「主人公が防衛隊員でない物語」についてだ。

 

とある町、星元市。 

市内の獅子尾山には、異彩を放つ巨大な物体がそびえ立っている。「モノホーン」と名付けられたそれは、実は、16年前の事件当時から突き刺さったままの「怪獣の角」だった。 

世界各地で怪獣が同時に出現した「K-DAY」と呼ばれるその事件以降、怪獣災害が日常化し、日本では地球防衛隊が武力で怪獣への対処を行う一方、怪獣防災科学調査所・通称「SKIP(スキップ/Scientific Kaiju Investigation and Prevention center)」は、怪獣災害の発生・甚大化を防ぐため、地域に密着して科学調査や避難誘導を行っている。

引用:新テレビシリーズ『ウルトラマンアーク』日本時間2024年7月6日(土)あさ9時 テレ東系6局ネット発・11言語対応で世界同時期放送&配信スタート! - 円谷ステーション

 

あらすじの通り、本作の主人公=ユウマが所属するのは、所謂「防衛隊」ではなくあくまで調査所。このスタイルは歴代のニュージェネレーションシリーズでも何度か見られたけれど、今回のそれは些か異なる意味合いを持っているように思える。というのも、 

・ギンガ=予算の都合上、防衛隊を出そうにも出せなかった 

・オーブ~R/B (タイガ?) =『X』の防衛隊玩具が苦戦したことを受け、防衛隊路線を離れざるを得なかった 

と、従来のシリーズにおける「非防衛隊路線」は「防衛隊を出そうにも出せなかった」というネガティブな側面が少なくなく (勿論、従来の型からの脱却という目的も大きかったとは思う) 、その制約の中で「いかにウルトラマンらしい作劇ができるか」、あるいは、その制約をバネに「いかに新しいウルトラマンを作り出せるか」を模索する、保守と挑戦の二律背反が続いていたように思う。   

『Z』以降は『トリガー』『デッカー』『ブレーザー』と「防衛隊路線」の作品が続き、従来のシリーズ同様、ニュージェネレーションシリーズにも「防衛隊路線が当たり前」になってきた。しかし、だからこそここで「脱・防衛隊」なのだ。  

長年の積み重ねが防衛隊を蘇らせ、『ブレーザー』が「ウルトラマンらしい作劇」と「新しさ」の折衷における一つの到達点を見せてくれた。故に、今度のチャレンジは「苦肉の策」ではない。『ウルトラマンアーク』とは、「ウルトラマンらしい作劇」という縛りからシリーズが解き放たれたことで、ニュージェネレーションシリーズが持ち続けてきた「新たな作風へのチャレンジ」というマインドが真に花開く作品であり、辻本監督がインタビューで語っていた「これまでとこれからのウルトラシリーズを踏まえて、今撮るべきウルトラマンというフレーズは、このチャレンジをこそ指しているのではないだろうか。

 

 

ここまで長々と語ってはきたけれど、まだまだ『ウルトラマンアーク』は謎の多い作品。新規怪獣や復活怪獣の扱いはどうなるのか。過去シリーズとの関わりはあるのか。アーマーチェンジは一体どのようなものなのか。「想像力」が一体どんな形で物語に活かされていくのか……。
特に『Z』や『ブレーザー』が顕著だったように、本編になって急にその雰囲気が変わる作品もウルトラシリーズでは珍しくない。初夏に解禁されるであろう本PVに備えて、今は『ブレーザー』の余韻、そして現在放送中の『ウルトラマン ニュージェネレーションスターズ』に浸りつつ、今のうちにユウマや全国の子どもたちにも負けないような「想像力」を取り戻しておきたい。

 

ULTRA PRIDE

ULTRA PRIDE

総括感想『プリティーリズム・レインボーライブ』- 雨上がりの空を七色に照らす、プリズムショーの進化とりんねからの “贈り物”

時に2023年12月30日。『アイカツスターズ!』の余韻に浸りつつ、『進撃の巨人』初見マラソンをひた走る筆者のもとに、あるメッセージが届いた。

 

プリティーリズムレインボーライブ10周年展が3/1からあるのですが、それまでになんとかなりませんか?」

 

プリティーリズム・レインボーライブ』。大学時代の先輩に4.5年前から勧められていたものの、スピンオフ映画『KING OF PRISM』があまり肌に合わなかったことで視聴を先送りにしてしまっていたコンテンツだ。 

そう、かの大人気・大ヒット作品『KING OF PRISM』を、かつての自分は十分に楽しむことができなかった。作品のキーである「プリズムジャンプ」をどういうスタンスで見るべきなのかが最後まで分からず、結果「世間が高く評価している作品の良さを理解できない」ままで終わってしまったことが、自分の中である種のトラウマになってしまっていたのだ。この傷こそが、自分が『レインボーライブ』の視聴に踏み切れなかった本当の理由なのかもしれない。 

しかし、近年自分は『Free!』『アイカツスターズ!』『進撃の巨人』と、これまでの自分ではおよそハマらなかったであろうコンテンツに触れ、その度に新たな世界をこじ開けられている。そんな今なら「プリズムの煌めき」を受け止めることができるんじゃないか。この機会を逃したら、そのチャンスはもう二度と訪れないんじゃないか――。そんな思いで身支度を整えた2024年2月。10周年記念展までの1ヶ月で『レインボーライブ』に向き合うマラソンが始まった。  

 

こうして、数年越しに向き合うこととなった『レインボーライブ』。本作が、かつて「プリズムジャンプ」という概念に置いていかれてしまったオタクの目に一体どう映ったのか。なぜ、そんなオタクが本作のプリズムショーで何度も何度も号泣することになったのか。その軌跡と本作に感じた魅力を、思うままに書き残しておきたい。

 

 

《目次》

 

『レインボーライブ』と「繋がりが生むもの」

 

プリティーリズム・レインボーライブ』は、2013年から放送されたデータカードダス連動型のTVアニメ作品で、『プリティーシリーズ』3作目のTVアニメ作品。姉妹作とでも呼ぶべき『アイカツ!』シリーズに比べてホビーアニメ色が強いことは勿論、「妖精」や「異世界」の存在もあって、さながら「プリキュアアイカツの合の子」のような作品だ。 

しかし、そのような側面はおそらく『プリティーシリーズ』そのもののアイデンティティー。『レインボーライブ』の個性として際立っていたのは、何といってもそのハードなキャラクター造形・ストーリー展開だろう。

 

BOY MEETS GIRL

BOY MEETS GIRL

  • Prizmmy☆
  • アニメ
  • ¥255

 

『レインボーライブ』のキャラクターに共通した特徴といえば、真っ先に挙げられるのが「各々の欠点が明確に描かれている」こと。 

竹を割ったような性格だが、その反動か些か周囲を省みない所がある福原あん。クールやツンデレを通り越して「刺々しい」涼野いと。敵味方を問わず、高圧的な物言いで追い詰めてしまう蓮城寺べる。他人を見下し、馬鹿にする言動が目立つ森園わかな。普段おっとりしている分、突発的に感情を爆発させてしまうことがある小鳥遊おとは……。そんな彼女たちの中に、なるといとが想いを寄せる少年=神浜コウジ、そのコウジに異様な執着を見せ、事態を掻き回す面白い危険な男=速水ヒロが加わることで、本作前半の人間模様はおよそ女児アニメとは思えない程のギスギスした雰囲気を醸し出していく。 

しかし、それらの「歪み」は大半が各々の家庭事情によって生み出されてしまったもの。最初にあんの家庭を見た時も「うわっ」と思ってしまったけれど、福原家はまだまだ軽傷の部類。娘をトロフィーのようにしか扱っていない蓮城寺家、度が過ぎた亭主関白家庭の森園家、母子家庭で、幼いヒロを半ばネグレクトしていた速水家、そして、神浜家に対し致命的な「罪」を背負ってしまった涼野家……。それぞれの人間関係が家庭を歪ませ、歪んだ家庭が子どもを歪ませ、歪んだ子どもが、また別の子どもを歪ませて……。そのような「人と人との繋がりが生む負の連鎖」こそが、本作の物語に暗い影を落としていくことになる。

 

 

一方、本作はそんな「人と人との繋がり」が生むものは決して悲劇だけではないのだと、そのような悲劇を越えていくのもまた「繋がり」の力なのだと胸を張って謳い上げてくれる。その嚆矢となったのが、第13話『心をつなぐ虹の架け橋』。

 

 

メイン6人の中では唯一「歪み」を抱えておらず (「なぜなら、彼女は生まれる前から最大の困難を乗り越えているから」という第38話での種明かしの衝撃たるや……!) 、両親からの深い愛を受けて育った主人公=彩瀬なる。「ハピなる」という口癖の通り、天性の明るさを備えた彼女は、ギスギスした雰囲気が続く本作においてまさに太陽のような存在だ。 

しかし、そんな彼女を決して見過ごさないのが『レインボーライブ』という作品。第13話では「なるが大会のプレッシャーと敗北への恐怖に押し潰され、壇上で泣き出してしまう」というショッキングな事態が起きる……が、そんななるの耳に『ハート♡イロ♡トリドリ~ム』の歌が届く。それは、歌を捨てたハズのコウジから贈られた想いと勇気のバトンだった。

 

ハート イロ トリドリ〜ム

ハート イロ トリドリ〜ム

 

なるがこの窮地に追い込まれたのは、なるとコウジの繋がりを妬んだヒロによる策略。しかし、なるを救い、新たなステージへと導いたのもまたコウジとの繋がり。人と人との繋がりは悲劇の温床かもしれないけれど、それ以上の力をくれる絆の源でもあるのだと、そのことを「コウジから改めて託される『ハート♡イロ♡トリドリ~ム』が体現する」という美しさで自分は一気にこの作品へ引き込まれてしまったし、個人的に「刺さる」歌だった『ハート♡イロ♡トリドリ~ム』が逆転の鍵として輝いてくれたことへの嬉しさや、なるがべるに並ぶ3連続プリズムジャンプを成し遂げるというカタルシスもあって、ここで自分は初めて『レインボーライブ』に涙してしまった。かつてプリズムジャンプに置いていかれた筆者は、1クール目にして早くも「堕とされて」しまったのである。チョロいとか言わない。

 

EZ DO DANCE

EZ DO DANCE

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ジンクスを覆す「プリズムジャンプ」の輝き

 

このように、自分は第13話で『レインボーライブ』に一気にのめり込んだのだけれど、それは裏を返せば「当初はイマイチノれていなかった」ということ。その一因が、以前自分が『KING OF PRISM』にハマれなかった理由でもある「プリズムジャンプ」だった。

 

Get music!

Get music!

 

ド正直なことを言うと、最初は「プリズムジャンプ」が何もかも分からなかった。  

よくあるアニメ的な演出 (=あくまで、視聴者にそう見えているだけ) なのかと思いきや、匂いや物理的な衝撃が発生していることから「実体」である模様。なるほどそういうスーパー技術がある世界なのね、と思いきや、特段の設備がないストリートでも当たり前のようにプリズムジャンプが行われている。 

そもそも、なぜ回転ジャンプでこのような現象が起こせるのかも分からなければ、それをカタチにする謎のエネルギー=「プリズムの煌めき」も何のことやら分からない。勿論、このような現象・描写は『遊戯王』シリーズなど他の作品でも度々見られるもの。作品のターゲットからしても、殊更に目くじらを立てるようなものではない……のだけれど、問題は『レインボーライブ』という作品のリアリティラインが高めに設定されていること。スーパーロボット作品とリアルロボット作品で求められる整合性のラインが異なるように、本作の視聴においてはどうしても前述のような「細かい点」が気になってしまったし、自分にとってこの点は本作の「ウィークポイント」として感じられてしまっていた。  

(この問題が顕著だったのが、作中終盤の「プリズムの煌めきが失われる危機に、プリズムショー協会が指を咥えて見ているだけ」というシチュエーション。プリズムライブを採点対象にした時も然り、彼らの「無知・無策」ぶりがどうしても気になってしまい、折角のクライマックスで没入感を大きく削がれてしまうのが残念だった)

 

しかし、第13話『心をつなぐ虹の架け橋』でなるのプリズムジャンプに涙腺を破壊されてからというもの、それらネガティブなイメージは日に日に薄れていき、いつの間にかプリズムジャンプの「魅力」の方に目が引っ張られるようになっていった。ビジュアル面での楽しさは勿論、それ以上に自分のハートを掴んだのは「プリズムジャンプは、なるたちプリズムスタァたちの成長と連動する “飛翔” である」という点だ。

 

 

歌に乗せた「○連続!」の掛け声とジャンプをトリガーに技が展開されるプリズムジャンプは、それ自体にある種「必殺技」のような小気味良さ・カタルシスがあるのだけれど、中でもその真価が発揮されるのが「スタァが新たなジャンプに到達する」瞬間。 

あんが失敗、わかなが踏み止まり、べるだけが完遂していた3連続ジャンプになるが到達 (第13話) 、自由へ踏み出したわかなが、満を持して3連続ジャンプを達成 (第16話) 、悲劇を乗り越え、4連続ジャンプを披露するべる (第45話)、ジュネ・りんねという高次元のプリズムスタァしか到達していなかった6連続ジャンプを跳ぶいと (第47話) ……を、更に越える7連続ジャンプを成し遂げるべる (第48話) など、新たなジャンプが「○連続!」の掛け声で解禁される瞬間、そのアツさで悲鳴を上げてしまったのは自分だけではないはずだ。 

また、これら「○連続ジャンプの解禁」のカタルシスを作り出す要因として、それらがストーリーの帰結=「スタァたちの成長が昇華されたもの」である点も欠かせない。 

作中でも言及されるように、プリズムジャンプに必要なのは心の煌めき。そのため、新たなプリズムジャンプは往々にして彼ら・彼女らのドラマの集大成として披露される。プリズムジャンプが「ジャンプ」であるのは、スタァたちが様々なしがらみから解き放たれ、更なる「高み」に到達した証として顕現するものだからなのかもしれない。  

(プリズムジャンプと言えば、それがプリズムスタァの「技量の指標」になっているのも欠かせないポイント。第32話における「4連続をすっ飛ばして5連続を跳ぶことで格の違いを示すジュネ」などは、プリズムジャンプが効果的に作用した好例だった)

 

 

プリズムライブへの違和感と『さよなら、ぺる』

 

「プリズムジャンプが合わない」という最大の懸念が払拭されたことで、自分は特に2クール目からズブズブとこの作品に引き込まれていった。そのハマり方をブーストしてくれたのが、本作の「楽曲」たちだ。

 

ハート イロ トリドリ〜ム

ハート イロ トリドリ〜ム

 

件の第13話を彩ったなるのマイソングであり、可愛らしい歌詞・メロディにギターのアクセントがたまらない『ハート♡イロ♡トリドリーム』

 

Blowin' in the Mind

Blowin' in the Mind

 

わかなのマイソングらしく、掴みどころがない独特なテンポで歌われる「アタルのも八卦なら ハズレも八卦よいよい」等のフレーズが、一度聴いたら癖になってしまう『Blowin' in the Mind』

 

Pride

Pride

 

コウジとヒロの確執を反映したかのようなほの暗いビートと、前野智昭氏のセクシーな歌唱が完璧なハーモニーを見せているものの、歌詞が「2人で歌うことを想定したもの」であることに気付いてしまうと更にその味わいが深まる『pride』。 

プリズムスタァが「アイドル」ではなく、更に男性のスタァが登場することもあってか本作の楽曲は非常に多彩で (作中での見事な使われ方も相まって) 印象的なものばかり。

しかし、それだけにこの第2クールでも尚惜しいと感じてしまっていたのが、本作のアイデンティティーでもある「プリズムライブ」の演出だ。

 

 

ペアともが楽器に変身、ステージの最中にスタァがライブ (演奏) を行うプリズムライブ。当時タカラトミーからプリズムレインボーギターの玩具が発売されていたことも踏まえると、おそらくこれこそが『レインボーライブ』の看板にしてアイデンティティーだったのだろうけれど、自分は当初、このプリズムライブにもあまり良い印象を持てていなかった。  

というのも、本作序盤のプリズムライブは 

・「歌をブツ切りにして突如始まる」ことが多い 

・プリズムジャンプのBGM程度の扱い (プリズムライブそのものが目玉になる訳ではない)  

・……にも関わらず、作中ではこのプリズムライブそのものがプリズムショーにおける革命として人気を博する 

というもの。これらの演出に対する違和感 (=作品との乖離) は、第20話『心重ねてときめきセッション!』における「3人でのプリズムライブがセッションではなくメドレー」「プリズムショー協会が (その仕組みも正体も分からない) プリズムライブを採点対象にするという発表」でますます深刻になってしまい、このままプリズムライブが好きになれなかったらこの作品を楽しめないんじゃないか、と不安が高まる一方だった。……第26話『虹を呼ぶハッピーレイン』を見るまでは。

 

 

2クール目の大きなトピックとして描かれていくのが、エーデルローズSチーム=おとはとわかなの成長劇。特に、エーデルローズを追い出されたおとはが、いとたちとの交流を経て再びべるの元に帰還する第21話『2度目のオーディション』、あん、わかな、カヅキ3人の和解と「あの時果たせなかった約束を果たす」想いのバトンリレーが描かれた第22話『約束とスペシャルサンド』第23話『思い出運ぶプリズムの風』の3編は、高い完成度を誇るシナリオに「おとはとわかなが満を持してプリズムライブを披露」というカタルシスが加わり、作中でも屈指の盛り上がりを作り出していた。 

……が、2人がプリズムライブを習得し、プリズムストーンと絆を育んでいく傍らで一人孤独を深めていったのがべる。追い詰められた彼女に、本作は想像を絶する悲劇を叩き付けていく。

 

 

セシニの卵が冒頭から登場し、「とうとうべるもプリズムライブを習得するか」などと油断しきっていた第24話『ひとりぼっちの女王』。タイトルから嫌な予感こそしていたけれど、いざお出しされたのはそんな予感を捻り潰す「ライン越え」の展開=ディアクラウンで開催されたパーティーでプリズムライブの披露を求められるもセシ二が孵らず、結果「プリズムラーーイブ!!」と嘲笑の中で叫び続けるしかできない、べるの信じられないほど惨めで悲痛な姿だった。  

なる、あん、いと、おとは、わかながプリズムライブを習得し、3連続ジャンプが当たり前の世界になったことでスタァとしての優位性が失われたばかりか、おとは・わかながプリズムストーン組と和解したことで「孤高」から「孤独」に転落する――と、徹底的にぺるの居場所を奪った上でこの展開である。ハードな作風とは聴いていたけど、よもやこんなにも身の毛がよだつ地獄絵図が待っているとは予想さえしていなかったし、プリズムショーさえも奪われ、海外への留学を言い渡されたべるの絶望と次回のサブタイトル=『さよなら、べる』には身体が芯から震え上がってしまった。このアニメ、ひょっとして「女児向けアニメなので物理的な痛みは出せないけれど、それ以外ならどこまでやってもいいよね」と思ってない!?  

……ところが、そんな『さよなら、べる』こそが、本作がその真価を魅せていくターニングポイントでもあった。

 

Rosette Nebula

Rosette Nebula

  

(いつも「誰かに愛されたい」と思っていた。でも、こんなすぐ側に愛があったのね。おととわかなの愛の香りが、優しい風に乗って、私の心に心地好くそよいでいる……! 2人のおかげで、私は愛を感じられるようになった。愛に飢えた子どものべるに……さようなら。ありがとう、おと、わかな。私も、貴女たちを愛してる!)

「べるさん!」
「いぃっけぇーーっ!」
「プリズムっ……! ラーーイブッ!!」

-「プリティーリズム・レインボーライブ」 第25話『さよなら、べる』より

 

なるとヒロ、そしておとは・わかなの尽力でようやく呪いから解き放たれたべる。本当の絆を得たことで「ベルローズ」として新生する3人。満を持して披露されるトリオ曲『Rosette Nebula』……。これら一つ一つでもお祭り騒ぎだったのに、それらの積み重ねを爆発させたのが「べるのプリズムライブで引く」という、あまりにも美しい第25話のアウトロ!  

この引き、そして続く第26話でべるが見せてくれた4連続ジャンプの美しさは、第13話が自分の中にあった「プリズムジャンプへの苦手意識」を消してくれたように、2クールかけて積もり積もった「プリズムライブ描写への不満」を吹き飛ばして余りあるもの。プリズムライブの根本的な問題点が変わった訳ではなかったけれど、それでも「プリズムライブがこれだけのカタルシスを作り出してくれるなら、俺はこの作品を信じるぞ」と、第24・25話にはそう思わせてくれるだけの力が満ちていたし、この時は、プリズムライブの「本領発揮」がすぐ側まで迫っていただなんて微塵も予想できていなかったのである。

 

 

『どしゃぶりHAPPY!』に見る、プリズムショーの「完成形」

 

べるのプリズムライブと4連続ジャンプで幕を開けた第26話『虹を呼ぶハッピーレイン』。前回から本話アバンまでの流れに感銘を受けてしまったため、どうしてもなるたち3人への期待よりも「彼女たちにベルローズの感動を越えられるのか」という不安が勝っていたし、その不安はいとがようやくコウジと結ばれても消えることがなかった。  

(鈍すぎるせいか何かを見落としていたのか、自分は「コウジもいとのことが好きだった」と全く気付けなくて、そのせいでコウジの告白~キスの一連で感動よりも驚愕が勝ってしまい、更に「なぜか2人を見守っているヒロ」という面白爆弾が投下されたせいでそれどころではなくなってしまった。悔しい……!)

 

しかし、いとの帰還で3人が揃った控え室にて、そんな不安は少しずつ切り払われていくことになる。

 

「No rain, No rainbow」
「「「?」」」
「僕が今回作った歌の詩に込めた想い……。雨が降らなければ虹は出ない。たとえ辛いことがあっても、その後には良いことが待ってる、って」
「それじゃあ “ハッピーレイン” はどう? 幸せを雨が運んできてくれる、そう思える名前!」
「いいね、それめちゃウマ!」
「ハッピーレイン、ハピなる!」

-「プリティーリズム・レインボーライブ」 第26話『虹を呼ぶハッピーレイン』より

 

理不尽で過酷な出来事ばかりでも、その先には必ず希望が待っている。辛い出来事を否定せずに正面から受け止め、むしろ明日への糧に変えていく――。その姿勢はまさに『レインボーライブ』を体現するものであったし、生きていく上で避けられない悲劇と折り合いをつけていくためのよすがになるもの。そんな本作の想いが目一杯に詰め込まれた歌こそが、ハッピーレインのデビュー曲にして問題の歌=『どしゃぶりHAPPY!』だ。

 

どしゃぶりHAPPY!

どしゃぶりHAPPY!

 

3人の美しいデュエット、ポジティブな可愛らしさが際立たせるドラマチックなメロディ、そして「間違いをして仲直り 泣いてから笑おうよ」「大好きなんだ 迷いながら 進む君だから」等、これまでの『レインボーライブ』は勿論「迷い、間違い、挫けても、それでも生きていくしかない」私たちを祝福してくれるかのような優しく力強い歌詞……。魅力を挙げたらキリがない『どしゃぶりHAPPY!』だけれど、敢えて自分の涙腺が粉々になった一番の要因を挙げるなら、これらの魅力をパッケージングし、最大火力で爆発させた「プリズムショーとしての美しさ」だろう。 

ポイントは、これまでと異なる『どしゃぶりHAPPY!』のステージ構成。自分はこれまでプリズムライブの問題点として「歌をぶつ切りにして始まる」「プリズムジャンプのBGM程度の扱いに留まっている」ということを挙げたけれど、この『どしゃぶりHAPPY!』の構成はまさにそれらとは一線を画するものだった。 

①歌 (Aパート) とダンスのステージ 

②Aパートのサビと重ねてプリズムライブ発動 

③コーデチェンジをスイッチに (ドヤ顔カットが音ハメになっている) 間奏へ移行 

④プリズムライブによる間奏 

⑤歌 (Cパート) をバックにプリズムジャンプの大技 

お分かり頂けただろうか。①~③はこれまでのプリズムライブでも多かれ少なかれ見られたものだけれど、問題は④の「プリズムライブによる間奏」。 

これまでは、少しだけ演奏してすぐにプリズムジャンプに移ってしまうため「場繋ぎ」あるいは「プリズムジャンプのBGM」程度の扱いに留まっていたプリズムライブだけれど、この『どしゃぶりHAPPY!』ではAパート後の間奏がそのままそっくりプリズムライブに充てられている。鮮やかに滑り、入れ替わり立ち代わりに「背中合わせ」カットを披露、満面の笑みを浮かべながら (第20話とは異なり、正真正銘の) セッションを繰り広げる3人の姿は、まさにプリズムショー独自の魅力とライブパフォーマンスの合わせ技=文字通りの「プリズムライブ」と呼べるもの。また、そんな間奏パートが限界までボルテージを高める「溜め」としても機能することで、Cパートの「なるのカットイン」→「3人同時ジャンプ」→「最大規模のプリズムジャンプ演出」という一連のカタルシスも数段、もとい数倍増しになっているのも見逃せないポイントだ。

 

 

こうして、プリズムライブが独自の存在感を発揮し、ステージパートとジャンプパートを繋ぐ架け橋としても機能するようになった結果、大きく変わってくるのが「プリズムショー」そのものの見え方。 

というのも、これまでのプリズムショーはステージとジャンプがそれぞれバラバラになっており、プリズムライブはそもそもしっかりとした存在感・個性を持てていなかった。ところが、この『どしゃぶりHAPPY!』の場合はステージ、ライブ、ジャンプがシームレスに接続されており、ぶつ切りではない「右肩上がりの流れ」を作り上げていた。つまり、第26話にして遂に「ステージ、ライブ、ジャンプから成るパフォーマンス」というパッケージ=プリズムショーが完成したのがこの『どしゃぶりHAPPY!』であり、自分がこのショーに泣かされてしまったのは、その美しい完成度と圧倒的な爆発力――に加えて、このショーを形にしたなる、あん、いと3人の絆と成長に胸を打たれてしまうからなのだろうと思う。信じて良かった、レインボーライブ……!!

 

 

驚天動地のシャッフルデュオ -「森園フタバ事変」という狼煙

 

第26話で遂に示された「プリズムショーの完成形」。このスタイルは (ありがたいことに) 以降のエピソードでも踏襲されていき、第29話『私はべる! 店長にな~る♪』ではなんと同スタイルでの『Rosette Nebula』が爆誕。エピソードそのものの魅力も相まって凄まじい盛り上がりを見せてくれた。

 

 

一方、ハッピーレインとベルローズが和解したことで物語は徐々に「VS天羽ジュネ」の様相を呈していき、第32話『愛に羽ばたく女神』では満を持してジュネがプリズムライブと5連続ジャンプを解禁。5連続ジャンプは言わずもがな、「オーケストラの指揮者」というモチーフが格の違いを見せ付けたプリズムライブはまさに圧巻の一言だった。 

しかし、この3クール目においてジュネ参戦以上の目玉トピックになっていたのは、何といってもハッピーレインとベルローズによるシャッフルデュオだろう。

 

CRAZY GONNA CRAZY

CRAZY GONNA CRAZY

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「ライバルチーム同士のシャッフルデュオ」だなんて、この手の作品では作中に数回あれば十分にお釣りが来るし、どんな内容でも美味しいボーナスステージのようなもの。が、レインボーライブのデュオ回はそんな妥協を許さない熱意……いや、熱意どころか、一周回って何か異様な「執念」に満ちていた。

 

 

ます面食らったのは、第35話『シャッフルデュオでダメだこりゃ!』の内容。この回は言ってしまえば「なる&べる」「あん&わかな」「いと&おとは」がペアを組む……というだけの話なのだけれど、驚くべきは 

・一度各ペアを組ませるも「合わない」となって解散 

・なる、あん、いと、べる、わかな、おとはの全ペアが披露される 

・その上で初期ペアに回帰する 

という3ステップの構成。一度は合わない、という過程を挟むのは「普段から一緒にいる訳じゃない」者同士がパートナーに至るまでのステップとして非常にリアルで、こういった一つ一つの作劇で “納得” を積み重ねてくれるからこそ、レインボーライブのドラマは響くんだよな……としみじみしつつ、それはそれとして「ライブシーンのノルマを削ってまで全ペアを見せる」という製作陣の執念には「本気!?」と目を疑ってしまった。  

しかし、なるとおとは、あんとべる、いととわかなを組ませることで「このペアも相性良さそうだよね」という視聴者の思考にしっかり先手を打ちつつ、あんからわかなへの想いを軸に「でも、貴女と組みたい」という個々の想いに回帰させる流れの美しさには本当に溜め息が出てしまう。誰かに決められた道ではなく、自分の道は自分で決める (支配からの脱却) というテーマもしっかり反映した、単なるペア決め回に留まらない傑作回と言えるだろう。 

……して、このように磐石なスタートを切ったからこそ、ここから始まる「デュオ回」の盛り上がりは想像を絶する凄まじいものだった。

 

 

普通なら「息抜き回」に充てられそうなお泊まり回だけれど、各家庭が並々ならぬ闇を抱えた『レインボーライブ』においてはむしろそれこそが本番。あんがわかなの、おとはがいとの、なるがべるの、それぞれの事情を知った上でその支え=パートナーへと至る展開は、わかなに「貴女にも見落としているものはある」と気付かされたあん、いとに「言いたいことを言える」ようにして貰ったおとは、べるに憧れて自分の道を見付けたなる、それぞれの「恩返し」のように思えてそれだけで涙が零れそうになってしまうし、その過程=各エピソードの内容も作中屈指の傑作揃い。 

いととコウジを縛る因縁の正体が明かされる第37話『哀しみのラッキースター』、べると母親の和解の裏で、しれっとなるの背負った壮絶な過去が明かされる第38話『聖夜にハッピーベルがなる (タイトルが天才すぎる……!!) 』、そして、あん&わかなの集大成とも言える第36話『お泊まり会で2人はめちゃウマ!?』。

 

 

あんに信頼を寄せるものの素直に振る舞えないわかなと、そんなわかなに直球ストレートで友情をぶつけるあん。そして、そんな2人を支え続けるも女心は全く分からないカヅキ……。魅力的な関係性の宝庫である本作の中でも、自分は特にこの幸せトライアングラーが大好きで、だからこそわかなに迫る不穏な影が気がかりでしょうがなかった。『レインボーライブ』の作風であれば、ここでわかなが本当に (あったとしても一時的だろうけれど) 離脱してしまう可能性が否定できなかったからだ。  

そんな予感を裏付けるように、あんに「あくまで、わかな自身の選択を後押しすること」を説くカヅキ。このお別れムードまっしぐらで披露されるデュオ曲『cherry-picking days』が2人のマイソングよりもずっと「泣きメロ」に寄った+あん&わかなの物語を締め括るに相応しい歌詞だったこともあって、自分は「このままじゃわかなが本当に離脱する……!」と顔面真っ青、森園母子が「ごめんなさい」「思い残すことはないよ」と抱き合ったことでいよいよ焦りが諦めに変わり、涙腺が決壊して――直後、その涙が猛スピードで引っ込んだ。

 

「……おい、正」

「ん?」

「いい加減にしろよッ!!」

「「「!?」」」

「……えっ!?」

「貴方には、あんなに輝いてるわかなが見えないんですか!? 親が子どもの輝きを消すなんて、絶対に許されません! いつまでも自分に都合良く、わかなを犠牲にしないでください!」

「お母さん……」

「身の回りのことができないからって、今まで家族のことを世界中引っ張り回して……! もう貴方の稼ぎなんかアテにしません、私も明日から働きます! これからは、自分のことは自分でやる……! わかったか、にゃ!?」

「はいぃ……」

「わかな、お父さん一人でシンガポールに行くって」

「ああ、いや……」

「わかな、明日から貴女も自分のことは自分でやりなさい。正は荷物と一緒にシンガポールに送ってあげるにゃ」

-「プリティーリズム・レインボーライブ」 第36話『お泊まり会で2人はめちゃウマ!?』より

 

わかなの猫かぶりは、引っ越しを繰り返す中で身に付いてしまった彼女なりの処世術だと思っていたので、それが半分正解で、もう半分が「血筋」だというのは全くの予想外。けれど、ここに来てフタバが「ポニーテール+目付きが凶悪+ヤンキー+柄の悪すぎる “にゃ” +わかなに話しかける時はにこやか」という盛り盛り属性で自分のストライクゾーンを燃やし尽くしてくるのはそれを遥かに上回る超絶ド予想外だった。いやこんなん予想できるハズないって!!  

(後々、こちらの方が “素” だと判明した時もそれはそれで変な声が出た。最高!!!!!!)

 

しかし、このシーンが痛快だった理由は何もそれだけじゃない。 

この時点での『レインボーライブ』には「世の中には、個人の努力ではどうにもならない理不尽がある」という、ある種の諦観・割り切りのようなものが感じられていた。その事は本作のリアリティに大きく寄与していたように思うけれど、一方ではそれが鬱屈とした息苦しさとなって作品全体を覆っていたのもまた事実。……だからこそ、そんな「個人の努力ではどうにもならない理不尽」を吹き飛ばしたフタバの平手打ちが、そのフタバを動かしたものが「わかなとあんたちの “繋がり” 」だったことが、さながら「ここからは、そんな理不尽に全力で抗っていくフェーズだ」という反撃の狼煙に思えて、それこそがこの一連をたまらなく痛快にしている一番の理由だったように思う。

 

 

『cherry-picking days』『ALIVE』『Little Wing & Beautiful Pride』

 

あんとわかなにとっては勿論、作品そのものにとっても大きなターニングポイントとなった第36話。その力の入り様は続く第37話と第38話においても同様だったのだけれど、これら3篇を語る上で欠かせないのが3つのデュオ曲だ。

 

cherry-picking days

cherry-picking days

  • 福原あん/森園わかな(CV.芹澤 優・内田真礼)
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それぞれが圧倒的な盛り上がりを見せてくれた各デュオ回だけれど、その「盛り上がり」を一層凄まじいものに昇華させていたのが各デュオ曲とその演出。あん&わかなの『cherry-picking days』については前述の通りだけれど、残る2曲も同等かそれ以上の魅力を秘めた「規格外の代物」だった。

 

ALIVE -TV mix ver.-

ALIVE -TV mix ver.-

 

いと&おとはのデュオ曲『ALIVE』。2人の相異なる儚さが聴いているだけで涙腺に来る……というのは勿論、特筆すべきはその歌詞とそこに至るまでの物語だろう。  

「夢見ることで 弱くならないように 宝物を見付け 磨いたのはあなた」「ここに辿り着くまでの時間は 巻き戻りはしない」「どんなに憎み 欠けて 失くしても 負けないでいて」といった歌詞は、紛れもなくおとはからいとに贈られたメッセージ。この歌詞を聴く度に、いとへの想いを夜通し編み上げたおとはの健気さと、その姿を見て気力を取り戻すいとの逞しさに胸を打たれて涙してしまうファンは自分だけではないだろう。 

また、この『ALIVE』は作中での「アウトロ」演出も印象的。というのも、第37話では『ALIVE』のアウトロを背に「いとがコウジの下を去る」姿が描かれ、第41話『星がつなぐ絆』では、転じて「コウジから弦への “ありがとう” 」「その笑顔に丈幸が重なる」様が描かれた。ただでさえ胸に来る両シーンだけれど、双方が同じ『ALIVE』のアウトロに彩られることで「一度は届かなかったおとはの手が、今度こそ涼野家と神浜家を繋いだ」ようにも見え、そのことが一層強く胸を揺さぶる――というのは、きっとこちらの気のせいでも深読みでもないように思うのだ。

 

Little Wing and Beautiful Pride

Little Wing and Beautiful Pride

 

「泣き曲」として常軌を逸するパワーを秘めていた他2曲から一転、泣きは泣きでも「熱さ」で泣かせてくるのが、なるとべるのデュオ曲である『Little Wing & Beautiful Pride』! 

この曲の最大の特徴と言えば、やはり2人のマイソング=『ハート♡イロ♡トリドリ~ム』と『Get music!』が溶け合ったかのようなそのメロディ。『cherry-picking days』以上にこの要素が色濃く打ち出されているのは、おそらく「異なる個性が合わさることで見たことのない輝きを生む」というなる&べるペアのアイデンティティーを歌に込めた所以なのだろうけれど、そのことを確信させてくれるのがプリズムショー時の「台詞」演出。

 

「なるさん!」
「べるさん!」
「全然違う私たちだから……!」
「ハートを重ねて、まだ見たことがない輝きを作ることができる!」

-「プリティーリズム・レインボーライブ」 第38話『聖夜にハッピーべるがなる』より

 

これまでも『どしゃぶりHAPPY!』などで希に用いられていた「プリズムジャンプ時に固定の台詞が挿入される」演出、この『Little Wing & Beautiful Pride』はとりわけその「合わせ方」が美しく、第38話・第42話の両方で用いられれていることもあり、もはや「台詞を含めて一つの歌になっている」ようでさえある。 

元々、歌の最中に台詞やモノローグが入る演出は本作の十八番。歌が挿入歌のように働くことで絶大な火力を生み出していた (個人的な推しは第36話『お泊まり会で2人はめちゃウマ!?』でのモノローグ) けれど、「固定の台詞が用意されており、歌の一部と化している」というのはまさにその進化形、ミュージカルの領域だ。この台詞に至る2人の物語も相まって、前2曲とは異なるベクトルで感涙必至の一曲と言えるだろう。

 

 

押しも押されぬ個性を持ち、どれもが「至高の名曲」である3つのデュオ曲。しかし、これら3曲が真の力を発揮するのはウィンターホワイトセッション本番。第40~42話において、この3曲のプリズムショーは前述の「どしゃぶりHAPPY!式」で行われるのである。  

①歌 (Aパート) とダンスのステージ 

②Aパートのサビと重ねてプリズムライブ発動 

③コーデチェンジをスイッチに (ドヤ顔カットが音ハメになっている) 間奏へ移行 

④プリズムライブによる間奏 

⑤歌 (Cパート) をバックにプリズムジャンプの大技 

という構成によって、相異なるパフォーマンスであるステージとプリズムライブ、プリズムジャンプが「プリズムショー」としてパッケージングされ、凄まじい最大火力を叩き出す『どしゃぶりHAPPY!』式のプリズムショー。 

ただでさえ超火力のデュオ曲にこのスタイルの組み合わせはまさしく鬼に金棒で、各ペアのセッションや同時ジャンプ一つ一つに号泣してしまうのは勿論、あん&わかなとべる&なるに至っては「にゃ!」「めちゃウマ!」「ハピなる♪」という各々の決め台詞を2人で言うというオマケ付き。最終戦で用いられたのが各キャラクターのマイソングだった (これもこれでアツい展開。おとはの「メ"ル"ヒ"ェ"ン"!!」は何度聴き返したか分からない……!) ことを踏まえると、この第40~42話のデュオ曲こそが、本作におけるプリズムショーの「最終到達点」と呼べるものなのかもしれない。


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「繋がり」のバタフライエフェクト

 

プリズムライブやプリズムショーが進化を遂げていく3クール目以降は、来る最終回に向けて物語がクライマックスへと動き出す時期でもある。その中では、当然これまで積み重ねてきた「敵」との決着が描かれていくことになるのだけれど、本作における「敵」とは何なのだろう。 

森園正は、森園フタバに愛される自分で在り続ける為、自宅でも「真面目キャラ」を守り通した結果、家庭を省みない父親として歪んでしまった男だった。

べるを縛り付けていた母親=蓮城寺律の暴走は、夫である行秀が長らく家を不在にしていることがその大きな原因だった。 

2人の行為は紛れもない「悪行」だったけれど、蓋を開けてみれば、彼ら彼女らもまた何かに縛られ、呪われてしまった存在であった。このことを踏まえるなら、『レインボーライブ』における「敵」とは、個人やその罪以上にもっと大きなもの=運命や因果のような、人間を縛り歪ませる「目に見えない呪い」だったように思う。このことは、とりわけラッキースターの悲劇に色濃く表れていたと言えるだろう。

 

 

そして、本作でそんな運命・因果に立ち向かう術として示されたのが「人と人との繋がり」。 

一つ一つは小さい想いが、繋がり、結び付き、やがて大きなものを覆す力になる。本作の第4クールOP『Butterfly Effect』の歌詞はまさにそのことを歌っていたし、あんやカヅキの想いがバトンリレーのように繋がり、やがてフタバを動かしたのも、いとたちがおとはを救ったことが、巡り巡っていとを救い、弦を動かし、北川プロデューサーを動かし、神浜家との和解に繋がったことも、いずれもまさに「繋がりのバタフライエフェクト」と呼べるもの。その到達点の一つが第45話『薔薇の革命』におけるヒロであり、誰よりもがんじからめの状況で、誰よりも歪みきってしまった彼が「勇者」として返り咲き、真のマイソングとなった『pride』でペアとも無しの4連続ジャンプを跳んでみせる姿には、まさに「運命をひっくり返す」煌めきが満ちていたように思う。  

(ステージ前の「作詞作曲はー!?」「「「コウジー!!」」」「そういうこと」が第18話『俺はヒロ!絶対アイドル☆愛・N・G』のリフレインになっていると気付いた瞬間には思わず息を呑んでしまった。その身で「どしゃぶりを越えた先にある虹」を体現してみせたヒロは、名実ともに本作の「もう一人の主人公」と言えるだろう)

 

Butterfly Effect

Butterfly Effect

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このような繋がりの力、あるいは「善意の連鎖」が呪いや因縁を断ち切っていく様は、ファンタジー然とした面もある本作だからこそ殊更に輝き、胸を揺さぶる「リアル」な物語。しかし、それはリアルであるが故に「全てを覆すことはできない」ものでもあった。

 

 

実質的な最終回と言える第50話『煌めきはあなたのそばに』において、プリズムの煌めきを復活させることに成功したなる。本作の看板とも言える『ハート♡イロ♡トリドリ~ム』がこの最終局面を彩ることや、「競技としてのクイーンはべるだけれど、本当の勝者はなる」という粋な落としどころで既に拍手喝采だったけれど、本話のクライマックスはその後。プリズムワールドへの道を開く為の「7人によるプリズムライブ」において、最後の一人にジュネが名乗り出た瞬間「ジュネのプリズムライブが “オーケストラの指揮者” 」であることを思い出して思わず声が漏れてしまった。俺、やっぱりプリズムライブのこと大好きだよ……!!  

(ここで満を持して『レインボーライブ』が回収されるアツさは勿論、「プリズムライブ」の進化に魅せられてきたファンとしては、ここでショーでなく「ライブ」なことが感慨深くてたまらなかった)

 

しかし、そんな7人のプリズムライブによって訪れるのは「りんねとの別れ」という悲劇。 

幾度となく運命を覆してきたなるたちにも、この別れを覆すことはできない――というのは、とても残酷な反面「納得感」や「誠実さ」を感じるものでもあった。どれだけ頑張っても、どうにもならないことはある、理不尽なこともある。「何もかもが全て上手くいくことはあり得ない」というのが、私たちの生きる現実世界における絶対的な真理だからだ。  

非情な現実に打ちひしがれるなる。そんな彼女に対し、りんねは慰めるでもなく、共に泣くのでもなく、ただ一つの歌を残した。

 

gift

gift

 

「胸に手を当ててみて 何にもないなんて間違い」「感じるでしょ 確かなリズム 鼓動」 

あなたの一歩は、何か大きなものを変えていくことができるかもしれない。運命だって覆せるかもしれない。……しかし、もし「何も変えられなかった」ように見えても、その一歩は決して無駄じゃない、そこには必ず意味がある。 

りんねがいなくなっても、彼女の来訪で始まったこの1年間がなるたちの人生を大きく変えたように。記憶が無くなっても、りんねの中に「ハピなる」の言葉と想いが残されたように。  

「この一歩には意味がある」「きっと、明日は今日よりも良い日になる」「雨の向こうには必ず虹が架かっている」……非情な現実を照らすその希望こそが、りんねが『レインボーライブ』の世界に、私たち視聴者に、そして、明日虹が訪れるかもしれない子どもたちの元に残してくれた「贈り物」だったのではないだろうか。

 

 

余談 - プリズムの煌めきをもう一度

 

『レインボーライブ』最終回を見届けたのは2024年3月6日。その3日後=3月9日、自分はウッキウキの気分で有楽町マルイを訪れていた。そう、事の始まりとなったプリティーリズム・レインボーライブ10周年展』である。

 

 

最初に「10周年展までになんとか見て貰えないか」と声をかけて貰った時は「そんなに楽しめないかも」「1ヶ月で見るなんて無理だ」と不安一杯で「頑張ります」としか返せなかったのにこれ↑である。掌返しが過ぎるだろうと思わなくもないけれど、それもこれも『レインボーライブ』という作品にどこまでも魅せられてしまったからこそだ。

 

 

しかし、ありがたいことに『レインボーライブ』の世界はここで終わりじゃない。最終回を見終えてからというもの、脳裏から離れないのだ。かつて受け止めきれなかったあの作品=『KING OF PRISM』が笑顔で手招きしている姿が。

 

 

ヒロ、コウジ、カヅキは勿論、カヅキ役・増田俊樹氏と縁の深い畠中祐氏や涼野ユウまでもが本格参戦し、カヅキがはっちゃけ、コウジがもっとはっちゃけ、現時点で大好きな『pride』がもっと好きになれるのだという『KING OF PRISM』。  

なるが蘇らせたプリズムの煌めきが、そしてりんねが残してくれたギフトがどんな世界を切り拓いてくれるのか、彼らの未来を (かつてのリベンジという意味合いも込めて) 今度こそこの目にしかと焼き付けていきたい。

“クウガ” の聖地『珈琲ハウス るぽ』に4時間半並んだ話

ブログを読む時は、部屋を明るくして 画面に近づきすぎないよう 注意して下さい

 

\ファーーーーーーーーーー……………… (例のSE)

 

東京都 某区 中央線内
07:06 a.m. (くらい)

 

『珈琲るぽ 閉店』 

そう書かれたX (旧Twitter) の投稿を見た時は正直ピンと来なかったけれど、添付画像を見るや否や思わず変な声が漏れてしまった。 

「 “ポレポレ”、閉まるの……!?」 

そう、東京都清瀬市で営業中の喫茶店『珈琲ハウス るぽ』とは、2000年放送の特撮ドラマ『仮面ライダークウガ』において、雄介たちの憩いの場である『喫茶 ポレポレ』のロケ地となった喫茶店。つまり、平成初頭生まれで『クウガ』に人生を作って貰ったオタクにとっては聖地中の聖地なのである。 

そんな聖地が閉店するとなれば、当然「行く」以外の選択肢など有り得ないッ! そう息巻いて人生初の自発的な聖地巡礼を誓ったこの時の自分は、しかし何一つとして理解できていなかった。『クウガ』という作品の人気の程も、その聖地が東京にあることの恐ろしさも。そして、聖地巡礼というものに必要な「覚悟」の程も……!


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《目次》

 

仮面ライダークウガ!

仮面ライダークウガ!

 

経緯

 

件の店=『珈琲ハウス るぽ』とは、東京都の中でも埼玉県に近いエリア、清瀬市の中清戸にある喫茶店。この店の最大の特徴と言えば、清瀬市在住の友人も「見た目がオシャレだから知ってた」と言う程のその外観だ。 

あまりにオシャレなためか『クウガ』以外の作品でもロケ地として重宝されており、店も賑わっていた事から「高齢による店主の引退が閉店の理由では」と噂されている『るぽ』さん。となると、集まるのは『クウガ』のファンだけとは限らない。さて、一体いつ行ったものか……とプランを決めあぐねていると、嬉しさ半分・「いかん!!!!!」半分の事態が起きてしまった。

 

 

 

クウガ』スタッフ・キャストの方々が次々にこのことに言及、そして訪問。「ポレポレ、愛されていたんだなぁ……」としみじみしてしまったし、今でも『クウガ』を大切にしてくださっている方々に頭を下げながら、それはそれとして「いかん!!!!!」と顔が真っ青になった。これ、これ混雑待ったなしだって!!

 

 

雨の平日午後1時でこの有り様。こうなるとやはり自分も平日に……と思ったのだけれど、予定が合わずに泣く泣く断念。検討の結果、最速で行けるチャンスは3/16 (土) 早朝となり、当日は出勤日よりも早い時間で起床。スカスカのバスと電車を乗り継ぎ、現地=東京都清瀬市中清戸へと降り立った。

 

 

到着

 

東京都 清瀬市 中清戸
07:08 a.m.

 

乗り換えが上手くいき、予定よりも少し早く最寄りのバス停へ到着。どこもかしこも人気がなく、これは杞憂だったか……? と肩を撫で下ろしつつ歩くこと数分。人気のない住宅街を道路沿いに進んでいると、突如視界の中に人混みが現れた。

 

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ぽ、ポレポレだァ……!!!! 

本当ならここで脇目も振らず並ぶべきだったのだけれど、生粋のクウガ世代としてはどうしても撮らなければならない場所がある。


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そう、ポレポレといえばやはりこの裏側! 雄介が窓から入るシーンは勿論、駐車場としてもよく使われていた場所だ。来店者は皆並んでいるため、この辺りを撮っている人や従業員の方はおらず撮影し放題。早朝に来て良かった……!

 

 

東京都 清瀬市 中清戸
07:13 a.m.

 

して、一通り写真を撮って満足したところでいざ待機列へ。 

前に並んでいる人数はおおよそ3~40人ほど。そして開店時間は朝8時。この様子なら、もしかすると開店早々に入れてしまうかもな……と思い、気分を上げる為にU-NEXTを起動、第49話『雄介』など、ポレポレが印象的に登場する場面をつまみ食いしたり、お気に入りのエピソードとして第8話『射手』(第6話『青龍』と迷った結果) を観始めるも、このテンションで見る内容ではないな……と中断、開店時間になったこともあり、スマホを閉じて列の気配を伺い始めた。さてさて、一体いつ頃入れるかな、とある種の余裕さえ感じながら。

 

 

試練

 

東京都 清瀬市 中清戸
08:05 a.m.

 

開店と同時に列が進み始め、程なくしてストップ。その先も進む気配がないので、どうやら第一陣の入店が終わったらしい。 

入ったのは恐らく10人程度。「だいたい9時頃には入れそうかな」などという甘っちょろい目処を立てつつ、バッテリーが少ないスマホに代わって取り出したのはノートとペン。こういう時に記事のプロットや下書きを書くことで時間を潰せるのはブロガー (仮) の専売特許、仮面ライダークウガの聖地で『プリティーリズム・レインボーライブ』のことをノートに書き続ける異常成人男性と化しつつ、来る「その時」を待ち続けた。

 

 

東京都 清瀬市 中清戸
10:38 a.m.

 


書き終えてしまったが………………? 

待機すること3時間半。元々途中まで書き上がっていたとはいえ、まさか20,000字クラスの記事の下書きが完成するレベルの時間がかかるとは正直思っていなかった。見くびっていた。

 

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列の現在地はこちら。残る人数はおおよそ10人ほどであり、つまりこの3時間半で入店できたお客さんはおおよそ30人弱。数字だけ見ると多くはないけれど、この店はあくまで喫茶店。ラーメン屋や定食屋とは訳が違うし、東京郊外の喫茶店でこの回り方はむしろハイペースと言えるだろう。決して多くないであろう従業員の皆様の奮闘や、先に入られたお客さん方の退店マナーに感謝するのが第一なのだ。 

となると、残り10人の入店にどれほどかかるのは未知数。かといって、他の記事の下書きを書くには足腰も集中力も限界。この時の自分にできるのは、もう「ウォークマンに入れてある『クウガ』楽曲を無心で聴く」ことくらいだった。これを聴き終える頃には入店できていますように……!

 

 

東京都 清瀬市 中清戸
11:26 a.m.

 

クウガ』楽曲もとっくに聴き終え、全てが限界に達し、入口を写真に収めることしかできなくなっていた午前11時半、遂に「その時」が訪れた。

 

「1名様、ご案内しまーす」

 

シャアアアァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

颯爽たるシャア

颯爽たるシャア

  • provided courtesy of iTunes

 

待機することおよそ4時間半、コミックマーケット以上の長い長い待機を終えて、筆者、 入 店 (立木文彦) ……!!!!!!!


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実食

 

自分が案内されたのは2階席。残念ながらお馴染みのカウンター席は拝めなかったものの、喫茶るぽは1階~2階が吹き抜けになっている為、自分の席からも1階のテーブル席を見下ろすことができた。その光景も、空間の雰囲気もまさしくポレポレのそれで、なんだかとても感慨深くなってしまった。もっと早く来ていなかった自分を呪わずにはいられない。 

……と思いきや、有識者に頂いたコメントから「ポレポレの内部はるぽじゃない」ことが発覚。窓側の席や店内の雰囲気に「ポレポレ」を感じたのは完全なる思い込みだったようで、これはもう『クウガ』ファン失格――なだけでなく、「内部は内部で『ご注文はうさぎですか?』に登場するラビットハウスのモデル」ということにも気付けなかったので、クウガに加えて青山ブルーマウンテンのファンも失格である。各方面の方々、大変申し訳ございませんでしたッ……!!

 

 

東京都 清瀬市 中清戸
11:29 a.m.

 

状況が状況だけにあまり長居する訳にはいかなかったけれど、それはそれとして筆者の腹はこの4時間半で大いに減っていた。ポレポレと言えば、なカレーは残念ながらメニューになかったため、久しく食べていなかったオムライスのセットを注文。(このタイミングで注文するのは迷いもあったけれど、後悔したくなかったので) デザートにワッフルも頼み、ドリンクは勿論コーヒーだ。 

30分ほどの待機時間 (どれだけ店が混んでいたのかが察せられるだろうか) を経て、遂に運ばれてきたオムライスセット。一言で言うなら、デカかった。サラダが。

 

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当然ながら、その味わいは美味の一言。卵の焼き加減が絶妙で、比較的甘口に調整されたオムライスはコーヒーとの相性が抜群。もしかすると、「コーヒーに合う」ことを前提に調整を繰り返された逸品なのかもしれない。 

一方、注目してほしいのは右下のデカ・サラダ。見た目だけでもオムライスにひけを取らないサイズ感なのに、この皿、なんと底がかなり深い。付け合わせのギリギリを攻める「志」を感じて、腹を空かせきった成人男性としては感無量……! 

そして、やはり肝心なのはコーヒーだ。自分はコーヒーをしっかり嗜んだことがないので、この香りがオリエンタルと言えるのかどうかは分からなかった……けれど、明確に「凄い」と感じたのはその飲みやすさ。アメリカンだったからかもしれないけれど、一度も砂糖を入れずに飲みきれたのは、このコーヒーが生まれて初めてだった。 

香りと味わいは深みのあるコーヒーなのに、所謂「渋み」がなく、「苦み」も限りなく少ない。わざわざ砂糖で相殺する必要がないのだ。営業先で飲まされ続けたブラックコーヒーのトラウマにさようなら、はじめまして、美味しいブラックコーヒー……!! 

(半分はブラック、半分はミルクだけ入れて味変を楽しみつつ完飲。美味しかった……!)

 

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机にもポップが置かれており、店の看板メニューらしいワッフル。ヨーグルトやフルーツなど無数のバリエーションがある中で、自分はマロンキャラメルを選択。これがま~~~大正解で、栗が数個そのまま入った贅沢仕様に、品の良い甘さのキャラメルとクリームが相性抜群! 

特筆すべきはワッフルのもちもち具合で、どれくらいもちもちだったかと言うと「柔らかさと弾力のせいで、ナイフで切れない」ほど。やむを得ず「ナイフで押さえてフォークで切り離す」という食べ方をしてしまったけれど、ホントはもうちょっと綺麗に食べたかったところ。こんなに綺麗な見た目なんだもの……!

 

青空になる

青空になる

  • provided courtesy of iTunes

 

帰路

 

約1時間の滞在を経て退店すると、時刻は既に12時半。外は気持ち良いくらいの快晴で、こんな日にポレポレに来れて良かった~! と感動しきりだったけれど、帰路を進みながらゾッとしたのは「その時点での待機列」の長さ。自分が並んだ時は多くて40人ほどしかいなかったのに、この時の待機列はその10倍、あるいはそれ以上の凄まじい長さ。後ろの人、絶対今日中に入れないって……!! 

という訳で、もし『喫茶るぽ』に行きたい! という方がいらっしゃったなら、チャンスはおそらく「平日の日中」か「土・祝日の早朝」。自分のように凄まじい待機時間を強いられる可能性は大いにあるので、折り畳み式で周りの邪魔にならないサイズのイスや、飲み物・軽い食事、本のような時間を潰せるものを準備しておくと良いだろう。手洗いや防寒・花粉対策も必須項目だ。 

茶店にそこまで身構えていくのはおかしいと思われるかもしれないけれど、あのポレポレに入れる感動や、絶品の料理……特にコーヒーとワッフルの美味しさはそれだけの価値があるもの。閉店まであと僅かなこともありハードルは高いけれど、『クウガ』ファンは勿論、地元住まいで足を運べていなかった人なども、これを機に『るぽ』さんへ足を運んでみてはいかがだろうか。

こんな安心、感じたくなかった。-『進撃の巨人』第67話によせて

SNSでは憚られるので、ここで『進撃の巨人』第67話についてのやりきれない思いを思い切り書かせてほしい。

 

※以下、アニメ『進撃の巨人』第67話についてのネタバレが含まれます、ご注意ください※


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サシャが死んだ。

 

ガビを止めようとした兵士を撃ったのが彼女だと分かった時、正直嫌な予感はしていた。「いつかガビに報復として殺されてしまうかもしれない」と。そう、それは「いつか」だとばかり、思っていた。 

撃たれて、サシャが倒れた時は血の気が引いたけれど、それでも大丈夫だろうと思っていた。『ただいま』も、シガンシナ区奪還戦も、どんな窮地でも彼女は生き残ってくれた。ああ、多分彼女たち104期生はこの先も生き残ってくれるのかもしれないな、と油断しきっていたからだ。 

実際、サシャはすぐには死ななかった。死んでしまうならこんなに長引かせないだろう。ということはこのまま生還するだろう……と、どうにかこうにか希望を探そうとして、コニーがやってきた時に、その顔で全て察して頭が真っ白になった。 

でも、悔しいけれど、大人びた表情で市民を撃ち殺してしまう彼女の最期の言葉が「肉」だったのはせめてもの救いで、少しだけ安心してしまう自分もいた。彼女は、彼女のまま、このおぞましい世界で、自分を失ってしまう前に逝くことができたのだと、彼女は変わっていなかったのだと。……それが本当に安心なのか、そうでも思わないとやってられないのか、正直分からない。 

もし、サシャがSeason3以前、たとえば『ただいま』で巨人に食われていたらどうだったろう。自分はとても悔しくて、嘆いて、巨人を憎んだと思う。けれど、今になって思うのは「怒りは救いだ」ということ。憎むべき対象が、怒りを向けられる対象がいるならば、怒りをぶつけることがやりきれなさを解消する手段にもなるし、作品としても「報われる」時が来るだろう。 

けれど、ガビを憎むことができる訳がない。 

年端もいかない子どもであることは勿論、彼女にとっては、それこそサシャが「憎むべき相手」だ。親友たちを殺したエレン・イェーガーの仲間であり、自分を止めてくれた優しい兵士たちを目の前で殺した殺人者。マーレの大義だとかどうとかではない、彼女は文字通りの「被害者」であり、サシャは報いを受ける側になってしまっていた。そんな状況下、どうしてガビのことを憎めるだろう。

 

 

進撃の巨人』の登場人物の中でも、とりわけ好きなのがサシャだった。 

自分は個人的な性癖としてポニーテールが大好きで、まずファーストインプレッションで彼女が大好きになった……のだけれど、世の中ポニーテールのキャラなんてごまんといるし、なんならハンジさんだってポニーテールだし、他の「癖」までも併せ持つ驚異的なキャラクターだってわんさかいる。けれど、流石に「好きな属性をどれだけ持っているか」の足し算で誰かを好きになるほど自分も短絡的じゃない。そもそも、見た目だけで好きだったらこんな文章を書いている訳がない。 

だからといって、他の「好きな理由」を書き並べることに意味なんてないし、そういった感想を書く場所は他にある。ここに敢えて書き残しておきたいことがあるとすれば、それは彼女が時々見せる「悪い顔」について。彼女は食いしん坊で、欲張りで、食べ物の為なら一線を越えない程度で悪いこともするけれど、自分にとっては、そんな良くも悪くも「裏表のない」姿こそが大好きだった。

 

 

少し、自分語りをする。 

最近、ありがたいことに「コミュニケーション力がある」と言って頂ける機会が増えてきた。自分は「何かする度に人に迷惑をかけるなら、いっそ何もしなければいいんじゃないか」と壁を作った結果、当然のように友達が全くできず、ようやくできた居場所である演劇部に依存し、結果手痛いしっぺ返しを受けてしまった人間。その時の間違いを繰り返さないよう、友人たちとのコミュニケーションと「迷惑をかけないこと」を両立するよう頑張っているつもりなので、そう思って貰えるのは努力の甲斐があるというもの。素直に嬉しいことだ。 

けれど、その「頑張り」の中でも、どうにもならないことがあった。人の気持ちが分からないのだ。 

自分が信頼していた相手に、知らず迷惑をかけていたのか突如絶縁されたことは一度や二度じゃないし、人間不信とまでは言わないまでも、人の裏表には人並み以上に敏感、もとい臆病になっているところがある。(人の感情に敏感になれていたら苦労しない) 

だから……というこの繋ぎはとても良くないというか、不義理というか、失礼極まりないと思うのだけれど、サシャがそういう「悪いこと」をしていると、不思議とホッとしてしまう自分がいた。 

人間だもの、当然悪いことも考えるし裏もある。むしろ、そういった面が描かれるからこそリアルな人間性を感じることができる。けれど、彼女がしでかす「悪いこと」とは、常に食い意地が張っているだけ以上でも以下でもなく、それは普段の彼女と何も変わらない。だから、サシャがそんな悪い顔を見せれば見せるほど「彼女は本っ当に裏表がなく、見たままの良い子なんだ」と思えて、自分はそんな姿にむしろ癒されていたのだ。 

(念を押しておくと「だから普段悪いことをしないエレンたちは信用ならない」とかそういう話では断じてない。「欠点が印象的に描かれており、それが人間味や実在感に繋がっている」というのは、エレンたち本作のメインキャラクターに共通する大きな魅力だ

 

お前はサシャに救いを求めてるだけだろう、と言われればその通りかもしれないけれど。とにもかくにも、自分はそんな「ホッとする」ようなやんちゃな一面があり、素直で純朴で、同時に怖がりでもあって、だからこそ、その野性味溢れる幸せそうな食事風景にこちらまで嬉しくなって、どこかかつて飼っていたシマリスにも似ていて、それでいて、大切なものの為には向こう見ずに突っ走る勇気を持ったサシャが大好きで、画面に映るといつも頬が緩んでしまったし、ただ見ているだけで本当に楽しくて嬉しかった。それが『進撃の巨人』の作劇・作風がもたらすある種の吊り橋効果だったとしても、それでも、彼女が大好きなのは紛れもない事実だった。

 

 

理由はともあれ、「サシャを見ていると安心する」というのは、自分のような視聴者だけではなく、エレンたちも抱いていた感情だったのでは、とも思う。 

時間が経ち、戦いが激化し、勿論サシャも兵団の一員として心身共に成長していったけれど、それでも彼女が「食べ物大好きな芋女」であることは変わらなかった。皆が何かを捨て、変わらざるを得ない状況下において、彼女の「変わらなさ」が大きな救いだったことは想像に難くないし、それは彼女と長い付き合いで、かつ故郷を失ったコニーにとっては尚更だったろう。コニーが彼女を気にかけていたのはそういう想いもあるのだろうし、もし彼にとってサシャが心の拠り所であり、サシャにとっても彼が大切な存在であったのなら、そういう想いからコニーと手を重ね合っていたのだとしたら、彼の心中は察するに余りある。 

でも、そんなサシャだからこそ、ここで死んでしまった。The Final Season序盤でマーレ軍エルディア人たちへの愛着を育てさせた上で「どちらにも感情移入させるけれど、どちらも許せない」状況を作るためのトドメとして。こんなことを思いたくはないのだけれど、それほどまでに重い死をもたらすにあたって、サシャはまさに「格好の標的」だったのだ。

 

 

サシャの最期の一言は「肉」だった。それは、自分の好きなサシャが「取り返しの付かないことこそすれ、別物に成り果てた訳ではない」という安心にもなった……というのは述べた通り。だからこそ、自分はかつての面影を失った今のエレンとミカサを見ていられない。  

彼らはきっと、これからも心を磨り減らす戦いを強いられていく。全てが終わった時、彼らは彼らのままでいられるのだろうか。エレンがもし、顔だけでなく心まで動かさずに人を殺せるようになってしまったら、それは果たして「エレン・イェーガー」なのだろうか。そんな時が訪れてしまったら、ミカサは彼の姿に何を想うのだろう。 

以前、『進撃の巨人』を見る前に、この作品を「地獄のような話だと聞いている」と言った時、「地獄」という表現に疑問符を返されたことがある。当時の自分はその意味を理解できなかったけれど、今なら少し分かる気がする。 

エレンたちが味わっている苦痛は、こちらの想像を絶するもの。そして、この作品はそんな彼らの味わう苦痛を「他人事」と割り切れるものではない。だからこそ、冗談でもこの物語を「地獄」と表すことはできないし、表したくない。それがフィクションの物語であり、自分がその視聴者という立場だったとしても、創作を創作だからとを割り切れないのが幼稚さの所以なのだとしても、所詮気休めでしかないのだとしても、そんな想いでこの作品に向き合うことが、サシャという人物に対するせめてもの礼儀になるのだと、そう思いたい。

 

……本当に、本当にありがとうございました、大好きでした、そしてお疲れ様でした。どうか、コニーたちがあなたの遺志を繋いでくれますように。

感想『進撃の巨人 Season 1~3』- 心臓を捧げよ! 予想を裏切り、期待を越える “選択” と “代償” のヒストリア

言わずと知れた大人気作品『進撃の巨人』に触れないオタク人生を過ごしてきた。理由は簡単、巨人たちのビジュアルやクセの強い画風を見て、なんとなく「自分には合わないだろう」と思っていたからだ。 

今振り返ると、そんな自分の先入観と偏見に「馬鹿だなぁ」と思ってしまう反面、そうしてこの作品を遠ざけていたおかげで「ほぼ間を置かずに、事前知識もなく『進撃の巨人』マラソンができている」と思うとほんの少しだけ感謝もある。こんな作品を1週間、1ヶ月、半年に数年と待たされようものなら、自分のような脆弱なオタクは気が狂ってしまったに違いない。 

……なので、本来ならこうして自分の感想を記事に留める時間さえ惜しいのだけれど、『進撃の巨人 Season3』終盤で明かされた真実は、そんなリスクを冒してでも尚「今、この時点で自分が感じていることをまとめておかなければならない」と思わされる程には衝撃的なものだった。 

前置きも程々にしつつ、早速そんな『進撃の巨人』初見の感想、そして「彼らの旅路に “今” 感じていること」を思いのままに書き残しておきたい。


※以下、漫画・アニメ『進撃の巨人』のネタバレが大量に含まれます、ご注意ください!※

 

《目次》

 

 

予想を裏切ってくれたもの ~Season1 前半~

 

自分が今回見たのは、アニメ『進撃の巨人』のSeason1~3に『イルゼの手帳』を含む一部OAD、加えて劇場版のSeason1・2各総集編。Season 3の最終回、海の向こうをエレンが指し示す悲痛なラストから実に約1ヶ月焦らされていてワナワナしているのだけれど、本誌なら最低1ヶ月、コミックスなら数ヶ月、アニメに至っては数年待たされた先駆者たちのことを思うととても弱音を吐いてはいられない。 

……しかし、そもそもの話として、自分がここまで『進撃の巨人』に意識を持っていかれること自体が全くの「予想外」だった。

 

 

視聴当初、自分の中にあったのは「やっぱり自分には合わないかもしれないな」という不安と懸念。ショッキングな展開に、生理的嫌悪感を催す巨人のビジュアル (今となってはその “嫌悪感” を覚えてしまうことそれ自体に胸が痛くなる) 、重く剣呑とし続ける雰囲気……。いつ、誰が、どんな惨い最期を迎えてしまうか分からない真っ暗闇の中を歩いているようで、「先が気になる」よりも「見ていてしんどい」が勝っていたように思う。 

そんな鬱屈とした状況に一石を投じたのは、本作の「予想を覆す」展開の数々だった。

 

 

第4話『解散式の夜 ~人類の再起2~ 』では、爽やかに主人公顔をキメるエレンの背後に突如超大型巨人が現れ、続く第5話『初陣 ~トロスト区攻防戦1~ 』では、エレンが巨人に補食され「話を跨いで主人公が不在」という1クール目序盤にあるまじきとんでもない状況が爆誕。そして、極め付けのサプライズとなったのが「エレンの巨人化」だった。

 

 

自分が進撃の巨人について予め知っていた「ネタバレっぽい要素」は、リヴァイのフルネームが「リヴァイ・アッカーマン」であることと「エレンが巨人化すること」の2つ。てっきりエレンの巨人化は「原作終盤で明らかになる衝撃の真実」の枠だと思っていたらコレだよ! ……というのはさておき、このような「こちらの予想を裏切ってくる展開」の数々こそが『進撃の巨人』最大の特徴の一つと言えるだろう。  

前述のトロスト区攻防戦だけでも凄まじい裏切られっぷり (良い意味で) だったのに、その後もエレンの巨人化能力がすぐさまバレたり (ウルトラマンっぽいな、と感じたからこそ予想外だった) 、後述の初代リヴァイ班の顛末や「ライナー事変」だったり、明かされた世界構造だったり……と、本作はどれだけ先を読もうとしても絶対に「読ませてくれない」。 

こちらがフラグだと思ったらそれはブラフで、なるほどこういう流れか、と一息つこうものなら、その瞬間にとんでもない展開が降ってくる――と、そんな展開がまるでこちらの心を読んでいるかのように畳み掛けてくるのだ。気が付けばしんどさよりも「 “それ” を見逃したくない」という思いが勝っていたし、このような作品の魅力・パワーが「苦手意識をねじ伏せてくれた」からこそ、自分は今こうして感想記事を書くほどに本作を楽しめているのだろうと思う。

 

紅蓮の弓矢

紅蓮の弓矢

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  • ¥255

 

エレンの巨人化を初めとする様々な「予想外」に引っ張られるようにのめり込んでしまったトロスト区攻防戦。しかし、まだこの時点ではこの作品にノリきれていない自分がいた。正直なところ、この時点ではまだ本作の主人公=エレンがあまりピンと来ていなかったのである。

 

 

壁外へ出るべきだという情熱を滾らせ、間違ったことには大人相手でも立ち向かう勇猛果敢な少年=エレン。その真っ直ぐな強さはまさしく主人公の器だったけれど、作中序盤の彼は無愛想で当たりが強く、見ようによっては「ヒステリック」にも感じられてしまう状態だった。 

背景を考えればやむを得ないとはいえ、本作のただでさえ沈痛な雰囲気もあって、自分の中ではどうしても彼への好感度が高まらず、結果「彼に特別な想い入れを持っているミカサやアルミンに共感できない」という致命的な問題が発生してしまっていた。 

……が、しかし。

 

『お母さんの仇はどうした! 巨人を駆逐してやるんだろ!? お母さんを殺したヤツが憎いんだろ!?』
「何言ってんだアルミン……? 母さんなら、ここにいるぞ」
『エレン、エレン! 起きてくれよ! エレン、この中にいるんだろ!? エレン!! ……このままここにいたら、巨人に殺される!ここで終わってしまうッ!!』
「だから、何言ってるかわかんねェよ、アルミン。なんで外なんかに出なきゃいけないんだ……。そうだよ、どうして外なんかに……調査兵団、なんかに……」 

 (中略) 

『僕たちは、いつか外の世界を探検するんだろ?』
「……!」
『この壁の外のずっと遠くには、炎の水や氷の大地、砂の雪原が広がっている……。僕の父さんや母さんが行こうとしていた世界だ。忘れたのかと思ってたけど、この話をしなくなったのは、僕を調査兵団に行かせたくなかったからだろ?』
「外の、世界――」
『エレン、答えてくれ。壁から一歩外に出れば、そこは地獄の世界なのに……父さんや母さんのように無惨な死に方をするかもしれないのに、どうしてエレンは “外の世界に行きたい” と思ったの!?』
「 “どうして” だって? そんなの、決まってんだろ……。俺が、この世に生まれたからだ!!」

-「進撃の巨人」 第12話『傷 ~トロスト区攻防戦8~ 』より

 

自分は大きな大きな勘違いをしていた。エレンは真っ直ぐでこそあれ、決して「強い」人間ではない。巨人化の力を制御しきれず、朦朧とする意識の中で幸せな記憶に逃避し「どうして外なんかに出なきゃいけないんだ」という思いを吐露してしまう弱さや、不器用ながらもアルミンを気遣う優しさを持った「ごく普通の少年」という姿こそが、むしろエレンの本質なのかもしれない。 

ならば、そんな「ごく普通の少年」=エレンをここまで滾らせるものは何なのか。それは決して母を殺された恨みだけではない。大義の為でも、ましてや正義の心でもない。彼を何より滾らせるのは「自由」への渇望。どんな命も生まれながらに持っている願いであり、壁に囲まれた人類が失ってしまった「叫び」だ。 

彼の叫びが (自分を含めた) 多くの人々の胸を打つのは、私たちもまた様々な壁――誰かに決められた運命、「当たり前」という呪い、曇天のような見えない閉塞感――に囲まれながら生きており、その中で自らの「魂」を燻らせてしまっているから。現実世界より遥かに残酷で理不尽な世界で叫び、足掻き、抗うその小さな背中が、鋭く燃える瞳が、私たちに「お前たちはそれでいいのか」と問いかけてくるからなのかもしれない。

 

紅蓮の座標 [劇場版Size]

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「選択」と、世界の「残酷さ」~Season1 後半~

 

エレンの巨人化という一大トピックが落ち着くと、物語はあっという間に2クール目。『進撃』を見る前の自分でも知っていたド有名キャラことリヴァイやハンジたちが本格参戦する中、徐々に本作のテーマ、あるいは核のようなものが浮き彫りになっていく。エレンたちが目指すもの=自由がもたらす「代償」だ。

 

 

『進撃』において、「自由」とは「選択」と読み換えることができる。壁の中で生きることは、自らの自由 (選択) を放棄し、決められた運命に身を委ねること。壁の外へ出ることは、自らの生き方を自らで「選択する (自由を行使する) 」こと。事実、第104期生の調査兵団への入団シーンでは、彼らが「周囲に流されるのではなく、自らの意志で “選択” する」過程が印象的に描かれていた。 

しかし、本作はそうしたエレンたちの生き方を美徳としつつも、むしろその「負の側面」を徹底的に / 残酷に描いていく。その嚆矢となったのが、第2クール最大の悲劇である「女型巨人VSリヴァイ班」の一連だ。

 

「何をしているの、エレン!」
「!」
「それが許されるのは、貴方の命が危うくなった時だけ!私たちと約束したでしょ!?エレン……!」
「お前は間違ってない」
「っ!?」
「やりたきゃやれ……。俺には分かる、こいつは本物のバケモノだ。巨人の力とは無関係にな。どんなに力で抑えようとも、どんな檻に閉じ込めようとも、こいつの意識を服従させることは誰にもできない」
『とにかく巨人をブッ殺したいです……!』
「エレン、お前と俺たちとの判断の相違は、経験則に基づくものだ。だがな、そんなもんはアテにしなくて良い。……選べ。自分を信じるか、俺やこいつら調査兵団組織を信じるか、だ」
「……!」
「俺には分からない。ずっとそうだ……自分の力を信じても、信頼に足る仲間の選択を信じても、結果は誰にも分からなかった。だから……まあ、せいぜい “悔いが残らない方” を自分で選べ」

-「進撃の巨人」 第19話『噛みつく ~第57回壁外調査3~ 』より

 

第104期生が加わった調査兵団を急襲、仲間たちを次々と殺害していく女型の巨人を前にしたエレンは、このやり取りを経て「変身せず、そのまま進む」ことを選択。 

結果、エルヴィンの策によって一度は女型巨人の捕獲に成功する=エレンの選択が功を奏するも、女型は無垢の巨人を招集、自らを喰わせるという奇策によって捕縛を脱し、ペトラたちリヴァイ班を全滅させてしまう――。

誰かが死ぬかもしれないらという覚悟は常に持っていたつもりだったけれど、諫山先生にとってはそれさえも想定内だったというのだろうか。叩き付けられたのは「リヴァイ班全滅」という想像を絶する悲劇。  

オルオかペトラは生き残るだろう、という予想さえも通じない容赦の無さには文字通り絶句してしまったけれど、この一連における真のエグさとは「エレンに選択の余地を残した」こと。もしもあの時変身して、リヴァイたちと共闘していたら、そこで女型を倒せたかもしれない……という後悔が残ってしまったからこそ、この悲劇はエレンにとっても我々視聴者 / 読者にとっても、決して割り切ることのできない「刺」になってしまったのだろうと思う。

 

(エレンが「間に合った」というifを表紙にするという単行本派殺しの第7巻、あまりにも人の心がない……)

 

けれど、ここで忘れてはならないのは「エレンが変身していたとしても、事態が好転していたとは限らない」ということ。エルヴィンの作戦発動前にエレンが変身していたら、それは消耗していない女型の巨人と、彼女が呼び寄せた大量の巨人を一気に相手取るということでもある。むしろそちらの方が「最悪」であった可能性を一体誰に否定できるだろうか。 

世の中に完璧な選択なんてない。自由 (選択) には常に代償が伴う――。それは、抗うことのできない「世界の摂理」であり、ちっぽけな人間一人に抗えるものじゃない。だから、自分の選択だけで変えられるものがあるとすれば、それはせいぜい「自分の気持ち」ぐらいしかないのだと、だから、せめてそれぐらいは「自分で選べ」と――。リヴァイの「 “悔いが残らない方” を選べ」という言葉の裏には、そんな思いが込められていたように思うのだ。 

また、この「自分一人の選択では、世界や運命を変えることはできない」「それでも、“あの時ああしていたら” と思わずにはいられない」というのは、私たちが生きる現実にもそっくりそのまま言えること。 

前述の「俺がこの世に生まれたからだ」の件も然り、『進撃』はその作品カテゴリこそ「ファンタジー」であるけれど、根底にあるリアリズムは現実のそれを色濃く反映したものであり、本作はそれに加えて「フラグ」や「テンプレート的な展開」といったフィクションらしさを徹底的に排除、満を持して行われたエレンVSアニの最終決戦に見られるように「勝利のカタルシス」も極限まで抑えられている。 

このような作劇やリアリズム、そして「確かに、この世界で生きている」と感じさせてくれるキャラクター描写の結果、作り出されるのは異様な「現実感」。フィクションでありながらフィクションでない、ファンタジーでありながら「史実」を見ているかのようなこの臨場感こそが、『進撃の巨人』という作品が持つ唯一無二の魅力と呼べるかもしれない。

 

自由の代償

自由の代償

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Linked Horizonと『心臓を捧げよ!

 

Season 2本編の話に入る前に、本作の「楽曲」について降れておかなければならない。 

ネタバレが恐ろしいのでサントラにはまだちゃんと触れておらず(澤野弘之さんにはガンダムシリーズキルラキルアルドノア・ゼロ等々日頃から多々お世話になっております……) 、ちゃんと触れているのは歌の方だけなのだけれど、問題はその歌――とりわけ「Linked Horizonの手掛ける楽曲」たちだった。

 

 

当時から良い歌だな (曖昧な感想) と感じていた『紅蓮の弓矢』、聞けば聞くほどサビが頭から離れなくなる『自由の翼』、『紅蓮の弓矢』により重厚なアレンジが施されたセルフリメイク曲『紅蓮の座標』、『自由の翼』をベースに、フィルムスコアリング方式で作られただけあって、映像とのリンクが凄まじいセルフリメイク第2弾『自由の代償』……。 

自分は故あってLinked Horizon……ではなく、その大元=Revo氏率いる音楽アーティスト集団『Sound Horizon』の作品に何度か触れており、そのメロディアスで力強い曲調が好みにマッチしていていると常々感じていたので、今回遂にLinked Horizonの楽曲が「タイアップ先の作品と併せて」楽しめるというのはまさに願ったり叶ったり。 

案の定、聞いたことのある『紅蓮の弓矢』も、改めて聞くとその荒々しい熱さがエレンそのもののように思えたし、『自由の翼』は息の詰まるSeason1第2クールにピッタリの「クライマックス」感溢れる楽曲じゃないか……と、いずれも全く別物のように楽しむことができたし、セルフリメイクや挿入歌という文化が大好物なオタクとしては『紅蓮の座標』『自由の代償』もたまらないものがあった。 

が、しかし、本当の「ぶっ刺さり」案件はその先に待ち構えていた。Season 2のOP主題歌『心臓を捧げよ!』である。

 

心臓を捧げよ!

心臓を捧げよ!

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心臓を捧げよ!』の何がそんなに好きなのか? と言われると、音楽の専門知識がない自分はもう「全部」と答えるしかない。音楽、歌詞、画 (OP映像) の全部が全部ツボに入ってしまったのだ。

 

 

 

 

思わずこんな投稿を連投したり、音源の入手が待ちきれずにYouTubeを検索、ネタバレの危険を承知で公式アップロードの音源を聴いたりと、そのハマりようは我ながらかなりのものだったと感じているし、ライブ映えしそうなこの歌がフィナーレを飾り、実際にすこぶる映えていた「Linked Horizon Live Tour 『進撃の軌跡』第一壁」はまさに感無量の一言。ローランの友人がいてくれて良かった……!!

 

 

……と、これ以上音楽周りに触れようものなら知識の無さがますます露見しそうなので一旦ストップ、最後に一つ載せておきたいのがこちらの投稿だ。

 

 

ポニーテールについての話はさておくとして、問題は「過ぎし日を裏切る者 奴等は駆逐すべき敵だ あの日 どんな顔で瞳で 俺たちを見つめていた」というこの歌詞。 

上述の通り、この歌詞の部分がお気に入りの身としてはそれはもう何度も聴いていたのだけれど、少し気がかりだったのはこの「過ぎし日を裏切る」という部分。巨人たちのことを歌っているのだろうけれど、穏やかだった過去を破壊した、というには「裏切る」という言葉はミスマッチじゃないか――と、そこまで思っていたにも関わらず、幸か不幸か、自分はこれっぽっちも「その可能性」を考えていなかったのである。

 

 

「ライナー事変」について ~Season 2~

 

ここまで作品を見てくると、必然「好きなキャラ」が生まれてくるもの。主人公格の3人や、個人的な癖に刺さり過ぎてしまうサシャ&ハンジを除くと、自分が特に注目していたのが (よりによって) ライナーだった。

 

 

頼れる兄貴然としたポジションながらどこか小物っぽさがあったり、クリスタが相手になると段階をすっ飛ばして「結婚したい」と言い始めたりといったヘンな親しみやすさもあり、それがその強面といいギャップになっているライナー。 

この気持ちはアルミン・ジャン・ライナーVS女型の巨人戦 (この対戦カードの熱さよ!) 時点で既にハッキリしていて、ライナーが潰された瞬間にさっと血の気が引いたのをよく覚えているし、だからこそ『心臓を捧げよ!』のサビ直前、メインキャラクターの横並びからライナーがハブられているのは「ちょっと酷いぞ!?」と思ってしまった。当時の自分は、彼がこの並びからハブられているのは「当初はモブの予定だったけど、読者の人気が高く作者も愛着が湧いてしまったためレギュラー入りを果たした」ポジションだからかと思っていたのだ。   

……などと思いつつ、巨人に噛まれたライナーのことを案じていた第31話『戦士』で「それ」は起こった。

 

 

 

文字通りの「聞き間違い」だと思った。信じる信じない以前に、あまりにさらりと、ハンジたちの会話に被せてBGMのように流されるものだから「言葉通りの意味じゃないだろう、何か聞き逃したかな?」と思ってしまったのだ。  

だって「鎧の巨人と超大型巨人の正体を、相手の方から、さも当たり前のように話してくる」だなんて、そんなの意味が分からないでしょうよ――と、そんな状況でお出しされた「当のライナーが精神的に追い詰められており、本当に錯乱していた (当人にとっても “意味が分からない” 状態だった) 」という情報に身体の芯から震え上がってしまった。そんなことを言われたら憎むものも憎めないし、エレンの「裏切り者ォ!!」という絶叫が殊更に辛くなってしまう……! 

常々「予想を裏切ってくる」作品だと思っていたし、Season 2と言えば「ユミル」の名前が明かされるシチュエーションにも凄まじい巧さがあった (有識者のおかげで事前に『イルゼの手帳』に触れられていたのだけれど、ユミルの名前については「自分がどこかで聞き逃しているんだろう」とばかり思っていたので、いざ明かされた瞬間は「どういうこと!?」と、良い意味でひどく困惑してしまった) 『進撃』だけれど、このライナー事変はそれ以上に衝撃的なもの。これまでの積み重ねは勿論、何よりその前代未聞の演出から (個人的なショックのデかさを差し引いても) この一連は『進撃』の魅力を語る上で欠かせない一幕となっているのではないだろうか。

 

 

何も失わない選択 ~Season 3 前半~

 

問題の「ライナー事変」以外にも、「エレンたちでなくコニーたち別動隊を主役に据えることで、否応なしに高まるスリル」や「提示される無数の謎」「エレンに目覚めた “座標” の力」と、1クールとは思えない激動ぶりで大きな盛り上がりを見せてくれたSeason2。これらを受けて、Season3前半では謎の回収――と同時に、敵として立ちはだかる人間や堕落した王政、レイス家の真実等、これまで信じていたものが崩れ去っていく様が次々と描かれた。中でも大きなトピックだったのが「エレンに与えられた力の正体」だろう。

 

革命の夜に

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(Revo氏が製作された「自分流のSeason3前期OP主題歌」である『革命の夜に』。歌詞は勿論、他のOPよりもハード路線なテイストがSeason3前半の雰囲気と親和性抜群で、個人的には本家よりもこちらが好み。それはそれとして、OP主題歌を依頼されてないのに自分で作ってしまうアーティスト、何者!?)

 

レイス家に継承されていった「無垢の巨人を従える能力」=始祖の巨人の力。それは王族のみが使えるものであり、エレンの父=グリシャがそれを奪い取り、エレンに継承したことでその能力=人類の希望は事実上消滅してしまった――。 

目の前でハンネスを喪うという絶望の中、エレンに発現した力だけが唯一の「救い」だったSeason2最終回から一転、エレンがその力を持っていることが「過ち」になってしまうという残酷な仕打ちもさることながら、何より胸を抉るのはエレンの涙。Season2最終回での「あの時から何も変わっていない」という慟哭から更に悪化した「自分なんか要らない」という絶望は (梶裕貴さんの真に迫る演技も相まって) 作品序盤に感じたものとは全く異なるベクトルで「見ていられない」ものがあった。 

……しかし、この深い絶望があったからこそ、そんなエレンを皆が救い出すシーンはいつ見ても涙せずにはいられない。

 

「もういい、ヒストリア! レイス家が巨人になったんなら、俺がこのまま喰われちまえばいい! お前は逃げろ!」
「イヤだ!」
「だから何で!?」
「私は人類の敵だけど、エレンの味方!」
「……!」
「良い子にもなれないし、神様にもなりたくない。でも、“自分なんか要らない” なんて言って泣いてる人がいたら “そんなことないよ”って伝えに行きたい! それが誰だって、どこにいたって、私が必ず助けに行く!」 

 (中略) 

「ごめん、皆……!俺は、役立たずだったんだ……そもそも、ずっと最初から “人類の希望” なんかじゃなかった……」
「……」
「鎧……?」
「何だ、悲劇の英雄気分か?」
「!?」
「テメェ、一回だって自分の力一つで何とかできた事あったかよ」
「弱気だな。初めてってワケじゃねぇだろ、こんなの」
「別に慣れたかねーんですけどね!」
「ま、あの中跳ぶのは流石に厳しいけど!」
「私がエレンを!」
「多分気ィ遣ってる余裕ねェから、死ぬ気で掴まってろ!」
「うん」
「無理だ、もう逃げられない……!」
「じゃあ何もせずに、皆で仲良く潰れるか、焼け死ぬのを待つの!? 私たちが、人類の敵だから!?」
「……!」
「毎度、お前にばかりすまなく思うが……エレン、“好きな方を選べ” 」
『……進みます!!』
「くっ……! うわああぁぁぁッ!!」
「エレン!?」
(ごめんなさい! 最後に、一度だけ許してほしい! 自分を信じることを――!!)

-「進撃の巨人」 第45話『オルブド区外壁』より

 

ユミルから受け継いだ想いでエレンを支えるヒストリア、軽口を叩いているようで、その実誰よりストレートに「お前は俺たちの仲間だろ」と言っているジャン、そして、「悔いが残らない方」ではなく「好きな方」を選べという言い回しに想いを感じるリヴァイ……。そう、「あの時」と違い、今のエレンにはたくさんの仲間がいる。「自分なんか要らない」と言うけれど、彼らはエレンの力ではなく「エレン・イェーガー」という個人を必要としている。誰に何を背負わされていようと、エレンは決してひとりぼっちではないのだ。  

前述のように、『進撃』はその根底にある種の諦観・リアリズムが感じられ、それ故に「ファンタジー作品ながら、深い感情移入をさせてくれる」作品だった。そんな本作でこうも暖かいシーンが見れるとは思ってもみなかったし、長らく形になっていなかったエレンの硬質化能力が「皆を守りたい」という想いで初めて覚醒する様には思わず声を漏らしてしまった。それは、本作において初めて描かれた「何も失わない選択」であり、人間一人の選択では世界は変えられないという残酷な摂理に風穴を空ける「希望」の嚆矢に思えたからだ。

 

暁の鎮魂歌

暁の鎮魂歌

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「予想を裏切る作品」から「期待を越えてくれる作品」へ ~Season 3 後半~

 

「エレンの力の正体」という大きな謎がひとまず明かされ、人類側の憂いも断たれた……という万全の状況で遂に始まる「シガンシナ区奪還戦」。ただでさえ盛り上がるこの展開を更に熱く彩ってくれたのが、Season3の後期OP主題歌『憧憬と屍の道』だ。  

『紅蓮の弓矢』のセルフオマージュになっているOP映像、「デッドヒート」という言葉が相応しいハードロック、歴代のLinked Horizon進撃主題歌でも頭一つ抜けた熱量のサビ、これがエルヴィンのキャラソンでなくて何なのかという歌詞――と注目ポイントは多々あれど、自分が特にグッと来たのは『弓矢が駆け抜けた軌跡 翼を散らして 心臓を束ねても 鎮魂歌には早過ぎる』という最後の歌詞!これまでもセルフオマージュ・引用が多かったLinked Horizon産主題歌の集大成としてこれ以上ない一節と言えるだろう。

 

憧憬と屍の道

憧憬と屍の道

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(ジャケットがあまりにも「シガンシナ区の例の場所に辿り着いた鎖地平団のRevo」過ぎて笑ってしまう)

 

こうして、始まった瞬間から既に凄まじい盛り上がりだったSeason3後半。とはいえ、こちらの予想を捩じ伏せる作風が『進撃』の味であり、事実、第49話『奪還作戦の夜』での特殊EDはそれはそれは不安極まる代物だった。荒廃したシガンシナ区で衝突するエレン、ミカサ、リヴァイ、これを「勝った側」と思えという方が無理だって……!

 

 

結果、ここまでのお膳立てがあっても尚「奪還失敗」のルートが十分に考えられたし、戦闘開始時、シガンシナ区を取り囲む形で獣の巨人たちが現れた時は「あっこれは無理だわ」と視聴者ながらに敗戦を覚悟している自分がいた。……が、そんな絶望ムードに反し、シガンシナ区奪還戦の対戦カードは「第104期生チームVSライナー」「リヴァイVS獣の巨人」と、否応なしに「アガる」ものばかり。ライナー戦でのハンジ復活 (「いいや、よくやった!」の台詞と共に最高のタイミングで復活するハンジさん、過去一カッコ良かった……!) にも、獣の巨人を一瞬で斬り伏せるリヴァイにも、そこに至るエルヴィンとの物語にも情緒がおかしくなりそうだったし、いずれも「ここまで進撃を見てきて良かった」と心から思えるものだった。

しかし、ともすればそれら以上に自分のツボを抉ったのが第54話『勇者』で描かれた宿命の対決=「エレン・アルミンVSベルトルト」!

 

 

正直なところ、自分がこれまで『進撃』を見ている中である意味一番警戒していたのがアルミンの存在だった。 

アルミンは優れた知性と先見性を武器に何度も窮地を突破してきた「参謀役」であるけれど、彼の最大の武器とはむしろ「何かを得るために何かを捨てられる」という決断力。エレンたちが抗う世界の摂理を、アルミンはエルヴィンのように「受け入れ、その上での最善を選ぶ」ことができる者=強い心を持った者だったのだ。 

しかし、それは一歩間違えれば「目的のためには手段を選ばない」ということでもある。そんな危うさはSeason2の「ベルトルトに “アニが拷問されている” という嘘をついて隙を作る」姿に顕著だったし、彼が「大切なもの」を捨ててしまったようでゾッとするものがあった。この先、彼は何を守るために、何を捨ててしまうのだろうと、ともすれば、正義のためにエレンたちを切り捨てることさえあるのでは――と。

 

 

一方、そんなアルミンと相対するのが、全ての始まりと呼べる超大型巨人=ベルトルト。第104期生の中でも特に無口で、そのため自分も彼を注視してはいなかったのだけれど、罪悪感に耐えきれず精神を分離させたライナーや、Season2のラストを見て彼への印象は大きく変わっていった。というのも、彼はライナーのように自身の罪から逃避せず、しかし受け入れることもできなかった結果、エレンたちの前で遠慮なく「仲間」として振る舞うことができず、その結果として口数が少なくなっていたのでは……と思えてしまったのだ。 

 

「だっ……誰が! 人なんか殺したいと……思うんだぁッ!!」
「……!」
「誰が好きでこんなこと……こんなことをしたいと思うんだよ!人から恨まれて、殺されても当然のことをした。取り返しの付かないことを……。でも、僕らは罪を受け入れきれなかった。兵士を演じてる間だけは、少しだけ……楽だった。嘘じゃないんだ! コニー、ジャン! 確かに皆騙したけど、全てが嘘じゃない! 本当に仲間だと思ってたよ!……僕らに、謝る資格なんてある訳ない。けど、誰かお願いだ……。誰か、僕らを見付けてくれ……!」

-「進撃の巨人」 第36話『突撃』より

 

戦士としての使命と、エレンたちを好ましく思う友情。そのどちらも本物だからこそ、板挟みの中で苦しむ心を誰にも理解して貰えない孤独……。「強い心を持つが故に、現実の残酷さに誰より向き合ってしまう」という意味では、ベルトルトとアルミンはある意味似た者同士。そんな2人がシガンシナ区で雌雄を決する流れには大きな納得があったけれど、気になるのは「圧倒的な力を持つベルトルトに、アルミンが何を持って挑むのか」ということ。目的の為には何かを捨てることを躊躇わないアルミンが、今度は一体何を捨ててしまうのか――と。 

この時点では、自分はアルミンが捨てようとしているものに全く気が付いていなかった。いや、正しくは「アルミンはレギュラーだから大丈夫だろう」と、それを察してはいても頭から追い出していたのかもしれない。

 

『アルミン、それが君の最期か? 君がその知恵を絞ってようやくできる抵抗は、そうやって炙られ続けることなのか!?』
「息が……! これ以上はもう……いいや、まだだッ! この程度じゃ足りない! もっと時間を稼ぐんだッ……!!」
『一体何がしたい!? 陽動か? エレンならまだあそこでくたびれたままだぞ! ミカサたちも、あっちでライナーに手一杯! 本当に何もないのか? 本当に、これでおしまいなら……分かったよ、今楽にしてやる』
「うわぁッ!! ……耐えろ、まだ放すな……!エレンに託すんだ、僕の夢、命、全て! 僕が捨てられるものなんて、これしかないんだ……!きっと、エレンなら海に辿り着く! 海を、見てくれる――!!」

-「進撃の巨人」 第54話『勇者』より

 

そう、ここでアルミンが捨てようとしていたのは自らの全て=身体と命、そして夢。無惨に焼け焦げていくアルミンの姿に「自分はアルミンの何を見ていたんだ」と、どうしようもない罪悪感と悪寒を感じながらも、気がかりだったのはその命を懸けた時間稼ぎの「目的」。 

――それは、アルミンが吹き飛ばされ、一帯が静まり返ったその一刹那のことだった。

 

「終わった……。さあ、次はエレンと馬を……ん? これは…… “硬質化” ……? ッ!?」
「――獲った!!」

-「進撃の巨人」 第54話『勇者』より

 

そう、硬質化で作った案山子を囮に飛び上がり、鮮やかに超大型巨人を討ち取ったのは「人間態の」エレン。そう、作品の顔とも言えた「超大型巨人に斬りかかるエレン」という構図が第5話以来に実現しただけでなく、(言ってしまえば「借り物」に過ぎない) 巨人の力ではなく、アルミンとエレンの「2人の力」で超大型巨人に勝利するという、自分が見てきたあらゆる作品の中でも指折りにアツい、最高の「回収」を見せてくれたのである。  

これまでも『進撃』は何度も「予想外」を見せてくれたけれど、それらは往々にして「予想を裏切る」と表現すべきもの=面白さとは別に、どうしても暗い気持ちにさせられるものだった。しかし、この「始まりの場所で、人間態のエレンが、アルミンと共に、始まりの宿敵を討ち取る」というシチュエーションは全くの別物。全てが完璧以上、想像を絶する破格の熱量に満ちたそれは、予想を裏切るというよりも「期待を越える」ものであり、この瞬間、自分はようやく『進撃の巨人』という作品が心から「大好き」になれたように思う。 

(当時は、続く第55話『白夜』アバンでアルミンが息を吹き返したところで安心しきり、SNS上で「アルミンが生きてて良かったし、シガンシナ区奪還作戦編は本当に良かった……!」などと呑気に喋ってしまっていたのだけれど、この時はアルミンがあくまで「死にかけている」ことも、そこから更に過酷な「選択」が待っていることも、何一つ分かっていなかった)

 


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壁の向こう側へ

 

こうしてシガンシナ区の奪還を成し遂げ、常軌を逸した破格の盛り上がりを見せてくれた『進撃』。しかし、そんなこれまでの盛り上がりはあくまで「序章」に過ぎなかったのかもしれない。あるいは、このシガンシナ区奪還作戦こそが『進撃の巨人』で素直に盛り上がれる「最後」のシナリオだったのかもしれない――と、そんな嫌な予感に今も奥歯を噛み締めている。

 

 

エレンたちは、初めて巨人の力を手に入れた人間=ユミル・フリッツの子孫であるエルディア人、通称「ユミルの民」であり、誰もが巨人の力を秘める「悪魔の末裔」として、世界から排除される運命にあるのだという。 

エルディア人とマーレ人の因縁は、マーレの歴史では「世界を支配しようと民族浄化を行ったエルディアの民を、マーレが大陸から追い出した」ものとされているが、グリシャは調査の結果「マーレが歴史を改竄した」という結論に行き着いた。しかし、その肝心な根拠は「ユミルを信じているから」という曖昧なものであるし、真偽はどうあれ、双方の憎み合いはそんな「過去の事実」如何ではどうにもならない所まで来てしまっている。  

マーレにとって、ユミルの民は「かつて人類を支配しようとした悪魔の末裔」である以上に「いつ自分達に牙を剥くか分からない脅威」であり、エレンたちにとってマーレは「家族や仲間を殺した仇」。こんな状況下で、無血で争いを終わらせることが果たしてできるのだろうか。 

……正直、この『進撃の巨人』でそんなことが起こるとは思えない。一番恐ろしいのは、本作のタイトルを最悪の形で回収してしまうこと=エレンたちの方が、かつて自分達がされたことをマーレ側に行ってしまい、エレンたち自身が紛れもない「悪魔」になってしまうこと。せめてその最後の一線だけは踏み越えませんように……という、この望みさえももはや贅沢な話なのかもしれない。

 

美しき残酷な世界

美しき残酷な世界

 

アニメ『進撃の巨人』は全100話で、残り話数はなんと41話。その中で一体何が起こってしまうのか、エレンたちは全員無事で生き残れるのか、そもそも、誰か一人でも無事に生き残ってくれるのか、この世界に平和は訪れるのか……。 

何はともあれ、自分にできるのは「ネタバレを踏む前に一刻も早くこの先を見届ける」ことだけ。どんな展開が待っていても折れないよう、心を強く持って本作の後半=『The Final Season』に進んでいきたい。

最強の力で “反戦” を描く異色のガンダム -『機動新世紀ガンダムX』のすすめ

世界的な情勢の悪化もあって「戦争を題材にした作品」の扱いに一層の配慮が求められるようになった昨今、それでも世界には戦争を描いたフィクションが生まれ続け、エンターテインメントと共に「戦争の悲惨さ」や「相互理解」というテーマを訴え続けてきた。そんな作品の筆頭格と言えるのが、今年で生誕45周年を迎えるリアルロボットアニメの金字塔『機動戦士ガンダム』シリーズだ。

 

 

そして、そんなガンダムシリーズの中でも自分が愛してやまない作品の一つが、1996年放送のTVアニメ機動新世紀ガンダムX。 

ガンダムシリーズを見るとすれば、劇場版が公開中の『機動戦士ガンダムSEED』が真っ先に挙げられるだろうけれど、それとは全く異なるベクトルで「今だからこそ見るべき」と言える作品がこの『ガンダムX』。今回の記事では、そんな本作の魅力――とりわけ、シリーズの中でも特に色濃く「反戦」を打ち出したそのストーリーを振り返ってみたい。

 

 

DREAMS

DREAMS

 

コロニーの独立運動に端を発する、宇宙革命軍と地球連邦軍の大規模な武力衝突=「第7次宇宙戦争終結から15年が経過したA.W. (アフター・ウォー) 0015年。ある者は戦争の記憶に恐怖し、ある者は忌まわしき機動兵器・モビルスーツで残された資源を奪い合い、またある者は、戦争で猛威を奮った超能力者「ニュータイプ」を追い求めて彷徨っていた。 

そんな混迷の時代に、一人逞しく生きる「戦後生まれの若者」がいた。炎のモビルスーツ乗りを自称するジャンク屋の少年、ガロード・ランである。 

ニュータイプの少女=ティファ・アディールに一目惚れしたことをきっかけに、モビルスーツガンダムXと運命の出逢いを果たすガロード。しかし、そのガンダムは戦争の命運を分けた最強の力=サテライトキャノンが搭載された悪夢の兵器だった。 

15年前にガンダムXを操縦していたパイロット=ジャミルニートの「ニュータイプを保護する」旅に同行することになったガロードは、荒廃した地球を駆ける中で、ニュータイプという存在の意味――そして、自らに与えられた銃爪の重さに向き合っていく。

筆者記

 

ガンダムシリーズはそのほとんどが戦争を描いた物語だが、本作は珍しく戦後を描いたロードムービー。復興中の街や海上の軍事施設、動乱の渦中にある王国など、行く先々で起きる「ニュータイプを巡る争い」が本作の主な舞台となっていく。 

これだけでも十分異色の「ガンダムX」だが、中でも出色と言えるのが前述の兵器=サテライトキャノンの存在である。

 

 

月から送信されるマイクロウェーブを受けて発射される規格外の極大砲撃=サテライトキャノン。その火力はなんとスペースコロニーさえ破壊可能な程で、間違いなくガンダムシリーズ最強兵器の一角に数えられる代物だろう。 

現実における「戦略兵器」とは、主に「戦争を終結させるため、敵国の戦意やリソースを駆逐する為に用いられる」強力な兵器を指す呼称であり、サテライトキャノンも同様の意図を持って開発されたものと考えられる。しかし、本作のプロローグにあたる「第7次宇宙戦争」において、サテライトキャノンはその意図と真逆の事態を引き起こしてしてしまう。

 

 

第7次宇宙戦争末期、長期戦を不利と見た宇宙革命軍は、スペースコロニーを地球に落とす最終作戦=コロニー落としをもって地球連邦に降伏を勧告。 ところが、地球連邦はこれに対して決戦兵器=ガンダムXを投入、サテライトキャノンによって先発コロニーの破壊に成功する。 

しかし、その圧倒的な火力に焦りを感じたことで、宇宙革命軍はコロニー落とし作戦を強行。地球には致命的な被害が出てしまい、泥沼状態となった戦争は、連邦軍と革命軍の共倒れという最悪の形で幕を下ろすことになる――。  

そう、サテライトキャノンはそのポジションこそ「主人公の必殺技」だが、それ以上に「大きな力は、より大きな災いを呼ぶ」という因果の象徴、あるいは「戦争」という概念が形を成した存在と呼べるものなのだ。


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この扱いは、戦後15年が舞台の『ガンダムX』本編でも一貫しており、第2話『あなたに、力を…』ではガロードが初めてサテライトキャノンを使用、襲撃者たちを一掃するも、それら無数の「死」によってティファが精神に大きなダメージを負ってしまう姿が描かれていた。サテライトキャノンは、本編初登場の時点から「ヒロイックなキメ技」ではなく、あくまで「大量破壊兵器」として描かれていたのである。 

それ以降、サテライトキャノンが「兵器」として用いられたのは第5話『銃爪はお前が引け』におけるティファ救出作戦のみ。他は移動手段のようなトリッキーな使われ方に留まっており、サテライトキャノンは総じて「ヒロイックな印象を持たれすぎないよう、作劇に細心の注意が払われていた」と言えるだろう。 

しかし、それでもサテライトキャノンが『ガンダムX』の看板足り得るのは、この兵器が最後まで作品の中心に在り続けたからこそ。この点において重要な転機となったのが、ガロードガンダムXの後継機=ガンダムDX (ダブルエックス) に乗り込む第24話『ダブルエックス起動!』。

 

 

当初は「ティファを守りたいから」という恋心だけで戦っていたガロード。しかし、人工ニュータイプとして呪いを背負わされた少年=カリスとの決戦や、生体兵器となってしまったジャミルの元上官=ルチルとの出会い、そして、戦争で妻子を失った男性=カトック (上記画像) 「過ちは、繰り返すな」という言葉を受けて、ガロードは自分が何をすべきなのか、自分に与えられた力にどう向き合うべきなのか、その答えに少しずつ近付いていく。 

そんな中、地球では「新地球連邦」が樹立。連邦軍が新たな力=ガンダムDXを得たジャミル一行に迫る中、ガロードはDXに搭載された新兵器・ツインサテライトキャノンの使用を迫られる。 

守るためには力が必要。しかし、大きな力はより大きな災いを呼ぶ――。旧世代から続く争いのジレンマを打ち破るべく、ガロードは「ツインサテライトキャノンで無人島を爆破、戦力を誇示し、無血で軍を撤退させる」という新たな答えを提示してみせる。それは、戦争の呪いに囚われない戦後生まれであり、しかしその悲惨さを胸に刻んだ新世代の若者=ガロードだからこそ出すことのできた「過ちを繰り返さない」為の回答であり、「何かを失うことでしか、何かを守ることはできない」という戦争のジレンマに風穴を開ける一撃だったと言えるだろう。

 

(カトックがその命と引き換えにガロードへ託したガンダムDX。そんな背景と本作のテーマを受けてか、DXの初戦闘は重々しい劇伴をバックにした悲壮感溢れるものになっていた。後期主人公機の初陣としてはシリーズでも異色のシチュエーションだ)

 

新地球連邦の樹立と宇宙革命軍の復活によって、世界が第8次宇宙戦争に向かっていくシリーズ後半では、サテライトキャノンのくだりでも触れられていたテーマ=「旧世代から続くジレンマ」が大きなキーワードとなっていく。つまるところ、本作における「ニュータイプ」とは何なのか、という問題だ。

 


ガンダムシリーズで度々顔を見せる「ニュータイプ」概念だが、作品によってその定義は微妙に異なっている。 

では『ガンダムX』においてはどうか、というと、本来の定義は「フラッシュシステム (無人MSのコントロールなどに使われる、思念式の遠隔通信システム) の適合者」を指す言葉であったが、最初に現れたニュータイプが超常の力を持っていたことから、その「混迷の時代に現れた超能力者」という側面が戦火の中で拡大解釈・流布されていき、結果「テレパス」や「予知」など超常の力を持つ者の総称となっていった……というのが『ガンダムX』における「ニュータイプ」であり、作中ではこの言葉に囚われたキャラクターが数多く登場する。 

ジャミルのように、ニュータイプこそが人の革新であり、荒廃した世界における「希望」とする者。ニュータイプという概念を兵器や思想統制の道具にしようとする者。フロスト兄弟のように、そのような思想によって「烙印」を押された者たち……。 

誰もが「ニュータイプとは何なのか」という答えを知らないまま、その理想に縋る他なかった混迷の時代。しかし、そんな理想の被害者となるのは、常にガロードやティファのような何も知らない子どもたち。だからこそ、旧い世代の人々は、届かない過去や理想ではなく、今そこにある「現実」に向き合わなければならないのだ。

 

 

月に封印された人類最初のニュータイプであり、長年に渡り世界を俯瞰し続けてきた存在=D.O.M.E.は、ジャミルたちにニュータイプ能力とは偶発的に生まれた特異体質でしかなく、 “人の革新・ニュータイプ” という希望は幻に過ぎない」ことを告げると、未来を切り拓く存在としてガロードの名を挙げる。

 

『たとえどんな未来が見えたとしても、それを現実の物としようとしない限り、それは手には入らないのだから。ニュータイプを求めて流離う時代は、もう終わったんだよ。そして、君たちは “新しい未来” を作っていかなきゃならない』
「新しい未来を、作る……」
『それは不可能なことではない。そこにいる少年は、それを繰り返してきた。そうだろう? ガロード・ラン』
「えっ、オレ?」
『君は、ティファの予見した未来をことごとく変えてきた』
「オレはただ、ティファのことを守りたいと思っただけで、特別な力なんてないし……」
『その心の強さが、君に未来を変える力を与えたんだ。そして、それは戦争を知らない世代に共通した希望の光だ。旧い時代に左右されず、新しい時代を生きる力がある』

-「機動新世紀ガンダムX」 第39話『月はいつもそこにある』より

 

戦争は過去の因縁から始まるが、実際にその “過去” に生きていた者が、果たして今どれほどいるのだろう。 

戦争とは気高い理想を求めて始まるが、数多の犠牲を経て掴み取った理想に一体どれほどの価値があるのだろう。 

ならば、人々は過ぎ去った過去でもなく、都合の良い理想でもなく、目の前にある大切なもの――ガロードというありふれた少年が、自らの恋路を当たり前に走っていけるような、そんな「今」を守らなければならない。ガロードの真っ直ぐな恋心が世界を守り抜いたように、若者たちのひたむきな想いこそがどんな兵器よりも尊い力であることは、戦後世界でも我々の生きる現実でも変わらないのだから。

 

Resolution

Resolution

 

サテライトキャノンとニュータイプを軸に、世代間の葛藤――大人の使命と若者の可能性を描いた『ガンダムX』。そんな本作が「反戦」を強く打ち出した作品であることは考えるまでもないけれど、その一方で、本作は放送開始1年前に起こった大災害=阪神・淡路大震災の被災者に向けられた作品であるようにも思える。 

悲劇から立ち直るのに「ニュータイプ」のような特別な力なんて必要ない。真っ直ぐ全力で生きてさえいれば、巡り巡ってそれが誰かを救う力になる。誰もが誰かを救う主人公になり得る――。荒廃した戦後世界を真っ直ぐ駆け抜けていったガロードの姿には、そんなエールが込められているように思えてならないのだ。

 

 

ガンダムX』の放送から28年。今も世界では戦争が行われており、大きな自然災害が日夜人々の命を脅かしている。――そんな世の中だからこそ、本作はあなたに新しい気付きや生きるヒントをもたらしてくれるはず。 

一時はマイナー扱いだった本作だけれど、今では再評価が進んだことやサブスクサービスの充実もあって視聴方法には困らない。30周年が迫る今、改めてA.W.の世界、そしてガロード・ランの生き様に向き合ってみてはいかがだろうか。